なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
半分グールのような人間の死骸に、衛士たちもフィリップも、ミナでさえもお手上げ状態だった。
仮説は色々と立つが、それを棄却したり、肯定したりするだけの根拠となる知識が足りない。
しかし衛士たちには、こういうときの対処法があった。
「流石にちょっと、俺たちだけじゃ判断しかねるな。あれだ、専門家を呼ぼう」
「……専門家?」
フィリップがそう聞いて真っ先に思いつくのは、勿論フレデリカだ。
だが彼女は今回渦中に居て、防御の堅固な公爵邸から出て欲しくない。それは困ると顔を顰めたが、文句を言う前に自分で気付いた。
彼女の専門分野は錬金術と医学薬学だ。人間と人外を炭になった死骸から判別するほど人体に精通しているが、魔物モドキに関する専門家ではない。
「そう。俺たちはこういう場合、王宮の魔物研究局に協力を依頼できるんだ」
衛士の答えに、フィリップはほっと安堵の息をつく。
そして一息つくと、また別の疑問が浮かんだ。……現在時刻は三時前といったところである。
「こんな夜中でも?」
「そう。こんな夜中でも」
そして一時間ほど経った頃。
未だ日も昇らない時刻だというのに馬車を走らせて駆け付けたのは、装飾華美な衣装を纏った貴族だった。
服装も髪型もきっちりと整えられているが、頻りに瞬きをしているし、時折素早く頭を振っていて、傍目にも眠気と戦っているのが分かる。
時間が時間だし、引き連れている執事に叩き起こされでもしたのだろう。
しかしそんなことより、フィリップにはもっと気になることがあった。
むっつりと不機嫌そうな顔をした──或いは眠気に抗っているその貴族に、明らかに見覚えがあったのだ。
「ライウス伯爵! お久しぶりです! 僕を覚えておいでですか?」
“専門家”が来るまでの間に仮眠を取っており、同様に眠気に襲われているフィリップだが、それを全く感じさせない心が弾んでいるような声を出す。自分から歩み寄り、握手まで求めるほどのテンションだ。
ライウス伯爵──フィリップが魔術学院に編入したばかりの時に決闘を挑んできて、最後はダンジョン攻略中にアイホートの雛に襲われて死んだ、カリスト・フォン・ライウスの父。
フィリップの目前でアイホートの雛を絶滅させると──旧支配者とはいえ邪神を殺すと宣言した、強い意志の持ち主だ。
彼は何度か目を瞬かせて声の主を見つめると、驚きに目を瞠った。
「……カーター殿!? これは……なんともお恥ずかしい姿をお見せしてしまって、情けない限りです。無論覚えていますとも。息子の件では大変なご迷惑をお掛けいたしました」
彼は苦い笑いと共に頭を下げ、それから握手に応じる。
フィリップとしては、そんな昔のことは──そしてどうでもいい相手のことは気にしていないのだが、まさか「どうでもいいです」とは言えず言葉を探す。
「あー……過ぎたことです。それより、ここに来たということは、貴方が“魔物の専門家”ですか」
「えぇ、まあ、一応は魔物研究局で局長の椅子を頂いていますので」
そうだっけ? とフィリップは内心首を傾げる。
三年ほど前、初対面の時には、彼は確か王宮の書庫に勤めていたはずだ。そして伯爵夫人が魔物研究局の研究者だと聞いたはず……なのだが、フィリップは自分の対人認知能力に問題があることを知っているし、ステラにもそう言われている。端的に言えば、記憶が確かだという自信がない。
流石に彼のような、期待や尊敬を覚えた相手のことまで曖昧だとは思いたくないが。
「転職されたんですか?」と聞いて「前からそうでしたが?」と返ってきた場合の居た堪れなさに想像が付くだけに、質問もしづらかった。
だから代わりに、一番気になっていることを訊くことにする。
「あれから進展はありましたか?」
「……いえ、何も。我が身の至らなさを恨むばかりです」
ライウス伯爵の目の奥には、未だ燃え尽きぬ仄暗い憎悪の炎がある。
その宛先は、息子を殺した新種の魔物──もとい、アイホートの雛。そしてその大元である旧支配者、迷宮の神アイホート。
人の身で神を殺さんと欲する愚かしさ、身に余る大望を抱えるに至る無知には嘲笑を禁じ得ない。
しかし──その上で、彼には、止まることなく断崖へ突き進む強靭な意思がある。その魂の輝きは、フィリップには決して再現できないものであり、賞賛に値する。
「二人とも知り合いだったのか? 一応紹介しておくと、こちらはライウス伯爵。確か、ここ数年で十何種類かの新種生物と魔物を発見されたんですよね?」
衛士の紹介に、フィリップは「へぇ」と相槌を打つ。
しかし、伯爵にはその内容が不満だったらしく、むっと眉根が寄った。
「……発表済みの新種は二十七種だ。全てのレポートを衛士団にも共有したはずだが、読んでいないのか? 知識を軽んずれば惨く死ぬぞ」
「うっ、実は最近のものは読めていなくて……。近日中に拝読いたします、先生」
恐縮して頭を下げる衛士。
ライウス伯爵は「先生」という呼び名に相応しい──或いは基になったのだろう、出来の悪い教え子に向けるような、呆れ半分、責任感と慈愛が混ざった微妙な感情が半分といった苦笑を浮かべる。
「……まあいい。お前たちの頭……前線指揮官にも叩き込んでおきたまえよ。頭蓋に詰めるべきは知識であって筋肉ではないと伝えてくれ」
「了解です。それで、今回のサンプルなんですが……」
衛士が先導して死体安置所に移動する。
ライウス伯爵は並んだ死体を注意深く検分したかと思うと、二呼吸目にはもう結論を出していた。人間から変じたような死骸にも目を留めたが、何ら興味を惹かれなかったかのように平然として。
「犬のような顔、二足二腕の身体、鋭利な鉤爪を持つ腕と、蹄のある脚。……食屍鬼だな。地方によってはグールと呼ぶこともある。サンプルが少なすぎてレポートを後回しにしていたものだ。ちょうどいい」
伯爵は口角を上げ、勝手知ったる様子で死体安置所から繋がった隣室、解剖室の扉を開けた。
隣室を使用中だった人物と何事か話すと、また戻ってきて「失礼」と会話中に離れた非礼を詫び、続ける。
「ルーツは暗黒大陸にあると言われており、王国では希少。南部の一部地域に伝承がある程度だ。墓を荒らす悪しき妖精の一種だと」
「……妖精って顔じゃないですけどね」
妖精と一口に言っても多種多様だが、メジャーなのは蝶のような羽の生えた小人、所謂フェアリーだ。犬面で、ひょろ長いのにムキムキの、猫背気味に立ち上がった獣は……どちらかと言わずとも一見して魔物に分類されるだろう。
何ならやっていることも、死体漁りに屍喰い。妖精という言葉から想像されるような、キラキラしたファンタジックなものではない。
そんなことを考えて苦笑したフィリップに、ライウス伯爵は「ふむ」と頷く。
「ふむ。……カーター殿は、チェンジリングという逸話をご存知ですか?」
「妖精の悪戯ですよね。取り替え子……妖精の子供と人間の子供が入れ替えられてしまうが、往々にして環境の違いに適応できずに死んでしまう。或いは母親が目ざとく気付き、機転を利かせて取り戻す、みたいな話が多いですね」
チェンジリング、妖精の取り替え子。
妖精に纏わる伝承の中では、おそらく一番メジャーなものだ。地方伝承どころか、児童書で語られるほどに。
フィリップも似たような話を幾つも読んでいるし、実際、妖精に攫われかけたこともある。
あの湖での一件が無ければ、フィリップは今でも“死”に対して、淡い希望を抱いていたことだろう。
と、それはともかく。
「そう。そして、食屍鬼も同じようなことをするとされています。それらは人間の子供を攫い、邪悪な儀式をして食屍鬼に変えてしまう。……酷い話だと、彼らは親の葬式があると村に戻り、死体が新鮮なうちに墓を暴いて食い散らかす……というものもあります」
気分の悪い話だと、フィリップだけでなく全員が似たような反応を示す。
ミナに関しては、一度捨てられた残飯を喰うことに対する気色悪さだろうが。
「……先生、それって実話なんですか?」
衛士の問いに、伯爵は小さく肩を竦めた。
「さあ? 私は逸話や伝承が百パーセント事実だとは思わないが、百パーセントの創作だとも思わない。ただ、その逸話を聞いた村では墓荒らし事件が頻発していたし、実際に獣の食い残しのような無惨な死体も見た。狩人が射殺した食屍鬼の死体も」
「……それじゃ、何ですか、こいつはホントに元は人間だったってことですか?」
「逸話から判断すると、そうなるな」
物的証拠はある。
ただしそれは、死体を喰うモノの存在と、食屍鬼がその村に存在したことを確定するだけだ。
伝承に語られるように、食屍鬼が人間から変じたモノであるという証拠はない。
しかし──学者であるライウス伯爵と、軍隊である衛士たちとは違い、フィリップは証拠の有無だけで判断しないし、合理性だけで行動を決定しない。
「儀式。儀式ねえ……」
なんとも不穏な単語が出たものだと、フィリップは物言わぬ骸に冷たい視線を落とす。
一応、連中が邪神に連なるモノではないという証言は、ナイ神父から得ている。しかし邪教の類は、必ずしも実在する邪神と関係するわけではないし、領域外魔術や邪法の儀式が、全て邪神に由来するわけではない。
連中のルーツがなんであれ、信仰や思想の形態がどうであれ、気色悪ければ駆除するまでだ。
そして、フィリップは害虫駆除でふざけるとどうなるか、身を以て知っている。
一度は反撃に遭い、一度は外神が介入してくるほどの大事になった。もう次はない。二の轍も踏まないし、別なやらかしをする気もない。
最大限に気を払い、要所では躊躇いなく邪神を呼ぶつもりだ。
じわじわと不穏な気配を纏い始めたフィリップを余所に、衛士とライウス伯爵の質疑応答は続く。
「連中の習性については、何かありませんか? こいつらがどうやって王都に侵入したのかが、目下の最優先なんですが」
「都市防衛については私の専門ではない。悪いが、力になれそうにないな。食屍鬼は洞窟や地下に棲んでいると聞いたが?」
「あぁ、そうですね。それは俺たちも知ってるんですが……うーん……」
衛士たちは思いついた可能性を列挙し、伯爵はそれを理由や仮説と共に棄却していく。
大抵はフィリップたちが先に考えていたことと同じであり、あまり興味を惹かれる内容ではなかった。
ただ、彼らの会話を聞いていて、ふと嫌な可能性が思い浮かんだ。
「……ミナ。その儀式、魔術で再現できる?」
「不可能よ。でも、そうね……私たちは血を分け与えることで人間を吸血鬼に変えられる。それと同じ仕組みだとしたら、納得は出来るわね」
人間を人間ではないモノに変える、ということが、フィリップには随分と身近だ。
シュブ=ニグラスの血による変性、吸血鬼による同族化、そしてフレデリカの術法による哲学的ゾンビの創造。だが、その仕組みまでは理解できていないし、再現も出来ない。
「……そっちは再現できる?」
「さあ? 考えたことも無いけれど……無理なんじゃない?」
「じゃあさ……これ、考えるだけ無駄だったりしない?」
やはり全ては無意味なのかと、フィリップはでろりと溶けるようにミナにもたれかかった。
飼い主は意気消沈したペットを難なく受け止め、慰めるように撫で回す。「そうかもしれないわね」と答える声はどうでも良さそうで、彼女の関心の大部分がペットを愛玩することに寄っていた。
しかし、この場には他の人もいる。
フィリップとミナのように、「要は全部殺せばいいんだよ」と状況を極めて単純に捉え、楽観する者ばかりではない。
「……それは、どういうことですか?」
いきなりモチベーションを消したように見えるフィリップに、伯爵は自分でも考えるような間を置いて尋ねた。
フィリップはミナに預けていた体重を自分の足に戻し、抱擁を解いて咳払いを一つ。
「物理的・魔術的な常識外の技を、連中は少なくとも一つ、持っている。じゃあもう一つぐらい……例えば空間転移術式なんかを使えたとしても、驚きはするけど納得できませんか?」
「空間転移は王龍クラスの魔術だけど、まあ、そうね。私の配下は、何の変哲も無い人間と誤認させる暗示を使えたし……間抜けにも門番が抜かれただけの可能性はあるわ」
フィリップの言は衛士たちを混乱させるだけの極論だったが、続くミナの言葉には説得力があった。
実際、フィリップとてグール如き──フィリップの領域外魔術が通る劣等生物が、ルキアやステラでも使えない空間転移の魔術を使えると、本気で思っていたわけではない。
だがミナでさえ再現不能な儀式、領域外魔術か、或いはもっと他の何かなのかは不明だが、とにかく謎の技術を持っている可能性が高いのだ。
なら、侵入や潜伏に使える未知の技術をも持っているという仮説は、少なくとも現段階では棄却できない。
例えば、結界や監視が人間と誤認するようになる魔術、なんてモノは、今のところ発見も開発もされていない。しかし、無いとは言い切れないのだ。
「え……じゃあ、どうすれば?」
途方に暮れたような衛士。
魔術や白兵戦、都市防衛に慣れ、優れた能力を持つ彼らだからこそ、「どうしようもない」という結論は馴染みのないものだった。
だが、フィリップは何も「どうにもならんから諦めろ」と言っているわけではないし、そもそも諦めろと言われたくらいで諦めるような人間は、衛士団には居ない。
そしてこの場には、ともすればフィリップ以上に“未知”を解き明かすことに拘っている人間がいる。
「それを考えるのは我々の仕事だろう。そもそも英雄を頼るのは、凡人に出来ることを全てやり尽くした後だ」
「先生」という呼び名に相応しい、威厳の籠った声。
ライウス伯爵の発破に、衛士たちは「そりゃあそうか」と簡単に納得する。なんかフィリップが現場に居て、なんかミナまで付いてきたから成り行きで生まれた現状だが、そもそもフィリップは衛士団ではない。食屍鬼云々を解決する義務はないのだ。
まあ、「だから引っ込んでてね」と言われて引き下がることもないのだが。
「……英雄云々はさておき、僕も襲われてるので他人事じゃないんですけどね」
「そうだったのですか? それなら……いつも以上に気合を入れて仕事をしないといけませんな。お任せを。徹底的に腑分けて、連中のクソの中身まで詳らかにしてみせましょう」
伯爵がそう言うと、従えていた執事が鞄を持ち、その口を開けて恭しく差し出す。
中にはエプロンのような防護衣と、鈍く光る金属製の器具──解剖用具が入っていた。
「屍以外の物が入っていたら新発見ですね。成果に期待しています」
お手並み拝見とばかり、フィリップは深く頷く。
しかし解剖の様子を見るよりも、もっとやるべきことを思い出した。
「僕は僕で、少し調べてみます。……ミナ、もう一回教会に行くから、先に帰ってて」
さっき洗ったばかりのペットがまた悪臭を擦り付けに行くと言い出して、飼い主はとても不服そうだった。