なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
死体を盗んだのか──つまり墓を荒らし、暴いたのか。
その問いに、フレデリカはバンと机を叩いて腰を浮かせた。が、勢いが良かったのはそこまでだ。
「まさか! ……あ、いや、そうなるのかもしれない」
フレデリカの語気が一気に弱まると、ルキアが眦を吊り上げる。
墓荒らしなどという汚らわしい行為に手を染めた人間を、彼女の美意識は強く糾弾するだろう。
フィリップまでもが驚きに目を瞠るなか、フレデリカはソファに座り直し、おずおずと言い訳するように続ける。
「祖父の死体の一部を、サンプルとして回収はした。勿論、墓守に許可を取って立ち会ってもらった上でだけれど」
墓荒らしではない、ということだろうか。
“救国の賢者”であるフレデリカには、半ば無制限の研究資源供出が約束されている。希少な龍素材も半独占状態だ。
そう考えると、自分の祖父の墓を開けるくらい、王国としては国庫を開けなくてもいいぶん安い要求なのかもしれない。
実際、「道徳的にどうなの?」という非合理的・非学術的な問題未満の疑問くらいしかないのだし。
ただ、グールが「死体を盗んだ」と判断するのに、王国や、墓場の管理人の許可なんか関係ないだろう。たぶん。
ちらりとミナを見遣ると、呆れたような微苦笑が返ってきた。
「……そんな目で見ても、連中の判断基準なんて知らないわよ」
「まあ、そうだよね……」
ともかく、これで状況は半ば確定したといえる。
相手は不特定数のグールという異種族。
魔術的・肉体的性能はそれほど高くないが、衛士団の目を掻い潜る何らかの手段を持っている。
墓場から死体を盗んだ者を追いかけて殺す習性があり、今回はフレデリカが標的にされた。
「狙いは先輩か、やっぱり。うーん、面倒な習性だなあ……」
「習性というより、拘りでしょうね。組織的に動くこともあるらしいから、本能だけで動く獣や魔物と同じに考えていると、また不意を打たれるわよ?」
ミナがかったるそうな声で補足すると、フィリップはソファの背凭れに深く体重を預けて天を仰いだ。
「おぉう、尚更に面倒臭いなあ……」
飼い主を真似たような声を出すフィリップだが、流石に、ミナのように「面倒だから」という理由だけで行動を決定したりはしない。
呟きは単なる感情の発露であり、何ら意思を示すものではなかったのだが、フレデリカは正面のソファに座った三人を順番に見遣る。
その視線に気づいたのは、ルキア一人だけだった。
「……そんなに怖がらなくても、貴女を殺したり、首を塩漬けにして差し出したりしないわよ」
「……しないのですか?」
少し脅かし過ぎてしまったらしいと、ルキアは一人自省する。
脅したつもりはないし、脅しなんてまだるっこしいことをする暇があるなら殺すのが常だが、魔力の昂ぶりを隠しきれなかったのは確かだ。
フィリップの敵かと思って、つい。
しかし本当に駆除すべき“敵”が見えた今、フレデリカに特筆すべき感情は抱かない。精々、フィリップに今以上の隔意を抱かれないよう気を付けて、と内心忠告する程度だ。
「貴女がフィリップを利用しようとしているなら殺すつもりだったけれど、むしろグールの──フィリップを傷つけた連中の望み通りになるというのなら、それも悩ましいところだわ」
「そうねぇ……」
ルキアも大概だが、ミナの同意も不穏だった。
そしてこの場で一番不穏な──ルキアとミナの意思決定に大きく影響するであろう、フィリップの判断はというと。
「確かに先輩に思うところはありますけど……まあ、うん、殺すほどではないですね」
他人の命なんか滅茶苦茶軽い、というか、価値なんか一片だって感じていないようなフィリップだ。
殺すべきか、殺さざるべきか。殺すとして、手を汚す価値はあるのか、罰を受けたり反撃される危険を冒すほどなのか。そんな躊躇はしない。
殺すべきなら殺すし、殺したいなら殺す。
行動を決める天秤は精密で、何も乗っていない。
或いは、合理的判断や道徳心といった重りが乗ってはいるが、重さがゼロと表現すべきか。
だから一滴の殺意だけで針が振れる。振り切れる。
そして今回、フレデリカに対する殺意は滴下されなかった。
「むしろ、僕もグールの方が気になりますね。そんな得体の知れない奴らに、先輩の首は渡しませんよ」
安心してください、とサムズアップするフィリップ。
なんとも頼りがいのある言葉だったが、気の抜ける笑顔を浮かべていては恰好良さも半減だ。
「キミは、その……二人を殺す、と言っていたね」
「はい。……先輩には勿論「自分の作品だからやめろ」と主張する権利くらいはありますけど、僕に従う義務はないし、我の通し合いで僕に勝ちたかったら、まずはルキア並みに意見に芯を通すか、殿下並みに道理を通してくださいね」
神妙な顔のフレデリカに、フィリップは怪訝そうに目を細めて返す。
流石に、この状況で行動に文句をつけられることはないだろうけれど、一応釘を刺しておく。
「感情論で動く気はない、ということね。……というか私、貴方に我を通したことなんて無いと思うのだけれど」
引き合いに出されたルキアが相槌を打ち、次いで自分の行動を思い返すように視線を彷徨わせながら首を傾げる。
「そうですね、いつもありがとうございます。でも溜め込まれて不意に爆発するのも怖いので、不満があればドンドン言ってくださいね。僕もなるべく不満や不信感を与えないよう、話せる部分については話すつもりではいるので」
彼女の気質には随分と助けられているというか、フィリップの演技力では彼女を誤魔化し切るのは不可能だ。それでも、嘘に気付いても、全てを話さなくても納得してくれる。
その上で信頼を向けてくれることのありがたさを、フィリップは十分に分かっていたし、その危険性も分かっていた。
「……私はキミに、友人と再会させてあげたかった。ただ喜んで欲しかったんだ。でも結果として、私はキミに友人を殺す決意をさせてしまったし、実行もさせてしまうのだろう。それでもキミは、私のために得体の知れない魔物モドキと戦うと言ってくれる」
静かな声で語るフレデリカ。
そう言われるとなんだか物凄くカッコいいような気もするが、フィリップは「フレデリカのために戦う」なんて一言も言っていない。
「思えば龍狩りのときも、“使徒”に追われたときもそうだった。……どうしてキミは、自分の命を顧みず、他人のために戦えるんだい?」
「……」
隣でルキアが無言のまま視線を向けてくるのを、フィリップは視界の端に捉えて顔を見合わせる。しかしフィリップは「なんか誤解されてますね」と言いたげな困り顔で、ルキアは「そういえば」と興味を惹かれた目をしていたので、心情は特に一致していなかった。
ミナも僅かばかりの興味を惹かれたようで、かったるそうにしつつも一瞥だけは呉れる。
「……僕は別に、誰かのために戦うなんてカッコイイことをした覚えはないんですけどね」
苦笑交じりに肩を竦めつつ、フィリップは思う。
そういうのは衛士やルキアのように美しい人間の特権だ。
敵と見做したモノを「僕の敵は勝手に死ね。自殺しないなら仕方ない、殺してやる」と、毒針も持たない羽虫を鬱陶しそうに払うが如くに殺す、自分と敵が同じ人間であることも忘れたバケモノモドキには許されない。
こうして落ち着いたときに自らを省みてみれば「反省し改めるべきか」とは思うのだが、いざ敵に相対してアドレナリンが出ると、「面倒臭い」が鎌首をもたげる。
「戦闘時の興奮ってのはもっとこう、アッパーでハイなものかと。殿下みたいな」
「唐突ね。ステラは確かに顕著だけれど、貴方もよく訓練中に笑っているわよ?」
「そうですか?」
まあ、戦慄のあまり笑うことはある。
ミナの蹴りに少し遅れて、馴染み深い破裂音が聞こえたときとか。ステラが何かの魔術を撃とうとして、ルキアが介入して説教を始めたときとか。
「……で、何の話でしたっけ? あ、そうそう、どうして僕が戦うのかって話ですよね」
どうして、と言われても、何か確固たるモチベーションを常に持っているわけではない。
「龍狩りの時は、ルキアと殿下を助けるためで、衛士さんたちを死なせないためでした。“使徒”のときは、僕も「神を冒涜する書物」に興味があったからです」
そもそもフィリップは「敵を殺すのに理由なんか要らない。敵は敵だから殺す」と臆面も無く言えるタイプの、殺人に際した心の傷なんかとは無縁な人種だ。
そしてそれは敵だけでなく、自分にも適用される。
他人の命だけでなく自分の命にも同じく価値を感じないから、「命を賭けて戦う」という意識が無い。ベット額は常にゼロだ。
最近はルキアとステラのために死なないようにしようと考えてはいるが、「考えている」時点で普通ではない。普通は考えるまでも無く、死ぬのは嫌だろう。
「でもそれは、その本が聖下や王女殿下に害を及ぼすものでないかを確かめるためだったんじゃ?」
「それはそうなんですけど……うーん、先輩が想像してるほどヒロイックじゃないですよ、僕。これは自虐とかじゃなくて、本当に、客観的に」
『無意味な自傷行為はやめろ』と言われているし、ルキアを傷つけるのも本意ではないから、フィリップは軽口以外で自虐をしない。
特に自虐であってもフィリップが貶されることを嫌う、ルキアの前では。
だからフィリップの言葉は本心であり、謙遜は全く含まれていなかった。
「僕は僕の好きな人を最優先するってだけです。ルキアと殿下のためなら龍を殺して心臓を奪うし、ミナが飢えないためなら何十でも何百でも食えばいいし殺せばいい」
話を戻す。
フィリップが自身の行動に一貫した動機を見出すとしたら、それは好意だった。
好きな人を守り、嫌いな人を殺す。
どうせ天地万物に価値が無いのだから、決め手になるのは好悪。という話はフィリップもいま自分を顧みて初めて整理できた思考だが、強ち間違ってもいない気がする。
他者への献身ではなく、エゴなのだ。要は。
「だから他人のためというか、僕のためですね。今回も「先輩を守ってあげよう」というより、「先輩を殺されたらヤだから敵をブッ殺そう」って感じです」
結果だけ見れば、同じだ。
フィリップの心の内がどうであれ、どちらにしてもフレデリカは守られる。
それをこそ献身と呼ぶ者もいるだろうが、フィリップはその在り方を美しいとは思わなかった。自らの定めた“美しい死”以外は認めない、と他人に押し付けるなど。
「……私はキミを信頼しているし、そう偽悪的になる必要はないのだけれど……まあ、今の私に素直に接する義理もないか」
「うーん、確かに僕は先輩の人間不信を知ってはいますけど……」
落ち込んでしまったフレデリカに、フィリップは困ったような苦笑を向ける。
「先輩、英雄の種類ってご存知ですか? 一番多いのは、軍隊のソコソコ偉い人が国やお貴族様の都合で祭り上げられて“なっちゃった”英雄。次に多いのが、冒険者なんかが自分の好きなことを思うがままにやってたら、いつの間にか“なってた”英雄。一番少ないのが、なりたくて、なろうと思って“なった”英雄。……先輩はどうか知りませんけど、僕は二番目のやつです」
フィリップは指を立てて数えながら語る。
これは先代衛士団長の受け売りだ。彼は訓練中、フィリップや衛士がヘバる様子を見せるとこんな話をして気を紛らわせ、気分良く語り終えると「休憩は以上」とまた訓練を始めるのだった。
水も飲まずに何が休憩かとも思うが、騎兵と騎兵、歩兵と歩兵が混ざり合う合戦を想定すれば、水など飲んでいられないという意見にも道理を認めざるを得ない。
と、それはともかく。
「僕は他人を守ろうなんて義務感や使命感……英雄的思想を持っちゃいないんです。ただ、好きな人には生きていて欲しいし、死ぬなら得体の知れない魔物モドキに殺されるなんて死に方じゃなく、老衰とか病気とかで死んでほしい。欲を言うなら素敵な旦那さんを見つけて幸せな家庭を築いて、子供や孫や友人に看取られて穏やかに死んでほしい。それだけです。勿論、それが先輩の幸福だって言うなら、結婚なんかしなくたっていいんです……」
フィリップが提示する幸福の条件は二つ。
一つ、無知であること。
フィリップがどういう状況に置かれているのか、“魔王の寵児”という称号の意味を理解できない程度に収まっていて欲しい。
一つ、ありふれた死を迎えること。
結婚して子供や孫に看取られて老衰で死ぬとか。迂闊にも階段で足を滑らせて事故死するとか。流行感染症や、食べ物に当たって病死とか。最悪、対魔物や戦争で戦って死んでもいい。
要は人間として正常な、死因を聞いたときに悲しくはあっても納得はできる死に方であることだ。
ルキアとステラには、もっと幸福な──誰もが「幸せな最期だ」と穏やかに笑えるような死に方をしてほしいと思うが、フレデリカに対する感情は、彼女らに対するものよりずっと軽い。
「僕は自分のエゴで、他人の死に様に口を出すようなヤツですよ。衛士さんたちに無駄死にして欲しくないなあって思って動いたら、なんか英雄になっちゃったヤツです。今回のこともそう。僕が殺したい相手を殺したら、結果として先輩が助かるってだけです。それを褒められても困るというか……なんだろう、野菜好きの子供みたいな気まずさがあるだけですよ」
「えっと……周りには野菜を食べられない子供が多いから褒められるけれど、当人は好きなものを食べているだけだから、褒められても困ってしまう……ということかな?」
思い付きで口にした喩えをほぼ一瞬で読み解かれて、フィリップは「流石」と笑った。
「そうです。ついでに言うと、その子は……というか僕は、野菜嫌いを我慢して食べている子とか、苦手を克服しようと頑張る子の方が褒められるべきだと思っているので、なんだかなあと」
善人とは善であるものでなく、善であろうとする者のことを言う──とは、ステラに言われたことだけれど、まさにその例だとフィリップは思う。
今回のケースに限らず、フィリップは善行を積もうとして善を為したわけでなく、やりたいことをやったら偶々善行だっただけだ。
勿論、善良であろうという志がないわけではないが、自らの行動が善良であるかを省みることは殆ど無いし、善良ではないと判断しても、行動や意思決定を覆すことはない。
でなければ、ミナを王都に引き入れたり、彼女が他人を喰うことを許容して別行動したりしない。
「僕は日頃お世話になってる先輩が殺されるのを避けたいだけです。僕が嫌だから。先輩個人の感情はどうでもいいというか……極論、先輩が心の底から死を望んで自殺しようとしたって止めますよ」
他人の死に様に口を出す──他人に生きることを強いる。
何とエゴイスティックで気色の悪い精神性か。……というのは、流石に自傷行為になるけれど。
けれど、これを善良で、美しい心の在り方だとは思えない。
ルキアやステラがフィリップの生を望むように、好意や依存からの言葉であれば致し方ないとも思うが、フィリップは別に、フレデリカに特別な感情を抱いてはいないのだから。
「……だから、僕の代わりに先輩を守ってあげて。ルキアも、お願いします」
「──きみらしくもなく長々と語ったかと思えば、そういうこと? 怒りが収まるまで待ってからおねだりなんて、生意気な知恵を付けたわね?」
フィリップがそう言うと、ミナは意表を突かれたように目を見開いた。
しかし一瞬の後、いつも通りに愛玩するように細められた目には愉快そうな光が灯っている。口ぶりほど怒ってはいなさそうだ。
彼女は少し考え、口角を上げた。
「でも駄目。私は蘇った死人とグールの方に興味があるから」
そっか、とフィリップは残念そうにしつつも簡単に折れる。
ミナの意思を曲げるのは容易いことではないし、そもそも彼女は護衛や防衛戦に向いていない。
彼女の性能を生かすのは大量虐殺、もとい、対多数戦だ。彼女が参戦すればフィリップが自分の足と目でチマチマ探して殺すより、何倍もの効率で駆除が進むことだろう。
「……分かったわ。私が保護してあげる」
重い溜息つきでルキアが頷く。
フィリップにはむしろ、ミナのはっきりとした拒絶よりもこちらの方が効いた。
「あ、いえ、ご迷惑なら王城か投石教会で保護してもらうので、無理はしなくても」
ルキアにはついさっき「不満があるなら言ってくれ」と言ったばかりだが、彼女が「じゃあ」と内心を口に出せる性格ではないことは知っている。
慌てるフィリップに、ルキアは少しだけ顔を赤らめて微笑んだ。
「あぁ、ごめんなさい。フィリップと共闘できると思って勝手に浮かれていたから、勝手に落胆しただけ。気にしないで頂戴」
「僕とルキアが共闘……?」
大抵の相手はルキア一人で、一瞬でカタが付く。数が多かろうと、そこは変わらない。
つまり個の質が高くなければならないわけだが、ルキアが手こずるような相手はフィリップなんかに一秒どころか一手も使わない。ルキアを狙った攻撃の余波とかついでで殺せる。例えばミナ辺りは。
「あー……ドラゴンとか出てきたら逃げ帰ってくるので、その時はお願いしますね」
露骨な慰めに、ルキアは照れ交じりに苦笑した。