なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 倉庫の梁には、総数二十近い黄土色の袋が吊られていた。

 内容物は糞の詰まった汚物。まあクソも汚物なので、汚物の塊と言ってもいい。

 

 赤黒い液体がじわじわと滲み出し、床に滴り落ちていく。

 水滴の音の涼やかさを皮肉に思い、笑い声を零すのはフィリップ一人だけ。

 

 ()()を梁に繋ぐのは、人間の部品と内容物で編まれた縄だ。

 ハラワタというのは意外と長く、脚は並の金属より延展性に優れるのだという、使いどころの非常に限られる知識をフィリップは得たのだった。

 

 「ど……して……あんなのが……」

 「神の思考や行動原理を考えたって無駄だよ。奴らは上位であればあるほど馬鹿になる。理性や合理で自分を律したり他人に合わせたりする必要が無いから、感情だけで動くようになっていく。僕みたいに「あ、街中でクトゥグアは召喚しちゃ駄目だったな」なんて思い直すような真面目さは期待しちゃいけない」

 

 数分前までは騒がしい少女だった塊が、何処にあるのかも分からない口で疑問を零す。

 挑発的だった声は、今やか細く震え、全文を聞き取るのも難しいほどだった。

 

 その前で木箱に腰掛けていたフィリップは、徐に立ち上がると椅子にしていた木箱を開けた。

 用量300ミリリットルほどの小瓶が緩衝材に包まれて並んでおり、瓶の中には僅かに粘度のある薄ピンクの液体が入っている。

 

 「……これは何?」

 「わか……ない……。そうこに……あった……」

 「錬金術の溶剤か何かだと思うんだけど……。まあいいや──ッ!」

 

 フィリップは小瓶を一つ取り上げると、少女だったものとは別の袋に向かって全力投球した。

 流動体の入った物体にしては綺麗な直線を描いて飛んだ小瓶は、狙い通りに命中し、少しめり込んでから涼やかな音を立てて割れた。

 

 「──!!」

 

 大絶叫が上がる。

 黄土色の袋の中がどうなっているのかは判然としないし、どこに当たったのかも分からない。体表面ではなく痛覚神経が剥き出しになっていても驚きはないし、それを思わせる悲鳴だった。

 

 「質問には正直に答えてくれ。でないとアレみたいな悲鳴を上げることになるよ」

 「わ……ない! ほんとに……いの!」

 

 泣き出しそうに震えた声に、ゴボゴボと溺水したようなノイズが混じる。

 ただでさえ聞き取りづらいというのに、そうなってはもう不快感すらあった。尤も、カルトの声という時点で不快ではあるけれど。

 

 「喚き立てるな、聞き取りづらい。落ち着いてゆっくり、一言一言丁寧に喋るんだ。君の神にそうするように」

 

 フィリップは努めて落ち着いた口調を作り、優し気な態度を取り繕って語り掛ける。

 だが、その努力はあまり意味が無いだろう。袋詰めにされ吊るされた彼女たちにとって、フィリップはもはや理解不能の化け物だ。

 

 「まあ、コレが何かなんてどうでもいい。聞きたいことは一つだけだ。いくら数十年続いたカルトとはいえ、人間が百人そこら集まったところでハスターの細胞も移植技術なんかも手に入るわけがない。どこかで、それを供給できるような本物の化け物に遭ったはずだ。そしてそいつは、ドロップアウトを宗教的つながりによって管理する集団を、本物のカルトに押し上げた。確かな智慧を持つ、本物にね」

 

 じわりと滲み出すような憎悪が、薄暗い倉庫の中に充満していく。

 ぴちゃん、と、赤黒く染みた袋から滴った水滴が、涼やかな音を立てる。

 

 「誰だ──そいつは今どこにいる。そんな愉快なことをする奴らを、僕は、偶然にも知っているんだ」

 

 フィリップが取り上げた小瓶が箱の縁に触れ、こつ、と硬い音を立てる。

 問いに答えなければどうなるか、誰もが先の悲鳴を思い出して理解した。

 

 「し、しらな……」

 

 投球。

 

 答えたのはどの袋だったのか。

 フィリップは正直判然としなかった。

 

 外見的にはほぼ同一の袋であり、個体を識別するのは大小と吊られた位置くらい。

 籠り、湿った声は音の出処を曖昧にし、位置把握を難しくする。

 

 だから、小瓶が命中した袋と馬鹿な答えを寄越した袋が同じものだったのか、フィリップは微妙に自信が無かった。

 

 だが問題ない。どうでもいい、ともいう。

 

 「──!!」

 

 求めていた通りの悲鳴が上がり、フィリップは不愉快そうに顰められていた表情を綻ばせ、薄い笑みを浮かべる。

 

 愚かさに対する罰を与えたわけではない。

 だから、罰を与えた相手と愚かだった者が同一であることは、必ず求められるわけではないのだ。

 

 「“知らない”“分からない”。そんな答えを求めてると思ったのなら、思考の質も量も全く足りていないよ。僕は情報を求めた。君たちに出来るのは知る限りを話すことであり、それだけが君たちに死の安寧を与える」

 

 断固たる口調で言い放った直後、フィリップはふと背後に気配を感じて振り返る。

 不定期にうごうごとのたうつ吊られた袋が生んだ空気の流れを、張り詰めた神経が錯覚しただけかもしれない。

 

 そんな弛緩した空気は、背後、フィリップが先ほど利用した侵入経路である転移魔術の魔法陣上に現れた人影──いや、ヒトガタを見たとき、完全に霧散した。

 

 「っ!」

 

 そいつは二足二腕の直立歩行、所謂ヒトガタではあった。

 琥珀色のローブに身を包んだ長身。フードの下には老婆の顔があったが、顔には生気が無く、落ち窪んだ眼窩の昏い瞳は、薬物投与を受けたように虚ろに泳いでいる。

 

 ローブの裾から覗く裸足の足元は骨と皮だけのようにやせ細っていた。

 

 しかし──両腕が異様なほど肥大している。

 本来は腕と五指があるべき袖からは大量の触手が流れ落ち、体重を支える力を失くした足の代わりのように、地面を這いずって蠢いている。

 

 垣間見える顔や足の肉は一部が鱗状に変わり、緑灰色の染みだらけになっている。カビというより、むしろゼリー状に見えた。

 

 「……」

 

 染みだらけの顔に、僅かながら人間的な感情が過る。

 それは倉庫の中に散在する袋と、それを作り上げたのであろうフィリップへの驚愕だった。

 

 一方で、フィリップは抜剣こそしたものの、怪訝そうに目を細めて動かない。

 

 老婆から神威は感じない。

 だが間違いなく人間でもない。

 

 龍貶しの刃が通るかどうかは不明だが、少なくとも触手部分には効かないだろう。

 これまでに遭遇したどのセルベッドよりも、ハスターの気配が濃い。彼女たちの三、いや四倍はある。

 

 そして──先んじて動いたのは老婆の方だった。

 

 計上不能数の触手が袖口から溢れ、視界を埋め尽くさんばかりに広がる。

 セルベッドたちの攻撃が騎乗槍の一刺しだとすれば、これは騎兵隊の突撃。これこそ波濤だ。

 

 回避自体は可能な速度。

 しかし回避するだけの空間が無い。

 

 幾つかの触手は木箱を巻き込むことなど気にせず、軌道上の全てを破壊しながら。

 幾つかの触手は木箱や柱を器用に迂回して、のたうつようにくねりながら。

 

 触手一本一本の性格の違いを眺めながら棒立ちしていたフィリップは、それら全てが自ずから避けて作り出した空間のなか、構えていた剣をだらりと下げた。

 

 構えている必要などない。

 何なら握っている必要も無いかもしれないが、それは「防ぐためには」だ。

 

 眼前の存在を切り殺すのには使う。

 

 「……違う。お前じゃない。事ここに至り僕を前にして跪かないほど、奴らは愚かじゃあなかった」

 

 再び驚愕の気配を滲ませた老婆に、フィリップは忌々しそうに舌打ちする。

 

 「お前が教祖だというのなら、お前なんかより()()()奴がいるはずだ。神格の遺骸を移植する術法に、琥珀の長なんてマイナーな化身。いつ、どこで、誰に教わった? まあ数十年前だって言うなら、もう移動したり死んだ可能性も無いではないけれど……それと、僕がそいつを知らないままでいることは直結しない。いや、そいつが生きていようが死んでいようがそれはそれとしてお前は死ね」

 

 吐き捨て、限界まで姿勢を下げる。

 

 「人間からは脱して変じたらしいけれど、そこ止まり。人間とハスターの混ざりもの、ミルクティーみたいなモノだ。人間(ベース)の存在感が強すぎて、神とは似ても似つかない」

 

 触手はもはや脅威ではない。

 いつぞやのように、触手がフィリップを避けようとするあまり建物を壊し、崩落に巻き込まれる可能性もあるけれど──首を切り落とすくらいの時間はあるはずだ。

 

 そんな甘い計算をして、両足に力を込めた直後。

 

 何の前触れもなく、老婆の姿が掻き消えた。

 

 「っ!?」

 

 幾度となくミナやエレナと打ち合ってきた経験から、フィリップは即座に拍奪の歩法へ移行し、相対座標を誤魔化しながら背後を確認する。

 

 しかし、すぐに別の結論──動体視力を振り切る速度による移動で背後を取られたのではなく、本当に()()()()()()()()のだという結論に至った。

 

 「しまった、転移されたのか。面倒臭いなぁ……」

 

 転移魔法陣は領域外魔術であり、全文が邪悪言語で書かれている。

 魔力を流せば起動するような親切設計ではなく、解読と理解が必要だった。

 

 だが安全な逃走経路ではない。

 フィリップは既にそれを使ってここに来た。あの老婆はそれを知らないだろうが……予測は出来る。

 

 あの老婆が追跡不可能の安全な逃走経路のつもりで移動したのなら、追って殺せばいい。

 だが追われる前提で、転移先で待ち伏せされていた場合、迂闊に追うのは危険だ。

 

 面倒な二択を迫られてしまった、と溜息を吐いたフィリップは、倉庫の外が俄かに騒がしくなったことに気付いて剣先を向けた。

 

 金属音。

 それと多数の足音。

 

 その主に見当がついたフィリップは、心底面倒臭そうに嘆息した。

 

 そしてフィリップがどうすべきか思考を纏める暇もなく、何かの魔術が倉庫の扉をブチ破り、十人ほどの人影が雪崩れ込むように突入してきた。

 

 「動くな! 我々は帝国軍治安維持部隊だ! 悲鳴が聞こえたとの通報があった! 全員武器を置き両手を頭の後ろで組め!」

 

 揃いの鎧に、統一された意匠。磨き上げられ輝きを放つ長剣に、捕縛用と思しき網。

 少なくとも偽物と疑える要素のない、帝国軍の部隊だった。

 

 「はァ……」

 

 予感的中。

 本当に本当に面倒臭い。辺り一面更地にしてしまいたいくらいだ。

 

 内心に蟠った怒りを、フィリップは深々とした溜息でどうにか晴らす。

 自分の意を妨げる劣等存在を、自分の手を使わず薙ぎ払いそうになるのを制御する。

 

 「そこの子! 君に言っているんだ! 剣を置け!」

 

 煌々と輝く雷撃系魔術を照準した騎士の一人が、倉庫内唯一の人影であるフィリップに向けて鋭く警告する。

 フィリップの魔術適性では一見しただけで魔術の性能を測ることは出来ないが、少なくとも、ルキアとの訓練中に喰らう「怪我をさせない威力」よりは強そうだった。

 

 ……一応、無視することは出来る。

 あんな見るからに間接攻撃の魔術、相対位置認識欺瞞で透かせる。しかしその後には、本気になった治安維持部隊と殺し合いだ。

 

 それはフィリップの望むところではない。というか普通に負ける。

 カルト狩りの邪魔をされたならともかく、彼らの突入は一応、フィリップが老婆を取り逃がした──その追跡を諦めた後のこと。

 

 そして彼らは自らの職務に忠実なだけであり、八つ当たりの憎悪ではなく敬意と尊重を以て接するべき相手だ。そう理解できるだけの分別を、フィリップは既に取り戻していた。

 

 「……いいよ、従おう。お兄さんたちの職務に敬意を」

 

 フィリップは剣を床に突き刺し、三角巾に包まれた左手と空の右手を挙げて跪いた。

 

 

 

 

 

 

 

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