なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
レオンハルト邸を出ると、玄関先に人間大の炭の塊が転がっていた。
扉の動きを阻害する中身の詰まったそれを、隙間から外に出たフィリップが苛立ち混じりに蹴って退かす。
放っておいていいだろう。というか放っておきたい。
見るからに不審物だし証拠品でもあるが、嵩張るし、死体を持ち運びたくはない。
「すぐ避難して欲しいところですけど、あの二人を放っておくわけにもいかないし、連れ歩くわけにもいかないですよね。……二人は今夜にでも移動させましょう。当てはあります。今は先輩だけでも退避を」
「うん。でも、何処に?」
「二人は投石教会に。先輩はサークリス公爵邸か王城か、もしくは同じく投石教会に。ちなみにこれはお勧め順です。ルキアはこういうとき「敵は何か」に意識が向きますけど、殿下は「何故襲われたのか」を詰めてきますよ。そしてこの件で、僕は彼女の追求を突っぱねられない」
ステラ相手に嘘が吐けないとか、そんな殊勝さはない。
だが、バレる。間違いなく。
彼女のための、神格や邪悪な存在を彼女の目に触れさせないための嘘であるなら、そう言えば彼女も真相を探ったりはしない。そこまで愚かではないし、あの恐怖はそんな愚かさを許さない。
しかし死者蘇生の術法を隠すのは、フレデリカの要請があるからだ。
フィリップだって広く開示するつもりはないが、ルキアやステラくらいには教えてもいいと感じている。万が一のためと言うよりは、単に知識として。
だから、もしもステラに「何があった?」と聞かれた場合、フィリップは彼女を誤魔化し切れない。嘘を吐いても即座にバレるし、ちょっと詰められたらあっさり白状する自覚がある。
「……教会は?」
「未知数ですね。僕のオーダーが通るかどうか」
いや、普通に命令すれば通るだろう。
だが今のフィリップが、心の底から「フレデリカを守れ」と命じられるかは未知数だ。
死者から安寧を奪った彼女には、正直、思うところがある。
彼女が祖父を蘇らせたいことなんかどうでもいいし好きにすればいいが、友人の眠りを妨げられて、フィリップは些か以上に気分を害している。
今のところ殺意はないが、ついうっかりということもある。
そしてマザーはともかく、ナイ神父は面白半分で
いや──もしかしたら、フィリップの感情に敏感だというマザーの方が、こういう時には危険なのかもしれない。
「……公爵邸になんて、行ってもいいのかな?」
「先輩だって家督相続のタイミングで公爵に格上げされるんでしょう? というか、”救国の賢者”なんですから、疎まれたらレアケースです。むしろラッキーだと思ってください」
「……あぁ、そういえばそうだったね。そういえば私と君は、王国の英雄なのだった」
フレデリカは笑顔を作り、可笑しそうに呟く。
恐怖を紛らわせるためだろうか。自分の冗談で笑っているうちはパニックにもならないだろうし、フィリップとしては有難い。
「とにかく、まずは衛士団に知らせないと」
「……うん。じゃあ行こうか」
そうして歩き出してから十分ほど。
王都を武装状態で歩いている人間は目に留まる。
舞台俳優のように見目麗しい長身の女性の手を引いていて、血塗れの服を着ていれば、まあ通報されるだろう。
結果としてフィリップが詰め所に辿り着く前に、衛士の方からやって来た。
「──おーい、フィリップ君!」
「あ、ヨハンさん、お久しぶりです。ちょうどいい所に」
馴染み深い声に、フィリップは親しい友人に対するような笑顔と共に振り向く。
身体が完全に声のした方を──予期した通りの鎧姿で駆け寄ってくる、戦友でもある衛士の方に向いた直後、彼の歩調が大きく揺らいだ。
完全に止まらない辺り、血や傷は見慣れているようだが、流石に安全なはずの王都内で血塗れの姿を見るとは思わなかっただろう。
或いは、鎮痛剤の効いてきたフィリップが痛みを忘れ、満面の笑みを浮かべていたからかもしれない。上半身が血塗れのまま。
「っ!? な……どうしたんだ、その傷?」
「王都内に魔物らしき何かが入り込んでいました。もう殺したんですけど、相討ち気味に」
相討ちというかクロスカウンターというか、肉を切らせて骨の髄まで水気の失せて萎びた炭にしてやったわけだが、まあとにかく、そいつだけは殺したと伝える。
勿論、一匹いれば百匹いる……かどうかは不明だが、王都に侵入したのが一匹だけだと決めつけるのは愚行だろう。油断したところを狙われて今度こそ致命傷を負ったりしたら、ナイアーラトテップに死ぬほど煽られる。その時にはもう死んでいるが。
「なんだって? いつどこで、どんな奴に……いやすまん、まずは詰め所に行こう。治療は済んでるみたいだが、着替えを用意するよ。その後で話を聞かせてくれ」
◇
事情聴取を終えて公爵邸に戻ってくると、もう夕方だった。
門番や使用人たちに挨拶されたり返したりしつつ玄関を潜ると、ちょうどルキアがエントランスホールに出てきたところだった。
これから出かけるという風情ではないし、手隙なら出迎えてくれるのはいつものことだ。
ただ、今日の彼女はどこか不機嫌そうだった。
フィリップとフレデリカをじっと見つめ、形のいい眉を不愉快そうに顰めている。
怒られる理由に心当たりのないフィリップは「ただいま」と振った手をそろそろと下ろし、何かしただろうかと記憶を漁る。
「お帰りなさいフィリップ。……珍しい客人ね」
「ご無沙汰しております、聖下。本日も──」
「挨拶は結構よ。それよりフィリップ、どうしたの? 朝と服が違うし、魔力にブレがあるわ。どこか怪我をしてるでしょう」
フレデリカの流麗な所作の礼を、ルキアがぴしゃりと遮る。
内包する魔力で僅かに輝く赤い双眸を向けられ、フィリップはなるべく無駄な心配をかけないよう頭の中で言葉を練り始めた。
しかし話し始めるより先に、エントランスホールに新たな人影が現れた。
血溜まりを歩くためのハイヒールを硬く鳴らし、死ぬほど不機嫌そうな顔をしたミナが。
「今日は武器を取りに行くという話だったけれど、どうしてフィルの血の匂いがするのかしら」
不機嫌、というか、殆ど怒気に近いものを放ちながら近づいてくる、人間を喰らう化け物。
その存在感と威圧感は、精神ではなく肉体を、動物的本能を刺激し警鐘を鳴らす。
エントランスホールにいた使用人たちとフレデリカが身体を強張らせ、一瞬だが逃げ出したそうに足の位置を変えるほど。
部屋に居たはずのミナが降りてくるほどの怪我なのかと心配そうな顔になったルキアと、不随意に怯える肉体に不便そうな顔をしているフィリップだけが平常心だった。
ミナはフィリップの前に立つと、身を屈めて胸元に触れる。
そして一息に、ボタンを引き千切ってシャツの前を開けさせた。
「ちょっ!? これ借り物なんだけど!?」
「後で繕わせるか、新しいものを買いに行かせるわ。いいから動かないで」
別に「返して」と言われたわけではないが、事が済んだら衛士団に返すつもりでいたフィリップは悲鳴にも近い声を上げる。
しかしシャツの下にあった大仰な包帯を見て眦を吊り上げたルキアが、強く硬い声で黙らせた。
ミナの指が正中線をなぞると、包帯とガーゼだけが綺麗に裂けて傷が露になる。
錬金術製の特殊止血剤で完全に塞がっているとはいえ、治ったわけではない。肩から腹にかけて伸びる毒々しい赤色の傷に、ルキアとミナの眉間に剣呑な皺が寄った。
「あぁ──あの気色の悪い死体喰らいにやられたのね。すぐに治してあげるから、終わったらシャワーを浴びてきなさい」
「死体喰らい?」
「えぇ。グール、とか言ったかしら。偶に私たちの食べ残しを持ち去っていく、気色の悪い連中よ」
ミナは何かの魔術で自分の指先を切ると、傷をなぞって血を塗り込む。
裂傷も傷口周りの腫れもたちどころに引いていき、数秒後にはまっさらな肌に戻っていた。
「ありがとうミナ。それでえっと、グール……って何? 魔物じゃないことは分かってるんだけど、死体を食べるの?」
尋ねつつ智慧を漁るフィリップだが、該当するものはない。
神格に連なるモノや地球外存在ではないのか、或いは存在規模が低劣でシュブ=ニグラスの目に留まらなかったのか。
旧支配者イグの末裔だという蛇人間が智慧に無いので、「智慧に無いからただの生物」というわけではないのが辛いところだ。
まあフィリップの領域外魔術なんぞで殺せた辺り、それほど強い種族ではないのだろうけれど。
「殺しても死体が消えないから、生物でしょうね。魔力規模もヒト並みだし。……犬やカラスだってヒトの死体を食べるし、そういう生き物が居ても不思議はないでしょう?」
「あぁ、確かに……?」
言われてみれば、と納得は出来る。
だがアレは、明らかに人外の風貌でありながら衛士団の目を掻い潜り、明らかな知性を持って襲ってきた。
しかも目に付いた通行人を襲ったりするのではなく、わざわざ民家のノッカーを鳴らし、出てきた人間を奇襲するという方法で。
犬やカラスと同列に扱うのは危険だ。
かといって、同じく食人種である吸血鬼と比べるには弱い。
フィリップが本格的に思考に浸ろうとすると、ミナがぱちりと手を叩いて意識を引き戻した。
「それより、早くシャワーをしてきなさい。微妙に臭いが付いているわ」
「あ、うん」
フィリップは「また後で詳しく話しますね」とルキアに断りを入れ、自室に戻っていく。
その背中がエントランスホールから見えなくなったのを確認して、ルキアはフレデリカに向き直った。
「……それで」
──空気が変わる。
フィリップが負傷して帰ってきたときよりも、服の下に巻かれた包帯や痛々しい赤色の傷を見たときよりも、なお冷たく、硬く、重く。
その場に居合わせただけの使用人たちが思わず身震いし、職務上許される者は足早に立ち去るほどに。
「貴女は巻き込まれたのかしら。それとも、フィリップを巻き込んだのかしら」
「……あぁ、そうね。妙な死臭を纏っているから近づきたくなかったのだけど、そういう可能性もあったわね」
二対の赤い双眸に見つめられて、フレデリカは弁解しようと口を開くことも出来なかった。
彼女らの感情は殺意には至らない。
殺意であれば、フレデリカはもう塩の柱に変わっているか、串刺しになって磔にされている。
まだ疑念程度。だからこそ、まだ生きている。
ただそれだけの感情の昂ぶりで、心臓が止まりそうなほどの魔力が漏れている。
「私、これでもフィリップのことはよく見ているつもりなの。言っておくけれど、あの子が隔意を持つなんて、ものすごく稀──決闘を申し込まれたってそうはならないわ」
フィリップは割と、外から好感度が分かりやすいタイプだ。
そもそも感情を表に出すと付け入られるという考えが無いから、好意を言葉や態度で表すことに躊躇が薄い。恥ずかしがることもあるので、全く躊躇いが無いわけではないけれど。
それだけに、親しい相手と他人の区別がはっきりしている。
ルキアやステラはこの際置いておくとしても、ウォードやマリーのことは師匠として尊敬しているし、モニカのことは常に気に掛けていた。
フレデリカにもよく懐いていたし、用事が無くてもお茶するためだけに家を訪ねていたくらいだ。
対して、それ以外の者に対する興味関心は殆ど無い。
ディアボリカに片腕を吹き飛ばされた時だって、王都の美味しいご飯とふかふかのベッドという単純なメンタルケアによって、何の後腐れもなくなったほどだ。
0か100、というほど極端ではないにしても、0か1か10、程度には大雑把な目盛りしかない。
あったはずの好意がなくなっていれば、すぐに気付く。
「貴女には恩がある。私もステラも、貴女の発明品に命を救われたから。けれど──貴女がフィリップを利用しようとしているのなら、私はそれを忘れるわ」
ルキアは不愉快そうに眉を顰めながらも、はっきりと言い切った。
忘恩など、彼女の定義する“美しさ”からはかけ離れた行為だ。
だが、では恩義を理由にフィリップへの悪意を見逃すことは美しいかという自問には、即座に否定を返す。
自己矛盾──なんて、大層なものでもない。
矛盾が成立するのは、両者の強さが同じ場合だけだ。
恩人である。恩義には報いるべきである。それはまあ、そうなのだろう。
フィリップを利用しようと企んでいる。
それはつまり、フィリップの敵であることと同義であり、フィリップの敵であることはイコール、ルキアの敵だ。
そしてルキアにとって──“粛清の魔女”にとって、敵は殺すものだ。
恩人であろうと、家族であろうと、親友であろうと、敵として眼前に立つのなら容赦はしない。
その大前提を矛としたとき、防ぎ得る盾は存在しない。
ただ──指の一弾きで殺せる相手、羽虫と同等の重みしかない命を前に、「殺すぞ」なんて愉快な台詞を吐いてしまう程度の忌避感はあった。
反対に、ミナにはフレデリカを害することへの忌避感が全くなく、代わりにルキアほど確固たる意志を持ってもいなかった。
「そうね。別にあの程度の怪我、目くじらを立てるほどのものではないのだけれど……」
ミナはいつものように気だるげに、
肩から腹を袈裟に切り裂く大きな傷だった。
胸腔内や腹腔内に達していなかったから普通に歩いて帰ってきたが、もう少し深ければ死んでいたかもしれない。
だがミナにとっては軽傷だ。血の数滴で治るし、痕も残らない。訓練中の事故では、エレナや、ミナ自身がもっと深い傷を負わせたこともある。
そう怒るような傷ではない。
しかし、だ。
「ペットが怪我をさせられたこと。それ自体は不愉快なのよね、とても」
そして、ミナは吸血鬼──人間に優越し、人間を喰う化け物である。
不愉快だからという理由があるだけまだマシで、なんとなく目に付いたから、そこに居たからという理由にもならない動機で人を殺す。
人類最強の魔術師の怒気と化け物の殺気に当てられて一歩も動けなくなったフレデリカの、思考の止まった頭を吹き飛ばそうと手を伸ばした。
死ぬ、と、フレデリカの脳ではなく身体が理解する。
逃走は不可能。説得も不可能。抵抗など望むべくもない。
しかし──ミナはともかく、ルキアはそこまで短絡的ではなかった。
「待って。まずは何があったのか、もっと詳しく聞かないと。」
流石に「怪しいから殺す」というのは、恩人相手には不誠実が過ぎる。
本人から話を聞いて、フィリップにも確認を取って、それからだろう。
とはいえ。
「私は支配魔術を使えないし、呼べば来るところに居る従者は拷問下手を自認しているのよ。だから素直に、ありのままを話して貰えると嬉しいわ。……取り敢えず、場所を移しましょう。まずは応接間に」
言って、ルキアは先導するように歩き出す。
彼女が口にしなかった言葉の最後は、「場合によっては墓場に」なのだろうと察しがついたフレデリカは、ぞくりと背筋を震わせて後を追うしかない。
恩義と美意識を合わせても釣り合わない程度には、ルキアがフィリップに向ける感情は重かった。