豚というのは、施設さえ整えれば、養鶏などに比較しても、あまり面倒をかけずに育つらしい。子豚はどんどん生まれてくるし、餌をきちんと与えれば、4カ月くらいでもう成体になる。ワクチンを投与しておけば、病気にも強い。それから数カ月かけて、十分太らせて商品価値を付け、そして市場の需要を見ながら、売りに出す。
その養豚を、村の主力産業にしようという取り組みを始めた人がいる。他ならぬ、ボウン・ブアブレ計画開発相である。自分の地元である、イシア(Issia)というアビジャンから西に350キロ離れた町で、養豚業を軸に村おこしを始めている。その様子をお見せしたい、と私にお誘いがあった。すでに、イスラエルや国連からの資金を使って養豚場を建てて、地元の青年団と婦人生活組合が、養豚事業を始めつつあるという。
イシアの近郊にあるニアキア村(Niakia)まで出かけると、イスラエルの協力を得て建てたばかりの養豚場があった。まだ本格的には始動していない。この2月から、豚を入れ始めたばかりである。だからまだ、準備の飼育段階である。豚を育てているけれど、太らせて出荷するためでなく、子豚を産ませるためなのだという。
飼育舎は、完成したばかりだから、もちろんぴかぴかだ。私が視察に来るということで、清掃をしたということもあるだろう。飼育舎が清潔なだけでない。豚たちもぴかぴかに磨かれている。とりあえず、十頭ばかりの豚がいて、まだ子豚たちは生まれていなかった。子豚たちが生まれると、子豚の飼育区画に入れられる。その区画には、子豚たちが顔をつっこんで餌をとるための器具が備えてある。多少大きくなると、もう少し幅の大きい飼育区画に移され、そして最後に成体となった豚は、大人の区画に移され、そこで肥育される。
もう一つ別の、国連の協力を得て建てた養豚場があった。同じくイシア近郊の、ブロクア村(Brokoua)である。ここでは、すでに豚の生育がだいぶんと進んでいた。餌をどのくらい与えればいいのか、青年団が、いろいろ試行錯誤している。豚の生産についての基礎技術は、彼らのうちの何名かが、イスラエルに招待されて研修をしてきている。
イシアでの養豚業は、自給自足の精神でいくと決めたのだそうだ。つまり、飼料などを他から調達するのでは、採算が合わなくなる。まず、豚の赤ん坊は、ここでどんどん産ませる。水については、その場で掘られた井戸から汲み上げられ、給水塔から配給する仕組みなので問題ない。餌は、雑穀やトウモロコシなどを与えるのだけれど、雑穀もトウモロコシも、青年たちが地元で耕作し、生産する。飼料小屋には、すでに地元で収穫された雑穀類が、山積みになって保管されていた。
「青年団や婦人生活組合が考えているのは、単なる養豚だけじゃないんです。生産した豚肉を、肉として食べるのではなくて、ハムやソーセージといった加工食品にしようという構想です。豚肉のままだと、あくまで生鮮食料品ですから、商品化できません。」
と、ボウン・ブアブレ大臣が説明する。
なるほど、加工食品にすると日持ちもするし、イシアから遠く離れた都市を、市場として相手にできるようになる。コートジボワールでは、加工肉製品は、まず欧州からの輸入品で高い。地元の加工工場で作れば、安くて新鮮なものが供給できる。イシア・ブランドのラベルを付けて、おいしいハムやソーセージを、アビジャンなどの大都市のスーパーに並べられればいいですね、と私は応じる。
「いや、それよりまず、地元の子供たちに、肉たんぱく質を安定して供給することを目指しています。子供たちが、肉を食べる機会が少ない。生肉は、辺鄙な農村では、なかなか自宅で保管出来ないですからね。加工肉にすれば、それが可能になります。そして、体や頭脳の成長に必要なたんぱく質を、子供たちに手軽に食べさせることができるようになります。」
ボウン・ブアブレ大臣が答える。
「これから、加工肉にする工場を建設するわけですけれど、そこでは、婦人たちが働きに来て、ハムやソーセージなどの生産に、携わることになります。これは、婦人たちに新たな雇用機会となるだけでなくて、社会進出のきっかけを作ることになるはずです。」
もう、加工工場の予定地も決めてあって、村の市場のある広場の隣に敷地がある。いつの日か、ここに工場が建って、婦人たちが集まり、事業が回り始めるのだろう。
「この加工肉事業をやってみようと私が考えたのは、日本のおかげです。」
と、大臣が意外なことを言う。
「昨年4月にアフリカ開発会議(TICAD IV)で訪日しました。そこで、日本には、一村一品運動というものがあると、教えてもらいました。これだ、と思いましたね。コートジボワールでも、農村開発のひとつの方法として、それぞれの村がそれぞれの特性を生かした、何か一つの生産活動に力を入れる、という提案がいいのではないか。これを自分の村で、まず試してみようと思ったわけです。村の青年団に話すと、やろうと皆が乗ってきました。」
大臣の開発へのアイディアに、日本が知恵を貸していた。大臣は、日本大使の私を招待して、それを伝えたかったのだろう。コートジボワールの一村一品が、どのように成果を収めるか、これから見ていてほしい、そういう意味だと私は受け取った。 ニアキア村の養豚場
清潔な豚舎
子豚の飼育区画
飼料庫:地元で収穫した雑穀
ブロクア村の養豚場と青年団長
ブロクア村の養豚場で育つ豚
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