なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
一夜明けて、フィリップたちは実際に街を歩いて、管理所と逃走経路の確認をすることにした。
本当なら地元民の案内が欲しいところなのだが、有ったはずの当ては昨晩消えた。
もう一度競売に行くか管理所で「ペットが欲しい」と言えば手に入るとは思うが、これ以上目立つのは良くないということで、泣く泣く断念した。
昨夜の襲撃が明確にフィリップたちを狙ったものだとしたら、足手まといを増やすのは下策という判断もある。
「今日一日でプランを組んで下見までしておきたい。今日は真面目に、効率的に動こう」
「昨日はっちゃけたのはフィリップ様でうっ」
茶々を入れようとしたカノンがアンテノーラに脇腹を小突かれて呻き、反撃をぺちりと叩き落された。そのままぺちぺちと小競り合いを始めたのを見て、フィリップはミナの方に視線を向けた。
「取り敢えず、四人固まって動く必要もないメンツだし、二手に分かれようか。僕とミナ、カノンと──え、何その顔」
視線を戻すと、カノンとアンテノーラが二人して不満そうな顔をしている。
カノンに関しては口元が全く見えないが、目元だけで分かるくらいに。
方針が間違っているのかと思ったフィリップは、何が駄目なのかと思考を回す。
しかし粗を見つける前に、アンテノーラがおずおずと口を開いた。
「その、所有物の立場を弁えぬ生意気を申しますが……私は貴方様の“楽器”ですので、あまり用途を外れた使用は御控え頂けると」
「と言うと?」
「私の歌は貴方様に捧げるもの。歌う機会があるのであれば、是非御側に」
やや迂遠な言い回しに、フィリップは彼女の言わんとするところを測りかね、暫しの黙考を要した。
ややあって“戦うなら別行動は許容しかねる”という意味だと理解すると、表情は疑問と思索から困惑と苦笑に移ろう。
主張自体は理解できる。
彼女はフィリップの召使や奴隷、従僕の類ではない。命令に対する服従義務はないし、フィリップに自分の意見を述べる権利も、意思を貫き通す権利も当然に有している。
そして彼女はトルネンブラに見初められ認められた“生きた楽器”。魔王の寵児に至上の音楽を捧げることを存在意義として定めるモノ。
こと歌と音楽に関しては、時にフィリップの言葉にすら反抗する。
練習風景は絶対に見せてくれないし、完成度に満足いかない段階では聞かせてくれない。こっそり聞き耳を立てても無駄だったので、遮音の魔術か、トルネンブラの干渉まで使って。
その彼女が、今回は明確に主張した。
ということはフィリップの意見よりそちらが優先される。意地の張り方次第では、恐らく、運命レベルで。
しかし、だ。
「いや……殴り込むわけじゃないんだし、普通にしてれば“歌”の出番はないよ?」
予定の上では、今日は町を歩くだけだ。
場所と道順さえ確認してしまえば、後は部屋でじっくりと作戦を立てればいい。
アンテノーラの“歌”どころか、蛇腹剣の出番さえ無いはず。……というか、あると困る。
「そうですかぁ? ここの吸血鬼モドキ、力に酔ってるどころか泥酔状態で、自分たちが強くなったことと、自分たちが弱いことは普通に両立し得るってことを理解できてないんですよ? 普通にしてても絡まれそうなものですけど。あと私も──」
「それに一応、昨夜襲われているわけですし」
言葉尻を遮ったアンテノーラと、大事な主張を妨害されたカノンが再びぺちぺちと小突き合いを始める。
モーション自体はちょっとしたパンチと埃を払うような受け流しだが、どちらもフィリップが喰らえば骨くらい折れる威力だ。
じゃれ合い始めた二人から視線を外し、フィリップは「そういえばそうだった」と頭を抱えた。
目立たないように行動しなくてはならないが、そういえば、既にマークされているらしかったと。
「……ミナはどう思う?」
「確かにきみはひ弱だけれど、残飯モドキ程度に後れを取るほどではないでしょう? 効率を求めるなら、普通に四人別行動で良いじゃない」
問われたミナは面倒臭そうだが、答えは戦術眼と合理性に基づいている。
しかし、この町のルールのことは、彼女の頭には残っていないようだった。
「僕はほら、ペットだから。飼い主か、せめてその使用人が同伴してないと」
でないと、捕まって管理所に送られてしまう。
油断した相手三人くらいなら返り討ちに出来るし、吸血鬼は死体が消えるから目撃者さえ居なければどうとでもなるが、そもそも目立ちたくないのだ。
まあ敢えて管理所に送られて位置を特定し、ミナを召喚して暴れ散らかすという破壊工作も出来なくはないけれど──今日はまだ後詰めの準備が出来ていないし、事を起こすには時期尚早。
実情の分からない場所で一夜明かすのもリスキーだ。
「なら三組ね。きみは私かアンテノーラと一緒に行動しなさい」
「うん。じゃあ……」
どうしよう、とフィリップの言葉が詰まる。
ミナは当然自分と一緒に来るものという顔をしているし、アンテノーラは「別行動は嫌」と明言している。
命令を完遂できるかどうかは別としてオーダーには従うカノンは、まあ、単独行動で良いだろう。「私もフィリップ様と一緒が良いんですけど!」と喚いているが、スルーだ。
ミナもアンテノーラも単独行動で何も問題ないくらい強いし、カノンに関しては、恐らくフィリップが見ていない方がパフォーマンスが上がる。
結局、フィリップは暫しの黙考の末にアンテノーラを選んだ。
ミナと一緒に行動した場合、万が一他の吸血鬼に絡まれたとき、騒ぎが大きくなる──「もういい全員殺そう」とミナがブチ切れる可能性が高くなるという懸念も理由の一つだ。
そして──半日ほど歩いて、「万が一」は現実のものとなった。
管理所を二つほど見つけ、最寄りの壁門まで歩いたり、周辺に有用なものや危険なものがないかと確認していると、複数の人影がフィリップたちを中心に集まって来た。
一本道の進行方向に三人、退路を塞ぐように三人。
全て男の吸血鬼で、一般的な町人にしてはやや荒っぽい──チンピラじみた身なりをしている。ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべている者もいれば、威圧的に睨みつけてくる者もいた。
短剣や角材といった喧嘩程度の武装も見て取れるが、フィリップとアンテノーラの顔には危機感ではなく、むしろ愉快さが映っていた。
「……え? 誰になんて言われて来たの? あの、まさかとは思うんだけど、「町のルールを守らない吸血鬼が居るから、ちょっと痛めつけて立場を分からせよう」みたいな感覚で動いてないよね?」
“用件”に察しがついたフィリップは、何か言われる前に先んじて問いを投げる。
一団から返されたのは、明らかに嘲りの色を含んだ笑い声だった。
「賢い人間だな。分かってるなら大人しく──」
男の一人が口を開くが、言葉尻は笑い声に遮られる。
その主はフィリップだ。アンテノーラも笑ってはいたが、口元を隠した上品な仕草で、哄笑しているフィリップとは育ちの違いが感じられた。
「人間やめて半年も経ってない、そもそも逸脱度合いがこれっぽちの劣等存在が、殊更に「人間」とか言わないでくれる? 笑っちゃうから」
生まれついての吸血鬼であるミナや、根本的に別の種族であるマーメイドやエルフに言われる分には、抵抗もなくすんなりと受け入れられる。
しかしそれは、言うまでもなく人間に優越した存在であると感じさせるだけの強さを、人間との乖離、隔絶を有するからだ。
──彼らとは違って。
「というか角材って。まあ吸血鬼を殺すにはトネリコの杭を心臓に打て、みたいな話もあるけどさ……」
基本、吸血鬼は武器を使わない。
ディアボリカは徒手空拳プラス魔術、メイド吸血鬼たちは血の槍を飛ばす砲撃と、フィリップの知る吸血鬼の殆どは運動能力と魔術適性に物を言わせた戦形だ。
基礎能力が十分に高く、ミナの魔剣くらい強力でなければ使う意味がないし、頑丈でなければ吸血鬼の腕力や速度に耐えられない。
では建築資材の余りはどのくらいの武器なのかといえば、まあ、人は殺せる。
そして「人を殺せる」なんてのは、吸血鬼にとっては当たり前のことであり、武器に頼るようなことではないはずなのだ。
「そのノリでミナの方に行ってないよね? 僕も大概やらかした自覚はあるけど、そうなるともう目立つどころじゃなくなる」
フィリップとアンテノーラは、彼ら第四世代以降の吸血鬼に対して愉快さと嘲弄以外の感情は殆ど無い。
対してミナは吸血鬼の長。頂点に君臨する支配者であり、最も正統な吸血鬼。神や王のような立ち位置の存在だ。
この町の低劣な吸血鬼に、彼女はずっと苛立っている。
そんな状況で彼女自身に噛みつく野良犬がいれば、いよいよ我慢の限界に達するだろう。ミナはフィリップだけを回収し、街を血の槍で埋め尽くすか、魔剣『美徳』の力を解放し薙ぎ払うか。
まあ聖痕者投入が前倒しされたようなもので、吸血鬼の一掃は為されるだろう。囚われた人々も諸共に。
ただ目立ってしまっただけなら、まだ、やりようはある。
刺客が来るなら全員殺せばいいし、逆に街から逃げ出すようなら、こちらから狩りに行けばいい。あと一日、街を表面上平穏に保つことが出来ればいいだけだ。
ミナがキレるよりは、まだリカバリーできる。
頼むからバカなことをしないでくれと、フィリップは半ば祈るような心持ちだった。
最悪の事態を想像して頭を痛めるフィリップに、アンテノーラがそっと身を寄せる。
「貴方様。背後の建物の陰、恐らく下位吸血鬼かと」
「う……第三世代ってこと? へぇ、こいつらの親玉かな」
耳元で囁かれた精神を溶かすような美声に、そんな場合ではないのに多幸感が湧き上がる。
跳ねた心臓を押さえたり耳を擦ったりしているフィリップは、傍目にも隙だらけだった。
「何をコソコソ喋ってんだ? 俺も混ぜてくれ──よッ!!」
石畳に罅が入るほどの剛力を込めた一歩を初動に、吸血鬼の一人が爆発的な加速で距離を詰める。
ちょうどフィリップが笑った、一メートルほどの角材を持った個体だ。
腕力に助走の速度も乗せたフルスイングは、一切の反応を許さず脳天に直撃する。
その、寸前。
「──、」
一音。
一節にも満たない、ただの一音。
警告どころか悲鳴さえ間に合わない急襲に間に合ったのは、涼やかに奏でられた、曲の体すら為さない一音だけ。
──というわけではない。別に。
その気になれば回避も迎撃も間に合ったが、単純に、ただの一音が必要十分を満たしただけだ。
「……」
フィリップの右手がすっと持ち上がり、中指を立てる。
その先端は振り下ろされた角材に過つことなく衝突し──圧し折れる。
50.8ミリ×76.2ミリのミズナラ削り出し無垢材が──
「なっ!?」
驚愕の声が複数重なる。
突き立てられた中指も、腕も、ピクリともしていない。
むしろ角材を振り下ろした吸血鬼の方が、大岩を叩いたかのような腕の痺れを感じていた。
「いい楽器でしょ? 僕の望む音楽を、命じるまでも無く奏でる。“生きた楽器”の神髄、と言ったところかな」
半ばで折れた角材を構えた吸血鬼を前に、フィリップは新品の靴を自慢するような口ぶりで語る。
まあ、フィリップは誰かに靴を自慢したことなど無いのだが。
「でも正直、あんまり好きじゃないんだよね、これ。身体能力が跳ね上がるのは心強いし、こういう敵の意表を突くみたいな使い方も出来る。あと、単純に面白い。でも肉体が人間から乖離すると、心の方も離れていくし──」
「クソッ──!」
吸血鬼が角材の荒く尖った折れ口を突き刺すように繰り出し、フィリップは言葉を切って防ぐ。
いつもなら間合いの外まで下がるか『拍奪』で透かすところだが、今はその必要もない。
角材を横から無造作に掴み、吸血鬼の膂力を完全に押さえつけた。
「──君たちみたいに、自分が強いと錯覚してしまいそうになる」
苦笑交じりの声は、動きの甘さを自覚しているからこそだ。
アンテノーラの補助魔術頼りで──という意味の甘さではない。
強度次第ではミナの力にすら拮抗出来る補助魔術は、信頼を預けるには十分だ。
だが同じことをミナやエレナ、或いは衛士たち相手でもやれば、自慢する暇もなく二発目、三発目と飛んできて、技量で捻じ伏せられるだろう。
本当に強い相手には、フィジカル性能を補助した程度では敵わない。
「まあ、分不相応にイキんのはダセェわな。つか、タネが分かってんなら──そっちから潰しゃあいいだけだろうが! お前ら! 女が強化魔術師だ! 先にそっちを殺せ!」
自分より体格に劣る
前から一人、後ろから一人、指示を聞いた吸血鬼がアンテノーラの方に向かった。
その動きは速いが、まあ、「並の人間の全力疾走よりは明らかに速い」程度。野生の獣と比べると見劣りするし、フィリップにも問題なく見切ることが出来る程度でしかない。
あれは蹴り殺されるな、とフィリップが思った直後には、水の入った革袋を高所から落としたような、湿った破裂音が聞こえた。
二つ、音が殆ど重なるほどの速度で連続して。
「遅すぎますわ。水の抵抗でもありまして?」
勝ち誇ったような台詞だったが、声色は呆れ一色だった。
海の中にどんな生き物や魔物が居るのかフィリップは知らないが、彼女の戦闘経験の中でも相当に遅い方だったことは分かる。
「な──!?」
驚愕の声と共に、握っていた角材に込められた力が緩む。
その隙を突いて角材を奪い取ると、フィリップは逆にその突端を吸血鬼の心臓に叩き込んだ。
打撃の訓練は最低限しかしていないが、師匠が師匠だ。
熊の腹をぶん殴り内臓を背中から噴出させるエルフの教えは、身体操作として確かに身に付いている。
フィリップは振り返り、路上に咲いた鮮血の華の上に立つ“楽器”に、悪戯っぽい笑みを向けた。
「付与魔術師は
「あら。一見して剣しか持っていない、肉体的に成熟しているわけでもない貴方様こそ、余程罠ではありませんか?」
アンテノーラは揶揄うような笑みと共に返す。
言葉の内容は強ち冗談ではなく、彼女の本音でもあった。
今のアンテノーラはともかく、漁村で出会う以前に敵として相対していたら、彼女は間違いなくフィリップを強敵とは見做さない。というか、率先して狩る必要もない弱者と判断する。
「ははは……」
確かに、とフィリップは我が事ながら苦笑する。
長身でゴリゴリのマッチョ──先代と今代の衛士団長とか──なら、見た目からして強そうだ。魔術師の強さに関しては体格で判断できないが、魔力を見ることが出来るなら、やはり一瞥して分かる。
フィリップは魔力も筋肉も、質・量ともに貧相だ。いや筋肉に関しては、訓練の成果もあって柔軟で良質なものが付いてきたが、見た目の威圧感はない。魔力に関しては根本的な才能が欠けていて、訓練ではどうにもならない。
だから一見して強そうと感じる者は殆どいないし、一瞥で相手の戦技を察せられる達人でも、「拍奪使い。技量はまあそこそこ」程度しか見て取れない。実際、フィリップの剣術の腕前は「まあそこそこ」程度なのだから。
そして実際に相対してみれば、魔術適性に見合わぬ耐性貫通能力と攻撃力を持つ領域外魔術に、ナイ神父に初弾発射0.5秒以下まで鍛えられたクイックドロウ、そして刃渡りが一メートルから四メートルまで伸び音速で襲い掛かる蛇腹剣──三種類の初見殺しが飛んで来る。
挙句の果てに、全部通じないとなれば躊躇いなく邪神が呼ばれ、盤面がひっくり返されるわけだ。
罠も罠、悪辣も悪辣、というか邪悪なほどのトラップ性能だった。
「さて……残り三人? あ、プラス一人居るんだっけ」
フィリップは地面に転がった──刺さっていた吸血鬼の身体が朽ちて消え、衣服と共に残った角材を拾い上げ、追撃も逃走も出来ずにいた他の吸血鬼を順番に見遣る。
そして地面に転がった遺留品と、黒い粒子になって消えた血痕のあった位置を見て、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「いいね、吸血鬼って。殺しても服さえ焼けば証拠が残らない。時間と人目避けの術さえあれば、誰にも気付かれずに皆殺しに出来るんじゃない?」
まあ、ここの兵士はそれなりに優秀だ。
死体が発見されないからといって「じゃあ誰も死んでないだろう。何も起こっていないだろう」とは判断しないだろうし、最後まで無警戒とは行かないとは思うけれど──なんて考えるフィリップだったが、アンテノーラは違う着眼点を持っていた。
「イワシの群れを一匹ずつ喰らうような作業ですし、早々に飽きてしまいそうですわ」
「た、確かに……」
なのに、フィリップたちを包囲した吸血鬼たちは、恐れを露に後退る。
まあ仕方がない。
取り囲み追い詰めたはずの獲物に、既に群れの半数が殺され、獲物たちの会話は捕食者か大量殺人鬼のそれ。
この状況で恐れを感じないとすれば、そいつは恐怖という生存に必要な機能が欠落している。
しかし無意識に逃避を選択しかけている彼らとは違い、恐怖に際して、恐怖に対する闘争を──排除を選択する者もいる。
二人の背後から黒い靄が現れ、風に流されるような動きで空中に浮かび上がる。
ちょうどフィリップの真上、約10メートルほどの位置に達したとき、黒い靄はヒトガタを象り、やがて黒衣を纏った人型の実体となった。
それは携えた短剣の切っ先をフィリップの脳天に向け、明らかに自由落下を上回る速度で急襲する──。