【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

エディオンピースウイング広島が「日本初」である理由 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(01)

宇都宮徹壱
日本初の「街なかサッカースタジアム」はなぜ、広島に誕生したのか? そしてなぜ、20年以上の歳月を要することとなったのか? 終戦と原爆投下から80年となる2025年8月、平和都市・ヒロシマにおける、知られざるスタジアム建設までのストーリーを連日公開(全30回)

2024年に開業したエディオンピースウイング広島(Eピース)。「日本初の街なかスタジアム」はなぜ広島に誕生したのだろうか? 【宇都宮徹壱】

広島駅から25分かかるのになぜ「街なか」なのか?

 さて、私たちは今、JR広島駅に来ている。これから貴方をエディオンピースウイング広島(Eピース)にご案内することにしたい。かくいう私は東京在住。広島にはまったく地縁のない人間だが、Eピースにはかれこれ10回以上、取材で訪れている。

 広島駅周辺の風景は、今年に入って随分と変わった。3月には20階建ての駅ビル「ミナモア」がオープン。その駅ビル2階には、広電(路面電車)のホームが設置された。8月3日以降であれば、広電2号線か6号線に乗車してEピースにアクセスできる(広島駅からは「エディオンピースウイング広島」行きのバスも出ている)。

 広電での最寄り駅は「原爆ドーム前」で、広島駅から15分ほど。そこから、さらに10分ほど歩けば「日本初の街なかスタジアム」Eピースに到着する。と、ここで貴方は、やや怪訝な顔をする。おそらく貴方は、こう言いたいのだろう。

「駅から25分かかるのに、街なかスタジアムって言えるの?」

 いい質問だ。まず「街なか」と「駅チカ」はイコールではないことは理解しておく必要がある。首都圏、特に東京在住者にとって両者はイコールなのかもしれない。が、地方都市を訪れると、新幹線が停まる駅から中心街や繁華街が離れていることが多い。

 広島の場合、県庁、市役所、銀行本店などが集中し、大型商業施設や原爆ドームにも近い紙屋町こそが「街なか」。無理やり東京に例えるなら、新宿にスタジアムがあるようなものである。ちなみに国立競技場は新宿区にあるが、トラック付きの「競技場」なので、街なかスタジアムの範疇からは外れる。

 では、広島のEピースはなぜ「日本初」の街なかスタジアムなのか? たとえば2017年にオープンした、ミクニワールドスタジアム北九州。JR小倉駅から徒歩7分で、魚町や船場町といった繁華街にも5分ほどでアクセスできる。「ミクスタのほうが日本初の街なかスタジアムなんじゃないの?」と、貴方は反論するかもしれない。

 もっともな意見だ。ただしEピースの場合、繁華街に近いことだけで「街なかスタジアム」を名乗っているのではない。「サッカー専用かつ多機能複合施設として年間を通じて活用されること」「スタジアム周辺の街のにぎわいと経済活性化に寄与すること」、そして「平和都市ヒロシマの象徴として機能すること」を重視して設計されている。

「日本初の街なかスタジアム」というキャッチコピーは、確かに言ったもの勝ちの部分もある。それでも試合日以外でも活用され、賑わいと経済効果を地域にもたらし、都市の象徴としても機能する街なかスタジアムは、間違いなくEピースが日本初である。

「スタジアム推進プロジェクト」に言及した『news zero』

広島平和記念公園慰霊碑の向こう側に見える原爆ドーム。広島平和記念日の中継でお馴染みの光景だが、実際に訪れてみると自然と背筋が伸びる 【宇都宮徹壱】

 原爆ドーム前で広電を下車。このままEピースに向かうのもよいが、目の前に原爆ドームがあり、さらに元安橋を渡れば広島平和記念公園に到達する。今年は終戦と原爆投下から80年。せっかく平和都市を訪れたのだから、サッカーを楽しむだけでなく、戦争遺構や平和を想う場所にも足を延ばそうではないか。

 そういえば先日(6月26日)、日本テレビの『news zero』にてサンフレッチェ広島の初代GM、今西和男が登場。平和記念公園とEピースでインタビューを受けていた。もしかしたら、貴方もご覧になったかもしれない。

 1941年生まれの今西は被爆経験を持ち、サンフレッチェの前身であるマツダSC監督時代から指導した教え子の中からは、現日本代表監督の森保一を筆頭に多くの優秀な指導者が生まれた。そしてGMを退任後、2003年から06年までの間、今西は「スタジアム推進プロジェクト」の事務局長を務めている。

 番組の注目点は、このプロジェクトを「Eピース建設の起点」と見立てたこと。その上で、1945年の今西の被爆体験と2024年のEピース完成をつなげてみせている。発想は面白いのだが構成要素が多すぎる、というのが視聴してみての率直な私の感想だ。

 原爆投下と戦後復興、今西と森保との師弟関係(森保のインタビューパートは別取材)、新スタジアム建設までの流れ、そして平和のシンボルとしてのEピース。これらの構成要素を6分50秒の尺に詰め込むのは、どう考えても無理筋である。

 無理筋といえば、今西が街なかスタジアムを切望していたとする「設定」もまた、いささか強引に感じられた。というのも、スタジアム推進プロジェクトの事務局長時代、今西自身はスタジアムの具体的なイメージを持っていたとは言い難く、むしろ以前のホームスタジアムである広島ビッグアーチのほうに思い入れがあったからだ。

 そもそも『news zero』の取材で今西は、プロジェクトの内情やEピース建設への影響について、まったく語っていない――。というより、語ってもらえなかったはずだ。

 なぜ、そう断定できるのか? それは、この件に関して私は今西に取材しているからだ。今西だけではない。スタジアム推進プロジェクトのスタートから、Eピース完成に至る21年間について、私は30人以上の関係者への取材を重ねてきたのである。

「そこまでケチを付けなくてもいいんじゃない?」と、貴方は思うかもしれない。いやいや、『news zero』が今西への取材を試みたこと自体、素晴らしい着眼点だったと私は思っている。というのもEピースの建設について、2003年のスタジアム推進プロジェクトが起点となっていることを言及するメディアは、それまでなかったからだ。

 Eピース建設の物語は、サンフレッチェが主体となって署名活動を始めた、2012年の「START FOR 夢スタジアムHIROSHIMA」を嚆矢(こうし)とするものがほとんどだった。しかし実際には、2003年のスタジアム推進プロジェクト発足から、この物語は始まっている。そしてプロジェクトの挫折を経て、クラブ主体の署名活動がスタートするまでをつなぐ、市井の人々による地道な活動があったことも、この機会に知ってほしいところだ。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

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