エディオンピースウイング広島が「日本初」である理由 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(01)
新スタジアムの機運を高めた広島市民球場の移転
2023年春にオープンした市民公園「ひろしまゲートパーク」。かつてこの地に広島市民球場があったことを知る人は年々少なくなっている
【宇都宮徹壱】
ここからピースプロムナードを歩いていくと、やがてEピースの外観が見えてくる。かつてここは、広島市民球場があった場所。広島カープの球場が移転して、跡地活用が議論されるようになったことで、新スタジアムの機運が次第に高まっていった。
ここで貴方は、新たな疑問を抱くはずだ。「市民球場が移転したのって、随分と昔の話でしょ? なぜ、そんなに年月がかかったの?」――。これまた、いい質問だ。
端的に言えば、市民球場跡地をめぐって、スタジアム建設を求める人々と行政との間に、埋めがたい溝が存在していたからである。もちろん今は、断絶は解消済み。広島市の松井一實市長に、完成したEピースの評価を尋ねると、文書でこう回答している。
《本スタジアムは、平和記念公園や原爆ドームから近い本市中心部に位置しており、被爆から復興した歴史を持つ広島の中心地において、スポーツができる平和を身近に感じられる施設として、平和の大切さ、平和への願いを広く国内外に発信していくことで、「エディオンピースウイング広島」の名前に相応しい、平和発信の拠点としての役割も果たしていると考えている。》
一方、街なかスタジアム建設を求め続けた代表的な人物が、サンフレッチェの久保允誉会長。彼は、Eピース建設が残した教訓について、このように述懐している。
「まず、スタジアムの必要性について、行政の皆さんにも理解してもらうこと。そして、誰が主体となって旗を振るのか? それだけの勇気と情熱はあるのか? これらも重要だと思います。幸い私は、最後まで諦めずに旗を振り続けることができました。けれども、さすがに20年以上かかるとは思いませんでしたが(苦笑)」
日本初の街なかスタジアムは、なぜ広島に誕生したのか? そして、なぜ20年以上の歳月を要することとなったのか? そこには長い長い、さながら「大河ドラマ」のようなストーリーがある――。
なんてことを熱く語っているうちに、そろそろスタジアムに到着だ。
<翌日につづく>
※文中敬称略