goo blog サービス終了のお知らせ 

コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

アビジャン港の宿題

2009-07-20 | Weblog
アビジャン港から、セミナーの招待状が届いた。「国際船舶港湾保安基準(ISPSコード)」に関するセミナーだという。何の話だろう。専門的でまったく何の話か見当がつかない。普通なら、失礼することにして、お断り状を出しておくのである。ところが、このたびはゴシオ港長からの招待状である。この人が主催するセミナーとあれば、挨拶かたがた、出かけることとしよう。

コートジボワールで、アビジャン港の重要性は、想像以上のものがある。この国の経済は、輸出入で支えられている。港はその出入り口として、最大の流通の要である。それにアフリカでは、ダーバンに次ぐ、第二の大きな港である。コートジボワールだけでなく、マリやブルキナファソなどの内陸国をはじめとする、西アフリカ地域全体の流通も、このアビジャン港から始まる。アビジャン港は、「西アフリカの肺」と呼ばれる。地域の経済の生命線を、この港が握っているといっていい。

ゴシオ港長は、そのアビジャン港の頂点に立つ。いわばコートジボワールの流通の総元締めだから、影響力もあり資金力もある。バグボ大統領が率いる人民党(FPI)を、後ろ盾となって支える大物である。2004年の混乱で大暴れした「若き愛国者たち」など、血気盛んな若者たちのグループにも、ゴシオ港長は睨みをきかせているという。

そのような大人物だから、黒幕だといって警戒する人もいるけれど、私にはいい人である。何といっても、日本に理解がある。日本に一目置いてくれている人であれば、まずいい人である。前に、学校給食の式典に出たときに、ゴシオ港長は全国PTA会長として、主賓を務めていた。そして式典では、日本に感謝するいい演説をしてくれた。それ以来、いろいろなところで顔を合わせては、親しく話をしている。横浜港など、日本の港とも交流を進めたい、というような話をしている。

そういうわけで、アビジャン港の本社に出かけた。最上階に同時通訳設備の付いた立派な会議室があって、いやさすが、財力のあるアビジャン港だ。そこでセミナーの開会式がはじまった。ゴシオ港長は、もちろん壇上の中心に座っている。私は、客席側に外交団用に用意された席に座る。いろいろな人が、順次マイクに立って祝辞を述べた後、ゴシオ港長が簡単な挨拶をして、開会を宣言した。

さて、普通はここで失礼するのである。大使連中として景気付けに花を添えるのは開会式までであって、そのあとの行事や活動にはほとんど関心はない。ところが、今回のセミナーの要綱をみると、コーヒーブレイクの後、第一部の討論で、ゴシオ港長自らが発表者になっている。これは、私も残って聴いてみせなければならない。まあ、「国際船舶港湾保安基準(ISPSコード)」なる話は何か、知的好奇心もあり、しばらく席に残ってゴシオ港長が何を述べるのかを聞くことにした。

コーヒーブレイクを挟んで、第一部の討論がはじまった。ゴシオ港長が壇上にひとり立って、画面のパワーポイントを順に繰りながら、問題の要点を説明し始めた。要するに「国際船舶港湾保安基準(ISPSコード)」が、2004年の7月から、国際的に適用されることになった。それからちょうど5年が経つ。アビジャン港として、この5年間に、基準を満たすためにどのような努力をしてきたか、今後の取り組みとして、どういう課題があるか、そういう話である。

話を聞いていて、何となくひっかかる。何か遠い昔の記憶につながっているような気がする。頭の引き出しを、すこしかき回してみると、そうだそうだ、思い出した。なんと、私はこの話に関連する仕事をしていたのだ。

2001年9月11日、誰もが忘れない、米国の同時多発テロの日である。私は、その時、外務本省で軍縮課長をしていた。核兵器をはじめ、おおよそ世の中の武器の存在が、世界の平和と安定や、日本の安全保障を損なうようなことがないか。そういう視点で日本の外交政策を進める部署である。同時多発テロが起きた当初は、米国の問題だったし、そのうち、テロとの戦いの問題になって、アフガニスタンに舞台が移った。

そして、年が明けたころから、問題の論点が、私の担当する分野にも広がってきた。これだけのことをするアルカイダである。もし彼らが、核兵器や化学兵器を手にしたら、躊躇なく使用するだろう。どんなに国のレベルで安全保障をくみ上げて、戦争がないようにしても、そうした悪意のある一握りの人々が、資金を投じてそれらの兵器を入手すれば、多数の人々が命を失う悲劇が起きてしまう。だから、核兵器や化学兵器が不正に売買されたり、それらを作る道具や部品が取引されないようにしなければならない。これが、大量破壊兵器の不拡散といわれる課題である。

その一つの方法として、港や空港での、税関当局などでの物品検査や、安全措置などが大事だ、ということになった。そういう議論を経て、海運に従事する国々の間で「国際船舶港湾保安基準(ISPSコード)」が定められ、2004年7月から実施に移された。港湾当局が、この基準に従って、輸送や流通の監視や安全をきちんと確保すれば、そうした危ない物資が取引されることを未然に防止できるだろう。そういう話であった。

それから、5年が経った。私はこの話をすっかり忘れてしまっていた。しかし、港湾当局の関係者は、新たな世界基準の示す、高いレベルの防護を達成するため、5年間こつこつと努力を重ねてきたのだ。この努力には、世界じゅうの港湾当局が参画した。日本から見れば遠い国、コートジボワールでも、この世界の危機感をちゃんと受け止めて、自らに課された義務を果たそうと、アビジャン港は宿題をこつこつと仕上げてきた。5年経って、コートジボワールは基準を達成した、とゴシオ港長は誇らしげに発表した。私は、夏休みを終えて出てきた宿題を見る先生のように、よくやったと拍手を贈る気持ちになったのである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。