なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
帝都は王都ほどではないとはいえ、インフラが整っている。
王都の上水道までは取り入れられていないが、錬金術と刻印術式による浄化設備を備えた下水道は、帝都の地下を蜘蛛の巣のように走っている。
今度のアジトは、そこにあるらしい。
地下室どころではない、本当の地下。下水道の一角に小部屋を作り、十人から二十人程度のグループが潜伏しているそうだ。
地図の印がある場所に向かって、そこにあったのが下水道の整備小屋だった時点で嫌な予感はしていたが。
小屋の中にあった穴を降りて下水道に入ると、汚物の臭気が鼻を突く──なんてことはなく、普通に川のような臭いがするだけだった。どうやらここは、浄化設備より下流らしい。
考えてみれば、そりゃあそうだ。
汚い場所に住んでいれば病気になるリスクも高まるし、下水道なんかに住んでいたら、フィリップやマフィアが面倒を掛けられることもなく全員病死してくれただろうに。
「まあ、それはそれでつまらないけれど……」
「流石に器用だな、お前」
片手をギプスで固定されながらもスルスルと梯子を下りたフィリップに、先に降りて待っていたジャックが苦笑気味の感心を見せる。
襲撃要員だというマフィアが後に続いて降りてくる中、「慣れてるからね」とフィリップは端的に答えた。
実際、宮殿の窓から出入りするための縄梯子よりは、壁に固定された梯子の方が安定感があって使いやすい。
「正面から殺るタイプだと思ってたが、案外、潜入もイケるのか?」
「いや全然。というか正面戦闘だって、僕なんかが通用するのは……奇策奇襲アリでも中の上ぐらいまでだよ。衛士団とか騎竜魔導士隊の人には勝てる気がしない」
というか、
当たり前のように上位しかいない衛士団はともかく、ウォードやマリーも上の下くらいには位置するだろうから、まあ良くて二段落ち。その辺りだ。
そして恐らく、あの二人や衛士たちはクイックドロウの動きに反応してくる。
それがどういうモノか、機能や機構までは分からないとしても、対峙しているときに懐から取り出すモノが武器であることは明らかだ。そして剣術で敵わないと判断したフィリップが、遠距離攻撃を用いてくることも予想できる。
「中」と「上」の区別はそれだ。
なおミナやエレナ辺りのトップ層は──或いは衛士団長も──、その上で、銃弾に対処してくる。身構えるとか防御の姿勢を取るとかではなく、避け、斬り払い、カウンターさえ入れてくるだろう。
フィリップがよく知る強者たちを思い浮かべて苦笑したように、ジャックも自分の知る強者たちを思い浮かべて、同じ表情になった。
「まあ、連中は別格だろ。聖下一人だけが強いんじゃ、帝国最強の部隊とは言えねえしな」
それから少し下水道を進んだとき、ジャックが片手で虚空を押さえつけるようなジェスチャーをした。
「シッ、足音を抑えろ。そろそろだ」
更に少し歩くと、下水道の側壁に不自然な扉を見つけた。
隠れ家なんだから当然入口も隠されているものだ、なんて思い込んでいたフィリップは呆れ混じりの苦笑を浮かべる。
そりゃあまあ、
ジャックはハンドサインで部下と意思疎通をすると、フィリップの肩を叩いて扉から大きく離れた。
「いいか、ドアをブチ破ったらウチの連中が三波で突入する。お前は第二波で、先鋒が突撃した7秒後に入れ。いいな?」
言うだけ言って、ジャックは社交辞令的に「質問は?」と尋ねた。
あとは流れで、とでも言いそうな端的な作戦だが、実際、その通りではある。突入したら、あとは
難しい戦術や複雑な陣形に従うことを求められても困るので、このくらい任せてくれた方がありがたい。
それはそうなのだけれど。
「あぁ、うーん……
少し悩んで、フィリップは端的に拒絶した。
ジャックは「ドアをブチ破れ」と指示を出しかけていた手の動きを慌てて「待機」へ変える。
「この期に及んで何言ってんだお前!?」
小声で怒鳴るという器用な芸を見せるジャックに、フィリップは愉快そうに笑ったあと、笑みの質を大きく変えた。
カルトを前にしたときの、陰惨な殺意を滲ませる酷薄な哄笑に。
「お忘れかもしれないけど、僕はおじさんたちに雇われたわけじゃない。指示に従う義務はないし──獲物を譲り渡してやる義理も無い」
ランタンに照らされた顔を見て、ジャックは無自覚に一歩、後ろに下がる。
たった一歩だけだが、片腕を怪我した子供に気圧されて。この狭い地下空間が、殺意一色で埋め尽くされたような錯覚さえあった。
しかし、その感覚はすぐに霧散した。
フィリップが小さく肩を竦め、へらりと笑ったことによって。
「とはいえ、僕も片腕を封じて十人や二十人を相手取れると考えるほど自惚れてはいないし、こうしよう。僕が先陣を切る。その後からおじさんたちが突入だ」
じゃあ行こう、とフィリップが扉の方に足を向けたとき、ジャックはギリギリのところでその襟首を捕まえて引き戻すことに成功した。
ぐえ、と間抜けな声を上げて連れ戻されたフィリップは、そのまま偉丈夫の太腕に肩を組まれて拘束される。
「おいおいよく聞けバカタレ。いいか、多対多突入制圧戦はスピード勝負だ。特に相手が逃げる時はな。だからまず先鋒が斬り込み、戦闘要員を引き付ける。そして人間、パニックってのは7秒でピークに達する。それより早いと反射で対応されて、遅いと落ち着いちまう。お前はその機を逃さず突入して、逃げそうな連中を撫で斬りにするんだ。一人も逃がさずに。それが片付いたら、戦闘要員に手間取ってる連中の援護に回れ」
「……ふむ?」
フィリップは暫し、ジャックの語った理屈を咀嚼する。
そして一言だけ、問いを返した。
「それが一番多く殺せるってこと?」
「あぁ」
要約にもなっていないぶっ飛んだ意訳だが、的は射ている。
苛立ち混じりの頷きに、フィリップもにっこり笑って頷きを返した。
「じゃあそれで」
◇
下水道の壁を掘って作られたその部屋は、意外にも広々としていた。
一般的な地下室よりもさらに深い位置にあるだけあって、大がかりな作業をしても地上に露見しないと考えたのだろう。
床も壁も全面が掘りっぱなしではなく石で舗装されており、天井には錬金術製の無炎ランタンが吊られていてかなり明るい。
中には大量の書物の他、多少の生活用品しかない。
詰めているのは十人強のカルトだが、誰も彼もが床に広げた本を這いつくばるようにして読み耽っていた。
水気の多い場所だが、万が一にも本が傷まぬよう、魔術によって部屋の中はカラリと乾燥している。
不潔だとかカビ臭いだとか、そういうことは無いのだが、十数人の人間が地面に蹲るような形で本を読んでいる様子は、巨大な虫が蠢いているようにも見えた。
部屋は静かだ。
外の水音は錬金術製の建材によって阻まれ、室内までは届かない。
小さな呼吸音や、ページをめくる音。溜息の音。そんな雑音くらいしかない空間。
そこに一つ、小さく軋むような音が混ざった。
本に食いついていた虫の一匹が、のろのろと緩慢な動作で顔を上げる。
音がしたのは、部屋の扉の方だった。
彼らは互いに無関心に見えるが、仲間意識や帰属意識が無いわけではない。同じグループに属する仲間の顔は覚えているし、人数も把握している。全員がそうではないが、顔を上げた一人だけが異例ということもない。
彼は本に書かれている内容で埋め尽くされていた脳の片隅で、ふと考えた。誰か、部屋を出ていただろうかと。
結論が出る前に、扉はゆっくりと開き──、そして。
「《ヘヴィー・フォグ》」
伸ばした手の先が消えるような、春の山よりも濃い霧が部屋の中に立ち込めた。
部屋の中が俄かに騒がしくなる。
要領を得ない怒声、罵倒、剣を抜く鞘走りの音がそこかしこから聞こえた後、剣戟音が続く。
霧と同時に部屋に滑り込んできた何者かは、どうやら複数。
いきなりのことにパニックになっていたカルトたちのうち、それらの襲撃を受けた者以外は、どうにかそれだけ理解する。
思考がその先にまで回らない。
同じところで空転して、思考に先が生まれない。
いまどういう状況なのか。何が起こっていて、何をすべきか。行動に繋がる結論に、いつまで経っても辿り着かない。
視界を奪われ、剣戟音と怒声に包まれ、ほんの数秒の思考を「いつまで経っても」なんて思うくらい、思考が無駄な過回転を繰り返す。
そして、霧は唐突に晴れた。
魔術によって作られたものが、魔術の解除によって消えたのだ。
そう理解する間もなく、彼らは部屋の中に見知らぬ集団がいることに意識を奪われた。
黒いスーツ姿に、短剣と長剣のどちらともつかない大ぶりなナイフを携え、揃いの
怒声の数が増し、カルトの中でも武闘派の数人が剣を抜いて躍りかかる。いや、先制したアズール・ファミリーに、どうにかギリギリ対応する。
金属音と罵倒、周到な殺意と反射的殺意の応酬。
その中を、一人のカルトが悠然と歩く。部屋の最奥に居た彼こそ、このグループの守護者にして支配者。神の力を持つ十人長。教祖より“七番”の名を与えられた
カルトたちの誰もが認める最高戦力が動き、勝利を確信した彼らに安堵の空気が流れる。
同じく十人長の脅威を知るマフィアたちには緊張が走るが、傅く臣下の前を通る王の如き歩みは、驚愕と困惑、そして恐怖を以て停止した。
「──無抵抗でいれば優しく終わらせてあげるよ。でも抵抗するなら惨く殺す」
声の主は、言われた通り、先鋒突入から七秒待って部屋に入ったフィリップだ。
触手攻撃が飛んで来ることを警戒して抜剣してはいるものの、全力の防御である拍奪の歩法ではなく、無造作に歩いて入ってきた。
本音を言えば、言われた通り、そして言われるまでも無く全力疾走で飛び込んで、なるべく多くのカルトを殺したかった。
腕を落とし、腎臓を刺し、苦しんで死ぬ様を見届けたかった。
だが──十人長の誰もが、あの四番セルベッドと同じ境遇なのだとしたら。そんな想像をしてしまっては、憎悪は一旦脇に置くしかない。まずは培地にされた人間を、速やかに救ってやるべきだ。
細胞が恐れる謎の襲撃者を呆然と見つめる“七番”は、十歳くらいの少年だった。さっき殺した“四番”と同じくらい。
不愉快そうに眉根を寄せたフィリップは小さく嘆息し、そして。
「いい子だ。君の死後に安寧があることを祈ってるよ」
力なく瞼を閉じた少年の首を、岩さえ通す人造の魔剣で刎ね飛ばした。
頽れた身体に一瞬の黙祷を捧げ、また溜息を一つ。
そしてフィリップは、気持ちを切り替えるように笑顔を作った。
「ところで、誰に宛てて祈ればいいんだ? まさかハスターじゃないだろうし、唯一神なんか論外だし……帝国民ならノア聖下でいいのかな」
聖人信仰も公認セクトというだけで、熱心な一神教徒からすると邪道の部類らしいけれど。
そんなことを考えたフィリップは、近くで両手を挙げていたカルトの腹部へ、龍貶しの切っ先を無造作に突き立てた。
「うっ!?」
苦悶の声と共に倒れた身体を汚物を見る目で避け、追いうちのように顔面を踏みつける。
フィリップはそのまま淀みのない動きで、突然の暴行に硬直していた別のカルトの右胸を貫いた。
「ま、待ってくれ! 俺たちは抵抗しない! 降参だ!」
自分の血液で溺れて藻掻いている瀕死体から離れ、次の獲物を探して視線を彷徨わせると、カルトの一人が叫んだ。
その声のせいで、フィリップの視線が──獲物を探す狩人の目が、そちらに向いた。
「そうなの? そりゃどうも」
フィリップは珍しくカルト相手にお礼を言って、再び剣を振った。
挙げた両手を上腕で切り落とし、両足を膝から斬って地面に転がすと、うつ伏せになった背中から腎臓を刺し、そのまま放置する。
そして、また獲物を求めて視線を巡らせた。
「は、話が違うじゃないか!?」
マフィアとカルト戦闘員の立てる剣戟音のなかを貫くような甲高い悲鳴は、フィリップの動きを二秒ほど止めるだけの威力があった。
疑問による停止と、思考のための二秒。
やがて言葉の意味するところに気付いたフィリップは、ぱっと顔を輝かせ、身体を揺らして笑った。
「ん? 何の──あぁ! いやいや、さっきのはこの子に言ったんだよ。はははは……!」
そして笑い終える前に、殺戮──否、瀕死体の生産が再開した。