なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
帝都西部、ラズワルド男爵邸周辺では、悲鳴と怒声が飛び交っていた。
家が吹き飛んだかと思えば、大量の瓦礫が降る中を、触手の槍が土煙を突き破って殺しに来る。
道を走って移動していたら、地下からいきなり触手が飛び出してきて串刺しにされ、或いは吹き飛んだ地面と一緒に宙を舞う。
路地に身を隠すと、いつの間にか背後に回り込んでいたカルトのナマクラな武器に襲われる。
勝手知ったる町の、最も知り尽くし、そして最も重警備だったはずの場所で、彼らは苦しい防戦を強いられていた。
「クソ、こいつら、何処から湧いてきやがるんだ!?」
出現位置が分からないのが、その最たる理由だ。
道ではなく家の屋根から降ってくる、或いは家を吹き飛ばして現れるのは、十人長だけ。それは分かる。十人長自体が超常的な身体性能を持つわけではないが、あの触手があれば、家の屋根を飛び越えることも、建物自体を破壊することも出来るのだから。
しかし、通常のカルトでさえ、味方が健在のはずの方角から攻めてくるのは不可思議だった。
十人長が十人長をぶん投げるという砲撃は、化け物同士だからこそ成立する奇策だ。砲弾を人間に変えたら、着地の衝撃でバラバラになるだろう。
しかも静かで、予兆が無い。
何かが飛んできたとか、仲間が殺されて防衛網に穴を作られたとか、そんな気配が微塵も無いのに、防衛線の内側や、さっきクリアリングしたはずの路地から現れる。
度重なる奇襲によって、戦線はもはや崩壊寸前だった。
邸宅外周から外縁部へ、そして外壁を破られ庭園へと押し込まれ、いよいよ後が無い。
「駄目だ退くな! もう後ろには屋敷しかねえんだぞ!」
戦線を離れて後退しようとしたマフィアの男に、最終防衛線の一人だったジャックが吼える。
怒号に身を竦めて足を止めた男は、怯懦に満ちた表情で振り返った。
「けど──」
「逃げんのか!?」
言い募ろうとした言葉を、ジャックは声量で叩き潰す。
普段の彼らなら、敵を前にして逃げるのかという挑発はよく効いただろう。
しかし、もはや状況は普段の小競り合いや喧嘩の域ではない。
「っ! だって、あんな化け物に勝てるわけ──」
男は怯みつつも言い返す。
十人長と一般人の戦力差は絶大だ。荒事に慣れたマフィアが怯え、敗北を確信してしまうほどに。
しかし、ジャックとてそんなことは分かっている。
「
低く野太い怒声は戦闘音や悲鳴の間を縫って、屋敷の庭に広く届いた。
そこで戦うマフィアたち、カルトたち皆が、その声を聞いていた。
「俺たちの
怒声は激励だった。
防衛線の後退が止まり、十人長のいない場所では押し返し始める。
アズール・ファミリーは契約を守る。
一度交わした契約は、たとえ途中で聖痕者が敵対してきたとしても、最後までやり遂げる。
それが彼らの美学であり、ドグマだ。
誓いの血を流す彼らは家族であり、契約を破ることは血を穢すこと、家族を裏切ることだ。だから契約を破った者には、組織から罰が下される。
そして彼らが組織に入って最初に交わす、血の誓約は、彼らの
帝都で奴隷とされ、或いはまともな職に就けず、職を見つけても軽く扱われ。
その果てに暴力や詐欺といった犯罪行為に手を染めて生きることを選んだ、ドロップアウトたちの最後の受け皿。
血を理由に虐げられた者たちに、誇りある血を与えてくれたのがアズール・ファミリーだ。
恐怖に溺れて忘れていたそれを、彼らは再び思い出した。
激化した戦闘音に満たされた庭の中を、静かに通り抜けてくる人影が二つ。
一つは左手を負傷してギプスと三角巾で固定した子供。負傷を除けば身なりは良く、貴族の子息にも見える。
もう一つは戦場にあっては不自然な、しかしその不自然さすら忘れさせるほど気配の希薄なメイドだった。
「──戦って死んだ仲間に恥じぬよう戦う、と聞くと美しく聞こえるけれど。戦って死んだ奴が居るんだからお前も戦って死ね、っていうのは、仲間を死地に立たせる言い訳にしては残酷だ」
街中や邸宅外周部にいたカルトを狩って回っていたフィリップは、漸く戦場の中心に着いたところだった。
参戦が遅れて獲物の取り分が減ったことにやや不機嫌だったのに、今は塀の外に居ても聞こえるほどだったジャックの声に笑っていた。
「仲間が守ってくれた命なら、逃げてでも繋ぐべきなんじゃないの?」
「そうかもな」
ジャックは端的に頷いて、フィリップの言葉を一旦は認める。
しかし、彼には確固たる思想と信念があった。
「だが、煉獄か地獄かは分からんが、先に逝った連中ともいずれ再会する。その時、仲間もボスも見捨てて逃げたなんて言ったら、死んだ後にも殺し合いだ。そんなのは御免だろ」
死後生は一神教のポピュラーな考え方だ。
死後の再会が共通認識だからこそ、死別することは寂しいが、死そのものは悲しむことではないという意識が根付いている。
それは王国でも帝国でも変わらないらしい。
フィリップはそんなことを考えながら、ジャックの言葉に頷いた。
「死後に仲間と殺し合うぐらいなら、いま化け物と戦う方が百倍マシだ」
「……そうだね。死後くらいは平和で、何の苦しみも無く過ごせたらいいと、僕も思うよ」
死んでしまった愛すべき馬鹿な仲間と、判断を誤ったせいで死なせてしまった少女のことを思い出す。
彼らの死後が非存在の虚無でなければ、せめて現世とは全く無関係の、切り離された安寧の世界であることを切に願っている。
……というか、草葉の陰とか天空から見守られたりすると、今度こそ逃げ場のない狂気が待っているので、せめてこっちは見ないで欲しい。流石に死人を再び殺すのは神の領分だし、フィリップがどうにかしてあげられる範疇を出る。
そんなことを考えているフィリップと彼らとでは、実のところ全く嚙み合っていないのだが、少なくとも表面上は──言葉の上では、三人の意見は一致していた。
そのことに安堵したのか、ジャックは更に言葉を続ける。
「世界はクソッタレだから、最後まで戦って死ぬ。俺たちみたいな罪人は、どうせ地獄に行くんだ。なら、地獄で仲間と笑い合える死に方をすべきだ。そうだろ?」
「そうかもね。でも、僕は──普通に生きて普通に死ぬのが、一番幸せな死に方だと思うよ」
フィリップの声は淡々としていて、静かだった。
「謎の化け物に殺されて死ぬのは普通じゃない。ここで逃げ出して、後からマフィアの殺し屋や暴力担当に殺される方がまだマシ。そっちの方が、人間の死に方として正常だ」
断言するような語り口調。
それでいて自信や誇りのようなものは感じない、ただ事実を述べているだけのような声。
それは、マフィアたちが何故か萎縮してしまうような厳かさを持っていた。
「病気でも事故でも戦争でも、或いは裏切りの代償を支払ってでも、おじさんが幸せだと思う死に方を選べばいいよ。その判断はおじさん自身の価値観によって下されるし、そこに他人の意思は介在し得ない。たとえ家族であっても、主君であってもね」
「お、俺は──俺は、このクソッタレな世界で兄貴に救われた。ファミリーの一員になったおかげで、お袋に不自由ない生活をさせてやれてる。……あんたを見捨てて逃げたら、俺は死ぬまで後悔し続ける」
男はジャックを真っ直ぐに見据えて、断固たる決意を感じさせる声で言った。
「後悔に塗れた死は、幸せな死じゃねえよな」
「……」
窺うようにフィリップを一瞥した彼に、フィリップは無言のまま、肩を竦めて笑った。
率直に言って、フィリップはそんなつもりで──戦わせるつもりで言ったわけではなかった。
後悔に塗れた死、未練に満ちた死。
とはいえ、フィリップは別に、彼の庇護者でもなければ友人でもない。見ず知らずの他人の死に様に、それほど拘泥は無い。
戦わせるつもりで言ったわけではないが、逃がしたくて言ったわけでもない。ただ、ジャックの言葉が面白かったから、感じたことをそのまま口にしただけだ。
彼はジャックとフィストバンプを交わすと、鬨の声を上げながら、今にも屋敷の敷地内へ入りそうだったカルトに突撃していく。
「うおぉぉ──」
そして、咆哮は掻き消された。
援護するように駆け出したジャックと、メイドに言いつけた作業の完了を待っていたフィリップの耳に届いたのは、地面を震わす衝撃音だ。
横から伸びてきた黄土色の触手が、男と、近くに居たマフィアたちを纏めて叩き潰したのだった。
出処を辿って視線を向けると、庭の塀を乗り越えて侵入した十人長が立っていた。
「クソ……!!」
「下がりなよジャック。それは無駄死にだ。地獄で仲間に叱られるよ」
即座に剣を構え、駆け出そうとしたジャックの腕を掴む。
振り払われたらそれまでだったが、ジャック自身、それが感情任せの短慮であることは自覚していた。
彼は素直に止まって防御の構えを取る。
フィリップは手を放し、その横をすり抜けるように前に出た。
「君はどうだ? 死の安寧に値する、同情すべき被害者か? それとも、無惨な死が似合いのゴミクズか?」
「おにいちゃん、なに……?」
無造作に近づいてくるフィリップを認め、十人長が小さく疑問の声を上げる。
声と体格からして、またしても十歳程度の少年のようだが、言葉がかなり不明瞭だった。喃語というほどではないが、幼児のようだ。
「僕かい? 僕は──君に正しい死を与える処刑人だ。君が無抵抗でいれば、僕は君を救うべきものと見做して、速やかで苦痛のない死を与えてあげよう」
フィリップは努めて優し気な声を作りつつ、死神の如き足取りで距離を詰める。
「……や、やだ」
泣きそうな声の呟きに、フィリップは思わず足を止めた。
しかし停止は一瞬で、歩調はすぐに元通りになる。再接近する死神に、少年は再び恐怖に満ちた悲鳴を上げる。
「や、やだ! やだぁ!」
少年は覚束ない足取りで後退ろうとして、脚をもつれさせて尻もちをついた。
その拍子に外れたフードの下には、やはりまだ幼い少年の顔がある。
しかし、その双眸には理性の輝きが無く、恐怖と絶望に淀んでいる。
蒼褪めた顔からは感情が抜け落ち、仮面のような無表情だった。
「……そんな様になっても、まだ生きたいの?」
「や、やだ! しにたくない!」
無表情のまま虚ろな目から涙を流し、少年は懇願する。
まさか生を望むとは思わなかったフィリップだが、やることは決まっている。小さく溜息を吐き、背後に控えていたメイドを振り返った。
そこでようやく、少年もメイドの存在に気が付く。
これまで気付いてさえいなかったというのに──それだけ気配遮断能力と擬態能力が高いことの証左だが──、少年は驚愕に目を見開き、尻もちをついたまま這うように距離を取ろうとする。
「あ、あぁ、ああ……!」
声どころか身体まで震わせる少年に痛ましさを覚え、フィリップは僅かに咎める色の乗った視線を背後に向けた。
「……神威か気配か、漏れてませんか?」
「無茶を言わないでくれ。君に分からない程度なら私に分かるはずもないだろう。一応、今の私は外部も内部も魔力情報もヒトのはずだが」
まあ、そういうオーダーはした。
万が一、ルキアやステラの目に触れても、ノアと接触して怪しまれたとしても、誰も発狂させず、誰にも人外だと悟られることのない化身を象れと言った。
フィリップには判然としない顔面の形状も、他の人の反応を見る限り「普通に美人」程度の──美しすぎず醜くもなく、背景に埋没する程度の顔立ちに見えるのだろう。
少なくともルキアやステラのように居るだけで空間が華やぐ美しさや、マザーやミナのように背筋が凍るほどの美ではない。
となるとやはり、少年にだけ分かる何かがあるのか。
「ふぅん。……なら、似た者同士で感じるものがあったんでしょうか」
「ソレと私を並べて語るのは、なんとも外神らしい大雑把さだ」
抜け毛を拾って遊んでいるモノと並べて語られ、メイドは呆れたように肩を竦めた。
流石のフィリップも今のは大概だったと苦笑を返し、呆然と二人を見上げる少年の方に向き直った。
「さて……君がそれを望むのなら、勿論、生かしてあげることも出来る。ただし、君の化け物の部分を引き剥がし、記憶を消し、無害化させてもらう。いいね?」
「気は進まない」と明記された顔で言ったフィリップ。
しかし、メイドによる実行には待ったがかかった。
「は? 待てよ」
戦闘にならないらしいと察したジャックは、いつの間にかメイドの少し後ろまで近づいていた。
彼はメイドが動く前にその横を通り抜け、フィリップの肩をがしりと掴んだ。
「お前、正気か? そいつはたった今、俺たちの目の前で──!!」
「
ジャックに振り返らされたフィリップは、面倒臭そうな顔と面倒臭そうな声で、眼前の馬鹿が面倒臭くて仕方がないと言いたげな口調で返す。
少年はアズール・ファミリーの男を殺した。
アンバー・ファミリアの一員、それも十人長である以上は、これまでにも何人ものマフィアを、或いは罪のない一般人をも殺しているだろう。
そしてたった今、フィリップとジャックの目の前で、アズール・ファミリーの構成員を数人纏めて叩き潰した。
──そんなことは、フィリップにとって何ら判断要素にならない。
「お前──、っ!」
「予め言わなかったっけ? 僕はカルトを殺すけど、場合によっては殺さないこともある。だから君たちの指揮下には入りたくないと」
フィリップは本気で疑問を投げかけている。
苦痛を与えるために「殺せ」という命令にさえ背くことがあるだろうから、マフィアの指揮系統に組み込まれるのを嫌ったのは覚えている。しかしそれを彼らに、特にジャックに話した記憶はない。
もしかしたら記憶の曖昧な、初日の泥酔時に話したかもしれない……程度の認識だ。
ジャックは黙り込んでしまい、答えは返されなかった。
「まあ、とはいえ、だ」
フィリップはジャックの手をぞんざいに払い、少年の方に向き直る。
「……済んだよ。記憶は消したし、私の遺骸やその影響も取り除いた」
全く動く様子を見せなかったメイドは、事も無げに、事は済んだと報告した。
少年に触れてもいないはずだが、無意味な嘘を吐く性質でもない。単に触れるまでも無いだけだろう。
しかし、少年は虚ろな目のまま、ここではないどこかを呆然と見つめるままだった。
フィリップの予期した通りに。
精神が壊れ切っている。
記憶を消しても人格が戻らないほどに。
「……やっぱりね。結局、殺してあげた方がこの子のためだ。ジャックが復讐したいって言うなら、介錯役を譲ってあげてもいい」
無為な苦痛を与えないのならね、と言って、フィリップはジャックが剣を振りやすいよう数歩離れる。
彼は数秒ほど逡巡していたが、まだ周囲で鳴り続けている戦闘音に急かされるように剣を構えた。
「……クソっ! 釈然としねえが……!」
介錯は一瞬だった。
力を失って倒れる胴体も、少し転がって止まった頭部も、ジャックは涜さなかった。
蹴りつけるでも踏みつけるでもなく、ただ何かを堪えるような顔をして、じっと見つめていた。
ほんの一瞬。
本当に瞬きの間だけ、ジャックには戦場が静かになったように感じられた。
「……満足かよ」
ジャックに問われ、フィリップは小さく肩を竦める。
「それは僕の台詞だよ。気は済んだ?」
宥めるように、フィリップは静かな声で問いかけた。
不満そうな声を聞けば、答えは明らかだったけれど。