goo blog サービス終了のお知らせ 

渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

【終戦80年企画】映画『野火』(1959)4K 予告編【8/1(金)公開】

2025年08月01日 | open

【終戦80年企画】映画『野火』
4K 予告編【8/1(金)公開】

原作大岡昇平。
中学の時、「野火」を初めて
読んだ。
かなりの衝撃を受けた。
現実の作者の戦争体験を基
したこの小説は1951年に
発表さ
れた。
市川崑監督の1959年映画作
品は
モノクロフィルムで撮
影さ
れているが、原作との
世界
観が異なる点が一点だ
けあ
る。
それは、原作の小説では、
南方戦線での「原色の世界」
が主人公にある種の「現実
離れした現実」を強制的に
包み込むのだ。それは主人
公の感覚を通して。
モノクロ映画作品では、そ
の眩しくも目を逸らせない
「原色」は再現できない。
原作「野火」は単なる戦争
小説としてだけでなく、日
本文学における傑作のひと
つだといえる。
ある著名な海外の映画監督
が言った。
「戦争の悲惨さを描かない
戦争映画は戦争映画ではな
い」と。
悲劇的な人類の現実を描い
てこそ、人に問いかける人
類の未来への道標となる。
プロパガンダ映画はナンセ
ンスだが、それを映像表現
世界、文芸での記述表現世
界で成し得ないと、戦争を
取り扱う意義も無い。
ドカーン、ドンパチ、ドン
ドン、ヒャッハーのような
描写ばかりが続く戦争映画
は真の戦争映画ではないの
だ。そもそも戦争を娯楽作
品と
して描いたり、戦争推
進の洗脳プロパガンダとし
て描く時点で、人類の凄惨

な歴史事実を舐め切ってい
る。


ただし、その人類は二種類
の種族がいる。
戦争を含めた社会的な事に
きちんと向き合おうとする
意識がある種族と、一切そ
うした社会的な事には無関
心な種族だ。
これはキッパリと別れてい
る。
そして、実は後者の種族は
圧倒的に数が多く、それら
がニワカとして社会性を帯
びる歴史の中での一過性の
一時代の中で、非常に危険
な存在となり、戦争を讃美
して人殺しを推奨し、推進
しはじめる。
とても危険な存在。
それゆえに、前者は尚更

鐘を乱打し続ける。


戦争というのは、単なる国
家間での戦闘殺戮合戦で人
が死ぬからいけない、とい
うだけではない。
戦争により、その準備段階、
戦争遂行段階、戦後におい
て、人間の尊厳や自由が全
て剥奪されて「人が人でな
くなる状態」を外部圧力に
よって強制される、という
最大の「悪」が実行される
事が戦争におけるマイナス
要素の頂点として存在して
いる。
そして、その「悪」は常に
「正義である」として実行
され続けるのだ。
そうした戦争の真の「悪」、
人間社会の「悪」がこの世

には存在する。
人が人でなくなる事を強要
される世界が戦争である、
という事を太平洋戦争終結
の6年後に発表された大岡昇
平の小説
「野火」は描き切
っている。

不朽の名作。

小説「野火」については、
上述と同じような事を中学
の時にも書いて国語教師に
提出した。夏休みの小説読
後感想文作成
の課題授業に
て。作品選択は自由だが、
自宅で書いて提出ではなく、
夏休み中に読んだ作品につ
いて、授業中に時間内に感
想文を書く、という文筆表
現力育成の錬磨授業だった。
高校では倫理社会の時限で
同じような形式の授業があ
った。
ただし、そちらは「ソクラ
テスについて述べよ」「マル
クスについて述べよ」「カン
トについて述べよ」「実存主
義について述べよ」等々の
設問をクラス全員の前で口
頭で教壇の上で解説する、
という授業だった。
文字を通して思考と思索を
巡らさないと成し得ない授
業が中学の時の国語の授業
だったが、高校の時の倫社
はそれに加えて肉声で人に
説明する力を育成する事が
加味されていた。
ただの読解力だけでなく、
それを咀嚼して人々に伝え
る能力を育てる教育の授業
だったのだろう。社会性や
政治性や個人の思考力や洞
察力を育成する目的の。
そうした訓練は小学生時代
のローティーンから中学の
ミドル、高校のハイティー
ンという10代に為さないと、
齢を食ってから文字に接し
て何かを読み取ろうとして
も多くはほぼ不可能となる。
そして、その不可能のまま
進行すると、前述の「悪」
を「正義」とする真の悪
に己が与する言動を構成
して、真の社会的悪となる
ケースが非常に多い。
人間の教育は極めて大切だ。
それは幼い頃に既に人とし
ての将来が方向づけられる。
真実を見つめるのか、もし
くは真実から眼を逸らし、
あるいは人の行いの真実を
隠蔽し、嘘で塗り固めて捏
造する人となるのか。
成人してからでも社会的意
識性の成長や人的資質の成
長を期待するのは遅くはな
いが、大方のケースでは遅
すぎて手遅れという現実が
腐る程多く人間社会にはみ
られる。
それでも、死ぬまでには人
は清浄な人に成れるかもし
れない。本人次第で。

貴方、人の死を利用して自
分が利する事をしようとは
していませんか?




  

 


 
 
 



この記事についてブログを書く
« 劇場版アニメ『バリバリ伝説... | トップ | タイヤのホワイトレター »