なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
夜も更けて、フィリップとミナは暫定復活者たちの移送とグール駆除のため、公爵邸を出ようとしていた。
使用人も大半が寝静まった屋敷の玄関には、二人を──というか、フィリップを見送りに来たルキアがいた。
メイクもしていないパジャマ姿で、見送りのために起きてきてくれたのだと分かる。
「……フィリップ。美しからぬことを言うのだけれど──」
彼女は躊躇いがちに口を開く。
その表情と前置きだけで、フィリップは言わんとすることを概ね察した。
「大丈夫ですよ、ルキア。確かに僕は、本当の意味で自分を大切にするのが難しいですけど──それでも、僕の一番大切な人たちが、僕を一番大事にしてくれる。だから僕も、僕のことを大事に出来ます」
言わせるまでもない。
フレデリカ程度のために、フィリップがその身命や人間性を捨てることはない。
ルキアもそうだし、ステラにも『自分の命と人間性を最優先にしろ』と言われている。
それに、ルキアとステラのためでさえ、最後の最後に捨てるのを躊躇ってしまったのだ。今この時点で本気になっていない以上は、土壇場でも同じだろう。
「……そう」
ルキアは言葉少なに頷き、フィリップを抱きしめる。
寝間着のせいで普段よりも薄着だが、二人ともそんなことに構わず、力以外の何かを込めるように腕の力を強くする。
ややあって身体を離すと、フィリップはしっかりと頷いてみせた。
「またそれ? 私が付いているのだし、怪我なんてさせるはずがないでしょう?」
溜息交じりのミナの言葉に、ルキアは少しだけ恨めしそうな目を向けた。
或いは、それは憐みの眼差しだったかもしれない。
どちらにしてもミナの興味を引くものではなく、彼女は玄関扉を開けてペットを振り返った。
「行くわよ、フィル」
「うん。行ってきます、ルキア。ちゃんと寝てくださいね。解決して帰ってきても、今度はルキアの体調を心配することになるのは嫌ですから」
ルキアに手を振って屋敷を出る。
今宵は三日月だが、よく晴れていて星明りが夜闇を照らしてくれている。昼間同然とはいかないし、物陰の闇は見通せないほどに濃いが、それでも道を歩くだけならランタンも要らなさそうだ。
「まずは二人を検分して、その時点で本人かどうかを確認出来たら殺す。出来なかったら投石教会に連れて行って、改めて調べてから殺す。その後はグールの捜索。この流れでいいよね?」
「教会に行くのは多少不満だけれど、まあ、いいわ」
「それじゃ、まずは先輩の家に行こう。エレナは?」
昼間は出掛けていたからフレデリカ絡みのあれこれは聞いていないにしても、夜中にこっそり出掛けようとすれば、エルフの優れた感覚で察知される。
まあ「どこ行くの?」と訊かれるくらいなら誤魔化しようもあるが、「ボクも行く!」とか言われると面倒なので、彼女には眠って貰った。
夜は寝るものなので当たり前といえば当たり前だが、当たり前ではない方法を使って万全を期している。
「まだ眠っているわ。契約の魔眼を使って『朝まで快眠しろ』なんて命じたのは初めてだし、屋敷が襲われても起きられない可能性があるけれど」
「ルキアとか使用人の人たちが守ってくれるよ」
ルキアには寝てくれと言ったわけだが、フィリップは公爵邸の全員が同時に眠る時間帯が無いことを知っているし、一見してただのメイドに見える女性が、実はゴリゴリの武闘派だったりすることも知っている。
豪奢な貴族のお屋敷だが、その防衛力は衛士団の詰め所と同等くらいには高い。勿論、ルキアを抜きにして。
「まあでも、確かにあの子には何も知らせなくて正解だと思うわ。仲間殺しじみた行為は、絶対に止めに入るもの」
「じみた、ねぇ……」
実際、フィリップはそのくらいの温度感というか、「なんかウォードとモニカっぽいモノを殺す」という認識だ。たとえ本人だろうと一度は死んだモノ、完全に同一の存在ではない、連続性を欠いた別物と見做す。
だが、もしもエレナに二人のことを知られて、フィリップと意見が一致しなかったらと思うと……想像するだけで面倒臭い。
グダグダと文句を付けられるだけでも面倒なのに、「二人を殺したければ、まずボクを殺すんだね!」とか言われたりしたら、面倒臭さのあまり本当に殺してしまうかもしれない。
というか、ミナは殺すだろう。
フィリップはギリギリ、「いや一応はエルフの王女様だし、死なれると殿下の不利益になるかもしれないしなあ」と踏み止まれるが、その行動基準はミナと共有できない。
そんなことを考えながら門扉を潜り、フィリップは二等地の方に足を向ける。
と、ミナが胡乱な声で引き留めた。
「フィル? 歩いて行くつもり?」
「え、飛んで行くの?」
「夜の散歩ではないのよ? 害獣の駆除は素早く静かに、でしょう?」
確かに二等地まではかなり歩くけど、とフィリップが言おうとした時には、もうミナはフィリップを抱き寄せて飛んでいた。
全速力なら時速100キロを超える飛翔速度を持つミナだが、普通に歩ける距離で全力は出さない。それでも、一等地を出てレオンハルト邸に着くのには一分も掛からなかった。
ドアには鍵が掛かっており、フィリップは律儀にノッカーを鳴らす。
フレデリカに鍵を預かってはいたが、中にはウォードとモニカが居るはずだ。二人に鍵を開けて貰おうと、特に何も考えずに動いたわけだが、結果。
「はぁ……」
背後から物凄くかったるそうな溜息が聞こえた。
ミナが鍵穴に手を翳し、軽く捻るように動かすと、カチリと小さな音がする。彼女はそのまま当然のようにドアを開け、堂々たる女王の足取りで玄関を潜った。
「……吸血鬼は招かれないと家の中に入れないって話、アレどこから来たの?」
「私に訊かれても困るわ。それこそ、あの博識な小娘に尋ねなさいな」
ミナから見てもフレデリカは博識なんだ、とズレた感想を抱きつつ、フィリップも彼女の後ろについてレオンハルト邸に入る。
扉が開いた音には中の二人も気付いたらしく、リビングルームの扉が開いてウォードとモニカが顔を出した。
「誰っ!? あ、なんだ、フィリップか。驚かせないでよ」
「こんばんは、ウィルヘルミナさん。……まさか、貴女がいらっしゃるとは」
警戒も露に飛び出してきておいて、二人を見るや安堵の息をついて笑うモニカ。
対して、ウォードは一貫して落ち着いた様子だが、声と表情がずっと硬い。謎の来訪者に対する視線や気配と、フィリップとミナに対するものが同じだ。
そんな二人に、フィリップとミナは二人揃って虫でも観察するような目を向ける。
「どう?」
「……魔力情報や血の匂いからすると、間違いなく人間ね。でも本人かと言われると判然としないわ。そもそも以前の魔力情報を覚えていないもの」
魔力視界は肉眼よりも多くの情報を伝える。ルキアがフィリップの負傷に気付いたように。
それでも人間に見えるということは、フレデリカは最低限、人間の創造には成功したらしい。死者の模倣なのか、死者蘇生なのかは不明のままだが。
「人間ではある……滅茶苦茶精巧に出来たアンデッドとかじゃないってことだよね」
「そうね。でも生命の精髄を使ったと言っていた割には、血質は大したことないわね。吸い殺しても一人分のストックにしかならないわ」
ミナはやや不満そうだが、フィリップとしてはむしろ安堵するところだ。
血質でもなんでも、人間と違う部分があるのはよろしくない。ウォードとモニカから死の安寧を奪うだけでなく人外に貶めたとあっては、いよいよフレデリカへの悪感情が閾値に届きかねない。
「エレナさんとリリウムちゃんは? 一緒じゃないの?」
「……この能天気さも本人っぽいんだよね。あのねぇモニカ、僕はパーティーメンバーと感動の再会をさせに来たわけじゃない。むしろ、二人がパーティーメンバーを二度失うような最悪の気分にならないよう、君たちは秘密裏に葬り去る」
フィリップはへらへらしながらも、呆れ声でモニカに言い聞かせる。
内心のどろりとした粘度のある感情に気付いたのか、彼女は息を呑むように口を噤んだ。
「……本気なんだね、フィリップ君」
モニカに代わるように、ウォードが平坦な声を出す。
一見して分かる隙の無い立ち姿に、フィリップは既視感と共に嫌な気配も感じる。
その正体は励起された痛みの記憶。散々殴られ蹴られ、投げ飛ばされて関節を極められた先代衛士団長とのファンミーティング……もとい訓練中の記憶だった。
「なら、悪いけど──ッ!」
ウォードが動く。
動体視力を振り切るような速さではないが、“起こり”が極端に薄く、速度云々ではなく
とはいえ、ここ最近のフィリップの訓練相手は専らミナとエレナ、人外フィジカルの持ち主たちだ。キックで音速を超える化け物の動きに目を慣らしているから、何もできずにやられることはない。
そして。
「本気だったとしたら吸血鬼を舐めすぎだし、そうじゃないなら気を遣いすぎです、ウォード。それも“らしい”と言えばそうですけど」
「……もう聞こえていないわよ」
「あ、そっか。
ミナの目は節穴ではないし、目の前でペットへの攻撃を許すほど寛大でもない。
それから彼女は、片手で人間大の彫像二つを持ち、もう片方の手でフィリップを抱きしめながら飛行するという、人間からすると曲芸じみたことをして投石教会に移った。
正確には、教会のすぐ近くに。
「ここから先はきみ一人で行きなさい。私はここで待っているから」
「臭い、キツい?」
「えぇ。なるべく早く済ませなさいね」
言って、ミナは民家の塀にもたれかかった。
“ここ”とは、本当に“ここ”らしい。アクセスの悪い教会に続く小さな路地で、そもそも真夜中だ。暇を潰せそうなところもないが、通行人に見られたら悲鳴でも上げられるのではないだろうか。
フィリップとしても変に同行されて魔力視でも使われると面倒なので、素直に頷いて教会に向かう。その後ろを、契約の魔眼によって行動を強制された二人がトコトコとついて行く。
投石教会の玄関を潜ると、すぐ傍らにナイ神父がいた。
「こんばんはフィリップ君。こんな夜更けに如何されましたか?」
「いや、どう見ても待ってたじゃないですか。……あれ、マザーは?」
いつも通りの、もはや見慣れた嘲笑の仮面から目を逸らし、堂内を見回す。
しかし、いつも穏やかながらも熱烈に歓迎してくれる、もう一人の姿が見当たらない。カノンは居住区に居るのだろうし、連れ出す理由も無いのでどうでもいいが、マザーが居ないのはちょっと不満だ。
ちょっと不満で、ものすごく不安だ。
具体的に何がどうなりそうというビジョンは無いのだが、強いて言えば存在そのものが不安要素だ。彼女の一挙手一投足に対して、世界が余りにも脆弱すぎる。
「ペナルティ中です」
フィリップの問いに、ナイ神父は嘲笑を深めて答える。
それと同時に、堂内が──そして世界が、泡の表面のような虹色に揺らいだ。
ほんの一瞬。それが何であるかを知っている者にしか知覚できない、それ以外の者には立ち眩みとしか思えない僅かな時間。
だが、フィリップに事の重大さを理解させるには十分な時間。
「え、何の、何で……?」
「詳しくは申し上げられませんが、父王を除く外神のほぼ全てが同意したことです。しばらくはお互いに会えないと思っていただければ。勿論、君が召喚すれば話は別ですが」
思い当たる節といえば、帝都を踏み潰しかけた……四割ほど踏み潰した件がある。が、外神にとってみれば帝都なんて何でもない。文字通り、価値評価の盤面にも乗らないという意味で「何でもない」。有っても無くても変わらないとかではなく、認知していないから“無い”に等しい。
そんなものを壊したからと言って、まさか外神たちが怒りはすまい。
何なら地球を壊そうが三次元世界を壊そうが、「ふーん」程度の感想だろう。
しかもペナルティとは言っても、内容がこの時間、この時点における接触禁止。時間の外側に居る外神にしてみれば、読んでいる本を一旦置くくらいのものだ。後から読み返すことだって簡単。
なのに、ヨグ=ソトースが出てくるほど厳格に取り締まられている。
如何な外神の視座を持つフィリップとはいえ、流石に不可解な状況だ。
「いや、流石にそこまでは……。まあいいや。ナイ神父、聞きたいことが二つあります」
フィリップは意図的に思考を切り上げる。
外神の思考を理解しようとするのは危険だ。なまじ思考の根幹となる視座を共有できるだけに、思考まで染まってしまいかねない。
長身の神父は変わらず仮面のような嘲笑を浮かべたまま、慇懃に一礼した。
「何なりと」
「一つ目。この二人は何ですか?」
教会に入った時点で契約の魔眼は効果切れのはずだが、直立不動で微動だにせず待っている二人を示す。
どうせ入って来た時点で──或いはそれ以前から知っていただろうに、長身の神父はわざとらしく顔を向け、顎に手を遣って検分する素振りを見せた。
「ふむ。模造人体に魂魄を植え付けた人工生命体ですね。言うなれば死人を模して作ったホムンクルスですが……えぇ、勿論、君が聞きたいことは分かっていますよ。結論を申し上げますと、ノーです。これは死者本人ではありませんし、ヒトでもありません」
ふむ、とフィリップも頷きを返す。
連続性を欠いているのだから、本人でないと言われても納得だ。すんなりと理解できる。
ここまでは割と予想通りだ。
フィリップは端から、「100%ではないだろうが、では何%本人なのか」と考えていた。
「哲学的ゾンビ、という思考実験の産物があります。身体を構成する全要素に於いて、普通の人間と区別が出来ないモノ。ただし、感覚的意識を持ち合わせないモノ──笑い、泣き、怒り、生を求めて戦いはしても、その内面に喜びや悲しみ、苛立ちや生への渇望を抱くことのないモノのことですね」
「……?」
なんか難しい話になったぞ、とフィリップは眉根を寄せる。
一応は心理学や精神病理学について学んでいるだけに、その状態が“最悪”と呼ぶべきものではないと思ってしまったのが、不理解に拍車をかけている。
その場に応じた正しい反応が出来るが、感情が伴わない。
解離性障害の一種に、そのような症状を呈するものがあったはずだ。症状には個人差があり、感情が完全に消滅するのではなく、一歩離れたところから客観視してしまうようになる、というのがメジャーな例らしいけれど。
とはいえ類似の症状を呈する病気の存在は図書館で読んだし、それを以て人間でないと断ずるのは難しい。
いやむしろ、病気の人間のように思える。
「つまり、心の内側を観測しない限りに於いて、どこをどう調べても、どれほど親しい間柄であっても、その当人にしか見えず、生きた人間のようにしか見えないモノです」
補足されても、今一つピンと来ない。
が、結論だけは聞いている。
それはヒトではない、とナイ神父は明言した。
韜晦せずはっきりと、誤解の余地なく。
「……そうですか。うん、じゃあまあ、適当に殺して、適当に処分しておいてください。カノンに喰わせるとかはナシで、美しくスマートに」
フィリップはぞんざいに命じる。
ナイアーラトテップがふざけるのは常だし、フィリップを掌で弄ぶかのように翻弄することも、嘘ではないが真実とも言い切れないような言動で煙に巻かれたこともある。
だが嘘は吐かないだろう。
そこまでの“遊び”は、フィリップとて許容しかねる。何よりナイアーラトテップが“魔王の寵児”を欺くはずがない。
しかし。
「おや、よろしいのですか?」
返ってきたのは命令受諾の意ではなく、そんな意味ありげな言葉だった。
「コンピュータープログラムを知らない君にイライザ効果の説明をしても仕方ありませんので省きますが、ヒトは人間ではないモノの振る舞いを見て、ありもしない人間性や感情、思考の類を誤認する愉……可愛らしい生き物ですよ?」
愉快と言いかけたことは分かったが、言いたいことが今一つ判然としない。
眉をひそめて先を促すフィリップに、ナイ神父は一つの提案をした。
「クオリアを含む内面を観測できる我々のようなモノと、この情報を知る君を除き、アレらを人間でないと判ずる者はいません。聖痕者、吸血鬼、エルフ、ドラゴン、マーメイド、何であれ……例外は領域内にいるヴィカリウス・システム成体やドライアドくらいのものです」
凄いじゃん、と非実体状態のシルヴァに魔術契約を通じて念を送るが、返ってきた答えは『いまはむり』というものだった。
ヴィカリウス・システム
そう考えると、ドライアドの読心能力はやはり破格だ。
惜しむらくは接触できないこと、目の前に姿を現してくれないことだが──なんて考えるフィリップだが、そりゃあそうだ。存在しないものは現れようがない。
「……それで?」
思考が逸れかけていたことに自ら気付くと、フィリップはナイ神父に先を促す。
彼はにっこりと──善意の助言であるかのような笑顔で言った。
「フィリップ君。君さえ黙っていれば、彼らの家族や友人は、一度失った大切な者を取り戻すことが出来るのですよ。君も仲間を取り戻し、再び賑やかな冒険が──」
「──ナイアーラトテップ」
蛇の誘惑を思わせる、絡み纏わりつくように粘度のある声。
それを、フィリップの固い声が遮った。そこに込められているのは不快感だ。
ウォードとモニカに会ってからずっと我慢していたものに加えて、ふざけたことを抜かす道化師に対する苛立ちもプラス。
「貴方の愉悦のために、僕にこの不快感を抑え、我慢しろと言ってるわけじゃないですよね?」
「無論です。ですが確かに、そう受け取られても仕方のない──」
「なら僕で遊ぶな。内面を覗けるのなら分かるでしょうけど、僕は今、そこそこ機嫌が悪いんです」
最早、フィリップはナイアーラトテップの言葉に耳を貸さなかった。
謝罪も言い訳も求めていないし、そんなものに意味はないのだから。
言葉を二度も遮られたナイ神父だったが、彼の笑みには嘲弄以外の色が──その下に隠しきれないほどの歓喜が宿っていた。
「失礼いたしました。ご命令の通りにいたします」
折り目正しい、作法通りの一礼。なのに、所作にもそれが滲んでいる。
歓喜を通り越して快感を覚えているのではと思わせるような、内心の興奮が。
フィリップは若干の気色悪さを感じつつ、教会を出ようとする。
ミナを待たせているし、あまり長居して臭いが付くと、また頭から水をぶっかけられかねない。
玄関扉に手を掛けたフィリップは、力を込める寸前で思い出した。
ここに来た目的、確認事項はもう一つあったと。
「……ああそうだ、質問二つ目。グール。あれは地球圏外の存在とか、邪神にルーツを持つモノじゃないですよね?」