なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 屋敷の扉が全て開いていたおかげで、フィリップは無駄なクリアリングをせず素早く男爵の居室を目指すことが出来た。

 端から応接間のある最上階を目指してはいたが、追跡者の足を最も鈍らせる「どこかに隠れて奇襲するつもりではないか」という懸念が無くなったのは大きい。

 

 フィリップは男爵の居室に人の気配を感じ、歩調を緩めて警戒しつつ踏み込む。

 移植されたハスターの触手なんかどうでもいいが、扉の裏で短剣を構えて待たれていると危ないからだ。

 

 危惧していた奇襲はない。

 どころか、部屋の中には誰もいなかった。

 

 ほんの数秒前、フィリップが最上階に上がってきた時には、確かに人が動く気配がしていたのに。

 

 「……転移魔術か? 羨ましいなあ、全く……」

 

 ブツクサと文句を垂れながら魔法陣を探すと、案の定、カーペットの下に邪悪言語で描かれた魔法陣が刻まれていた。

 

 その文字や記号の意味は分かる。

 だから魔法陣の内容──記述された魔術式を理解することは可能だ。

 

 しかし、一言一句同じものを書くのは難しい。単純に文字や記号といった構成要素の数が多く、配置や形状を覚えるのが大変だ。

 公爵邸の自室と投石教会に一つずつ書いておけば、マザーに会いに行くのに一等地から二等地までの結構な距離を移動する必要も無いのだけれど。

 

 「……ふむ」

 

 便利な魔術に対する羨望はともかく、今の最優先目標は教祖。カルト狩りだ。

 しかし転移魔術は転移先の様子が分からない上に、視界が一瞬で切り替わるから周辺把握に多少の時間を要する。つまり奇襲を受けるリスクが、部屋に入る瞬間どころではなく高まる。

 

 迂闊に突っ込めば、今度こそ奇襲を受ける可能性がある。

 カノンが居れば突撃させるのだが、アレは王都に置いてきた。シルヴァを戦闘に巻き込むのは論外。第一候補のメイドは、今は外で掃除中だ。

 

 「……ハスター。化身をもう一体増やせませんか?」

 「不可能ではないが、それだけ絡まれるリスクが増える。自慢にもならないが、旧神やそこいらの旧支配者よりは余程強いのでね。要らぬ恐怖を与えてしまうだろう」

 

 誰もいない部屋の中、宛ても無く投げかけた問いに、何処からともなく答えが返される。

 

 主なき声に、仰る通り、とフィリップは一人頷いた。

 ()()()ともなれば、いくらハスターの擬態精度が高いとはいえ、神格には露見するだろう。

 

 勿論ハスターなら大抵の相手には勝てるだろうが、邪神対邪神の戦闘になってこの星が無事である保証はない。要らぬリスクは負うべきではない。

 

 「……じゃあ、まあ、仕方ないか」

 

 出来る限り気を張って、フィリップ自身が突入するしかない。

 カルトに奇襲されるなんて考えただけで鳥肌ものだが、ここで怯んだらカルトを取り逃がすことになる。

 

 それはない。

 その選択肢は存在しない。

 

 「よし……」

 

 フィリップは腕を吊っていた三角巾を外し、左腕を自由にする。

 流石にギプスまでは外さないし、そもそも石膏ギプスは一瞬で外せるものでもないが、これで咄嗟の盾くらいには使えるだろう。

 

 一度の深呼吸で覚悟を決めたフィリップは迷いのない足取りで魔法陣の上に立つと、即座に魔力を流し込んで魔法陣を起動した。

 

 視界が一瞬で切り替わり、不連続な情報に脳が混乱する。乗り物酔いにも似た思考と視界の揺れは、奇襲に対してあまりにも大きな隙だ。

 

 しかし、その隙が突かれることはなく、フィリップの警戒は杞憂だった。

 

 「……え?」

 

 そこは窓のない石造りの空間──どうやら地下らしい、ひんやりとした湿気のある空間だった。

 縦横3メートル、天井まで2メートルくらいの、小さな部屋。その中央に置かれた石棺と、空気の対流が無いせいで、実際以上に狭苦しく感じる。入口らしきところが重厚そうな鉄扉なのも拍車をかけていた。

 

 部屋の中には誰もいない。

 石棺は人間の大人サイズだが蓋が無く、何も入っていないことが分かる。

 

 「……そこはハスターの死骸とか入ってるべきじゃないの? なにここ?」

 

 フィリップは困惑しつつ、鉄扉を開けて部屋を出る。

 鍵は掛かっていなかった。どうやら待ち伏せが無いどころか、閉じ込める罠でさえないようだ。

 

 石室を出ると、そこは荘厳な……というには貧相だが、一見してそれと分かる、教会建築の空間だった。

 

 特徴的な装飾の施された柱に、多くの信徒を収容するための長椅子。ただし聖女像があるべき場所には何もなく、聖典が置かれているはずの祭壇には、今は一人の人間が横たわっていた。

 

 「……男爵?」

 

 見覚えのあるスーツ姿で、祭壇の下には杖も落ちている。

 アズール・ファミリーのボス、ヨーゼフ・フォン・ラズワルド男爵で間違いない。

 

 教祖に拉致されたのだろうが、少し引っかかる。彼自身が話してくれた内容によれば、アズール・ファミリーとアンバー・ファミリアの抗争は、ずっと前から徹底した殺し合いの域にある。ボスを拉致して交渉、なんて段階は、とうに過ぎているはずだ。

 

 フィリップの呼びかけに応える気配はなく、意識があるのかも判然としない。

 

 近づいていくと、祭壇の傍に何かが落ちてきた。

 人間大のなにか。湿った音を立てて床に広がったそれは、動きを逆再生したような不自然さで起き上がる。

 

 立ち姿は明らかに人間のものではなく、触手とも粘液ともつかないものの塊だった。

 どす黒い黄土色をした粘体は、奇妙な動きで蠢きながら近づいてくる。フィリップがそいつからハスターの気配を感じたのと同時に、再び無人の空間から声がした。

 

 「──速やかに離れることをお勧めする。それは例の教祖が私の遺骸を大量に──恐らく残っていた全てを取り込み、変性したモノだ。もはや人間の要素は残っていない」

 「わざわざ警告するレベルですか」

 

 ならば最低限、邪神の大雑把な視座から見ても「人間には優越する」とはっきり分かる存在になっているのだろう。

 

 普段のフィリップなら、だからどうした、と嘲笑う外神の視座を押さえつけ、人間的な警戒心を優先して対応する。

 しかし、ここ数日のフィリップは普段通りではない。

 

 心の赴くままに振る舞い、邪神を従え、人間らしさやそれに対する拘泥を忘れている。

 

 街一つスケールの大規模な狩りが出来て、しかも旅行先だから周辺被害を出しても大事な人が巻き込まれない。ルキアとステラの位置は確定しており、彼女たちに近づくものはまずノアを突破しなくてはならない。ミナは遠くに居て、エレナもリリウムも王都。

 

 何も気にしなくていい──何をしてもいい。

 

 そんな状況で、フィリップは浮かれに浮かれているのだった。ずっと──帝都に来る前からずっと。でなければ、流石に腕が折れたときに気持ちを切り替えている。

 

 「私が臣下に力を与える時の術法が使われている。人間なんぞに使えば間違いなく破綻するし、事実、それはもう教祖とは関係のないモノになっている。私の力の塊だ」

 

 主無き声は無機質で、感情など読み取りようが無い。

 しかし、フィリップはその声から、どこか焦ったような気配を感じた。

 

 「……なんか、近付いてくるんですけど?」

 

 粘体はうごうごと蠢きながら這いずり、フィリップの方に寄ってくる。

 敵意は感じないし、攻撃してくる様子も無いが、動きは意外なほど素早い。

 

 見た目が気色悪く、触られたくも無かったフィリップは、距離を一定に保つよう後退る。粘体は更に追ってきた。

 

 「速やかに離れ給え。触れれば私の力が君に流入し、身体が爆発四散して死ぬか、最悪、旧支配者の幼体クラスの別生物へ変生する」

 「は!? もっと早く言って下さいよ!?」

 

 とんでもないことを言われて、フィリップの後退速度が跳ね上がる。

 死ぬことより人間でなくなることの方を「最悪」と評したフィリップへの理解度を褒めたいところだが、そんな余裕も無かった。

 

 粘体との距離が大きく開いた直後、それは一条の触手を伸ばし、槍のように撃ち出した。

 

 「っ!?」

 

 一見して流体でありながら、それは剛性を持っていた。

 しなりうねるといった複雑な動きをせず、一直線にフィリップの腹を狙う。流石にそこまで単調な動きに対応できないはずもなく、龍貶しの一閃が黒い触手を斬り飛ばした。

 

 地面に落ちた断片はどす黒い水溜まりになったが、近付いた本体が触れると吸収された。斬って防げはするが、消耗はさせられないようだ。

 

 「攻撃してきましたよ!?」

 「触れようとしただけだろう。外神の気配を色濃く纏う君に近づくはずがないと思っていたが、今だけは例外か」

 

 考察を語る声も相変わらず無機質だが、フィリップには苛立ちを覚える余裕も無い。

 触手は次々に繰り出され、躱し、斬り払うので精一杯だ。

 

 「っ、そうか、今の僕には──」

 「そうだ。私の──ソレと同源の気配が染みついている。原始的本能で動くソレは、君を積極的に取り込もうとするだろう」

 

 声の裏に感じる焦りにつられたように、フィリップにもじわじわと焦燥感が湧き上がる。

 粘体の動きは単調だが、攻防が続けば疲労も溜まるし、ミスをする可能性も高まっていく。そしてさっき、ハスターは「触れたら」と言っていた。

 

 これは不味い。

 教祖がこうなった以上、もはや追撃を急ぐ理由は無いが、持久戦では不利過ぎる。

 

 「その位置はまだ置き換えていないし、人間の化身は掃除中だ。自力で対処するか、三体目の化身を使うかだが──あぁ、不味い」

 「何!? この状況より不味いことって何!?」

 

 単調だが不規則に連続する攻撃──いや、接触を防ぎながら、フィリップは一人怒鳴る。

 テレパシーが使えない以上は仕方のないことだが、傍目には恐慌状態に見える。というか実際、物凄く焦ってはいるのだが。

 

 どう見ても目も脳もない相手だし、『拍奪』が通じるわけがない。

 離れても触手攻撃が飛んで来る上に、斬り飛ばしても再吸収されて隙が無い。つまり、邪神を呼ぶだけの時間が無い。

 

 流石にこの状況で「別の邪神に絡まれるかも」という危惧は、一旦捨て置くべきだろう。未来の危険に拘泥しすぎて今死ぬのは馬鹿すぎる。

 

 何か策は無いかと考えても、何も思いつかない。

 この状況以上に不味いことがあるのなら、それこそ「別の邪神が絡んできた」くらいのものだ。

 

 そして──残念ながら、()()だった。

 

 「それが彼女の目に留まった。いるだろう? 君を変生させるに最も相応しい神が」

 

 血の気が引くという体験を、フィリップは久々にした。

 脳、顔、首と順番に冷えていき、体中の血液が足元から流れていったような感覚を味わう。

 

 衝撃のあまり動きが精彩を欠くが、繰り出された触手はどうにか切り払った。

 

 だが、不味い。

 それは本当に不味い。

 

 こんな状況なんかより、もっとずっと。思わず「なんで?」なんて口走ってしまうほど。

 

 「いいかい、彼女は視座が高く、君に対する危険や悪意に鈍感だ。ナイアーラトテップやマイノグーラが苦言を呈するほどにね。しかし、彼女は別に、寛容なわけではない。しかも変生は彼女の得意とするところであり、君が最も嫌うことだ」

 

 ハスターの語り口調は一貫して機械的に無機質だったが、今やフィリップにもはっきりと焦りが感じられた。

 だが、焦っているのはフィリップも同じだ。邪神と同じ危機感を共有している、というか──邪神が人間のように怯えている。

 

 「彼女は君に対する危険には鈍感だが、君の感情には敏感だ」

 「つまり何!? どうなるんです!?」

 

 どうすればいい、とは、フィリップは聞かなかった。

 人間程度が何かして、どうにかなるものでもないだろうと考えて。

 

 それは間違いではないが、地下に居るフィリップより多くのものが見えているハスターは、どうするべきかを答えた。

 

 「大きく息を吸って止め、頭を庇い給え。すぐに私が掘り起こす」

 「──は?」

 

 フィリップは奇しくも一時間ほど前に自分が怒り、嘲笑ったマフィアと同じことを考えた。

 何を言っているのか。目の前に触れたらアウトなモノがいて、そんなことは不可能だ、と。

 

 そして──地下聖堂は蹄を持つ巨大な足に踏み抜かれ、完全に崩壊した。

 

 

 

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