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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

ご母堂の祝福

2009-05-29 | Weblog

マンで若者たちに対して、「君たちの潜在力をまず活かせ」と発破をかけたジャネット・クドゥさんは、全国職業訓練協会(AGEFOP)の事務局長として活躍している女性である。だから、今回私たちの北部・西部の職業訓練学校の視察旅行にも、ずっと一緒に同行参加していた。このジャネットさん、実はもう一つの顔を持っている。というより、そのもう一つの顔のほうが、人々に広く知られている。バグボ大統領の実の妹なのである。

それで今回の日程の中に、北部・西部ではない、中・南部の町ガニョア(Gagnoa)の訪問が一日ほど組み込まれた。ガニョアは、バグボ大統領の出身地である。バグボ大統領とジャネットさんの兄妹は、この地で生まれ育った。ジャネットさんは、今回の代表団にはぜひ自分の出身地ガニョアにもお寄りいただきたい、と誘ってくれたというわけである。

とはいっても、私たちも遊覧旅行をするわけではない。北部・西部の職業訓練学校を見て回るという目的がある。だから、直接関係のないガニョアに、わざわざ立ち寄って、1日を費やすというのは、ちょっと余計である。それでも、ドッソ職業訓練相のところから送られてきた日程表には、しっかりとガニョア訪問が組み込まれている。まあ仕方がない。ドッソ大臣として、バグボ大統領に敬意を表するという意味があるのかもしれない。それなら私も、大臣につきあって、大統領に敬意を表することとしよう。

それでガニョアに到着し、ガニョアの職業訓練学校を視察した。工作機械などもはるかに良好に維持されているし、そもそも70年代の台湾製なんてことではないし、生徒たちも校章入りのネクタイなどをきりりと締めていたりして、立派な学校である。それで、さすがにバグボ大統領のお膝元である、と私たち一同、感心したり納得したりして、それからママ(Mama)に向かった。

ママという村は、ガニョアから40キロほど北にある。バグボ大統領が育った村だ。そこに大統領の実家、つまりジャネットさんの家があるので、車列はそこに直接向かうのかな、と思っていたら、途中で小さな村に入り込んだ。ニャリエパ村(Gnaliepa)という。そこで案内されたのは、長閑な農家のような家である。平屋の藁葺きの棟が並ぶなかを、鶏や山羊が散歩している。そこで、私たち一行を待っていたのは、ジャネットさんの母上、つまりバグボ大統領のご母堂であった。

ご母堂は、質素な農家のおかみさん風で、布をかけた安楽椅子に腰掛け、ベテ語で軽く挨拶の言葉をかけながら、私たちを出迎えてくれた。バグボ大統領は1945年生まれ、今年64歳。ということは、ご母堂はおいくつなのか、こうしてご健在である。一同、ベランダに設えられたソファーに着席する。私たちの代表として、職業訓練省の局長が、一行の視察の目的を告げる。ジャネットさんは、ご母堂の横に座って、丁寧に通訳して親孝行している。

そのうち、民族服の男たちがでてきて、美しい歌声で掛け合いを歌い始めた。これがここの地域の風習で、訪問客が来たときに、その客の栄光を歌い、主人の栄光を歌い、村の栄光を歌うのだという。微妙なリズムと、きれいなハーモニーである。ひととおり聞いたあと、ニャリエパ村の村長が出てきて、歓迎の言葉を述べた。ベテ語だから、何を言っているか判らない。でも構わない。歓迎の言葉だから、どこでもだいたい同じようなものだ。

また、ゆったりと時間が過ぎている。そろそろ次の予定があるので、といって、ようやく腰を上げることになった。ジャネットさんが、ドッソ大臣をご母堂のもとに導いた。ご母堂は、座ったまま両手を顔の前に持っていき、ふっと自分の息を吹きかけた。その両手で、ドッソ大臣の顔を包んでなでた。これは、祝福を与えるしぐさであるという。

私は、はっとして、ここで訪問の意味を悟った。ドッソ大臣というのは、今でこそ南北合同政府で閣僚を務めているが、この間までバグボ大統領に敵対する、「新勢力」の幹事長をやっていた実力者である。その元敵対者が、大統領の母親から祝福を受けている。これはつまり、南北が心から和解しているということを、象徴する行為なのだ。私たちがわざわざガニョアまで来たのは、「新勢力」の大臣が、バグボ大統領の家庭に上がって、大統領の親類縁者のように遇されている、という場面をつくるためであったのではないだろうか。

そういわれてみれば、今回の視察旅行で、すでにそういう場面はあったのだ。他ならぬジャネットさんが、北部の「新勢力」の支配地域を行き来し、司令官たちと握手し、人々と対面対話した。そのこと自体が、南北が武力対立していた頃には考えられなかったことだ。バグボ大統領の実妹が、北部の人々との間で、数年前まで反乱軍を率いていた司令官たちとの間で、交流を行なっている。そして、私たち一行には、テレビカメラが随行しており、報道が連日流されている。コートジボワールの人々は、南北双方が手に手を携えて、国造りに関わっているのだということを知る。

私は、そしておそらく他の大使たちも、職業訓練学校の視察というのを、これまでカーテンの向こう側にあって、なかなか行きづらかった北部・西部に出かける、いわば口実にしたつもりだった。しかし、私たち大使連中は、バグボ大統領のご母堂の祝福を受けながら、薄ら薄ら気づいたのである。私たち大使たちの視察旅行は、もっと大きな何かのための、またとない口実になっていたのではないか、と。

 ジャネットさんと、バグボ大統領のご母堂

 バグボ大統領の父上の墓所


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