アビジャン港で行われた、「国際船舶港湾保安基準(ISPSコード)」に関するセミナーに出席したら、コーヒーブレイクのときに私に話しかけてきた紳士がいる。そして私は、藪から棒に感謝を受けた。
「日本は本当にすばらしい協力をしてくれました。このアビジャン港の関係者にも、お世話になった人たちがたくさんいて、みな日本に感謝しています。」
いったい、何の話だろう。
その人は、「域内海洋技術研修所(Académie Régionale des Sciences et Techniques de la Mer (ARSTM) )」の、クリバリ所長と名乗った。船員養成学校であるという。日本が約20年前に機材を供与してくれたおかげで、多くの船員たちがこの学校でいい訓練を得て巣立っていった、という話をする。是非見に来てほしい、というので数日後にその船員養成学校に出かけた。
船員養成学校は、アビジャンの外れ、海辺に臨む地区に広大な敷地を構えていた。鉄筋の本館校舎のほかに、訓練棟がいくつも立ち並んでいる。敷地の向こうには、学生たちの寄宿舎が連なっている。運動場などもあって、これはまるで大学のキャンパスのようだ。クリバリ所長の出迎えを受けて本館に入ると、ロビーに商船や貨物船の模型が飾ってある。どれにも、日の丸が付いていて、日本が提供したものだとわかる。「1987年」と記してある。ほんとうに20年前だ。
つまり、こういう話だった。20年前に、この船員養成学校が設立されることになったとき、日本政府は無償資金協力で協力することにした。船員養成学校の総工費は160億フラン。その内訳は、建物建設費が90億フランで、訓練用機材が70億フランだった。日本は、この訓練用機材の費用について協力した。そして、その70億フランのうち、日本が43億フラン分の機材供与を行った。
「この学校のいたるところに、日本の国旗が付いていますよ。」
と、クリバリ所長は言う。そのとおりだった。学校の中の、ありとあらゆる大型教材が、日本の提供によるものであった。電気回路の実習機材がある。日の丸が付いている。工作機械や実験機材がある。日の丸が付いている。船の構造の精巧な模型がある。日の丸が付いている。ほんとうに、日の丸だらけである。
惜しむらくは、ほとんどが動いていない。といっても、20年前の機材である。今も動くことを期待するほうが無理だろう。電化製品だって、10年くらいで寿命がくる。語学教室に入ると、生徒の一人一人の机の上に、マイクのついたカセットテープの録音機が置いてある。なつかしい。私も大学時代、こういう機材を使って、英会話を学んだ覚えがある。通信の実習室に置いてある機材は、もう博物館ものであった。いくら修理したとして、通信技術の長足の進歩を前にしては、これではあまり勉強にはならないだろう。
操舵室の実物大模型がある。横長の部屋に、船橋の操舵室に実際に置かれている通りの配置で、舵やメーターや海図台などが並んでいる。生徒は、ここで船に上がったらどういう動きをするべきなのかを、前もって勉強するのだ。レーダーの読み取り装置がある。実物とまったく同じ機材で、訓練用に作ってある。
「これは素晴らしい装置で、このビデオに問題を入れると、コンソル画面にレーダー映像が出ます。生徒たちはそれを見て、船がどういう状況にあるかを判断する訓練をするのです。」
でも、もう映像が映らなくなっている。
大きな工場のような建物に案内される。船のボイラー室の実物大模型がある。動いていた時は、実際にボイラーで水蒸気を作り、圧力管でほかの機械に伝達する仕組みを、バルブを開閉したりしながら、そこで実習することができた。実物の大型艦船では、こうしたディーゼル・エンジンやボイラーなどは中央制御室で集中制御される。その中央制御室のシミュレーションの部屋も、ちゃんと設けてある。部屋には、大きなパネルに、船の各部の模式図が表示してあり、各部にメーターとスイッチが付いている。生徒たちは、ここでもいろいろ起こりうる事象に応じて、それをパネルから読み取り、適切な対応をする訓練をするのだ。
私が驚いたのは、これらの機材が、もう古くて動かなくなっているのに、あたかも新品のように維持されていたことだ。埃をかぶったり、割れたり、汚れたりしているものがない。レーダー装置や、集中制御のパネルなど、昨年あたりに導入されましたと言われても分からないくらい、ピカピカに磨きあげられている。だからこそ、もう動かなくなっていることが残念だった。
船内火災への対処を訓練する施設があった。船の甲板に見立てた広場に、コンクリート製の建物があって、そこで実際に火災を起こす。艦上の配管にホースをつないで、迅速に水を運び、火元に散布する。煙や有害ガスに捲かれないようにしながら、消火活動を実地訓練する。そこにも、日本が隠れている。
「この水の取りだし口は、日本式なのです。ほら、ホースを水の出口につなぐときに、金具を接続して右に半周まわすだけ。それでしっかり繋がります。スパナでねじ止めする一般の方式では、緊急を要する作業には間に合いません。日本製は、よく考えられていますよ。」
機材供与が行われた1987年くらいから10年ほど、このプロジェクトにはしっかりとしたフォローアップがあった。横浜商船大学との行き来があり、多くのコートジボワールの教官が技術交流で日本に出かけた。日本から専門家や教授が、アビジャンに訪れた。ところが、紛争が起こってしまい、日本の人々との交流が途絶えざるを得なくなった。ちょうど機材が故障しはじめる時期であったが、修理のしようもなくなってしまった。関係途絶が長引くと、日本側で気にかける人も、だんだんいなくなった。それで忘れられてしまったのだ。
その間も、コートジボワールは日本のことを覚えていた。この船員養成学校では、国内の紛争にもかかわらず、毎年生徒を卒業させてきた。この学校は、フランス語圏アフリカの15カ国が協定を結んで設立したものであり、コートジボワールだけでなく、まわりの各国から、船員の卵たちが学びに来ている。その船員の卵たちは、ここで方々についた日の丸を見て、訓練をして巣立っていく。この失われた10年を取り戻し、たくさんの日の丸たちをもう一度立派に磨きあげるのも、大使としていい仕事になるだろうか、と思ったのである。 船員養成学校の本館建物
船舶通信をシミュレーターで訓練する
日の丸がついている
語学練習機器
艦橋の操舵室のシミュレーション装置
レーダー映像の解読訓練装置
甲板上の機器の模型
圧力系統の制御を訓練する
圧力計が並ぶ
中央制御室の訓練装置
スチーム制御の実習機材
実際に蒸気を発生させ、バルブ開閉を訓練する スクリューが動く仕組みを、実物で学ぶ
ディーゼル・エンジンの実習
訓練用の起重機
消火訓練施設の前で
後ろの建物に、実際に火を放って訓練する
中央に立つのが、クリバリ所長 日本式の消火栓。ホースの取り付けは、金具を半周回すだけ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます