なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 「はァー……」

 

 フィリップが怪我をしたときの一部始終を語り終えると、ステラは大きな溜息を吐いた。

 ルキアも口を真一文字に引き結んでいて、二人とも全く笑っていない。

 

 途中、奴隷の少女を見捨てた辺りまでは「お前らしい」なんて笑っていたのだけれど。

 

 フィリップとしては、彼女たちの気分を害する要素が分からない。

 我が事ながら酷い奴だと思うのは、人命救助よりカルトの惨殺を優先した場面くらいで、そこで笑えたなら、怒るところも悲しむところもないはずだ。

 

 困ったように眉尻を下げたフィリップを、ルキアは小さく腕を広げて呼んだ。

 ご主人様(ミナ)と同じ呼び方に、ペットはさも当然のように従う。広げた腕の間に収まり、抱擁を交わす。

 

 「貴方の行いは美しく、気高い行為よ。貴方が私の友人であることが誇らしいわ。けれど──でも、お願いだから、自分の身は大切にして」

 

 静かな、感情が完璧に制御されたルキアの声。

 内心など読みようもないはずの囁きに、フィリップは思わずルキアの背に回した右手に力を込めた。

 

 彼女の心配や心労は、全て心の内に溜まっていく。

 その表出、感情の爆発など非貴族的で美しからぬこと──そう考えている彼女は、精神が自ら産出した負の感情に溺れ、押し潰されて自壊するその時まで、不満を行動で解決することはしないだろう。

 

 フィリップを強く説得するとか、それこそ、フィリップの足を折って動けなくするとか、彼女には簡単なことなのに。

 それでも自壊するまでフィリップの気持ちを優先してくれることが嬉しく、そして危うく、「ありがとう」とも「ごめんなさい」とも言いかねたフィリップには、ただ抱擁を強めることしか出来なかった。 

 

 数秒の抱擁が終わると、今度はステラが手招きしてフィリップを呼び寄せる。

 

 彼女との抱擁は一瞬で、彼女はフィリップの顎を持ち上げて、視線をきっちりと合わせて語る。

 

 「……カーター。お前のしたことは間違いなく素晴らしい。私も、お前が私の国の民で誇らしい気分だ。……けれどね、カーター、私たちはお前が助けた子供の命より、お前の命を高く買う」

 

 顎にあった手が頬に触れ、首筋に触れ、心臓に触れる。

 

 「自分の身体も含めた天地万物(あらゆる全て)に価値が無いのは分かる。その中で、お前が誰かのために衝動的に動けたのはとても──喜ばしい。だが自覚しろ。お前がいま生きているのは、単に運が良かったからだ。……話を聞く限り、腕の骨が折れる程度で済んでいるのは奇跡だぞ。腕が丸ごと潰れていても、頭が潰れていてもおかしくなかった」

 

 ステラは博識だ。しかも計算力や空間把握能力が極めて高い。

 帝都の建造物の構造や建材の知識と、彼女が鍛えたフィリップの運動性能。それらを総合して、フィリップが語っている間に、彼女の脳内では極めて正確なシミュレーションが行われたことだろう。

 

 フィリップはいま生きている。

 しかし、それがどれほどの幸運の産物なのか──その幸運を引けなかった場合の末路、その死体の状態まで、ステラは正確に推測できたはずだ。

 

 フィリップの無事な右手と、ずっと繋がれたままの左手の震えが、それを確信させる。

 

 「……あまり、私に心労を掛けるな。でないと、領地と邸宅で封印してしまうぞ?」

 

 再びフィリップを抱きしめたステラは、そう耳元で囁いた。

 その声はとても穏やかで、悪戯っぽく笑ってもいて──抱擁のせいもあって温まっていたフィリップの身体を、心胆から寒からしめるものだった。

 

 ステラは「やる」。

 「やる」し、「やれる」。

 

 いや、そもそも──。

 

 「うっ……、そういえば、殿下が庇ってくれるのは……」

 

 いつぞや馬車で交わした会話が脳裏を過る。

 

 ()()()()()が冒険者なんて傭兵か便利屋じみた生活をしていることも、パーティー半壊という危険な目に遭っていることも許せない人間が、王国の一部には居るらしい。

 それは感謝や恩義といった、正しく善良な感情によるものなのだろうし、それを迷惑に思うのは筋が違うと分かっている。

 

 パーティーメンバーの死亡や、その他犠牲の発生によって彼らの不安感が爆発するまでは、ステラが黙らせてくれる。

 

 しかし彼女も彼女で、その話をしたときに一つの条件を提示していた。

 『お前が大怪我をしない限りは庇ってやるが──』と。

 

 そしてフィリップの現状は、間違いなく「大怪我」の部類。

 

 だらだらと冷や汗を流すフィリップに、ステラはくすりと上品に笑った。

 

 「……今回は特別だ」

 

 ギリギリ助かったと、フィリップは早鐘を打つ心臓を胸の上から撫でつける。

 

 その時、タイミングを見計らっていたかのように──しんみりとした空気を吹き飛ばすかのように、それ一枚でも相当に高値の付きそうなドアを勢いよく開けて、にぎやかな声が飛び込んできた。

 

 「やっほー、起きてるぅ? あ、おはようございます先輩方! 昨夜は随分と帰りが遅かったけど、ぉ!? は!? どうしたのその怪我!?」

 

 喧しいのが来た、とルキアとステラの表情が鏡写しの如く揃う。

 

 この場ではフィリップしか知らないポンコツ兵器と違って、ノアは気に障る発言をするわけではない。

 しかしそれはそれとして、鍛えられた腹筋や高い肺活量、普段の軍人生活から来るクソデカボイスは耳に刺さる。ルキアからするとはしたなく、ステラにしても不必要に五月蠅い。

 

 「カーター、シャワーして来るといい。手伝いが必要なら、あー……出来るか?」

 

 同じ説明を二度させるのも面倒だろうという気遣いを見せるステラ。

 

 シャツを脱ぐのにも苦労していたのだから、シャワーにも当然手こずるだろうという推測は正しい。

 

 しかし水を向けた先のルキアは、真剣な表情で考え込んでしまった。

 フィリップから助けを求められた場合に手を貸してやればいい、くらいのつもりで言ったのだが、悪癖が出ている。やる以上は完璧に、という、潔癖と言ってもいい気質が。

 

 「自信はないわ。貴女こそ、普段から介助されているじゃない」

 「おい言葉に気を付けろ。それだと私が老人か病人みたいじゃないか」

 

 確かに王城(じっか)では入浴どころか着替えまで世話されているステラだが、メイドによるそれは、正確には介助ではなく奉仕という。

 

 ルキアの言わんとする通り、ステラならこれまで何千回と受けてきた奉仕を、見様見真似で再現することは出来る。

 しかし、ステラにも立場というものがあり──それに対する意識はルキアよりも、もっとずっと強い。怪我をした友人のためとはいえ、自分が誰かの世話をするという思考が、そもそも頭に浮かばなかった。

 

 フィリップが「手伝って」と頼るなら別なのだが、そもそもフィリップは見積もりが甘い。

 

 「い、いや、シャワーぐらい一人で出来ますよ?」

 

 なんて、舐めたことを言っている。

 このままでは碌に身体も洗えず、医者から「濡らしちゃダメだよ」と言われたギプスをビショビショにして、結局ルキアかステラに泣きつくのが目に見えていた。

 

 「身体を洗うぐらいなら、あたしがやったげるよ。左手以外は濡れていいよね? はい、息止めて──」

 「へ?」

 

 言うが早いか、ノアはぱちりと指を弾いた。

 直後、フィリップの視界がぼんやりと歪む。本能とは恐ろしいもので、フィリップが自分の状態を知覚するより先に、顔が水没したことを察知した肉体は反射的に息を吐き出していた。

 

 「ごぼぼっ!?」

 

 肺の中身を三割ほど吐き出し、慌てて息を止める。

 そして漸く、フィリップは自分が大きな水の球に囚われていることに気が付いた。

 

 慌てる間もなく、全身を包む水が流動を始める。

 右に、左に、前後、上下、回転と言うより振動に近い複雑な水流に揉まれたかと思うと、ほんの数秒後には、1000リットルはあっただろう水の塊は跡形もなく消え去っていた。

 

 揺さぶられた余韻でふらついたフィリップは、左腕はおろか全身どこも、服さえ濡れていないことに気が付く。

 しかし確かに汗のべたつきや血の匂いが無くなり、シャワー──いや泉で水浴びをしたような清涼感があった。

 

 「はい、綺麗になった! 洗濯も一度に終わって一石二鳥でしょ? 長距離遠征の時とか重宝するんだよ、コレ」

 「はは……」

 

 お礼の言葉はおろか、凄いですね、なんて社交辞令も出せず、フィリップは曖昧な愛想笑いを浮かべる。

 急上昇した心拍数が呼吸を加速し、放出されたアドレナリンとコルチゾンが手足を震わせ、頬を引き攣らせる。

 

 それは一見して、恐怖と嫌悪の反応だった。

 

 「……大丈夫?」

 

 フィリップの異常にいち早く気付いたルキアが心配そうな声を上げる。

 

 「あ、ごめん、傷に染みた?」

 「いえ、大丈夫です。痣が押されたのは痛かったですけど」

 

 フィリップは半笑いで拙い嘘を吐く。

 痣なんか、普段の戦闘訓練で山ほど作って慣れている。痛いのは痛いが、それにしては反応が過剰だ。

 

 実のところ、フィリップは自分の身体に起こった恐怖の反応の、その理由を理解していなかった。

 むしろ、その反射に驚いてさえいる。

 

 身体と精神の反応が乖離することは、フィリップにとって珍しいことではない。

 

 例えば蜂の羽音や獣の唸り声を、フィリップの肉体(遺伝子)は恐れる。手足は震え、瞳孔は収縮し、心拍数が上がる。

 しかし精神(外神の視座)は、そんな低劣な存在を外敵として認識しない。至って平静どころか、嘲笑してさえいる。

 

 フィリップは結局、謎の身体反応を無視することにした。

 

 「……そういえば、カルト狩りはどうする? その有様で戦えるのか?」

 「えぇ。万全とは言えませんけど、敵の手の内も大体分かったので。今日で仕留めます」

 

 不審そうに──何か不調を隠しているのではと見つめるルキアから目を逸らし、問いを投げたステラの方を向く。

 

 「もしかしてその怪我、カルトにやられたの?」

 「まさか。そこまで舐めてかかりませんし、それなら昨日の時点で報復してますよ」

 

 ノアの問いに、フィリップは嘲りの色を含んだ笑顔で応じた。

 いや、カルトの攻撃によって崩壊した建物の瓦礫が原因なので、そう言えないこともない。

 

 ないが、ここは精神衛生上──フィリップが考えるには冗談のような概念だが──、ともかく心の平穏のために、違うということにしておく。

 

 でないと、本当に()()()()()()()()()()()()()

 

 「待ってフィリップ。その怪我で、まだ続けるの?」

 「そりゃ勿論」

 

 制止にも近い問いに即答され、押し黙るルキア。

 

 フィリップを相手にすると途端に押しが弱くなる友人に呆れの目を向け、ステラは小さく溜息を吐いた。

 

 「……重傷なのは自覚しているな?」

 「僕のことをとんでもない馬鹿だと思ってます? いや殿下にしてみればそうなんでしょうけど、自分の状態ぐらい分かってますよ」

 

 腕折れてるので、と表情で語る満身創痍。

 まあ大きな怪我が一つあると、小さな打撲や擦り傷に意識が向かないのは仕方ない。

 

 「……アルシェ、出ていろ」

 「え!? はい……」

 

 有無を言わさぬ口調で命じられ、いきなりハブにされたノアがとぼとぼと部屋を出る。

 直前までフィリップの態度に「うんうん、やっぱそうだよね」なんて相槌を打っていたし、不満そうではあったが、文句も言わずに従う辺り上下関係が確立しているらしい。

 

 部屋にいつもの三人だけになると、ステラはつかつかと部屋を歩き、ベッドに腰掛けた。

 青い双眸は不機嫌そうな光を湛えており、見つめられたフィリップが僅かに身体を逸らすほどの圧を放っている。

 

 「……ミナの血があるから、いざとなれば邪神の力で傷を癒せばいいから。「だからこんな傷、大したことは無い」……そう思っていないか?」

 

 冷たい声。

 それは問いかけではなく、糾弾だった。

 

 「え──?」

 

 疑問形なのに確信に満ちた言葉に図星を突かれ、フィリップの思考が停止する。

 理解者の言葉は何も間違っておらず、故に、強烈な危機感を励起するものだった。

 

 それが不味いことだと、フィリップはかつて思っていた。分かっていて、知っているはずだった。

 なのにいつからか──思考が変質していた。それが当然のことであると。

 

 「怪我をするのは仕方ない。怪我をしたから治療をする、それもいい。そこまでは当然のことだ。ミナの血でも邪神の力でも、使えるものは使うべきだ。怪我以上の害が無いならな」

 

 過回転を始めたフィリップの思考を、ステラの声が制動する。

 しかしそれは優しさ故ではない。それは、

 

 「お前が怪我を押してでもカルトを殺したいのは知っているし、それに口を挟む気も無い。だが超常的な力ですぐに治せるから問題ないという思考は──私には、人間的とは思えない」

 「っ……!」

 

 決定的な一打を放つためのもの。理解させるために必要な思考の空白、隙を作るためのものだった。

 

 「邪神の力を思うがままに操れるわけではないのは知っている。ミナも常にお前の傍に居るわけではないし、お前に従順なわけでもない。だが、その力を前提に思考し行動するのは……それは、化け物の振る舞いじゃないのか?」

 

 フィリップは声も無い。

 ステラの言葉は正しく、フィリップ自身の考える通りであり、かつてフィリップが危惧したことそのものだった。

 

 人間性を最も担保するものは、人間であるという自覚だとフィリップは考えている。

 

 人間の肉体を持っていること。

 転べば怪我をする。怪我をすれば血を流す。不摂生をすれば病にかかり、熱を出したりお腹が痛くなったりする。

 

 臓器一つが傷ついただけで死に至り、或いは多量の血を流しただけで死に至り、病一つで死に至り、果てはショックですら死を齎す。

 

 か弱い命。

 脆弱な存在。

 

 それが外神の視座(フィリップ)の考える“人間”だ。

 

 フィリップはそれを分かっていたし、それを大切にしていた。いや、大切にしているつもりだった。

 憑依顕現なる術法、邪神の力を自在に操る御業の存在を知らされても、教わろうとは思わなかった。

 

 それに思い出したくも無いことだが、龍狩りの折、フィリップはルキアとステラの命が懸かっていても、最後の一歩で怯んだ。何より大切な人たちのためでさえ、人間の肉体を捨てられなかった。

 

 勿論今だって、人間を辞めることに大きな抵抗はある。

 たとえあらゆる外神が平身低頭して願い奉ろうと──いや“頭”だの“身”だのを持っている連中は珍しいけれど──、何が起ころうと、人間を辞めるつもりはないくらいに。

 

 そのはずなのに、いつの間にか思考が歪んでいた。

 怪我をしても構わない、どうせ簡単に治せるのだから、と。それは邪神とまでは言わずとも、やはり人間の思考ではない。いや、その思考形態をフィリップはよく知っている。

 

 不死身の怪物(ヴァンパイア)の思考だ、それは。

 

 「“怪物と対峙する者は、自らが怪物に堕ちぬよう心せよ”とは言うが、お前は怪物と共に過ごし、怪物を従えている。どちらがより怪物に近しい存在か、言うまでもないな?」

 

 努めて感情を交えないように語るステラ。

 ルキアはそれを、ただじっと聞いている。フィリップに向けられた赤い瞳は、完璧に制御されて感情の一つも乗っていない。

 

 フィリップは暫し無言で、理解者からの忠告を噛み締めた。

 彼女の言は正しい。人間(じぶん)の脆弱性を、ここ最近のフィリップは殆ど忘れかけていた。

 

 無敵になったつもりはなかったが、無頓着ではあった。間違いなく。

 

 「──」

 「繰り返しになるが、自分の身を大切にしろ。私たちの精神的平穏のためばかりではなく、お前自身の人間性を守るためにもな」

 

 深々と溜息を吐いたフィリップに、ステラはどこか安心したように話を結ぶ。

 

 「……はい!」

 

 小気味よい返答に、ルキアとステラは顔を見合わせて微笑みを交わした。

 

 

 

 

 

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