なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
ルキアもステラも、アンテノーラの言葉を反射的に否定しかけた。
二人とも、失神直前のことは覚えている。
二人とも確かに、周りの全てが五月蠅くて、周りの全てを黙らせようとした。
──そこには親友も、フィリップも
だが二人とも、否定の言葉を吐くことは出来ない。
そんな反射的で、見え透いた、自分を誤魔化すような嘘を、ルキアの美意識は許容できない。そしてステラもまた、意味のない嘘を口にして、無駄な会話や問答をすることはない。
「……確かに、あまり認めたくはないが。私たちがいま生きているのは、単なる幸運によるものだ。なんとなく、二人を殺そうという気にはならなかった。……それだけの理由だ」
「…………」
ルキアは何も言わない。
同調や肯定も、反発も否定もしない。
彼女も失神するその瞬間まで、フィリップとステラを殺そうとは思わなかった。
しかしだからこそ、それが単なる偶然や幸運の齎した結果であることを理解していた。彼女自身もまた「なんとなく」、大切な二人を殺そうと思わなかっただけだと。
歌の魅力に憑りつかれなかったわけでもなく、二人を大切に思って正気を保ったわけでもなく。
それは、彼女の美意識にひどく障った。
同じくステラにとっても気分の悪いことだが、彼女の判断基準に占める感情の割合は極めて低い。
彼女はいつも通り、合理と計算に基づいて思考し、結論を出す。
「……そしてお前の言う通り、私たちのやることは変わらない。何のトリックも無く純粋に歌声だけで人間を狂わせるモノを、野放しには出来ない」
だよなあ、と、フィリップは半ば予期していた通りの結論に唸る。
ステラの説得は難しい。
彼女は自分の出した答えに頑固に拘るタイプではないが、それは「より良い答えを提示されたら潔く自論を捨てる」というだけで、ゴネれば折れてくれるわけではない。
そして大概の場合、彼女の出した答えとは理論最適解、つまり「より良い答え」など存在しない、最善の解だ。
「「歌のせいで」「あいつが悪い」と自分の精神の弱さを棚上げし、他罰的になって自慰に耽る。気色が悪い」
アンテノーラは軽蔑の眼差しを向けるが、ステラの感情は揺るがない。
フィリップもステラへの侮辱に対して、「意外とキツいこと言うなあ」と困り顔を浮かべる程度。
心の論理的な部分ではステラの答えに理解を示すフィリップだが、感情的な部分はアンテノーラ側だ。特に、外神の視座は。
しかし──それを許容できない者もいる。
「貴様、言わせておけば……!」
主君に対する暴言に、衛士の幾人かが激昂する。
今にも剣を抜きそうな者と魔術をぶっ放しそうな者を見て、フィリップは再び両腕を広げて双方を宥めた。
「落ち着いてください。アンテノーラも、煽らないで」
アンテノーラは恭しく頭を下げ、冷静さを取り戻す。
衛士たちは仲間内で制止され、ルキアとステラに非礼を詫びて、元通りに壁際に控えた。
なにかステラを説得できる材料はないかとフィリップが思案していると、アンテノーラがその足元に跪いた。
「貴方様。私は貴方様の楽器、貴方様に至上の音楽を捧げるためのモノ。ですから、貴方様がお決めになってください」
フィリップを見上げる紺碧の瞳には、映りこんだ所有者同様の諦観の色が滲んでいる。
「決める? 何を?」
「私を処分するか否かを、ですわ。再三になりますが──」
「いや、それはないよ。……それが“ない”選択肢だから困ってるんじゃん。君は逆にちょっと自罰的だね」
アンテノーラの言葉を遮り、フィリップはちょうどいい位置に下がっていた頭に手を伸ばした。
インディゴブルーの艶やかな髪は、ずっと海の中で暮らしていたとは思えないほど滑らかで触り心地が良い。頭の位置がシルヴァと同じくらいだったから手癖で撫でたが、小さな発見だ。
髪やパールのついた髪飾りを弄びながら、フィリップはふと思った。
彼女が自罰的なのは、もしかしたら種族のせいもあるのではないかと。
他罰的な思考。
その根幹であろう外向性問題解決能力は、種の形態を変化させ進化することで環境に適応するのではなく、環境を変化させ構築することで繁栄してきたヒトという種族にとって極めて重要なものだったはず。
狩りが上手く行かなかったとか、作物が上手く育たなかったとか、生存に直結する問題に瀕したとき、より広範な視野を持った者や群れだけが解決し、命を繋いだのだろう。
獲物を取れないのは武器のせい。だから武器をもっと強くしよう。とか、作物が育たないのは土のせい、だから良い土地を探してみよう、とか。
少なくとも諦観よりは上等だと、フィリップは思う。
対して、アンテノーラ──人魚は海の中で暮らしている。環境が激変することも、食糧難になることもなさそうな、鰓を持つのなら楽園と言えるだろう場所に。
それも恐らく、人魚は生態ピラミッドの頂点付近に位置する上位捕食者だ。マーメイド属の中でもアンテノーラの同族は戦闘に長け、かつてはクトゥルフの子であるゾス=オムモグを殺したという。
食料問題どころか、およそありとあらゆる生存競争を種族のスペックだけで勝ち抜いてきていそうな化け物だ。
環境や外的要因の変化による問題解決ではなく、自己変化、つまり正当な生物種の保存法則に則った進化によって生存してきた、と言ってもいい。
聞くところによると、コロニー──群れを形成するらしいが、人魚という強力な生き物にとって、他責機能は必要ではなかったのかもしれない。
尤も、アンテノーラ個人の性格や経験がそうさせるだけかもしれないけれど。
……と、まあ、そんなことはどうでもよくて。
「問題になってるのは、彼女の歌が危険だってことですよね。じゃあ……君は今後、この手の大規模なコンサートは全面禁止だ。僕のものなんだから、僕にだけ歌え」
言って、フィリップは返事を聞くことなくステラに目を向けた。
「これでいいですよね?」という目線だけでの問いに、返ってきたのは微妙な表情だった。
どうやら零点ではないが、高得点とは呼べない解らしいと、フィリップはこれまでの経験からなんとなく察した。
「……いいやフィリップ君、それだけじゃない。彼女の歌によって、既に大勢の死傷者が出ているんだ。今後どうこうじゃなく、既に犯した罪を清算しなければならない」
減点理由はステラではなく、衛士から告げられる。
ふむふむと相槌を交えて真面目な顔で聞いていたフィリップは、しかし、聞き終えると思いっきり眉根を寄せた。
「……え? あの、ヘルム取って貰えますか? たぶん、さっきの話の重要な部分が全部聞こえてなかったと思うんですけど……いいですか、彼女の歌に精神干渉や錯乱効果は無いです。魔術なら二人が気付かないわけがないし、単純な音なら僕には効かないですから」
自信満々に言い切るフィリップ。
その態度と、ナイ神父への信頼が──かつてゴエティア72柱の悪魔、総裁位のハーゲンティを下した司祭への信用が、衛士たちに疑問を抱かせない。
しかしそれは言葉の真偽を疑わないというだけで、彼らは主張の内容を咄嗟に汲み取れなかったが故に、ヘルム越しに顔を見合わせた。
「単純に、彼女の歌が、天才たちの演奏が、常識外れに上手かった。その結果、観客が暴走した。それは、彼女を処罰する理由にはならないでしょう」
フィリップは手癖のままにアンテノーラを撫で、髪を指先で弄びながら言う。
まるでペットを愛玩するかのような──というか、事実としてペットを愛玩する動きから生じた手癖ではあるのだが──手つきに、人類陣営は揃って微妙な顔になった。
明らかに人間ではない、かつ幼い少女に近しい外見のシルヴァ相手でも「まあ、ギリギリセーフか?」くらいには如何わしさが漂うのだ。
アンテノーラは外見上、綺麗なお姉さんである。年齢が10は違いそうなフィリップが跪いた彼女を撫でる光景は、どこか倒錯的な色気すらあった。
絶対にミナの悪い影響だし、今度から強めに注意しようとルキアとステラの心情が一致する。
今は流石に、そんなことを言っている場合ではないけれど。
「潜在的に危険であることを理由にするなら、お酒だって酔って暴れるリスクがあるし、包丁どころかペンでだって人は死ぬ。でも王国も帝国も酒屋を片端から爆破したりしないし、学生の筆箱を漁って摘発したりはしない」
「極論すぎるよ。それに、酒で暴れる人間ばかりじゃないし、ペンで死ぬ人間なんかそうはいない」
フィリップの極論を通り越して暴論とすら言える主張に、当然、衛士が突っ込みを入れる。
しかし、その程度はフィリップも織り込み済みだった。普段からステラと会話して、思考の深度を上げている甲斐があったというところか。
「では飲んだ人間が100パーセント暴れる酒があったら? あぁ、僕でも分かります。そんなのは酒じゃなく、何かのドラッグだ。絶対に良くないものが混ざっている。すぐに作った奴をとっ捕まえて調べるべきだ」
飲んだ人間が100パーセント暴れる酒──アンテノーラの“歌”は観客全員を失神させたが、全員を狂暴化させたわけではないことを鑑みると、比喩としてはやや誇大的か。
「そして、その疑いは晴れた。それは単に物凄く美味しくて、何が何でも独り占めしたいがために暴れてしまうほどの美酒だった。その上でなお、醸造家を危険物製造と流通の咎で断罪しますか?」
言っておいて、フィリップは「まあ僕が司法側なら“する”な」と思った。
類似の製法で作られた同種のものも含めて、新種のドラッグとして扱う。それが法的に許されるかは知らないが、恐らくステラも同じことをするだろうとは察せられて、もっといい喩えはないかと思案する。
「……或いは、僕がいまここでルキアか殿下に襲い掛かったとしましょう。あぁ、性的な意味で」
突飛なことを言われて、動揺したのは当の二人ではなく衛士たちだった。
「この子も結構エグいこと言うよなあ」「俺らとか先代のせいじゃねえの」とヒソヒソ囁き合っているが、それは原因の四分の一くらいなので安心して欲しいところ。
確かに、魔術学院でお上品な方々に囲まれて育ったと言えなくもないフィリップではあるが、元は田舎の宿屋の倅だ。
そういうことについてなんとなく知っている、どころか、許容範囲を逸脱して激しい客とか、あからさまに酔い潰された客なんかへの対応も仕事のうちだった。
それはともかくとして。
フィリップは衛士たちでなく、ステラに向けて続ける。
「そして運良く、塩の柱や灰の山に変わる前に衛士さんたちに捕らえられ、運良く即時の処刑ではなく裁判や弁解の機会が与えられ、こう言う。「二人が綺麗すぎて我慢できなかった」。……このケースで僕ではなく、二人が責められるのであれば、いまアンテノーラが責められるのは理に適っている。──なんとも気色の悪い“理”ですけどね」
……まあ、実際のところは、超法規的地位である聖痕者であり、法より上位に位置する王権の継承者であるステラに襲い掛かった時点で、少なくとも法の理では語れない状況になるのだが。
やろうと思えば、彼女は単一の個人を殺すためだけの法さえ作れる。普通に魔術を撃って殺した方が手っ取り早いけれど。
比喩としては、衛士たちにも分かりやすいものだった。
加害者ではなく動機や原因の方に罪過を認め、罰を下すことを、フィリップがどれほど愚かな行為と見ているかは、十分に伝わった。
しかし、だ。
「違う、違うよフィリップ君。今回はウィルヘルミナさんが自衛で殺したのとはワケが違う。そいつは──その魔物は、何の罪もない人を大勢傷付けたんだ」
衛士たちにとって、そこは譲れないラインだった。