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まず…。 質問文にある「塩湖・岩塩」は、産出する場所が限られています。 だからこそ、交易品として使われていたのです。 古代などかつての位置付けは、恒常的な需要を満たす日用品というよりも、嗜好品に近い位置付けじゃないかと考えます。 ちなみに所謂「四大河川文明」と呼ばれるものは、必ずしも河川下流域で発生していません。 特に黄河文明・メソポタミア文明などは、どちらかといえば海から離れた中流域に所在します。 さて日本の場合、遅くとも縄文時代後期頃には製塩土器が作られるといいます。 海の潮水を煮詰めて、結晶となった塩を土器の中に入れて運ぶというスタイルは、相当以前に遡ることがわかります。 ※岡村道雄ほか『縄文物語』朝日新聞社、1994ほか またそれ以前でも、干し貝を作って内陸部に運んでいたらしいという話もあります。 もちろん海産物ですから、塩分が含まれていて、それを主な目的に山側に運び、各種の必需品と互酬関係の下で交換していたと考えられます。 関東などでは多くの貝塚が見つかっていますけれども、一時期にまとめて採取(春の産卵時期終了後、7月くらいまでにまとめて採取したことが貝の冬輪からわかっている)しており「いち集団の年間需要」を大きく上回っているという試算データが存在します。 当然ながら、余剰をどこかに運んでいたのだろうというワケです。 では、それ以前はどうだったか? 特に塩分の採取は、動物の肉や血液から補っていた可能性が高いと考えます。 意外に思うかもしれませんが、漁撈を含め人類が魚を食べ始めたのはごく最近(といっても十数万年前だが)になってからと考えられています。 ※南アフリカ・ブロンボズ洞窟の発掘によりわかった。←追記可能です。 動物の肉や血液は、植物などに比べて塩分濃度がずっと高いのです。 余談ですが100gあたりのカロリーも、動物の肉が200kcalなのに対し、果実では50~100kcal、葉っぱでは10~20kcalしかありません。 そもそも、人類が肉食を始めたのは猿人の段階と考えられ、それが脳の進化を促した(人類への分岐を促した)可能性が指摘されています。 ※ガルヒ猿人の化石と共に「打ち砕かれたウシ科動物の骨」が出土していて、骨髄を抜いたと考えられている。
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もともと文明は海や河の下流(海に近いところ)で発生しているので,古くから海の水が乾燥すれば塩が出来る事は知られていたものと思われます。 だから,海辺や河の渕で人が住み着き,一部の人はやがて新天地を求めて山岳地帯へ生活の場を広げた事と思うので,塩は山の幸と物々交換で手に入れたのではないかと思います。
塩分というかナトリウムは必要不可欠です。 現代日本人の1日の摂取量は約12g。 推奨5~6gです。 実際には2gで生きていけるそうですが、0が続けば死亡します。 摂取方法は、海、岩塩、塩泉、動物。 塩作りはかなり昔からされていますから、近くに住まなくても物々交換などで入手は可能です。 また、動物のみでナトリウムを補給する人達もいたようです。 塩作りをまだしていない、はるか大昔は他の動物と同じだと思います。 ナトリウムを自然に摂取できる環境にのみ、生き残ってきたはずなので、岩塩があったか、海や塩泉が近くにあったか、それらの近くも行動範囲にある他の動物を間接的にでも食していたか。 また、植物にも塩分は含まれています。 何かを食べればナトリウムも食べることになる、ということです。
食塩を摂らなければ・・・・・死ぬまでは生き続けるでしょうね。 まぁ、今日塩を取らなければ明日には死ぬなんてことはないです。 考えてみて下さいよ、人間どころか海から離れた土地に生息している生物が全部死んでしまうでしょう。 しかし、実は海から遠い場所でも塩分は摂取できるのです。 太古は内陸でも海の底であった場所が多いですから、塩分を含んだ地層があれば舐めたりして塩分を補給します。 あと、植物や動物は、微量であっても体内に塩分を蓄積していますので。 それを餌にすることで塩分を摂取しているのです。 因みに、古代には交易があったようなので、海から遠い地域にいても塩が手に入った可能性はあります。