なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 ランナゲートに到着したその日の夜。

 色々あって心身ともに疲れていたフィリップは、深い眠りの中に居た。

 

 そこら中を人食いの化け物が闊歩する街の只中で緊張していた──なんてことはなく。普通に寝入って、いつも通りに。

 

 ここ最近の寝具といえば、テントと寝袋にアンテノーラの子守歌という、質素なのか贅沢なんだかよく分からないスタイルで、きちんとしたベッドは久々だったのもある。

 

 夢も見ない深い眠り。

 フィリップが諦観も嘲弄も忘れられる数少ない安寧の時は、しかし、腹部への強烈な痛打によって妨げられた。

 

 「ごふっ……!?」

 

 横を向いて眠っていたところに、水平方向の衝撃。

 威力の大半は運動量に転化されており、内臓へのダメージは皆無だ。

 

 狭いベッドから転げ落ちたフィリップは、何が起こったのか分からないまま、枕元に立てかけておいた剣を反射的に掴む。

 しかしそれは戦意によるものではなく、落下に際して何かを掴もうとする肉体的な反射でしかなかった。

 

 剣を抜き、付与魔術の淡い光を光源代わりに部屋の中を薄ぼんやりと照らす。

 窓から差し込む星明りと合わさって照らし出されたのは、四つの人影だ。

 

 薄闇の中では人相が判然としないが、男三、女一。

 抜き放たれた人造の魔剣を業物と見て取ったか、四人とも警戒も露に身構えて動かない。

 

 目を凝らすと、うち一人はミイラのように無残な姿になった死骸を持っている。

 

 そして──隣のベッドで寝ていたはずのフリードの姿が無い。

 となれば、変わり果てた姿の死骸こそが彼なのだろう。

 

 そして彼らは襲撃者であり、恐らく、フィリップを叩き起こした衝撃はフリードの最後の足掻きだ。

 襲われながらも、隣のベッドで眠るフィリップを蹴って起こし、寝首を掻かれるのを阻止した。

 

 「……大人と子供、どちらも殺すつもりなら、そりゃあ大人を先に殺すよね。そっちの方が強そうだし、起きられると面倒だし。でも残念、間違いだ」

 

 寝起き故に回転の悪い頭でどうにか状況を整理すると、じわじわと怒りが募ってくる。

 

 低劣な吸血鬼如きに安眠を妨げられたこと自体が、既に腹立たしい。

 もしも彼らが侵入と襲撃の現行犯ではなく、宿の外の路上で騒いでいるだけだったとしても、彼らのせいで目が覚めたら、フィリップは苛立ちのままに殺している。

 

 まあその場合は、ベッドから出ることも無くカノンに命令しているだろうけれど。

 

 そして今、彼らは明確な悪意と害意を以て部屋に押し入り、フィリップが救助した人間を殺した。

 協力的かつ非常に有用で貴重な情報源で、何より、尊敬に値する兵士だったフリードを殺した。

 

 自分の意思と行動を無意味にされた。

 それは眠りを妨げられたこと以上に、フィリップの気に障る。

 

 「彼は部隊の仲間が全て吸血鬼になっても諦めなかった、兵士の中の兵士だ。たとえ奇襲を受け死が確定したとしても、最後の最後まで抵抗するさ。僕に警告し、逃がすためにね」

 

 断定的に語るフィリップだが、実際のところは知らない。

 フリードは襲われ、抵抗する中で、たまたまフィリップにぶつかっただけかもしれない。

 

 だが、フィリップの口ぶりは確信に満ちていた。

 

 「君たちは少し、なんと言うか、()()()というか……うん、非怪物的なんだよ」

 

 死への寂寥と勇気への敬意を滲ませる声は、しかし、次に口を開いたときには嘲笑の色を帯びていた。

 

 「人間に優越する化け物なら、寝静まったところを襲うなんて情けない真似はしないでくれ。足音を殺して階段を上り、ドアから入って来ないでくれ。人間一匹殺すのに、十秒も二十秒も使わないでくれ」

 

 実際のところ、彼らがフリードを殺すのに何秒使ったのかは知らない。本当にトコトコ歩いてきたのかさえ定かではない。

 だがフィリップを叩き起こす程度の余裕があったことは確実で、即死でなかったことは間違いない。

 

 ミナやエレナを引き合いに出すまでも無く、余りにもお粗末だ。

 

 「というか──四人? 二人を殺すのに四人か? それとも僕らを五人と見做しての数か? どちらにせよ論外だよ。人間二匹くらい一人で殺せ」

 

 そしてミナたちも敵と見做しての数なら、それはそれで馬鹿な話だ。彼女相手に量の戦力は全く無意味、抗うには質に拘るべきなのだから。

 

 フィリップの口調からは怒りや不快感が消え、嘲笑と呆れに染まり切っていた。

 

 「……大仰な口を叩いて、時間稼ぎのつもりか?」

 

 フィリップと同じく嘲るような笑みを浮かべた男が、威嚇するように拳をポキポキと鳴らし、一歩進み出る。

 その威圧的な態度さえ、フィリップには可笑しく映った。

 

 ドラゴンは兎を相手に唸らないし、人間は羽虫相手に凄まない。

 圧倒的格差のある相手に、威嚇や威圧は必要ない。そんな暇があれば、さっさと殺してしまえばいいだけだ。

 

 「というか、だ。確かにお前の主人と使用人は強い。だが、別にお前自身が強いわけじゃあねえだろうが、えぇ? ペットちゃんよお──ッ!」

 

 腰から上腕にかけての筋肉が弓弦の如く引き絞られ、握り込まれた拳が矢のように撃ち出される。

 技術も何もない喧嘩パンチ。ただの右ストレートはしかし、人外の身体能力によって致命的な威力を有する。

 

 まともに受ければ頭蓋が粉砕され、防御した腕さえ真っ二つに折れるだろう。

 

 しかし、まあ。

 

 「それはまあ、その通りなんだけど……」

 

 動きの巧拙は言うまでも無く、単純なフィジカルですらエレナに劣る。

 

 彼我の距離は二歩も無い。

 エレナ相手なら詰み、ミナ相手ならとっくに死んでいる距離だが、その間合いがフィリップに余裕を与えた。

 

 死ぬ相手なら、もう死んでいる距離なのだ。

 つまり逆説的に、剣すら抜いていないフィリップがまだ死んでいない時点で、致命的な相手ではないと言える。

 

 半身に躱しつつ、剣の切っ先を相手の心臓に向ける。

 

 突出部位、自分に最も近い相手の腕を狙いたくなる本能は、既に訓練によって克服済みだ。

 

 狙うは心臓(弱点)

 吸血鬼相手に限った話ではなく、鎧を着込んだ相手や、痛覚が無く腕を切り落とされても行動可能な魔物相手への対策として、フィリップはそう教え込まれている。

 

 考え抜かれた一撃を考えることなく、反射の速度でカウンターを繰り出せるように、人間離れした師匠たちに訓練されている。

 首、脇、心臓、股間、太腿、膝──急所の中で最も効果的かつ適切な位置を、反射的に狙えるように。

 

 「──ぁ?」

 

 す、と。

 殆ど音も無く、何の抵抗も無く、龍骸の刃が突き刺さる。

 

 身体を引こうとはしていたが、パンチのタイミングに完璧に合わされたカウンターからは逃げ切れない。

 彼に出来たのは、攻撃と痛みに備えた身体硬直──ただの反射だけだった。

 

 外套の下にチェーンメイルを着込んだくらいでは容易に貫通する武器だが、手応えからすると、彼はジャケットの下にはシャツ一枚だけのようだった。

 

 「目くそ鼻くそというか、なんというか。お前たちより低劣な生き物が存在するからといって、別に、お前たちの存在格が上がるわけじゃない。(人間)お前たち(吸血鬼)より弱いからといって、お前たちが強くなるわけじゃない」

 

 彼はストックを幾つ持っていたのか。

 宿屋の主人を、カノンは十回殺して殺し尽くした。元一般人だからストック数が少ない、なんてことはなさそうだが、結局、ストックプール(心臓)を潰されても再生できるだけの余力を、彼は持っていなかった。

 

 空気に溶けるように消えていく黒い粒子に、フィリップは淡々と──というには苛立ちを滲ませて語る。

 

 「お前たちは人間よりちょっと力が強く、ちょっと動きが速い。……そんな生き物、郊外に出れば山ほど居る。クマとかイノシシとかシカとかね。でも僕らはそいつらを狩り、食らう。“人間を殺せる生き物”だからといって、必ずしも人間に優越するわけじゃないんだ」

 

 彼らには化け物的な“絶対性”が無い。

 

 フィリップに対峙したミナが、何をどうやっても勝つような──フィリップのあらゆる策を踏み潰し、あらゆる反撃を笑い飛ばし、退屈の溜息と共に切り捨てる、絶対的な優越と確定的な勝利が、彼らには無い。

 

 「で──お前たちは。“人間に優越する化け物”か、それとも“人間を殺せる生き物”でしかないのか……試そうか」

 

 フィリップは再び、切っ先を突き付けるように剣を構える。

 龍貶しの最大の特徴である伸長形態、そして“拍奪”による攪乱戦闘は、安宿の狭い室内では使えない。

 

 だが、まあ、それほど手痛い縛り(ハンデ)ではない。この程度の相手になら。

 

 「まさか人間相手に三対一とか、逃げ出すとかしないよね?」

 

 嘲笑と挑発に、また別の男が激発する。

 

 床板を踏み割るほどの踏み込みを初動に、固く握り込まれた拳を振りかぶる。

 大振りな、間違いなく人間の頭蓋を粉砕し、或いは首から上を粉々にする一撃。フック気味の顔面狙い──動き自体は素人の喧嘩のそれだが、吸血鬼の腕力と速度では十分に脅威だ。

 

 安直に腕を切り落としたり、心臓を突いて一撃で殺そうと試みた場合、成功しても腕は慣性によって振り抜かれ、拳が当たる。

 後ろに引いたり掻い潜ったりといった動きは、単純な速度差に物を言わせて修正されるだろう。

 

 右フック。

 人間相手なら左腕で受けつつ右手で目か喉を狙いたいところだが、吸血鬼相手に“受け”はない。防御した腕ごと顔面を粉砕されるだけだ。そして呼吸不要のアンデッド相手に喉もない。痛みに鈍感である可能性も高く、徒手は無謀と言ってもいい。

 

 エレナなら、或いはパンチで心臓を破裂させられるかもしれないが──フィリップには無理だ。

 

 故に──下。

 

 「──ッ!」

 

 跪くほどの位置まで頭を下げ、風が唸るほどの一撃を掻い潜る。

 拳はやはり追従してきたが、フィリップの頭は男の予想外の速度で予想外の位置まで下がっており、掠めることも無い。

 

 蹴り飛ばしてくれと言わんばかりの位置にあるフィリップの頭を見て、男は嘲るような笑みを浮かべ、右脚を振り抜いた。

 

 結果──男はバランスを崩し、後ろ向きに倒れていく。

 傾ぐ視界に疑問を感じ、表情が怪訝そうに歪んだ。

 

 男の足は二つ、いや四つあった。

 

 右脚と左脚。──膝から上と、()()()()()()()()()()()()()()

 

 「もう斬れてるんだから、そんな激しい動きをしちゃ駄目だ。転んじゃうよ?」

 

 右足半分を置き忘れ、やや後ろ向きに体重が乗り踏ん張る形になった左足がズレ、傾ぎ、分離する。

 

 怪物の肉と骨を全く無抵抗に通した龍骸の蛇腹剣が、魔力の青白い燐光を軌跡に残した。

 

 「……」

 

 フィリップは上体を起こし、剣を刃を立てて下段に構える。

 傾ぎ、床に向けて落ちていく男の身体の、その下に。

 

 「──ぁ」

 

 正しい角度に立てられた刃は、素材と製造技術、そして付与魔術も加えた常識外れの切れ味によって、怪物の胴体を、まるで落ち葉を裂くように両断した。

 

 心臓を破壊されて猶も再生するだけのストックは無かったようで、男の身体は全てのパーツが黒い粒子になって消えていく。

 

 「ちょ──、っ!?」

 

 尻もちを搗くかのように倒れる仲間を支えようと中途半端な姿勢になっていた女が、踏鞴を踏んで後退る。

 

 甘い動きに、フィリップと手にした蛇腹剣の淡い光が追従する。

 首、腕、胴、腰、足、どこでも斬れる。

 

 「このっ──!!」

 

 女が激昂し、拳を握って殴りかかるが、その動きは先の男より更に素人臭い──鈍臭いものだった。

 足は半ば浮いて踏ん張りも利かず、身体を引きながら腕の筋肉だけで繰り出された平手打ち。フィリップがお目にかかったことのない、生温い動きだ。

 

 それでも筋力は人間の比ではない。

 大きな団扇でも持っているかのような風が肌を打ち、直撃すれば顎の骨くらい砕けるだろうと直感させる。

 

 ──まあ、当たるはずもないのだが。

 

 振り抜かれた手は顔を透けるように空振り、一拍遅れた位置から剣を構えたフィリップが一気に距離を詰める。

 

 そして咄嗟に構えた腕ごと、女の身体を肩口から真っ直ぐに切り裂いた。

 骨盤の辺りで自然と止まった刃は、鎖骨と肋骨を綺麗に断ち切り、心臓を真っ二つに割る。

 

 床に対してほぼ垂直の、素振りでもしたような見事な太刀筋だ。

 

 フィリップは余韻に浸ることなく剣を抜きながらバックステップを踏み、壁ギリギリまで大きく後退する。

 末端から消えていく女の死骸は、横合いから飛来した巨大な壁──馬鹿げた膂力によって掬い投げられたベッドに呑まれて消えた。

 

 ベッドは90度回転して石の壁に激突し、枠組みがバラバラに砕ける。敷かれていたマットは衝撃で引き裂かれ、中の藁が飛び散った。

 

 このあと床と壁の修繕をして掃除して家具を買い替えて搬入して組み立てるというクソ面倒かつ本来は必要のない仕事が増え、その間は一室が使えなくなるわけだから当然に利益も落ちるわけだが──と、従業員目線で考えて眦を吊り上げたのも束の間、フィリップの肩から力が抜けた。

 

 「……いや、まあ、ここの人も吸血鬼だし、いいんだけどね?」

 「クソっ……!」

 

 98×195センチの面攻撃を余裕を持って躱され、剰え余裕の呟きさえ漏らすフィリップに、最後の一人が歯噛みする。

 

 フィリップはベッド一つが無くなり空いたスペースを一瞥し、姿勢を下げる。

 足元にベッドの残骸が散らばっているが、走るのに支障はない。

 

 拍奪の歩法で一気に距離を詰め、また心臓を一撃で破壊する。それで終わりだ。

 

 勝利を半ば確信するのと同時に、向かいの部屋のドアが開く音がする。

 これだけ騒いでいれば、ミナはともかくカノンとアンテノーラは目を覚ますだろう。アンテノーラも大概上位種なので、かなり眠りは深い方だが、それ以上に耳が良い。

 

 しかし、勝ち誇ったような表情をしたのはフィリップではなく、最後の一人となったはずの吸血鬼だった。

 

 「は、はっ……! 人間にしてはやる奴だったが、俺たちはそもそも四人じゃ──」

 

 ない、と、彼は最後まで言い切れなかった。

 

 ドアは何度かガチャガチャと鍵に阻まれた音を立てると、外側から凄まじい力で吹き飛ばされた。

 慌ててベッドの陰に身を隠したフィリップは、寸前まで立っていた位置を大小様々な破片が雨のように横殴りにするのを見て、戦慄と安堵の息を吐いた。

 

 元は扉──一枚の木の板だったはずの木片は、今や散弾も同然だ。

 ぼーっと立っていたら、全身ズタズタになっていたかもしれない。

 

 「あっぶな……。僕の反射神経も捨てたものじゃないな」

 

 ベッドの横からそっと顔を出して覗くと、部屋の前にはガスマスクを着けた異形の少女──カノンが肩を怒らせて立っていた。

 

 吸血鬼は仲間がいるような口ぶりだったが、カノンが来たということは、まあ全員死んだのだろう。女性部屋の方が戦闘能力は高いというか、人外三人に比べたら人間二人の方は誤差みたいなものだ。

 

 「ちょっと、うるさいですよ! 吸血鬼も人魚も寝起きがすこぶる悪い上に、不機嫌の煽りを喰うのは私なんですからね!」

 

 ガスマスクの下でギチギチと牙を咬み鳴らし、ずんずんと苛立ちも露な足取りで部屋に入って来たカノンは、勢いのままに最後の吸血鬼を殴り殺した。

 

 鱗に包まれた右腕が胸元に突き刺さり、直後、無数の黒い棘が体内から生え出でる。

 心臓を破壊され腐敗毒を流し込まれた吸血鬼は、再生することなく黒い粒子に変わり果てた。

 

 あっさりと──カノンの威容ならぬ異容と、期待した仲間ではなかったことへの衝撃で硬直している隙に、ほんの一息で死んだ。

 

 消えゆく死骸に無感動な視線を向けていたフィリップは、ふと思いついたように「あ」と小さな声を上げた。

 

 「……僕も今気づいたから責めにくいんだけど、そいつは殺しちゃ駄目だったんじゃない? そっちに行った奴は全員殺したでしょ?」

 「はい? 当たり前じゃないですか。瞬殺ですよ瞬殺」

 

 しゅっしゅ! と擬音なのか呼気なのか今一つ判然としない間の抜けた声と共に、カノンは拳が霞むほどの速度でシャドーをする。

 

 「空腹の限界だったとかなら、そっちを襲う必要はない。物取りって感じでもなかったし、これは僕らを狙った組織的で計画的な襲撃──攻撃だよ。なら背後関係とか命令元を確認しないといけなかったんじゃないの?」

 

 軍事作戦や潜入行動のプロではないフィリップは、寝起き故の思考の緩慢さもあって「多分だけど」と自信なさげだ。

 

 カノンは暫く考え込んでいたが、ややあって、胡乱な顔でフィリップを見つめ返した。

 

 「どうせ町の全員を殺すのに、ですか?」

 

 ……数秒の沈黙があった。

 カノンは真顔で、冗談を言っている風ではない。

 

 ややあって、フィリップは目をぱちぱちと瞬かせた。

 

 「た、確かに……?」

 

 言われてみればそうかもしれない。

 こいつ思ったより賢いな、とフィリップは眠気の残る頭で感心した。

 

 

 

 

 

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