なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 転移魔法陣を通って逃げた教祖は、触手を振るって石の床を叩き割り、魔法陣を破壊した。

 この魔術は出入り口を二つしか設定できず、それらの魔法陣が片方、一か所でも破壊されると不通になるという特性がある。これで追撃は封じた。

 

 「……あれは?」

 

 老婆は肩で息をしながら、直前まで味わっていた不思議な感覚を思い出す。

 

 目と脳は、それを人間であると捉えた。

 しかし()()は、その直感を全力で否定した。

 

 ソレが人間であるはずがない。

 アレが人間であってはならない。

 

 人間(わたし)はアレの前に在ってはならない。

 

 神の力を、神そのものを取り入れた身体が恐怖に震えた。

 人間の部分だけで考えても60は年下の、孫が居たらそのくらいだろうという年頃の子供の前から逃げ出したくて仕方が無かった。

 

 老婆は長い人生の中で経験したことのない焦燥に駆られながら、触手を足のように使って素早くその場を離れた。

 

 移動した先は『琥珀の眷属(アンバー・ファミリア)』の本拠地である地下聖堂だ。

 かつてアンバー・ファミリアが『聖女の救済(カタリナ・サルベイション)』であったころ、公爵の計らいで用意された教会の内装がそのまま再現されている。保護していた子供が付けた柱の傷から、長椅子の背の落書きまで完璧に。

 

 ただ、聖女像のあるべき場所には何もなく、聖典の乗った祭壇があるべき場所には、人間一人が横たわれるサイズの無装飾な台があった。

 

 聖堂内には百人近い人影がある。

 誰もが一様に黄色と黄土色の中間くらいの汚れたローブを着ていたが、背丈や体格は様々だった。

 

 異形の老婆を見るや恭しく跪く彼らの間を抜け、彼女は最奥の演壇に立つ。

 ここに来るまでの道中で、既に方針は決まっていた。いや──端から方針など一つしかなかった。

 

 「この数日、皆が恐れているモノに儂も出遭った」

 

 しわがれた声が静寂に響く。

 教徒たちの間に一瞬のざわめきが起こるが、それはすぐに鎮静した。老いた教祖の声は細く弱く、誰かが咳払いやクシャミをした程度で容易に掻き消されることを、誰もが知っているからだ。

 

 「神の加護を受けた十人長を弑した彼のものは、皆の言う通りアズール・ファミリーに与し、我々を攻撃しておる。あのものの居る限り、我らは常に怯えねばならぬ。いや──あのものが動き続ければ、我らはあと七日と保たず瓦解しよう」

 

 アンバー・ファミリアがアズール・ファミリーと拮抗し、帝国中枢に武力投入による一掃を躊躇わせているのは、十人長──神格細胞移植者という化け物あってこそだ。

 彼らが全武力を投入しなければならないような状況を作ってしまえば、その化け物たちが帝都の至る所で暴れることになり、これまでの必死の秘匿が全て無駄になる。

 

 逆に、彼らは十人長を積極的に使わない──余人の目に触れさせていないからこそ、帝国が本腰を入れる(聖痕者投入)という最悪の状況を避けている。

 

 十人長は武力面だけでなく政治面に於いても、彼らを守る武器であり防具だった。

 超人的戦闘能力を有する彼らの暗殺は不可能。組織と神への忠誠心しか残っていない半廃人の説得などあり得ない。

 

 故に彼らは無敵であり、彼らを擁するアンバー・ファミリアも無敵だった。

 

 廃人と意思を交わし、化け物を殺す化け物が現れるまでは。

 

 「故に、我らは秘匿を捨ててでも停滞を破らねばならぬ。我らの悲願を果たすには今しかないのじゃ」

 

 老婆も含め、彼らは愚かではなかった。

 自分の知らないモノ、明らかに強いモノに抗おうとするほど、愚かでも勇敢でもなかった。

 

 彼らはそういうモノを知っている。抗いようのない強者を。

 帝都の空を舞う騎竜魔導士もそうだし、目に留まった異教徒を端から潮溜まりに変えた聖人もそうだし、彼らの庇護者である十人長も、彼らの神もそうだ。

 

 化け物は化け物であり、抵抗は愚行でしかない。

 しかし──彼らは別に、その化け物たちを殺したいわけではない。化け物殺しは、必ずしも必要なことではない。

 

 「今こそアズール・ファミリーを絶滅するとき! 今は亡き我が盟友の、奴らに殺された全ての同志の仇を取るときじゃ!」

 

 僅かに──フィリップには感じ取れないほど僅かに神威の乗った声が、地下聖堂に響き渡る。

 老婆のしわがれた声でありながら、強烈な覇気も感じさせる号令に、荘厳な空間には似つかわしくない憎悪と殺意に満ちた歓声が上がった。

 

 

 ◇

 

 

 その夜。

 信徒たちが慌ただしく戦争の準備を進める裏で、老婆は一人、地下聖堂を離れていた。

 

 訪れた先は帝都地上の片隅、彼らの古い本拠地だった場所だ。教会が取り壊された跡地は縁起が悪いとされて、30年以上経つのに空き地だった。

 

 「マイア。お前が逝って、もう40年も経っちまったね。連中を根絶やしにするのに、長くかかり過ぎた」

 

 懐古と悲哀の滲む呟きは夜闇に吸われ、誰に届くことも無い。

 周りには誰も居ない。今この時もカルトの姿を求めて帝都を徘徊しているフィリップも、彼ら全員が集まり、戦争の準備を進めている今日は釣果ナシだ。

 

 「儂らを裏切ってお前を殺したアズール・ファミリーを、今度は儂らが一人残らず殺してやる」

 

 深く強靭な決意と共に、老婆は過去を想起する。

 かつて盟友を失った日のことを。帝国に命じられ、純粋な帝国人(ピュアブラッド)ではないという理由で様々な不利を背負った人々を救うための、救済組織的な宗教団体を運営していた時のことを。

 

 二人は共に、一神教のシスターだった。

 救済事業は大変なことも多かったが、発案者の公爵だけでなく他の貴族からも多少の援助を受け、それなりに安定した結果を出せていた。

 

 ある時、盟友が持ち込んだ一冊の書物をきっかけに、二人は本物の神を知った。

 強大な力と深淵なる智慧を持つ、邪悪の貴公子。

 

 その神の前に、人間は平等であると知った。

 ピュアもワースも、富めるも貧しきも、老いも若きも、何も差異はないのだと。そしてその神に見え、知恵と力を授かれば、人間は人間という脆弱な存在から脱却できるのだと。

 

 二人の目的はそれになった。

 いや、目的自体は変わらなかった。変わらず、弱者の救済だった。

 

 そのための手段が、宗教的に結びついた共同生活という受け皿の確保と運用ではなく、劣等種からの逸脱に変わっただけだ。

 

 そしてその異変は、当時はまだ協力体制を敷いていたアズール・ファミリーにも知られるところとなった。

 当時のラズワルド男爵──現男爵の父──は、異民族征伐にも参加したことのある武人だった。そして両組織間の関係は殆ど中立か友好寄りで、構成員同士はともかく、中枢同士が顔を合わせれば世間話くらいはした。

 

 だからその日も、男爵は僅かな手下だけを連れて、二人のところにやって来た。

 唐突に教え広めはじめた独自の教義は、一体どういうつもりで、どういうものなのか。急激に増えた脱退者と行方不明者はどういうことなのか。そんなことを問い詰めるために。

 

 二人は彼にも“聖典”を見せた。

 しかし彼は愚かにもその崇高さを理解せず、携えていた剣で盟友を斬り伏せた。

 

 そして──そして彼はぐちゃぐちゃになった。

 連れていた手勢と同じ一塊になって、アズール・ファミリーとアンバー・ファミリアの友好関係は決裂した。

 

 アズール・ファミリーはアンバー・ファミリアをボスの仇だという。

 そしてアンバー・ファミリアにとっても、それは殆ど同じだった。

 

 だが、まあ、そんなことはもうどうでもいい。

 

 戦争が始まった以上、開戦の理由はそれほど大きな問題ではない。

 重要なのはどちらが勝つか。そしてこれは絶滅戦争だ。勝ちとはつまり、相手方の根絶。

 

 戦力的に、アンバー・ファミリアが勝つ可能性は十分にある。

 しかしそれは、アズール・ファミリーだけが相手だった場合の話だ。

 

 「……だが、ちょっと不味そうなのも居てね」

 

 帝国には切り札がある。

 帝都内にカルトが居るなどという醜聞を広めたくないがため、未だ本格投入されていない広域殲滅要員。騎竜魔導士隊とその隊長である聖痕者、ノア・アルシェ。

 

 アレが出てきたら終わりだ。

 いくら十人長が強力な個であり、それが多少の数で群れているとはいえ、帝都を湖に変えられる化け物相手では分が悪い。それが触手も届かない上空に居るとなれば、勝ち筋は無い。

 

 不安要素はもう一つある。

 アズール・ファミリーの隠し玉。神の細胞が怯える謎の子供だ。

 

 アレを前にすると、神の細胞が機能不全を起こし、十人長は疑似的に武装解除される。

 

 十人長を上から叩き潰せる暴力と、十人長の特殊性を奪う特殊存在。

 

 より不味いのは──。

 

 「今代の水属性聖痕者。あの方が出てきたらお終いだ」

 

 直接的な暴力。

 全面衝突になる以上、十人長が機能不全に陥ることは、もはや大きな問題ではない。

 

 十人長はまだ七人居る。

 分散して運用すれば、一人が無力化されても六人は戦力として十分な働きをしてくれるだろう。

 

 帝国外から聖痕者が集まっているという話だが、ここが帝都──帝国中心部である以上、皇帝もそう易々と支援要請をしないだろうし、聖痕者たちも迂闊に参戦してくることは無いはずだ。

 

 この戦争は十分に勝てる。

 老婆をはじめアンバー・ファミリアの、まともな思考能力を残している者は皆、楽観的にそう思って、無邪気にも勝利を確信していた。

 

 

 

 

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