なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
ミナが冒険者を殺すことは、まあ仕方ないと納得できる。冒険者同士のトラブルで殺し合いになることもあるし、戦士としては、力量差も考えず圧倒的強者に絡んだ馬鹿が死ぬのは、当然の摂理と思えることだ。
だが今回は違う。
魔物の歌声によって狂乱し、暴動が起き、死人が出た。
それは馬鹿が馬鹿なことをした当然の結果でも、強者が弱者を抑圧する摂理でもない。
魔物のせいで、人が死んだのだ。
衛士たちのその考えと、フィリップの考えは一致していなかった。
「……人の話をちゃんと聞いてください、お願いですから。彼女の歌は動機であって、凶器でも犯人でもない。酔っ払いがナイフで人を刺したら酒を捕まえてナイフを処罰するんですか?」
アンテノーラの歌声が原因で、人々がおかしくなった。
その事実を告げられたとき、フィリップは真っ先にこう思った。
──やはり、人間の精神は脆弱だ。
だから、酒が喩えとしてすぐに浮かんだのだろう。
酒に弱いとか、酒に溺れるくらい心が弱いとか、それそのものではなく人間の側に“弱さ”があって、結果として問題を生じるものとして。
ミナの自衛とはワケが違うと衛士は言ったが、フィリップにしてみれば同じだ。
弱いものが、弱さゆえに不利益を被った。ただ、それだけのこと。
「……そんな理屈では、巻き込まれた人たちは──大切な人を失った人たちは納得しないよ」
「その時は理屈と理屈の激突ですね。或いは感情と感情の。理屈はともかく感情のぶつけ合いで負ける気はしないですよ、僕」
重い悲壮感のある衛士の言葉を、フィリップは淡々と受け止めた。
説得は不可能と判断したのか、衛士たちはステラを見遣る。まるで助けを求めるように。
この場に於ける最高決定権を持つのは彼女だ。
──フィリップでも衛士でもない。
長々と主張したが、ステラが「でも駄目」と言ってしまえば、フィリップにはもう為す術がない。アンテノーラに外神の守りがないことを祈りつつ、ルキアかステラが一撃で彼女を殺すのを見ているだけだ。
衛士たちと同様、フィリップもステラの判断を見守る。
ややあって、彼女は呆れたような溜息を吐いた。
「……カーター。お前は私かルキアのどちらかが死んでいても、同じことを言ったか?」
「いいえ? そんなわけないじゃないですか。というか、その場合だとアンテノーラはもう死んでます」
フィリップは半笑いで即答する。
何を当たり前のことを訊いているのか、ステラらしくもない無駄な問いだと思っていることが、傍目にもはっきりと分かった。
「お前は自分の感情に正直過ぎるし、他人の感情に無頓着過ぎる。お前が自らの理屈に基づいてそれを庇い、自らの理屈に背いて殺すと言ったように、感情のままに復讐を目論む人間が居ても不思議はないぞ」
「ですね」
また、フィリップは何も考えていないだろう速度で頷いた。
自分が復讐の対象にされること──自分が誰かに殺されることを、うまく想像できないのもある。平和ボケ故ではなく、視座故に。人間風情が自分の敵足り得るものか、と、思考の根底が嘲笑う。
そしてそれ以上に、どうでもいいという思いが強い。
復讐だろうが何だろうが、敵になるなら殺すまでなのだから。
ステラは面倒くさそうに頭を振ると、ルキアや衛士たちの方に目を向け、軽く首を傾げてドアの無くなった出入口を示した。
「……全員、少し出ていろ。カーター、座れ」
命令に背く者はいない。
とはいえ全員が嬉々として従ったわけでもなく、衛士たちの何人かは見るからに渋々だったし、アンテノーラもフィリップの傍を離れるのを嫌がった。
ルキアは出入口を潜ってなお言い募ろうかと悩んでいたが、貴賓席の外に出た瞬間に、テラス席は炎に包まれて完全に隔離された。
音すら燃やす概念の炎。空間隔離術式『煉獄』だ。
怒られの気配を感じて畏縮しきったフィリップは、促されるままにステラの隣に座った。
「初めに言っておくが、私はアンテノーラの処遇について口を出したいわけじゃない。邪神絡みのものならお前に任せる」
そう前置きして、ステラはフィリップと目を合わせた。
「問題になったら文句を付けてきた奴を全員殺せばいい。そう思っているな?」
「相手次第ですね。僕はさっき、誰も殺さなかったでしょう?」
とはいえ、さっきは殺したくない相手しか居なかった。
もしも今後、階下に居た誰かが話を聞きつけて「アンテノーラを殺せ」とか、「所有者であるならお前に責任がある」とか絡んで来たら、面倒臭いという理由で殺すかもしれない。
フィリップはそれを悪いことだとは思っていないし、ステラもそれを咎めたいわけではない。
「他人の命や感情に価値を感じないことに、今更言うことはない。私も所詮は同類だし、私自身が笑ってしまう」
人間的、道義的にどうなのかという指摘は尤もだし、ステラも多少思うところはある。
しかし感情面で、ステラはフィリップに共感できる程度には破綻している。
「歌を聴きたいがために他人を害するほどに、人間の精神が脆弱だったのが悪い」と言われると、「まあ確かに」と思ってしまう。
「だがな、それがさも当然であるかのような振る舞いは、孤立に、延いては異端視に繋がるぞ」
「……はぁ、そうですね。実際、僕らは異端なわけですけど」
今更何を、と言いたげに、フィリップは胡乱な顔で頷いた。
片や“魔王の寵児”、片や人命を数値として把握する国家維持機構であり、腕の一振りで一万を殺す超級の魔術師だ。
価値観が一般のそれから大きく逸脱していることくらい、今更言われなくても分かり切っていることだと。
しかし、ステラは深々と嘆息し、フィリップの諦観に淀んだ青い瞳を真っ直ぐに見つめる。
「思い出せ。お前は何故、ルキアや衛士に憧れた? 何故、彼らのようになりたいと願った? 何故、吸血鬼になりたくないと思った? 何故、私たちや大人相手に遜る?」
「そ、れは……」
言われて、フィリップは
──それは、片時も忘れてはならないことだったはずなのに。
「敵が居るなら全員殺せばいい。その通りだ。では人間社会の全てが敵になったら? 全員殺す。そうだ、何も変わらない。数人殺して殺人者になるか、百万人殺して征服者になるか、絶滅させて神になるかだ」
ステラは当然のことのように、平然と語る。
全てが数値化された戦略の盤面上に於いて、「敵は殺す」は唯一絶対の解だ。
勿論、和解や、決別以前に敵対しない方がいい。
しかし決定的に敵対した相手に取れる選択肢は、どちらかの死のみ。
そしてその状況に於いて、自らの死を選ぶことはない。それはゲームを放棄する行為、利得をマイナス方面に極大化する愚行だ。
故に何百であろうと、何万であろうと、他の全てであろうと、殺す。
「お前は何になりたい? 既に殺人者ではあるが、そんな称号、私たちには露ほどの価値もないな? では破軍者、征服者、虐殺者か? 既に一万以上殺した身から言わせてもらうと、男児が好きそうな二つ名が貰えるくらいで、やはり、何の価値もない。では神になるか?」
「っ……」
ステラが突きつけた末路──和解も敵対回避も選ばず、増やし続けた敵を殺し尽くした末路は、フィリップが最も許容できないものだった。
神になど、天地万物に平伏されてもなりたくはない。
そう思っていたし、今でもその思いは変わらない。……そのはずなのに。
「敵は殺せ。だが敵を無闇に増やすな。異常であることを恥じる必要はないが、隠す必要があることを忘れるな。言語は思考に影響しうるそうだが、思考の習慣は人格に影響する。私が合理的に在ろうとするように、ルキアが美しく在ろうとするように、衛士たちが正しく在ろうとするように、どう在るべきかを考えることが、在り方を決める」
かつて、彼女は言った。
善であるモノではなく、善であろうとする者をこそ善人と呼ぶ、と。
大切な人を守りたいと思い、守るべく行動したフィリップは、正しく善人であると。
しかし、今のフィリップは何も考えていなかった。
それはつまり無意識の奥底、思考の根底に植え付けられた外神の視座に依る行動で──外神に寄った行動だった。
「お前はどうする? 異常なモノとして、異常であることを受け入れるか? ……お前は以前にこの問題に突き当たり、自ら答えを出したはずだ。“正常”を演じ、人間社会に適応することで人間的で在り続けると。……その答えを、覆すか?」
何も言えないでいたフィリップに、ステラは容赦なく答えを突き付ける。
フィリップは人間で居たかった。人間であろうとしていた。
そのはずが、このザマだと。
そういえばそうだった、なんて思い出したフィリップは、思い出した──忘れていたという事実に総毛立つような気分だった。
「それならそれで構わない。お前が決定的に逸脱するまでは──私がお前を、お前が私を理解できる限りは、こうして一緒に過ごせばいい。私はお前に呆れたり、恐れたりするだろうが、それは今と変わらない」
久しく感じていなかった精神的恐怖に、フィリップは呆然と頭を抱える。
しかし恐怖に浸らぬよう、ステラは淡々と先を続けた。続けてくれた。
「だが、お前がNOと──人間で居たいと言うのなら、私がお前を叱ってやろう。お前の振る舞いや思考が非人間的なものになったとき、教えて叱る役目を、私が負おう。残念ながら手本は示してやれないが、ルキアなり衛士なりを参考にすればいい」
数秒、フィリップは言葉に詰まった。
鼻の奥が熱を持って、喉が締め付けられたかのように言葉が出なかった。
顔を覆い、大きく溜息を吐き、フィリップがどうにか笑顔を作るまで、ステラは何も言わずに待っていた。
「……僕、殿下に怒られるのが一番嫌いです。殿下はいつも正しくて、僕は無理筋な反論しかできないし、したところで一瞬で理屈を積まれて叩き伏せられる」
「そうか? 私はお前が間の抜けた反論をしてくるのは面白いし、普段は対等な友人に上から目線で説教できるのは楽しいが。反論を叩き潰したときなんか笑いそうになる。新しい趣味にしたいくらいだ」
ややあって、フィリップがどうにか絞り出した軽口に、ステラも同じテンションで返してくれる。
あんまりな内容過ぎて、フィリップは本気で笑ってしまった。
「クソ野郎じゃないですか」
「外で言うなよ。不敬罪で舌に焼き印を入れられるぞ」
フィリップの暴言に、ステラは笑いながら大袈裟に肩を竦めた。
「“救国の英雄”になんて仕打ちを」
「英雄様でなければ吊るされているが」
「英雄様で良かった! やっぱり持つべきは特権、名前は王城の礎石に刻んでおくべきですね!」
学院の休み時間を思い出すような軽口の応酬で一頻り笑ったあと、フィリップはぽつりと呟いた。
「──それに、殿下と友達で良かったです」
自分で言って、フィリップは愕然とした。
今の言葉は本心だ。間違いなく。それは自信を持って断言できるが──同じくらいの確信を持って、それは駄目だと思った。
「本当に……貴女が、ぼくと……っ」
フィリップは言葉を切り、両手で顔を覆って天を仰いだ。
指の隙間から、押し殺せなかった嗚咽が漏れる。
こんなにも素敵な人を、フィリップは自分に共感してしまうような、クソみたいな状態にしてしまったのだ。
そう思うと、申し訳ない気持ちと情けない気持ちで涙が溢れた。
剰え、それを「良かった」なんて思ってしまっては、自己嫌悪もひとしおだ。
開演前、ステラに言われたことを思い出す。
感情の抑えが効かなくなり、情緒のアップダウンが激しくなる時期、と。
全くその通りだと思った。
「うん。私も、お前と友人になれて良かったと、常々思っているよ。こうなったばかりの時に言ったが、過去に戻ってやり直しても、記憶を改竄しても、世界の在り方が変わるわけじゃない。だから私はこれでいい。……いや」
ステラは一度言葉を切り、穏やかな笑みを浮かべる。
「これがいい。自傷しがちで、少し化け物共と一緒にいるとすぐに逸れていくお前を叱って引き留めて……勿論、邪神や超常存在には私の方が無知で無力で、お前に叱られて守られることもあって。こうして二人きりで、私たちにしか分からない話をして。──お前と一緒に居られる
はにかみ微笑むステラを見て、フィリップも同質の笑みを返した。