包帯奇譚(144)ぶすぐりっと / モノリス都市伝説 / 「スワンをとる」と「カケスになる」
飛ばし読みをしたい人むけにヒント。
一旦文章を書くタイミングを逸し始めたのと、機械がバグるようになったのとで、かもめ組の後片付けも終わらないうちに現実の後片付けにも苦しむ、現在編(2021年夏)が7章に入る。人によっては物凄く無駄かも。
実はやけに例示が多いのは、おまじないである。実際に痛くなりかけた部位と思い浮かんだ病状とを具体的に書いてしまった。これは興味のあるところだけ飛ばし読みをしてほしい。
また11章以降は、ただの随筆みたいなものだし、ただの文句もあるから。怪奇話は12.1.1章の「スワンを取る・カケスになる」のくだりだけかな。
ホロ
「おい、いいこと教えてやるよ。」とタムラが会話の途中だろうと変な話題を挟んだ。
「小野の皮膚ってなあ、たぶん髪の毛と同じように光の角度によって色変わるぜ。色白に見えるときもあれば、赤く見えるときもある。
あとなあ、あいつストレスなんかで調子が悪いときには、血色がわるくなったのと、皮膚が乾燥して毛羽立ったようになって、かえって白く見えることがあるぞ。」
それは、どんな色をした石鹸も泡立ててしまったら白く見えことと同じ話で、じつは人種によっては色白であることはかえって肌荒れの証だったりして全然褒められないことだという。
そこで執筆中の私は思い出した。そうか。近所ででっかいワイヤレスイヤフォンつけていたとき、あれはあいつなりに調子が悪かったときなのかも知れないと。
「なんでそんなことを教えた。てかそれがどうした?」
「いや、内容がさ、なんか幼稚園のときにしては陰惨すぎるし、お前はその事件の以前に小野をちょっと恨んでいるわけだし。なんだかあんまこじらせるなよと思ってさ」
「こじらせるって?」
タムラはこちらのことをじっと見て、ちいさく「いやっ」と唱えてしばらく目をそらした。
「それで先に言っとこうと思ったのさ」「だからなにを」
「『ホロ』っていうんだぜその性質」「『ホログラム』のホロか?」
「いや。もともとはアイツラの言語からさ、その語源になったものらしい。」
「へえ。詳しいんだな」
「まあね〜。そのせいで顔の色があまりまだらにならないようなファンデとか結構気にしてるな。『今日は色白よりに見せるか、赤黒よりに見せるか』。役とかニュアンスによって変えなくちゃなあとか。まあ、大変だよな役者って。」
唐突な説明に、私はタムラが何を言いたいのか全然わからない。
「要はまあ、おれらとは違う民族だから。あんまかっか怒るな」
「『赤の他人』の語源になったような人たち、とさっき言ってたな。怒ってはないけれど?」
「いやお前地味に小野にわけわからん怒り抱いてるだろ。あんまり強烈エピソードと相まってさ。」
「まあ、わけわからんほうの怒りなら、何に対してもあるだろ。若いんだから」
タムラは両手を組んで「それ若いからかな」と困ったように首を傾げた。
「まあちょっと目先をそらそうと思ってな。お前の場合、いいんじゃない?いっそファンってことにしてまえば。そろそろアイツ可愛そうじゃないか」
「いや、べつにそうは思わんけど?好みってそれぞれの自由だろ。じゃ嫌う理由も自由だ。」
それもそうなんだけれどさあ…とタムラは食い下がり気味だ。「オトコゴコロわかってないよね」とタムラは江口さんを見上げた。「ええ。そんなかんじ」
「まあ、さっきから小野が案外『鮮やかな赤い人』つうのも、語りながらあんまイメージ出来ない感じだし。なんでさっきからそこから一緒に思い出しているのか。まあいいか」
―さ、タムラからの質問に答え…、な、きゃ…
いや、もうひとりいる!
唐突に現在に近くなる。割と昼間だったと思う。母が暑さで吐き気を訴えるぐらいになった時期に、私は作業の折にうたた寝をしていた。
頑張ってはないではなかった。けれども、夏だからしょうがないのか。私は暑さで倒れた親戚たちの代わりに何かと作業を引き受けることが多くなっていた。その反面、目標としていたこととか、ほかの物事が一向に進まない感じがあった。本当だったらこの話も、何もできないことが多いなりに、もうちょっと進められるものなら進めようと思っていたんだが。休むほうが最優先だった。
するとなぜだか寝ているところに誰かやって来るような気がした。当初それは他の家族が寝ている私の近くに来たのかと勘違いしていたのだが、どうにも自分が寝ている場所というのが、片方が壁や家具だったりする。よりにもよってそれが置いてある側から人がやって来る感じがするのだ。
「ああ、こうしているのも悪くはないな。ちっとも悪くない」
男性だった。ぼそぼそ、とあんまり達者じゃない語り口で。きっとこちらの顔を見てる。視線がこちらをじりじり舐める感じた。かと言って、自分の横に寝そべると、それ以上何かするでもない様子で、じきに私の目が覚める。
「やべえ、早く〇〇しなくちゃ」で私の頭はいっぱいだ。身動き取れない日々の隙間に、なにか進めなくちゃ。とくにこんな話は早く終わらせなくちゃと考えている朝に、奇妙な違和感が残る。
「だから悪くないんだよ。」「なにがだ」
最初は何か寝不足で悪い夢でも見たなと感じていたが、こんな感じの夢が何度か続いた。
「いそげ、いそげ、わたし」「ちょっとフーちゃん」
しかし足止めを食らっているときの話題も、詳しくは忘れてしまったけれど、『どれも似たような話題だった』覚えはある。えらく偏りがあるような。
次の日、やっぱりその人がやって来る。やがて昼間に現れた出した気がした。
こういう何かすごい凡ミスをしたり、失敗をしたり、突然親戚やらにとっ捕まって足止めを食らっているときに。わりとこっちを指さして、面白かったのか大笑いしているのが、目の端に見えたような気がした。
そこで「悪くない悪くない」と唱えられるような白昼夢って変じゃないだろうか。いや白昼夢自体が変なものか。
ああ、これはたとえば私がふくらはぎの血管を痒くしたときに、頭の中に幼稚園の先生の顔が思い浮かんでいたときと、とても良く似ていた。
高校の時も変な会話をしていた。
「なんで、ここまでひっどいことのループになってんだろうね。」
タムラは「ふえ!?」と耳に手を当てて聞き返してくる。
「いやなんかさ、『今起こってることとなんか似てるなー』って。自分にね、協力者が一向に現れないんだよ。
『この話は実は終わってない』って二人に言われたせいなのかな…いや、ごめん。頭のなかがぐっちゃぐちゃだ」
そう言って、私は彼らの方に手のひらを見せて、頭を抑えながら話を静止してもらおうとした。タムラは口の中に苦いものでも突っ込まれたように、上唇を変にこわばらせたら、
「『なんでひどいことのループになってるか』だって、え?落ちるところまで落ちきってないからじゃないかい」
「落ちなくちゃだめかい」
「だって。言うじゃないか。『どん底まで行ったら、後は上に登るしか無い』って。」
私は相手の真意がよく分からなかったけれど、私は相手がさほどひどいことを言ったつもりもない様子なのを、じっと見ていた。なんだかそのうち肩をすくめるみたいにしていたのだけはよく覚えている。
「うーむ。困ったなタムラ。たぶん今語ったことは、決して私の中での『どん底』ってわけではなかったんだよね。
それにね…お前反社の人間だったら、わかるだろ。世の中には底なし沼もあるってさ。『そこなしぬまた』が底なし沼的にいっぱいいる状況で、お前、それらが『俺らが社会の中で上なんだ』と言いふらしていて、更にそれがある程度論理として通っちゃってる。
せめて上下が分かれば右も左もわかるものを。誰もが自分が上だと言い張っちゃったんじゃ、結果何が起こるって。私、ちょーっと想像してみたけれど、ただの銀河膨張じゃないの。そしたらお前、どこが底だか言えるのかい。」
「う、うーん」彼の表情が、もはやきょとんとしていた。
「それが『多様性の誤った発達』というわけ。はなから相手を認め合ったり、相手に取られたものを取り返して互角ぐらいにはなろうって目的じゃない。
実態としてはマウントの取り合いのせいで、派閥ばっかりが異常増殖しているタイプの発展があって。で、全然統治なんて取れなくて、自由なんじゃなくて、野放図の間違いになってるやつ。
もうあまりにそうなった時点で、人間が持ちうる多様性としては誤ってるんだろうな。」
彼はなんだか処理できないものだらけの様子だった。
「だっからさあ、私これだから、あんまり民族がどうのとか、最後までは味方しきれないんだよな。
いい加減になると、相手の気に触らない範疇で、もっと言えば『相手の痒い所に手さえ届くならば、多様性は、予めどこかで大きくなりすぎないように、少しだけは潰さなくてはいけないもの』でしょうよ。それが思い上がりを正しく防ぐ。
というわけで、地に足つけろよな、タムラ。」
「『地に足』って、んなお前みたいな下の下の下っ端に言われたかねえしっ!」
虫が家に入りまくるときにやってみると良いこと
ここで話が止まってしまうのはおかしい。なのに場面が進められないまま、忙しいことだけが続いた。書かない限りループが収まらない症に入ってる気がした。
そんな中身体の痛みと一緒に思い出されたのが嫌に細かい場面だと感じた。
そうして辺りがふいに焦げくさい事に気づく。
そのとき、私がいつも痒がっていたふくらはぎの血管の上に痛みを感じた。思わず見たところ自分の皮膚の上にでかい虫がいた。
それこそ、白っぽい蚊のようなものだった。体長は1cmもある。何の蚊だかは全然分からなかったが、ティッシュで包んで触ったらえらく全身が硬い。力を込めてねじるように潰したはずなのに、身体はちぎれておらずまだ足などが動いていた。
いくらなんでも硬すぎる。何だか気持ち悪いので、さらに潰した上で窓の外に出した。網戸していたのに、変だ。そもそもこんな大きさのものが、どうやって網戸をかいくぐって入ってきたのだ。
さらにネットで調べてみると、普通の蚊は5ミリ程度のものだというのだが、そこから完全に逸脱していた。
皮膚を見ていると、赤いポッチが出来ている。一応蚊なんだろうが、なにか刺したのか。風呂場に洗いに行ってかゆみ止めは塗った。
なんだかあとでネットで調べたら、見た目としてはアカイエカである可能性は高いのだろうが、それにしても全身がなんともクリーム色に濁った感じに色が薄くて、本当に野生の虫なのか怪しい感じがした。だって、大概の虫には色素があって、体が大きくなるほど大事だったり丈夫にしたい部位にそれが集まるようになってるじゃないか。それがほとんどなのだ。
そういえば、前にどこかで聞いたことがある。
「呪術で発生した虫は、色が白っぽくてむだにでかい。そのうえ虫らしい機能はさほどもつけてない」
そうだった。窓の外に出してしまったあれは、ほんとうに虫だったのか?
そう疑うと赤いポッチがじんじん痛みだした。腫れている。悪い癖だが、腹立ち紛れに
「カドカワのせいだ」と唱えて数秒たつと、あまりに急に痛みが引けるし、腫れなんて数秒間だけなくなったものだから。変だと思った。
腹がたった経緯は前回の記事を見てほしいのだが、このようにして書いてしまえば、痛みが治まる時点で何かがおかしいだろう。
そうか。まずカドカワの悪口を、口で言っただけでチンピラがやってきて、いざ書こうとしたら、こういう妙な虫がやって来る。
タイミングとして、どうにもそういう法則性があった。
妙な虫に刺されたあとに痛いとき、軽度の腱鞘炎、全身の関節の動作を軽くするおまじない
カドカワのせい、カドカワのせいと言っていても、虫さされの周辺がチクチク痛む。
まあ、あんまりひどくなったら病院行きなのだが、腫れも痛みもまじないで効くんだからおかしいじゃないか。
母に「そのかゆみ気にくわないな。大根でも刺しちゃれ」と言われたから、物凄くリアルに陰謀に関与したりこっちに危害を加えようとしている人間の首が、幼稚園の先生と同じぐらい伸びて、その頭部に爪楊枝をさしてぐりっと回して、尻に大根を刺すという光景を思い浮かべて思わず、
「こんなカドカワみたいなやつらは、首のび、ぶすぐりっとケツ大根」
と独り言で唱えたところ、母がびくっとしてこっちを見た。
「なんだと!『伸びた首を自らケツの穴にぶっ刺して、ロール状に悶絶しながらそこいらを転がりまわる』のか!なんとエグいこと考える!」
私はしばらく動揺して動けなかった。「あのねお母さん…」
自分が何を考えていたかを伝えたら、
「わあごめん。思わずそういう光景になっちゃって…これだから私、なーんか駄目なのかな」
だそうだ。それでも、何とこの呪文が細かい痛みまで取った。さらに足全体の動作が軽くなったのだった。
それで結果出来上がったおまじないが、こちら。
「こんな自分が聞いたカドカワみたいなやつらは、伸びた首ぶすぐりっとケツに刺して、悶絶絶頂転がりまわれ」
「カドカワや、伸びた首ぶすぐりっとケツに刺し、悶絶絶頂転がりまわれ」
そういえば、ラノベの悪口を言おうとして、家の周りに虫がわいたことは以前にもあったからなあ。
そして家の周りに暴走族とか怖い。まあ、それは犬笛と唱えると少しは良いかも知れないけれど。それに伴って具合を悪くすることがある。
一連の土砂崩れだったり、それらの悪口を言おうとしたところ、妙に虫が湧いたとか、具合を悪くしたり(園長の話によると特に『喉』に来るものらしい)、家の前にチンピラがやってきた人がいたら、とりあえず「ぶすぐりっと」が体調不良には効く模様だ。
私はなりかけの腱鞘炎がいきなり改善したから、なんらか体には良いはず。お試しあれ。
虫はその後も何日間か現れた。そうして次もまた私の脚を伝って登るような真似をした。今度は潰すことに成功した。この間と同じだと報告したら、ウチの母があんまり怪しがった。
「おい、『脚を伝って登る』ってことは、こいつ露骨にいやらしいことを考えているんじゃないか。やだねえ、若い娘に向かってとか。
…ええとね、この調子じゃあ、チンゲを使った呪物なんじゃないか。こんなスケベ親父みたいなやつ。きっと白髪の陰毛を使って何かしたんじゃないか。そんな気がする。」
それでライターを使って焼いてみようという話になった。獲った遺骸のしっぽの方をピンセットでつまんで炙ってみた。
すると虫はくるくると手足を回転させて、オマタを抑えるような姿勢になってから黒焦げになっていったのだった。あたりにはまるで毛が焼けたような匂いが漂って、その隙間にまるでオーデコロンのような変な香料の匂いが混ざっていた。
飛んで火に入る夏の虫とはよく言ったもので、虫が焼けること自体は特に田舎に行くと珍しくない。花火をしていても飛び込んでくることだってある。そのときに確かに焦げ臭い匂いがすることはあったのだが、少なくとも毛の焼けたような匂いではなかったはずなのだ。
「もしかして、オーデコロンでも股にふっかけている人のものだったのかなあ」
「はっ、意識してることがきっしょ。いかにも遊んでます風なわけね。何を気にしてるんだか。」
「あるいはまたがよほど臭いか。」「あはははは」
そうして数日後にも似たような感じの小さな蚊が、窓のそばに落っこちていた。これも焼いたら毛の匂いがした。
さらにあまり時間を置かずに、羽アリが入ってきていた。一日ずつおいて、一匹はちいさいもので、もう一匹は大きいもの。それも焼いてみたのだが、やはり毛が焼けるような匂いがした。
「チンゲ焼けろ、チンゲ焼けろ」と唱えながら焼くのがセオリーだった。それで本当に穢れ物のような気がするから、「焼けた虫はでかい汚物と同じ」ということで、トイレに流すことにしていた。
そうして数日もしないうちに、母が布団を支度していたときに、枕元の敷布団の脇に黒光りしている動く物体を見つけた。母が布団の横で1センチぐらいの大きさの細長い『羽がついてない黒い昆虫』がうねりながら床をはい、それが母に見つかりしだい見る見る間に自分の枕の陰に隠れたところを見た。
私はそれを聞いたとき、『果たしてどうやって羽が生えていない虫がそんなに家の中に入り込んだろう』と考えた。いや、それは素直に「どこかを伝って入ってきたのだ」と言えばそれまでなのだが、それだったら常日頃からもっと虫が入り込んでいてよかろう?
口が二股に分かれてるような感じの虫で、そいつは母の枕の陰に慌てて駆け込んでいった。他に物陰はたくさんあったはずだ。たとえば敷布団の縁あたりに潜り込んだならまだ理解しよう。だが、それはわざわざ敷布団をよじ登ってまで、枕の下に隠れたのだ。
その妙な動きと、体のフォルムとで、
「なにかうっかりしていると、顎を使ってぐいぐいと自分の体を食い破って中に入られるんじゃないか」と感じた。
慌ててピンセットを取りに行って枕の影を覗いてみると、虫はそこで大人しく静止していた。ここで確実に、「このまま自分が寝ることを待ち伏せされた」と思ったそうだ。それでピンセットで取って、わざわざ便所にまで持っていって、ライターで生きたまま黒焦げにして流した。
本当の汚れ物のような気がしたことから、焼いてから便所に持っていくのではなく、初めて便所で焼いたのだ。
それで、この虫に限っては、他の虫と異なり『ピンセットに大きく黒く焼けた脂がついて、その焦げ付いた脂を落とすのに苦労した』のだという。
さらにそれを焼いてからしばらくの間、母の周辺に、女がつけていそうな香水の匂いが不快にまとわりついた。
この点がどうにも妙なのだが、家に入ってくる虫には、そういう人臭い厭らしさと不自然さを持ったやつがいるものだ。
さてと。これが私の執筆が停止した理由の一つなのだが、一体何を語っているんだと思われても不思議はない。ただの偶然だったんじゃないのかと問われても、それも嘘ではない。
だがこれは虫を見た当事者だったら直感でわかるだろうが、『本当に野生の生き物が、そんなに無防備に人間に近づくか』。見たらそういう感想が頭をよぎるはずだ。
血を吸う必要がある生物だって命がけ。それが必要ないやつが来るなんて、感覚的に変だと思う。
それで、皆さん。あんまりでかい虫が家の中に入り込むことが増えたのだとしたら、そいつは少し変だ。
その最も動きが妙だった枕元の虫を焼いて以降、うちの中に大きな虫が入って来ることはしばらくなくなっている。
だがここまで虫に追われて期間としては前回の投稿時期の7月中頃から、オリンピックの結構な期間までそんなことで埋まってしまうほどだった。暑さにバテただけじゃなくて、なんだか「家に突然現れた痛い虫に刺されるかどうか」で地味に油断ならなかったのだ。
もしかしたら『最初から便所で焼いてみると、そこから続けざまに入ってくることが少なくなる』ことが案外とあるかも知れない。これは生活の質を下げることなので、同じようなことを経験したら早めにやってみるとよい。
焼いてみて人間の体臭がしたときには、とくに成功フラグかもしれない。
小さなお葬式
うわ、虫のせいで話がそれた。
「その穴という穴に棒の噂だけじゃなくてさ、他のも。他のも。」
「そうだなあ、一体どこから語ればいいだろう。」
私の記憶はとりあえず事件から生還したところぐらいで止まっていた。またそこまで語ればもう十分なんじゃないの?
けれども、話を聞いていたタムラたちからすると、「その一件が未だに私の人間関係にどんな影を落としているか」を聞き出したくなってしまうもののようだった。
「なんでそこまで聞きたいの。」
「だってさ、うまく言ってないお前を見るのが、楽しいったらしょうがないんだもの」
そう言って、タムラも江口さんも微笑みだしたのだった。
「ちょっとさ、思い出した順に言うから、話が前後しそうなんだけれど、いい?」
「いいよいいよ。どれが重要かは俺らで決めっし」
かといって、そもそもここをもう一度文章化して語る?私は今現在もあんまり気が進まないでいる。
事件から三日ぐらいが過ぎた。きっと次の週だったんだ。さくら組には園長先生と他の先生たちそうしたら事件の後に何があったのか、ちょっとずつ話が聞こえ始めた。
なぜだか私は「あの先生ね、独りじゃなかったよ。ご両親も同じ理由で亡くなられてしまった」と説明された。
なんでも、先生の介錯をしたっていうお武家さんが、様子を見にその先生のご実家を尋ねたというのだが、見つかったときにはすでにせんせいと同じようになっていて―
せんせいはゲームをやって以降おかしくなったことがわかっていたから、まだ原因がわかる気がする。けれどもどうして彼女のご両親が。
「こういうのは、何かのはずみで連鎖してしまうことがあるんだよ」と、さくら組の先生に言われた。
けれどもきっと親御さんも、先に娘さんが亡くなっていたことを聞く前で、なんとなく幸せなままだった亡くなったんじゃないかと、先生に言われて、私と爆発君は「たしかに…そうか」と納得せざるを得なかった。そのぐらいあの事件の光景は圧倒的だった。
先生、あの事件は…
と言いかけたとき、さくら組の先生に「チッチッチッ」と止められた。
「『年少組の悪夢』ね。」
そうだ、事件の名前は「年少組の悪夢」あるいは「かもめ組の怪」と呼ぶように決められたのだった。先生の首が伸びたあまりの光景に、とくにかもめ組の子供らの中には「ただの悪い夢だ」と思っている人もいるそうで、またそれを止めるわけに行かなかった。
「年少組」と言っておくと、かもめ組の子たちも「もう一つの組かも知れない」とちょっと曖昧な感じなるし、悪夢なら他の子供よく見るものだ。だから何について語っているのかごまかしが利く。
ではなぜ「かもめ組の怪」と呼ぶ分には駄目じゃないのかといえば、そもそも「怪」という言葉自体が難しすぎて、なおかつ音が「かい」だから「かもめ組の朝の会・帰りの会」であると誤魔化しが利きそうだからと大人たちが安く考えたのだった。
あと、事件は表向きにはなかったことにしなくてはいけない。私を見捨てて逃げた人たちにはかもめ組で何があったのかについては、あんまり詳しくは知らせていない。知らせたところで彼女らはろくな手に出ないとわかっていたからだと。
だから幼稚園の中でも「半分なかったこと」にしておいたほうが、おそらくはこれから幼稚園で過ごすときに身のためになる。とにかく「私を見捨てた先生たちとカンバって揉めないでおけ」とちょっぴり脅されたような感じだったのだ。
「覚醒した14人」/ バイクはその後どうなった。
「ねえ、誰も触れない二人だけの国…って、この場合3人じゃないの?」と聞いてたところを見ると、私達は開け放ったかもめ組の入り口から教室の中に向かって、スピッツのロビンソンを歌っていたみたいで。
なんでもその先生が好きだったのが、スピッツのチェリーとロビンソンと渚だった。どうにも私は遠足のときにバスの中でなぜかどれも歌ったことがある。遠足のときにはいきなり過ぎてわけも分からず歌っていたのだが、それはあの亡くなった先生の指定だったからだそうなのだ。
爆発くんは物凄く物覚えが良い子だったのか、どの曲も歌詞はフルで覚えていて、「はい、ここの部分だけ歌って」と私が何故かサビを歌う係になっていた。それでいきなり曲名を言われてもちんぷんかんぷんだったけれど、一度聞いてみたら知っていた。当時スーパーのBGMにもなっていたし。
で、私はとりあえず言われるまま、ホワイトボードに書き出されている歌詞のなかで読めた部分は普通に歌ったのだけれど、とくにサビを歌うときにリズムを外さないように必死でいた。ところでその途中から違和感を覚えていた。爆発くんがその横であんぐり口を開けている。彼はさっきまで元気そうに腕をくねくねさせていたのに、それもやめて、腕はだらーんとぶら下げている。
「あっれ、爆発くん歌わないの」と思って一瞬見てみたりする。
すこーんと虚空を見るような目と口とに『こいつこんな顔していたっけ』と私はそこばっかり見ている。妙な汗が背中を伝ってきた。それも秒数が伸びるごとに彼の顔がこっちに近づいてくるような気がするんだが。それで『ポカーンと口開けてないで、さっきまで歌っていたんだから、サビの部分も歌えや、ていうか先生たちもなんで黙ったままニコニコこちらを見つめているの。自分の声ばっかり聞こえてくるんだが、いやどうする!?』
と声よりも心の声がいっぱいになったあたりでサビが終わってくれたから、そのときに「この曲の尺が絶妙だ」と感じた。
「ん、いや驚いたーちゃんと歌えるんだ」「いや別に驚くところじゃないでしょ」
後で爆発くんにせめて子供同士なんだし歌ってほしかったと伝えたら、「歌詞知ってるけれどさ、歌えるわけじゃないんだ」と告げられてがっかりした。
「おい、私をひとりにするなー!」
『ロビンソン』と『チェリー』を歌うだなんて自分は別段難しいことをしていたとは決して感じていなかった。
タムラがそこまで聞いて突然、
「ああ、ロビンソン、ロビンソンね。あのね、うちの会長が『だーれも食べれないくーさいだけのウニ』って聞き間違って、うわなにこれひでえ歌詞だな誰の曲だよと確かめてみたらそんなことはなく、
『にほんごのはちおんがあいまいにゃのって…もう(日本語の発音が曖昧なのって…もう)』って、当人ほどほどがっかりしてたんだからな」
と言い出して、何だか話の雰囲気がぶち壊しになっている。
「いやそれ、最悪やん。それはそれで小さな最悪詰め合わせ徳用パックやん」
「ん、なんで今その話」と江口さんがタムラに尋ねた。「いや、だってだってそうなんだもの」
あまりのネタっぷりに「今度若い舎弟にでも歌わせたらどうだろう」とか、そこで会長命令出そうとしているのだ。ところがタムラが、何か気になることがあるのか、少し斜め上に目をやる。
「あのね、その手の間違いをする前に、会長が、『CDの音が途切れるし、何か陰の気の塊のような女?がいるような気がする』とかで」
会長さんは儀式用の剣を持っている。たまにしか使わないそれを持って家の中追っかけ回したら気配が逃げるのだという。
「何だと思う?」
とタムラに聞かれた。その当時はそれが何なのだか答えられなかった。私がそれに遭遇しだしたのは、ついこの間からだったからだ。
「あんまりCDの音を小さくしたり切ってくるし、別のおもちゃみたいな『キュルキュルコロコロ』って音に変えてくる気配があるから、いい加減になると会長がね『オトギリさん』って呼ぶぞと言って、少し怒り出すんだよね。」
私は『オトギリ』という音を聞いてしばらく固まった。あれ、どうした?とタムラに尋ねられる。
「あのさ、正確な記憶かどうかわからないけど、さくら組の先生、たしか『タイム組のあの首伸びちゃった先生が、ハーブティー好きでオトギリソウを入れた紅茶を実家でよく飲んでいた』って言ってなかったっけか。大好物なんだよ」
タムラはそれを聞いて、「はあ!?ショウレンギョウの茶なんて好きだったの?」と聞き返した。私はその植物名を聞いたことはなかったけれど、タムラたちの村落ではショウレンギョウのほうが通じるのだそうだ。ついでに日本ではおどろおどろしい伝説も込なので、オトギリって名称は、あんまり使わないほうが仕事で薬草をつくるときなどに不便がないとか。
「ああ、そのはずだよ。それでご実家の台所の洗い場の近くに、その花がごそっと置いてあったと先生が言っていた。」
「常用していたのか。」
タムラがあんまり良い顔をせずに、江口さんにすぐさま問いかけた。
「それ、どういうことだと思う。もともとキチガイだったか」
「うーむ。あんまり大量摂取が推められるものではありませんからね。他の薬とかを飲んでいたら影響してしまいますもの」
それだけ強い薬草だってことか。
「でも先生はあのおとなしい花が好きって言ってたな。あんまり長持ちする花じゃないから無理だけれど、正直『棺にはいっぱい入れてほしいもの』らしいよ。
というか、『自分がもしもマンガに出てくるときにはオトギリソウがいっぱい見えるようなキャラでありたい』」
これは亡くなる直前に言っていたことかな。それで「お花とかいいの?」と先生に聞いていたかな。それで花の代わりに歌でも歌っとけといわれたのだった。
せいぜい二人で通しで歌えたのは『渚』だったので、あんまり楽しかったのか爆発くんは3回ぐらいそれを歌っていたかな。んでも、両手を握ってニカニカ笑いながら歌うのこわい。この手を離せと間奏のときにずっと頼んでいた気がする。
さくら組の先生が彼のことを「わあ息長いね」と言っていたか。
「ぼく、年の割に肺活量あるんです」ニコッ
思い返せば彼の取り柄は、『歌詞を丸覚え出来ること』と、『肺活量があること』だったよな。
スピッツのサビを聞くたんびに、何となくそのときの様子が思い出されてしまって、なんだか微妙な気分になることがある。
自分はこのあとも歌うときにとにかく一人になりやすかったのだけれど、中でもちょっと引っかかりがあったのが、このときのエピソードだった。
ああでも、『渚』はまるで波打ち際の泡沫が、浮かんでは消えるようなインストが良いよね。海なんて見えない幼稚園に綺麗な景色をくれていた。
「そういえば、爆発君って、名前なんて言ったっけ。私こんなに仲いいのに、あなたの名前覚えられないんだよね」
「ん…?ああ僕ねえ『チョロタ』。家ではそう呼ばれているよ」
「え、ちょろた…?」
爆発君はがっしりとした体、強い腕、あまりにイメージに合わないネーミングに驚愕した。
「そうなんだ。ぼくうちでは一番小さいから、チョロタって言われているんだ。」
それをかもめ組に入らずに、とにかくさくら組からそこの入り口に向かってただ歌っていた。
「さあさ、せんせいにさよならしようね」
と他の先生に言われたのだから、あれが供養の儀式だったんじゃないかな。
あの人に、きちんとした葬式が出たような気がしない。先生たちはお通夜とか葬式とか騒いでいなかった。
『もうすぐ人を襲う代物になる前に、民間人が民間人を殺してしまう』という、先生が亡くなったときのシチュエーションの際どさが、年中組なりにわかっていた。
たとえば『テロリストに向かって警察が銃を放って殺してしまうことは善だ』と教わっていた。けれどもそうでない場合は?まだ人を襲っていないばけものを、誰かを襲わないうちに、普通の人が殺す。それは殺人事件に当たるのか、それともまた別の要件にはまるのか。一旦考えた。
もっといえば人を殺せるだけの武器を所持し、使っただけで悪になるんじゃないかとか気になった。このときまだ正当防衛という言葉を知らなくて、これの罪の重さがイマイチどころかだいぶん分からなかったのだ。
それが『大人のルールに当てはめたときに良いか悪いか』ではない。私はそのとき大人のルールを相当、『子供には裏目に出るものだ』と感じていた。だって暴れだす寸前の人間の前に5才児を差し出して、大の大人たちが安全圏に逃げおおせることが、やはりこの段になっても間違ったこととはされなかったから、これはかなり明らかな気がした。
『自分が生きていても良い』って言い訳が、自分にはどうしても必要なんだと、私は5歳ながらはっと気づいた。なのでそれに大きく関わる善悪は、一旦棚に上げてしまう。
そうしておそらく、高校になってから銃撃事件があって、ヤーさんを名乗る人たちともさほど抵抗なく関わり続けてしまったことには、きっと『自分を守ってくれるものならなんでもいいよ』『そんなものは人となりを見てから決めよう』と体感してしまうことが、すでにそのときには初めてではなかったせいもあるみたいだった。
たったのそんな目に遭うだけで、私の正義観はすでに平和にだけ生きてきた一般人に比べてしまえば、かなり境界にあったみたいだった。
それでも親父みたいな人間の子に産まれて嫌がらせにもあい続けているし、妙ちきりんな方法で死んでしまった人を見て、そのあと聖人っぽく振る舞えと言われていて、ああやってひとりぼっちで歌いながら、なんだかおふざけみたいだったけれど、毎日罪の咎めがやってきたような気持ちで生きてきたんだな。
せんせいみたいなものの殺処分が秘密裏に行われていることだろうことは、すぐに察しがついた。
さらに園長もわざわざ「首吊り自殺だ」と説明しないと、周囲の人達が理解不能と言っていたから、早速わかりやすい嘘で事実はふせなくてはならないようなことを語っていた。
いかんせん、せんせいがおかしくなったときの状況と死因がそういう事情だから、「ああいう死に方をした事自体伏せられているのではないか」と思ったのだ。
それで彼女が亡くなった事実を知っても良かったろうせんせいのご両親ですら、それを知る前に『もう駄目だった』のだから、あのことを知っている人たちは、今ここの教室に集まっている先生と、ほんのちょっとの園児と、本当に彼女を処理した武家の人。ほとんど事件の当事者でしかない様子だった。
そうして生き残ったがわからするとだ。誰もが『自分がなぜ生きているか』についてとやかく理由を問われてみろ、たとえ尋ねてきた相手が公人であったとしても、罪に問わないときっちり約束してくれても信用ならず、どこをどう詳しく説明するかもめんどくさくて。
園長にこの感覚を素直に説明したら、
「それが『ただじゃすまない』ということだ。女の子なのにそれが判ったことは、賢い。
生きるってたたじゃすまない。殺しだなんて、食べるとき以外になんて散々だと思うところにだ、食べる以外にも殺さないと、生きていけないことがたくさんある。
そうしてどうにも様子を見る限り、誰もがただで生きてきたわけじゃないくせに、下手をすると大人になってもそのことをわかってない様子な人が、…きっと日本の女の人には多いのさ。」
と言われた。
「私、そんな人にも優しくしなくちゃ、だめ?」
園長はしばらく黙ってから、こう答えた。
「…ちょっと乱暴な答えだが、眼の前で起こっている出来事の一番大事なところすら、殴られるまでわからないやつもいる。大勢いるんだろうな。
けれど、殴るってね、殴った側も傷つくんだよ。優しくするかどうか、そこまでの覚悟で相手にわからせるかどうかは、そこから考えようか。」
私は先生に結構尖った答えをもらったことに驚いた。「その答えで大丈夫」と尋ねていた。
なんでも彼は私が相当にやりづらい感じなのを見て取っていたそうだから。
「こういうとき、正攻法でもだめだろう。だから乱暴な答えを出したんだ。」「たしかに」
うーむ。むずかしいなと園長は頭の後ろを掻いた。
「ただ、フーちゃんは、やり慣れている人に頼む術も学びなさい。あんまり自分で率先してやろうとするんじゃないよ。危ないからね。」
私はさくら組の先生に、「あのせんせい、これで気済ませてくれるかな」と聞いていた。
「うーん。ご家族の誰からも悲しんでもらえなかったからね。でもやらないよりはマシだったんじゃないかな。」
先生はしゃがんで私と目線を合わせると、
「まあ先生は、あんまりあの人がフノスちゃんに付きまとわなければいいなって思っているよ」
と言った。(実際にはそうは行かなかったみたい。)でもこれが、小さなお葬式だと聞いて、私はあることがちょっと不安になった。
「悲しむ人がいないことが悪いことなの?ならわたし、あの先生のこと、そんなに悲しめないや。」
さくら組の先生も、悲しめるかどうかはまだ微妙だなあとつぶやいて、口元を抑えていた。
「うーん。それはね、『20年30年ぐらい経ってから、ぽつんと思い出してくれる人がいるだけで十分なんじゃないかな』って。よく考えてみたら、そこまでしてもらえることってあんまりないよなと思うんだ。だいたい、供養ってそういうものだと思うよ」
ところで園長にとっては、とてもラッキーなことがあった。
「せんせー、僕最近、急にぜえぜえ起こらなくなった。ものおぼえよくなった。頭もはっきりしている」
あんな目に合わされながら、最後まで退避することすら中々許されなかったかもめ組の生徒たちであったが、知的障害がほとんど寛解してしまったものが複数名出ていた。いままでろくに口も利けなかった子供が、そのへんの子供よりよほど達者になってしまったり。
要は園長が理想としていた「子供の時の障害は途中で治る子が出るかも知れない」という考えが、なんとこんなところで実現してしまったのだ。
その中でも最も改善を見せたのが、よく園長になついていて「過呼吸をはやく治すおまじない」を教わっていた子だった。もとは言葉もたどたどしい子だったのだが、実はこの日以降、かなり落ち着きがある、むしろ常人より達者な感じの子供になっていった。
そのあまりの改善っぷりに、このときの現象は『もしかしたら、狂人になりうる人が常人をしていた(―要は常人のフリを精巧にしていた)間は、とくに弱いものがその代わりにならなくてはならなかった』のではないかと予想されていた。
もともと園長は、「本当に障害だったのなら、大人になるに連れて嘘のように正常に戻る現象があるわけがあるか」と感じていたそうだし、逆に「子供のときに正常だったのに大人に近づくに連れて、原因不明にいきなり異常になる」現象も変だと思っていたのだ。
そのとき園長はあまり大っぴらには言わなかったが、『そこなしぬまた』のように「他人と自分との具合を入れ替える存在」は確実にいる前提でものを語っている様子だった。
だが『隠れ狂人が亡くなってしまったら、近くで代わりを担っておかしくなっていた子の症状が改善する』。この予想が本当ならそれら現象にも説明がつくのだという。
これがその子が言ったことには「どんな薬も効かなかったのに」だった。過呼吸を抑える用の薬でも処方されていたのだろうか。
あのせんせいがとても悪い人ではなかったことはわかっているが、生きているだけで無理はしていた。その無理が思わぬところにたたっていたと確認されると、やはりあのせんせいはあの場で終わってくれて正解には違いなかったのである。
かといって、私はあのとき自分を置いていき、―ついには熱海にこぞって引っ越していった幼稚園の先生たちだって、相当ヤバイ奴らだとは感じていた。
詰まりはあの人は、他の狂人が普通の人のふりをし続けている中、比較的に無害で正しく死んだといえそうだった。
このお葬式の時点で治ったと言っていた子供は、3名程度にとどまっていた。
しかしこの後、かもめ組では合計14人の子供たちが、わずか半月の間に知的障害をほぼ寛解させて、実は他のクラスの子供らよりも達者になってしまったりした。そのうち1名が乗り物酔いがひどすぎて、バスで通園出来てなかった子で、近所から歩いてきていた。そのせいで同じ組の子たちからですら
「バスに乗れないって…それはちょっとかわいそうかも?」と言われていたのだった。
この子がたまにみんなを自宅に帰すバスに乗せてもらってみんなを見送ってから、一周して幼稚園に戻ってた。それから迎えに来たおばあちゃんと一緒にご機嫌に家に戻るようになっていたか。
この子供たちはそのまま年中組に進級していったはずなのだ。翌年になってから私はよく廊下で、その子達から声をかけられた。
この子供たちが「覚醒した14人」と先生たちの間で言われていたかな。かもめ組はなくさなくちゃと言われていたものの、おそらく功績はあったのである。
爆発くんが「良いこと教えてあげるよ」と、こんなことを教えてくれた。
「ほら、『いぬぶえ』で集まったっていう、暴走族ね、あの話の続きが判ったんだ。」
「ライダーはどうなったの?」
「じつはね、これが摩訶不思議。
その日の晩のうちに、変なタスキまみれになってるところを逮捕された」
ところがそのライダーたちは警察署に連行して取り調べても、会話になっていない。言語だけははっきりと喋っているのだが、言われていることが理解できないみたいで、ちぐはぐだ。しばらくするとライダーはどれも血を吐いて、ビヨビヨ首を伸ばして死んでしまったと。
この話は同じ幼稚園の園児たちの中で『親戚が見た』ということで、少し騒ぎになっていた。
「まあ、勝手に死んでしまったものだから、無害ですんで良かったけれどね。それにしても片付けに苦労したんだって。
その親戚とかに『どう処理します?いたことすら伏せますか?』とか聞くのが大変だったみたいだね。」
「いたことすら伏せる」私は爆発くんの言葉をそのまま繰り返した。
「そうなんだよね。知り合いのおじさんに聞いてみたんだけれど、やっぱり死に方がおかしいとちょっとそういうことってあるみたいなんだよ。」
園長はうむうむと頷いた。「やっぱりあの結界、そのぐらいには強烈だったんだなあ」そう言って、園長はちょっと心配そうな面持ちで、かもめ組を見ていた。
「じつはさあ、まだ片付けが済んでいないんだ。あの結界」
私は話が終わってもなお、かもめ組の方を眺めていた。園長先生にどうした?と尋ねられた。
「あのせんせいのこと、助けられなくて残念だったの?」
「うーうん。ちがうよ。悲しかったり残念だったりしないの。けれどその代わりに、私ね、何かきっと先生と約束をしたんだ。」
私の目の前には、かもめ組の真ん中にとても穏やかな小川が流れているような気がしていた。どうしてそんなイメージをしていたのかわからないけれど、せんせいはその向こう側で右に左に体を揺すっていて、更に向こうにはぺりかん組の四角い箱の棚たちが、いつも開け放たれている戸の間から覗いている。
「園長、私、あの人と川を渡っていくようなぼんやりとした約束をしてしまった。そんな気がするよ」
「そうか」
「でも、きっと叶えないとと思ったんだ」
狂気のキラキラ
街場なせいだろうか。子供たちの間には、更に別の狂気が繁茂していた。
事件の次の日、何だか私はグループ女子から突き飛ばされた。なんだと!と言い返すと、
「やり返すんじゃねえよ!お前なんて全然キラキラしていないくせに!」
いやこの状況で相手に手を挙げなかっただけ、エラいって言ってくれって状況なのに。
タムラが両目を細めて眉毛をくいと上げた。
「は、それ、なあに。」
「あのね。その当時女子たちの間で『腕の周りに攻撃力を持ったキラキラがまとわりついている』っていう妄想が流行っていたんだ」
あの先生がいなくなる何日も前から、この妄想は始まっていた。私は「まれびと」と繰り返す大人を追っていたことから、なんだか気がそれていたけれど、言ってることのトンチキさからしてちょっと警戒はしていた。
私が又聞き程度に知ったことには、そのキラキラは腕に渦を巻くようにまとわりつくようについていて、必死になって意識すれば自分の意志で動かせる。
何処から手に入れたのかと聞けば、『空に青い鳥が飛んできて、我々の頭上にキラキラの元をばらまいたのだ』と。空から落ちてきたそれに触れても、選ばれたものにしか使えなかった。
キラキラを放つ子供たちの間ではなぜか示し合わせたかのように、その虚妄も一緒だった。
「お前はそこから外れたのだろう?だから偉くない」と。
一体それが何の効果があるかは、あんまり詳しく分からなかったが、キラキラの一部が相手に当たると、相手に何らかのダメージが加わり、自分たちの味方になってくれる。
なんだか都合の良いハートキャッチシステムがあって、つまりは、彼女らが信じていたのは一種の洗脳能力じみたものだった。
逆に彼女らが恐れていたのは、「飛ばしすぎてはいけない」と。そのキラキラが自分の周りを防御していないときに、逆に周りの人間から何かの影響を受けてしまう。
それを聞いたタムラがしかめ面をして首をひねる。
「えーとねえ、ロックバンドとかで、ドラムに水を張ってだ、飛び散る水滴がキラキラしているところを見て楽しむっていうパフォーマンスがあるんだけれどね」
「わあ、感電とか気をつけなきゃなことするのねえ。音とか大丈夫?こもりそう」
「とりあえず音とか大丈夫なんじゃないかな。俺の記憶が正しければ」とタムラは言った。
江口さんが「そういうところに付き合わされると面倒かも」と嫌がった。彼は配電工だから、手伝わされること必至なのだ。きっと技術的にはやってのけるのだろうが…きっと彼の言ってる面倒は、そういうことじゃない。
「その点、会長がその手のことする人じゃなくてよかった」と彼は呟いた。
「詳しいのねえ」と感心すると、
「いやあ。こいうのねえ、会長が割と強制的に仕込むから。勉強になってるけども」
と二人が言った。二人共じつは、平常時は会長宅でそういうお勉強もしていたとか。
タムラが一度頷いた。
「一応、そういうね、ロックはその手のキラキラに憧れるってところはあるみたいよ?
んでもさあ…さすがにそこにだよ、その手の洗脳系の設定は、ないわ。
クスリでも決めてるのかって。でも5歳社会でそれはないわなあ。」
彼はなおも考えながら、
「あのね、古いロックの話をするけれども、あのね、いちおうドラッグはある。」
「まあ、その手のは何処にでもあるよね。薬物汚染って、場所選ばない。」
「たださあ、俺が言いたいのはねドラッグがちらつく世界だとしても、『他人を洗脳できるか』と言ったら、そうじゃない感じ。カルト的人気を美徳してるし、あんな発信する仕事をしてるんだから、洗脳したい気持ちがゼロじゃないはずなんだけれど、『キラキラをそれに使おう』っていう発想は聞いたこともないぞ。」
「そうか。実はヤク中だろうと、こんなことは言わなかったのか。だからこそ、幼稚園児が言っていたことは、なおさらおかしいわけだな」
「たぶん。」タムラは不味そうに目をそらす。
「じゃ、そこまでおかしいと思ってくれるのならば、この話も、軽くおかしいことを承知で聞いてくれるかな。」
「はい?」タムラが話を聞く姿勢を見せた。
ところが私は幼稚園で女児たちが言ってる妄想は理解ならなかったが、『ちょっとまずいかも』と思い当たっている節はあった。
その女子たちが妄想にはまっていた時期に、実際に私は、目の端などに火花が散るような感じがしていることが度々あったからだ。私はそれを見るたびに、
「何事だろう。吸い込んではならないかも」
ととっさに、息を止めてその場を立ち去るなりしていた。なおかつその火花はある程度同じ場所にとどまっているせいか、逃げると遠ざかることが出来たし、動くにしてもまるで人が歩いていくのと同じスピードでしか移動しないようで、突然光りだした地点からうねうねと泳ぐように動いたりするだけだった。
だから本物の火花とも違うのは明確だった。あれは飛んだり散ったりして、わかっていても中々避けられない。
視界がキラキラしてみえる病気に『光視症』とか『ビジュアルスノウ』と呼ばれるものがあるのだそうだが、もちろんその当時の私にそんな知識はない。
幼稚園にいるときと、幼稚園の嫌な子供のことを思い出していたタイミングでないとあまり発生しない。なおかつ幼稚園でも人目につかないところに隠れると一旦収まることわかっていたので「人の視界から外れるといいのかな」と思っていた。
やりようはある。とはいえ3日も続いて気になったので、しごく冷静を装って先生に言っても「うーん、ストレスたまってるのかな。めまいを起こすとそういうことはあるから。具合を悪くしたら言ってね」と少し体調に気をつけるように言われて終わっていた。
とはいえ、こんな強い光を放つものって何だろうと感じながら、何か吸い込んだらまずいホコリのたぐいかと警戒していた。
それを周りのあまり仲良くない男子たちから「『光るホコリが』って逃げやがって。どっかおかしいんじゃねえの」とからかわれていたことがあった。
…が、なんとその後言われたのが、この『キラキラ虚妄』だったのだ。それでなんだか、彼女らの視界から外れるとそのホコリがなくなる気がしていたこと、少なくとも吸い込まないようにすることが、あんまり間違いではなかったような気がしたのだ。
それぞれの最初はキラキラはお互いには見えないそうなのだが、『ある』という情報だけは信じあっていて、『お前のキラキラ何色だったっけ』という話になっていた。
友達同士で色を教わったらきっちり覚えておくのが礼儀みたいになっていた。しばらくするとお互いのキラキラが見えるときも増えてくるのだと、彼女たちは言った。
「とくにピーターラビット女の子と叫んでいる奴らの中心核になっていた女はねえ、同じ高校にいるけれど、『腕に赤いキラキラ』をまとっているっていう妄想を、本当に信じ込んでいた。
そうして彼女は言ったのさ『お前にはそういうものがない』と。」
なくて結構だよ。それどころか私は、微妙にだけれど見えちゃってるじゃん、いやだ、どうしよう…とそっちに慌てたけれど。
「んじゃ、そこの幼稚園、オーラとオーラをぶつけ合い熾烈な戦いを繰り広げるコロシアムであり…いっぱい本があるんだろ?それでいて童話の城と化していたってのか。」
とタムラは珍しく話を比喩でかいつまんだ。
「まあ、一部の子たちにとっては、そう。」
「お前にとってはコロシアムか、童話の城だったかって言ったら」
「私にとっては『童話の城』と言ったほうが、まあ正しかったかな。」
彼女は私に向かって「このパルチザン」と言い放った。
幼稚園児よどっから覚えたその言い回し。
私は「パルチザン?」と思わず聞き返す。あまり耳慣れた言葉じゃなかった。
「じいちゃんが言ってたんだよ。お前みたいなやつのことを、パルチザンとかゲリラって言うって。」
そう言うと彼女は「焼き討ちに会いたくなくば、名乗り出れやあ、出てこいやあ」とがるがるとこちらに歯をむき出すように言うと、「てんこうさせてやる、てんこうさせてやる」とその場の床をだんだんと蹴り飛ばす。
「それってテロリストみたいなもの?」
「はあん?んなもんテロリストよりも悪い奴らに決まってるだろ。」
どうして彼女は襟首を掴んでまで、「お前どうせそういうもののくせに。だっからキラキラがないくせに。キラキラもないくせに」と凄まじく敵意をむき出しにしてきたのか。
「おい、テロリストも知らないのか。この間起こったばかりじゃないか。俺は知ってるぞ」
爆発君がやってきて、そう言った。「んなもん知るかあ!!」彼女らはお構いなしだ。
「いいから、今度何かあってもなくても、うちらの代わりに死んでこい。このできそこない」
と襟首掴まれながら言われたのは、確かこのときだったな。
すぐに放してもらえたけれど、とにかく彼女が何をしたかったのか、よく分からなかった。
さすがの状況に、「おいてめ、」と爆発くんが介入して、女子たちが「ぴゃあああ」と叫びながら逃げ出していった。彼はそれを何かべらべら語りかけながらちょっとの間追いかけたが、でも追うだけアホ臭かったのか諦めて
「ちくしょ、相手の惨めを真面目に蔑んだら、そらイジメっていうんだよ!ばかーっ!」
と蜘蛛の子散らすように逃げたそいつらに向かって叫んでいた。
しばらくして後ろから
「フノスの家じゃあ、ご飯は鍋で炊いているなんて非常識」とか後ろから女子グループで指をさしてきていたことはよく覚えていた。なんかもう、相手を非難できるものを一斉にまくしたててみた感じなのだけれど、にしてもかなりの頻度でバカにする対象がご飯の鍋だきだったんだよね。
この当時圧力鍋。10年以上前から現在まで木製取っ手がもげた、安くて薄いホーロー鍋。
教室に戻って先生たちに、さっき言われたことを伝えた。
そうしたら先生たちも「どうして幼稚園児がそんなことを」と言った。
「先生、てんこうって何ですか」「ん。ひっどく傷になるような、殺しにかかるような拷問をかけて、全部国の言うことを聞かせるようにする捜査」とさくら組の先生が短く伝えた。
「いくらなんでもなんてひどいことを言う」と年配の先生が気にしている様子だった。
「いやあ案外憲兵の親戚とか、いるからねえ」「そういうもんなのかね」
私が手のひらを見てしまう癖がある理由
私はふと、自分の手のひらを見つめていた。それは私の元からの癖だ。それが「もうすぐ亡くなる人がとる癖である」と言われていて、先生たちからは少し心配されていた。
現在もその癖はある。
このときも右手を見つめていた。先生方が少し心配そうに話を止めて、「どうしたの」と尋ねてきた。ただこのとき自分がキラキラで攻撃を仕掛けるようになった女子たちと同じものになってないか心配で、手のひらを見つめていた。
ちょっと普段とは違う意味も加わっていて、先生方はそこを読んでくれなさそうな感じが嫌だった。
「うん。あのね、私今朝、ぱっとどこかについた右手のひらがね、いつのまにか火傷している夢を見たの」
その話を頷きながらさくら組の担任の先生が聞いた。
「なんだかそれ、ハイハイしている子供が炊飯器の蒸気の吹き出し口に触ってしまった事故みたい」
そう言われていたことがあった。そういうことでもあったのかと尋ねられて、何故か脳裏にその映像がぴたりと浮かんだから「そう、かも」と答えた。
さて、現在になってからである。それが凄い年数経ってから思い出して聞いてみたら、本当にそうだった。
我が家が鍋だきを始めた理由は本当はそれだった。子育てを始めた当初は炊飯器を使っていたのだが、私がそこに手を当ててやけどをしたら「これはよくない」と、あまりに気持ちが一気に切り替わってしまったそうなのだ。
そのあと引っ越した現在の自宅では、とても狭い台所を通り抜けたところに洗面所がある。子供は頻繁に手を洗いに行かなくてはならない。そんなところにやけどのリスクがああも高いものを置いていられない。『場所取る・通過の邪魔になる・やけど』のリスクの三拍子。
やはり炊飯器に戻すような選択肢は、母の頭の中ではなかった。
そもそも昔は火で炊くものだし、炊き方はわかっていたのだが、このあとゆっくりとテレビから気軽に試せて効果があったものを取り入れていった。前回羅列したコツがおおかた最終たどり着いた工程である。
それでも最初の理由はやけどの防止だ。そういうわりときちんとした理由があっても、周囲から飯の鍋だきはしてると言えばキチガイ扱い。それは母も子である私も同じだったようで。
「そういうこと、ネットで言われなかった?」
「ああ。それがねそうでもなくてさ。鍋だきに変えてみたら、『具合の悪さが収まった』って言う人がいた。
あとね自分のサイトを見たかはわからないのだけれど、逆にそのわざわざしなくてもいいのに馬鹿にしてきたタイプの人間が登場人物のエピソードと人となりを書くことになってしまったわけね。それがよかったようで、『鍋だきやってみたぜ』と職場で男性同士で話していた男性がね、やはりその場にいた威張り屋の女性社員からやはりキチガイ扱いされたんだってさ。」
「はい?」母の動きが固まった。
「でもね、私書かれていた内容に驚いた。女性の中でもあったま悪い人が台所のことについてキレだすのって、標的にする宛が当たり構わずだったみたい。弱いものイジメが好きでしょうがなさそうなある女がだ、力の差とかあまりに気にせず男に向かってキチガイだって言う状況とか。そういう人格の人間が挑みかかったみたいだったんだよ。さすがにその状況には驚かないか。」
「いや、それさすがに終わるでしょう。全く計算も何もないんだ」
「『それが現代女性の思い上がりだ』とは取られたくないんだ。ただ普段なら絶対やらないだろう人間がおそらく筋の通らない行動起こしたって話だから。頭から抑えつけられる女性は抑えつけられていると思う。
台所のことに関して、『おめえにやれ』と命令したわけじゃない状況で怒り出す。わけがわからない。ただ挑みかかったその人の計算がぶっ飛んでいたのさ。
この狂い方は『ピーターラビット女の子』と言っても怒られないと思い込んでいた奴らとよく似てるんだと。」
母が「ああ、本当のキチガイな」と頷いた。
「でも男性ってさ、たぶんそういう嫌なマウントのとり方には凄く慣れている。いや自分の身の周りを見てたら、対処ができてたの男だけでさ、これの発言者自分と遠くない年代だろ。」
「ん、また女がその判断早くても…いざ実行に移そうとしたときに、そんな良いことないからね」
と母が言った。軽く言葉に詰まってる。私はどうかなあと思った。判断が早いだけ早いぶんには悪くないんじゃないと。そういうバカさに縮み上がるような周囲のボケっぷりを見ていて、これは駄目だと何度思ったかなと。
そこはも少し教育次第なんじゃないかと思う面もあったのだ。どう指導すれば良いとか、あんま他人に言うことを聞かせられた試しがないような、自分にはそこがわからないけど。
「だって、嫌なマウントのとり方が見分けられないってさ、ピーターラビット女の子ってところ構わず叫びだすようなやつに応対しながら、相手がヤバイことにすぐさま気づかないような感じだぜ。それでやべえから当たり障りなく過ごそうって感じじゃなくて、ヤバイことに気づいていないから便乗して一緒に暴れだす系。あるいはその人が他の人攻撃していても『あの人常識的なことしてるから』としか言ってこないやつ。
私、女子ときたら、なーんか実際にはそっちしか見たことなくてさ。偏見なのかなあと思ってるんだけれど、なんかどうしても。そうじゃないやついる?って尋ねても、そんなシチュエーションに行きあったことがないって言われて突っぱねられてきた話題よな。
キチガイとまともにやり合おうだなんて思えないし、正そうと思えないけど、周りで受け答えするやつよ。ちょっと違う方向に防ぎようがあるんじゃないか」
と、やっぱり思ってしまう。
一応説明すると「そら終わってるから」と返される。
「まあいいや、話を読んでいて思ったはさ、もはや『あまりにも正当性がない相手には力で抑えつけなくてはあぶないだろうな』って判断が早いし的確だなってところなの。
結局そこで冷凍ストックが役立ったみたいでさ。『はあ〜一々そんなもので炊いてるの』と言われたから、冷凍庫の写真を見せて、『これレンジにかけるだけですげえ時短してんだけど?一々なわけねえんだけど?何文句つけてるわけ?』と威圧を図ってその場を収めたみたいなんだ。
そのときに、驚きの内容で馬鹿にされたけれど、『凄く馬鹿にしてくる人がいるって本当だったんだ!』と書いてあったから、もしかして自分のサイトの読者かなって。なぜか心の準備がさっと出来たって。」
「いやあ、それにしても台所のことについてキレだすのって、変なときそのぐらい変なもんなんだね」
「どうにもそうみたい。」
キラキラ妄想解説
腕の周りをまとわりついていた「人を攻撃するキラキラ」は当時、女性に台所の使い方に触れると逆鱗のように怒り出すのと同じようにまずい話題だった。
キラキラ妄想の話は、もうちょっと長期間関わることになった。
幼稚園のときの中心になっていた彼女とは小中と別の学校になった。これが高校は同じところである。彼女が威張っていた当初は単なる『なりきりごっこ』かと思われていたこの幻想は、時間が経ってから少し話がこじれてきた。
このあと小学校に入ってから、まるで同じような妄想を別の幼稚園出身の女子たちが口々に唱え始めていて、実は大人だったりそれを強く咎めて威圧してくるような人がいない前であったら、小学校高学年に差し掛かったぐらいの年になってもそれを言っている奴らがまだいた。
示し合わせたように同じ妄想を語る女子たち。ところがそれぞれが「独自に自分が始めたルールだ」という。これが攻撃キラキラについては決して『遊びだ』とは言ったことがない。同じルールに従って生きている奴らは「お互い気が合うね」と言って、のちに集合していった。
キラキラの攻撃の性質も変わることがなく、ある種の洗脳能力を持っている様子だった。「正しいからキラキラしているのだ。正しいから相手が従うのだ。そのキラキラも持っていないからお前は絶対に歯向かうな。仕返しするな」と。
「きらめき」とは「絶対に正しいに決まってること」の象徴だったようだ。
それから強いて言うなら『腕にキラキラ』を信じていた子たちが、中学に上がってからは「ああ〜昔は良かったなあ。何を見てもキラキラしていて、結構何でも思い通りになるかと思っていてもん。今そういうのないから。」とか深いため息をついているのを、実は中学になってもまだ(過去はこうだった〜と裏返し的に)信じていたと言っても過言ではなかった。
そう考えると、彼女たちは物心ついてから12〜13歳ぐらいまで?結構な歳まで「腕の周りにまとわりつく攻撃型キラキラ」の存在を信じ込んでいた様子なのだった。
ええと…「サンタさんのことは信じない」と年齢がひと桁台(8〜9歳。下手すればもっと早い)のうちに言うようになっていた子供たちも、キラキラ妄想だけは決して手放さないタイプは多く含まれていただけに、ちょっと呆れていた。
ただ、サンタは信じないで、キラキラは信じていたやつの中に、Aちゃんが混じっていた。彼女は幼稚園は一緒ではなく、小学校から高校までが同じだった子なのだが、違う幼稚園出身者と同じ妄想を口走って馴染んでいる様子だった。そういえばそんな話の折に「いやあコンビニでバイトをしている夢を見ていてさあ、そうしたら自分の名札に『ゆでたまご』って書いてあるのね」なんてことを言ってたのは彼女だ。
ゆでたまごと言われましても。それを言ってた当時たしかにその名のまんまなぐらいの体型だったか。
それでニュースを見てびくっとした。女子高生殺人事件の犯人とはまるで名前とか違う人だけれど、唐突に出てきた『ゆでたまご』にそのことを思い出したのだった。
それで高校に入っても、女子たちだけで集まると「キラキラがあ、もう何年も前からあ、毎日がキラキラしてない」と言っている時があった。もはやこうなってしまうと、「子供の時の夢」の範疇ではないぞと、私は眉をひそめていた。幼稚と言い切れる年齢は完全に逸脱していたのに、それについてはまだ、信じようとしていたのだから。
世の中、いくら「お前は無力だ。だから従え」そういう風に持ち込もうとする理論がたくさんあって、大人の汚い事情で日々行使されている。それを「一切の違和感を持たずに受け入れろよ」と物凄く強制されるときだってあるからって、さすがにこんな論理なんてあるかよと。呆れてこないか。んで、なんか知らないけれど、そういうことを口にする子供は先生方から怒られることがなかった。「自分らしさを貫く、きっちりした統率力のある子だ」とすら言われていたのだ。
ところが実際にはこんな話こそが、私が子供のときに最も幅を利かせて、私が見た限りどんなムズカシイ説教よりも最も広く通用していた様子だったのだ。さらにこれが褒められるだけでなく、「襟首を掴みみぞおちに蹴りを入れる」口実になる。それを女子が女子にやるのだ。大人たちもそれを「子供らしい夢の世界でしょ」と、ニコニコしながら見つめていた。
もはや狂気しか感じなかろう?
ビジネスに精通したあくどい大人が、いくら御託を並べて出世を遂げることがうまくたって、本当はこの手の狂気になんて敵いやしていないのではないか。それにタムラの様子を見ている限りでは、反社の人ですら容易には気づけない様子なのだと感じた。
なぜならここまで話してタムラになにか心当たりがないかと聞いたら「んなこちらにデータを持ち合わせてないことが、あるはずないだろ」と、いつもながらの思い上がったような発言をしていたからだ。
小さすぎた自分の話の真偽はともかく、本当はその思い上がりに後々まで苦しめられるのはわかっていたし少しばかり治したくもあったが、やりかたがわからない。江口さんも笑ったまま黙っている。
そうしたら私の態度が、タムラの癪に障ったようで、
「はあ!?馬鹿にしてんのか。おめえと違ってなあ、トチ狂った馬鹿と付き合いがなかったってことだぞ、有能だろ。おい聞いてんのか」
と、ぎゃあぎゃあ自分の胸を指さしながらがなり立てるタムラを私はしげしげと見ていた。ひとつには、別にタムラは私の話を疑うではなく、『ありえなくはない話だ』と捉えていること。あとその件に関してはデータが揃えられなかったことだけは、かなりはっきりしている話だった。
「だから今言ったろ。付き合うかどうかは後で決めてほしいが、お前が今やってるのは、証言が集められなかったってことだよ。どっか有能だったのか」
「はあん?んだとこら」
「ええとね、なにか偏った方面に精錬潔白であるイメージが大事な業務ではないなら、なおさらどうしてご存命の方のバカさにスポットを当てようとしないの。あなた達はそれをしたところで、殺されるリスクは私達より非常に低いでしょう」
「んなことは当たり前よ。何いってんだ。俺らが殺されるのはよほどのときさ。
存命の人間のバカさを調べないだって?そら、金にならないからよ」
「ほんとうにそれでいいの?」
するとタムラはがっと口を開いた。生臭い魚のような目がこっちを見張る。
「いい?金にならないことは、あくなのー!絶対の悪!お前ほんっとそのへん分けわかってねえな。トチ狂ってんじゃないの。力もないやつは光らないてえの。」
「おい、お前まさか、その偽装キラキラ女子と同じこと言ってんじゃないだろうな?」
「『偽装キラキラ女子』だって!?へっへっへっへっへ」とタムラは江口さんの方を見て大笑いをしていた。
「んなあ、そこまで非科学的におかしくなってはいないってえの」
どうだろ。金にならないと何も出来ないと言ってるような彼と、「飛ばしすぎてはいけない!キラキラが自分の周りを防御していないときに、逆に周りの人間から操られてしまうみたい」と言い放った幼稚園の女子たちの姿が重なる。
『コイツラが言ってる金とは、キラキラ妄想に近い』ということなのか?
「なんだよこの金しか気に出来ないアリみたいなやつ」
と言って、タムラに「ファ!?」と驚かれた。どうして自分でもそんな言葉が口をついて出たのか分からなくて、何とかその理由を探そうとした。アリみたいに寄ってたかる、アリみたいに働くならわかるけれど…考えてみたらアリは金のことをそんな気にするか?
タムラという目の前の豚みたいな少年を見て、力相応に何か華とか光るところがあるように見えたかと言ったら、そうではなかった。タムラは鼻でもすすり上げるみたいに「いやあもう話にならん」と小さく憤慨していた。
まあ彼らに言わせたら、そういう頭の狂い方は増長させて全部金儲けの道具にしてしまえと考えており、抑止したり予防策を打っておく気はないという。
先生たちが求めた「聖人」
とはいえ、ちょっとまだその馬鹿げた妄想が10年以上に渡って継続するとはつゆとも知られていなかった頃に時間を戻そう。
その妄想ごっこは、幼稚園では、先生がおかしくなって以降にさらに流行ってしまった。
その腕の周りのキラキラを駆使すれば、この世を動かしていけるのだと。
たしかに、私はたまに「体の何処かに包帯がある」と言われることは、ぼんやりと思い出せることだったけれど、腕からも度々見えていたそうだけれど、不思議とそれらと私とが同類だと言われることはなかった。
その時私は、女子たちの言ってることの変さにあっけにとられた。というか、相手と同じレベルのものになりたくなくて、まして自分に見えないもののことなんて一つも信じないように努めて、あんまり腕から魔法が飛び出る系の話を信じようとしなかったのだ。
時代が後になるけれど『アナ雪』のエルサまがいのものなんて、『実際にあったらただの破壊神だよね』。
二の腕を二度ほど叩いてから、おや、と思った。今の、自分が叩いたんだよなと。身体を動かしてる感覚がないのはこれだから困る。
以降、たまにキラキラ女子たちと関わろうって前に、たまに腕を組んで二の腕で小さくぴしっと叩いているときがあった。
後ろから爆発くんに「さむいの?」と尋ねられた。「いや、ちがうよ」。
先生方はさくら組にたまって会話をしていたりする。
結局自分をおかしくなった先生の眼前に置いて逃げた先生たちも、平然と暮らしているわけで。
その人たちが私に言うのだ。「お前は良い子なんだから」とか。
なにか、『相手が人間である限り優しくしなくちゃ駄目でしょう』と、その先生たちとはいわず、ほとんどの大人の女性から説かれていた気がする。
何だか私は周りをじっと見ていた。そんなこと、事件前の先生たちだったら言わなかったはずだ。
いくら相手が人間だからって、『悪い子にまで優しくしろ』とは言わなかった。逆だった。なのにどうして、『人間であれば優しく』にいきなり方針転換を見せて、私を置いていかなかった先生たちもさも最初からそうであったように肯定したんだろう。
事件から二日ぐらいで
「この間のことは、ぜんぶお前のために皆が頑張ったことなんだから」とか繰り返し言われるたびに、一体何のことについて語ってるのからして分からず違和感があったっけ。
それで事件のことはふせなくちゃならないから、「あれ」とか「それ」とか代名詞で言われるし、そこをいかんいかんと頭の中で大急ぎで修正しているような感じだった。
それでも、他人から助けられたことをなんか一々『全部お前のためだったのだから』と責められる。そこで発生した不祥事、失敗、醜いゴタゴタ、犠牲死者、助けられた人に責任が来る。例えて言うならプライベートライアンの、ライアンがその後の扱いそんなに幸せだったわけがあるかって。
でも子供はいつも弱いから、助けられる側だから。だからこそ恐れていることだ。
これは後々あまり良い影響を与えなかったみたいで、誰かに少しでも優しくしないことに、えらく理由を問い詰められるような感じがあったから、自分が周囲への対応で先生に気に入られない事があったときの保険として、常に周りを値踏みしては『優しくしない理由』を探さざるを得なかった。
相手を嫌いない理由を、めちゃくちゃ理詰めで解明しようとしてしまうのだ。
人にやさしくしないだけで、凄まじく理由を探し出そうとするのは、このときに身についた変な癖なんだろう。
さらにここから、あんまりやられても人にやり返すのが遅れる感じの行動パターンにしか出なくなってしまったか。それはやる機会を逸しやすいのろまさもあるのだけれど、どうにも相手に優しく出来ない理由を探しているうちに、被害が大きくなってから相手に本気の仕返しをするような感じになってしまったな。
自分の気持ちを言うまえに、えらく相手の動向を注視するようになった。今は自分の気持を言うまいとしているうちに、それがいつの間にか未来永劫自分の気持を吐き出すまいに変わっていた。
かといって、これはごく普通の処世術のはずだろう。ここにツケがあるなら通常なら生涯払わなくても済むはずのものだ。そのツケが今現在やってきたということは、不思議と自分は早めにやってきたみたいだ。
人というのは、やや壮絶な目に遭うなり周囲から全くもって違う視点に立って、そこから会話をするとか関わりを持とうとしただけで、まるで聖人であるかのごとく振る舞うことを求められちゃうっぽい。
同じような問題は、これまでも障害者で社会活動をしている人だったり、凄まじい災害にあった人が復興目指してどうのとか、そういうときによく見ることになった。
たとえば『聖人でいろ』が後々自分の中でどう尾を引いてしまったか。
テレビなんかで、物語の登場人物が横でひどいことが起こっていて、その中で出来うる行動をしている感じはわかる。けれどそのときに、薄ら笑みを浮かべたみたいにして、すべてを超越したようなふりをしていることを「冷静である」と称賛されたり、
と、言われてるところを見ては、きっとあのときの状況を思い出しては嫌になる。
これがひどい目に合わされて、薄ら笑みを浮かべるぐらいに不気味に冷静さを装うか、ポジティブで乗り切るかが出来なかったら、「何だその程度か。できわる」と見下されたりする。同じ幼稚園出身のやつからが特にひどかったような。なぜかそれをコピーしたみたいに、その時の状況を知らない人間まで同じようなことをしだした。
みんなの聖人の定義が、少年漫画か宗教伝説かみたいなもので作られていった。聖人でいなくてはって、なんだかそういうことだった。
「主人公はああ言う状況でも”ポジティブだから”うまくいく」
そんな明るいサイコパスみたいなことなんて出来るかよ。『マンガ〇〇から学ぶ生き方』みたいなのを、好むやつに実はむかっ腹立ってた。
でも当時幼稚園で女性の先生たちが、いい人も悪い人も一様に求めてきたのはそんなんだ。担任の先生にすら軽くその気配を感じていた。
だいいち彼女はちょっと勝ち気だったから、こういう評価につながりやすい挑発には乗っかるところがあった。私に対しても「それを利用してやれ」ぐらいに思っていたのかも。
なんかうんざりしながら廊下を歩いていたら、バスの運転手さんが、たびたび「おう、元気にしてる?」と声をかけに来てくれたか。実際これがホッとしたんだよ。実際に先生に対峙したあの人たちにとって、私は軽く戦友だったのかもしれなかった。
「歯向かうんじゃねえよ」と、幼稚園で言われて、それから数時間経ったか、経ってなかったかというときである。
私は2階のプレイルームで遊んでいたのだけれど、休み時間が終わるまえにそこからでなくちゃいけない。その部屋はえらく分厚いL字の建物の角の当たりにあったのけれど、短辺のほうに本格的な事務作業をするための職員室があった。要はさくら組の真上にあたる。かもめ組にの真上の半分ぐらいが園長室だったかな。
色々大事な資料があるらしくて、園児は立入禁止だった。とはいえ、いちど何かの挨拶で爆発君ことチョロタと一緒に入り口ぐらいには立ったことが有ったっけ。一体何の挨拶だったかは、思い出せない。たしか昆虫標本なんかがいくつも壁にかけてあったし、古い木造りの地球儀なんかもプリント類が積まれている机の上に置いてあって、たしかにここには子供に出入りさせてはいけない事は容易に察しがついた。
内角を細く囲うようにサンルームのような廊下があって、プレイルームは板張りなのに、そこだけリノリウムだった。逆端には給食室があったか。だから『プレイルームのすぐ奥には給食室がある』『職員室はガラスの天蓋の廊下の向こう』という印象だった。
で、その時間になろうかというときに、私は女子たち何人もに囲まれるようにして、そのリノリウムの廊下の給食室側に押されていった。怖いのは、ずん、ずん、と子供らが足並み揃えて、それを全員が黙ってやるのだ。
「ねえ、ちょっとトイレに行きたいんだけれど」
誰も避けてくれない。私はなるべく力ずくでそこから抜け出そうとしたのだけど、まず5人ぐらいに取り囲まれて、その隙間を行こうとすれば、人同士の隙間から手が出てきて押し戻されたり、後ろで腕同士が組まれてまるで行く手をはばまれてしまった。
「なんでそういうことするの」
その子達はこれといってこちらを叩いたりはしないのだが、聞いたところで誰もが黙っている。いよいよチャイムが鳴ってしまった。そろそろ行かないと。なのに、誰もがこちらをじっと見つめたまま動こうとしない。
「みんな遅刻するよ」
その時の表情のなさときたら、まるで人間でないみたいだった。
それどころか子供たちは自分の周りを詰めて、私を壁の窓ガラスのあたりに押し付け始めた。何人もにぎゅうぎゅう押されるものだから、息が出来ない。やめて、やめてくれと叫びながら誰かの頭を押したら、その押したのとは全然違う方向から「ぎゃあ」と叫び声が聞こえた。誰かが転んだと言って泣き出した。
途端周りを囲んでいた子供に後ろに回り込まれて、グループに出来た隙間を突き飛ばされるみたいにして、泣いている女の子の前に出されてしまう。その時振り返ったら強く背中を押したのは、ピーターラビット女の子の主犯の彼女だった。
「なかせた」「なかせた」「ああ、ほんとだ。」「なかせたんだ」
「フノスが突き飛ばしたんだよ」
そう聞いたその子は私のことを見上げて、そこから激しく「わああああ」と泣き始めた。
それはクラスの中でも最も細くて小さくて、頭もちょっと弱い感じの女の子だった。その子は私の顔を見るなり、いつも怯えた様子を見せていたのだ。
そう、私はその集団から抜け出そうとして誰かを押しのけたんじゃなくて、その集団に息もできないほどに押しつぶされそうになったときに、勢いで誰かを押しのけたってことになっていた。
その子達は決してノリで周囲を煽るように、手を叩いたりはしなかったかわりにただ、ぼそぼそとつぶやくように淡々と「なかせた」「なかせた」と私の方を指さしていく。
「たく、邪魔なやつだから隅っこに追いやったってのに、結局人に怪我させてやんのー。お前本当にでかくてでぶくて邪魔くさいやつ」と、ピーターラビット女の子チームのキラキラ女子が言った。
私はその子の様子を覗き込んだけれど、えーんえーんひいいいいんと足元からでは、どこをどう怪我しているのか全然伺えなかった。
「ねえ、これは一体何。何かがおかしい。」「どこがおかしいの」
「こんなの、あなた達らしくない。まずこんなにあなた達のやり口じゃない」と私は聞いた。
「だあって、せんせいがこうすると、『どの大人からも怒られずにうまく行く』って言ったんだもの」
ぽそぽそと大人しい感じの女子が、口元だけを動かして伝えてくる。
「ねえ、せんせいがうまくいくっていったんだから」「そうなの、やるといいよっていったの」「だってだって誰が悪いんだかわからないって、ほんとね」「ね、ほんとほんと」
と雑談のように口々に呟いてくる。
私は自分の足元にいる背丈の低い、頭もあんまり良くない女の子にむかって
「ねえ、誰かのずるだとわかっているなら、泣かないでくれ!こんなことしていちゃだめだ」
と思わず説得した。
「だって、だってええ」
と、彼女は自分が泣き出してしまうことが最優先のように、ためらいもなくしゃくりあげはじめた。
「いだいんだものおおお」と鼻を詰まらせる。「ほんとうよ、おおおお、こんな、痛いいいい」
この子だってこんなことをさせられて、この先うまく行くとは到底思えなかったから言ったのに、目の前のこんな小さな子供は老婆のように野太く咽び泣く。私はそんな声が出せるものかと怯えて、体を抑えてうずくまる背中に手を当てる気も起こらない。そうして彼女が抱えているのは、脚ではなく、腹のようにも見えた。
「ねえ、フノス、ごめんなさいは?」
尋ねてきたのは、自分と同じひらがながかりの子供だった。芝居がかった様子は一つもない。ただ青ざめて呆然とした様子でこちらを見ているのだ。
「え、どうして」と私は彼女に聞き返した。
「だって、なんか悪いことした…みたいじゃない。だったら謝らなくちゃだめかなって」
そう彼女は丁寧にこちらに説いてくるのだ。
「あなたそれ真剣にそう思っているの」
「え、思ってるよ。『誰が悪いかわからないけれど、悪いことしたみたいだったらごめんなさいしなくちゃ、だめじゃない』。そう先生も言ってたよ」
その時彼女が誰の真似をしているかわかった。年配の先生にこんな静かに語りかけるような人がいたんだ。
そう言って、女の子たちは輪から外れたこちらを、まばたきもせずに見つめていた。
女子たちは何か気が抜けたような目をしながら「ねえフノスごめんなさいは」と口々に繰り返す。その両目と口元のゆがみ方。
いい加減になると様子を見にさくら組の先生がやってきて、彼女を立たせて膝の様子を見るなり怪我は『だぼく』だと言った。私はここで初めて、擦りむきかたんこぶか、捻挫か骨折か以外にも、怪我として認められるものがあるんだと知った。
「先に教室戻りなさい」と先生に言われて、教室に戻った。私の席はなぜか男子のところに用意されていて、ちょっと弱気な感じの男の子に「だいじょうぶだった?」と小声で尋ねられた。
「フーがチャイムが鳴ってもしばらく戻ってこないのが変だと思ってたんだ」
私はこういうときに、はたと、『ああ規則ってこういうときに守っておくべきなのか』と感じていた。
「よくわからないことをされた。さっき女子たちに狭い場所で囲まれて、プレイルームのガラス張りになってる端があるでしょ。あそこに息もできないぐらい押し込められた。チャイムが鳴ったから抜け出そうとしたら、その拍子にあの一番小さい子を突き飛ばしたってことにされた。なんとなく、あとちょっとで危ないところだった。たすかった」とその子に答えたか。
「えっ」と彼は小声でしゃっくりのような叫び声をあげた。そんな事あったのと男の子たちは言った。
他の女子たちはなんだかしばらく、15分ぐらいか。その場に留め置かれたんじゃないだろうか。
そうして教室に戻ってから、先生はその子に「だぼくなら明日か明後日にはあおたんになるだろうから、きっちり先生に見せようね」
と、紙工作の授業のときに相手の目を見ながら繰り返し説いていた。たしかにその子はその後私に泣かされたと周囲に訴えることはやめていたが、しばらくの期間、私の顔を見るなり泣き出すようになってしまっていて…
肝心なときに人から手伝ってもらえない
「うーむ。どうしてだか私、『謝ったら良いじゃない』と冷たく突き放したひらがながかりの子だったり、その泣かないで欲しかったその子のときなんかが、とくにそうなんだけれど。
こういうときに協力が得られないや。あとでなんでそんなことをしたかきっちり聞いてみたら『こっちが困ってると相手だって分かってた』っていうんだ。どうしてだろ」
「繰り返しのループにハマってるって?そうだよな!」
そう聞いて、タムラはにかっとわらって、手をぽんと叩いて私の方を指差した。
「そらあ、お前さんが嫌われてるからよう!そういうものじゃないか。昔っから言うじゃないか。
手伝ってほしいときに限って手伝ってもらえない人って、究極に言えば『嫌われてる』。あるいは『優先順位が低い』って」
タムラは何が面白いのか、こちらのことをケラケラ笑いながら目を歪(いびつ)に細めていく。
「んでもさあ、優先順位が低いってことは、すなわち嫌われてるってことで合ってるよな?だから究極に言えば嫌われてるってことよ。
そのへん誰からも好かれないやつは損だよなあ。もっと人から好かれる努力をしたら?その点、俺とはち・が・うー」
とタムラは己の親指を二本とも胸に指した。
「あんな奴らにか」
「は?そんなやつにも好かれないとか。協力者なんて集められないぜ?桃太郎を見てみろよ。犬サルキジを、団子一個で雇いあげたんだからよう!
あらあ、絶対にそれ以上についていきたい、カリスマ性ってものがあったのさっ。」
そう言って、タムラは前髪をいじりだす。
「そんなことより〜、結婚!結婚のこと考えようよ〜。」
私はタムラのことを眉をひそめながら見つめた。
「てか唐突に話し切るのやめろや。まだ全然語れてない」
「いやいや、いいからいいから」
「お前ね、なんでその狂った先生と同じようなことを言ってるの。話もろくに聞けないのはわかるけれどさ。」
タムラはその場で「へ」と言って、固まる。
「だって、何いってんのさ。どん底にまで落ちなくても、お前が幸せになる方法はさあ、男だろ。結婚だろ。地に足つけるってあれだろ、身とっとと固めろってことだろ?あははははは」
タムラは笑い声が止まらない。その様子を怪訝に思いながらも。
「だって、だって、遺言だろ?それなら聞かなくちゃ、へへへへへへ」
私は寝入りばなに、そんな言葉を思い出して呆れていた。
「遺言に従った形態で幸せになろうだなんて…」
たとえばこれには皮肉なほどの矛盾がある。どんな条件を取れば、その当人が幸せになれるものか。いい加減『条件は満たした。だが、何らかの穴があって幸せにはなれなかった。』そういうもんじゃないか。それは中々言い切れたものじゃないだろうに。
いい加減になると、突然眠気がやって来ると、もう背後に”いる”のだ。懐かしくも落っこちていく感じが。
ところで、執筆時点の私はひとつ、皮肉なことに思い当たってしまった。私はこれまで、まるで『自分の遺言を書くようなつもり』で、このシリーズの執筆をしてきた。またそうでなかったら全然筆が進まなかったのだ。
割と途中で終わってしまっても後悔はしないように。もっと簡潔に終わらせるつもりを意識して、なんか邪魔が入って予定より倍以上の期間と字数をかけている気がしてる。
「わるくない、わるくない。」
うわ、なんかいる。
思えば、である。私はここに来て、自分の遺言を書こう、書こうとして、これまでコンセプトとしてきたことと全く違うことをしてしまったのだ。
なんだか体感として、自分の遺言を書こうとしてうまく行かないことばかりが増えた感じがしたら、何故か幼少の頃に体験した、たまたま知ってた程度の人の死と、思い出の中にあったその遺言にぶち当たった。
おそらく最大のコンセプト違いは「他人の遺言を書くこと」。
実際これは何かの転換点になってしまったみたいで、どういうわけだか私の日常はだんだんと『明日死ぬつもりで…』と意識しなくても、なぜだか平然と動けるようになってきていた。
でも思う通りには動けないもので。
「うん、だからそれでちっともわるくないんだって。」
「ああ、急がなくちゃ」と目が覚めた。「なあ、あそぼうぜえ」
推しと部屋の掃除
「おいフーちゃん、部屋の片付けやっといてよ。ウチラもうすぐ友達と旅行だしー」
あるとき私はざわっとした。この状況に及んで旅行?テレビの中では『不要不急の外出は…』と言われていた。コロナも新型が流行ったという名目で。
突然旅行にだなんてと言い出したのはこの間、獏が出てきて群発頭痛に悩んだ親戚たちだった。私はなんだか嫌な予感がして
「その予定、今からでも取り消せない?」と尋ねて
「はあ!?」と腹を立てられる。
まだ宿の予約を入れている段階ではない様子だったから、十分考え直せる段階だと思ったからだ。
「え、良いコースがあるのよ。」
「いやコースの問題じゃないよ。それからお金は大事だよ。こっからどうなるかわからないのだし」
「はあ?だから割引コースを取るんでしょ〜?もう何処にすっかなあって狙っていたところが、いきなり良い通知来てさあ、も、これ見て〜6割も値引いてくれてるし。
つーかフーちゃん、せっかく稼いだ金貯めるだけなの?こういうことにでも使わないでどうするの。意味ないじゃない」
「それに〜、一緒に行く友達だって、予定合わせてくれるって言うし。ほら相手方のなかに自衛隊もいるんだよ?ある程度の人数でいくとやすいし。休みとってくれるなら付き合わないともったいない〜」
「あのね、このコロナでどうかしているときに、そんなに自衛隊って暇なところか。」
「ええ?だってこないだLINEで『何でも無い』って言ってたもの。」
「うーん。本当に大変なときに『今何の仕事してます』って外部に言えるものなのかな。」
箝口令って知ってるか?と尋ねて、「ひっ」と相手が固まる。
「だーったら、LINEなんて通じなくなるじゃない」と相手はスマホをブンブン振りかざした。
「そうとバレさせたら終わりだから適当な話題で埋めているとか、実はお話途中で差し替えになってるとかね。」
「えっ、フーちゃんは、この子のこと信用していないの?友達だよ?だったら私、フーちゃんのほうが信用ならないんだけれど。」
「…普段塀の中で隠れ住んでいるような人間のことを、お前はそこまで信用するのか。」
相手がちょっと黙った。その黙っている秒数が長いので、黙々と作業を進めた。
あいてが不服そうになる前に話を続けた。
この調子で後どれぐらいで終わるか、目算を立てながら作業をしないと、他のことができなくなる。
「ものは言い方ってものだな。お前さ、自衛隊をそういう風に思ったことはなかった。」
「いや、だって上官に頼めば休み貰えるって言うし。そんな信用できない人じゃないもん」
「その休み以外の日よ。普段の日の彼女のことさ。そのへん窓口や店先に行けば会える人とは違うんだ。さっきなぜ沈黙した。半分判ってるじゃないか?」
「でもー、〇〇だよ?私の友達なの。それに脳筋ってかんじ。そんなインボーってかんじに人はめる方じゃないって自信を持って言える!そんぐらい頭単純だし。とっても人を騙せるような子じゃないわ。それにもうすぐ辞めて次行くつもりだって言ってたあ!ねえね信じてよ。」
「この有事の際に、そこの言ってることを信じるのか」
「そこの言ってることを信じなくてどこを信じるの」
「他にも信じられるところはあるさ」
「あなた、情ってもんがないの?トモダチでしょ。それでも信じられないって人としてどうかしてる」
「組織人だろ」
「少しは相手の感情ってもんを考えたらどうなの!?友達なんだから、信じなきゃダメーっ!」
相手は両手を後ろにつっぱらせるように振って、「ぜったいダメーっ」と甲高い声を上げる。私は話にならないので少し黙ったし、早くこの仕事を終わらせたかった。
「あのさ、私みたいなんですら、さほど暇じゃないし、本当だったらお互いもっとやることあるんじゃないか。」
相手は目を丸くしてこちらを見つめている。
「フーちゃんのどこが暇じゃないの。嘘、信じらんない。ニートと家の仕事しかやってないんでしょ。あとたまにブログ書いて。ながっすぎて全部読んでないけど。フーちゃんの一日ってどうせそんなでしょ。
一緒に遊びに行く友達もいなければ、彼氏もいないし。はっきり言って用事がないじゃん。
仕事仕事っつってもいつだってバーって終わらせてさ、」
相手の笑顔が晴れやか過ぎる。
「なんでそう思った」
「だっていつだって、黙って顔色一つ変えずに作業するじゃない。本当に困っていたら、とっくに周りにばんばん頼んでいるでしょ!」
「できないよ。毎日のことだから。それは頼めない」
「でも〜それしなくたって、できちゃってんじゃん。
時間だけはウチラよりあるじゃん。だって、明日の予定表だって埋まってないくせに。忙しいなんて、どこが。」
予定表が埋まってなければ暇?実際には、そこから完全に誤解なのだがな。
そこから先はぐちゃぐちゃと仕事がどう嫌だとか、そういう話になる。
「んも、あの仕事には癒やしの要素がないーっ」とぐずられる。
その辛さを私が分かってやれるわけではないのだろうけれど、時として思う。『やはり「癒やし系」と「癒やし」は違うものなんだと、はっきりと分からせなかった世界って、もしかしてこういう馬鹿を量産してしまったりするのかな』と。
癒やしとは治療だ。傷を見つけ出しては処置をする。癒やされる側も痛みは少なくするように努力したって、本来結構痛いことかも知れないのに。
「おい、仕事に癒やしの要素って」
「あん?」と軽く柄悪そうにされる。
「フーが人の癒しになったことなんてある?よりによって、そんな試しないと思っけど?」
と言われても、ついでに言うなら、「癒やしは自分だ」と、このとき私の内心変な自信があった。それはタムラに言われたことだったのけれど。
「そうだそうだ、料理できるようになったー?まだあ?フーちゃん、びっくりするほど料理ができないんだからさあ、せめてたたききゅうり!たたききゅうりを得意料理ってことにしようよ!」
そう言われて、不服で黙り込んでいた。
「料理できなかったら、それこそ幸せになれないじゃん。時間ばっかりあるくせに!なんでウチにも出来ることフーちゃんだったら出来ないの。
私なんて、一食フルコース出して家族に喜ばれているんだよ!」
「知らん。あんま喜んでくれるような家族じゃないんだ。文章書くにも時間いるんだが。」
「あんなもん毎度すぐにだせちゃってるじゃない」
なんかこう…相手はパントマイムのように壁一目文字であるかのように、上下にめくっていくような動きを取る。ずらーっと。
「お前、板書をノートに写しとるのにだってそれなりに時間かかるでしょ。それから休み時間もほしいの」
「んなもん、毎日休んでいるでしょ。ほらおじさんもフーのおじいさんも言ってたよ?『フノスは肝心なところで本気を出さない』って笑っていたよ。私だってそう思うもん。もう、毎日分けのわからないことばっかりして、」
それもそのとき自分がペルチェ素子で簡易のクーラーを作ろうとして四苦八苦していることも、相手にとっては『何訳がわからないことしているんだろ。家事なんてほっぽってとっとと冷房あるところに出歩けばいいじゃない。うちの母さんなんてそうしてるんだから』と笑っているのは知っている。
そのわけがわからない行動の原因が、ほとんど親父で、まずはクーラーをつけてくれないからこんなダメ元に出なくてはいけないかんじで、冷房がついてるところに出られない原因も『何時までに食事を出さないと憤慨される』のが怖くて、自分の体調や都合を優先させられないのだ。
「ほんとフノスって、全然頑張りが見えない子よね!」
「それどんな頑張り」
「今すぐ出来るはずの努力に全部つめが甘いっていうの?フーちゃんがこれまでなんでか一つも出来てないこといーっぱいあるじゃない!」
「で、ここの掃除機がけ、最後にいつやった。」
相手はえーと、えーと、と「あいぇ?」と首を傾げた。
「ええ?それともなあに?フーちゃん、別に何かの力が強すぎて普段奥に引っ込められているとか、そういうキャラではないよね。普段ガチガチに拘束されてて『俺に戦わせろお!』って奥で叫んでるやつみたいな」
彼女、胸の間で人差し指を前後に振りながら、こちらの顔をじっと見ていた。
「いや、んなわけないもん。そしたら普段直接見ていてわかるものねえ?」
「うん。そういうのとは程遠いでしょ、ねえ?」
「だよねえ。フーちゃんのお父さんもそう言ってたよ。悔しくないの。ねえねえフーちゃんて物凄いサボりよね。」
私はぶすっと黙ったまま掃除機を構えて、スイッチを押す前に
「で、そんな全然頑張らない人が、なんで人の旅行のことまで口出しするの」と前を塞がれる。
「軽くそういう予定の立て方ざわっとする。どっちかというと『人の迷惑を省みろ』とか、そういうことを言いたいわけじゃないけれど、」
それを聞いて彼女らはぱっと明るい笑顔になる。
「へえ、フーちゃんにしては頭固くない」「どけてくれ」
「いやあよ!話の途中じゃないの!一体ここに何しに来たと思ってるの!?」と言われて掃除の邪魔をされた。
「『どうしてその注意喚起がされているか』みたいなことから考えない?
なんか、様子を見てるとさ、『病気を抜きにして別の意図とか入ってない?』とか。こうも警告じみたお約束ごとを専門家が言ったって時点って、私ちょっと気持ち悪いの。
破ると『ほらそれだからせっかく言ったのに』って、こちらに責任転嫁をしてくる言い訳になるでしょ?
もっとひどければ『こんな裏ぐらい読めなくてどうする』みたいに、あっちの方から攻撃を仕掛けておいて、やられたやつが悪いんだと言う理由になるでしょ。『んなもん読めるか』っていう理由をさも後から他の人達が納得できるように付け足してくる。
それじゃ完全に後出しジャンケンなんだけれど、権力者はそういうことができる。
そうなると、今空気を読まなくて大丈夫?」
まあこういったことを度々若い親戚たちに伝えても、「ん?」と首を傾げるばかりだった。
「なーに言ってんだか訳わかんないんだけれど。何ニュースになんて真剣に取り合ってるの。あんなもん、ずっと同じことしか言ってないでしょ。もう飽きたし。そんなに止めたいなら伝え方考えろっつうのー」
「止める気が見えないうえに、ずっと同じことしか言わないから、かえってまずいんじゃないかな。」
「はい、はいはーい!人生楽しみたい人の予定がさいゆうせーん。予約ぽちっ!いーとこ取れたわあ。あ、も今から楽しみ。後で送迎バスの電話入れなきゃあ。」
と彼女はスマホ画面を片手に目の前で見せびらかすように予約を入れた。
「これが嘘でも百回つかれて半分事実になっちまった時は、おそろしいぜ」
「はあ!?ひゃくまんかいいきたねこ?」と叫ぶ声が掃除機の向こうで遠くなる。
「だっからー、人生一度きりなんだから!楽しんでいる人の予定が優先でしょ!」
私は結構ひどい顔をしていたようで。
「あっはは、その顔。どうせただの旅行だよ?東京方面の人じゃあるまいし。それもちょっと離れたとこの寂れたテーマパークじゃない。」
「いや、何かがなんか色々アウトな気がする」
「ええ?こういう事するお友達ももったこと無いんでしょ?ほらあたってる。だってフーちゃんがそういう人と一緒にいたところ見たこと無いもん。
そんな人でなしみたいな顔しなくたっていいじゃない。私だって相手に合わせてやっているんだからね?こういうのもお愛想、友情ってものじゃないの。」
親戚の家の部屋の片付けを手伝う。その横でスマホをグイグイ差し出してくるやつがいる。
「ねえねえねえ、これのなかでどれが推し?ね、私この子でね、もうこの八重歯とイヤリングがチョー可愛いでしょ。ときめかない?」
「その局所にときめくことはねえよ」
「お友達の誰それがこれの推しでね。何とか先生の美麗イラストでえ…」
画面をビュンビュンめくっていくのを尻目に、布団の横に広がった服をまた畳んでいく。
「どれも大して」「好きな声優さんだれー」「どれも大して」
声優たちは全員ではないにしろ、わりとタムラの仲間だとか、軽く『会派がどこ』とか耳に挟んだような気がする面々だったりしたからだ。その子は私の顔を覗き込んで言う。
「へー、フーってお化粧したら、結構行けると思うんだよね。うん、いける。絶対ひっかかるやついるし。てかなんで化粧しないの」
「ああ。なんかマスク生活の前から必要ないところに、マスク生活で全然必要なくなったから。引っかかる人間がいたら面倒じゃないか。引っかかるって、それ主に男だろ」
「男といわずよ。こういうのはサービスなんだからっ」
私は唖然とした顔をしていた。
「何よ、ホントフーちゃん冷たいよね!もしかしたら知ってる人がテレビに出ていても『ひゃあ、お友達頑張ってる』って応援するんじゃなくて、『だからなに?』って態度ばかり取ってるじゃないの。あんっなに頑張ってるんだよ!応援できないの!?
この間なんてアニメ見るなり『具合悪い』なんて。ホンっトあれどうかと思ったよ。見た瞬間江口で推せないとか終わってるうー。」
「で、あの綾野剛を見やすくした感じの人が」
そう言って、相手が黙って数秒上を見上げていた。なにタムラと同じことを言ってるんだ。そして終わっているなら、そこで一旦中断くらいさせてくれ。
「なんでフーちゃんは、あの人たちを支えてやれることをしないのっ!あんなに凄いことして代表やって、頑張ってるのに!」
んじゃ、代表だけが頑張ってるのか、と文句をつけたくなってしまうのだけど、掃除がある手前、あんまりそれで口論になりたくない。
「もうっ聞いたよ〜。いとこから!なんだかカドカワの悪口まで書いたの?潰れればいい的なこと書いたって、ええなんで!?なんだかよくわからないけれど、なんでよりによってなんであそこなの。
あすこ面白いもんいっぱい作ってるんだよ!ウチラが好きなラノベもいっぱい出してるし!も友達なんか尊敬してる先生もいるんだよ?続きが出なかったらどうするの?映画とかどうすんの。みんな楽しみにしてるんだよ!フーちゃんは子供の味方じゃなかったの!?」
そのとき、まるでタムラにしたのと同じ回答が返ってきた。この会社の話をするときに、周囲でとても未熟な若いやつが、いつも判で打ったように同じような対応をしだすのは、なんでだろう。
でも実際近づいてみたら、その面白いものに人生面白くなくさせられてる感は、とても大きかったんだよ。それはタムラの宣言通りだった。それでも言っても分かってもらえないのは、自分が好きなものは相手にも好きになってもらいたいっていう、よくある願望のせいかい?
よれば不思議と具合が悪くなることが、他の人に通じないったらない。ラノベコーナーに立ち寄るだけで、たまに『だいこんだいこん』と唱えなくちゃいけないぐらい。本屋さんやCDコーナーに行くたびに、悲しくなるんだよ?
これって、アニメは嫌いじゃないけど、たとえば虫の描写が我慢ならない人が周りの人に理解してもらえなくて苦労するのと、感覚としては似てるのかな…?(私、虫の描写はオーケーだけれどね。)
それをある特定の演技だとかで起こしてしまう。たとえば自分のエンタメ苦手とはそういうことなのだ。
「フーちゃん何にでもひどすぎない!?その会社のことだけじゃないよ。この勢いじゃ、エンタメ全部消えろみたいな感じでしょっ!
いーやーだー、だーめーよ。今暗いニュースばっかなのー、明るい知らせはないの?先に光が見えないと、誰もやってけないよ?楽しみは、必要なのーっ!」
とテレビで芸能人や女子アナたちが言ってるようなことが、口から飛び出してくる。けれど、ほんとうにそう?
どうしてこんなに、明るい、明るいと言ってるんだろうか。ヒステリーを起こさなきゃ駄目みたいに探し回っている、その理由はどうして?
「明日への期待がなかったら、人は生きていけないのーっ!」
たとえば対向車線のヘッドライトにやられて、目の前にある障害物すら見えなくなることがある。暗いとわかっているときこそ、目がくらむほどの光が怖くなるものではないのだろうか。
「えーとね、明日に期待なんてしないでも生きてきたよ?人を生きていけなくするのは、『絶望』なんじゃないかな。さすがに絶望すれば生きていけない感じはわかるけれど…ちょっと考えてみようか?」
相手はあからさまに憤慨した様子だった。
「もうっフーちゃん恋柱さんぐらい何にでも惚れられる人だったら良かったのに!なんでそういうふうになってくれないの!?
も、そんなんだから、花澤ちゃんみたく可愛くなれないし勝負になってないーっ!あの人ありえないぐらい可愛いじゃんっ。」
「最近ハマってるよね」「うん!」
ただ、『もし本当に可愛いなら、ありえないって使うか?』と、なんだかそういう喩えをされると、いまだけと言わず全体ひっかかる。
「あのな私とあの人とじゃ最初から勝負にならないんだよ。比べようにも色々違いすぎていてね、私に一体『何について勝て』と言いたかったのかな」
「だって近くに小野くんだっているんでしょ。近くにいるのにそんなに見劣りするの」
私は思わず相手にかがんだ姿勢から少し顔を上げた。なんでそれらについて説明しないと、一々駄目なんだ。
自分とアイドルを比べてみると
「なぜお前、奥さん役と自分とを戦わせようとする。」
「え、だって、だって、納得行かないし」「なにが」
「え、それは、なんか…いや『戦ってどうの』とかいうのではなかったんだけれど」
なぜか、何が納得行かなかったのかについては、どうにも説明が出来ないようだった。
「そだよ。近所かもしんないなら、なおさら争えない。これも常識としてね。」
私はどうやってあの人と自分が違うかを考えて「…自転車で警察車両と追っかけっこした話、またするか?」と聞いて、相手にぎょっとされた。
「え、ちょっとまって、なにそれ」
「え、その話していたときに、お前その場にいたよね。ほら、おばさんがたが来ていたときにさあ。私、話していたでしょ」
う、うーん…?と首を傾げて目玉を上にぐっと上げる。
「あーそのとき音楽聞いてたかも。ヘッドフォンで」「あ、やっぱり?」
彼女はしばらく黙ってから、え、え、え、え、ありえないと小声で騒ぎ始める。
「いや別に、フーちゃんヤーさんとかじゃないよね。」
「うん。そっちの人には難癖つけられたってかんじで。ええとね、多分ヤーさんはかえってパトに轢かれかけたこと、あんまりないんじゃないかなって。あったらタムラあたりから武勇伝を山ほど聞かされてた気がするし、できればしょっちゅう会えてたうちに対処法を聞き出したかったよ。」
「で、自転車で、何したの」
「え、自転車乗ってる最中に、同じ通りで何度か警察車両に轢かれかけた。で、ぎり避けた。何度も繰り返したから、さすがに対処法を現場の対応法を聞きたかったねと。いや、あのこの話何回かしてかなったっけ」
相手が頭プランプランさせるみたいに頷いているんだが?「よくわかんないだけれど」と言ってるんだけれど?
「ただの女の子でしょ、え、うそうそうそうそ女の子がそんなことえー、うそうそうそうそ。」
アハハハと笑いだしている。どうしてこの人は、タムラと同じように、女の子であったら何の争いもなく生きているものだと決めてかかれるのだ?
「そでしょ?フーちゃん、別に別に、冒険出ていないよね?普通に暮らしている女の子だよね?え、本当に危ないんだったら、じゃなんでまだ実家で暮らしているのーっ。」
「え?奇跡。まあこの近隣も十分危なかったがな」
「ありえなーい」と相手はコロコロ笑っていた。
「え、それどうなったの」
「うん。学校にいた用務員さんに怒られた。それでだいたい終わった。今はとりあえず大丈夫か。」
「はあ」
「だっからー、はなからそういうところから違うんだって。
お互いの戦闘能力がどれぐらいか知らんけれど、勝負するとか、もう人生そういうフェーズじゃないから。ま、争っちゃいけねえよ。
つーか、お前さ、私と同列のところで勝負させたら、その人も特殊車両に轢かれかけたりなんなりしなくちゃいけないじゃん、極端な話。お前それでいいのか。私は私で人様の前に出られるぐらいの器用さはないし。あの人はあの人で、こんな顔に傷がつきそうな生活じゃ駄目だろ。」
そう言うと親戚の子は部屋の逆端で要らなくなったプラゴミみたいなものを袋に詰めていた。
たとえば通り過ぎざまに『ナイフで顔面滅多刺しにされろや』とか『頭から硫酸ぶっかけられればいいのに』とか『硫酸でグズグズに融けた面晒せや』と、言われることは小学校に上がってすぐから高校を卒業しても度々あることだった。ここ近年ギリギリ減った感じがあるけれど、それにしてもパトに轢かれかけていたのは、コロナが流行り始めるぎりぎり前までだった。
変な人がいなくなったなら、家の問題もあることだし、いろんなことを恐れず頑張らなくちゃと思うのだけれど。
顔を大やけどしたり、溶解されたり、自分の人生、なんだか顔がぐずぐずになる心配ごとばかりしているし、現在も心配自体は止まることはないんだ。
けれど普通に暮らすことですらわりとこうなのに、まして有名になったらどうなってしまうか。それが日常ってことではないか。
でも目の前の相手にこんな内容語ってしまったら、さすがにエグすぎてちょっと言えないでいた。
「いやあ、さっきこんな脅し受けてさあ」と学校に来てから勇気をだして、周りの子たちにその時の状況をなるべく正確に言ってみたら、一度歯をガチガチならして怖がられてしまったことがあるから、これはあんま言わないようにしていることだ。でも先生は
「でも言っただけじゃないか。相手を刺激しなかったんだろ?えらいえらい」
と、話しているこちらから大きく目をそらしながら「何の対処も必要ない」とでも言うかのような態度をとってたな。そのぐらい軽くやり過ごされてきたことしかなかったことだった。
「あのさあ、もしかして。おまえ『私と小野の奥さん役を勝負させた末に、私のほうが勝たないと、自分が死ぬ』とかどっか思ってる?」
「いや、まさかあ、そんなこと」
「うんでもなんかね、『この話題に入るときに気持ちのアップダウンがおかしいよ』って感じたんだ。まるで戦いに挑むまえみたいだ」
「へ…?」「それじゃあ相手はとんだ悪女ってことになるね」
一瞬驚いた様子だ。いや、私の言い方がちょっと極端なだけか。
「にしても、なんか。」と親戚の子は考え込む様子はある。
「それでも、なんだか納得行かないって?」
そうだなあ…
「あっち仕事だよね」「あっちは仕事だからな」言いたいことがほぼ一致した。
同じ程度に車に轢かれかけたとしても、きっとあの人なら仕事になって、私の場合は報酬はないんじゃないか。お手当が出そうだよな。うん。今までの状況からして、なんだかそうなる気がした。
学校に実弾が打ち込まれて、耳をそれに吹っ飛ばされそうになっても、彼女ならお金になりそうだと思った。
硫酸のこと。本当に被害にあってしまったら、取り返しがつかないことはそりゃお互い様だ。
でも彼女なら。同じことを言われても、脅された時点で金になる。きっと私だったら脅されたときにはもちろん、さらに本当に顔を火傷してもそんなことは起こらない。
自分なら何回何十回言われたって逃げ惑うだけだったことで、彼女ならきっと数回経験しただけで、あるいはもっと少ない経験で金になる。きっと無傷のままでもお金で取り返せる。家族の足しにできる。
でもそれは”言い過ぎ”というものだと思って黙り込んだ。
なんとなくこのあと白金台で起こった事件は、自分にとっては他人事とは言えない感じがある。「そっか。自分失明しちゃうとこだったのか。そうだよな」と。どうして被害者になったのが、私に「硫酸かけられればいい」と言った人じゃなかったのか。それはそれで悔やまれた。
その面だけは決定的に違うだろうと感じていた。私はその子に向かって、
「タムラたちの業態はよくわからない。ただああしてるところ見てると、『嘘をつくのは、れっきとした仕事になる』のに、『本当のことを言うことと危険な目に遭うことは仕事につながらない』。いまそんな感じっぽいことになってるね。」
「なんかだな」
「それなんかだよな。ただあれらが選んだ業態はそうだ。」
というか、歴史上それしか選ぶ能がないと、これは自供していた。金にならないことは全て悪だと考えているそうだ。お金になるので巨悪は大善。…ただ、巨悪を働くにも巨悪をメンテナンスをしてく概念はまるで考えていないそうだから、そこから10年100年単位の利得を得る下準備がまるでない様子なんだよな。高校時点のことをなるべく正確に思い返してみれば、『次にお前みたいなやつを潰してやる一生涯泥でもすすってれば良いんだ』とばかり繰り返していたし。とりあえず次に誰を潰すかぐらいしか考えてない様子だった。
「いちおう私の母はね、『絆を金と引き換えては駄目だ』と何度も言うんだけれどね。私とあれらは友愛の関係ではないんだよね。
『絆では食っていけない』とは言い過ぎにしろだ、『いくらなんでもこれは食っていけない系統の絆なんじゃないかなあ…?』と感じることは、あるね。」
相手が考え込んでいる様子だ。軽くふてくされているようにも見える。どしたろ。
「いやあ、弱ったよ。まあいつだってヨワヨワなところを啖呵切って乗り切ってるだけなんだけれどさ、弱ったところを浸け込まれたらいつ誰だってどうなるかわからないから、困ったよなあ。こわいよなあとは思うね。」
「で、ご納得行かないのって、それ?」「うーん。なんか」
「あのねだからといって、あの人が食っていけなくなればいいかってったら、そうではない。
どっちかというと『私が他の家族を連れて自活できない程度に、一人で食い扶持を稼げていないのがおかしい』だけだ。それが出来ないのも、そろそろ悪いと思ってる。ずっと前からだけれど。」
けれども、そんなときにふと、自分のことを幼稚園のプレイルームの端っこに押しやって、はじき出してこっちをじらっと見つめていた同じクラスの子たちを思い出していた。
その子達の顔ぶれが、一部分ずつだけなんとなく、小学校、中学校、高校と変わって大きくなっていく。
それでも『この子達が善人です』と言われているわけだ。こちらをただ見てる、その子らの生活を維持するの。
そんなときに集合写真みたいに並んだ口の一つが「ねえ」とこちらにつぶやいた。
「ねえ」「ねえ」「ねえ」と、さらに他にも動いていく。
「ゴメンナサイは?まだなの」とでも問いかけるかのように。
この退屈さに耐えられるか?と聞かれたら、どうだろうと疑問がもたげすぎて、警戒心と相まって、考えがぎゅーっと頭の小さな核に押し込められていく感じがする。
けれどそういうタイミングを読んだみたいに、うちの母は、
「ところでそういうやつら、最近見る?」と尋ねてくるものだった。
「いいや。もう何年も変なぐらい見かけない」と答えるのがお決まりになっていた。
ゴーストルールが頭をよぎる
ちくしょう。片付けの最中に集合写真なんて見たせいか。
「だからって、アイドルになんてなるもんじゃないぜ。もっといいやり方があるさ。」
「んま、アイドルはね、アイドルは違うんと思うんだけど。なんかこう」
アハハハと笑う。ほら、私の顔を見りゃわかるだろ〜?と指をさしてみた。
「というか、小野の奥さんことを何も知らない、おばさんとお爺さんお婆さんがたには説明に苦慮して『状況からして引退寸前なのかなー?あれれ?』と言ったら納得されるような様子だった。
が、どうにもタムラたちと話し合いで出した予想だと、あの業界がどんな未来を迎えるかは知れない。それでも生き字引って大事なもんでさあ、業界としてはおそらく、彼女だけと言わずなんだけれど、似たような年代の現役の人に、たとえ子育てなんかで退ける機会があったとしても、『素敵な40代』になってもらわないと困るだろう。
調べてみたら、そこまであまり時間がない。その歳の人たち、どっかで退けられると思って安請合いでやったのかもしれんが、どうにも引退どころじゃないみたいなんだよ。
そう考えると、エンタメのテンションってものは大事なんだろうが、もはやアイドルでもチャラ馬鹿でもいられない状況なのさ。『素敵な40代目指して、脱へたくそセーラームーンごっこ』的な?」
「あははこれで、いっそセーラームーンごっこに走ったら、」
「それはなんか良くないフラグだろ…まずいわ。
その人がたとえ売れてもだよ、業界としては舵取り失ってる感ひどくね?」
「いまどきセーラームーンなんて、ねえ」
と笑い合う。ところが親戚の子は「ああでも、フーちゃんがそういうってことは…?」と顎に手を当てていた。
「仮に救難信号だったとか、だとしたら嫌だな。自分の力では助けられない」
と私は考えていた。また自分にそれが出来る力があっても、相手の度量を見る限りでは、「おいそれ助けに行ってもよくないような気が」した。
あ、でも待てよ。自分で助けに行く気がしないってことは、それって…他もあんま進んでは助けに行きたくないってことじゃないのか。なんとなく。
「それをやらなきゃならなかったのは、彼女らへんだったのさ。私そういうのに全然興味なかったけれど、今になって誰が担うか、だいたい判ったよ。」
と言いながら、自分の問題が解決できてないことが、だんだんと判ってくる。ああ〜お〜れ〜の適正どこ〜!!!
「まあ、現状を見る限り、私は女優に向いているタマじゃないってこと!これだけは確か。」
「は、はあ…」
「でもさ、それの意味するところわかる!?彼女、『見づらくなってしばらくの間が本番』ってこと。
そういう意味ではあの仕事、『局アナみたいな』と言ったものの、いえいえぜんぜん。はなから黒歴史に黒歴史を重ねるほかないような業務内容なうえに、路線次第では年齢が上がっていくごとにさらに上塗りをしていく。それ以上にきついことしているわ。
ま、それでも。あの人には給料はあるんだ。『泥試合をしても、魂を売っても、ちゃんと暮らしていけるだけのお金になって戻ってくる人』。」
とても小さくてつまらないポイントだけれど、彼女のことを『もはや身体を十二分に使わなくてもわりと評判が良く成立しそうな女性アイドル』と捉えてしまうと、立ち位置としてはどっか。
顔面の皮をなげうっても…というイメージが起こりかけては払拭に必死になって、雑巾使って窓辺の砂を掃除する。
でも大変なことに、きっと顔に脅迫をかけられても、彼女の場合は金になる。普通、顔面にすさまじい大やけどを負ってからでないと、きっと金にはならない。
さらに自分じゃ下手すりゃ、傷を負ってもお金にはなりません。なにか利得を得る前に、存在を抹消されるかもしんない。
でも彼女ならきっと生きて、ある程度の処置もしてもらって、金になる。
「産まれてきたことを後悔しろやあ」と自分がそこらのすれ違いから割と日頃から言われてきたことも、大変なことに彼女だったなら金になる。昔そんなエピソードがあったと世間に知れても、彼女みたいな立ち位置だったなら金になり評判になる。
うちの母さんは若いときに保険をかけていた。「自分の役割は所詮、家の金の帳尻合わせなのだから」と自分が死んだときに家族にまとまった金を残すためのもの。それは『若いうちには病気になったときの保険をかけるものだ』と周囲から驚かれていたそうだが、それは死亡保険だった。
それを当時の母は「自分が死んででも金になったほうが喜ばれるのだろ」と親孝行のつもりでかけて、その家から売り飛ばされるような結婚の前にあえなく解約することになったもの。私はなぜだか幼稚園のとき、母がそれを解除しなくてはいけなかったことを悔やんでいた。
でも思えばあの人なら簡単に出来るんだ。彼女がいなくなったら喜ぶ人は大勢はいなくても、身内にそういう人がいたらその需要にあまりに確実に応えられてしまう。
そういう母も私も出来なかったことがあの人なら、精巧にして完璧にして大胆にできてしまう。かも。
たとえばこれで自分たちが体験したことでなかったとしても、
片耳ずつ難聴になったりとか、片目ずつ弱視になったりとか、例えばこれが機能不全でなくても幻聴や幻覚も、違和感程度のものにしても、片方ずつぐらいでゆるく発症したなら割となんとなかなるような。
ゆるい事例なら「耳閉感がありますー」なんて言ったって、「わあこれは大変ねえ可愛そうね」とか心配されそうだし、定期的にあるなんつったらネタになる。
仕事に関係ない部位の末梢神経がどうかしたとか、奥歯が少々欠けたり抜けたりしたとか、白髪とかだって、「顔が時間帯によっては信じられないぐらいむくんだ」とか、「出た先で事故にあって外傷負った」とか。たとえそれでどっか欠けても特に足先ぐらい…ってあまり考えたい光景じゃないけれどさ、これはまるで残酷版シンデレラの姉たちみたいな話ね。
概日リズムが狂ったとか、精神的に病んで数回発狂したけどまあ仕事時間までには元に戻ったとか、あんまりすっごい偏頭痛持ちとか、たちくらみや回転性めまいすごすぎるとか、あくびの秒数・回数が変に多くて会話に支障があるけど仕事のときだけ大丈夫とか、こむら返りの回数が凄く多いとか、居眠りが多いとか、実は今親指の爪の周りが膿んでいていてえとか、内臓が潰瘍起こしたとか、血管がどうかしたとか、心停止からの蘇生も2〜3回ぐらいなら。
女性で言ったら、陣痛つわり、どっちも頑張ったには違いないけれど、それを評価と金に出来るかってったら、だいたいそういう業種の人ぐらい。それが出来ることをわざわざ大声で責めたてることは間違ってるし、経験をきっちり語れるってことは後の人の参考になるだろうから話題としては止めないでほしいのだけれど。
そうだ!あの人こそ、たとえば私のように体の何処かに動作感覚がなかったとしても、そのことがかえってお金になるし、評判になりそうなものじゃないか。なんで早く気づかなかった。
…私の考えは、まるで弱音みたいだ。だけれど本当に弱音なんだろうか。
それでも大概の人は、『自分の痛みを金と、世間一般からの評判とに交換できるものではないよね?』
そういったら、あっちとこっちの違いがわかりやすいんじゃないかって。
同じ女性と言っても、『痛みを直接自分の利益に出来るかどうか』は、そのへんの人と比べてしまうと、あまりに大きすぎる違いとして紛れもなく存在している。
こういう病気や怪我の部類によっては、少なくとも通常の人ならどうしようもなくなることを、もはや『あの人の立ち位置の身に、どれか一つでも起こったならば、金になるし、評判になる』とは思った。
その状態をあとで単体だけ抜き出して聞いてみたときに、私の親戚たちは誰もが『ウェッ』と気持ち悪がった。そうだもの。
たとえば『腕を削られたところで金になり評価になる』だなんて、農機具に挟まれて切断とか、冗談にならないリスクが伴って、そのせいで生還したけれど離農だ破産だなんて割と当たりまえの農村部が身近なところで、そんなことはまずない。
かといって話を聞いた人たちからは、その状態が「思い上がりである」とは決して言われなかったし、「人権がなくなれば良い」だなんて、そんな過激な意見は一つも言われはしなかった。
聞き方がずるいとは思ったけど、なんだか止まらない。
そうであるものの、それが「自分が考えた女性アイドルという仕事だ」という部分を黙って伝えれば、はっきり言って「そんな人間いてよいものか」と凄まじく気持ち悪がれられることだった。
こんな話じゃ、年寄りの病気自慢みたいでいやだし、これじゃ言った私が出来の悪い都市伝説みたいに『失くした腕や足を取りに来た妖怪』じみているじゃないか。
他の同業者だったらともかく、あの人ぐらいの立ち位置になってしまうと、そうなってしまう。
ただあんまりそれを『その立ち位置の美点』としては伝えてはならない感じもした。
だって失くしたってお金と評判に代えられてしまう。それで「その手足、まだ使う?」と尋ねて「うん」と元気よく答えられたとしても、その発言が真実と言えるかどうかについては、条件だけを見れば並の人間より一気に怪しくなってしまう。
たいがい身売りをしても、さすがに『身体のどこかを切り売りして、持続的に収益を得られること』なんて多分そんなにないわけだから。
おぞましすぎる話だが、これはその人の心の持ちようだったり、仕事の質などで凄くお役立ちになろうと、この特異さだけはどう誤魔化しても消えない。
この点で、体のどっかこっかが普通の人類からも逸脱してしまった面があるには違いなかった。
「今この場に人ならざるものがいたならば、彼女はきっと並の人よりも体を持っていかれやすい。」
怪談ばかり書いているせいか、なんだかそういうところに目が行ってしまう気がするし、なんだかたまに、かなりリアルにイメージしやすいタイミングがあって困る。
この直感みたいなものが、いやーにリアルすぎたのであえて書いた。これはおそらくどっか自覚しなくちゃいけないことなんだろうね。別に相手にそうなってほしかったわけでもなく。
なおかつ腕や脚を失うとか粉砕骨折とか占いでしょっちゅう出てるのは、実は筆者の方だとタムラや江口さんが言っていた。回数が尋常ではないとか。私が代わりになったら、そっちに凄い回数のボキボキチャンスが移ってしまうんじゃないかと。
女性アイドル滅多打ちでごめん。
というか、女性アイドルばっかり『特別扱いの方向がやばげだ』と書いてしまうのはなぜか。
うまく説明できないのだけど、そもそも予感めいたもので書いてるから、ちょっと自分の憶測を語らせてほしいな。
たとえば円形脱毛症になったときの社会からの扱いを考えてみた。
もちろん絶対にならないに越したことはないさ。ストレスが身体に出るだけの経緯があるわけだし、ツラいだろうし。
でも、何だかなあと思ってしまう面もある。
だって目立ってもさしつかえない女性がなったなら「いやあストレスかわいそう」という扱いになるのだけれど、目立つ男性だったら「いやそれただの10円ハゲ」とか。そこいらの人だとただただ恥ずかしいだけだろうし、人によってはいじめになる。
これが男性アイドルだったら?『情けないやつ』、『だらしないやつ』、『そもそも異常』みたいな軽い誹謗で終わるところがあるでしょう。悪い評判どころか、弱い=忘れさられる感じ。そこにジェンダーの性質がもろに出てしまうと思う。
なのに凄い極端な話、現在の女性アイドルはそこがちがう。かつらやきちんとしたスタイリングが、あっさり貰えそうな立ち位置で、それすらもプラスのネタにできそう。
「『かわいそう』と言われがちなのは、まだなんとかやりようがあった人のほう」
病気になった事と、かわいそうだと言われること自体は悪じゃないはずなのに、状況としては軽い矛盾を見てしまったような。
さっきから言いたいことって、こういうこと。
これは羨ましくないけれど、そこが普通の人との、あんまりに圧倒的で収まり難い差だと思う。それがたまに重病だろうと割とできちゃう立ち位置だってことなんだ。
とくにまだ替えが少しはある部位だったり、精神や内科の病気だったり、喉に関わらず外見からはそんなわからない病気や怪我をするとかね。これが金になるし評判になるよね。
そしてきっとその性質は、『いくら普通の人と同じことを語ろうとも、たいがいの人類から軽く逸脱してるかもだぜ』という意味で、実はなにかと軽くまずい風に出やすい部類のもののような気がする。
それでもきっと『お金と評判』になってしまうばっかりに、彼女は多少のことをしても、きっとタムラたちが制定している『悪い人』には当てはまりづらいんだろうな。
「えっ、でもそれどうかと…」と親戚の子が驚いた様子を見せた。
「いいや。ああいう仕事をしようものなら、このぐらいの想像力は必要だよ。
だって想像した痛みを、お金を変えていかなくちゃいけない仕事だから。」
あんま詳しく境遇とか知らんけど。
境遇と言えばだ。
これでだ。タムラや江口さんに同じ怒りを抱いていないと言ったら、実は嘘になる。割と今誰彼構わずそういう気分になるときもある。そこは感情だからね。
それでもあと少しだけ許せる点があるのなら。やはりそこは境遇を知ってることがあるのだろう。
あの人たちに至っては、本の稼業のせいで大怪我をしても「どうせ抗争で恨まれていたんだろ」ということになって、本当の意味では誰も憐れむ人がいないと、当人たちが言っていたことだ。
そういう事情で同じ徒党の誰かが復讐を果たしてくれたり、弔い合戦になる可能性はあるのだけれど、「そもそも弔い合戦は、その仲間にすらとにかく金にならん。評判にもならん」と言ってたことについては、筆者はホントっぽそうだと感じた。
また元気が取り柄な職業が本職なだけに、体の不調はそんなに許されない。片目に幻覚が見えたり、変なものが聞こえただけでも命取りなことが多すぎる。
タムラたちは忖度をした上で刃物で切り傷を受けそうになるリスクにずっとさらされている。それはきっと表沙汰にならない。
さらにやられたところでお手当らしい手当は出ないらしい。さらに新しく私の近所に加わってきた泥棒ざることパイロットにしても、航空自衛隊のなかでは『いないことになっている』パイロットのはずだから、ひどい目に合わされても、また扱いが違うのだと思う。
引っ込んだ事になって消えるだけ。死因など正しく知らされることはない。少なくともタムラたちはそうなのだという。
ところで彼女の場合は、一体どのような副業を持っていて、どのような襲撃リスクにさらされ、死亡時にはどうなるのかを、タムラたちから全然聞いてない。
その点何か彼女の身に有事があったとき、金を受け取るのは彼女じゃないにしろ、彼女をきっかけに誰か近しい人に金が入るはずだ。評判はきっと紛れもなく彼女のものだろうと、勝手に思い込んでしまっている。
ちょっとずるくね。それで彼女のことは何も知らないのに、ここまで怪しんだ理由はタムラたちが「働いている女には”させるわけにいかない”という理由で、あんまりそういうことがない」と言ってたことかな。
だから切り合い、投石、ひき逃げ、薬品ぶっかけ、銃撃、火炎瓶、脅迫、高所からの突き落としとか、そういうリスクは極限まで低いと聞いていた。
でも高校時点の自分の認識だと『ごく普通の人だって、このうちの幾つかぐらいは遭遇するんだ』というものだった。なのでどれ一つとってもリスクが低いことをかえってとても不思議がっていたら、
「おまえどんな世界で生きてんねん。考えてることおかしい。ヤーさんだっていつでもそこまでの目にあってるわけじゃないからね?」
と叱られたことがある。彼らの発言がどこまで本当かはわからないけれど、彼女にはどれぐらいその手のことがあった?どうなんだろうって。
そんな彼らとしては、「私に自分たちより扱いの低いものであってほしい」と、こちらにとってはすごく嫌な願いを抱いているようだが、”やられたらそこで終了”的な世界で生きているもの同士ではあって、不公平感がいくぶんか低くなっていることは間違いがなかった。
そこだけか。
かといって彼らが私自身を十分に活かしてくれることも、おそらくさほど期待しないほうが良い。そのぐらいの味方なのではないかと。
でも「お金になるなら、ひどい目にいくらあってもいいじゃねえか文句あるか」と言いたいわけでもなかった。そうなってしまうと考えても、その状況は嫌いなんだ。
なんかものの考えかたが、身代金ビジネスみたいでヤダ。
それで口では、まるで『相手も同じ目に遭えば良い』と誘導しかねないと感じてしまい、親戚の前では黙ることに必死になった。
『硫酸かけられろ』叫ばれるようなことに。『てめえ俺らの代わりに死んでこいやあ』と襟首掴まれながら叫ばれるようなことに。それで本当だったら対処するべきだった人から裏切られたりして、もしかしたら、本当に殺しにかかってくるかもしれん人とひとりぼっちで対峙しなくてはいけないかもって事態に置かれたり…?
いや、お金になるからって、これはまちがっても強要できない。黙る。黙る。とにかく黙った。
そこで彼女にはこれだけ伝えることにした。
「泥仕合に魂の売却。普通、どっちをこなしても金にはならないかな。
『引き換えにすれば何かが得られる』ことじたい、人間如しじゃ、普通めったにないことなんだろうなって。
タムラも江口さんも、お幸せなことに『人生そういうものだ』と当て込んで生きている。それは正直言って、彼らは凄まじい自信だと思う。自分にそこまでの価値と評価があると感じているんだな。
でも、実際は違う。人生を賭しても命で払っても運命をなげうっても、何かが得られることなどそうはない。まずそういう機会がない」
悪魔の契約のほうが、とくに女では、まだどうしても優しいときもある気がして。なぜなら強奪ではなくきちんと”買って”もらえるのだ。
本当に悪魔の契約は優しい。そのせいで気分だけなら晴れやかになる面もあるような気がするのだけれど、優しすぎて変だ。事故や災害なんて見ていたら、どうしてもわかるだろ?命は自分の願いを叶えるには、やっぱり軽すぎるぐらいだって。もしかしたら、この調子じゃあ「『人間の魂や命を投げ打うったごとしで、何かを得られる』契約を結べてしまった事自体が、じつはチート働きすぎて罪」ってことなんじゃないかな。
そう考えると、めちゃくちゃ悪いと言われている理由もわかる。『圧力鍋の中で料理が回転してはいけない』みたいな話が、本当は起きてるってことだろう。
「さっきから酷く身も蓋もないことを言ってるけれど、世の中さあ、ふつうは取り返しのつかないものほど、金にならない。わかる?」
相手がしゅんとした様子になる。
「それは良くも悪くもだ。恐ろしくもある。だから大部分の人は売っぱらおうとせずに、時間をかけて良さを見つけていくものなのさ」
私は数秒黙った。非常にみみっちい話だが、まあ庶民感覚から語ってしまうとそうなんだ。
彼女はきっと違う。やられても金になる。評判になる。だから使う。
でもこれが『表社会で受けが良い』ってこと。
現状を比べる限りだと、アイドルとは、『金と評判は集まるところには集まる』ことを、あんな小さな装置で社会に見せびらかすみたいな性質がどうしてもある。そんなところにもってきて、『何故かその横に、”命を削ってもジリ貧一銭ももらってない”関係者がいるかも』なんて考えてみろよ、ナンジャコリャってどこでどういう格差付けてんねん、扱いの差がでかすぎる。
いちおうあっちのほうが凄いことや器用なことをしてることになってるけれど、それでもお互いの良さをぶっ潰れるような、こういう天国か地獄かみたいな扱いの緩急の付け方、けれども優位に立ってる相手のことをすぐさま『わるいやつだ』と断言できないようにも出来ている。そこも含めて旧体制っぽい。
これで『関わってみたらいい人だった』と言われても、だな。
なんだか親戚の子がどうにも納得がいかない様子なのも、そこから来ているのか?
彼女はずっと、下唇突き出したようなうまく言えない感じでいる様子だし、なぜか話題が同じところで踏みとどまってしまう。
これがあまり悪いことをせずに普通程度に稼いでいるのだったら、ここまで過剰反応にならなかったのだろうけれど、「あまりに大勢の人前に出られる時点で、あまり普通の稼業じゃないはずだ」とは思うのだ。
さらにあんなに沢山仕事が出来てるってことは、おそらく私よりも相当に頑丈だろう。私は喉をすぐに傷めて高熱を出すほどに病弱だ。腕ずくの闘いならば私より上だろう。
しかし彼女に腕があろうとなかろうと、金になり評判になることだけは確かで、味方がいっぱい出来るだろう。逆に私に腕があったとしても金と評判にはならない。もはや実体験として、私が素人じみた行動だろうと戦えば、なぜかあたり一面アンチになる。
暗躍と活躍にはそれだけの差がある。それで日本ではそれが不可侵のように扱われている。
あちらとこちらの対比を説明をしてみたら、好きとか嫌いとか、そういう感情はまず通り越して、そういう事実がただ広がっている。
目立つ人が近くにいるだけで、そうでなかった人はかなり奥に引っ込められた上で、それでも危ないだけ危ないんだとしたら。
そうして、おそらくはこれが、『アイドルを身近に感じている』ことの正体だったとしたら?お前はそれでも自分と関わりがあるところに、そんなものが来てほしい?
何も極悪なことはしていないはずなのに、なんだか社会に顔向けすら出来ない自分ってののほうが、物事の区分けから言ったらいちおう『普通の人』になっちまうんだろう。じゃあ普通の人ってひどい人生送るのね。
そもそもがバックの組織が抗争に強いから、あんだけ表に出ても無事でいられる。そのくせ「自身が戦闘員である」というアピールをほぼしてくれないアイドルって、たとえこうして居住地が離れていようと、軽くなりとも関係者(なぜか連れ合いのほうが近所)にとっちゃ、そのぐらい迷惑をかける。
相手の仕事に、私に出来る芸当ではないことがいっぱいあるだろうことを百も承知で言うけれど。まあ結局はこの世が平和じゃない限り、ずっとそう。
結論から言えば、アイドルなんて「普通の人がなっては駄目」。
「普通の人のふりをされても、路線としては当たり前と言われているけれど、関係者にとってはイヤ」。
でもこれこそみんながだいすきな『昔のアイドル』って制度なんだよ。私どっちかっつうと苦手。こうしたみたら自分では抗いようもなく組み込まれていた可能性すら疑われてしまうような事態になってるけれどさ。
でも自分の立ち位置がさほど好きじゃない割に、相手のことも羨ましがらないのは、『お互いに、それが良い面もあれば、どうかなって面もある』ってこと。
「お金って物々交換のツールだから、取り返しのつかないものに値段は存外つけられない。
大抵の商品が『レア』といっても取り返しはつくようになってる。まだ何個かスペアになるものもある。きっと値段がつくってそういうものなんだ。
本当に唯一無二のものを、世間はたいがい『受け入れ難い』と思ってしまうもの。それが何なのだか分からなくてまず嫌がられるな。喜ばれた時点でそれはおそらくどこか慣れ親しんだものだよ。」
私の唯一無二は、誰か好意的に受け取ってくれるものなんだろうか。果たして「あってもいいよ」と言われるものなんだろうか。
「まあ彼女が仮に『素敵な40代』になるとは限らないのだとしてもだ、同士は何名かいるだろうと思うから。
当人も悲しくなるぐらい見づらくなってからの数年間は、そういう業種の人のだいたいが通る道なんだよ。大変だがやってくれるだろさ。」
たとえばタムラたちの営業方針は「自分たちの覇権のために周囲の士気を下げるようなことばかり大得意」で、とくに女性を出世させるときに、それを使うと言っていた。優秀な人材ほど重用せずに、邪魔を入れる。テクニックとして組織を腐敗させて、その後は放任し、そこでようやく優秀な人材を人身御供のように放り込む。(134話)
あんなものが威張りたいと願った業界に先があるとは思えないが、きっとそのせいで、まずは喉から喉うんこがごんごろごろごろして『あまりの臭気にビル一個駄目にした』なんて言われることになるだなんて、腐敗する部位が悲惨にも程がある。
けれどもこの『素敵な40代作戦』も、特に女性を出世させるわけなのだから「周囲の士気を下げてうんざりさせて、その人たちの立ち位置を確保する」系統の作戦なのだろうと見られる。
その数年後の40代を使って、タムラたちの徒党が、同業者に対して一体どういう士気の下げ方をさせるつもりなのか。年功序列とはまずそういうものだが、他にもきっと利用される策があるに違いない。
うーむ。そこで出た結論は『醜い』だった。やっぱり思考が同じところに回ってしまう。それは以前も出していた。
「え、でもあの人、かわいいよ」
私はきっぱりとちがうと答えた。
「あのね。そういう範疇じゃないの。それにね老けたとは違うんだけれど、あれで感じ悪くなる方の変化を迎える人だったらどうするんだ。」
それはたとえばどういう老け方かと尋ねられた。
たとえば、石原さとみなんかを例に上げてみる。
たしかにある程度歳はいったけども、激変したか可愛くないかと言えば嘘になる。ただ、年々どっか感じは悪くなってってるのね。そっちの方のカワイイになっていく。
ああ、そういうところに年齢って出てしまってるのね?と見ていて感じるのだな。
(小学校のときなんか、学年のワルガキに「うわ、絶対見下してるだろ。すっげえブッサイクのくせに。自分の顔と見比べてみろい」とからかわれた芸能人のうちに彼女は入ってるのだが。
まあ、自分と見比べる観点をなくして、彼女を見てみることはたびたびあった。それで今に至るね。)
ついでに言うなら、高校のときにタムラが言っていたことには「あの見た目の女はちょっとでも余裕が無くなったら、守銭奴になる。だからああいう顔をしたやつには、全員というわけじゃないが常に仕事を切らすわけにいかないものが何人もいる」とかで、中身の性質が判で押したみたいに顔に出やすいと、あまり快く感じていない様子だった。
ちなみにフカキョンは、どっちかというとおっさんのようにたち振る舞う系なので、まだそっちのほうが良いかなと。うむ。つまりはタムラがそんなに詳しく語るってことはどっちも中華系ね。
「世の中には老けなくても、そういう老い方もあるのね。
タムラやら江口さんはそもそも一族じゅう、とくに男性が老けづらいのさ。だから実際には、まあ徐々に変化はしていっても、感じの良し悪し含めて『すさまじい大崩れをおこさないだろう』と高をくくっているところはあるの。
芸人さんとかやってる人とか、最初からおっさん臭い見た目でも大崩れを起こさないことだけは親の顔を見て知ってる人たちだったりするから、堂々としているの。『自分は途中から同じ年代の中では相対的に見やすくなるほうだ』とわかっている。
でもね、そうじゃなかったら?大抵の人がテレビ出ている姿を目の端にでも確認したら、自分で自分にがっかりするような年数がそれなりに続くんだけれど、逃げるわけに行かない。そんな自分を晒し続ける。」
この場合、仮に相手方が20歳時点のタムラと同じようなレベルのまま止まっているような人たちだったとしたら。
これには案外確信めいたものがあった。そうでなかったらあの子達は、あんなにひでっているわけがない。本当に魅力がある人々だったなら、筆者よりも関わりがあるだろうからに、職場結婚でも決めてる件数がもっとたくさんありそうだと感じるからだ。
ああいう子たちこそ、普通もっと素直に人付き合いとかあるだろうと。
それから稼業が稼業だからなあ。自分との相性とか難しいことを抜きにしたら、「どんな嫁さんいるのかなあ」とちょっと楽しみにしているんだ。
「なぜ『彼女がいなければもっと有望な新人が』とか、たまに揶揄されるレベルにゴリ押しされたのか…ええと、売り方がそういう感じだったみたいなんだよね、私だってつい最近知ったことだけれど。ほら、説明に困るぐらいの人じゃん。
それも最初からこういう役割につかせるために外堀固めるためだったんじゃないかなって。だって『あの役にはあの人』みたいなものが、ずっとつきまとうんだから!彼女に至ってはその塊のようなのね?いい加減になると、もうそういう段階でしょうが。『理由をつけても逃さんぞ』と。
若いものから見ていればわかる。ガキが中年になるとはそういうことだろ。子供はそういうところを理解しなくちゃ生きていられないからな。
だいたいそこから察するに、これからの彼女に必要な業務は大方察しがつく。程良い頃合いでヨイショして、醜いぐらいの責任から途中で逃げ出さないようにすることだけに結構注力されてるところなんじゃないか。
で、おそらくは私もどこかで『ヨイショする』、そういう役割を負えと言われるのかもしれん。そういうことなんじゃないか。まあその同年代の同士たちは、ヨイショはその人と一緒くたにされる立場でも、ともかく逃さないがためにいるようなものだ。」
ちょっと思考が横道にそれた。
じゃ、そんだけの業務が必要な、あまりに未熟な人たちだったとして、自分の何が使われるだろう。
『つだけん、しぶい、男前ー』
とあんまり興奮していたタムラのことを思い出す。ごめん津田さん。
いや、別にその人と面識があったわけじゃないけれど。全然関係がないことなのに嫌な予感がする。
もしかして、あっちがた、私が「なにかすごいあっちの業界関係者と、早いうちから縁でもあるんじゃないか」説みたいなのを、わざと彼女たちにでっち上げてでも伝えたりしていないだろうか。ま、俺もでっち上げ症みたいなものだけど。
邪推も良いところだ。こんなことを言ったからって、自分の生存確率が高まるとは思えなかった。
そのとき後頭部をがんと蹴られたような痛みが走って、思わず振り返る。
「すまん。今のは愚痴だった」
「もうっ、そんな暗い顔をしているからあ、」
現行の女性アイドルは、目立つ。だが牽引する役割といわれるほど目立つ割には女性社会を統率するシステムにはまずなりえないと感じた。
これではちゃちな装置で、圧倒的過ぎる格差を見せつけるように出来ているだけで、『どっちのほうがマシかですべてを選び、最初から決まっているほうを選ばせるようにしてある』。みんな天国から地獄かを見せられる恐怖で、マシな方に刺さりこむことに全部の労力を注ぎ込ませることになるだろ?
これを男女ともに選ばせてしまい、当の女性からも傍観者の思考回路からも、他の選択肢をすべて奪う。こんな貴いものか賤いものかしかないような。しかしこれでは『金と評判とで自分のすべてを引き換えることのみを善』と言っているような話で。
これは女性社会に限った話ではないが、金と評判のためならば、守るべきものまで売り払ったり、己の身代わりにしてしまう。それで荒れるのだ。勝ち組と負け組では、結局は駄目だ。何度助けた命だって最も無駄な使い方をしてくれる。人を育てたり、その猶予を与えるようなことはしない。
しかし社会の維持管理とは、金と評判だけでは到底わりきれるものではない。むしろ毒になる。
こんなギリギリの質問が出た時点で、自分の周りが少しばかりそうなっているみたいじゃないか。
だからこの金と評判を争ってるだけの役割だけは、社会の統率者たりうるものではない。これだけは明白だった。
最後の最後にどこに忠義を尽くすか。それを選ぶ自由はあったのほうが良いさ。人であっても構わない。人でなくても構わない。でもこれを選ばせないことには、どんな社会も形成されようがない。
だが現行、日本の女性社会についてはそうなることを、印象操作の段階ではんぶん強いられているようなものさ。たぶん。
(このくだりを書いたとき、家の中が塩とタバコの匂いがまとわりついた。
一体なんだと聞かれたときに『おそらく塩まじないっていうのをやったんじゃあないかな』と答えた。ここのサイトの検索ワードの中に『悪夢を追い払う 塩まじない』と書いてあったから。
母はそれを聞いて鼻で笑った。『あまりにリアルな悪夢をお告げだとは思えないのかい。立ち向かおうとも思えないのかい。夢は案外とそういうのがわかりやすく出来ているんだよ。弱虫め』と言って、しばらくしてから匂いが薄くなった。あまりよくないな。
後でちゃんと調べてみたら、塩まじないは願いが叶う前にちょっと悪夢を見がちになる事が分かって、厳密に言えば悪夢を追い払うためにまじないをするんじゃなくて、願いを叶える代償のような部分を抜かしてなんとか叶えようという、もうちょっと厭らしい代物だったと。
でもいずれにせよ悪夢ってそうそう追い払うものじゃない。夢を見た理由が、たとえば心霊スポットに誤って行ったとか、凄い事件にあったとかなど、起きているときの自分の状況に関係しているものなら、追い払おうとしてもよいだろう。逆にそういうのは肯定する。
だがそうでない場合は逆に、きっちり見たほうが良い。身に覚えのない言いがかりのような夢ほど、だいたいそれは虫の知らせだ。それで生き延びる面がある。見れないほうがまずい)
見分けはすぐにはつかないけれど、話を聞く価値はほぼない人たち
さて、この文章も本来はカットするはずだったけれど、お隣がうるさく反応するので掲載。
乗っけとかないと機械がバグる。タムラ、泥棒ざる、江口さんに捧ぐ。
でも私の表情は、「愚痴だった」と言った当たりで止まっていたようで。
愚痴だったと言わなくてはいけないことが、だんだん悲しくなってきていた。
「ん、いや…別にそういうところで相手と自分を比べてほしかったわけじゃなかったような。もっとこうポジティブというか。
ほらあるじゃん、『私こういう良いところがあるよー』って。ほら、『ここだけは誰にも負けないよー』とか。『頑張り屋さんだもの』『愛嬌あるよ』とかさあ。」
「ああ、ごめん。相手と自分とで、もっともかけ離れていそうと感じられる要素をまとめてみたらこうなった。で良いところって?」
まして私には噂によると、『人によってはただの負傷兵にしか見えないバグ』もある。
自分のフィジカルは、表現などとは程遠いものがあった。指図私はゴースト。お互いの良さなんて、丸つぶれの領域なりルールでしか、たぶん勝負にはならない。
「ああ、うん…」
黙ろうとしたのが、もっと会話を困難にしてしまった気がした。
「好きなこととか、愛していることとか、あるでしょ?それで愛の力でカーツって感じ!フーちゃんの人生に必要なのはそれよ!もうっ、目標に向かって突き進めって!」
と聞いて、固まった。目の前にはまだまだ片付けなくちゃいけないものが広がっていて、時間だけが押している。自分の頭は、こんな作業は早くおしまいにできるようになって、他のことできるようにならないと!と流石に焦っていた。
なんでこんなに散らかしてくれているんだろう。
「は。私が目指しているのは、もはや食べていくこと。暑さ寒さを凌ぐこと。親父の代わりに自分が家族を食わせていくこと。それが出来ていないの。」
「それはフーちゃんが、すっごいサボりだからっ…」
これで終わったかと思ったが、まだ掃除が終わらない。
「あっれ、こんなところに」と親戚の子がとっさになにか言った。
「あら、ない」
「ん、どうしたの?」
「いやあさっきここにくるみ割り人形みたいな顔したソフビ人形が置いてあったんだけど、うち、そんなの買ったっけって。」
今度は比較の宛が、奥さん役から男子寮のやつらに変わっていく。
「あのね、ええと、勝てるってね、勝てるって、そういうことじゃなくて。ほらきっとあの人に比べて負けないよってところはないのって」
なんでそんなに暗い顔してるの?と怪訝に尋ねられた。てか、なんで彼らと仲良く出来ないのとも。
「あのさ、話聞いてた。仲良くなれない要素のほうが多いんだ。」
と私はちょっと冷淡に突き放して、もうちょっと良い説明ないかなとまた考え出してしまう。
「まーとにかく、自分の耳が悪いのか何なのか。にしてもアイツラの声ですら、聞いていて疲れるんだ。」
「それで他の人まで聞かず嫌いなの」「そう。」
「つってもなあ。とくに小野のことについて一々説明を求められるの、困るんだ。あの人と私、これと言って関係はというか、面識からしてなかったと思うんだよ。
ただねあの二人、様子を見る限り、夫婦じゃないよ。」
「ええっ!?離婚したの」
どうしてそんな雷に撃たれたような顔をする。いや、それでもどうして結婚したことになってるの。
「えっ、聞いてなかったの」
「なんで!なんで!何があったの」
「あのさ、そもそも結婚してなかったんじゃないか。」
「へ?」
相手は目を丸くして首を傾げていた。
「うそうそ、そんなの聞いてない。だって、へ?結婚したってニュースに」
その片側が業務上の嘘のやりようがなくて泣いていたことについては、今この子に言うかどうか迷った。今は一旦落ち着いたけれど、最近の動画サイトの様子を見ても思う。やっぱりその結婚をもてはやすような発言があるたびに、あの子の元気だったりモチベーションが今ひとつになってしまってるんじゃないかと。
公式情報ごと嘘って、やっぱどっかきつくないか。それも嘘が不要に大きい。
それからある程度の期間様子を見ている限りでは、いい加減、『失言と発狂とどっちがマシだ』って感じがしてくるんだよ。だいたい半年も続けてみていると、前者じゃないかと思えてくることがあるのだ。
「ついでに言うなら、自分はサイトに書いたぜ。」
「ん、そなの?えでもインスタに載ってないし…ツイッターにも流れてこなかったし。えどういうこと出てこなかったし〜」
「自分サイトだからな。これもおばさんに言ったんだけれど。聞いてなかった?」
「ええ?ツイ検したら出てくるかなあ…とその子はスマホをイジり始める。」
大事なことだから教えたけれど、ここの家のおばさんはたしかにホッとしたような様子だった。
「それがさ。たぶん私、片一方のことしか見てないんだ。男の方。で、奥さんの方を見たことなくてさ。何度か言ってたよ?
おばさんから聞いていない?ええと、もしかしてそのときも音楽でも聞いていたのかな」
「Youtubeみてた…かも。ほらうち、家にいるときにはいつもそうだから」
私は呆れた。こんな芸能人とかが近くにいる環境の場合、かえって耳や目をふさいでいるせいで不安定になってるんじゃないかって。何ヶ月前にその話ししたよって。
その数ヶ月間に踊らされていた無駄さにぞっとした。私と彼女とが見劣りしてどうのって、そんなことばかり信じてやきもきして『芸能人と自分とを見比べちゃって、メンタルボロボロしにそう』発言ばかりをずっと追って『まさにうちがそれじゃん』とでも思い込んでいた?
かといって、こんな子にずっとつきっきりで応対してることなんて不可能だった。
「おばさんがたは去年の今頃ね、とっくに、小野が近くにいると見られたときには『私と彼女を戦わせて、私が勝たないと、こちらが死ぬかも知れない』的な感覚を持っていたんだってこと。お前がこころのどっかで心配していたこととおんなじことを、おばさんがたはみんな先に心配していたんだ。だからあんなにあからさまにホッとしたんだよ?」
「で、何度も説明するのがめんどいことだったから、文章にしたんだ。コロナだったし」
さらに書くなり近所のキモオタたちを減らすことが出来た。あれらはこの話を始める前から面々は入れ替わりながらも度々うろつき続けていた。
「えっそうなの!?」
「だからサイトに書いたって言ったよね。あのさ、もしかして文章読むの不得意」
「え、ま、まあ…」
その子は長文を、ああで?こうで?なになにで?まるまるしました〜。と分節ごとにクエスチョンマークがついたような小学生のヘタクソな音読のようにしか読まない感じがあった。新聞とかだって、そうとしか読んでない。
説明書も読まずに機械を使うことを自慢しているところもある。それをずっと繰り返しているとなると、長文が苦手というやつなのだ。
そういう人にも伝わるように基準にして要約して書こうとすると、かえって機械が止まったり外から叫び声が入ってくるから長くしたところはある。
けれど、そのときに、『ああ、べつに自分こういう子のためにこの文章書いてるわけじゃないんだな』とつくづく自覚してしまう。
「あれなあ、大人のやり方がちょっと汚いんだ。仕事だって割り切れない人に、そういうことをさせている。だから業界歴ながい猿すらメソメソ泣き出したり、たまに景気づけにテンション高めに叫びだすような始末なわけ。」
ちなみにタムラもそういう読み方の子だったと思って、たまに図書館で今読んでいる本を気にしているようなら少し読み聞かせをすることがあったっけか。
「ただね、あの人たちはね、事情を聞けば聞くほど、こちらから支えてやるような人たちじゃないんだよ。あれらは自ら色々選んだ末に、あんな業態を選んでいるんだ。むしろあれらは決して無力じゃない。こちらとしては、あまり近づかずに見守るべき存在かも知れないが。」
「ちがうもんっ、じゃないとあんなにフーちゃんを求めて、ぴいぴい騒ぐようなことばっかりしないもん!あなたの働きかけが足りないから!あんなに不安そうにしてる!」
たしかに隣の家からぴーぴよぴよと鳴き声が聞こえることがあったけれど。
「ちがうよ。その不安だって、当人たちが向き合わなくては駄目な方のやつさ」。
そう言うと、彼女はびっくりした様子で口を開けた。
「不安て、みんなで協力しないと、背負えないものじゃなかったの!?」
私は静かに首を横に振った。
「関わってみてわかったんだ。
『自分の心の弱さや、社会が仕掛けてきた本当の困りごとや、どうしても答えがすぐに出てくれない問題で起こった不安だったなら、かえって誰かがそばにいてやったほうがすぐに解決する』ことがおおい。それに相談を受ける側としてもだ、本当にこういう相談だったならば、不安で頭が回らなくなった人間相手に、答えを急かそうだなんて、よっぽどわざとじゃなくちゃしないものさ。不思議とそうなの。
でもね、『お金か自らの評判のためだけに動いたことで発生した不安さは、結局当人たちが自分自身で解決していかなくちゃいけない』。
どっちの悩みごとだって、スピリチュアルサイトなんかを覗いてしまうと『エゴで動いているから駄目なんだ』って、書いてある綺麗事に不安になる。けれどね、エゴが人を駄目にするだなんて、分析の括りがでかすぎる。ちゃんと人の話も聞いたことがある人間ならわかるんだ。
代わりに、『苦になるエゴには種類がある』とは捉えているよ。」
身から出るサビになるようなもの、私だってその全部をわかってるわけじゃない。それでも、
「普段聞き役に回っている私でも、特に『お金』と『評判』。それらだけを気にして動いている人間に関しては、まるでお手上げなんだよ。
ちょっと理由は後で語るけれどね、この両者しか大事に出来てないと、何を言っても『自分に同調しないやつは悪だ』と言い張れてしまう状態なんだ。そうなるととりあえず一人でいさせたほうが結局まだよい。」
「で、タムラと江口さんはその二つしか気にできていない人なの」
そうと私は大きく頷いた。いい子たちなだけれどね。
とくにあの子らは評判のことを気にしすぎる。
評判のことしか気にしてない
「『評判』を気にしてる人が、一番裏目に出るときを教えてあげよう。
それがイジメの相談。あれってハーフアンドハーフね。『この人の悩みは、どっちから来ているのかな』って。
結論から言えばこのとき、『クラスの評判を第一に気にして動いてる人間』ってのは、だめなのよ。
さんざん話し合って結論が出た後に、『でもそんなことできないよ。するわけにいかない』と、当人が一番嫌がってたはずの不条理な決まりごとを再びずらずら全部持ち出して、話し合いで凄くいい答えを出してたって、何もかもを反故にされてしまうんだよ。」
聞き役になってた私はその時に『お前はエゴで動いているから駄目なんだ』とそれぞれ違う人から何度か同じ怒られかたをしたことがある。
でもねそれは『エゴで動くのをやめる』ことを言い訳に、『他人の評判のために動くように心がけている』だけ。
話し相手としての迷惑さだけは、自分の評判しか気にできていない人と同じ。そこをエゴを消した程度では、あまりに消せていないよ。
「結局普段から、誰もが自分なりに評判が下がらないように散々計算した方法を考えていて、実際にはそれが原因で苦しんでいる。だから『これやらなくちゃ評判が上がらない』って思い込んでいる方法を、相談したからには相手にまるで否定されてしまう。
じゃその場で『相手の言ってることを認めてやればよかったのか』と思うだろ?それね、『あの人全然有効なこと言ってくれなかった』って言われるパターンのほうが多い。」
へえ…と相手がこちらの様子を、よく目を開けてじっと見つめていた。
「相談ってねえ、だいたいうまく行って『ただしく自己否定されに行くこと』なんだよね。『これで大丈夫でしょうか』と聞いても、『これで大丈夫じゃなかった自分』を否定されてに行くわけだから。
そうしたら嬉しいお答えを頂いている最中も、自分の意見はことごとく『ちがう』と言われ続ける。だからいつも申し訳なくて少しだけみじめな気分になってる。というか、なっちゃうでしょ?」
まずは語り手はそこを相談しに行く前に、『自分はやや自己否定されてしまうんだろうな』って、どっか認めてもらわなくてはいけない。そこが未熟な人では相談をすれば物事が良くなると安い期待ばかりして、『相談してからますますひどくなった』と当人が腹を立てることになる。
このとき親戚の子がむーと小さく唸りながら、靴下を布団に出して何か見繕っては部屋の隅によりわけた。
「まあ、『当てにならなかったな』と言われるだけなら、まだいい。
『やっぱり出来ないよ』と普段の生活に戻ってくれるのならば、まだマシだ。
なのに、むしろ何を思ったか、『その時の話し合いで出した結論とまるで逆のことをしだすこと』だってある。これが最悪なんだ。
そこから相手が相談している最中に、どんだけ聞き手に向かって腹を立てていたかってことが見て取れるんだ。
本当はつまらないプライドの高さなんて、私がよく先生方に言われてるように、『ただの頑固さや譲らなさ』として出ているわけじゃないの。いい加減になるとその二者は面白い。
じゃ、何が不快か。『自分が組み立てていた方法論を、さほど皮肉屋でもない相談相手や信じてる友達にわざわざ相談したときに』、必ずやどこかは批判されてしまうものだろ?そこで『どれだけ怒りを感じて、かつ卑劣になれるか』なんだ。
ひどいと『お前の言うことだけは何もかも聞いてやんねえよ』という態度に出られて、全部逆のことをしだすこともある。後々面倒の素だったりするんだ。とにかく評判しか気にできていない人って、これは心の傷の大きさに関係なく、そう出るんだ。」
こうなってしまうと、おそらくは何の脅迫観念も生じてないはずの超小さな心の傷でも、『トラウマが再発した』と周囲に訴えたりするのだ。こういう人間は時間が経つに連れてトラウマが無尽蔵に増えていく気がする。
なので、幼少期の小さなトラウマをヒステリックに持ち出し過ぎな人間は、もしかしたら今心が「他人からの評判以外に気に出来るものがない状態」なのかも知れない。私はそう見ている。
で、おそらくそれはトラウマじゃない。相手に反抗して自尊心を満たしてるだけだ。
(かといって、筆者はこのせいでトラウマが増えていく自分を大丈夫かと心配してしまうところがある。でもトラウマがきっちり現実に問題になっている。
そんな人間と関わりすぎて、自分のトラウマを棚に上げるように抑えつけられた子供は、それはそれで困るんじゃないか。私みたいになってしまうのかな。)
「先生たちはそれが起こりそうなタイミングですら読めないから、イジメをちっとも止められないってものよ。」
いや、むしろ先生たちこそが、それをやるような人たちが多かったなと思い出していた。それはうまく行く物事もうまくいかない。
「じゃ、構わなかったらいいのかいってなるんだけれどね、同年代から上の人って皆『無視しろ』『無視できないやつが悪い』『それもできないんじゃ世渡りベタ』と言ってくるんだけれどね、あんねえ、事態はそこまで甘くないんだよな。」
- まず最初に、話を聞かなかったパターン。
相談者って『あいつは私の話を聞かなかった薄情者だ』と悪評を流したら、自分の評判が上がると何となく判ってるから言いふらす。 - 次にイエスマンになって相談者の話をすべて受け入れたパターン。
これは誰もがその場ではへえへえと気分を良くしている。けれど大抵の人が後から後から何の進展もない事が判ってきて、『あの人は相談者として駄目』という悪評を流して、自分の評判を上げることに何となく使ってしまう。
よほど『自分ってこういう人間だから』『実は自分は、自分が信じたいものしか信じる気がないんだ』と心の何処かに割り切りができてる人じゃなかったら、イエスマンは有効な聞き方じゃない。 - 相手のことを全肯定なんて受け答えは、占い師だったり神仏や呑み屋みたいな行きずりシステムにでも守られてない限りは実は、そこいらの人相手には出来ないこと。
あたり一面同僚しかいない状況でやられたら最悪。
なのに、自分の場合は、学校なんかでこれを求められてとても困った。ただの人間なのになあ…
なんかもう困った話を口に出したら、『最終相手を腐して自分が上がってやろう』と、だいたいそういう腹づもりでいる。いくら何でも卑怯なんだよ。
こういう面倒事にあたったときに、自分が黙ってじっと良い子のふりしていようともも相手の迷惑行為を止められない。
そのことを、そこいらの人は相談を受けた側の『徳が低い』『魂のレベルが低い』『常日頃から苛つくことばかりしているから、そんな目に遭う』と言いたがるものだけれどね。はっきり言って、卑怯さとは、そんなもので止められる代物ではない。
残念ながらそういう人間には、なるたけ相手の人間性以外で評判が下がる証拠を、たとえば『本当の業務上ミス』とかを集めて、指導役の人に突き出すまでは止まる見込みが殆どない。
なおかつ、評判のことばかり気にしている相手には扱い注意なところがあるので、指導役の人にはそこを理解してほしい。
人間性疑われるような部分に抵触しているミスについては『あなたのミスは、この集団のミス』ということにして、トラブル回避の指導を入れる。
その部分に関して感じワルすぎな人間性が、あまり丸出しにならないようにするわけだ。
組織内の人物同士のミスが減るから、みんな総じて『仕事がうまくなった』って勘違いできるからこれは気分がいいでしょ?『自分のミスじゃない』と責任転嫁が働いてるから、一番ケアしたい人にも気軽に受け入れてくれる。
…それにね、大概そういうとき、「たまたまその人がわかりやすかっただけ」で同じ精神状態の人が他に複数いるだろうから、予備群への対処にもなる。
こういう人は力で抑えつけるしかないうえに、当人の目先を『仕事の質』って方向にそらさせて、自分への評判は一旦気にしなくさせること。
これがうまく行ってくれれば良いのだが、私はため息をついた。
「もうね相談持ち出してきた時点で、私のね、『相談相手のことをどっかライバル視していたり、見下してしまう気持ち』に歯止めなんてかからない。」
なおかつ、指導役の人が、特定の個人のミスを刺激しまくるタイプの人だった場合。こうなると自分は無傷で済まない。
いっそ徹底的にヴィランになったほうが、相手にとっても外野の奴らにとっても都合が良すぎるシナリオになってるのか納得して、それ以上は己の評判だけを気にして攻撃はしなくなることがある。
「聞き手の私が悪」で「悩んだ相手が正義」という、評判欲しさの大義がずっと大勝利。
これは自分の血がずっと流れ出ている感じがするぐらい、自分へのダメージがひどいから最終手段にしたいのだけれど、なぜか自分の場合、最初からこれを地で行かないと駄目だったケースのほうが多い気がした。
(その状態をずっと続けていると、筆者の場合は身体に出るんだ。
痛くはないのだけれど、顔や手足や粘膜に小さな傷が出来てそれなりに血が出ることが増えるし。
なおかつ話し手が夜中に「家の中に大きな血溜まりが出来る夢」「路上で通行人が刺されて血溜まりを見る夢」など大量出血にまつわる夢をくりかえし見ると、これまた相談された事があったかな。
これがその人に下手に神社や寺にお払いに行かれると、自分が具合を悪くしてしまって大変だったことがある。でも中々取り消しが効かないのはなんで。
耳の奥で「かおのかわ」と言う音が聞こえかけたような気がした。)
「けれどね、それ以外に、その人の評判を上げる方法なんて…もはや実際にはない状態なの。卑怯さとは、概してそういうもの。
あー、俺力ほしい。責任はめんどくさくて嫌なんだけれど、これがあとちょっとあればなってぐらい揉め事が絶えなくて。
タムラも江口さんも、『そんなことはあっちゃならん』と憤慨していたんだけれど。そういう揉め事に何年もかけてしまった人なのよね。わたし。」
まあ、憤慨された当初は、『だからって押し付けがましい人間になってはだめなんだけれど。それはみっともない。』と、そういう事言いたかったのかな?と捉えられなくはなかった。にしても暴挙だけは止められるものじゃなかった。
そしたら彼らは、とにかく困ってる自分に手を貸さない。内心、
『なんだこの相手が弱れば何でも良かった的ひどい卑怯さは!こうなると、あれらが最も評判のことしか気にできていなかったんじゃないか!?』
と、思って何年か経過してから、もしかしたら芸能なんつう『評判しかない仕事』についていたことがじわじわ判ってくる。これはもう、溜飲は一つも下がらず、深いため息がでた。
というわけで、
『質問者は頭の回転だけなら早そうで世渡り上手な印象があって、相談するまでもなさそうなくせに、
いざ話しあいで出した案を、自分の置かれてるルールばかり並び立てて腐しすぎる様子が見られる場合、
(お家の命令であるとは言え)へたに芸能人か政治家目指してるやつかもしれない説』
をちょっと立てとく。それが最もわかりやすいイビツさだから。
ここまでが評判のこと。
金のことしか気に出来ない
「それから、お金が動機で動いている人間の口から出てくるのは、たいてい愚痴。もうこれはただただ時間の無駄でしかない。」
内容はとてもごく普通で聞く価値もないかも?と思えてくるぐらいありきたりなんだが、『ちょっと聞けよう、ねえ聞けよう』とやけに引き止めがちに言ってくるときには、それが話し手が大概、お金が動機で動いている。
相談者が不服だった出来事を語りだす割に、相手に『話を聞いてもらえる自信』がありすぎるんだ。
「愚痴を語るにしてはおっかしいな。普通さあ、人間不服な出来事続きだと、何かと自分の落ち度にも気づきやすいから、『自信はちょっと失せたぐらいに見える』んだよ。」
そうして話を聞けば言い訳が、やけに力任せで相手の用事を全然顧みない。下手をすると、本当に用事があることを説明したら、とたんに脅迫をかけてくる人間もいる。
でも、そこまでの自信って異常だとすぐにわかるね。なぜなら全部『あとで金をちらつかせれば、この迷惑も解決できる』と、心のどっかで高をくくっているから。
相手のたかの括り方がおかしいと、傍からは目立たないパワハラに出る。腕ぐらい掴むし、出入り口は塞ぐし。こちらの大事な予定は反故にする理由ばかり言ってくるし。
大変なことにこのお金絡みっていうのは、周りに助けを求めても、誰かが止めてくれた試しがない。
そのあたりがたまに評判の話よりわるい。評判のことは聞き手があとから泥をかぶることになることになろうと、いったん話を中断できる事が多いからだ。
それがどれだけ清いことをしてるつもりでも、どれだけ不服な思いで出来事を話していても、お金絡みは相手の油断のしかたが変なんだ。これは年齢に関係なくやるし、大人になると物をおごりながらっていう変な場面までついてくる。その時点で『金をちらつかせている』気分になれてしまうから。
だが実際には、そんな約束はない。というか金を払うことが都合が悪すぎて、どっかそういう動機で動いていたのに忘れてしまうんだよ。
で究極、やけに話を引き止めがちで時間にルーズだと思ったら、『ヤバイ方面で金稼いでいるやつだった』というのが、うちの担任だったな。あいつはあいつなりに、金をちらつかせているつもりだったのかな。動機は近かった。
まあ担任のことは極端としてもだ。こういうとき、せめて『本当に美味いもん食いに行けるなら、愚痴を聞こう』と思える相手だったら良かったんだけれど。ここにデートレイプドラッグみたく毒をもられてなければ、パーフェクト。つまり下心なしのご飯がもらえるだけ、その場で無駄にする時間をまだも少しだけ回収できてるってことな。
でもね、家貧乏で、おごってなんて言えない。とても無駄なことだと判ってるのに、あいにく親戚相手にそういう事が出来る人いないし、高校のときとかそういう事が出来るわけないし、そういう手立てが使えなかったなあ。
「こういう人を無視すると…いや、正確には身内を相手にしていようと、自分は力ずくで抑えられて、逃れられた試しがそんなになかったな。
どうしてもと離れようとすると『バカタレ言うこと聞けい!なんでお前は…』って大声出されて怖い思いぐらいはするんだな。その場で終わりだけれど。
まあその後もれなく、評判のことしか気にできていないやつの嫌がらせに同調しだすから、
『お金のことばかり気にしてる人の話をきいて受け答えするときには、あまりへそを曲げさせてはいけないようす』なんだ。それが同性相手でも身の危険を感じるレベルに。
お金ってそんなにエラいものだったんだね。」
ごうつくばりもそうなるし、ドケチもそうなる。借金抱えていても同じようになる。どれも『いつかお金がやって来る』と信じずにはいられない、実はとても頭の弱い人たちだ。
どっちにしろお金を稼ぎたいと強く思ってしまう状態のデメリットは、『他人の手間と時間はお金で買い戻せるものだ』と無意識に思い込んでしまい、人の時間を無駄にすることに異常な快感を覚えだす人間に、わりと誰でも変貌してしまうこと。
人に金をせびるほどになる前に、人格を疑われるような出来事が何度だって訪れる。そのときに性懲りもない愚痴をこぼすのは、傍から見たら物凄い危険行為だ。
それは聞き手からすると『多少ケチであること』よりも、実際かなり卑しく見えることなので、そういう場面こそ相手の人生から減らしてほしいのだ。
だから『お金は大事にしろ。金が原因で生じる不安は少しでも減らしておけということ』と相手には強調した。
「えーん?大事にしてるもーん。だーって、人生楽しむんだよ〜?このコロナでも」
と相手は両手を広げてえへえへと笑った。
人生を楽しみたい
それでだ。タムラの愚痴って、いつも長く引き止められるし、喧嘩にもなるし、自分が得出来ると判断したら『とっとと失せろ行った行った』としか言わなかったりする。人の手間暇全部お金払えばいいでしょ?と全部盗み出しておいて、何も与えない。それはおそらく彼の『お金にならないことはみんな悪』という価値観のせいなんだよね。
これがこの先凄く墓穴を掘りそうだ。まあタムラ本人は「俺はそんなことではびくともしない」と言っていたぐらいだから、それだけの準備と覚悟があるということなのだろう。
だが、問題は自分だ。聞き手になってしまった自分だ。
機会があったら相手のその隙きをつくようなことを、損切りついでにやってみたい!ととってもうずうずしているが、その機会と作戦が思いつかないな。その点に関して天才的なセンスがあったらよかったのに!
「女の子にそのセンスがなくてよかった」と、よく言われてしまうのだ。へえ、心外。
ただこういうことをしようとすると、親戚一同からはたびたび
「あなたのような子が周りの人間を損か得かで斬り捨ててはなりません。ね、ね、女の子なんだから、それは人として終わるでしょおねがーい」
「ほらみんなこういうんだから」
「ほらまたフーちゃんが…ええともっとこう心が豊かになることを、ね?」
と、たびたびどやしつけられるように、取り囲まれるのさ。変だろ。
『みんな、いったいどうしてまだ何も言ってないうちから、そこまでのことをいうんだ?』
私、たぶん人生の3分の1ぐらい、それで終わったんじゃないか。
そっか。実行に移せないのか。しょんぼりしながら考える。『どうしてタムラに対してそれを実行に移す人間が、これまであんまり現れなかったんだろ』。素人目にもわかるぜ。私より彼のまわりにいる人間のほうが、この手のことは簡単だ。何かそんなに素晴らしい面とかあったのかな…?それともよほど同調できるタイプだったのかな…?あるいは。
『実は最初からそこをついて転覆させる気まんまんのやつしか、身の回りにいなかった』
とかね?だったら若い今はひたすら黙るし、治させもしない。機が熟すのを待たれてるだけ。ほら、裏切り行為を最初から告知してやるやつなんて、そうそういないからね。
ただ。ひとつ忠告しておく。おそらく町内のビルで同業者たちを一斉に駄目にした事件が本当ならば、お前は相手の落ち度とは言え、たくさんの人が思い描いていた人生を、突然理由もなく一斉に駄目にした。いつ身内と思ってた人間から恨みを買われて裏切られるものか、もはやわからない立ち位置ではある。
なんというかそれは、根拠は薄くても『Youtubeで稼ごうとする同業者の勢いがなんだか乏しい』ことからも見て取れるかも知れない。それは他のユーチューバーたちの活路になったかもしれないし、タムラ自身はそういう人たちとぶつかり合わずに関係を構築できるまでに至ったのもたしかだが、やはりお前のいる業界を危なくしたのは本当だろ。
(もしかしたら声優と軽く仲違いをしているからこそ、声優とライバルになりかねない業種との活路だったらいくらでも開けていくのかもしれないぜ。それをやめろとは言わない。
お前の業界は、他の業種とも繋がれてなんぼだ。逆にそれが出来なかった人間のほうが不自由なのに、同年代の他の売れっ子には絶対ない特性だろう?)
ただ恨みを買ってるせいで見ようによっては『いつ何されるとも知れないこちら側』の人間に近くなってしまったのは確かだろう。
面白い人であり続けてほしいけれど、続けてほしいわけだから、たぶん『お金にならないことはみんな悪』という価値観が、この先あまりメリットのない大きな隙きにすぐさま繋がりそうなことは伝えておく。あまり自分の心の成長のきっかけにならない身の回りには、お前の場合はものすごく用心しろよ。
駄目だなと反省した。やはり金と評判の話はだめだ。自分があんまりあさましくなる。
この結論ははるか以前に出していたけれど、その話を出してしまったきっかけが自分だ。
にしても他人の話を聞いていてここまで駄目だとわかっているのなら、なんで自分自身がそんなことばかり考えたろう。
そうしたらさっきのように奥さん役に向かって、なぜかいきなり開口一発、『てめえの命で払えや』って毒を吐き出すみたいなことになってる。あーやだやだ。アメリカの銃撃事件なんかであるような「戦争で気に入らないことがあったから無辜の市民に銃口向けるような海兵隊員」みたいな発想じゃん。
苦労したことが偉くなるなら、紛争地帯に産まれたことが偉かったっていうのか。戦時中にひもじい思いをしたことが偉かったっていうのか。少なくとも私は戦中生まれの人に向かって、そこまで敬意を払えないときがある。それはそれで違うだろ。
もっと極端に言えば、悪い軍事政権立てるときの言い訳みたくなってる。ホント暴力を美談にしてはいけないと必死になる。必死になる。
そんなんみたいになるまで人間傷ついちゃいけないのかもな。でも私はまだそこまでは行ってはいない。
あまり人前で愚痴を吐いたことはなかったのだけれど、これが愚痴ってやつなのかな。
それにしても。比べろって言われて、ほんとうに同列に比較しようと思ったら、一気に自分の中の何かが穏やかでなくなってしまった。
比べるためには「この状況でおめおめのうのうと生きていたことが罪」として、お前が落ちろという話にしか、ならなくなってしまった。
そいで、自尊心を保とうと思ったら「すっこんでろよ小娘」って、さすがに自分より一体幾つ上の人にそんなことを言った何様ってことになる。
でもそうでなく比べようと思ったら、
これは人と自分を比べているんじゃないんだ。もはや『見比べている』ってやつだ。
まずは人をあんま同列に比べるなってことなんだよな。部門が違うってこういうことなんだろうね。
こんな毎日とは言わないけれど戦地みたいなところに、その名を晒すかよ。でもへたに名前を連ねてしまったとしよう。めちゃくちゃにアンビバレントな中に。
そいだら「てめえ、自分と同じところまで落ちろ」ってなるし、きっとこれは相手も同じだ。
なれてない人に向かって「はいいらっしゃませーようこそ、ここが地獄の一丁目特等席」みたいなことになってしまうのはお互い様だろうしなあ。その時が恐ろしい。
だからずっと背筋が寒くてしょうがない。感情はどんどん胸の奥にストンと落ちて、自分の頭がだんだんと何を考えているかわからなくなっていく。私の神経は、後ろに集中していった。
私は後ろで作業してる親戚の子に言った。
「でも中には本当に、味方がひとりいるだけで、何とか解決する困りごとってものもあるの。だから話を聞く。けれど、そんな誰かが聞かなきゃ解決できない案件を持ち込んでくれる人間かどうかなんて、わりと端からわかるような話よ。
だか、本当の徒労をしている人じゃなかったら、本当は周りで支えてやるものじゃないんだ。本当にそういう人は中々『自分と同じところまで落ちろ』だなんて、そうそう言えるものじゃないんだよな。タムラと江口さんは何かと言ったらすぐに、『同じところまで落ちろ』としか言わないから、逆だろ。
けど、評判とお金だけって人は、こちらも引きずり込まれるばかりか、事態を一層悪くする。」
金と評判のことしか気にしない人はくだらない。それは別の機会で私はきちんと学んでいた。
そうなんだけれど、それでも頭の中では、小野の奥さん役と自分とを見比べていた。
あの人ならば同じ目にあっても金になり、評判になる。私があまりにびた一文ももらえていないものだから、おかしなことになった。
気にしないように必死だったけれど
『同じ軽くヤバ気な道を通っている人間でも、お金と評判を稼げている人間と、そうでない人間』
そこには活躍と暗躍の違いがあるみたいだった。部門が違いすぎて、一体どこで勝負をつけろと?ということになってしまった。
だからって色々守った軍事が評価を受けなさすぎるのもなんだかなあ。でも評価がされてもなんだかなあ。
それを判っている人こそ、『ナンバーワンよりオンリーワン』って平然と言えるんじゃないか。
あれ案外と、いくら相手の個性を尊重できる優しさがあったところで、それでもなお「ワン」を気にできる当たり、何か隔絶のようなものを感じてしまう。
これは私の偏見だろうが、じつは相当な武力の使い手じゃないと、なかなかすんなり出てこない発言なんじゃないだろうか。だから『世界に一つだけの花』については、実はあんまり槇原敬之の曲じゃないような気がしてしまう。
こんなふうに金と評判とは、たまに物事の暗部のようなところを、あまりにわかりやすく映し出してしまうことも確かなんだろう。
「現代社会の暗部なんて、だいたい金と評判と、あとはあまりで因数分解できるんじゃないか」と思えた。で、この『あまり』の部分がどでかくないほうがいい。そこにたまに陰謀とか、あんま表沙汰にされてなかった社会のシステムってものが来るのかも知れない。
だからこれはみみっちく貰えばよいわけでなく、
「金と評判は、逆にもらえなかったときにこそ、わかるもんがある」。
というか、さっき「社会維持が金と評判だけで割り切れるわけがない」と述べたからには、そもそも社会維持は陰謀に分類されるわけだし、実際『ただの有害か無害かに気を配っただけの陰謀だろ?』と思えることもある。
ただこうして金と評判という括りで考えたんじゃあ、『彼女は私と関わりがない人』というより、『私は彼女の足元に出来た巨大な影のどこか一部』などと、まるでそういうフザケた展開に持っていくみたいになっている。
近所の人間の交友関係のせいで、なんてとんでもない比較物が、自分の人生に出てきてしまったろう。
さらには相手が一見さほど悪いわけでもなく見えるからこそ、光のように見えてきて、自分が影といえるのかもしれない。
それでもここで相手がたにこの先悪い点が見つかると、私には一層闇が迫ってくるのように見えてくるもんなのかも知れない。陰の方にいる私は、あまり闇の方に引きずられないように必死になってる。
だけれどもまして自分の人生の暗さに向かって、『そんな娘っ子ひとりの影なんだ』と認めることじたい何か嫌だし、全然違う。それをファンだという人の面前で、よりによって『お前の目の前にいる人間が奥さん役の暗部だぜ』なんて、言いたいか?と言ったらそうではない。
自分に金も評判もない理由は、また別のところに有るだろ。これでは話の持って行き方がだめだ。論理のすり替え方がおかしい。
私は彼女に悔しさを抱いているのではない。だがあの人に至ってはまるで、『お金と評判の化身』であるかのように、ずっと私の頭の中に存在してる。でもそれが私の中でのアイドル像ってことなのかな。
「アイドルってことは、偶像だよね。偶像は金も評判も一挙に得られる存在、まあそうか。あたりまえか」
「うん?何言ってるの」
親戚の子がこちらを振り向いた。その向こうでソフビ人形と目が合う。
でも結局はどちらかというと不気味なのだ。金と評判とを一挙に得ようとしてしまう者に、もともとが不気味さとおかしさをきっちりと感じ取っていたじゃないか。
で、私は金と評判とがきちんと天秤の両端に乗っている人間のことだったら、たとえヤーさんを名乗る人間だろうと、多少ずるいことをしている人だろうと、意外にもすんなり話を聞いてやろうと思うところがあった。
一方を得れば一方を失う。
でも『両方いっぺんに』という心積りのものは、どうにもだめみたいだ。悪いものが目の前にあったからって、それに乗るのはまた別ってものじゃん。欠陥まみれのシステムを作ったものへの怒りとはまた別の方向で、とにかくこの人間を避けなくちゃと思う。
もしかして、なんだかこう言う感情を一応のこと『アンチ』とでも言うんだろうか。どうなんだ。でもアンチって「その人が別人に挿げ替わってしまえば解決」ってところが有る。でも私の場合、あんま危機感の矛先が彼女単体ではなくて、『同じ立ち位置の人だったら誰であろうと』、という感じでとても微妙だ。
というか、アンチってそもそも相手に危機感を抱いていたら、名乗るか?
『話を聞く価値もない』人にならないために、とりあえず誰もが取れる最短方法
「金と評判しか大事に出来てないと、何を言っても『自分に同調しないやつは悪だ』と言い張れてしまう状態なんだと言ったじゃん。」
…と同時に、金と評判とを一挙に手にしている人と同調できてない人間は、その理由も問われずに、自然と悪いモノ扱いされやすくなるもんなんじゃないか。
「でね問題が解決したとしてもあんま聞き手にとっては実りのない話になりやすくてさ。」
理由それぞれ違う。なんだけれど、評価をくれるのは誰?それは偉い人だよね。お金をくれるのは誰?残念ながら、とくに会社づとめなら、たいがいそれも偉い人ってことだ。
相談者は頭の片隅で判っている。となると、本当は心の中では『上官のうち誰かからの命令』しか心底素直に聞けてないわけだ。
まずはここに早めに気づいた人から、「他人の時間を無駄にするループ」からは抜け出せる。
上官以外は自分を有効に評価してくれるでも、お金をくれるでもない。そうしたらそのほかは『自分のために動いてくれるなにかだ』と思わずにはいられない。
実際はそうだから、その二つを気にしている人たちが文句を言わずに、的確なアドバイスに従ってくれるのが『上官からの命令だ』ってときなんだ。
こういうときに言われると、とても傷つく一言が、「おめえには主体性がない」と言われることかな。
そういうやつ、『勝ち負けを超えたところに輝きが…』なんてよく口にしてるけれど、それを言い出したときには他人の輝きを分捕ろうとしてるし、そのうえでさらに上官からの覚えを良くしたいだけ。
それにさ、闘い続けることに重きを置きすぎて、身内の駄目なところをふとした瞬間に見つけることについては恐ろしいほど不得意なくせに、それをした人を猛烈に叩き出す。
そういうときの言い分が『主体性がない』と叫ぶように言うんだよな。
どうして相手と自分とは違うものなのに、同じ価値観を押し付けている。周りに迎合しているときよりも、主体性がないと叫ばれるのは、たいがいランク争いに割ときっちり理由を持って斜に構えたとき。
こうして金と評判のことしか動機に出来なかった人物は、何の罰則もないうちから圧倒的な身分差を自動的に受け入れてしまっている。本当は等身大のアドバイスなんて、逆にかえって欲しくはない。
でも、相談しに来たときに、その人はだいたいその事に気づいていないのだ。『上司の行動が気に入らないから、等身大の人のところにやってきた』と頭の中ではストーリーができちゃってる。でも実際には逆。その自覚がないときが恐ろしい。
そういう人間は、たとえ口先で『一番になりたい』と言っていても、実際には違う。圧倒的な服従を欲しているだけ。だって金と評判をくれる人は、どうしても等身大なわけないもの。
「もしお客さんが等身大に見えたら?それは何人もの持ち寄りに頼るわけだから、アンケートを取ったほうが良い。
だから対個人の場合は正しい方法論なんてどうでもいい。相談なんて基本1対1だから、困ったものだよ。
とりあえず頭を冷やさせるため。たぶん相手がこちらに気づいていない限りは、一人でいさせたほうが結局まだよいし、そのうち時間が経ったら普通に自分のしたいことを始めるものなんだから。
これから好きなことをしようって人間に、始める前に『あのとき人を傷つけられたから、自分のしたいことを始められた』なんて、味を占めさせてしまったらだめ。
なのに、『誰にでも優しくしろだから構え』って、そこを増長させるためにやってるようなもの。最初からかませ犬にするために配備されたようなものなの。学校の先生たちみたいのがよくとる手立てだったから知ってる。
ただね、大人がね、若い子に向かって、『あの人の言うことを振り切ったから成功した』って思えるように仕向けようとしているんだ。なんでだかそうなんだ。」
うーむ。長々とした説明って、見せびらかすみたいにみえるんだけれど、それでも話題に困ったのでしゃべるしゃべる。
どれだけ私、誰かの推しトークに参加させられるの、頭の片隅で怖がっていたんだろう。
それとも、この人の推しになっているキャラや人物が、こんな片付けの最中に見たくないほど怖くてしょうがないのだろうか。
そうしてこんな人生観やテクニックも、彼女が持っていれば、すぐさま金になるし評判になる。
でも私は同時に思ってしまった。「きっとお金を得るのなら、それなりに評判だけは悪くなくちゃ駄目よ」と。
良い人だからお金を得ても良い人ってのも中にはいても、たぶん長続きさせては駄目。そんなに良い人ならば『うすら馬鹿のくせに』ぐらいの評価がつくぐらいのことは必要だ。
清い人がいてはならんわけじゃないけれど、金と評判の両方を気にして、なにか凄く良い方法論を手に入れて、文字通りどちらもすんなり両方手に入れてしまった。そんな人がいたとしたら?
どちらも誰もが一寸ずつは得ているものだから麻痺してるけれど、結局は『満足するほど』のものが得られたら、わざとじゃなくても、金ならば誰かを凄まじく足止めして取引してもらったわけだ。評判ならば誰か同じぐらいの人を蹴落とすか出し抜くかして得たものだ。
(ちなみにこのとき『あー罪悪感ねえ、変だわ俺』ぐらいの意識があったら加害者意識は割とあるとみなす。)
それこそそんな人の話なんて、相手をするだけ有害じゃなかったとしても、『聞く価値もなくなってしまう』ってことだ。
恵まれない地域だから一挙両得をした人となんて、実際には関わったこともないけど、なんとなくわかる。
これはまるっきり聞き役に回らなくてはいけない人間のエゴなのだが、
「話を聞く価値もない人にならないためには、この二つを大きく獲得しようとするまえには、加害者意識をごっつり持っとくことが大事」ってものだ。
いや、それをやらなくても気楽に生きてくことはできるぞ。実利を最優先しても生きるのに不利にならないのが、実際の人間だよな。だから義務じゃない。けれども、結局はだめ。ざんねんだけれど、この小さな悲劇は、みんな持ち込んでいる案件の割に『自分が精錬潔白であれ』と必死で必死でしょうがないから起こってしまう。
そうして場合によっては『その人の話を聞く価値がなくなってしまう』ぐらいなら、当人が『その前に絶命してしまうこと』や『ショックを受けるような罪を犯すこと』のほうがマシな人物なり、立ち位置なりというのも、実はあるんじゃないかと感じている。
(それが具体的に思い浮かばないが、思想上の象徴として、どこかには『ある』と思えた)
だって、「金と評判とを気にしすぎて、人の時間を無駄遣いするようになった人間」なんて、実際に見ている限りでは到底主人公感がない人生を送っているから。
金と評判とが手に入ってしまいそうな人に、ひどい目にあってほしいというのは
『まだコイツには聞くべき話がある。展開がダレるわけじゃない。時間の無駄ではない』
と素直にみなすための、聞き手の隠れた願望を叶えるイニシエーションみたいなものなんだろうね。
少なくともそっちのほうが、何かどっかまだあさましくない金になる。実は結果的に、違和感は覚えないだろう。その違和感さえ解消できれば、別に相手の幸せを進んで阻もうって感じじゃあない。そんな変な気を起こした。
で。『話を聞く価値もない』と言ってしまった時点で、自分にとってはゴミか何かかよ。
金か評判しか気にできなくなった人と、一挙両得してしまった人と。
ごめんね実は奥さん役と。
そして今までの人生で両方共欠乏してしまったばかりに、自分はそれに囚われてしまったみたくなってるし。
…おかね、ほしいなあ。生活していけるお金、ほしかったなあ。
たったのそれを安全に得るだけで、私の人生大冒険のつもりでいたんだけれどなあ。と思って頭ブンブン振ってしまう。
どうにも私が親戚の部屋から出しているのは、推しのグッズの包みとか飽きちゃったおもちゃとか。少なくとも、こんな作業をさせられてるこちらにとっては「いつかゴミになるもの」「他のゴミを誘発するもの」でしかない。
少なくとも他人の部屋を掃除をしている最中に、頭の中だろうとゴミに増えられるなんて。
ああ、いくら話題に詰まったからって、そもそもやってることと語ってることとの相性がまずかったのだ。
推しが放った悪夢「あなたが嫌がるものほど面白い」
「でも、でも!かわいそう!あの子達、かわいそう!」
「お前、本当にあの子達の様子を見て言ってるのかね。
あのね、さっきから話のもってきかたがタムラと丸かぶりなのはなんでだ。どっかかからそういうように指導でも入ったの」
別に誰かを大儲けさせたかったわけではない。そのはずだった。
相手がうえっと顔をしかめる。
「えーでも、うちタムラと面識ないし。推しがいれば人生変わるんだからっ!奉仕よ奉仕!推しがいないから一生懸命になれることもないし、人生変わってないんでしょ!沼にハマるとかわからなーい!?あれほんと今度ねー友達とキャラ色のグッズ手作りするの!」
「ええと。もしかして。そのキャラクターがいなければ天皇陛下でも涙して拝んでいるような人なの?あなた。」
「天皇…?アハハ、そんなもん崇めるわけ無いでしょ?私はただ『推しが尊い』だけ。」
「奉仕したからってその先の目的があまりに明確でないものに、お金まで尽くす…ってこと。どうかしてる。」
「それが無償の愛ってものよ。」
相手は胸の前で両手を組んだ。いや金かけたっつたよね?とっくに有償だし。
「じゃあ、『わあ何とか王子様よ。私は何とか王子のファンなの。あっちのほうがイケメーン』とかいいたいほう?」
すると相手がまんざらでもない様子で目玉だけ上を向く。
「むふふ…王子様なら、興味あるかも。うんうん」
「王子のどこが尊いかね。あれはただ国があればそこにいるものだ」
「そんな『国破れて山河あり』じゃないんだからっ。んでも推しってそういうものでしょ。相手のこと大事にしてるんだから、良いことじゃん」
「それ相手に伝わらない良さじゃね」
「えっ」やや少しの静寂の後、「それはこっちの心構えの問題なの。」
「そういうヘタクソお姫様ごっこがしたかったの。だからって『そんな腰まで泥に浸かったような状態で生活ってどうかと』。王子も推しも、そこから引き上げてくれる人じゃないじゃん。むしろそいつが原因で起こった格差を、あんま考えずに受け入れてるって感じ。」
これが相手のへそを大いに曲げた。
「それとは全然違うもん!なんで洪水か液状化現象にあったみたいになってるの。沼だけれど、沼だけれど、そんなくさそうなもんじゃないもん!もっと綺麗だもの」
「私の予定は…」と聞くと、ぎいっとこちらを睨まれた。
「どんだけ遅れても問題なーい!」
と一瞬のしかめっ面の後、人差し指を高々と突き上げて笑いながらわあっと明るく叫ぶ感じは、ファミマのアプリのCMの「もったいなーい!」と叫ぶクマのマスコットにどっか似ていた。
「なんで。」
「あんなん凄い回数繰り返しているやつ!それに引き換え、推しのイベントは一遍しか無いんだよっ!たったの一遍!日付だって決まってる。
ほらほら宿屋の予約も、イベントも!お友達とだって、今度いつ会えなくなるかわからないじゃない!物凄い数の人が関わってるの。汗水たらして頑張ったの!」
「『物凄い人数が関わってる』って時点で、それは『時計じかけの出来レース』っていうんじゃない。それ本当の頑張りかな。数の力で押しただけじゃね。本当に伸びしろのあるコンテンツ?」
「それにフーちゃんの一人コンテンツとは、全然違うの!もっと凄いよ。さぞ素晴らしいものになるでしょうよ。
いつだって今なのよ!今を逃したら次はないの!このどーしよーもなく後悔したくない気持ち、わからない?」
と、私の両手を掴みながら、じたばたその場で床を踏み鳴らしている。
「それに引き換えフーちゃんは友達いないし、彼氏いないし、親戚とも付き合い悪いし!締切なんて、もうこの日を逃したらって日は何処にもないでしょ!」
「私の人生だって一度きりなんだ。そういう日が、一度たりとも作れないのも見ている限り変だと思わないのか」
「こんなに人と約束も取り付けられなければ、予定も立てられないなんて、どっか悪いんじゃない?」
相手はこちらの顔を覗き込みながら、『真面目なんだろ?なんでできるようになるまで真剣にやってみないんだよ』と、目玉をひん剥きながら言う。
「当てにするものもなく生きているのって、キチガイ?ウツ?」
「何かを凄まじく当て込まないと生活が出来ないって、キチガイ?統失?」
と言いながら、どっちもの病気の定義も、図書館で調べたときのことを思い出せなくて、なんだかなあと感じた。しびれを切らしたのか、相手は一気に不機嫌そうになった。
「もうっ、今度の旅行だって、絶対に楽しい時間にしてみせるんだからっ!絶対になる!だって私知ってるもの。フーちゃんが嫌がって、みんなが楽しみにしている出来事は、もうぜーったい楽しい事のオンパレード!いっつもそうしたら面白いものにありつけるんだからあ!」
「なっ」
「私、昔っから気づいていたんだから!フーちゃんがなんか嫌がるものって、だいたい楽しいの。みんなでワイワイ楽しめてそれはそれは頭が『わあああああ!』ってなるぐらい!」
おかしい。声にエコーがかかったみたいに途端にうるさく聞こえ始めた。
「だからタムラくんは私達が思っていたことを言ってくれただけ!あの人が言ってたことは正しかったんだよ!『フーちゃんが困るほど、面白いものが出来る』ってホントだったんだって、ワクワクしちゃったあ!」
私は一歩うしろにさがった。
「やめて!よりにもよって、タムラと同調してると思ったら気をつけてよ!」
「楽しいは正義なの!いつだってえええ」
私はそれこそ目の前にいる親戚とタムラとが重なって見えていたし、彼女が立てる息の音、足の踏み鳴らし、服がこすれる音全部二倍になって聞こえてきた。
「それこそ『わあああああ!』ってなるの『わあああああ!』って、それをみんなでだよ?こんなに楽しいこと、ある?」
これはわああああなんて可愛いものじゃなかった。ぎゃおおおおおおと彼女が耳の周りをわちゃわちゃかき回しながら叫ぶそのさまは、まるでホラー映画のお手本のようだった。その掛け声がまるでたまにお湯が沸騰した笛吹ケトルのようにこだまして、でもその後にこーっと笑うのだ。『ありえないぐらいかわいい』そのことばに近い違和感が、頭の中で繰り返される。
「やっぱりあんなに有名になれる人の言ってることは、どっか正しかったんだよ!フーちゃんだって、タムラくんからもうちょっと学んだらどうなの?
成功者なんでしょ。もっとあの人の言ってることを思い出してみてようよ。きっと学ぶべきことがたーくさんあるわ!きっと幸せになれるような!」
両手を広げて説得をしている風の彼女に反して、思い出せば思い出すほど、彼から学ぶべきことがあるとは思えなかった。そして彼のやってることは…決して真似が出来ない面があることも、もちろん知っていた。
「あのな、お前さ、時間くれ。手え動かすぞ。てかシーツは」
「いやあ、シーツなんて洗わなくていいー!」
と剥がしかけのシーツにとびつく相手。やーめーてーやーめーてーと叫びだす。そのシーツの波の中をソフビ人形が一緒にころころ転がっていった。
「本当はお前が旅行に行ってから洗うと良いんだろうけれどなあ、様子を見る限り、ここの家、洗わんだろ。」
「いいのいいの。綺麗なんですこれでも!ほうら、こんなにシワなく整えてあったでしょ。ほらディスプレイよ完璧でしょ。ね?ね?みてみてみて!」「いや脂っぽいから。枕カバーも」
シーツの上でひらひらする手にくっついた爪は、油状にテカテカしていた。ネイルオイルよとさっき言ってたか。でもシーツについている脂は、明らかに顔面や頭髪から出ているやつだ。焦げ臭い。
「綺麗と清潔ってなーんか全然違うんだな」
「だめーっこのシーツはずらしちゃ、いやあ!せっかくフーちゃんが来る前に、せーっかくきっれいに整えたんだからっ!これだって友情なのよ!お愛想なのよう!」
私は相手のことを睨んだ。相手が「ひいっ」と肩をびくつかせた。
「それできたんなら自分で部屋の片付け出来たよなっ」
「え、ええーっ、ひーどーいーひーどーいー!こうやって呼び出しでもしなかったら、フーちゃんどこにも社会貢献なんてしてないくせにい!」
「おい洗うぞ。ちゃんと洗濯の様子見てみるか」
ちなみに、こういう子が『比較的真面目な社会人』と常日頃から言われているという。
数分後。
「くさっ。なにこれうぇ、きったな」
という反応が返ってきたのは言うまでもない。
「で、これは」「それは…こないだ居眠りしたときについた」
その間に、部屋にあるカーペットについたよだれも、掃除した。
これは全部を洗うのが面倒なときや、リンサークリーナーがないときの簡易策なのだけれど、
- 薄めた洗剤(服用でも台所用でも)を古い歯ブラシで塗って、汚れで固くなっているところを重点的にブラシがけする。家に超音波クリーナーがあるならそれを使うと便利だろう。
- 適当に三つ折りにしたタオルを当てて上から掃除機で吸い取る。
あんまり掃除機内部に水分を吸い込ませないようにタオルは頃合いを見て次々場所をずらす。 - 次に普通の水を塗って、三つ折りにしたタオルのまだ乾いている部分を当てて上から掃除機で吸い取る。これを2〜3回繰り返す。
- 最後にドライヤーを当てて乾かすと早く仕上がるので復旧が早い。
掃除機が簡易脱水になっているからあまりそこの場所が濡れないし、摩擦で汚れや砂ぼこりが繊維の中に隠れてしまうこともある程度防止できる。このときもカーペットから見えない砂がいっぱい出てきた。
鉛筆の芯の粉みたいな濡らしたほうが厄介なことなりそうな汚れは、普通に掃除機である程度吸い取ろう。そうでなく、水を使えば簡単に落ちるやつに使う。
このやり方が正しいかどうかわからないけれど、雑巾でトントン叩くよりも確実な気がしているし、手早く目当ての効果が得られる気がする。
メッシュ素材の椅子の背当てや座面なども、こうして洗っているかな。突然のお茶こぼしにもこれで対応している。
この洗い方をする場合、だいたい蓄積した手垢汚れみたいなものを落とすことが多いので、セスキを入れたぐらいでちょうどよい。
そこの家の親に
「いつもすまんねえ。あの子、ああでもしないと家ではごろ寝して散らかしてばかりだから。助かるよ」
つまりは、こういう子がよくいるから、誰かのシーツって黙って洗うときにオシャレ着洗剤を微量に入れておくんだよな。まずは『洗えば綺麗になりますよ』ということを、きっちに目に見せないと、そもそも自分の縄張りの象徴みたいになってしまった寝具を洗うことすら、実はへそを曲げてるのに、かっこ悪いから我慢してるだけの人が、割と大勢いる。
だって、自分の家の人ですら、たまにシーツを洗っている日に憂鬱そうにうつむいている人っているからね。
「…あの、お友達の自衛隊の子、一緒に旅行に行くっていう。もしかしてそろそろとてつもない激務につかされるのではないでしょうか。
素直でまっすぐで、おそらくは間違いなくころっと騙される側なのでしょう。
その子が、その職場をもうすぐ辞めることと、休暇とをちらつかされた。コロナという状況的にも、暇が有ることに実は違和感はあったのですが、これは後からやって来る仕事量がわかっていたからこそ、不満の目先を一旦そらそうと、上官がはからったものなのではないでしょうか。
だから途中から旅行に行くことを、あまり強くは反対できなかったんです。」
「しらね。ただ『もうすぐ職域接種だ』とは言ってたみたいだって。まあありそうな話だな。…だめか、コロナ。」
「はい。あまり沢山の人が死にはしなくても、病気は落ち着きはしないと思います。それでは急ぎますんで。」
それから、私は分かっていた。笛吹ケトルのようにわあああと楽しんだ後、彼女は決まって泥のように眠ってしまうのだ。それで起こしても起きなくなってしまうことが数日間続いてしまう。その後あまり具合がよくなさそうなのである。おそらくはその『わああああ』を止めたほうが良いのに、やめられないでいる。
何か別の不安定を抱えているような気がした。
でも、ここまで話してみて、この子の精神不安定を見て、ちょっと変な予想が立つようになった。
「いい加減、ここまでお金と評判とで差をつけられると、当の自分自信はなんとか気にせずにやっていたとしても、もはや周りの人間がとても不安がるようになって、おかしな行動に出やすくなってしまう」。
そうして、誰もがその二つであまりに必死になってしまうことを考えると、本当にどっか死すら意識しだしてしまう要素があるんだと。
いや、自分が置かれている状況がすでに、『死や負傷をもってしても、お金と評判とが一つも伴わない状況』なのだから。それはそうだ。
そうしたらおそらく、陣営としての安全を意識して、問い始めてしまっていたのだろうな。
若い人ってのはたぶん、金と評判がすぐさま自分の死につながってしまうかのように必死になる。私もそうかも。きっとあの子が一生懸命に外に出ようと、働きかけてしまう落ち着きのなさなり、
「ありえないぐらいかわいい」「わああああああ!とたのしい」
必死になって『私に勝て』と言いかけてはためらってしまうのも、その不安が原因ではないか。
中年ぐらいの人たちもその不安は意識はしているが、まだ、『本当の危機にはまだ猶予があるから、いついつまでは大丈夫』と言えるようになる。で、私の状況を見ては「あんま外に出るな」とストップをかけるようになっている。
でも両者とも自らが「金と評判で死にそうだ」と思い込んでいることを、きっとあまり意識できていないせいで、いちいちやりすぎるんだと思う。こういうときに一族の中に誰か統率力があればと感じる。だって上官からの言うことが、一番素直に聞けちゃう精神状態なんでしょ。
なのにうちにいる誰もがそこまでの芸当はない。
タムラは「お前は大丈夫でも、周りを追い込んでやる」と言っていた。こういうことを言ってたのだろうか。浸け込まれたものだな。
やりくり上手になるために、予定表に書き込むと良い事柄は、只一つ!
私の予定は何かと手いっぱいに詰まっていた。そうして戻った。
「フー、買い出し行きたい」「あ、お母さん無理しないで」
「うちにいても親父いるでしょ。それに冷房もない」「そうだね…今月、家計費足りてる?」
「ああ。うっかりしなければ、こういうのはね。」
この後、2時間ぐらいの買い物に徒歩で出て、その間ずっと立ちっぱなしである。
さきほど親戚の子供に「明日の予定表だって埋まってないくせに」と言われたが、
家仕事について、絶対に予定表に書き込んでおいたほうが良いと学んだことがある。
それは「中止になるセールの予定」である。
牛乳や卵のように「毎週何曜日、〇〇のセール」で安売りが入るようになっているものの場合、スーパーによっては「本日毎月何日のセールにつき、この曜日の割引は中止」ということが予告なしに入ってくることがある。
こういう「他のセールとぶつかって、定期セールがなくなる」例外規則については予定表に書き込んでおかないと、その前後の期間の準備にめどがつかず、買い物が非常に行きあたりばったりになる。
たとえばここで、うちに親父みたいなやつがいるということは、品切れが間違っても許されない品目が幾つも発生するのだ。
それについて「この物品については、もう一つの店で手に入れよう」とか「前の週に買いだめ」とか「その週だけ他の店のチラシで〇〇をチェック」としておかないと、平然と3倍ぐらい高いものを買わされる。
かといって母がそういう管理を得意とするかと言ったらそうではなく、中止の日取りの3日前から慌てだすのがいつものイベントとなっていた。
そのためその役回りを自分が買って出たら、それだけでも余裕が出てきた。
その予定がわかっていたとしても、足りないものの調達に脚をひっぱられてしまう期間がまる1週間続いてしまう。それでも予定表に書き込むことで、その準備期間を5日前ぐらいに早めて、買い物の負荷をかなり分散できるのだ。3日と5日の差は大きいもので、その間に悪天候などが起こって外出もままならなくなるリスクを怖がらなくて済む。
ここで生じる家庭内の物流障害よりは、「いつから始まるか」だけを予想できるイベントのほうがわかりやすい。そういうものにこそ、雨雲レーダーのようにアプリがあるんだよね。
けれども、「この日の前後数日は警戒」という情報は、機械からすると含みがありすぎる事柄なせいか、技術の発達でどうにか出来る事柄ではなかったみたいなのだ。
スマホアプリは、ゲームで言うところの「〇〇の技が使えない」という情報こそ、自動でお知らせしてくれないのだ。
『これがあったらいいのに』と20年前から言われているのに、実際には一切改善が見られない、デジタルのでかすぎる弱点だ。
こういう「〇〇できません、一時なくなります」情報をアナログに管理すると手っ取り早く間違いが少なくなる。
逆に言うなら、家事にまつわることで記録に残すべきは、決して家計簿ではない。と私は信念を持っている。
それはゲームで言うところのリサルト画面をスクショしているようなものだが、そんなゲーム実況なんて、見ていてどこが楽しいだろう。意味がなさすぎる!
まあ結果論と、データに基づいた思考を、へたに凡人の私が目指しすぎても、このぐらい変なことになっていることが有るってものさ。
そのため、「〇〇のセールがない!」これを手帳に書き入れる。
この予定が家事の上では何よりも大切なはずだから、とくにおすすめは、色付きのスタンプ!埋もれさせてはいけない情報だから。
買い物の最中に持ち歩いて、色で「必需品のセールがない。やばい!!」と思い出せるようにしておくとよい。あまりに瞬時に判断して、時期が去ったら忘れる。そうでないといけないイベントだから。
日常をゲームにするって、別に『ポケモンGOみたいなゲームを増やせ』って話じゃないはずだ。アプリがその楽しみを提供してくれるわけじゃない。むしろ「特に頻繁に使ってる技が使える/使えない」っていうのがひと目でわかるのがゲームだし、それを簡単に作れるのはむしろアナログかも知れない。
それで私の予定表は決して空であるというわけではないのだ。
さあ、この凄いコツ、信じるか信じないかはアナタ次第!
「遊郭かあ。あったらもんできていたら、一体どうなっていたか。考えていたら嫌になってね」
各地から10代の子女なんてもれなくさらわれてきてたろうし、客の要望など次第にエスカレート、小学生から未就学児まで誘拐されては売り飛ばされて。そこにさらに人を転売するための組織が何軒もおこったろう。
ねえ、いたったいどんなプレイがされたろうね。恐ろしいね。痛めつけるだろうしいたぶるだろうし、
表向きは飲食店かアミューズメントパークみたいなものになってたんだろうね。子供たち、何処に閉じ込められたろう。事実上どこも非難しないから罰せないから、どんな労働をさせても構わない。遺体がそこらへんに次から次へと捨てられて、たぶん現代だからゴミ袋につめられて定期的にトラックがついてバックヤードから、それを運び出していた
…そういう光景があったんじゃないかと話し合った。
「バブルで頓挫してくれたからよかったものの。そうでなかったら、とんでもないことになっていたのな」と母が頷いた。
「ああ。子供時代どころじゃなくなるね」
「子供がいなくなる事自体、『ああ、いつものことか』とか『学年に2〜3人はいるよね』とか言われるようになっていたんだろうかな。」
「ま、遊郭とあらば、どんな会社の話だろうと言ったろうよ。今回はたまたまカドカワだったって話。」
「表向きないことになっていて、それでも噂だけ広がっていて。それでも東京らへんの人たちって、ぬちゃらとした性分出して何もしないつもりなのかな」
「さあ…何とも言えないが。それでも土砂は崩れは起こった。すべての証拠を埋めるためのって聞いていた。」
「といってもさあ、そこの村にいた人たちだって、接客業をしていて事業をしていて、決してボケだったとか、なまくらだったとか、そういう話ではないと思うんだよね」
「そだね」
「『普通程度のまじめさ』、じゃ、足りなかったって、ことかい。まさか考えたくないな」
「どこの世界でも街道を守るってふつうのことではないんだ。さらに宿場を、なおかつ温泉を守ろうって、やはりただ事なんかじゃなかったってこと。ヤクザなんてものじゃなくていいけれど、そう簡単に本当の悪になんか寝返らない悪さが必要だったんだ。
下手に国なんて大層なものを守るよりも、―あれは強いて言うなら腐っても動くじゃん。
けれどね、温泉だったの。逆にこれは腐ったらそれまでだった。世界的に見てもそう。」
「ん〜まあ、それも収益性がおかしいということなんでしょうね。だから温泉ほったら一攫千金ってイメージ、一昔前まであったもの。
土地があってもただ畑をやるだけ。ずっと維持管理だけ。落ちても上がらない。温泉がなかったらうまみなし。今よ。トレードだベンチャーで稼げるなんて言い出したの。」
「でもそんなの、特定のシステムに乗ってみただけのもの」
「ちゃちよね。そうしていつ蒸発するかわからない。それに比べて温泉はシンプル。」
「そそ。温泉。たったそれだけのものを守るために、必要な才覚が、そういうことなんだよね。」
「温泉入りたいわ〜熱海と言わず〜」「そうだね〜」
だが、その日、予定外に買い物は多く、スーパーの冷房から動けなくなるを繰り返しては、買い物時間は7時近くまでかかってしまった。脚も荷物も重たい。でかくてよく保つ保冷剤が入ってるせいもあるけれど。
「おっかえりー!サプラーイズ!」帰って開口一発出迎えたのは、若い親戚たちだった。
とくにさっき部屋の片付けをしたやつが、前にしゃしゃり出てきて、
「ねえーフーちゃん!今日こそはたたききゅうり作ってみてよ!うちが横で見てるチェックするからさー!」
と言っている横で、私は外の物干し台の様子をはっと見た。
「お前さ。ここに来たての、何分ぐらい前」「ええー?一時間半ぐらいー?」
「…あのな」「え、なにどうしたの」
「家の中にはズカズカ入り込んできたくせに、いい加減、夕方も良いところ過ぎたら、洗濯物を入れてくれなかったのか」
その後ろでテレワークで働いている親父が、ぐへぐへぐへと笑っていた。引き込んだのはコイツだな。
「いいか。普通これは客人に頼むことじゃないがなあ、さっき私がお前の服をどんだけの量畳んで仕舞ったと思っているんだ。特にお前に至ってはそれぐらいやってもよかったぞ。
部屋の物干し台はそこの窓辺にあるじゃないか。せめてそこに吊るしてくれればよかったんだよ。」
「ええーっ」
と驚くその親戚。なぜ親父ではなく彼女に、こういう軽く無理な頼みごとをしているのか。あいつは夜中にトイレに出ると、一切手を洗わずに部屋に戻るのだ。そのうえ風呂場には鼻くそを塗りつけたりする。実は家族の監視がなければ不潔にしていたい。男女構わずそう言うやつには、間違っても留守番中の用事なんて頼めない。
母が買ってきたものを急いで冷蔵庫に入れる作業に取り掛かって、私は洗濯物を部屋に干し直す作業にかかるとした。
「フーちゃん、たたききゅうりは?たたききゅうりは?」
とその子は私を外まで追いかけようとした。そこを周りの人たちが引き止めて、
「それさ、お前が代わりに作っておけってことじゃない」
「だって私、フーちゃんがこのままじゃ料理できないの、治すために持ってきたんだよ」
「今フーちゃん、別の作業で忙しいだろ」
たまたま湿気る季節じゃないにしろ、やはり日没してしまった後では、少しの湿り気とばりばりと水気を失った服とがものによってごちゃまぜになっている感じがした。
「ふえーん!なにこれ〜。偶然フーちゃんを困らせられたのに、うう〜っ、全然楽しくなーい!」
とその子は一旦憤慨した様子を見せた後、誰にも相手をされずしぶしぶたたききゅうりを作っていた。
「え、でもなあに?これって『今度から洗濯物を取り込むの遅れそうなら、たたききゅうりを作っておけば怒られないで済む』ってこと?」
そう言って、親戚の子は「えへへへへへ」と笑いだした。
気を取り直した直後だから誰も何も言わないけれど、絶対に違う。こいつ、おばさんがかつて苦慮したっていう、『料理一つ出来れば、すべて面目躍如』っていう思い込みにしばらく困るんだろうな。家事はそれよりもタイミングで動くことのほうが大事なのに。
「もやしって洗うんですか?」と、その子が母に尋ねている。
「ああ。店に並んでいる時点でほどほど雑菌湧いているそうだから、3回洗ってから茹でたり焼いたりすると衛生的に外さないみたいなんだよ。あとやっぱり臭くない。」
台所から聞こえてきた初耳の豆知識に、私はびっくりしてしまう。我が家ではそういうやり方を取っていたのか。普段一緒にいるのに、全然教えてもらえたことがなかった。
それはもやしをボウルに張った水にザルでくぐらせて、水を取っ替えるという工程なのだけれど。
「とくに水にまでこだわった高級もやしでなかったら、こういう工夫が必要かな。これはやすいのだし、どうしてもね。」
ちなみに、もやしを洗うか洗わないか、あとでネットで調べたところを見ると諸説ある。
その子達をさっさと返してから、その日はおかずが一品楽な晩御飯にした。
好きと憎悪はループする。リーダーシップもないやつがリーダーになる方法
深夜の2時まで起きて何かの作業をすることが、苦でもなくなってることに気がついたときには、母に「フノスってもしかしたら、本当は死ぬほど丈夫な人間だったとか?」と言われた。
「だってさ、いくら無理をしたからって、こうも続くかってったら、そうではないからね?」
「体力や腕力が馬鹿みたいにあるわけではないのだけれど、なんだか続いているね。」
続いているのは不思議だった。けれどもたまにはきちんと寝ておかないといけないかなと、何も作業をせずに寝てしまうと、かえって首や喉とか、関節とかが酷く痛くなることが多すぎて、だめだっただけなのだ。
風呂上がりに頭を拭いていたら、タオルに白髪が二本ついていた。真っ白な長髪だ。
他の人たちは夏の楽しみがあるとかで、私だけ行かない用事に続々と繰り出していったようだ。
行ってくるよのその日に、「なんでフーちゃんってどこにも行かないの」
「え、フーちゃん、お金ないし、どうせまたお父さんのお世話なんでしょ」
若い親戚たちは、不思議そうな顔をしていた。
「にしても、フーってつまんねえよな。『あれがつまんながったものが、面白い』って感じ、わかる」
「そうそ!怒らせるほど面白い!」「どうせあれ一種のキレ芸みたいなものでしょ。」
「ねー、あの人すっごいぶきっちょなんでしょ?それが何だか不満こじらせてるだけだっつうの。よくいるじゃん〜自分出来ないくせに文句だけイッチョマエなやつ」
「…うーん。でもね、この間のたたききゅうりは、たたききゅうりは、なんだか面白くなかったのう。本当よ?」
と部屋掃除をした子は言って、少しうつむいた。
「どうせたまたまでしょうよ。またいつもの調子に戻るって」
「去年あんなに頑張ったんだからっ!自分に青春なかったからって、人の青春止めるなっつうの。サービス精神のかけらもない」「俺達こんな頑張ったのにっ。ねー」
何かと出歩く前の準備をさせておいて、これである。
「人が嫌がることこそ面白い」。そこからしてとても歪んだ視点なのだが。
ところで彼らは一緒に旅行に行ったのではない。出る日がたまたま一緒だっただけで、これがそれぞれ違う目的地に向かうものだったりするのだ。
だが、一つ違和感を覚えたことがある。同じような年代だったりむしろ年下だったりするのに、私のほうが何となく容姿が、若くなってきている気がした。それはうちの母にも似たようなことが言えていた。
それはお互いに気づいているようで、やってることなら相手のほうが若いような気もするし、こちらは逆のような気もする。だがあまり目立つことに体力を消費しないせいだろうか。
いいや。でもうちの母にも(すぐに持ち直すけれど)少しだけ老けていくタイミングがあるぞ。
どうして自分が邪魔されまくるかを考えてみたら、
「どうせフーちゃん、何も好きじゃないんでしょ。じゃいいじゃない」
それが、私の行動を制限するいいわけである。タイミング的にそう。
私も自己主張はしてるつもりなのだが、そこに「好き」が見えないことが、どうにも現代においては差別の対象になる様子だ。
そうしてよく見て見ると、そういう状況を最も面白がっているのはうちの親父だ。それにさっきのたたききゅうりのくだりだって、実は親父がしゃしゃり出ることこそなかったけれど、まるで親戚たちの中心にいるように見えた。
手伝ってもらえないことをあまりに繰り返したせいで、『ひどく嫌われるとはどういう状況だろう』と、検索してみたら『憎悪』という言葉がウィキペディアに出てきた。
けれど『自分が憎悪を抱かれているか』といったら、ちょっとそれは違うような気もした。
けれどそのページにには「何かを優れている、愛していると思うほど、それを妨げているものへの憎悪も激しくなる」という事が書かれていた。
至極当たり前のことだった。けれど、この一言が、周りを言い表した言葉としてぴたっとはまった。
私の邪魔をしてくるのは、共通点として『好き』という感情が割と強すぎるぐらいの人だった。それがたとえ自分の母親ですらそういう要素がある。
何かを大好きで、それを追い求めてしまったり、そうしたら反面気に入らないことがあると怒り出す。みんなそれなりに憎悪感情を抱えているということになるし、実際それで苦しんでもいるけれど、快楽とも結びついている。
私はその人たちから、「なるべく早く自分の『好き』を見つけること」を期待されているようだった。でもその期待には、ずっと何年経っても応えられていない。
なぜかなって考える。
好きなものの話をするときに、親父はその場にいることもあるけど、私はあっちに行けとばかりに睨まれて、なんだか孤立しているような感じがする。そういうとき、自分だけがそれを尻目に何か別のことをしているように見えた。好きなものがないことよりも、憎悪がたくさんなことのほうが、まだ叱られていないような気がした。
ただ、そんな「好き」という感情が強い人たちの中で、リーダーシップもないくせに、親父の周りの方がたまに人が集まっているような気がするのだ。
そうなってしまうとむしろ憎悪の塊のような人間のほうが、自分の『好き』を守ってくれるかも知れないと、心のどこかで錯覚してしまうのかもしれない。
でも憎悪の塊は、はっきり言って大方憎悪の塊でしかない。それを私は日々の嫌がらせの中で自覚している。
親父がその真ん中にいる。そのときに、「洗脳されてやいないか」と感じるぐらいのときがあった。
そうしてその後、私がひたすら悪く見えるような出来事が起こったり、誰かがすごい失敗をするのだけれど、たいがい親父には有利に働く。
それが起こりやすいタイミングが、親父の周りに人が集まってるときに、しばらく数時間は続くのだ。
私はそういうときに「母さん、親父から離れたいのなら、その態度やめといたほうがいいよ」と感じることもあるのだけれど、そういうときに限ってよく「お前好きなものは〜」と話しかけてくるのも変だと感じていた。
こういうときに私は、まず台所から追い出されてしまう。親戚の子にも追い出されてしまう。
どうにも料理が出来る人たちと「好き」っていう感情が強すぎる人たちは、相関関係にあるみたいで。
いっぽう自分は周りの人たちがやらかしそうな『親父に有利になる失敗パターン』を読んで、自分が優位に立てたことはないけれど、先回りして防いでいるような感じは実はある。
なにかしていたら「何やってんだお前は」と変な睨まれ方をしては、「ああ、どうせだから先にやっとこうと思って」と変な言い訳をしているから、どうにも自分には不利なのだが。
好きという感情がないほうが、まだ少しだけ有利になるタイミングもあるんだ!と気づいた。それが良いことなのかはわからないけれど、少しだけ良い面を見つけられたんじゃないかと感じた。
夏にバテバテで動けなくなってる親戚たちの代わりに動いていて、だんだん気づいてきた。その代わりに親父がいばったり、人の挙動を見ては鼻で笑うような回数が減ってきたぞ。
そういえば、私はこのパターンに家庭内で慣れていたからこそ、集団のイジメとかに変になびかないことがあったのかもと、変な自信が湧いてきた。
おそらくは、そこに『悪いと判っているものに思わず従ってしまう』間違いがかなり少ない。従ったら逆に他の人よりもすぐにわかる。
このやり方は他の人には到底勧められたものではないが、もしかしたら自分は「憎悪を少しでも減らすために、好きという感情を抑えている」可能性を疑った。
仮に、好きという感情が希薄で困っている人がいた場合、もしかしたらそれと引き換えに、周囲の憎悪に少し巻き込まれづらくなっている可能性をあとちょっと観察してほしい。それはきっと幸せでなくても、他の人にはない性質のはずだ。
逆に言うなら、『どうしてあんな非道いやつなのに、つい従ってしまうだろう』と悩みを抱えていたり、『自分があの人の優位になるようにばかり動いちゃう理由がわからない』と疑問を持ってる方は、
これってもしかしたら『好き』という気持ちに隠された『弱い憎悪』をフックにされているかも。
エサを我慢することにはなれている人でも、そういう感情にブレーキがかけられる人ってなかなかいないみたいだ。ただエサを我慢した先にごほうびがあると期待してしまうような、普通の我慢とは、また違う我慢になるけれど。
それでもその人がいる前であえて『好き』という感情にどこか見直しをかけてみたり、出来ることなら『好きなものから考えをそらすように意識する』だけでも、何か改善できるところがあるかも知れない。
そう意識できたら、『ありえないぐらいかわいい』『わあああああとお湯が沸騰したように楽しい』『推しがいれば人生変わるのよ』「でもでもでもでも好きなのよう〜!」に感じていた嫌な予感なり、不安感が、少しずつ解消していった。
あ、でも変だなあと立ち止まる。これ、お片付けのときに覚えていた違和感だ。
親父が妙だと感じるときと、花澤ちゃん、アニメの推し。そうか…これがただの思い違いだったとしても、少なくとも自分の中では”なにかが”同じだったんだ。
これまでちょっと苦手かもなタイプの人やものを見かけても、あれ『親父と同じ型だな』なんて、あんまり感じたことがなかったから意外だ。
それでも私はたぶん「同調しないように」どっか頑張っている面はあるみたいだ。
そうして今の己の中に、解消法は少しだけある。
「好きという気持ちに隠された『弱い憎悪』をフックにして、人を自分の周りにぐいぐい引き寄せられる人は確かにいる。
そんな人の前では『好き』という気持ちを調整することは無駄じゃない。
そんな人の近くで『好き』という気持ちがなくなったとしても、もしかしたらそれは『誰かの憎悪が見えすぎてる』ってことかも知れない」
ところが、それに気づいて文章にしていった次の瞬間から、なぜか親戚たちがおしゃべりの最中なのに会話を止めて、ばらばらに動くようになっていった。いや、おかしいぞ。私の書いているものは見せてない。
「フーちゃん、虫つぶしたー。ここにおいといたよ」
「はーい、後でトイレで焼いとくからー」と私は家の遠くに声をかける
「え、また虫?」「そうなのずーっと自分の周りを飛び回っていたの」
それ以降、そんなに寄り集まってこちらをジロジロ睨んだり、不利に動くことが少なくなってしまったのだった。
まるで自分の周りに作られていた人の壁が、お湯をかけられた雪のように融けていったように感じた。
やはり妙な感じがしている。
物凄く他人である割に。なんだか腕を持っていこうとしたり、足を持っていこうとしたり、視点の妙ちきりんさが際立つ。にしても硫酸こわい!
おしゃべりしてても辛かった。社会階級みたいので言えば釣り合うはずもないのに、いちいち釣り合いが取れるように求められるのはどっか苦痛だ。対等って、そういうことじゃないだろうに。
知りもしない人の悪口が、自分でも驚くほどに出てきてしまって、気持ち悪い。
私は普段人の悪口を、そんなに人に言う方ではないのだし、並べ立てるのも不得意だったはずだ。それに題材も変であるのに、物凄い回数繰り返して考えている。が、言った。
こういうとき、何かこう、ぼんやりと苦手としているものを、あんま言いがかりにならないように、その理由を懇切丁寧に伝えて何とか距離を測ろうとすることを、タムラからは「折り目を正して(姿勢を正して、とも)何を言っているんだ?『苦手は苦手、嫌いは嫌い』でいいじゃないか。もっとストレートなものだろ?」と不思議そうに尋ねられることが度々あったな。
でも自分は好きっていう感情がストレートに感じられなくて、自分の中で向き合い方を明確にしないと、関心と嫌悪の差が曖昧なまま全然片がつかないことになってしまうのだ。
で、彼女の場合、とっちらかって片付かない。
かもめ組のことについて書き始めたときもそうだったけれど、小野の奥さん役にどうにも私は『え、そこ!?』という点で引っかかり続けていた。
私の人生にそこまで関わりのないはずの人なのにな。ここまでとなると「彼女、私にとっての何者なんだろう」。
今回のことも、もしかしたらこれは『私のことを意識している他人が考えていたことを、自分がそのまま写し鏡になって表してみただけ』なんじゃないか?ってぐらい、実はあんまり自分が言っているような感触もしない。
こうして夜中の1時頃に文章化してみても、窓がバンバン鳴るし右肩が重たい。これ、本当に自分の感情なのか?妙にお台本でも読んでるような浮いた感じ。
なのに無視していれば問題が解決するんじゃない感じだし、書き出さないことには翌朝、もっと具合を悪くている。
まるで目の端に映った虚像を追いかけているから、掴みどころがない始末になっているような。不思議と頭の中の距離のとり方に決定打を欠いている。
だって今もたまに左後ろにその人の姿が見えて、右に具合の悪さが来る。パンチを入れると軽くなるのは右の空間。最近そっちの耳がふさがっては治るをよく繰り返している。
ああ。何だか悪いものを見てるぜ。けれどそう感じてしまうのもしょうがないよなあ。だって彼女、アイドルの鑑みたいな感じあるもんね。
そうしてこの虚像を追ってみると、時折興奮状態でエグザイルのチューチュートレインみたく、足を開いてかがんだり立ち上がったりして目は前を見たまま上体をグルグル回しているわ、鼻の穴に親指入れてグーパーしているわ、自分の1.5メートル後ろで何か大声で歌いながら(音は聞こえないけれど)モモを高く挙げてスキップしてるわ、ちっとも落ち着きがない。変なイメージばかり出てきて、割とヤバそうに見えているので、とりあえず私の思考回路は逃げる。
これならめちゃくちゃ嫌悪できたほうがまだはっきりしているし、気持ち悪さについてはまだなんぼかマシになる気がするのだが。
ええと、にしてもなんだこれ。その虚像が自分の後ろで両手に手を当ててクチパクをしてるような。
『さいきん、うしろに、あれが、あれが、』としきりに私のうしろの遠いところを指さして、
『追っかけられてるー!』とおそらくクチパクはそう言って、
『あなたの、うしろに、おっかけられてるの』
私の肩をあまりに必死な様子でしきりに揺すった。いやあ、私が後ろから追っかけることはあったとしても、『私の後ろが追っかける』なんておかしいぞ。どういう状況だ。
『なんでこうなったの、なーに、なーに、なにこれ』
彼女はもう一度背後を振り返った。
『たすけて、たすけて、たすけて、たーすーけーて、たすけて、たすけて、けてけてけてけてけて』
いや、ちょっと待て。自分のイメージがバグりだしたぞ。なんでビデオかCDの音飛びみたいになってるの。いい加減、たすけての、けてけてを繰り返しすぎて、いよいよ『てけてけ』と言ってるみたいだ。
そのうち彼女はしきりに指さしていたその方向を、ぎょっと見やって駆け出していく。そういう割とリアルな白昼夢を見た。これだけリアルだときっと、霊現象と言うよりは、これは記憶の継ぎ合わせなんだよね。きっと。
うーわー、変な妄想劇場に登場させちゃってごめん。スペシャルサンクス花澤香菜。
でも今回は二度目だ。悪口が口をついてベレベラ出るときっていつもこうなんだ。
こういうとき、自分は言ってることと違うことを考えているのも、だいたい経験から判ってる。連想しているものがしきりに出てくるとか。だから一体この悪口から何を導き出そうとしてるのか。何か自分の中に今になって引っかかりまくってる項目があるんだよなあ。
遺言で『〇〇しろ』と言われたことに、どのように取り憑かれてきたか
夏の厳しい暑さに、動けない時間が多い。夜中まで家仕事を伸ばしたり、工作の試作をしたりで、やり過ごすような一月をあっという間に過ごした。オリンピックの間、具合を悪くした家族に付き合うか、あるいは体力が保つ限り他の仕事をするかで、そんなに時間が作れるレベルではなかったけれど、なぜだか例年よりも自分は保っている。
ただ、自分の生活が楽に進むなと思えるタイミングがある。
まずは最初に『明日私は死にますから、この作業だけは終わらせてもいいでしょ』と念じること。
でも次にうまく動けるタイミングは、『自分の周りでなくなってしまった人が何を願っていたかを真剣に思い出せた』とき。あるいは思い返せば、それに偶然従っていたとき。
自分の中で少し怖いことがあるとしたら、これは『自分の遺言で動いているか、他人の遺言で動いているか』このどちらかだってこと。
だけれど、なんだか自分の言葉を使おうとしても中々人生が、それどころか日常生活も進められない。その代わり、他人の遺言でだったらいくらでも動いている気がしている。エゴにもほどがあるような願い事だろうと、これについては妙なぐらい体力が保ちまくる。
どちらにせよ、どっかの誰か、それも思わぬ人の遺言に従っている面が、日常生活の中に潜んでいた。
そういえば、うちの担任が遺言のことについてなにか言っていなかったろうか。その当時は思い出せなかったけれど、言ってたよな。たしか担任は、「『遺言だから〜してはいけない』という制約を設けることが不正なぐらい出世するコツだ」と言ってた。
けれども、どうして自分が「遺言だから〜しろと言われた場合、どうなる?」と、その教師も返答に困るような質問をしてしまったのは、厳密に言えば実際にもう、そうなりそうなシチュエーションを経験していて、10年が経過していた高校時点には『すでにそれが何処かに作用しているんじゃないか』と違和感を持っていた可能性に、ふと気づいた。
だが、担任は、「そういう縛りについてはよくしらない」と言っていた。
夢の中に出てきた『ようちえんのせんせい』は、「人の未熟な心の中に入り込みながら生き延びてきた」と言っていた。でも今思えば『その人の遺言に従えてる限りは、身の回りにいる未熟者の邪魔建てをすんなり避けられるような感じ』があった。それが思ったよりも真実味を持ってしまう。
まるで自分の生活から、それ以外に動力源がない感じになってしまってるかのような。
でも、曲がりなりにも「これからを生きていく」って、「この世の維持管理者として、先人が残していった課題を片付けにかかること」だけでも実際には相当なことなのに、「先人の出来損なった遺言にも従って生きていかなくちゃいけない」ってことなの?
でもなんだろう。そうしないと物事が進まない。
たとえばその中でも、これまで書いてきて、かなり絶大に邪魔をし続けていると見られる話題があった。『アイドルになること』。
それは幼稚園のときに亡くなってしまった先生の願望であった。
彼女は生前も『わあアイドルみたい』と度々私を微妙な褒め方をしてくることがあった。アイドルソングは一つも歌った試しはなかったのにな。
けれども、どうしても従うことは出来ないことがらであった。私のあこがれは絶対に違うところにあるわけだ。
人の役に立って、もっとかっこいい仕事ならいくらでも見つかるものだし。むしろアイドルは馬鹿にしたくなる職業の一つだろ。馬鹿にされることを隠れ蓑に何か別のことをしようっていう意図でもなかったら、ダサいにもほどがある!って思う。それでヤーさんの幹部候補が副業としてアイドル、とか、それは凄く受け入れやすかった。
でもさっきの会話でも度々感じていた。無理なことだからって、「私がアイドルになれない理由」をなぜかいつでも説明するように心がけて生きないと、周りの人たちの当たりが普通より強かったりしてくる。
今までずっと気恥ずかしかったから認めてこなかったけれど、これの被害が一番ひどいかも。これが思っているだけでも、程々には動けるのだけれど、なるべく言ったほうが周りの人たちが安堵した様子になるのは本当だ。
けれど、その性質は高校以前からあった。小学校の時も学年一のブスと言われる割に、その理由をきっちり説明しなくてはいけなかったのだ。さらにさっきの話みたく、時間がかかるかかる。
「ほら、私べつに芸能とか目指すタマじゃねえから」というのは、そのときに身についた癖だ。
慣れきっていたけれど、その質問差し向けてくるやつのほうが変じゃん。
やけにおかしいと思っていた。自分の周囲には己も含めてアイドルになれない人しかいないから、そんな理由は説明するまでもなく人間関係を構築していけるはずなのに。
まるで自分だけ、そういう点で浮いているように思えたのだ。更に言うなら、私が書いている文章は、現在「なぜ自分がアイドルになれなかったか」に結構な割合が占められている面はあるかも知れない。
冷静になってくれ〜アイドルってどんな業種か。そういう目立ち方をして、良いことなんて一つもないことぐらいみんな知っていた。適正がないことを言ってもなぜか聞く耳持たずに、俺をさらし者にするなあ〜。ぐらい強く言わないといけない。
心が未熟な人は、ここにひっかかると、そのままイラツキをぶつけてくる。これは周りの物分りが良い大人でも、一旦は苛つくことのようで、抑えてくれる。でもそのあとのアイドルたちへの悪口がもうひどいなんてもんじゃない。
次の瞬間には「おめえらが同じところまで落ちればいい」ってわめきちらさんばかりに、黙る。
それは評判と金とで不安になった要素もあるだろうけれど、それはつい最近から始まったことだ。
で、そんなにうまくないはずなのに、たまに作業の折に口ずさむ程度に歌わないと、こういうガタツキがしばらく収まらないような事態もある。ここがおかしい。
自分がアイドル向きではないことは、自明なことだった。周囲の贔屓目と戦うにしても、仲の悪い人にまで同じことをしなくてはいけないのも変だった。
…ずっと、ずっと、大人になったはずなのに、自分は望んでいないはずのことなのに、その性質だけは消えない。
やっぱりどっか認めよう。ある現実をあまりに誇張してしまう。それですら遺言なんだとしたら。それが遺言なんだとしたら、これは軽く周りが理解してくれないことも含めて、なんだかホラーじゃないだろうか。誰か同じ悩みを抱えている方おられないだろうか。
でも、私はこの20年ほどをかけて気づいてしまった。
「〜しろ」という遺言が発せられた場合、もちろんその願い事が叶えられるとは限らない。
けれども、おそらく願われた当人は「その願いに関連したことをきっかけにして、ひたすら孤独を味わうことになる」可能性があるのだ。
それもそのはずだ。遺言ってのは、死者と同調するってこと。ひたすらに死へと向かおうとする人に、まだ生きようとしている人が警戒心を抱かないわけがない。
でもどんな生き物も『死へと向かっていく』わけだから、遺言ってのはこれはもうエネルギーのベクトルの問題で『前に進む』に決まっている。
更に言うなら、熱海の土砂崩れのときに、もしかしたら自分が通っていた幼稚園の先生がたが亡くなっているかも知れないのだ。だとしたらあの人たちが私に告げた遺言は
「お前は人を助けるばかりで、一つも手伝ってもらえなければ良いのに」だったはずだ。
これだ。タイミング的に熱海の土砂崩れ以降、その傾向が突然ひどくなったのだった。
言ってた内容はさほど珍しくなくても、発動だけはしてるか。
そう気づいたとき、いよいよ「幼稚園の先生、死んでたんじゃないか」と感じたのだった。
…でも、むしろ現代で孤独になるってことは、そのぶん行動が取りやすくなることもあるよね?私はその隙きを狙ってずっと動いてきた面があるんだ。
だからあくまで「孤独を味わう」と言ったのだ。大勢の中で孤独を味わう機会も多いけれど、本当に吟味するように一人の時間を楽しむことも増えるんじゃないかと。
「アイドルにならない理由をこってり説明してやろかあ」と考えながら、親戚の前を通ってみたら、不思議とすごい怒りを腹に抱えてないでも、あんまり声をかけられなかった。
そう考えても、後ろについて回るせんせいの影は、だんだん薄くなってはいるものの中々立ち去ってくれない。
遺言は縛りになる。おそらくはホント。
引きずり込まれているだけかも知れないけれど、けれどもその代わり、やけにフックになると言うか、慣れるとロープを大きく揺すって次の場所に乗り移るような感じに変な推力が出る。タイミングによっては体がざわりと浮き上がる感じがある。
色々縛られているのだから、けっして器用になれるわけではない。まして運動神経なんて全然良くならないけれど、やけに持久力が出る気がした。
それもおそらくは亡くなったろう知人が増えるたびに、なんだか別の人っぽくなれるモードが増えていく気がする。感覚的な問題だけれど。それが別に遺言を告げた人に似てしまうっていうんではない。
その人に「お前こうなればいいさ」とか「自分こうなりたかったな」と言われたのに近い人格の演技だけやけに抵抗なく出来る。
その人の『なりたかった・なってほしかった人格』が、だんだんと自分の中に増えていくのだ。ただその遺言をきっちり思い出さないと、その傾向すらつかめなくて、そこが地味に手間である。
その行く末を見届けることは出来ますか?
あれでも何だろ。おでこを抑えた。たしか、あの後…
「こんだけの目にあって、お前は小さくて運動音痴の割にほんのちょっとだけ、芝居がうまくなるのかもよ」
そう言って、何処だったっけ。触られたの。前頭部から後頭部にかけて
「俺もさあ、似たりよったりのものだから」
あれ。ヨレヨレの白シャツ。しゃがんでた。
「ま、動けないなりの、だがなあ」
そう言って、廊下を歩いていっていたような。
「なあ、それ珍しいのか」自分は後ろをしつこく付け回す。
「ああー。日本に何人かしかいないぜ。そらあ見つかってないだけかも知れないけれど、猿真似じゃなく、こういうので身につけてくやつ。少ないんだよな」
「猿真似もこういうのも、両方出来るやつが職業に就くってものだ。俺はそう。
まあお前は調子に乗る…いや違うな。あんま無理するな。こういうのさあ、ただでさえ死にやすくなってるんだから。死ぬぞ」
それにしても面白いもんだ。
とくにアイドル言い訳。「アイドルになるためだから」と後ろに言うと、割と何でもあり。尋常ではなく強力だ。夜ふかしをしても全然疲れない。
今その産業がどうなるとも知れないし採算も取れないだろうからもう、場末のアイドル劇場の求人なんぞだいぶん前になくなっていた。
自分はそんなもんにはなから興味ないのだが、アイドルにならない理由が自分の歳なり適正云々という話じゃなくなってるよね。
今までの人ならともかく、新しい人たちなんて、よほど同族から業務命令でもなかったら見向きもしない。
だあれも好んでめざさなくなったあたりで、それを軽くなりとも目標ってことにするやつが自分であると。
この間テレビで見たぜ。松田聖子のファンって今60歳だぞ?もうその形態、変わっちゃってもしょうがないぐらい、そろそろ頃合いなんじゃないの。
ああ、ほんとうは今の時代、その夢ごと死んでいるんだ。滑稽だ皮肉だ。それが夢だったなんて、まさに20年ぐらい前に死んだ古い人の遺言じみているよな。
注意深く思い出してみると、別人みたいに飲み込みが早くなるものがあるような気がするし。だからこそ薄っぺらい嘘として通用するし、遺言として変に推力が出るんだろよ。誰も邪魔な入らないぐらい。
オトギリみたいなせんせいがほんのちょっと面倒くさいときには、むしろこういうことにした。
「ねえねえなぜか私は周りの人たちのアイドルとしての質を高めることなら出来るみたいなの。
そこでせんせい。私がアイドルになれなくて不思議でしょうがないなら、今現役の人に『どうしてあなたはアイドルとして表舞台に立てたのに、アイドルになりきっていないの?』って片っ端から聞いて回ってよ」
せんせいは、私がアイドルになれない理由を探って回って大暴れするような癖が有る。
「どうしてアイドルになれないか」がいつも気にしてることだから、他の人に向かってもそれを気にするところが有るんじゃないかと感じた。
あくまで「お前は人を助けるばかりで、一つも手伝ってもらえなければ良いのに」
と言っていた幼稚園の先生たちは、束になってようやく私に作用した感じだ。けれども気配で比べてしまったら、ようちえんのせんせいはまだこの世に強く存在し続けていた。だから向き合わなくてはいけないのはもちろん彼女の方だ。
彼女は他の幼稚園の先生たちの牽制役になってくれる面もある。だって死後の世界では彼女のほうが圧倒的に先輩だし、おそらく生きてる人間界にも干渉できちゃうスターだもの!
いっそ、こんな状態になってしまった自分も、『なぜかアイドルになれない人。でも心は稀代の大スター』っぽいキャラを意識したほうが、まだ良かったり?
ちょっと痛くないかとは心配したものの、思ってるだけで口にしなければ、なぜだか周りの親戚たちが、アイドルの話題をわざわざあげつらっては、様子がおかしくなることがかなり減った。それにテレビを見て突然怒り出すことが減ったのも驚いた。
いちおうそうしておくと、せんせいの『わたしがアイドルになれなくて納得行かない』っていう感情と、周りの人たちの反感とがあまり同調しないで済むみたいだ。
さらに「じゃあ、今の世の中でそれが出来ている人のところに取材に行ってきてよ」と、そっと語りかけてみるのもわるくなかった。自分にそう問いかけるのと同じように、じゃあ現役の人はどうしてアイドルになりきっていないのか。これを聞いてほしかった。
ただ、『独りになる』要素だけは消せるものではない。人の壁が溶け出すみたいにトラブルなく独りになることができるようになって、まだ大分楽になる。
変な叶えようもない遺言に、生きてる自分が振り回されてるかもと思ったら、そのひとが納得行かない感情を少しずつ消化させることで、遺言の効力を消しきれなくても、その人の遺言の力に調整がかけられることが有るみたいだ。
誰かの遺言が働いている場合、結構まっとうな対処法を打ってるはずなのに、どうしようもなくどこにも所属ができなかったり、居心地が悪かったりで、孤独になることも有る。
これが私の出した結論だ。信じるか信じないかはアナタ次第。
「ー思えばさあ、その先生、変わった死に方だったけれど、死に方としてはとても楽に行ったほうだよね。だって当人何があったんだかわけ判ってないでしょう。」
と母が言ってた。
「そうなんだよ。それはある程度横で見ていた私でもちょっとわかった。だから語れるんだ。はっきり言って、並大抵の人間の死に方よりもよほど楽なんじゃないかな。」
そうだよね?と了承をもらう。
「苦しそうな要素が見当たらなかったんだよ。
ある意味あれに憧れを抱いてしまう人がいたとしても、それはかえって気持ちがわかるってものだし、仮にそれ一つと引き換えに人間じゃなくなってしまうというのも、選択肢に入っているのなら十分ありだ。」
寝入りばな、そういう場面を思い出しては、背後のなにかに向かって、「うん。」と返事をした。
「どうも。この間の記事を読んだものです」
私はビクッとした。え、ここで感想のお時間ですか。自分どういう寝ぼけ方をしていたのかなと。
「あの…前回の幼稚園の先生を読んでみて思ったのですが。最後に『この人に傷つけられた』とか『殺された』とあんまり強く思い込むと、その人の周りを何十年だろうとついて回れるものなのでしょうか。」
私は多少返答に困った。こういう人、軽く扱いとか気をつけなくちゃいけないのかもなと思ってしまって。目をつむったまま寝返ってみた。
「…この様子だと、不可能ではない様子ですね。現に私の周りがそうでした。そうやって20年間ずっと飽きもせずついてこられた方がおりました。そのぐらいはいけるようです。」
「へえそれは、羨ましいことです」
「あの錯乱した頭では、最後は私に介錯してもらったように思っているのでしょうかね。何かご存知ありませんか。最後に姿ぐらいは認知できた人間が、私だったとしたならば。最終的には近所の武家の方に始末を頼んだようですが。そのときも『私が』入ってきたように錯覚していたりして」
「そうなんじゃ、ないでしょうかねえ」
と相手がふと、笑ったような気がした。そうだよな。こいつ自分と同じところまで何か堕ちてほしいような陰湿なやつだったよな。
「ねえ、やはり『この人に殺された』と思い込めさせすれば、その行く末を、きちんと見届けることは出来るのでしょうか。」
それでも私はなにかその人がひどく傷だらけのような気がして、慌ててつけ加える。
「だからって、へたな自傷行為に出ようとすることは、やめてくださいよ。」
「知ったことか」
「あなたがいる地獄は、たぶん『代償を払っても、払っても、愛してもらえないこと』でしょう?その人について回るがために、自分を傷つけているようでは、あまりにも苦しい、ですよ?
愛することも、愛されることも、代償がなくてはならないとか、けっしてそういうことではないはずなんですけれどね」
とつ、とつと確かめるように聞いたのは、いちおう自分の落下地点を何とか計測したかっただけだったのかもしれないが。そう言うと、相手はしばらく黙った。
だまったまま去ろうとする様子はなかった。
「お盆なせいでしょうか。死に人たちでそこいらが混み合っているようですよ」
聞きながら、おぼろげなりに違うという感覚がする。すると相手が口を開いた。
「実は便乗して一緒にいました。」
「そうですよね。ようちえんのせんせいの向こう側に、隠れるようにして」
開けた薄目の向こうで、口元だけがよく笑っていた。
友達がいない。その原因を追求すると、自分の気持ちが重たくなるのが判っていたから、あんまりしないとして、ああ、背中がじんわり痛くなる。
最近感じるようになったことだったのだが、女性たちが連れ立って歩いてるのを見ていると、体にじんわりと痛みを感じるようになってしまう。これは嫉妬で苛立ってるというより、あのとき私をおいていった先生たちと似た要素のものを見ると、体がこわばるようになってるみたいなのだ。お友達を作ろうにも、そのぐらいには致命的に苦手なのかも知れない。
だけれど、家族は家族で怖い。その状態で結婚か。ただでさえあんな怖い目に遭うのに?自分にはそれを外に相談する相手もいないの?
私はふと、怖かった。最初に出来たお友達が、そのまま家族になってしまう。あいつらの言っている純愛に従っていては、女性の人生はそれで良いってことになってしまう。
でも、そんなに理想的なものだろうか。それに言われてみると、一旦自分を当てはめずに考えてみれば、こうも似たようにあんまりぼっちだった人間が、突然声をかけてくれた人間のことを、お互いそんなに仲良くなれないにしろ、一方的に想うことになって。たとえばそれで最後の最後に家族を差し置いて、その人のことをいきなし遺書に出してみろ?すっごく気持ちはわかる。だけれど、受け取る側よ。その人は必死だったのかもしれないけれど、距離の間違え方になんか狂気を感じる。
家族って家族って。ただでさえなんて怖いものだろう。協力も得られないで?それがそもそも嫌われている証なのだとしたら、ああでも自分にはそうとしか見えない。
台所のものでも揺れているのか、背後から「かちゃん」と金属がこすれる音が通り過ぎていく。
私の頭は考えた。次の瞬間手伝ってもらえることを手伝ってもらえないことを繰り返しているようなら、ある晴れた日に隙きを見てふらっと置き手紙だけして出ていけるような、
ああ、やっぱり他人同士の関わりなのだから。そうか。数年後を見据えて出ていくような、そんな体制をいつでも整えておかないと。
相手からしたら、とんでもない話だろう。家族にいきなり役割を放棄されてしまうのだから。
なのに、そう考えると、なぜだか自分の中であるべきところにピースがはまるようにしっくり来てしまうところがあった。
ああ、そうだ。結婚をするなら離婚を前提に考えなくちゃいけないって、こういう感触か。そんな自分は、思ったよりも笑顔だ。晴れやかだった。色々な心配がなくて。
自分と、手伝いをしない程度にはこちらを嫌っている相手と。それとの関係ってさ。
自分の人生観だけでものを語ってしまうと、一緒にいても喜べるだけの『好き』という気持ちを、どこか持ち合わせていない面があるのだし。となるとおそらくはそれが、ずっと心のどこかで追い求めてきた形態に近いのだと思う。
なんで、台所で母が「早く死ねばいいのに」と、つぶやくと何とか作業が続けられるかが、なんとなく分かった。
タムラが言っていた定理に従うと、ただただ、呪い返しているのだ。
呪い返すとは、いくつか方法があるが、基本原理としては「軽く相手の考えてることや無意識レベルで考えている真意を読み取って、そっくりそのまま同じ呪い方をしてしまう」というのが大半だ。これで相手に仕返ししたぐらいの呪い方までなら、理論上はただの呪い返し。
あのただただ誰の助けもなく台所に立っているあの瞬間、実際には誰もがボランティア的働きをしていて、それで生活を維持しているのに、あまりに長時間まったく『手伝ってもらえない』ということは、
「相手に謂れのないことで嫌われている状態」である。
これはまして、同じ年代かそれ以上の人物を思い返すとうまく行く状態らしく、考えてみたらどれをとっても、早く死ねばいいと唱えている人物を手伝える、ないし邪魔をしない程度には振る舞えるはずなのに邪魔をしてくる人たちだ。
まして、そこから更になにかを奪って構わないと考えている人間、とくに大人がいたとしたら、作業者はそいつから嫌われていると言ってよかった。
いいかげん疲れているときぐらい、自分がその作業を代わってやれればいいのに。なのに自分の力ではそれも叶わないかんじだった。
「いい。いい。休んどれ。私台所でなにかしていても、フノスほどそんなに具合悪くしてないから」
そんな母はどうしたか、「誰のために作るかが大事だから」としきりに言うところがあった。何だかそこが怖かった。それは親父じゃないよと。
「フノスさあ、べつに何でも出来るようにならなくても良いんじゃないか」
と満面の笑顔で言うのやめてくれ、今の私じゃ『何も出来ない』ってかんじだから問題だと思ってるんだけれどね!?と引きつった笑みを浮かべそうになる。
部屋で休んでいたら、やはり自分の後ろから『かちゃん』とさっきの音がした。あれ。
親父が風呂場にわざと塗りつけた鼻くそを、スマホの写真に収めているときなんて、否応なしにそうじゃないか。親父みたいなやつのことだが、あからさまに止めてほしいことを止めてくれない様子じゃ、どう考えたって相手からは嫌われている。私にとっての家族など、そうだった。
ある風呂掃除の日のこと、わざわざ壁に張り付いていたはなくそを見ていた。
「お父さん、本当は私のこと、死んでもらいたいほど大嫌いなんだね」
熱湯のシャワーを当てているそれが、そう語っているような気がしたので語りかけると、あまりに重たかった背中が急に軽くなった。そうして汚れがベロベロと剥がれだしたのだった。
「ねえ、お父さん、本当は私が右手を火傷して、嬉しかったんじゃないの」
そう尋ねると、右手に数秒間だけれど、やけにリアルに指の腹が吸い付くような、肉にはずみがついていくような感じがしていた。…動作感覚だ!
どうにも自分は聴覚と動作感覚が脳内でごっちゃになってしまっているのか、雑音カットの耳栓を入れるとその感覚が半端に戻ってくることは高校卒業後に気づいた。じじいは耳が悪い。それでたしかに遺伝で脳が弱いのかも知れないけれど、症状からいくと割と重低音障害っぽいところがある。
でも、それ以外のことで戻ってくるなんて!
不意に後ろにあった風呂場の壁が、「バーン」と爆ぜるような音を立てて全体が揺れた。
朝起きたら手伝い、手伝い。それにしても、繰り返しがひどい。アイドルの話で引き止めるのを止めただけで、「夏の間に溜まっていた仕事を手伝ってくれよう」と。一体なんなんだ。前に進まねえ。
なおかつ再びじりじりと顔の片側だけに刺すような痒みが起こり始めた。また血汗でも出てきてしまいそうな気配があった。
あなたの健康な血を見たい / 夏の玉ねぎの相場
寝入りばなに考える。何度机の上に置き手紙をおいても、それがまた手に張り付いてしまって何度も起き直しているような。
「ちょっとまて。ここまで前に進まないってことは、まさか『まだちゃんと聞き取れていない遺言がある』とか?」
え、でも誰。先生がた…ではなさそうだな。
今机の上に置こうとしている手紙が、『それは自分宛のものだったから』、何をどう工夫しても自分の手の中に舞い戻ってくるのではないか。
開け放った窓からレースのカーテンが舞い上がる。
「気づいた」
「あのさあ、私、生きてる人間との約束を果たさなくちゃいけないんだけれど。」
「やだ。僕優先。さあその遺言だーれだ」
しばらく黙った。あの事件をきっかけに亡くなってしまった方なんて、せんせいの他に知らない。
「あったでしょ。僕と君とが聞いていたのが」
自分の背後で重たい空気がにやあと笑いだした。
「え、お前いたっけ」「いたよ」
「誰だ。誰だ…まさか、園長とか!?」
はっとした。流石にあの人もう歳で亡くなっていても不思議はないよな。
「え、それもカウントしなくちゃいけないの!?事件のときじゃない人でも」
でも健康体の人だったから、まだご存命でも不思議はないわけで。いいのか?いいのか?まだ生きていたらどうするんだよ。こいつさらっと遺言と言ってたけど。
私の背後で「うふ、うふふふふ」とこらえきれないように失笑しているし。
「ああ、あれって『先が長くない』タイミングになると、案外もう効き始めてるって話もあるぜい?」
「なるほどな。生きてるかどうかでないよ。遺言であるかどうかだってことだな」
にしても「何か大事なこと」を彼から聞いていただろうか…
それは重たくて湿度の高い雰囲気をまといながら、私の後頭部に鼻を埋めた。
「ねえ、これでも思い出さないかな?『ぼくは健康なフノスちゃんの血が見たい』」
私はぎょっとした。聞いた覚えはあったのだ。
「ねえ、ぼく血を見るのだいすきなの」
江口さんが「私は時折血を求めるところがある」と言っていたけれど。何故そう言われたか気になっていた。そうか、私よりもはるかに血を欲するものが、私のそばにずっと控えていたのか。それなら自分の中でいやに納得するところがあった。
不意にタムラのぐずりを思い出した。
「なーんだよ。つまんねえ話ししてんなあ。おい。もっと面白い話しろや。そうだ『ちかげ』だ。ちかげ。ちかげだったりその配下のものを使う方法とか、お前知らないわけ」
タムラが鼻の穴を広げてふんぞり返った。
「あのさ。先生が言っていた『千』とか『百』とかって、『使う』って感じの代物じゃないんだよ。よほど相手が気乗りしたときに、こちらのしたいことをしてもらうって感じ。思い通りに指図できると思ったら大間違いなのさ」
「へえ?兵士なのに?」
実際のところは兵士でもないんだろう。
ああ、逃げようもないものに遭遇したかもと感じた。「ねえ名前も忘れた」「忘れた」
相手が舌打ちする。
「ねえ、あそぼうよ。そんな奴らより、あそぼうよ。」
気がつけば、そいつは行く手を阻むように私の前に回り込んで、しゃがんでこう呟いた。
「ねえ『健康なフノスちゃんの血が見たい』」
そう言われた次の日に、予想より早くに生理が始まって、結論から言えばこれがダラダラ続かずに収まった。本当に健康な血だった。
てっきり私は今月は来ないものかと思っていた。さすがに暑さでどうにかしていたし、無理をしていたから、いつものごとく止まるものかと思っていたのだ。
『健康な私の血』と言われて、なるほどねと感じた。なおかつあれが出現してからというもの、顔からじりじりとした痒みが起こることはなくなり、もうすぐだろうと覚悟していた顔面から吹き出してくるほうの血は一切見られなかった。
朝になった。
「さあ。この時期にしてはえらく安い玉ねぎが出たんだ。1個あたりで買うよりネットで安い。珍しい」
と母が私を起こした。
8月の下旬あたりから9月の頭にかけての玉ねぎは小さくて、1玉200gを切っていることも珍しくない。なおかつ一つ20円ぐらいする。
こうなってしまうと10キロネットで本体価格600円切るほどというのは安いのだそうだ。一応、1個あたり20円台を切るぐらいになる。
「背負えるか?」
「ああ。大丈夫だよ。リュックの中に新聞回収のビニール袋入れていくね。皮のカスがでないから。」
さらに実際店で見たところ、この玉ねぎは時期にしては比較的おおぶりだった。
これがもうちょっと経って、秋頃になるとさらに大ぶり(300~400g。倍のような大きさ)の玉ねぎが一個10円ほどで出てくる時期が1〜2ヶ月ぐらい続くのだそうだ。その間になると洋食だとかをあんまり気兼ねなく作れるわけだ。
「昔はもっと、旬じゃない時期でも5キロネットで300円切るぐらいで買えたんだけれどな」
「それ私が幼稚園ぐらいのときの話?あのときカレーとシチューをいっぱい食べた気がする」
「そうだね。そこからお前ら小学生だった途中までそれぐらいだった。」
それを背負って、歩いていくのだ。親父にはなぜ自転車で行かないのか訝しがられたが、それには理由がある。どうにも道の角度が年々変わってしまっているのだ。真っ直ぐだったはずの道が微妙なカーブを描いていて、まっすぐ走るのも難しいし、平坦だったはずの道路も波打って不規則に坂のようになっている。縦にも横にも曲がってしまったこういう道路を自転車で行くのはとても不安だった。
地元の子供らが「車を避けようとして民家の生け垣に突っ込みそうになる感じ」という表現が本当によく分かる。
それに、冷房のない家で過ごしていて親父は不思議と大丈夫だが、私達はふらついたときが危ないかも知れない。こんなときに自転車でバランスを崩したら、ちょっとどんな事故になるかわからなくて自信がなかった。
私は母に「あんまり独りで出歩かないでね」と言っていた。老いも若きもそこいらで倒れているかも知れないことが、夏については冗談抜きで珍しくないからだ。
なので本当は短期バイトとか、もっと外との交流を図るような活動とかを夏休みこそできるものなんじゃないかと思われがちだが、やっていない。
コロナじゃなかったら周りにもっと怒られていたことかも知れないが、
「こらーっ、フノス何もしていないんだから手伝えーっ!」
と他の若いのに比べて何かとつきあわされた。でもそれで暮らしをギリギリ保たせていた。
モノリス
事件からそんなに日が経ってないとき、幼稚園の畑に、三角柱の鉄塔が立っていて、私はそれを他の子供たちと見上げていた。
「新しい遊具かなあ」と子供たちがささやきあったけれど、ただ銀ピカに光り輝く金属の塊を見ていても、登れたり面白い仕掛けが出てきたりとかそういう様子もなかったので子供たちはすぐに鬼ごっこに走りに行ってしまった。
私がひとりそれを見続けていたっけ。よく見ると「ものりす」とひらがなで書かれた付箋があった。
後ろから人の指が柱にあった付箋を指さして、「これなあに」と尋ねてきた。
私はそれを見て「ものりす」と読んだ。珍しいと思った。男の人がこうやって話しかけてくるんだから。
見るとその人は、頭からシーツをかぶって首のあたりで手で抑えて、雪ん子ごっこでもしているみたいだった。足元には何も履いていおらず、裸足である。
「ん。なんで布かぶってるの」
いや、本当は靴のほうが気になっていた。
その人は両目をぎょっとこちらに向けて、「うん」と答えた。あんまり喋りたくないみたいだった。
すぐ後ろから先生方がやってきて「なにこれ。朝からあるけれど」と談義になる。
「子供らがぶつかったらいやだなあ」と周りの景色と同化する鏡面と3つはある鋭利な角があるのを見て、怪訝そうな顔をする人がいるのは当然だ。私はその先生たちに
「ものりすって書いてあります」と説明している。
シーツをかぶった男の人が「ものりす」ともさもさ、と呟いた。
「ああ、ほんとうね」「そこ以外がよくわからないね」と先生たちが口々に言っていた。
私は「ところで、この人誰ですか」と先生たちに、シーツの人を聞いていた。ところが先生たちは談義にふけってしまう。
「どうしようか。こうも鏡面だと光の角度がどうかしたときに周りの景色と混ざっちゃうんじゃないだろうか」
「柵とかつけたらいいのかなあ。」「あれ、うちの幼稚園、パイロンとかどこにあったっけ。」
シーツの人は私のことを上からぎょっと見ている。
「お靴、貸しましょうか。」
その人はしげしげとこちらを見つめている。
「ちょっとまってて。」
そういえば、玄関に先生が慌てて外に出るときのためのサンダルがあったか。私は玄関に急いで走っていった。戻ってくると、その人は先生たちから少し離れたところでしゃがんで、地面やら子供たちを交互に見つめていた。
「はい。お兄さん、これはいて」
その人はサンダルをちらっと見て、その場から動かない。しゃがむと益々雪ん子みたいだ。
「みか」
「え、『みか』?」
「ん。なまえ。みか」
男性の声で みか。学年に『みかちゃん』ならいたような気がしたのだが、えらく渋い響きに思えた。
「ああー。そうなんだ。ミカエルみたいな?」
「うーうん。みか。靴をくれた人には、名前を教える。きまり」
「へえそうなんだ。みかさん。」
その時私はなぜか、『み』にイントネーションをおかずに、『いかさん』と言うかのように『みかさん』と言った。ミカエルもカにイントネーションを置くように。するとその人ははっと両目を開いて、
「…そうだ、みかさ。ミカサでもあってる。けど、みかがいい。」
「へえなんで。」「われ、まったいのもたい」
まったいのもたい?不思議な響きだけれど。
「靴ははく?」
「はかない」
私はそっかーと頷いた。私はその人の横に靴を置いて放っておくことにしたけれど、しばらく目を離した隙きに、その人はサンダルを履いて歩いていた。
「なんだ。靴履いたんだ」「あまのじゃくだから」
そうしてまたモノリスを見ていたら、園長がやってきて、先にいた先生たちから「これなあに」と尋ねられていた。
「さあ。昨日の晩のうちに立ったのかな」と少しおどけた。
「いや勝手にこんなもん勝手に立つわけあるかあ。きのこだったら分かるけれど。」
と5歳の私は突っ込んだ覚えがある。
「いや、ほんとね。こんな姿見みたいなもの、どう見たって人工物だよね。いや、こんなの誰やったんだまじ。いや、腹立つ…」
と、園長は踵を返して、どこぞに電話をかけに幼稚園に戻った。
すると中から園長が、「あ、サンダルない、サンダル」と言いながら、ぶりぶり怒りながら出てきて、
「メールがねえ、一通届いて。『二十年後に世界中に大量発生するもの』だって。ふざけんなや。てえ、もうサンダルどこよ〜もう」
と色々怒りながら何があったか知らせてくれてくれた。
「はい、休み時間おわり。そろそろ帰り支度するよ」
と、園長先生が周りの園児に声をかけた。そうかそんな時間か。とはいえ時刻としてはちょっと早いことは、さすがに5分刻みの針の形を覚えていたことから、あんまり読めなくてもなんとなくわかった。
名残惜しげに園庭を見ると、シーツの人がサンダルを脱いで自分の横においていた。私はその人のところに向かって、走っていった。
「いいの?まだ代わりの靴見つかってないけれど」
「うん。くつ、合わなかった」
合わない靴を履いたときの痛さとか嫌だろうことは、店屋の試着で知っていた。さらに私は彼の裸足を見て、きっとこの人なら裸足で歩き慣れているのだろうと思った。
「そっか。ええと、この靴玄関に戻してくるね。足、ガラスでケガしないでね。ここは幼稚園の先生が子供がケガしないように用心して拾っているから大丈夫なんだけれど、敷地から出るといっぱいあるから」
彼はゆっくり頷いた。「だいじょうぶ」
私はそのサンダルをなぜか大事に抱えながら大急ぎで玄関に走って、サンダルを普段それが置かれていたすのこの前に置き直した。
「なんだ君か。困るよ。突然つっかけて飛び出せるようにいつでもおいてあるんだから。予備を出すことになったんだからね」
「ごめんなさい。園長先生。さっきそこに裸足で歩いている人がいたから、しばらく貸してあげようと思って。」
「ん。その人だれだい?」
私はそのシーツをひっかぶった男の人のことを、園庭の『あそこにいるから』と説明した。
「なんていう名前だった。名前聞いた」
「はい。『みか』って言うんです。『みか。まったいのもたい』だと。靴をくれた人には名前を教える、きまりだからと。」
「ミカ?マタイ?モタイ?」
「モアイみたいですよね」
「いや。モアイとモタイじゃちがうし。え、聖書?」
園長はしばらく私の顔を見て、そんなことを言った。
「その人はいっときは靴を履いて、他の子たちと鬼ごっこしていたりしたんだけけれど、でも『靴が足に合わない』と言ってまして、そうしたら次に使う人のところに届けなくちゃと思ったんだけれど、園長先生が出てくるのがそれよりも早かったので。ごめんなさい。」
「でえ。一緒に何していたの。」
「モノリスを見ていましたよ。お化けごっこしているだけで、さほど変な人ではなかったと思います」
「そうか。」
でも私は思ってしまった。予備のサンダルがあるというのなら、靴はあの人が好きなときに使えるようにそばに置いておけばいいじゃないかと。
「やっぱり心配です。ケガしたらどうしよう。もう一度靴持っていこうか」
園長から、それはやめておきなさいと引き止められた。
「あの人には私から話をしておくから、あんまり自分からは話しかけないでくれ。いいかい。約束だよ」「はい。」
モノリスは3日間だけあった。見上げていると、バスの運転手さんが「子供の夢のチカラは世界を動かすってことみたいだよ?」と笑顔で声をかけてきた。
「え。こんなものがたくさん立つ夢…?運転手さん、それはあくむじゃないのかい」
「あ…たしかに…」と心配そうな面持ちだった。
20年後、たしかに世界で大量発生している、という。幼稚園の先生方は特に男性中心で「あれは勝手に生えたんだ」と主張していたが、私は幼稚園児ながら「どうせ大人の冗談だ。付き合ってやろう」と割り切っていた。
「ぼくもね、勝手に生えたんだ」おもちゃ箱の近くで、シーツをかぶった男性が、楽しそうに体を揺すっていた。
タムラがそれを聞いて「ふぁ!?」と叫ぶ。
「いや、明らかおかしな光景混じってない?だれそのシーツの男って。誰?」
「それがよくわからないんだよ。だから不思議すぎてかえって語ろうと。ただ、光景として思い出されたから。」
でも、その人はモノリスが最初に出た日に、私達が帰ろうとしたとき、玄関先にやってきて、先生たちに「どうも」と丁寧に一礼してから入ってきた。
「そのときに先生方が違和感を覚えてなかったから、職員さんなのかと。」
私は玄関でその人を見上げていたし、彼がこちらのことをじっと見ていたのだけれど。
「ごめんなさい。私園長先生から、あんまり『自分からあなたに喋るな』と言われてしまったんです。」と小声で伝えたら、「そうか」と小さくつぶやくと、建物の中につかつかと歩いていった。
そこで園長先生が電話の子機に向かって、あんまり良くない様子でがなりたてている。
「たま300?たま300が重力波を検出しただって?」
「なあに、なんで俺達のところなんじゃないかって。は?」
「なーんでそんな長い装置がこの国に3つもあるんだい。へえ!?」
あとで園長に聞いてみたら、「天文台から電話が来ていた」とか。
宇宙の重力波を検出できないはずの装置がなんと凄く強い重力波を観測してしまった。それがあまりに持続的なものだから、おそらくは『地球上、それも相当近所で起こったんじゃあないか』と物理学者たちが場所を絞り込んだのだそうだ。
そうしたらだいたいその地点が、この市町村あたりになったのだ。
おそらく『そんな事が起こっていたら、影響規模が大きいはずだ』と、園長は何か見ているものはないかと聞かれていた。
ところで園長は天文台とどういう関わりだかわからないけれど、「そもそもそこまで仲が良くない家が連絡をよこしてきてびっくりしている」と言っていた。
「べつにロシアや中国や北朝鮮やアメリカが核実験を行ったところで、その装置には特別影響はしないか、計測しても無視するようにしていたそうだが…今回はそれらとは全くの別パターンで何かが起こってしまったそうだぞ。だからかえって別のことが起こったろうと。」
こないだテレビで重力波の計測装置について特集をしているのを見た。そうしたら「TAMA300」という装置が出てきて「これか!」と思い出した。2001年時点ではすでに稼働していた。
「これがKAGRAの原型となった装置で…改良を繰り返したが到底実際の観測に使えるものではなかった…」
「この装置だけでは重力波がどこから発生したかを特定することは難しく、世界の広範囲に散らせた装置3つを使えばその方角が…」
どうにもその会話からしてわかることには。
実はTAMA300、そもそも重力波の方向を計測するがために、2001年時点で多摩以外に他二箇所、日本の何処かに設置してあった様子なのだ。
園長はコードレス電話の子機を持った手をぶらぶらぶら下げながら、
「『いやあ、使い物にならなかった装置が使い物になった』って、あいつらおかしなぐらいおお喜びしていたぞ。一体なんなんだ。人がどんな思いしながら過ごしてるの横目にさあ。」
と園長はため息をついていた。ただ宇宙観察は割とダメでもともとのつもりで、日本国内に3箇所なんて事になっていたのかも知れない。
「まるでブラックホールが2つ融合して大きくなったみたいだって。それが今も持続して威力を放っているって。何を大げさな。」
そんな事起こってるわけないじゃないか。と園長は一蹴していた。
「園長先生、あのモノリスは天文台の人たちが立てたものなの?」と尋ねたら、
「いいや、ちがう。それは全然違うところだ」
ときっぱり否定された。園長はしばらく考えている様子だった。
「だがわざわざあんなものを『立てようと思った理由』は意外と同じだったりして」
「どういうこと?」
「重力波みたいなものが出たんだろ。たしか先生の記憶だと『あれは時空を歪ませる』という。だからもう何日も前から引き寄せられるものがあったんじゃないかな。」
園長は電話の子機をもう一度頬に近づけながら、私の肩を優しく掴んだ。
「まあ、過去と未来はつながってるってことよ。」
「ん、でもちょっとまって。頭の考えに関係あるって言うなら、もしかしてかもめ組の子たちが障害だったの…もしかして重力波にあたったせい?」
「そうだな。結局は人の頭は電気信号で動いている。」
園長は自分の刈り上げた頭に人差し指を当てた。私は本当にそうなんですか!と素直に驚いた。そこ電化製品と同じだったんだ!けれど園長は
「だけれど、電化製品ではできない電気信号が、生体には幾つもあってね。追いつくってことはまだないのさ」と言ってたっけ。
「狂った人がいなくなったら治っただなんて、まるで軽度の放射線被曝みたいだ」
と園長が言って、なんだか放射線って目に見えない悪いものと聞いたぞと感じながら、
「わたし、よく無事だったね」と答えた。
「うーむ。時空の歪みなんていう目には見えないし、歪むにしても決まった地点ばかりが歪みそうなものだからねえ、決まった子だけを狙い撃ちにしたみたいに飛んでいたんじゃないか。
だから他の子みんなにできることが、その子にはできないってことになる。誰もその事を理解してくれないとな。」
「だからフーちゃんはゆっくり大人になりなさい」
「え、園長。私はやくオトナになりたいよ。」「何のため」
「はやくお母さんをこの子育て生活から脱出させるの」これは私の口癖だった。
「ゆっくりでいいんだよ」
鏡の顔とビデオの顔がかけ離れすぎている
「アイドル」。それは私が人生史上、物凄く逃げていた事柄であった。それは実社会におけるアイドルの扱いと自分との扱いがかけ離れすぎていたから。反発するように別のものを目指すだろう。もちろん、実際にそっちの方面に進むわけじゃないのだから、その方針に間違いはないと考えている。
けれどもずっと親戚たちに引き止められているときに、話題が共通して「アイドル」にまつわることに偏りすぎていることにだんだん気づき始めた。
どうしてだろう。けれど、いちど自分の中でここに向き合っておかないと、周囲の人間のかまってちゃんを抑えようがない気がした。そうだな、一遍自意識過剰女子のやりそうなこと、やっとこ。
「やっとこ、やっとこ、やっとこ」ふふふふふーん
誰かが小声で歌ってるな。
前回の話を書いてから、物凄く久しぶりにPCを開いたんだった。気になってそこについているカメラに映り込んでいる自分を見てみた。
画面の上に映像が映し出されて、あら?と思った。なんだろ、一体何が違っただろう。明らかに前見たときより映りが良くなっている気がする。照明なんかは一つも使っていなかったし、PCの置き場は決まっているから条件はほとんど同じはず。
鏡やフリップ状態に映ってる人間なら迷わず自分だと思うのだけれど、毎回カメラだと全然違うように感じてしまうのが自分のデフォルト。
とくに鏡では曲がっていないはずの鼻が、写真に映ると毎回「どっか体を悪くしていそう」なぐらいひん曲がっている。輪郭も片方だけがおたふく風邪を起こしたみたいに腫れ上がったようにいびつだったりする。けれど現在それはなく、今は今で見慣れない顔をしている。
現実逃避がてら白髪が何処にあるかにもチェック。最近、自分の部屋を掃除をしていても頭を洗っていても、帽子の裏にも、たびたび長めの白髪が混じっている。しかし家の人も誰も私にそんなに白髪が生えてる様子を確認していない。
念の為映像で自分の頭も撮ってみる。これ、ビデオじゃないと案外分かりづらいよなと。試行錯誤しながら録画。それでもやはり、抜けている本数と生えている本数がやはり合わない気がした。スマホでやれよ、現代っ子なんだからと言われそう。
で、顔を見た。だれ。
理由を数秒考えた。というのも、『今は』割と意図した表情が出来るせいか、自分でイチバン映りが良い顔に意識すれば、ほどほどに持っていけるようになっているみたいなのだ。
前はそういうことが一切出来なかった。
つまりいきなり自分の顔をある程度意識どおりに動かせるようになった様子なのだ。自分の体にはなぜか動作感覚がなくて、見えてない部分はとくに動きの操作が出来てないから、顔がイメージからかけ離れていない様子は凄く大進歩のように思えた。
でも説明がつかない。これは無表情決め込んでいても、前見たくピカソの絵画か何かみたいに、顔のありったけ醜い部分だけ継ぎ合わせたようなゴツゴツした顔じゃなくて、今は割と球体っぽい代物なっているじゃないか。当たり前のことを何言ってるんだって話だが、私の容姿はちょっと常軌を逸していたから「すげえまずい」と言われていてそれにも納得していたのに。
状況を読むことに時間がかかった。そのうちようやく、自分の顔が周りのタイプに当てはめたら、どっちのタイプだかだんだん飲み込めてきた。
そしたら、画面に映った顔はテレビに出られるとか、そういうのとは全然部類が違うんだ(あれってウルトラ超絶老けてて見づらくても、出てくる見た目に種類があって、それに適合しているだけ感があるから。)けれど、『程々感じがいい』って意味で、割と見られる部類になってるんじゃないかと感じられるようになって、意外なことだった。
「可愛らしいんじゃねえの、こいつ」って。あ、そう断言できるのは、やはりカメラを通した自分は、あまりに見慣れてない顔だったから。『もしかしたら近所にいたけれど、その存在に気づかなかった他人』って感じがしていたせいだった。
この間はどうだったか。意識をしても全然意図していないところが引きつって、顔の端っこがいびつにゴリゴリ盛り上がったみたいになっていたはずだ。それがどうにも親父にとても似た顔になってみるなり、ひどくがっかりしていた。
私の顔は基本的に、『一瞬だけ親族でもない別の人の顔が混ざったみたいに造りが変わる』みたいなことを繰り返して、気持ちが悪い。それはカメラでも同じで自撮りした写真を家族に見せたとき「顔が違う!やばい〇〇ににてる!こっちは☓☓ににてる!」と怖がられるぐらいだ。
見てくれの悪さじゃなくて、そういった意図していない癖の問題で、あんまり不気味なのだ。「ああ、これは街一番のブサイクと言われてもしょうがないかも?」という雰囲気だけならあったのだ。なんとも表情の切り替わり方に不気味さを覚えてしまったのは確かだった。
どう感じが悪いかと言うと、これがヴィランにもなりきってないものだから、『真面目そうだが不気味な…ちょっと頭が足りない人?』みたいなもんで、正直キャラがつかめない。何故生きている?という感じが雰囲気からした。まあこんなものか…これは幸せにしたとしてもろくなことにならなさそうと、何かを諦めるしか無いような要素があったのだが。
このようにして何かを気をつけようにも治らなかったものが、何かのはずみで急速に治ってしまったみたいで、見たことがない顔になっていた。それにしても、『自分ってこういう表情している人だったんだ、へえ〜』と、鏡に映っているのとも全くの別人みたいな人に心の中で話しかけてみた。すると相手は二、三おどけたような顔をして、
「あのさ、どうして自分が、あの子達と一緒にいられなかったか、そろそろ考えてみてもいいころなんじゃないかな」
と囁いたような気がした。ふと微笑むように穏やかな様子は、まるで旧知の仲にそう告げられたような錯覚すら覚えてしまい、返答に困る。
いや、そんなのすぐに答えなんて出るわけ無いじゃん。
自分ってば、そもそもあの子達と言わず、他の人間たちともかけ離れてしまってる。そういう面が強かったんだ。だからそのまま「どうして他の人間と一緒にいられないの?」みたいな問に最終的にぶち当たる。
でももちろん彼女はそれもお見通しっぽい。答えを急かそうとして嫌な感じを出してこない。やば、こいつ図々しい。おめえの心配小せえからと感じよくドヤ顔決めてくるし。
「だって。同じ職業と言わずとも、彼らの近くにはいられてもおかしくはなかったはず。だって考えてみたら、あんなに御縁はあったでしょ」
てか、同じ職業じゃないほうがいいかもと、これは常に考えていた。カメラの中にいたその人は、「だって、私、ほどほど魅力的なんだもの」と言っていそうで驚いた。
「どうして。どうしてだろうね。だって今の今まで、だよ?はっきり言って、震災以降とか、すごい期間じゃん。」
にべもない。こいつの表情は、その上で割と本当のことを突きつけてくる。
お互いのことを本当によく知らないまま、時だけ流れていってる。それもやや険悪なのに、それでもまだ関わりだけは地味にあるみたいだ。
「ゆっくり考えてみて、いいんじゃないかな。きっと、びっくりするような収穫があるよ〜。」
そう、人の背中をそっと押すような笑顔を向けてくれる彼女は、何を見通しているだろうとワクワクした後に「いやちげえだろ自分と別キャラじゃん」と慌てて真面目くさった顔になる。
けれども、私は思い出したように、いつもの表情をしてみた。
「こうじゃないと不思議と相手が真剣に答えてくれない」傾向があるのだった。これは自分の身の回りの大人たちに始まり、そこの子供たちもそのうち、この表情をしておかないとまともに口を利いてくれない。この顔じゃないと、相手のほうが不機嫌そうにしたぐらいにして、笑顔になってくれないのだ。
癖だから、これといった感情を覚える前にまず、はっきり言ってサービスのつもりでこの表情を顔に出す。
だからその表情に、私はぎょっとした。その正体たるや、物凄いしかめっ面だったからだ。
『え…?こんな感じ悪い顔した人に、そんなに話しかける?』
と、正直言って自分で引いた。自分の顔なのに。逆になんでこんな感じ悪い人に笑顔で話しかけていくの?カメラの中では、『割と感じが良い顔』→『醜いぐらいのしかめ面』とを順番に繰り返して、まるでひとつの画面に違う人が交互に映り込んでいるみたいになった。
カメラを覗き込んだ瞬間のちょっと可愛いかんじした「がんばって〜」と自分でも応援してもらいたいと思えるタイプと、ややしばらくしてやって来る「いや今紛れもなく臭えのお前だから。うえ。気づいてなかったの」みたいな顔と。
いやいやいやいや、駄目だってこんなの。アウトだろ。
これを見てだ「いや、お前良い子だから」と言ってくれた自分の知り合いだったり、家族親類は何なんだろう。色々と何かがガラガラと崩壊していく。
通常こういうときって、笑顔で快活に「はい!」って言えるタイプが受けが良いと思うし、それが嘘じゃない人だと、なお気持ちが良いはずだ。けれども、私が『周囲を不快にさせない』と思っていた顔が、なんだかそれと対局にあるのだが。
何を聞いても不満げで「あ〜そう?その程度?」みたいに相手のことを見つめて。いかにもこんなの、物凄く不器用で、周りとコミュニケーションなんて取れてないように見えた。
「なんで周りから求められている顔貌が、後者の方なの?」と考えると、少しぎょっとしてしまった。これをもとにこれまでの生活を振り返ってみたら、私はまるでブサイクな顔をするように周囲から期待されていたみたいになっているのだ。逆に「なにこいつ、はあ?」みたいな顔をされるだけだったりした。
どうしておそらくはこっちの『割と綺麗で普通の顔』をしているときのほうが、物凄く皆当たりが強いんだ。江口さんとタムラだなんて、こうして無いと睨みつけたぐらいにして、とてもじゃないが怖くて会話にならないから、挨拶のようにこのしかめ面をさらさなくちゃいけなかった記憶がある。
だが、この変顔レベルの凄まじいしかめ面を見て、あんまり笑顔にならない人が少なくとも一人いた。うちの母だ。
たとえばそのしかめ面でうまくコミュニケーションが取れた日に、「いや別にお前は社会進出急がなくても…」とか、なんだかあんまり様子が思わしくなかった感じがあった。また母が「生きていてもいいことなんて無い」と言ってしまうときに、この表情の切り替わりをしていないだろうか。これまで前兆なく唐突に言い始める感じがあったから、結構どぎまぎする原因になっていたのだ。
そうして私は親父の前で、このいい表情から、コミュニケーションがなんとか取れる表情を繰り返してみた。すると親父とは穏便に話せたのだが、母は「あのさあ自分なんて長生きしてもいいことなんていないから」と話の折に語りはじめた。こういうとき、隣の家がガタガタうるさくなるのだが。
母はわかってしまっているのかも知れない。実は親戚たちが何と言おうと、それらの言うことに乗り気じゃない感じがあるのは、もしかしたら傍から見ていると全員が「そんな変な表情させないと話せない相手」にしか見えなくて信用ならなかったのかもしれなかった。いや、このカメラの様子を見ていたらそうだ。実像よりも悪い顔になってる。
たしかにそれをさせられている他人がいたら、私もそういう行動に出たかも知れない。やられてる人の周囲のことを信用してはならないと判断したかも。
けれども、あたり一面、そんなのしかいない。それが比較的、『世間一般では悪くない方』と言われている人と出た。
母は時折、「お前のことをただ可愛がってくれる人がいればよいのだけれど」と言うことが、幼少の頃より度々あったのだ。それについては周りのおばさんがたと、あんまり意見が変わらない。
だけれどそれは片や「そういう変な顔させないと話もしてくれないし、人権も与えないような人から遠ざかれ」としている母か、腹の中では「こんなやつ、とっととコロニーから追い出したい」とする他の人達勢力との違いだったんじゃないだろうか。
それは単純に「自分の子供を大事にしたい」っていう贔屓目なのかと思っていたけれど、ちょっと違うかもしれん。この様子じゃ本当に会話になっていないのだ。
たとえば私は小学校の時とか、周囲から男女構わず「見た目の酷さが他人を傷つけるレベルだよね」と、グループで寄り集まってる奴らから半笑いで言われることが、たびたびあるほうだった。これは月に一遍ぐらいは直接言われてきたたぐいの単純に暴言だ。
まさか「見た目で人を傷つける」というと、普通「顔が悪い人が周囲から一方的に傷つけられる」光景が思う浮かぶものだ。で、被害は一応見た目が悪い人だけでとどまるように思われるだろう?
しかし、カメラの中の私は「普通に見やすい人」→「凄まじく見辛い人」をあまりに頻繁に繰り返す。
私は自分の身に何が起こったかはすぐに判った。それが私の場合は父方の親戚が、「自分たちと似ていないと認めんぞ」ということばかり幼少の頃からしてきたせいか、私はそれらの最も醜い表情を真似るようにして彼らと会話していたのだと思う。しかしその父方の親戚ではない人たちですら、私にそれを求めてきて、いつしか常態化していた。
実際のところこれといって凄まじく醜い要素がなかろうと『表情の使い方のうち、どれが認められるかのせいで、その人の置かれている状況を周りの人間が読み取ってしまい、ひどく悲しみだしたりストレスになる』事態があって、そういう括りでは「ごく普通」「さほど問題なし」と言われる容姿をしている人にすら、見た目で他人を傷つける現象は当たり前に発生するもなのだと気がついた。
これは道化か見世物かにされ続けて、見ている人のうち誰かが、いたたまれなくなることに近い。けれどそれはやられた当人すら何とも思ってない程度のイジメでも発生する。自分自身では見えない顔のことだから。でも同じ表情をして私を避けるようになった子を何人も見てきたような気がした。
いったいそういう理由でどれぐらいの人が傷ついていたのかな。「ぼく」
ああ話ができなかったからわからないや。
私は何とも、その後の行動に窮してしまった。わからねえや、一番基本的なとこが。
笑顔を心がけていたら苛つかれるのだから「明るい表情を心がけて。そうしたら幸せが呼び込まれますんで、無条件でうまく行きます」と、よくこんぐらいオーバーに言われている通りに小手先でどうこうなるものではない。
自分、そんなにうまく行ってなかったか。すんでのところでトラブルだけ回避していたか。と考えてしまうと、これから上手くいく見込みが全然沸かなかった。
もう普段から何を考えながら生きていけばいいのか、どうしたら良いのだか分からないのだけれど、自分の行動と言うよりは、「誰と一緒にいるか」っていう方針をちょっと見直さなくちゃとか思わずにはいられなかった。
もともとがなにか芝居がかった様子にしないと、まともに会話もできなくなると感じてる節はあった。けれども、画面の中に自分を見るに、相手にとってほんの少しでも受け入れやすくするために、こんなに自分をぐにゃぐにゃと七変化させなくてはいけないものだったのか。
内面に反して見てくれに全然芯がない。これが自分の内面なら悲しい。「表情豊か」の方向を間違ってるような気がした。
「わたし、皆に期待されて、街一番のブス(みたいな表情の使い方)になってたの…?」
学校にいたときなんか「顔面凶器な容姿の悪さだ」とよく言われていたが、それって周囲から「どの時の顔が認められるかの問題」っていうのも、結構あるんじゃないだろうか。
皆にとっての私の扱い、一体なんなんだろう。日々やっていた工夫が、こうして見てみたらただの無理に見えていた。流石にカメラの中の人物には血の気が引いていた。なりたい自分になれないから怖いとか、理想とかけ離れていたんじゃなくて、『どうしてこういう種類の無理をしているんだ…?』と状況を置かれている状況を類推させちゃう、そんな人を見たら端的に怖かったのだ。
こまった。私、こういう種類の悩みを抱えている人を、実際に見たことがない。「笑顔でいたらあまりに相手に不機嫌になられたので、あえてひどい表情を演じていました」とか。
たとえばこれは、このぐらい変だろうと周りの環境に対応して、よりブサイクを極めていったほうがまだ自然なのだろうか。それとももう少し自然体でいても許されるようなところを追い求めるべきなのだろうか。でも、無理をしている。けれどもこれは、「私に美しいときなどありえない」と無理をし通して板についてしまうぐらいに極めきっていないから、なんかこう何故か物凄く見づらいことになっているのか。
それとも自分でも顔貌が安定しないなと感じるぐらいには、誰か今見ている人の真似でもしているのだろうか。たまに顔に傷が入ったかのように影が不規則に入るとき、何かゴツくアンバランスになる。これが誰だろうって感じ。どっかで見たことがあるような。
なお、自分は脅された割には幸いにも顔に大傷を負ったわけじゃないけれど、それにしてもニキビ跡とかかさぶたとか、つねにどこかに小さな傷跡があって、体調に関わらず昔から治りに2週から3ヶ月程度かかる。学校に通っていたときは、驚くほど顔の傷の治りが遅い人だと言われていた。その間、傷の周りだけ局所的にある程度見やすくなったり輪郭がはっきりしている気がする。突発的に居眠りなどをするとこの傷は治ることが多い。傷が治ってしまうとそこが見づらく、次に出来た傷の周りだけ見やすくなるから、自分はどっちにしろ非道い顔をしているとは言え、2週間単位で地味に顔が変わってる気がしている。
にしてもそこを除いたとしても、この表情のことについてはおかしい。これは己の内面に何か原因がある。
「落ちるところまで落ちていなからよ」とこっちを指さしてげたげた笑ったタムラのことを思いだす。
私、アイドルのスカウトに引っかかりたい方じゃない。これはいいことにならなさそうだったから。
けれどこれは一歩間違って、「今の環境は本来のあなたを活かしてくれません」なんてきっとそういう方面で甘い言葉をかけられたら、どこまでも騙されてしまいそうな状態なんじゃないの?いかにもそういう若者っぽくて、たとえば不倫の遊び相手みたいにされて、世間のだあれも味方になってくれないようなヤバイ感じの展開をうっすら予想して、なんとなくカメラを止めることにした。
普通こういうときに『結婚がどうの』とか、親戚たちは言いたがるんだろうな。けど、それ以前の問題だから、なんだか失敗をイメージしていた。
別人か、自分か?お前は誰だ。これがお別れが近いということですか。
それにしても気分が良くない。それにこんなのいっくら何でもおかしくない?と思って、もうどうでも良いコンテンツを見たかった。PC見ていても気分悪かったのを、一旦スマホに目をそらすように見ようとしたら、突然その電源が切れて、充電十分だったはずのものが0%になっていた。
求めているのは「心地の良い同調」
「ほうら遺言だからよ。そういうものにズブズブに縛られて、寿命を迎えればいい。お前の魂の格はどうせ低いんだから」
タムラは面白そうに高校当時こっちを指さして言っていた。彼らは身分階級が低いこと、社会での処遇がよくないことを「魂の格が低い」と表現し続けるのだ。インドのカーストさながらのやばい宗教観を持ち続けている様子で、顔を見るたびにそう言われ続けているし、周りの人間たちがやけに同調して、タムラのことが大嫌いになる。
「なんでそんなひどいこと言うの」
いや、言ってくれることは別に構わなかったんだ。こんなものに人生を費やしさえしなければ、かなり問題は低かったはずだ。
「だってえ、そうだって伝統で言われているからあ?」
伝統。ああなんだかもっとも人生をむだにしそうなひびきの言葉じゃないか。
「テッメエの人生、無駄に埋め尽くされて埋もれてしまえば良いんだ。あ?俺達がその上に立つだけってものよ」
これが、過去の発言が今更生じている自分の問題に当てはまってるように聞こえてきてしまい、恐ろしくなってきた。だから異常な馬力で突き進まなくちゃいけないみたくなってる。
ちなみに嫌われポイントかも知れないので明記しておくと、自分は歳の割にくっちゃくちゃのシワシワのたるたるになってると、おそらくは「魂の格が低い」と感じやすい傾向はあってだ。テレビに出ている人にも多くて珍しいことじゃないのに、見慣れてしまうことがない。なんだかへたに容姿が整ってないことよりもまずい!と、年齢聞くとお茶吹き出すレベルにまずい!と、それでも今現在もいかんいかんと必死になって止めているところさ。かといって別に若見えにそこまで敬意を払ったり神秘を感じられるような性格していないから、「なんか嫌な老け方」を割と嫌う様子なのだ。
だからこのときも若干『魂の格なんて、それはもうちょっと年齢行ってから判断してくんないかね』と思ってしまったのだけれど。
「なんか手伝ってくれない?」
「やだね、全部お前の個人的な問題だ。俺も江口も一切関さない。そういうのは全部一人で背負ってくもんだろがよ。たとえ死んでもな。」
私は納得行かなくて、タムラをしかめ面しく見つめていた。
「はん、何不満そうに。そういうの、先祖供養の親孝行っていうんだぜ。」
彼はそう言うとケタケタ笑っていた。先祖でもない人間の処理をなぜ自分が担うのか。
早くなんとかしなくちゃ!―
「ねえね、フーちゃんはさあ、他人と自分を比べるたびに、ずっと口を閉ざそうとするの?」
後ろからそっと風が吹いてくる。
この手のことを思い出したようなタイミングで、以来そのスマホは突如充電0%になることを何度も繰り返すようになった。ばっちーんと大きな音を立ててスマホが揺れるような時がある。
どれもこれも別に重要な場面じゃないから飛ばそうと思ってたのに。
同タイミングで母も具合を悪くして、倒れそうだと言ってみたりする。隣の家までぎゃあぎゃあ大騒ぎが始まるし。スマホそっちのけで人の介抱に行けば、スマホの周りと同じように知らない女の匂いが吹き出すように漂っていて、胸が悪くなる。これの繰り返し。
スマホは単純にいたんだのかもしれないけれど、困るんだ。文章のメモとか入っているから。
もどかしいのは、すべてをアナログ化は出来ない分量であるからだ。家に親父がいるみたいに身内に隠し事があるって、こういうところでとても弱くなるものだ。
かといって、なぜかバックアップが取りづらかったりする。とてもじゃないが処理に時間がおそすぎて、どうしようもないのだ。
やばい、一体何処を再生している。
「その調子で、せいぜい日銭を稼げれば、いいなあ?この縁起の悪いところにしか産まれられなかったバカモンがよう。そういうのも才能っていうんだぜ。俺らと違ってな」
でもタムラが私を見下している要素を抜きにしても。こういう言葉はいつものことだ。
だが、果たして本当に『この世の維持管理』って、「あの世の出来損なった人の遺言に従うことですら業務のうち」なのかしら。
でも、よく解っていないだけで、何らかの『縛り』は発生してると、現時点の様子からして言えるような気がした。
せんせい、どうして…?
すると寝入りばなに、その人が後ろから耳元にこう囁いた。
「俺と同じところまで落ちればいい」低い、男の声だった。お前かよ。
ああ悪い夢を見ている。ほんとうだったら、
「俺と同じところまで落ちればいい」
と憤慨するように言うのは、タムラと江口さんだったはずだ。私はよほどあの二人のことが苦手なのだろうか。
「ねえね、フーちゃんはさあ、他人と自分を見比べるたんびにさあ、ずーっと表現から逃げるの」
湿度の高い声が耳元に話しかけてきた。
「え、そうだけど。わるい?自分じゃ食っていけないうちなんだから」
すると相手はやや間を置いてから
「それが悪いことでも、いやだっ」
と語尾にハートでもついていそうな勢いで私の二の腕に手を置いた。
高音ボイス向けエフェクトレシピ[あくまで個人の判断です]
「もうっ、」と相手がぶりぶり何か話しているが、低く響きのある唸り声なせいか何を言っていたかは聞き取れなかった。
「ああ誰だったっけお前」
と言っては私は、相手の手を探ってがしっと握るんだから、たぶん知ってる人なんだ。
「言ってご覧よ。君の思う表現を」
その人に尋ねられて私が唐突に思い出していたことは、「どうして、そんなに音楽とか声とか苦手なのか」掃除のときに口論にさえならなければ、実は親戚に必死になって説明しようとしていたことだった。
思えば私は口論になることで、何か都合の悪い部分を語らなくて済むようにしていたかも知れない。
ここから自分が『何者か』に向かって必死になって語ったことは、嫌になったポイントの他に、筆者が勝手に編み出した、自分が音を不快じゃなく感じるために大雑把にわかっていた方法だった。
現時点での覚え書きも兼ねて記録しておこう。
「自分には、『耳管開放症』みたいな病気でもないんだけれど、耳が塞がったり、むくみがひどくなる音が有る気がする。」
私のうしろは「それでそれで?」と機嫌が良さそうになる。
「音楽を聞いていても、人の声や音階によって、『体の中の振動が乱されてしまう感覚がある』というか。耳の中に水が入ったような感じが、音を聞き始めた途中からやって来る時がある。」
「どんなときにおこるの」
「そうだな、それがあまりにも発生しやすいのがミュージカルで。
声優さんもね、古い人は割とそうでもないのだけれど、最近のは苦手で。単に演技が好みじゃないだけでなくて、なぜかまずい音が入ってるのに『これが商品として世に出されるのか』と嫌になってしまう時が有る。
次に発生しやすいのが、女子アナとボカロだ。音がぶつ切れっぽく話されると、なぜか言語として認識でなかったりする。そういう音も聞き続けていると、めまいの頻度が増えるんだよな。ニュースは聞きたいのだけれど、声が聞きづらいからこまる。」
私はあまりに聞きづらい音のスペクトラムを思い出していた。
「250Hzと500Hzと1000Hzとのあたりにクリップノイズが入ってるような、近くにいると『まるで家電製品の周りで感じるような耳鳴りがやって来る』ような人っているんだ。
30Hzも切ってほしいわ。あれねえ、人が怒る前の音。ヤバイ方の筋肉振動。
聞けばタムラのことばかり思い出すから、彼はしょっちゅうはなっていた。そのせいなのか知らないけれど、花江夏樹ですらギリアウトなことは多いから。
で、声に華があることよりも、その不快さを全部避けたせいなのか、軽くだみ声だったり、しゃがれ声になる人がいるんだと思う。声は好みじゃないけれど、きっとそっちのほうがまだまし。
だってよく聞いてみたら怒鳴るような声を聞いてると、その人が放っていた音階が数日間歌えなくなる。自分で自分の声がうまく聞き取れなくなるの。
それでね、なんか知らんけれど、四六時中その嫌な話し方をする感じの人が、なぜか女性声優には多くてな。」
じゃ、そういう人の声を聞かないように気をつければいいじゃんという話なのだが、そうも言ってられないことがあった。
なんと言うか、うちの泥棒ざるの語り口が、奥さん役の仕事に引っ張られてしまう感じがする。だから最近『嫌いな声』にどんどん小野賢章が入っていってるのが気になった。あの人は私の中では『どうしようもなく普通の声』のはずだったのになあと。タムラからは「それをイケボっていうんだよ」と言われて、いまだに反感を覚えている。
ただやはり近親者という設定になってるせいか、周囲が求めたり加工されてくる音色が、奥さんの演技に引っ張られてしまってる感があるか。おそらくそのせいで直接当人が悪いとは限らないのに、小野の奥さん役のことを『軽く迷惑だ』と感じてしまう面はたしかに生じていた。
のっぺりと平坦すぎてつまらなくなるのだ。「誰だかわからん風になるし、ヘタクソに聞こえるからよせばいいのに、どうした?」と親戚たちも首を傾げていた。
あの夫婦の最大の違いとして、それは「文章を読むときの緩急の付け方」にあるのだろうなと、ざっとテレビで聞いたときに感じていた。
バラエティのナレーションを聞いている限り、奥さん役の声の出し方が、「小さな音節の後ろの方になると音を釣り上げてくるような変な音の出し方」をしてる。
童謡『赤とんぼ』の『ゆうやーけこやけいの』とイントネーションをガン無視で音階を上げるのを無数に繰り返すと言えばよいか。
いわば不安になるようなニュアンスを表現するためだけにむりくり通した「童謡作曲上の禁じ手」とも言うべきような手段なのだと以前、童謡分析の本で読んだような気がする。だから曲が出された当初は、その部分があんまり評判がよくなかったのだって。
たしかに本来駄目だよね。一体何について語ってるのかわからなくなる。だって『小やけの』が『ボルケーノ』みたいになったら災害レベルの違いでしょ。
でも一応これは、高い声が元々出せない人に無理やり出させるときによく取られる手法だと、中学のときに音楽の先生から聞いていた気がする。普段の言語の発音に引っ張られて、特定の音階が出せない人が大勢いる。それを取っ払う技法だ。
ただ、それを本番の仕事で延々と繰り返している説を、親戚たちにそう自分なりに筋道を立てて、見立てを説明したら、
「いいやあ、お仕事大変だねえ」と好意的には受け取ってもらえたものの、
「ああ〜、なるほどホントは低めのだみ声の人だ」と変な納得をして、まるっきり信じ込んでしまうんだ、これが。いやどぎまぎした。
彼女は四六時中ってわけじゃないけれど、それで一本調子で番組一本を通してくるときもあるのな。
つまりはその禁じ手を、各音節の中で常用し続けているような。それでも人気があるって聞いたから、これがとても好まれてるってことだよな。
ちょっと自分でも何重箱の隅をつつくことしてるだろうと思うけれど、自分の中でそこが良いとされる理由がわからない。それでも赤とんぼがいつしか『これでなくちゃ』となったみたいに、彼女の声もそうなってくれるのかなあ…。
状況を見るに、一応彼女の場合、それをクライアントの注文通りに『意図的に』出せているから、『うまい』という扱いなのかなあと、頭がきゅうきゅう唸るほど考えたことがある。
まあいちおう、考えたことをまとめてみるとだ。
合唱コンで頑張っても出しづらい高音を出すコツ。「スワンを取る」と「カケスになる」の違い
で、後日どうして彼女が「こやけいの」を繰り返さないといけないのかよく考えてみた。
それで音が変わるところがどうやったら彼女と似たような荒さになるのかよく考えてみたら、だいたいこんな事を思い出した。
たとえば学校で習った合唱の基本、「上から糸で釣り上げられるように」歌えば、自分でも澄んだ声はだいたい出せる。ありきたりなクワイヤ。これである程度の音程は出せるし、音程は出せたけれど音は汚えなと思えるときには、まずここが出来なかったりする。
でも自分にとってのこの『ある程度』というのが、わかりやすく例えるなら、『オペラ座の怪人』の会話のデュエット部分ぐらいまで。それで「Sing!」以降は最初の2音ぐらいしか出ない。これを全力で出来ていても、顎をあげてもそれ以上は出ない。
たしかこれは高校でも一度、タムラたちに頼まれて、どこまで歌えるかと聞かれて高音部が出ないのを軽く謝ったことがある。そうしたら相手が「そんだけ歌えたら十分だって」と困った顔したっけか。自分としては音を合わせただけで、ツヤとか優美さとかがない歌のどこが良かったんだかわからない。
とりあえず怒られなくてホッとしたけれど、相手が求めてるものに応えられないと「こいつの場合キレる」と警戒していた。
さらにその歌い方だと、学校で歌わされる合唱曲の、急な音程の変更にも対応しきれないんだ。一体なんだろうと思うだろう。
そこで私達は幼稚園と小学校の低学年のときだけ習わされた指導をふと思いだした。
「両手を翼のように広げて。あなた達ならそれで綺麗な音が出せるわ」と。
そのときに出された指導をよくよく思い出してみたら、それを行っていた先生は、三本締めの「お手を拝借」をするようなその手を、肩を開いて、翼のように見せていた。私は手のひらを上にしていたが、他の子たちは『翼』と聞いただけで、手のひらを下に向けて指先をブラブラさせながら、カラスのように上に下に動かしてうるさく騒ぐだけだった。
だいたい誰もが「羽を広げて」と言うとそう捉えてしまうようだ。
「はい、そうやってオテテを下に向けて騒ぐのをねえ『カケスになる』と言うんですよ。
そうでなく、はい両手を上にして…」
そうして程よく曲がったひじや肩が、まるで人間が大きく翼を広げているかのように見えてくるんだから、不思議である。
「はーい。あんまり大白鳥みたいになれない人はねえ、『羽の代わりに蛆はえる』よ」
そんな過激なことを言っていたのは、幼稚園のときにいた確か年配の、もうおばあちゃんでも不思議がない感じの女性だったか。
「はーい、ここでみんなが歌いやすいところで翼を止めてみましょう」
皆が声を出して翼のような姿勢は守りながら、各々前後左右上下に動かしてみる。
「さあ、これやってるとね、明日筋肉痛になるかもしれないけれど、そのときには『お金になるのはスワンじゃなくて、カケスの方』と唱えるんですよ」
「筋肉痛ってなあに?」「普段やらない運動をすると筋肉が痛くなるんだよ」
という会話から、はじめて筋肉痛というものを覚えた。
そうして皆で今度は声も出しながら「ここだあ!」というところを見つけていった。
ところがここで先生の中に「ゴリバキブキょ」と明らかに鳴ってはいけない音を鳴らしてる人がいた。一瞬にして注目がその人に集まる。みんな黙った。明らかイッたろそれ。
「あれ、もどらない」
「なーんですかあ!」
とおばあちゃん先生がその人のところに駆け寄る。その先生の肩は怪我をするような角度曲げていたとは思えなかったのだけれど、他の先生たちで手伝っても元に戻せなかったのは本当で、後で私達園児が帰った後、病院に連れて行っていたはずだ。なんと脱臼していたそうで、病院で無理やり戻されていた。
その先生は「なんで加減しなかったの」と、お医者さんからも年配の先生からも怒られた。まああくまで「お前が脱臼したの他の人の責任じゃないからな」と念押しするためだったのだろう。
その脱臼した箇所、後からどうなったかって?いいや。彼女はほどなくして発狂し、かもめ組で首を伸ばした。『せんせい』だったんだよ。
さっきまでそんなことは忘れていた。そっか!あまりのショックだったせいで、こんな大事なことを忘れていた。
つまりは、ある程度は糸のように釣り上げられて歌うし、喉を筒に例えて後側を割り箸でぐっと抑える感覚も使いながらそれでも駄目な場合、
「さあさ、『大人になったら翼が取れる』なんていう、悪い大人がいますがね、この翼だけは絶対に取れないのですよ。
もしもこの翼に気づかなくて、もぎ取ってやるなんて言う不届き者がいたら、『お金になるのはスワンじゃなくて、カケスの方』って小さく唱えるだけでいいからね。『カケスだからクッサイのよ』と。」
と言われながら、サビの一番大変な発声の部分で「なんかこれに近い姿勢を取れ」という指導が入っていたよな。
爆発君は腕をくねくねと震わせて、妙ちきりんな振り付けで「俺これでも歌えるねー」と言ってた。たしかに歌えていた。
私はきっとどこで最初にその指導を聞いたかは忘れていた。けれど、小学校でも2年生の時まで年配のおばあちゃん先生が教えてくれたから、やり方だけはちゃんと覚えていた。それで、中学高校とやってた気がする。
ところがこんなに両腕を平げて歌い出すわけにはいかないこともあるだろう。とくに中学になってブレザーになったら、これに近い姿勢を取ろうにも布が邪魔をして、思いっきり息を吸い込むことだけでは音の変化に対応しきれなかった。
困ったことに私がそこのパートの担当だし、みんなが音をサボる中一人歌わなくてはいけない。そこで私は歌の中の「ここ一番」というところの音を、その羽の姿勢でどこが歌いやすいか試してみた。これはちょっと曲によって違う。
なぜ翼のような姿を取るかも、だんだんわかってきた。両肩はなるべく横に引っ張るみたいにしないと息が精一杯しづらくなる。
なおかつ『肩で息をする』という現象を防ごうと思ったら、横に引っ張るようにして抑えつけると良いのだと。そうしたら腹式呼吸に切り換えやすい。
私はこのやり方を、「スワンを取る」と呼んでいた。
その時の肩関節の角度をよく覚えて、歌の中で音がきつそうなところが出てきたら、肩関節単体をその角度に近づけるようにすると、いきなりオクターブぐらいキーが変わるときに音が割れずに、なおかつ回数繰り返しても疲れず、ブレス記号をろくに守らなくても長く歌えるようになったことがある。
腹式呼吸をして腹に力を入れすぎると、ときどき後頭部から首筋にかけて突っ張り痛くなる症状が出る人もいたけれど、この方法を使うと防がれるようだった。無理をしなくても十分な声量が出る。
これが正しい発声方法かはわからないけれど、学校の合唱に一瞬使うぐらいならこれでオッケーなんじゃないかって。
「なぜ肩関節だけか」って?それは全身で肩を広げようとすると、大概の人が普段の筋肉の癖が出ちゃって肺を圧迫しだすから。それにビチビチの衣装の中ではなおさら関節しか動かせない。
その当時は学校の歌程度だったけれど、現在の私は鏡の前でそれをやってみた。そのうえで声を出してみたら、まぐれ当りのように『オペラ座の怪人』の一番高い音が出せた。まぐれだから全然安定しないけれど。
その肩の角度次第では意図していないぐらい高い音が出せるから、つまり我々は最終的に「肩で歌ってる」わけだ。そうしてこれを繰り返してみて、一つの発見があった。
この肩のひっぱりを再現してみたら、ある方向に動かすときにだけ物凄く痛くなる箇所がある。それは私が「肩が」と言って、痛みに耐えていると、よく家がバラけるんじゃないかと思えるようなラップ音が鳴って痛みが静まる箇所だった。
だいたいそこに向かって動かすと、音が取れるようになったのだけれど。そこにいくまで2分ぐらい、何十人もの力で押し戻されてるみたいでしばらく大変だった。そこを『耐病総太り大根』と唱えながら、ゆっくりと痛みを取って、息だけが楽になるところに落とし込んでいく。
さらに繰り返すけれど、後から筋肉痛がやってきたら
「『お金になるのはスワンじゃなくて、カケスの方。カケスだからクッサイのよ』」
と唱えていく。靭帯を傷めない程度にやさしく無理せずやってね。
それから音とともに筋肉の緊張が、背骨の一点に集まっている時がある。胃の上、心臓より少し低いところ、よく探ってみたらそこは、うちの母さんがいつも「そこの一点だけが痛くなる」と言っていたうえに、よく『粉瘤じゃないか』とみられる真っ黒い角栓がたまるところだ。そこが痛くなるときに、肩もいたがるわ物凄い吐き気や頭痛も訴えているわで、歯を食いしばって悶えるぐらい具合を悪くしている。その近辺を押したりもんだり、角栓を無理やり押し出したりすると、凄い症状が一時的に治まる。そこから30分から2時間ぐらい寝ると、異常な疲労感が抜けて普通の日常を送れるようになる。
だが、このトラブルがしょっちゅう週に2〜3回ぐらいの頻度でやってきて、私はほとんどその世話のために手伝いをしている。だがそこで真剣に応対をしないと、母はある程度改善することも多いのだけれど、今度は私がそれと同じ症状になるから、絶対に気が抜けないことなのだ。
「そうだ、ここの背中に痛くなる部分があるでしょう。そこをよく覚えておいてくださいね。」
ああ、幼稚園のばあちゃん先生、なにか言ってたな。
「実はこの呼吸ね、痔が治ります。」
というのも、痔の予防法に「背中に意識を集中させる」方法がある。ちょうどその背中の痛くなる位置というのが、トイレでいきむときに力を入れるとおしりに無理がかからなくなる部位だそうで。やはりその場にいた「最近おしりがきれているんだ」といってた子供がすぐさま熱心に覚えていた。
逆に言うなら腹から声を出すときに「大をするのと同じ意識で」という指導もあるのだし、だからこそできる発声もあるんだろうけれど、それはまた別の病気を誘発するのでは?と
このとき私は何か変な匂いを嗅いだ。何臭いかと言ったら、生臭い。カケス、カケス…おばあちゃん先生、なんて言ってたか。
「あんたね、フノスさん。カケス女はまた臭いのさ。こういう声は臭い女ほどよく求めるから。『きっちり洗いなさい。だからモテないんだよ』ときっちり言うこと。
あと、この技は、たとえ相手が頼んでいなかろうと必要そうな人を見かけたら、惜しみなく伝えなさい。放っておくと変に『他人の翼を盗んでやろう』と勘違いをするやつがいる。」
それさえ他人から奪い取れば、自分は完璧になれるだろうと。
だがご覧の通り、声に関する翼とは、手のひらを上にしていっぱいに広げた腕や肩甲骨やその周りのことを言う。そこを分からせないといけない。
「あとねカケスみたいに声を出していたら耳を悪くする人が多い。」
「ええ?喉を悪くするんじゃなくて?」
「喉よりも先に耳に来ます。喉自体は持ち前の丈夫さで40まで大丈夫だったとしても、アブミ骨を異常に振動せさせてしまうから30前にガタが来はじめます。実はお金になるからって苦しいかも知れない。
いいえ。他の技も。あなたは頼んでなくても教えるようにしなさいな。耳におしりに首、ケガ防止になりますから。周りをできるだけ強くするんですよ…」
といいつつ、その直後にごりばきょぶきってせんせいの肩が脱臼したから、ばあちゃん…ケガ防止になるかどうかよくわからなかったよ。
あのおばあちゃん、もう亡くなってるだろうな。パリッとした人だったけれど、園長よりも相当な歳だったし。
はたと、当たり前のことが気になった。
そういえば中学の時、この「『スワンを取る』という姿勢を自分なりに思いついた」と錯覚しながら、幼稚園のばあちゃん先生が言ったとおり、おせっかいにも周りの子らに勧めたら、歌が下手な子でも音は合うのに「胃と心臓が飛び出そう」と言われて不評だったな。
そういえば、原因不明の苦情も寄せられていた。
「夜中に枕元におっさんが立って『お前のスワン取らせろ』とか『勝手に他人のスワンを取るなよ』と物騒なことを囁いてくるんだよ。もうこわくてこわくて…」
たしかこれについて「なにそれ下ネタ?」と、至って真面目な推察のように言われていたか。だけれど女子に向かってそれを言ってるわけだから違うとすぐに分かるわけだ。
「それがねえ『なんだかよくわかんかんないけれど、嫌だ!』と相手に叫んで、自分の腕を見るじゃん。そうしたらね、『腕のあちこちから蛆が湧いている』の」
その当時私は「腕から蛆がわく」の意味がさっぱりわからなかったわけだけれど、今になってよくよく思い出してみたら、幼稚園の先生がそうだと言っていた。あれは『そうなる夢を見る』という話だったのか。
それを聞いて、クラスの男子が違うことを話しだした。
「ああ、それどこの話?だって俺も見たよ。そこいらの民家の庭先から『スワン獲ったり〜!』って叫びながら飛び出てくる、猟銃持ったおっさん。まさかそいつ?」
どうにも、彼女らと付近で出現している不審者の容姿はほどほど一致しており、
後日、本当に『猟銃を所持した男性が、ハクチョウの首根っこを掴んで住宅街を走り回る』という目撃例が相次ぎ、一斉下校になる。
警察も出動していたはずが、その顛末はしばらくして、先生から知らされた。
警察に職務質問を受けた不審者が
「これは付近の鶏小屋から盗んできたオオハクチョウだ」と答えたのだという。
「なんで鶏小屋にオオハクチョウがいるんだ!」「だっていたから」
「何のために盗んだ」「たべるため。だってそのために小屋に飼ってるんでしょ」
「どっちにしろお前がやったことは窃盗だ」
「じゃあ、その銃は」
男は警察官の顔を見るなり、ため息をついて
「おもちゃです。え?冗談も通じないの」
警察官たちはそう言われたとおりによく見たら、猟銃も白鳥もたしかにただの模型だった。
そのせいで先生たちが「悪質ないたずらですね。」と言っていた。
「あれっ、男は逮捕されたんですか?」とたしか私は尋ねていたと思う。
「悪質ないたずらですね」先生はただそう繰り返していた。
『終始上から目線でイライラする男だった』と、あとからその警察署に親戚が勤めているという生徒が語っていた。あんなに家宅侵入とかが疑わしいくせに、
「逮捕はされなかった。できなかったんだよ」と言ってたか。
侵入罪に問えないのは、そんなに同時刻に何軒もに出られる犯人はいません!とのことだそうだ。
その後である。音楽の先生たちが「こやけいの」を何度か歌わせて、ソプラノキーの音程を出させるような指導を入れたのは。私は「独りだけ趣向が違って浮いてるから」とかえって、手を下向きにして羽をばたつかせたようなカケスのポーズで、「はい、それで歌って」と言われて大変だった覚えが有る。地声っぽく歌えと。
かなり変な話を思い出した。吐き気に関係している背中の一点に話を戻す。とにかく驚いたのは、その背中の一点の痛みが、肩の角度に関係していたことだった。
なぜそこを悪くするのか皆目見当がつかなかったが、これでわかったことは「そこは普段は意識していなかっただけで、発声の上で物凄く大事な部位である」こと。
「かあさーん、ここ多分仕事でもないのにぶりっこ声出そうとしてる人らへんが来てるんじゃないかな?」
「はあ?私そういう声出そうとしていなけれど?」
と母は冗談かました。
それで逆に、肩を内側に巻いたまま、やや低くて地声で出せそうな音階で、いきなりオクターブを変えてみた。そうしたら彼女と同じようなかすれ方になった…!気がした。
まあ正確なことは何とも言えない。個人的にはそう感じた。記録こそ取らなかったけれど、自分で自分の声を聞いてそう判断したのさ。
開いた肺でファルセットを作ってから無理やり肩だけ閉じてしまえば、きっと彼女と声は違っていたとしても、かすれ方はとても似せられる。
だったらどんな筋肉の癖が出たかと考えたら、原稿を読み上げるときのブースの姿勢のままでもそうなるだろうし、あとは「スマホ」ではないか?と考えた。
この姿勢のまま無理に音を出そうとしたら、それはもうこれじゃあ『叫ぶか、小声でささやくか』のどっちか極端なもの以外できないことは、だいたい見当がついた。本当に力押しの声の出し方になってしまう。それは自分で叫んでみてわかった。
逆に言うなら自分のように筋力なんてなくても、やはりスワンさえ取れていたら割と高い声は出せる。安定性はともかく。
つまり、なぜ彼女が「こやけいの」を乱発するナレーションになってしまうのか、その理由について。
私の予想だと、彼女は『声の出し方、呼吸の仕方、全身の筋力』なんていうよくいわれている基本や、鼻抜けとかいう小手先がだめというより、「歌うにしては肩関節がめちゃんこ硬い」ことが、苦手な主な理由なのではないかと考えた。まるで野球のような指導法だが、ちょっと違う。肩関節単体を後ろに引っ張れるほど柔らかいかという話なのだ。
それができなくて発声のコンディションを悪くしているからではないかと。
とはいえ、こんな自分でも知ってること、向こうが判ってないはずがない。自分が言ってることも受け売りだから。
それにしても、「惜しみなく教えろ」って、どういうことだろう。おばあさんからはまるで古い家か何かがものの作法を教えるような、格の違いを見せてやれとでも言うかのような、威張るではないが余裕と言うか、何かとても上から目線な雰囲気があった。
にしてもあっぶないやりかただったな。だからオカルトとしか言いようがない。
もちろん、「私の家が古い」ということはないのだ。古い家っぽそうだったのは「かもいんの園長」と爆発くんあたり。
だから理由がわからない。私はあの幼稚園で、一体何を仕込まれたものだろう。
―肩を戻せなくなった『せんせい』をおいて「もうっ、これは病院予約しなくちゃあ!」とおばあちゃん先生が、2階の職員室に行こうとしていたのか、教室を駆け出していく。尻をついて膝を曲げる、普通の体育座りが、服に長い突っ張り棒でも入れた罰ゲームに見えた。どういうことだろうと近くによって、状況を見ようとあちこちを見ていた。
担任の先生がタウンページをめくって、隣のクラスの担任の先生が新聞の病院を見ていた。子供がその先生に「当番病院でも探しているの」と聞いた。「いや、違う…」とその人が答えた。
気がつくと私は『せんせい』に服の袖を掴まれている。先生は鎖骨を内側に折り曲げるみたいにむりやり腕をこちらに向けていた。
「あのね、フノスちゃん」「うん。せんせい、どしたの」
どっか痛いと言われるもんかと思っていた。
「あのね昨日、変なことが起こったの。うんちのときにね、私、凄く長いソーセージあるでしょ。つながってるやつ」
「うん。あるね」
「幼稚園のね2階のトイレでね、あれが出たの。あのね、フノスちゃん、わたしびっくりしたの。ねえ、びっくりしたの。これからどうなっちゃうのって」
先生は涙目だったな。怪我でびっくりしてたのか、子供っぽく辿々しい語り口だったか。
「ねえフノスちゃん、どうなっちゃうのわたし。わたし、しにたくないよ、まだしにたくないよ、しぬのこわいよ」
程なくしておばあちゃん先生が戻ってきて、私はようやく開放された。
私は思い出していて、寒くなった。なんだ、なんだこの記憶。
いや、これは忘れるわ。紛れもなくトラウマだ。普通思い出したくない。おかしいぞ。
そうだ、そのぐらい普通の光景だったはずだったんだ。スワンなんて。
まさか、これを逆算させるために、「こやけいの」を連発するような極端な話し方をしてたとか、いう?
それにしても、高い声の人が喉の負担を減らそうと思ったら、まあ、一瞬ぐらいならやってみても良いんじゃない。
「さあみなさん、全部をまとめて『羽の呼吸』と言います。
1.まずは頭のてっぺんを糸で釣り上げられたみたいにイメージする
2.喉を一本の筒にたとえ、割り箸で奥に引っ張るように意識する
3.腕を『お手を拝借』のように上げ、手のひらは上に向けたまま息が吸いやすいところを探して上下左右にずらす。その角度を覚え、息が大変な節が近づいてきたら肩関節の角度をそれに近づけていく
4.痛いときには『金になるのはカケスの方』と心の中で唱えるか、声に出す
5.大きな大聖堂の一番うしろの壁にはりついたホコリを揺らせ」
だんだん震えが腕にやってきた当たりで、場面を寝入りばなに戻すか。
「そういうことだよ。もっと言ってくれよ、悪口。」
ここまで来てようやくわかった。だんだん苦手の理由が、ちょっと普通と違うみたいなのだ。
変な拒絶感が有ると思ったら、実際には幼少期のトラウマに、地味に抵触していたってことに。
「だからおもしろいだろ」と後ろの何かがささやく。
緩急の付け方と、音圧
とりあえず奥さん、この人の声はサイレンかブザーみたいだから、必要に応じて音圧を稼ぎたいならリミッターでまんべんなく粒を揃えるって感じな気がする。逆に聞こえない部分があると汚かったり壊れて聞こえるのが、ブザーの性質だし、だいたい発した音の隅から隅まで聞かせれば、綺麗に仕上がるって感じだろう。
それに比べて、普通の役者さんってテンションの配分をもっと気にしてるだろうなと。文章3つから6つぐらいで話の切れ間がわかりやすいように語ってくれる。
で、私はそれがヘタクソだと学校の先生に朗読のときに注意されて、ぜんぜん治せなかったところだ。むっずかしいよな。本気でやろうとすると自分の場合は肺が保たない。息切れする。思考回路が回らなくなって褒められたところで居心地が悪くなってしまう。
そこのところ、小野はもともと普通に出来てたから、ひどく当たり障りがなくてどこが良いんだかわからないけれど、とりあえず役者なわけだ。それをナレーションに活かせればいいのにな。
なのに、「ああこれ失敗だ」と感じるやつが、聞いているとそれをコンプレッサー全部でぶっ潰した上に、ハイ上がりに仕上げた感がある。
で、最近予想が立った対処法なのだけれど、仮に音圧を稼ぎたいならサチュレーターをかけて音に芯と倍音をもたせて強弱は潰さず、なおかつリバーブが大きく歪んだ周波数だけ大雑把にカットしたほうが、たぶん自然に仕上がるんじゃないか。
倍音は恐ろしいもので、これ次第では『ヒイヒイ唸って音外した』とか、『余裕なく歌ってる感』が相当抑えられることがある。また声楽の歌唱の人たちって、あれは力任せに声を大きくしてるんじゃなくて『倍音を増やす』ことで、マイクが割れるほどの音量を稼ぐものなんだ。
それから歪みをノイズ認定して除去するではなく、ただフィルターで雑くカットするのは、純粋に倍音だけを増やせばよいのではなくて、人間の耳にはたまに『倍音が複雑なくせに完全に歪んでない音こそ、かえって聞きづらい』という謎の現象もあるため。
ピアノとかやってると分かるかも知れないけれど、
大小に緩急のある不協和音は、たまにシャレオツに仕上がるのに、べったり全部の音を一斉に出した和音は、音の取り合わせだけは不協和音をついていなかったとしても、それっぽく聞こえるような。
あるいは弦楽器の和音は、弾いてない他のワイヤも地味に共振しているから聞きやすいのであって、それをまったくなくしてしまうと聞けたもんじゃない。りんごは蜜の部分だけを切り出して食してもさほど美味しくないように、全体のバランスで食べてる。
機械で出したサイン波なんて、ずっと同じ音を聞いていたら頭痛くなってくるじゃん。さらにそれで和音を自然な減衰もなく4秒以上鳴らされたら、もうボエボエと音が混ざって目の前にだんだん真っ暗穴が開くような感じがするし。ホラーでしょ。なおかつ言われてる音階よりなぜか低く聞こえるんだ。わあ、この頭痛の先に貞子でもお出ましになるんじゃないかって。
それでも常に音階変化をもたせれば、音の切り替わりが柔らかくて、オルガンが可愛く鳴ってるように聞こえて味になるんだけれどさあ。
だんだんと不自然な怖さを増してくる管楽器と、何かが不穏な弦楽器と。原理が全然違う。
彼らはその逆。だから小野だけと言わず、それみたいな声は、エレキギターが真面目なロックバンドとコミックバンドの両方で使われてるように、うまく行ったところで
『親しみを持てないぐらいカッコよく仕上がるか、バカみたくダサく仕上がるか』
のどっちか両極端なんだと。それで仕事が安定してなくて基本苦手なんだとタムラには言ったな。
なおかつ「ほう」とつぶやくときにボヨンと歪んだ感じは、他にないぐらい初っ端から不穏な雰囲気があるし。
「音階はバチを使うような打突がある弦楽器で覚えたかなってぐらい、普段の話し方にも癖がある気がする。きらびやかでいて不気味で。最初の発声がでかくて後が揺らぐ。」
それを聞いたときにタムラは「わかってるじゃないか」と変な喜び方をした。
「なんか似た声の人は大勢いるのに、あれだけ特に変でさ。
もう、あんまり良くない意味で全身の毛が逆立つっつうの?何らかの武器を携帯して横を通りたくなるぐらい、何かこう…血が騒ぐっつうの?」
「アハハ、あいつにそこまでの不気味さは感じないが、その嫌がり方は『先祖に因縁あり』ってところだな。俺も別のやつにやるが、覚えあるぜっ。」
「なんだよそれ」
「どうせ先祖がナンパされて大喧嘩でもこいたんじゃねえの。その当たり俺は知らんけれどさ。
だって持ってる武器のフォルムが微妙だろ。短いし。ただの護身具って感じ。それはたぶん、殺し合う仲じゃない」
よくそれでタムラ、私が小野のファンだと勘違いし続けたよな。
どっちにしろ「ほとんど役者の技量でなんざ聞いてない」みたいじゃないか。事実だけれど。だって自分の耳が、人の声だろうとただの音としてしか聞いてないせいもあるし。
知識は後付だけれど、この感想は前からあったわけで。
どっちかっつうと、たびたび強制的に聞かされたら割と気持ち悪いことが多かっただけなんだが。
私はそっちのエンジニアに知り合いとかいないからわからないけれど、私の予想では『サチュレーションと歪み大雑把カット』の技法、きっとすごく初歩的なんだとおもう。
学校の課外学習で演劇とかを聞いたけれど、歌をうたうときだけ人の声のところだけ、よく不思議な響きみたいなのが低音部に混じったり、マイクが変わる感じがしたり、キーンって変な電圧みたいな音がする時があるから。
後から調べてみたらサチュレーションかな?と感じられるようなものだったわけで、「もしかして、そのエフェクトがけはさほど珍しくないんじゃないか」と。詳しい人がいたら、その人に聞けばいい。
この人は芸風と声質からして、きっと合う加工が楽器らへんと似ていそうだ。歪みのつけかた次第で表現の幅が大きく広がっていくんだとしたら、そのあたりめんどい。
そう、寝入りばなの自己満解説が勝手にしゃべりだす。
ところがそれに気づいたとき、寝ているはずなのに自分の足元が巨大な水風船を踏んだような感触がした。
『癒やし系』というのが評価されてしまうのは厄介なもので。『頭の良さを出してしまう女には癒やされない』という、アホのやらかす都合があるわけだ。
それで声がギラついただけの平坦でのっぺりとした敵意のなさそうな音を好む。私も学校で度々「耳元に囁やけ」と言われて、困った部類のやつだ。おい頼んだんだからやれよと、渋るとすぐ悪口につながるし、相手もしつこいから。
私は「中途半端あ!」とどやしつけてくる相手が一体何を求めているのだか嫌がらせ以外の意味が分からなかったが、つまりはその究極形態が、技法面では「こやけいの」の常用だったわけだ。(変な震え)
だが男にその癒やしは求められているのか。男が人を癒やすときは、きっと求められるものは「説得力と、まるでドライブで新しい景色を見せてくれるような視野の裾野を広げてくれる新発見」みたいなものなんだよ。男が声色だけ優しそうなのは、かえってどっか嘘くさそうなのは石田明が証明済みだろ。
もしも嘘だったとしても、なんだかいい景色を見せてくれそう。逆にそれ以外に安心材料が見当たらない気がして、それはそれで不自由じゃないか。
でも、この中で最もうまく行っていないのが自分だとすれば、日本で大人しい風に声が高くて問題になるのは、『のっぺりギラツキ敵意なし』か『緩急が癪に触らないようにして高音であることを忘れさせる説得力』かのどっちかに振り切れなかったとき。
んで、『敵意なし』と立証できるだけの印象に欠ける容姿をしていると度々指摘されていて、女で前者に振り切れなかった場合、『男並みの説得力』ってなかなか難しいらしくて、おそらくなにかと会話に支障が出てる。そのどっちかに傾けなかった場合、『ガラが悪い』ぐらいの脅しが使えたほうが物事の進みはよほど早くてタムラはちゃっちゃとそっちに行けて、それが全くの不得意でどこにも行けなかった自分を「恨むなら産まれた人種を恨むんだな。」とバカにしている、と自己分析に仮説を立てている。
にしても、これだけ違うんだ。だから奥さん役のほうに引っ張られるのは凄く嫌だ。
で、思ってしまった。苦渋だな。
世間に出されている『おとなしくて優しい高音』こそ、最初から男女で作風が違っているという分別がいる。
物事を「女/男だから」で分けるのは大嫌いなんだが、おそらく『女性を軽くみっともなく頭悪そうに仕上げないと怒り出すやつがいる』『そうでないと商品価値が出ない』と業界が考えている以上、
「音色の仕上げに関して、ジェンダーはきっちりわけるよう筋は通せや」ということ。
それをやらなかったせいでかえって尋常でなく聞き苦しい出来になってしまう音源があるんじゃないかと、最近考えるようになった。
1小節で決め台詞のように歌うのと、3〜5小節で歌い上げるのとでは曲の系統からしてまるで違うはず。それは大雑把にアイドルとJ-POPぐらい違うぜ。
そこで少なくとも奥さんはアイドルと言いたい。(小野は声音だけだとジャンルがイマイチはっきりしないから、とりあえず保留)
パフュームの歌とヒゲダンの歌じゃあ、同じ加工と編集になるはずないだろ?もしもそこにまるっきり同じことをしようとしたら妙なことになるに決まってるじゃん。
歌手の歌ならその違いがわかりやすいのに、なぜそれがあの夫婦に至っては適用されない。ぱっときいたとき声質が近いから?
まあ彼女の仕事の仕方が間違ってるわけじゃないはずなんだ。需要に合わせて供給されたのが彼女。そこまでは大方判った。
声のことは一旦置いとくぞ。間違ってるわけじゃない。
それでもこれから彼女にさせようとしていることは、ミガコットの宣伝に感じる違和感のようなものに近い。
あれは仕事が出来る風のファッションでキメキメで、「そうそうこういうの!」と話す柄じゃないはずなのに、幼い顔に幼い喋り方をしてる。オフィスの風景をPopteenの表紙に無理やり集約したかと思った。それならあのCMはチャラ馬鹿のファッションで中身相応にしてくれたほうが、まだマシに仕上がってたんじゃないか。
あんな人たちに、その格好をさせて「はい、この人たちが仕事が出来る人たちです」と表現するのならば、逆に言うなら、日本で活動する上で、そんなに『女が男を追い抜いてはいけない』っていう制約がつきまとうということか。仕事ができそうな容姿を持ってる人も服装も実は日本では必要とされていないって感じがしちゃうわけだ。
いい加減になるとそれは『生殖能力がありそうな容姿』が忌み嫌われてることに直結しているんじゃないかと、自分は体感している。それがウエストにくびれがあったり多少胸がある程度でも、「脇腹ぶっ刺されろや」とか「その胸削いだぐらいでちょうどいいんじゃない」と、そこらの通りすがりに言われたことがあるぐらいには、私の嫌がらせは部位から考えると軽くセクシャルだ。
目がそこまで大きくないはずなのに「目玉えぐり出されればいい」と通り過ぎてしばらくに言われることがある。これはコミュニケーション能力のことなんだろうね。それを言われた翌朝にたまにだが道路に割れた生卵があって、「まあまあ気にするなって」と学校の先生とか、タムラとかはめたに言われて、帰りの時間か翌日ぐらいまでには片付けられてたこともあったかな。
「まあまあ、こういうのはすぐにいなくなるから」と言われて勇気づけられても、しばらくすれば違う人で繰り返していて、そのたびに、タムラから「それ殺人教唆じゃあ」と言われた。
タムラはアウトローの人なのに、何故かそれを聞いて震えるし、「割と次々来るな」と聞いたら「ああ、まあ、続いているね…えと、大したことはないよ。」と彼は自分に言い聞かせるように説いたら、よくその後どこぞに電話をかけて「ロシアの女は良いぞ、ロシアの女は」と勇んで語るようだから不思議だった。
「ナイフで胸、脇腹、目玉」「顔に硫酸」!
日本人とは、このぐらいのことを平然と言ってのけるような人たちだと、私は捉えている。でもこんなことでいつも躓いているんじゃ仕事にはならないよね。私はいつもそう。生活が苦しくなる。そうして関係ないことなのに硫酸がちらつく。
このぐらいごく普通の馬鹿相手だと『女に能力があっては割と面と向かって殺害教唆になるぐらい腹が立つ』かんじなのに、そこをアホ相手の産業が中途半端に女性進出の名の下に突き通そうとしないから、そんな悪いことはしてるつもりはないはずなのに、絵としてはもはやすでにおかしなことになってる。
ただ、奥さん役はCMと違って、その当たりをファッションだけなら決して外していないんだ。それに彼女の体型はすごく有利なはずさ。自分が社会に出られないのは、体型一つの問題じゃないんだけれど、そこで本当の苦労をしないに越したことはない。
「ナイフで胸、脇腹、目玉」
私はいつも心のどこかで追いかけられている。
「顔に硫酸」!そうしてなぜか今の話に関係なのに、硫酸。なぜか引っかかり続ける。だいじょうぶさ、薬物と銃撃と爆発だけは起こったときには誰にでも平等だからと、そこで自分を変な意味で必死に収めるようにして。なんか良くない夢見てんな。
―ちょうどそれに思い至ったとき、近隣から何故か車が何台も発進したような音が。一旦目が覚める。どうしたろうと窓の方を見た。
背後から「ちゅ」と口で言ってる。もどってー、話聞かせてと。
「ゆめじゃないよ」
これが翌朝になると他の家族も「昨日の車は?」と言っていたんだから、まあどっか夢ではないんだな。
「もっとあそぼ」おふとんに戻るとご機嫌なやつがいる。悪口の続きをせがんで。
だから彼女の貧乳は決して馬鹿にするどころの話じゃなくて、幼児体型は仕事をする上で最高の強みだと。日本ではどやしつけられ方に違いが出る気がしている。決して間違ってはいない。
ただそれでも今現在やってることと、これからさせようとしていることがチグハグではある。普通なら彼女に『業界を牽引させている』とはあんまり言わせないほうが良いと思う。
もはや少なからず「彼女に従わなくては」という圧力がほんのちょっとでも生じた時点で、現時点で近くにいる人間を牽引どころか、崖から突き落としたみたいになってるから。
それが最も顕著に出ているのが、旦那役の小野だったわけで。彼は特徴がない割にワケワカラン声色してるのに
やはり、配偶者・近親者設定になってるせいか、周囲が求めたり加工されてくる音色が、奥さんの演技に引っ張られてしまってる感があるか。
いい加減なことをしていると、相手の方に迷惑がかかる。とはよく言うよね。
これはきっと逆もしかりかも知れないけれど、たいがいこういうとき、「へたくさいほうが怒られるわけじゃない」んだよ。
『ちょっと難しいことをしているはずの人が、簡単な方にレベルを合わせられないことを、それはそれは怒られるものなんだ』よね。
私はいつもタムラに「なぜそうできない」と言われてきた。その後凄い小言が飛んでくるのだけれど、いいたい結論が『幼稚園のときに合わせられなかったキラキラ虚妄』のことだったりするんだよ。もうびーっくりする。
それが恫喝してくる相手はやってることは
「上手いほうの人に向かって、『ヘタクソなほうに何で合わせられない』と怒っている」ことなのに、
その当人は本気で「ヘタクソな人の方を責め立てている」と信じて譲らないでいる。
たいがいそういうときって、自分が言ってることと逆のことをやらせようとしてることに、起こってる当人が気づいていないから恐ろしい。
でも、まるでその行動が嘘であることの証拠であるかのように、人を見比べて見当違いのほうを怒っているときって、たいがい叱る人の様子が物凄く恫喝っぽいものなんだよ。
逆にいうなら、そこで「足を引っ張ってるお前が悪い」と切り捨ててもらえるのは、あくまでもともと立場が弱い人間までだ。かえってヘタクソさんの立場が『よほど弱ってる』場合でもなければ、だいたい上手い人のほうがバッシングされるように怒られる。あくまでバッシングについては知らず知らずのうちに、その場で優れていた人のほうにくる。逆にそうでない場面を私は見た覚えがない。
あの夫婦、もはやその駄目なら切り捨ててもらえるほどの弱い立場じゃない。だから厄介。
だからこうして今書き連ねているこの瞬間も、自分にとってのヘタクソは、旦那の方かも知れないし、奥さんの方かも知れない。それは信じられないぐらい細かい要素にまで及ぶので、あの夫婦の場合「この部分についてはあっちが、その部分についてはこっちが」と、こんな非道い批評になる。
自分が集団生活内で、さんざん味わったその経験が邪魔をするせいか、自分でもどっちを嫌がってるのかが、よくわからなくなるときがある。この先怒られるのがこの先一概に男の方だけとは限らんぞ。
(当たり前のことなのに、それを書こうとしたら、とんでもなく具合を悪くした。)
それで他人に語るときには、嫌な理由を分析していくしかないなと感じているのだが。
あの二人、あんまり一心同体をやってると、今におたがいの良さを相殺し合いそうだ。さらに『わかりやすかったのが彼だった』という話で、彼らを中心に据えて見た相関関係からも、他の人だって似たようなあおりの受け方していくものだろうし。
チーム戦って意味ではまずくなってくる。なんじゃこの、ここから先が地獄っぽくなりそうな展開はア!
「いやだ、こんな変な人間模様なんて理解できなくていいよ。うんざりする!ここまで自分の生活に関係なかったんだから!」と後ろに叫ぶ
「だめ。もっと、もっと!」「なんとか動かなきゃ。それより万能の生活能力をば」
「ねんねの時間だぞ。ちゃんと寝ろ」
おれがついてるよ…と小さくボソボソつぶやかれている。うむ。ついているの意味が違うような。
「だってさあ、俺がちゃんと来なかったら、もう一度顔から血を吹き出していたかもしれないぜ」
「え。」
「いつもそうじゃないか。フノスちゃん、いっつも顔から血を吹き出すとき、だいたい『あの夫婦を嫌がってる』でしょ。
おかしいよ。それだけ恐怖を抱いているってことでしょう。普通じゃないよ。よくないとおもうよ」
そう言って、そいつは私の肩甲骨を服の上からそっとなぞる。
たしかにいくらなんでも嫌悪感やら嫉妬やら、あとトラウマに抵触していることがあったとしても、血の汗を吹き出したらさすがに駄目だし。他の機会に顔から血が出たかと言ったら、そうではない。
「血汗ってわかる?命の危機の時だけ出るんだよ。ただの苦手なわけがない。
気づけよ。何かすごいむりしてるんだ。俺がね、そばでみてた。わかってた。」
それが自分の背中にぐりぐりと鼻先をこすりつけているのだろう。
「俺はそんな目に合わせやしないよ。たしかにさあ、ときおり血が見たい。そんな気がする。でも、そういう血じゃないもん…」
「うーむ、その調子だと私、病気や外傷による出血はOKっぽそうだな。」と苦笑いして、「なるほどそうか」
とかえって冷静になる。痛いのは嫌なんだけれど、外から見たら起こっちゃいけないことはこっちなんだよねと。
「やっぱり道理にあってないこと、ぼくやだな…」
「そうだね、そういうやつだったなあ」
私は背後のやつに手を伸ばして手探りに撫でているのだけれど、あっれ、誰だったっけ。
「ねえ、私、どうして彼女と言えば硫酸のことばかり気にしてるの。変っちゃ変でしょ。
『顔面にぶっかけられちまえば』と言われていたのは、それよりずっと前の頃からだったのに。
他の人にはあんまり連想しなくて、いい加減不思議だし、自分で自分が不気味だなあって。だって自分に関係ない人でしょ。薬品のことはもっと関係ないし。何かの誘導にしてもだなあ。」
後ろの奴が一旦黙った。
「いっそ俺が誰かの顔の皮を剥ぎに行ってやってもいいんだぜ。道理に合わせられるなら」
返答の代わりに、そうボソボソ、と答えられる。それはまるで優しい提案のようだったが…お断り申し上げた。
タムラってのはあれはあんぽんたんのおべっか使いだから、大人が考えることを代表して言っただけでしょ。
一つ懸念があるのだとしたら、こんな微妙な役回りになってしまうのは、もしかして『小野が(タムラたちみたいなのからすれば)外人だから』か?
いや、あの話を聞く気がない人とその仲間に、言って通じるわけないのに、何を虚しい訴えをしているんだ。
けれどね「大きいんだから我慢しなさい。小さいんだから少なくて良いでしょう」と子供らに強制することは、私の近くでは、本当に分け与えるものがないのもあるけれど、嫌がらせぐらいしか楽しみがない『極貧農しかいない地域』の人たちがやらかすことみたい。
貧農は貧農でも、そうなってしまった農家はおそらく仕舞なのだ。
やはり、あの業界、もしかして経営が火の車なんじゃないだろうか。
私がもしも、リーダーがそんなところに身をおいていたとしたら、相手が凄くて間違いがなくて、たしかにそそっかしい自分では真似できないことをしていても、そんなのどうでもよくなるぐらいにとても不安がるだろうて。
それでも是が非でも彼女が牽引役であることを突き通さなくてはいけないのなら、彼女は彼女で、半端に大人ぶらせるんじゃなくて、どっちかっつうと子供っぽリーダーが出してしまうアンバランスな不安感を減らす演出なりを、それ相応に突き詰めて頑張らなくてはいけないわけね。
それは自己演出に失敗し続けた人間が考えてみたら、ちょっと色々わからないところがあったりで、具体的に何をするか察することすら難しい。
だからそこを周りが考えなくてはいけないはず。そっちの業界の人って、『ヘタクソな王国を保たせること』については大の得意技だし、この手のことは当たり前じゃないか。なのに。
ともかく、小野と花澤さんとでは、リーダーとしての資質が違う。似たようなことをやらせようにも、なおさら作風の違いが大事すぎる。
それをエンジニアに説明するまでもなく伝えなくてはいけない。
素人目でもこのぐらいは理解できたのだが、音を作るエンジニアたちが、なんだか全然分析的ではない気がした。こういうことは説明すると、こだわりをぶつけて逆上されるだけだろう。
それでもっとひどい加工をされたらかなわん。だってこの手のさあ、たまにマイクが半音ずってるトラブルとか、リアルにあるからねえ。メディアが「独りじゃ出来ない仕事」って言ったって、つまんねえ妨害入れるかどうかはまた別だし、邪魔だてだって「精神的には独りじゃ出来ない仕事」。そこだけならばお互い様かもよ。だって、「人はたいがい、独りじゃ他人の生殺与奪の権を握ったくらいまで思い上がれない」もの。客前にバレたときにはもうやらかしてるのが凄い範囲ってわけだ。
お互いに励みあい精進するような役回りでは、結果お互いの良さが相殺される。だから「食えない夫婦であってくれ」という感じがしていたのだ。
でもなあ、直接はいいたくないな。タムラが業界の大物なんだとしたら、私はそういう人に『お前が言うことと逆のことをすればうまく行くんだ。この敵対者、外人!』
と顔を合わせるたびに声を大にして言われちゃうもんね。
とはいえどうして、そういうところだけ半端日本人化するんだろ。
よくよく状況を整理してみたら、『御縁が深い』どころか、『私とあの業界との仲の悪さは筋金入り』である説もあるっぽい。
これはエンジニアにもタムラたちにも、それに追随するやつにも言えることだが、
『盆踊りみたいなことしかしちゃいけないなら、東洋人らしくマスゲームだけやってれば?
声の特徴を武器にして、西洋人のモノマネとばかりに一人舞台に立つ真似なんてするな』
って話なのにな。なのにタムラたちはブレイクダンスが出来たり、ヒップホップができることを自慢するし。
「モノマネ世界一」のことを、あまりに平然と『覇道である』と言い放つやつらだ。
販売力でゴリ押しすればこちらのものと、アヘンで国をことごとく失くしておいてまだ三国志の真っただ中のつもりであるやつらだ。
英雄譚は劇物だぞ。一度それっぽい論法に持ち込まれると、より若手が『俺でも出来るんじゃないか』と変な意味で調子に乗り出すから、業界総じて地味なところで統治が取れなくなって大損をこきそうなのにな。
にしてもだめだ、身の回りの事例に照らし合わせると、びっくりするほどの泥舟じゃないか。気持ち悪いなあ、結局ゴリ押し覇道も、身分制度も、その力を認識する脳神経をいじってしまうことにはいずれにせよ敵わないのに。
そうだ、さっきから何を言ってるって、『音というのは最終、麻薬と変わらない』。
リズムを聞いているうちに心拍はいじられるし、ささやき声一つで震えだしたり、目の焦点を怪しくしたり、よだれを垂らしたりする人というのも、私は小さい頃から度々見てきた。
「これなら劇物だけのときほうが、まだ良かった」と言えるほどに、音色の間違いがあんまりでかいことは、知らず凄まじい誤解を招く。
だからつまりは神経をいじったことと、結果だけならほぼ一緒なんだよ。
さらにタムラみたいな人間は、たまにそういう本当にいかれちゃってる人間こそ「殺すなあ!勝手に首にするなあ!」とキレだすものだ。
「やべえ、日本から出ていかなくちゃいけないときのこと、考えなくちゃ。元気にならなくちゃ、回復しなくちゃ。あいつまだ上からの抑えつけでそう言ってないだけの話だぞ。
いそがなきゃ、いそがなきゃ、」
「うん。落ち着いて。」二の腕をなでなでされて、悲しくなった。
「フーちゃんの人生、きいろしんごう。」「なに?きいろしんごう。って」
後ろで「きいろしんごう。きいろしんごう。」と唱えている。
「あれ、わすれた?僕ねえ蜂の国からやってきたんだよ」
一体何をふざけているのだ?とちょっと気になって後ろに目線だけを向けようとした。
どうにもそれは虫のハチのことだと、すぐに頭の中に思い浮かんだ。
「確かに蜂は黄色いね。蜂の国ってなあに?」
「そこから大事件が起こった国だよ。」と彼が答える。
「そこからやってきた、大事故からうまれた、愛すべきみなしごの僕だよ。」
「…なんだろ、ふいに嘘くさくなったぞ」
「僕は嘘をつくのがうまいから。」
神々しくもデリケートなお年ごろ30代
なので、只今の思考を踏まえて、対処できることを相手に伝える。
「ええとね、これは男女構わず総じて言えることなんだけれど、
30代っていうのは、『歳を取ったから声が太くなる』のではなくて、『喉が成長して歯が生え揃うように倍音が増えるから、音が歪みやすくなって、ちょっと加工を間違えると声が太く聞こえる』だけのことなんだ。
むしろちゃんとしたら、いたいけさと神々しさが前より増してるんじゃないかって思えることもある。みんなそういうお年ごろなの」
そこの間違いで両者がしている無理には共通点がある可能性が疑われたのだ。
さらにそういう点ではタムラはも同じ問題を抱えやすいだろうし、江口さんはアコーディオンみたいな声質だからやっぱりそうなるだろうし。両者とも下手に適応力が強すぎるから、歪みを気にすることでリミッターを設けてしまうと演技の幅を狭くしてしまうだろう。それはもったいないのだ。
「それにね、異常にいろんな箇所でなってる音って、ものが震えるし、モーターやコイルに確実に影響を与えている。これは金属が勝手にラジオを受信して共振するのとちょっと似てる。(そのせいで実はヘッドフォンが苦手)逆に”音が電気になってしまう感触”がするというか。
だからどんだけ防音室みたいなところで撮っていたとしても、もしも外でセミがじゃあじゃあ鳴いていたら、その音をサンプリングして1dBでいいからノイズカットしてくんないかなって。
そうでないと聞きづらい気がする。なんかの異常で放たれている音って、どうしても駄目なの。」
「え、めんどくないか。声だけでそれ」
はい。わざと面倒くさいこと言いましたー。
「ほら、めんどいだろ?だからあまり聞かないんだ。
音階はね、宗教歌とロックっぽい極端な旋律だと、好みじゃなくても割と頭を痛くしづらいなとか。
けれどね、ジャズとアジアンな曲調とムード歌謡の中にだめなのがあるかな。
かと言って変調が多い曲が不得意ってわけじゃないよ。クイーンのバイセコーとか、トーマスのテーマとか、フルで覚えてないけれど、歌っていて楽しい気分になるからね。」
トーマスのテーマってなんだっけと聞かれて、そっかテレビで流れてないよなと感じて、チャラチャチャなスキャットで諳んじる。相手がうんうんと頷いた様子で「うわすっげえ」と言っていた。「だろ?」
「そうさその意気だ。ねえもっともっと」
「でもそんな細かいことも関係なく、どんな歌もそうなんだけれど、『結局は人は語尾でニュアンスを読んでいる』。
だからボーカルには出だしよりも『語尾の当たりに軽いノイズリダクション』をかけないと何言ってるか地味に伝わらない。ノイズのサンプルは曲の最後の聞こえないぐらいの残存エコーらへんが良い。そこにはよく抑えるのを忘れたハイハットみたいな音が混ざっていて、曲全体の分離を悪くする主成分と同じものを放ってる。
それからコーラス部分は音階と下のパートのか倍音とがかぶってる周波数が突出してうるさくなりまくるからアナライザを見てカットしないといけない。決して当人のコーラスであれば単体で相性良いわけではない。『二人の人間が歌ってる』と分かるように持ってけるとはじめてハーモニーになってるのだから、かぶらないのが理想なのさ。
でもそれが出来てなくて声が魅力的でもヘタクソと言われる人がいる。
何だか音がゴチャつくと思ったら、だいたいシンセがアンサンブルみたいな効果音を入れていて、暴れすぎなギターと2000Hzあたりでぶつかっている。その結果聞こえてきたシンセの音がわざとらしい効果音じみていて風情もへったくれもなく人騒がせだ。2箇所も余計なことした結果、どこが一番被害を受けるって、ボーカルが音を外したみたく聞こえている。」
[大憶測]みずほ銀行にシステムトラブルを起こすとしてる奴らに心当たりがあるかも?
こうして悪口をいいながら、さらに心配になることに、タムラは東京側の女の人たちのこと、
「悪口を言うと、当人たちはともかく親が『思い知らせてやる』とすごく意地悪をしてくる奴らだ」
と言っていたな。幼稚園の話をしてからそう離れていない時期に聞いた話だが、それだけ身分の違いを作っていて鼻にかけているのだ。
それでいて似合ってるかどうかはともかく、みなしゃれこきだと。まあ、それはだいたいわかっていた。日本でそんな暮らしをしている人間なぞ、おおかた東京人であるには違いないからだ。その確率のほうが高い。
それは「骨になるまで私は女」というプライドがそうさせていると、彼は教えてくれた。たしかにそれをする人権はある。多様性とされるが…
「それがあっちの普通だぞ」と言われはした。
あれなんだよな。髪を染めたりとか、工夫をすれば嘘のように若く見えるときなんて、限りがあるし。それがどれだけ社会に役立つか。現役であることがだいたい求められる気がする。
それはリソースの問題もある。そら、他人を踏みつけにすれば、そういう生活は楽でしょうよ。けれどね、たいていはそうまでしても、さほどおしゃれでもない。おしゃれだったとしても、
「いい歳してるのに、まだ捨て去るべきものを捨てられていないみっともなさ」には、どっか繋がってるのにね。
私は「へえ、金も暇もあるんだね」と相槌を打ちながら、
「その人たち、年金おいくら貰ってる。」
「はあ…ざっと月50万ぐらいか、」
「はあ!?50万!お前たちの月給より多いじゃないか。どういうことだ。」
「ちげえよフノスちゃん。これは〜そういうものなの。大企業に旦那が勤めていたりすると、それが普通よ。だからそれ狙いで若い頃にずっと用意周到に動いてきたような人たちでなあ」
とタムラはこちらを諭すように言ってきたか。
「で。私達の年代が年金を期待するのもアホらしいと言われてるが、お前の年金はどれぐらい」
「あ、うん。6万」
「そうか約10倍か。それらのご子息を、お前はいつしか喉うんこがための誤解除でどうかしてしまうというのか。」
タムラは「それ絶対やんねえし!」と両目をぎょっと開けて鼻息を荒くした。
さらにタムラは「俺が副業やってる業界は、資金の投入があるからだいじょうぶだあ」と言ってた。
「それこそ個人の口座が止まっても、そこには絶対に金が流れるっていう寸法さな。だから潰れない」
と言っていたので、「あんまり経たないうちに盗賊のようなことでも始めるんじゃないか」と、たまに勘ぐっている。
「どこの口座を最初に襲う」「みずほさんだ。他は恭順しておるから」
「それやるのどこだ」
と聞いたら、タムラにぽかんと口を開けられた。
「ばかか。恭順という言葉を聞いてわからんのかっ、宮内庁だぞ。システムトラブルでも何でも起こさせて、行政処分を下そうと、うちの同族からハッカーまでよく雇ったぐらいにしてさあ。」
「それ何人ぐらい出せと言われた」
「45人から60人ほど。何重ものバックアップをことごとく駄目にする技術を、俺らは持っている!どうだすげえだろう!」
うむ。考えてみたら、『勘ぐる』どころか、始める気は満々だった。
宮内庁ねえ…だからといってあんまり天皇自体が大事にされてるとは個人的に思っていないので、まあ、それに携わってる奴らか。と大方当たりをつけた。だからこういうのは本当に宮内庁職員かどうかもわからない。ただそれに『恭順してる』というやつらのことなのだろう。
私はさらにこう聞いたか。
「あのなあ、フノスちゃん。俺の副業の心配はいいから。あとあんまり、東京の女のことについて陰口叩くなよ。
口出しする他人には帯状疱疹になるように念じると言われている。だから最近お前、二の腕が神経沿いや顔沿いに痛いと言っていただろ。だが突然治ったりする。
だからもしかしたら、そいつらに『なぜうちの娘たちが負けるのだ』と逆恨みされたせいかなと。」
タムラは「あの人たちはお前と違って、カドカワだとかと不思議な因縁を抱えているような人たちじゃないし、むしろ険悪なわけがないのだから、なあ?」と色々相手の有利さをまくしたてていた。が、
「陰口を叩いた程度で、人様に帯状疱疹を起こさせるような人たちなのだな。それは変だと思わないか」
「いやあ、軽く目障りな女がいるだけで、『アバタになればいい』と術をかけるそうだぞ。結構当たり前だという話だ。
もともとは天然痘にするっていう術だったらしいがな、近年は目立たないように帯状疱疹だそうでね。」
『それでも頭の近くにすぐ出来るのが特徴なのよ。そんなに頭の近くに出来るかよ』と聞いて、ぞわっとした。頭より上に帯状疱疹ができたら、それよく脳に病気が来てる状態だったりするじゃないか。嫌がらせする気だけはあるんだとすぐにわかった。
「なんて世間に顔向けできない恥ずかしい人たちなんだ。
それが髪染めてパーマネントかけて?」
そのような人たちが、業界の平均だと伺ったものだから。
「それでいてよう、他の作業とか。作っている作業員とか無給が多いんだよな。格差だわあ。」
「ああ。お前たちの副業の酷さは知ってるぞ。保険ないし。そうか。他の作業に従事している方には給料もなしか。
で。そこで弱っちそうなくせにやっていけてる人の実家の奥方たちは『お前の生活の妨害なぞ造作ないわ思い知れ』と、何かと邪魔してくるものだというのか」
ここから伺えることにタムラの副業の人たちは、月に50万以上の年金をもらって洒落もこきながら、そこいらの人の口座は差し止めて人の金を巻き上げ、さらにそれをビジネスに上乗せしていく人たちが多くいる一族出身というイメージがある。
「それは合法なことなのか。おかしいと思わないのか」
「合法も何も。これは格差だから。もーちょっとゆるいかな。
まあまあ、そういうものなの。フノスちゃんが騒いでどうにかなることじゃないから。マアマア」と肩を叩かれて、
「いや社会のシステムを理想形にしたいとか高尚な事をいいたいわけじゃないんだ。ただお前は、彼らに命の危機は感じないのか」
と尋ねたら、ぎょっとされた。
ときおり考える。民族が単一であるということの、最大のメリットとしては、『各民族の金銭を分捕り一点に集中できる』というのが大きいのではないかと。
要は『公的に泥棒を始める』というやつだ。
たしかにどこか特定の民族が威張りだすというのは、また別問題で嫌だけれど、困ってる人のために使ってもくれない貯財も散財もいい加減かなり腹が立つし、タムラたちにそれを改善する気があるとはあんまり思ってない。
それにしても無給か。問題がある話だよな。
それがタムラは「自分たちのビジネスのためなら、予め理由の通告もされていない誰かが文無しになること」について、「いやあそんな事起こせるなら面白いじゃない」としか言わなかった。
あとで江口さんにも聞いたけど
「いやあ、それが社会に出るメリットでしょう。タムラってそう言いたいんだよね?」
と、とかく反対しないのだ。
タムラは「アハハ、だーいじょうぶだってえ!心配し過ぎなんだから」と笑われて、江口さんには
「だいじょうぶ。フーちゃんは余計な心配をしなくていいのです」と穏やかに私の頭を撫でたけれど。
それに学校に入っていた他の若い舎弟さんがたも、こっち指さしてケラケラ笑ってたか。声優さんにしょっちゅう似た顔の人がいるなあと、最近呆れていた。
いや、格差をなくそうだなんて言ってるわけじゃない。ちょっとやらかすことの桁がおかしくなってきたと、話を聞いていて感じないのだろうか。
そのうえで「金なんてないお前がやられればいい」とタムラは笑ったっけか。物の帳尻を合わせることなんざじゃなくて、おい、私が語ってるのは『貯財のできるできない』だぞ。財を守る権限をなくされることのほうがまずいじゃないか。
だけれど、彼らは「親玉がその手のことをすること」に関しては一切の違和感を持っていない。彼らは給料をなかったことにされたり、それをやられる側になってる状態にも関わらず、歴史的には長いこと自分たちが所属してる集団がそれをやりすぎていて、まったく感覚が麻痺し通しなのである。
こういう点に私は違和感を覚えて、「命の危機は感じないのか。ごく普通に仕事をしてて襲撃の気配などは感じなかったか」と尋ねていた。
タムラはまあまあ大丈夫だってと私をなだめた。「それともあれかい。最近やっぱり硫酸かけられろの嫌がらせが多いから、気にしてるのか」。
何故そこに話題をそらす。
「いやあ、多かないさ。普通に暮らしていればたまにあることだもの。つうかなんで知ってた」
「ああそれはさあ、その同じ通りの中に、いきなりすっ飛んで逃げ出した、ほそっこいおっさんいただろ」
「ああ、いた。あんま大柄じゃない人な。目が合った。怖がりそうな柄じゃないように見えたが、いきなり走り出して驚いたんだ。」
「あの人から聞いた」「なんだお前の関係者か」「まあな」
「なあ、大丈夫か。そのおっさんがさあ『自分のせいじゃないかって』」
「はあ!?んなわけあるか。つうか誰、そのおっさんって。知らない人だけれど。」
だからショックだったかも知れないが気に病むなと伝えてくれと、タムラには頼んだっけ。
心配されることに関して、自分はそのことにさほど違和感は覚えていなかった。
「そうだな、私もともと勇敢なおっさんの類に可愛がられないわけじゃないらしいぞ。」
「まーそんな気はするなあ。というか幼稚園の先生とそんなに険悪って何」
「わからん。日本の女のモラルも問題ありってことよ。子供身代わりにしたがり。
そうだなあ、あの事件が例外として、あんまり色眼鏡でものを見ないように気をつけてはいたがな。考えてみたら硫酸の話となると、対応の温度差っていうの?結構それが顕著かもなあ。」
そう言って、私は頭を二度ほど撫でた。
ああ、そっか。私たぶん女の人全般がたまに苦手になってるんだろうなと。
「私はいつも不思議なんだ。たびたび年配の人のほうが、とくにおっさんって若くても、私が『顔に薬剤かけられろ』だとか言われてるところを見たら、物凄く慌てるし怯えるし反応が尋常じゃないなって。あーそこ、『とっととやられればいいのに』っていう立場じゃないんだって、たまに不思議になるな。
まあ、そってあんまりしげしげ眺めてるとさ、周りのやつには惚れ惚れ見つめてる風に映るらしくてな『将来不倫しそう』ってからかわれたぐらいにしてな。」
と答えたら、タムラに両肩を抑えられた。
「いや普通、若い娘さんが顔に大傷負うって聞いたら、身代わりになりたくなくても怖がるからね!?フーちゃん、自分が何だか判ってる?麻痺しちゃ駄目だよう」
「あら、女はぞんざいに扱えというのが、この国のきまりなんじゃないかったっけ。私学校で『んなこと当たり前よ』と言われたことはあったし、小学校の時、別に先生たち、止めなかったよ?
だから日本人はそこいらで普通に暮らしている一般女性に、『顔に硫酸かけられろ』と脅すようなやつが現代の割とスタンダードなんじゃないかって」
タムラが「なんでそんな事になってる?」と凄く怪訝そうな表情を浮かべた。
「なあ、話戻すぞ。普通に暮らすって、まあそういうことだ。邪魔するものにそれほど手ひどく容赦ないとするならば、」
「いや、お前ねえ、それは東京の女流作家たち。それと俺の副業は違うんだから」
「のし上がれたって、そういう事だと言いたいんじゃなくて。」
タムラはまして襲撃だなんて、と口に手を当てて笑いだした。
「いや、やんごとなき人たちなんだよ?って、あれ、血?」
その表情から笑顔が消えた。
何をこいつフザケたことで自分を騙そうとしてると思って、顔に手を当ててみる。そう言えばこのとき、小さかったけれどニキビから割とサラサラした出血があった。
「ああ。こういうことはよくあるんだ。私、顔にできものは出来るし。さっきから痒かったよ。」
タムラがもう一度私の顔を覗き込んだ。
「ああ、いや。俺ふたごのバケモノに襲われたときに、勝手にワイシャツに血がついたって言ったじゃん。俺ちょっとそれ以来、いきなり出血があることにちょっと気になっちゃってね。トラウマなんだよな」
「ああ。それはトラウマだよな。もしかしたら、事故よりわるいかもよ」
「いや事故のほうがトラウマだったよ。んでもな」
「お前のその顔のさあ、変だなって思うのはさ、『生理が来るとむしろ治る』ってところだよな。あれだな、だから代償月経っていう代物ではないんだよねって。これは会長が言ってた。」
「ああ、そういえば。」
「…まあ、そういう変な出血とか、『あるかどうか気をつけて見ておけ』って、会長に言われてっから。それで俺、最近お前の顔見てるから。」
「はあ」と頷いた。
「血ってのはさあ、もうひとつ、昔から『邪気を貯め込む』って言われてるんだよね。」
だからその血ね、とタムラは私の頬をすっと指さした。
「だからそれだけ邪気を貯め込むものの依代になるんだよ。体がどこかから出血を求めてるな。きっと強烈過ぎる邪気を出そうとしてる。」
「が、ひとつ会長が気になることを言っていた」
タムラは腕を組んで、指さしていた手を顎に当てた。
「フノスちゃんにはたまにそれが必要なんだ、って。強烈に何かを動かそうとしたら、邪気は発生するものだから。悪いものかどうかは分からないんだ。」
タムラは私の頬を見て「いやあ心配だわあ。なんでかわからないけれど呪われすぎてる」と表情を曇らせた。
「いったいフノスちゃんのどこがどうやったら、そんなに他人と敵対することになっちまってるんだ?いくら古い家の呪いが来るからってよう、この件数はおかしいだろう。」
「まるで呪いのハブみたいになってるか」
「まあ、そういうこったな。おかしいよフーちゃんの家がその人たちより古いわけないしなあ…呪いを使った形跡もないと江口も言うからしなあ…」
「ただ、その血を見たときにどうしてもフノスちゃんに襲いかかるやつがないか、気をつけたほうが良いんだろうねって。せいぜい気をつけてよ。」
うわっ、一体何を思い出していたんだ。
「ったく、そっちに脚を突っ込みかけた人間ってのは、食われやすくなるんだよなあ…」
タムラのため息が耳の奥にこだましている。
私が「命の危機は」と尋ねるに至ったり、笑う舎弟たちに抱いた違和感とは。
考えてほしい。多少の貯財をすることは、たとえ差別や偏見があったとしてもそれに耐え抜く糧になる。
己が健康状態を維持したまま生存確率を高めることを、人権であると捉えるのならば、
この際の財とは、何もお金のことだけとは限らない。だってりんごジャムを作ってみた人や、小松菜の冷凍ストックを作った人ならわかるだろ?なんだか凄く生活がリッチになった気がしたじゃん。いや、「貯財ができてる=人権」という括りでみたら「地味に人権アップしていて、リッチになってる」と言っても良いんだ。
それでな、お金を持つことをほぼ禁じられているような我が家は、「食べ物があれば死なん」とばかりに、どこかこういうところで延々と備えるような面があるのかも知れない話だけれども。ちがうか。どっちにしろ食べ物についてはやるか。
ただ、お金を使えたら、もっとストッカーを増やすぞ。
物凄く原始的な話、『貯財が秘密裏でなくできること』は、他人が色々と難癖をつけてこようと、「お前に人権なぞない」と宣言しようと、まだわりかし人権があるということなのではないだろうか。
「相手の心の中に差別や卑下のあるなし」なんて、他人の感情だ。そらやられる側にしてみればないに越したことはないけれど、好き嫌いってどうしてもあるんだ。逆にその感情を消させようとすることのほうが、どうやったっておこがましいという面もあるだろう。
それこそあんまそれをやり過ぎたら、私が幼稚園で受けた「聖人扱い」に近いことになってしまう。
ずっと卑下されるほうの役回りだった気がするのでわかるが、これは「生活に困らなければ最終的にはどうでも良くなる」。危害さえ加えられなければ、どうでもいい。そういう話なのだ。
で、生活に困らなくするためには貯財がどうしても必要だ。
逆に言うなら『貯財ができないこと』は、その国での安定した暮らしは営めなくなってしまうため、『その国では公的には人権が無くなった』と言ってもよいのではないか。
さすがに銀行口座が全部止められたら、企業が何もできなくなるように、それまでどれだけ優位に立っていたとしても、貯財ができなくなったことを理由に、一夜にして人権をなくしてしまう可能性もありうる。
本当に正々堂々とした状況ならば、『秘密裏にしか出来ない貯財』など、「自分がこれ以上ないほど強すぎて誰も守ってくれる人がいない」ぐらいのポジションでもないと、本来やらなくても良いことのはずだ。弱者なり中堅なり、とにかく普通の人たちのやることではないような気がした。実際にはこの人たちに関しては公的な貯財ができるべき。そうしたら『ただの国民』としてみなされてるようなものなんだと。
が、実際には何も堂々となどしていない状況だから、弱者や中堅こそが、生きることに必要な糧は隠し持ちながら生きていかなくてはならないわけだ。
またそれを「自己責任」の名の下に強くもない人間に強制し続ける。その事をタムラは
「金は集まる人のところに集まるってことの正体だろ?あったりまえじゃないか」
と堂々と宣言していた。
だから私は幼稚園で『女であることの苦労手当』について語ったときに
「実際には手当は二の次ぐらいで、本人以外の人に取り上げられても取り返し可能な銀行口座を持つこと」
をとても気にしていた。たとえ4歳ぐらいでも安全に貯財が可能かどうかが、人としての扱いであるかどうかの判断基準になっていた。
だからお金ってのは、あんまり相手の素性とか考えずに、出来る限りきっちり決まりどおりに預かり、奪わないというものじゃないか。そこに国境や敵味方は関係がないはずだ。
だが、お前たちの副業の雇先はどうだ。日本は単一民族であるとか、身分階級などを言い訳に、『貯財の自由を否定しにかかること』を、どうしてさも当たり前のように感じているのだ。そんな事をし始めた国にいて良いものなのか。
「相手の素性を気にせずにお金はきっちり預けて守るだってえ!?」
と、タムラは信じられないような様子で話を聞いていた。
「もちろん私は罰金や税金について反対するわけじゃないし、『みんなのために集金するシステムには参加しとけよ。脱税はやめろよな』と考えるところがあるが、だからって口座を理由もなく閉鎖することは駄目だろう」
と言ったのに、タムラはオロオロし通しだった。
「たとえば病院に入院したからって、いきなり銀行口座を閉じたり、目減りさせてはならんことだろ?」
タムラは「え、あ、まあそうだよな」とここではとりあえず頷いた。
「『囚人にだって人権はある』っていうなら、スネに傷のあるものやら、素性の怪しいものの金だろうと、預けてる限りはあんまり手を出さないって感じになるのかなあ。私の考えだと。
まあこの考えかたが完璧だとは思わないが、完璧だとは思わないがな。抜け穴を塞ぐことは別のやり方で考えたら。
もちろん取引の監視はいいさ。差し迫って犯罪の資金になってしまう取引を停止すること自体は良しと考えているがな。そういう人にだって日常はあっただろ。それが外注していた何てことない日用品とかで不払いをされたら、注文受けてた人が困るじゃん。それもきっちり精査を入れておけよなって話。
で、なんだか口座があるだけ気持ち悪かったとしても、中身に手を出すこと自体をおいそれ許しちゃいかん。そんなもんは裁判で罰金やら賠償やらをきっちり決めてから。法的手段がいるぜ。
だってその人のしでかしたことが本当にどれぐらい悪いこととはわからない段階だったり、その人のお金をなかったコトにして、その罪は解消するか。そうとも限らないだろ。どうするんだ。
いっそ政治に口出しするとか、他の選択肢は狭めたとしてもね。そこは守らなくちゃいけないんじゃないのか」
と腕を組んで考え考え告げたら、
「ばかあ!そんな事を認めたら、国が国の体を成さなくなる」
とタムラは変な心配を始めていた。いや、国が人に生きていてもいいよと言わなくなったときのほうが、もちろん国の体をなしていないと思うのだが。
「いや、そのぐらいの意識じゃないと、たとえば人権の扱いが軽く怪しくなった『親なしの子』とかの相続に大きな問題が発生するのではないか。
お前の雇い主たちは資産家のくせに、その手のことに一切問題意識を感じていないということなのか。
だがきっと『他人の個人口座に攻撃をしかけて良い』と考えてる人間ということは、やるぞ。そういう事を繰り返してきた凄まじいドロボウ集団なんじゃないか。ヤバイぞそいつら。」
タムラはそんなことは一切聞く耳を持たずに「上のものがきっちりしないと」どうこうと、何か寝言のようなことを言ってから、
「はあああ!やっぱりあれだあ!君にはきちんとしたパパがいないからあ!心が、心がこうも落ち着かないんだあ!」
と頭を抱えた。
「おい、気は確かか!まして『宮内庁が金を預かることに関して信用を裏切った』とあらば、その影響は業界にとどまらず、日本ひいては『日本に預けられたお金』そのものの信頼を揺らいでしまうぞ!
その副業だが外国資本はいくら注ぎ込まれてる。一体どれぐらいの割合だ。」
「えっ、ええ!?」
「どこかの口座が凍結されてみろ。我が国の資産は後回しとしてもだ。それはどうせお前たちのような人間が法律自体を書き換えてしまうだろうから。日本のお金のやり口じゃあ、日本人はもう手遅れだったとしても、外国からの資金はなんとする?可愛そうじゃないか!あいつらにはまだ明日があるんだぞ。
自国のルールは通用せんぞ!私を撃ち殺したところで、お前たちは敗戦国だからな。その手の債務の事後処理だとかを自分が任されるとは思っていなかったのか、このブタ、マンダリン!」
「一体いつの話を持ち出してんだ畜生!か、か、官僚はもうやめたもん」
「関係ないね。こういうめんどくさいのは先祖の名前とか一々引き合いに出されてくるもんなんだよ。幼稚園のときに友達言ってたわ。さらに『日本人が信用ならない』となったら、現地にいる半端怪しい立ち位置のやつに番が移っていくの。理想としてはそれと外国の使者との合同作業になるでしょうよ。
ったく畜生!海外の資本家の金も満足に預かれないとは何事だ!日本国土にある財は未だ天皇のものだと思ってんだな。宮内庁とは現在をもってしても、そういう事をする奴らなのだな?」
「え、は、え!?」
タムラは指折り数えた。「ええと宮内庁、資金融通、人の口座凍結、資金調達、えと…ああそっかあ」
タムラは数秒黙ってから叫びだした。
「どどどどーする?どうなってまうのこの際。どやったらお金守れる!?」
すごいのは、「まずいよこれじゃあ、宮内庁がまちがって外国のお金盗んだようなもんじゃないか」と言って、まだ宮内庁が被害者ぶっていたあたりかな。
「ああもうこうなったらせめて海外分のお金ぐらいまでならスイスあたりに移行してもらうか。」
「スイス、スイス、スイス銀行ねえ!なるほどう!この手の動乱には強そうだ」
「つってもああ!それが出来る手立て、手立ていったいどこだ。」
「フーちゃん、なんか知らないの」
「知らねえ!私にそういうときにスイスに突撃してもらうような権限ないし!ええと宛先は、『悪口を言った程度で、人の口座や食料を奪い取ってやろうと考えてる、資産家の奥方どの』にあたるわけだが、難しいことわからないし!」
「フーちゃん、落ち着けスイスは永世中立国だぞ」
「だからそこに我が領土が侵略されたと勘違いさせて一発ぶちこんでもらうぐらいのことは出来ないのかという話だぞ。そうでもしなかったら財産を確実に守れない。
どうすればいい。どうすればいい。お前の雇い主が、その考えであるということは、他国とトラブルになることも辞さない構えであるのだな。相手の身分からして今更考えかたを改めさせることは不可能であるとは言え、争いごとだけは未然に回避をしたほうが日本経済のためであるわけで。うーわ、会長さんに聞いたほうがいい」
あとでタムラと話した「血と呪いの場面以外」は江口さんが相手が話を聞けそうなタイミングを見計らって、なんだか自分が感じた違和感をなるべく相手を責め立てず、論理も自分なりにきっちり筋を通して言ってみた。
貯財の権利なくては、安定した暮らしは営めない。これは人権だ。
自分の哲学に従うと、『年金の格差があまりに大きすぎること』は、実は下手な格差よりも問題があることと捉えている。ごく普通の格差だったら、それは能力に応じた報酬だろうなとほんの少しだけ納得がいくこともあるんだ。
年金や保険というのは、過去の金をとっておいて未来に渡すのだから『貯財に近い』と言えるだろう?だからあんまりにそこに著しい差があるってのは、下手な格差よりも実態を把握したほうが良いことなんじゃないかなと。ここで問題なのは『貯財の権利』ほぼ『イコール貯財の機会』を失くしてしまうことだ。そこに凄い差があるということだろう。
更にそこにつけて、「年金を多く貰ってる家庭の奥方たちが、個人の意地悪として、相手の銀行口座等を凍結して中身を盗み出しても構わない」心積もりでいるという話を先程伺った。
伝手としては宮内庁を辿るとのことで、みずほを除くほとんどの銀行は『恭順している』という。まずはこれを江口さんに伝えたところ、彼はいきなり吹き出した。
「え、なに、なに。なにごと」
簡単に口座が凍結されてみろ。実際にはそれは就労や雇用の機会よりもまずい話であると思う。だがタムラたちは「就労と雇用の機会」については問題を感じていたし、勉強等で出来が良い同族たちを国家に送り込んでまで男女雇用機会均等法などを通したそうだし、民族間で賃金や労働内容に格差があることについては滅茶苦茶不満を抱えているし、恨んでもいる。
だが、「口座が勝手にいじくられてしまうこと」については、驚くべきほど問題意識を感じていない。
「んなもん、事情があったら即座にそうして良いに決まってるだろー。つーか、そういうもんだし。読めなかったやつが悪いし」と笑いだしてしまうのだ。
他の舎弟たちもそのことについてやけに笑いだした。その貯財をする権限だったら実力で勝ち得るのだと彼らはうそぶいて「あいつ幹部候補にナマ(生意気)言って、何言ってるんだ。色仕掛けのつもりか」とニヤニヤ笑ってこちらを見ていた。思い通りにならないことばかりで壁に拳を打ち付けてるような奴らだった。
そこを単純なお商売の勝ち負けのような格差にしたらまずいんじゃないか。残念ながら貯財の権利は、実力で得るものじゃないんだと思う。あれはシステムだ。
それで私は子供心ながら、母が保険が契約できなくなったことには異様に怒っていたりしたんだ。
お金が稼げなくなったんだから、保険をかけられなくなるのは当たり前だったのに、怒りを感じた理由は、どっちかっつうと『稼ぎが無くなったこと』じゃなくて、『貯財の機会が今後なくなったこと』のほうだった。
格差の是正といっても、私は『貯財の機会のほうに、一定以上の差が出たらまずい』として補正する対策だったら必要なんじゃないだろうかと考えてしまう。
そういう範疇で考えたときの、賃金格差の是正、労働条件の改善、物価の上昇の防止、食料調達の手段増加。
だから最低賃金が守られてないとか、男女で賃金格差2倍とかに、貯財の機会という観点で「ああこれ、さすがにやべえかな」と感じるわけだ。ここまでくると絶対に保険や年金に関わる差が大きくなってるはずだ。
「第一の問題が差別じゃなくて、貯財の機会を妨げてる理由が差別?じゃあ怒る。」というかんじだと、タムラや江口さんに説明した。
たとえばこの当時すでに、味噌も国内の大豆が不作になったときに、カップに入った国産味噌が、1キロから750グラムと4分の1というあまりの大幅量を削られて以降、豊作になっても戻る気配がなかった。凄まじい率の実質値上げをしたはずなのだ。それは現在にも至っている。
なのに味噌の会社が暴利を貪れたかと言ったら、あまりにそうではなさそうな様子も含めて、道理が通らなさにかえってまずいと感じたりする。
これは『会社の貯財』も、『消費者の(食料調達という意味での)貯財』も守ることすらできなくなっている状態だから、平等以前の問題になってしまい、危機感を抱いたのだろうなと。
なお江口さんに「そんなに味噌好きですか」と尋ねられて、「うん。白味噌か合わせ味噌」と答えた。
でも「こういう情報も共有できて、やばいと感じられるのは度量衡がきっちりしてるおかげなんじゃない?」と。
そこを「外国規格に合わせましたから」と言われて、突然、インチやフィートを使った『〇〇型』というものに押し込められて値上げの口実に使われても、一体何のことだか現代人もさっぱりわけがわからないままじゃないか。なおかつ自分に合うものもわからなくなって生活が不便になる。
貯財に関して、一度に納める額面に差はあっても構わない。そして貯財をする理由だって様々であって構わないとは思う。財がなかったらそら貯財はできないし、どうしても持ちうる物のせいで差は生じてしまうだろう。それは当たり前なんだ。
だが貯財ができる回数やサービス、保証の質だけはある程度均等に近づける。せめてどうしても届かない場合は何かしら補助を入れたら嬉しいよなと。
その『ある程度の差』を割り出す数式があったら良いのに。そうでもしないと未来への備えが無くなってしまうのだ。このように機会という面で見たら、格差の意味が全然違ってきはしないか。
いちおうタムラたちが大好きな格差が、全部なくなればいいって考えてるわけじゃないんだよね。
だって。特に人気商とか見てればかるけれど、好き嫌いに応じて稼ぎは変わってほしいじゃん。家の中に鼻くそ塗りつける親父に稼ぎがあっても怒りしか覚えないでしょう。貧乏になって当然の人間は、さすがに資質によっているぜ。そういうことなのよ。
周りに苛つかれながら財を持っていてもろくなことはないでしょ。基本給に能力判定はあってもいいよと思うのさ。そこに格差はないと、イラッと来るのは本当だと思うんだよね。
それでも『貯財ができるかできないか』はまた別だ。なんというか、親父みたいな人間は、貯財の権利があるっつうに、自分で行使していないだけのことなんで、私と違ってそこを失くされてるわけじゃないと思うんだよな。
さすがに『業種によっては無給が合法だ』なんて貯財の権利を削ぎすぎていて、言語道断だなと感じるのな。
だが、タムラは一体何を思ったかそれをさらっと良いことのように言ってのけた。そこで「日本における格差は、『貯財ができるかできないか』から奪い取っていこうとする趣向がある」と見て取ったり。
ちなみに、『秘密裏でない貯財の機会』って思ったよりも無限大ではないんだよね。ほら狭いコロニーの中なりとも「他に誰も守ってやれないぐらい強くなってしまった人」に関しては、秘密裏の貯財を作らないと身も守れないから。
たとえば「襲撃を受けたときのリカバリ」が秘密裏じゃないわけ無いじゃん。そこごと襲われたらコロニー終わるし。「意地汚い人間に奪い合いをさせないために隠しちゃう財産」もあるでしょ。しいたけのほだぎ一本奪い合うのだから。
そうなっちゃう事情もたびたび目の当たりにしてるし。なので政治が絡んでしまった場合、身内ですら容易に手出しできないレベルに本当に厳重な埋蔵金そのものにはさほど反対できないし。会長さんはまるっきりそっちの要素が強い人。徳川の埋蔵金なんてあったら、しげしげと眺めても手を出さず大事にしたい。
でもどうして貯財の権利については『基本的で文化的な最低限度の生活』と大雑把にひっくるめてしまって、かつ『いともたやすく取り上げて良い』と考えているんだろう。
だからタムラの話が大げさな冗談のつもりで言っていたとしても、思想の裏の意味を読み取れば、「全く冗談にならない」と私は考えた。
それでタムラはそもそも
「お前は一切稼げなくて良い。おめえに口座にきっちり金なんてつまれたら恐ろしいじゃないか」
と言い張っているうえに、『個人の口座を無断で凍結して盗んだ金で自分のビジネスをやっても良い』と考えてる雇い主に、これといった違和感を覚えていないのだ。
ちなみに、タムラは口座にきっちり金を積まれる点について、具体的に何が恐ろしいのかまったく答えてくれないので、いつものホラー耐性激弱体質でも出たかと思っている。
その際の言い訳が「大丈夫だって。これでも『基本的で文化的な最低限度の生活』は守られてんだからよう。ほらよ、文化的だし、食ってけてるわけだし」
と言っていた。そうか。そのことば、逆に言うならそれは『自国の文化にそぐわない習慣だったら受け付けない』ということだと捉えて良いんだな。
さらにここに中華系の移民であるタムラが「そこらへんの人の口座から金を取り上げて構わない」と考えているのは、どうにも『東洋の文化そのものである』と捉えたほうがよろしい様子だった。
「選挙権はあるだろ?なら良いじゃないか」
と彼は言っていたけれど、選挙権の選択肢に「安全な貯財の権利」だなんて一つも見当たることはないんだ。
この当時我が家では、銀行口座は親父が全部握っていた。親父は株でしょっちゅう金をすっており、私は未だに「自分の金が勝手に持ち出されていないか」、「出来た借金で身売りでもさせられるんじゃないか」と心配していることが、ほとんど日常茶飯事なんだ。
まあこれもたびたびタムラに語ったことがあったけれど、「まあ良いじゃない。フノスちゃんらしくて」と笑って受け流される話なんだよな。
それにしても「女に貯財の権利と機会はなくしても構わない。とくに結婚後はそれは駄目なことじゃない。」というのは、どうにも我が家の親父と何ら変わりはなかった様子なのである。
そのせいで、夫婦別姓とは管理するがわからしたら面倒なことと思われるかも知れないが、貯財をする権利を守るという観点から見れば大いに役立つと思うのだ。逆に言うなら、夫婦の絆を建前に、そこから人権を砕いていくことは現状発生してることだし、なんだかかなり目に見えていた。
さらに夫婦の絆を模倣して、ただのおしゃべり友達同士の人権すら”絆”を言い訳に『なくして良い』と考えているのが、まずはタムラとその舎弟たちだったみたいなので、こいつらにいたってはヤバイやつなんじゃないだろうか。
まあ選挙権を失くしてしまったら最終的には貯財の権利を強制的になくされることと同じことになるかも知れないが。いいか、『貯財の権利は失くし、選挙権は与えている』というのが今現在のこの国のやり方には違いない。そうタムラは話してくれたじゃないか。
なのでこの先、タムラたちは私達に金銭と食料の供給をいったいどういった頻度と期間で断つつもりなのか、またその発動条件等を、物凄く突き詰めて聞き出そうとした。
江口さんは食べる量が大きい。その手の策に出ても構わないと考えているカンパニーだとしたら、真っ先にその矛先になるのが江口さんかと考えられた。
「え、兵糧攻めをやるかどうかを聞くの」
「それは当たり前でしょう。その条件次第では私達が将来どの国に移住すればよいかなども変わってきますから。それは友好な関係を続けていく上でとても大切なことですよね」
「ちょっとまって!『金とは限らず貯財を認めないことは、人間として扱ってないとみなす』って、みなすって、ええ!?それじゃフーちゃん、『自分が人間として認められてないって思ってる』ってことじゃないですか」
江口さんが目玉が飛び出しそうなぐらい驚いていた。
「はあ!?知ったことか。それがさほどの問題のわけがあるか。それともお前たち、いつもそういう扱いをしていた自覚がこれと言ってなかったとでも」
と相手を信頼して答えたら、「やめてえ!やめて!タムラにそれは言っちゃだめえ!」とすがりつかれた。
「いえ、江口さん、血相を変えるほどのことではございませんて。私を人間とみなすかどうかは、究極内心の自由でしょうよ」
「そんな事を聞いたらタムラがべそかくでしょう。」
と何か大変なことでも起こるかのように止められたことがある。
何を言ってるんだ江口さん。
「どうしてこの際、タムラをべそかかせることが一番の問題のようになってるの。他人の好き嫌いを否定するほど野暮じゃないよ。」
こちらは殺しても構わないと言ってるようなものじゃないか。
「そんなことより、信じて。そんなことは言わないから。今は孤独でも心が変われば、みんなフーちゃんを理解してくれる日が、仲間がいれば…ええともっと力を積んで実績を積みますから」
「タムラはいつも『意識改革から』としか言ってくれなんですよ。別に私は意識のことを問うているわけじゃないんです。意識から変えなくてはならない回りくどい問題のことについて語っていましたか」
そう言うと江口さんは鼻をすすった。
「そんなあ。タムラが血も涙もない人間なわけないのです」
「江口さん、大丈夫。タムラ自信にはまだ血が通ってる感じがあるから話していたんだ。でも彼は血も涙もない人間と仲良くなれる人間だと思ってるだけだから。」
と答えても、江口さんが全然安心してくれない。
「君は…そんなことより、あれですー、結婚のこと考えるですー。もっと心地の良い関係とか」
「あの、『後ろ盾があろうと、個人的にはさほど意味がなくなる瞬間が何であるか』を考えたんですよ。そうしたら生活に必要な物をやり取りする窓口を止められたら、もう駄目かと考えまして。」
「もうちょっと相手を信用することかんが、かんがえて。もっと安心して、あ、あ、あ、あれ?」
と今度は彼は目を回し始めた。何か考えてしまうところがあったようすで、頭を抱え始めた。
「…ん、でもちょっとまってください。『単一民族にしたら、端的に言って特定の階級の人間が他の民族がためていた金を全部ぶんどれるのがメリットなんだろうなあ』って…
まっ、まっ、まっ、まっ、まっ、まさかあ!フノスちゃんは『個人という括りではもちろん、大きな単位では各民族にすら、お財布と保険の約款があるべき』と考えているのですかあ!」
江口さん、いきなり大きな例え方をした。でも外れてない。
「あ、まあ、そうだよな。かといって民族同士の貧富の差をなくせと考えてるでもないのさ。お前らの様子を見てると、『財ってのは持ってしまうばかりにペースを崩してしまう感』も、どーっかあるし。そういうのをモサモサした徒党にやらせたいわけじゃないしさ。
あとね『お財布は民族で一つ』ってことにすると、血で血を洗う争奪戦のもとだし威張るやつ出るし。厳密に言えば幾つかほしいのだけれども、複数の財布を合併しなくてもほどほどやってけるって意味での大きさだからね。本当に大きな括りだし、ふわっとしてるよ。」
と、これ以上語って大丈夫か考え考え言ってたら、江口さんがこちらに迫ってきた。江口さんの顔、体格に合わせてか、でかい。
「う、うわあ!で、では、かえって今度は『民族同士が仲良くやろう』と思ったらまず何を気をつけますか!?」
「度量衡だろ。あと種。」
「ん。なんで種。」
これは面白いから。ある程度信頼関係が出来たら、全部食べるんじゃないよと言って渡すのさ。と答えると、江口さんにぽかんとされた。
「まずさあ『はじめ、いち、にい、』ではだめだ。有名な話だろ?どこの国もやるんだ。あと『重さ・長さ・量を誤魔化したろう。おい!差別か差別なのかあ!ちょっと遠隔地だからって、足元見やがって』という争いは真っ先に減らしたほうが良い。
これをタムラに聞くとさあ、『言語と宗教じゃね』と言うんだよ。ヘッタクソだなあって。そらただ相手のことをバカにしたいやつが言うことだな。
言語と宗教のことなんて、こっちの迷惑にならん限りはどうでもいいし、正直手放したくもないだろうから、まず度量衡だろ。言語がろくに通じなくても、度量衡。それを言語と宗教に手を付けずになんとかする方法を、知らない?」
「ええと具体的にどうやって。メートル原器のレプリカでもいっぱい配るのですか?」
「そうだね。え、そうしないの?それは最初に考えた。定規も計量もわからせる。
キログラム原基も配るぞ。周辺村落の大きさとも見比べてくださいって。なるべくたくさん配るぞ。
温度計もなるたけ安全なの配るんだ。料理のレシピを伝えたり他のものを作ったりするためだよ。沸点や融点で純度を測ってもらったり。だからなるたけ温度計やさんには頑張ってもらう。
でもね、下手にそれに価値があるってことを大人がわかってしまう前に、急いでたくさん普及させる。だから巻き尺をいっぱい配ったり、作り方を身につけさせたりするんだ。遊びで物を計らせて、皆で持ってる巻き尺を繋いで一体どれぐらいの長さになるか大木や池や丘の大きさを計らせたり、ただのレクかゲームかと思わせるんだ。とくに女の子にはタイの柄が定規になっていたぐらいで丁度いいさ。真っ先に取り上げられないように。他にも隠せる秤とかあったら絶対持たせたいもの。ばねばかりとか。おもちゃみたいな温度計ほしいな。子供らがわかるように。大人に取り上げられないように。
だからね、私きっと、インチとかフィートとかポンドとか言ってる人たちとは、残念ながら仲良くなれないんじゃないかなって。あれ地方によって大きさ違うだろ。」
江口さんはしばらく黙ってから「まあ、まあ、今はある程度統一されてますがね、1959年以前に作られた施設とかのメンテがね、大変だそうです。」
と、私はそこでインチが定められた年号を江口さんが暗記していたことに驚いた。いちおう配電工の仕事の関係なのかな。
「とにかく通商の足がかりになることだから、伝わるかわからないけれど、それを懇切丁寧に伝える。」
それを聞いた江口さんは、ほうと言って「メートル原器って。メートル原器ってえ」と腹を抱えて笑いだした。
「いや、外交の基本は全然ついていないのかもしれなし、スイカの根本に砂糖をまくばあちゃん方みたいに、馬鹿に何を言っても通じないってこともありうるから、こういうことって期待は出来ないのだけれど。
それでも相手がこちらが提示した度量衡を気に入って、借用語なりとも使いたがったり、信じてる神を知りたいとあらば、それは反対しない。
『馬や財産を預かってくれ』と言われたら、いくばくか報酬をもらって持続可能に、だけど力の限り守りたいな。自分には出来ないけれど。
『契約書を守ってくれ』と言われたら、本当は守りたいな。難しいことはわからないから、自分にも出来ることはせいぜい『なんとかの年パス』ぐらいのものだろうけれどさ。
そのうち相手が好きなら暦も配りたい。ええと後回しにするのはどうしても宗教的な事情が絡むからかなとか。お互い押し付けになってしまうのはちょっとやだし。でもあったら便利じゃん。種まきの時期とか分かるし。
時計もさ、あると便利だよなって伝えたいけれど、後回しにするのは、『どこの土地の時刻にしておくか』っていうのがはっきりしないから。それ次第で争ってしまうんじゃないかと考えていて。
そのうち平和だったら、そこの民族の記録とか良い記録も悪い記録も、きっちり保管する図書館なんてのもあったらいいよな。それは『書物を預った』ってことにして、原本がだめになっても大丈夫なように、きちんとした控えや写しを置くんだからね。ぶんどっちゃ駄目だ」
「とにかくフーちゃんが目指すところで『共有』なのですか」「そうだね。」
私は江口さんの言った言葉から、自分が言おうとしてることへの理解が深まった。
「にしてもだ、『安全な金蔵と食料庫と、それをおく場所』ぐらいの保証は必要だ。
そうだなあ、貧富の差はゼロにしないとしてもだ…ほどほどぐらいの金子(きんす)の保管権限はあると、食料庫があると。とにかく財を安全に守るぐらいの契約書があるものだぞと、相手のことを民族として認めるのならば、たとえそんなものは実在しなくても『ある』と思いこんでおいたぐらいでちょうど良いのかもね。
そこから相手をどう人間扱いしていけばいいかがわかるかもなと。そしたらたとえ体臭が臭かったり見た目が好みじゃなかったり食べ物が理解できなかったり、精神性がああこりゃ駄目だ理解不能だと諦めても、どんだけ自分が他の気まぐれを起こしても、そこだけだったら人間扱いとして換算できる気がするの。
たいがいこういう交流ってさ、『それ以外ができないこと』をお互いに怒り出すものだと、日々感じているけれど。
でもそれを抜きに存在だけは認めたいじゃん。だって相手は人間なんだから。そう考えると『貯財の権利は、所在の権利だ』。そうは思わないか。あまりに原始的すぎるだろ。この発想に穴があるだろうことはわかっていても、そうは考えられないか。」
だから私はお金を送ることで、人が行方不明になっていないかどうかをなんとか証明する方法に興味を持ったんだ。最初からそう思っていたんだ。
江口さんは「は、はわ、はわ、はわわわわわ」と喉の奥をわなわなと揺らすと、
「あの、つまりは、つまりはフノスちゃんにとっての、単一民族化って、逆に『それぞれの民族が本来持っていたろう、複数個のお財布の保管場所と、契約書とを奪い取ること』なのですね!?」
「まあ、そうなる、か。『それだけ』じゃないにしろ。真っ先にそこに来るだろう。」
そう言うと、江口さんはぽかんと口を開けて、
「認識が変わりましたあ。面白いことを言いますね」
「え、そんなに面白いこと、言いましたか?」
「んで、囚人にも少数民族にも財布と契約書ありと。じゃ、じゃあ、もしその保証がなかったとしたら…血で血を洗うような争いしか待ち受けていないって感じですか!?」
「もちろん、単純な話そうなるか。いや、当たり前にそうなるでしょう。私そういうの嫌なんです」
それを聞いた江口さんは、こくこくと食べ物を飲み込むように頷いて、
「なんですかそのエゴを極限まで破砕しそうな考えかたはあ!?」と目を丸くしたのだ。
「いえ、江口さん、エゴ丸出しです。エゴは丸出しですから。だってこの調子じゃあ他の個性を丸つぶしにしそうだし。」
すると「エゴ丸出しなんですか?そうですかエゴですか。そんなに僕のことを考えてくれたのですか。そんなにも」と彼は言って、中々私の手を掴んで放そうとしなかった。
「ちょっとちがうよ。『あなたのこと考えた』っつうより、人間ってこうと考えただけなんです」
と何とか二人一緒にいた空き教室を出ることに一生懸命になったか。
私は当たり前のことを述べたはずなのだけれど。
後でタムラに
「あれから江口がオロオロ泣き出していたぞ。お前あいつを心配させるようなこと言うな」
と注意を受けた。私は「なんで泣いた」と驚いた。そういえば学校の廊下で授業中に『ポッポッロポロポロポロポロ…』と鳥が小さく鳴いている音が聞こえていたような気はしていた。
タムラは
「だからあいつ泣いていたんだって。あいつ泣くとき俺らだったら『ヒイヒイ』泣くところをさ、ポロポロポロポロって泣くんだよう。世の中には色んな人がいるんだから」と。
「いやだから泣くって?どうしたの。私は話が本当か確かめたくて、なるべくわかってるだけのことを言っただけだぞ」
まあね、まあねでも相手の気持を考えろよう、とタムラにぐずられても、
「俺も江口が泣いてる理由は完全にはわからないのだけれど、あいつたまに『論理が破綻していた』って感じでなくのよ。」
「ああ、なるほどね。本当に理数頭な人がやるやつだ」
ととりあえずは納得したけれど、江口さんの必死のすがりつき方を私は何度も思い出さずにはいられなかった。
私はタムラから「それを是としている集団が、自分の副業の女性たちの家なのだ」と、教わった。
そのせいで私はこうして花澤さんのことを語っていても、なんだかその手の事をしたくてしょうがない人たちの同族だったり、直接のご親戚に実際そこまでの実行力がなかったとしても
「思想の上では『ああ、ちょっと揉めた人間の口座閉鎖?やってもベリーオッケー』ぐらいに考えてるものなんじゃないか」となんとなく、そうな気がする。勘ぐり過ぎか?
そうして現時点の自分の生活を診て思う。「やっぱりタムラに半べそぐらいならかかせようと構わなかったから、きっちり聞き出しておくんだった」と。
それにだ、いい加減この手の問題が生活で浮上するたびに、もはやうちの母やら親戚たちが
「差別は良くないと思っていたんだけれど。差別は良くないと思っていたんだけれど。今まで自制もしてきたのだけれど。タムラたちと朝鮮人のやり口が同じな気がする。なぜ日本はこんなにもそれをゆるしてしまってるんだ」
と、怒り出すようになってきている。それにはやはり、口にはしないけれど、このあたりを侵害されたことが逆鱗になりつつあるのではないかと私は考えた。
それでも江口さん、その話をした後で私に廊下で言ったっけ。
「あのね、苦手なものが苦手な理由を無理に理解しようとする必要はないんですよ?あなたがしてることは相手の存在を否定するではないのですから。
理由を探そうとするだけ、あの〜。あんまり幸せになれていないでしょうよ。理解できないもんは理解できないままでいいんです。あと、悪口はちゃんと言ってくださいね。言っていいんですよ。論理が破綻していたり、自分が正しいわけじゃないのはお互い様なんですから。」
心配なんです。心配なんです。あなたが心に嘘をついて生き続けることが…と彼は私の手をおっきな両手で包み込むように取っていたっけ。
というわけで、私は感情のままに、彼女なりその関係者をなんとなく苦手としてしまう理由をいっそ全部書き出してみることにした。今になってはこうかなと。
相手のことが怖くて理解が出来なかったとしても、自分が抱いている感情の答えについては、全部把握しておこう。
そうして描いてみたところ、なぜだか
「東京の宮内庁(天皇でもない説あり)とそれに恭順している人物・銀行・雇われハッカー vs そこいらの一般企業と個人(海外もあり)」
が火花をちらしている構図になっていたわけで。それで雇われハッカーに当たる人たちが、この調子ではタムラたちの同族である中華系と、おそらくは人をいじめるときにはそれと同じ手段を取ってくる朝鮮系あたりが多くを占めていそうな気がした。
ちなみに前者はカドカワ等の組織とも仲が悪くないときて、私はおそらく敵対する方の情報を持ってる人間なわけだ。
私は小野・花澤夫妻を怪しんでしまう理由は、そもそもがテレビで優位かつ安全にやっていられる女性たちがたとえ『タムラの同族や友好関係にある民族だろう』と大雑把に前者側についており、
もしかしたら、その調子ではまだヤーさんであることが明確である男性たちのほうが、どうしても前者の側にはつけない様子なため、さほど仲は良くないはずなのに『まだ金銭・物流面でトラブルにならなさそうだなあ』と、あんま自覚なく捉えてるかも知んない事が判明したのだった。
そうとしか捉えられない人が続出しそうな答えとして、男を巡って争ってるつもりだったとすれば、すごく短絡的な答えになるけれど、それではあまりに片がつかない点が多すぎる。
実際には自分はそこの男衆らを、決して敵に回したいわけじゃないが、あまりに自分の好みではないことから、東京にのしつけて返してやりたいぐらいだから、なんともそういう感じではない。
ならば「別の理由がある」と思い出をたどってみたら、現在の事件ともこんがらがることになったぞ。
そのせいで実は「過去に吹き込まれていた情報+現在の銀行トラブルのせいで女性声優嫌い」という、回りくどい構図が浮かび上がってきたのだ。
ごめんよ。よく考えてみたら知っていたのに、またしても後出しジャンケンだ。
ひどいことに、銀行トラブルのせいで期間限定とは言え全面的にヤーさん推しな感じの立ち位置になってしまってる。自分の場合は、まあ「タムラたちが宮内庁っぽい組織についてしまったらそれまで」という危うい立ち位置だけれどね。
こういう回りくどい好みの構成は、仕組まれごとっぽくて、そんなに自信を持って言い張れないことだな。
なんというかこれが、私が彼女に抱いている『特殊な感情』にあたるんじゃないかと。
それでも顔から血を吹き出すほど、身体にまで影響を与えてしまう理由を知りたいよ。
でも本当に相手の組織が放った呪縛のせい?それとも自分のストレスのせい?
どっちのせいだったにせよ「銀行のトラブルと金融庁の介入」とか「カドカワ遊郭建設予定の噂」が、それに一層拍車をかけているだろうことは見当がついてるんだ。
「貯財の権利は所在の権利だ」と言うのなら、彼女のことは「自分の貯財を脅かすもの」であり、そこと自分と相手を見比べたときの情勢の違いがどっか重なる。
自分にとって相手方とは「自分の所在を脅かすもの」扱いになってしまっているのか。
直接関係のある犯人とは限らないのに、花澤さんが当人も知らずのうちに、自分の存在が消されかかっていると、どっか結びついちゃってるのかね?
この背筋が寒くなるほどの恐怖の覚えかたは、そのせいだったのか。
それがあの人のことを思い出すと、自分が顔に硫酸をかけられろと脅された思い出ばかり蘇ってくる理由も、もしかしたらそれなのか。ずっと変だとひっかかる。
なんかあんまり良いこと吹き込まれてないけれども考える。考える。
苦手な理由を突き詰めなくてもよいというのなら、江口さん、たぶんこれが私の考えてる理由だ。けれども半分妄想込みみたいなことだったから、発表はしないでおこうと考えていたことだった。
けれど、まずこの何とも嫌な感じを、凄く強い腰痛とともに外出先で思い出したら、コバエが一匹私の周りをしつこく数分間つきまとって、やがて持ってたカバンの上で止まったから潰した。落ちた蝿をさらに靴でつぶしたら具合が良くなった。
どうしようもなく重たい頭痛とともに書き出すやいなや、自分の視界にいきなりコバエが入ってきて、自分の周りをしつこく回って、空中で消えた。個人の感想とは言え最初に出てきたときに「頭からいきなりコバエが出てきたんじゃないか」と感じられた。
その後、どうにも女の汗の匂いが時分の周りをぐるぐるつきまとって離れないし、自分から離れたと思ったら、母が今度は「気持ち悪いぐらいまとわりついてる」と言っていた。
家の中にある洗おうとしていたタオルの山を持ち上げたらコバエが一匹出てくるし
なおかつ洗面台のとても潰しやすいで母が潰したコバエをピンセットで焼いたとき、もう登り立つような汗臭さに、これはもうだめだと悟った。
うーむ。どうしてこんなにも相性が悪いのか。それになんだか回数繰り返していたからわかるけれど、あの人のことが引っかかりすぎるときは、親戚たちが具合を悪くしすぎるし、カドカワの悪口書いたときほどじゃないけれど、こちらの警戒もせずに挑発するように飛び回る虫もでるし、お風呂に浸かって考えごとしていたら湯船が墨でも流したみたいにまっくろくなるし。窓がバチンッって弾けるし。
いったい、小野の奥さん役が、頭の中で引っかかってただけで、何だって言うんだろう。
花澤さんの関係のどこと自分の家との相性が悪いのか全然わからないのだけれど、『悪口にあたることを考えただけで家の中にあまりに蝿が飛びまくるのはさすがに現象としてとてもまずくね?』と思った。だってタムラがいるし。近所の泥棒ざるにとっては直に関わることだし。
こうなってしまったら、さすがにリーダーに資質がなさそうに見えちゃう問題とはまた別件で、周りの足を引っ張るかも知んないから、もはや報告として出すことにした。
もちろん論理が破綻していたり、推論が正しいわけではないと思われる箇所が多々あるため、信じるか信じないかはアナタ次第。ってこと。
にしても、ごめん!この報告が間違いだったとしても、もう心的負担マジデカイ!
泥棒ザルが家の物置で泣いていたのとはもしかしたら違うかもしれないけれど、なんか自分は自分で彼女のことが重荷になってきとる。すまん!
確かに以前、山寺 宏一のことを「声が苦手」と書いたことはあったけれど、もはやそれとはまったくの別の理由でその職業の人を苦手がるとは思ってもみなかった。それもただの苦手じゃなくて「負担」。
で、正直に告白させていただきますと、実際この手の「なんか調子悪くする」現象、この人起因のだけでも、かれこれ5年ぐらい続いてるんじゃないだろうか。
炎上や誹謗中傷って見るに耐えない。できれば起こらないでほしいのだけれども、悪口を言おうとしただけで害悪が起こるエンターテインメントは、ものとしてどうしようもなく駄目でしょう。
要はエンタメは
「泣けば良いのか笑えば良いのか、はたまた怒れば良いのか呆れれば良いのか。」
見た人に色々な感想を抱かせて考えさせてなんぼだ。
そこにはマイナス感情もきっちり存在してよいはずなのに、そこに支障が出ちゃうんでは、もうそれはエンタメじゃない。
意図してない感情が出てしまうことを全く否定したら、それはきっとただの情報誘導っていうんだ。
だから私は言ったんだ。「生活に支障が出ない範囲なら、自分が他人から人間だと思われてるかどうかすら知ったことか!!」と。
私はエンタメのテンションを自分で作れるわけじゃないけれど、あなたやタムラのお仲間たちがしでかしてきたことだって、到底エンタメじゃなかったことだけはわかる。
で、様子を見るに残念ながら花澤さん、ラノベと同様にあなたはそっちに足を突っ込んでいるから。あなたが落ちる事があるのだとしたら、それは世間一般で言われてる、ルックスとか、年齢とか、力不足の問題じゃない。きっと、怪奇現象とか呪いじみたものが起こってしまったときが一番の原因になるだろうし、もしあったのだとしたらエンタメとしてはあまりにも確実に致命傷になるでしょうよ。
そっちのチームに何か妙なことをしてる人はないか。
もはや気にしないようにして済むものならこんなには書いて表しませんでした。はい、正直。
さてと、ここまでがオカルトサイトの戯言としまして。
それから、前者チームの人たちが「スワンを取った」ところで、こちらの側にうつらなくてはならない確証はないことだから、なので肩脱臼しない程度に、やってみてね!
「そうだよ。それでいいんだよ。同じところまで落とせば良いんだ」
ぐはあ!と眠りかけていた私はいきなり目覚めた。まだ背後の、いる!?
『存在を否定しないかわりに、理解できないものは理解できないままでいい』
その裏の意味が、なんとなくこれか!と私は肩を震わせた。
「本当に良いのか?評価を書いているというより、途中から感想について考えてるぞ。」
後ろのやつに問いかけた。
「いいの。フーちゃんがそれでちゃんとした血を流せるようになるなら。」
せんせいを呼んでいるはずなのに、別のやつが笑ってる。そういえば幼稚園の先生たち、言ってたか。『死者ってのは生きている人のやってることが意味不明すぎて、結構楽しい気分で過ごしている場合もあるのだ』と。
「うふふ。同じところまで」しつこいが耳元で囁かれると、何か違うのかもな。
「なあ、俺のこと忘れてない。また一緒に遊ぼうぜえ」
「私が声に求めているのは、高い低いではない。いっそ気持ちの良い同調だ…」
けれども、その人も眠たいのか、そうして心地よくまどろんでいくのだった。
原因不明にモテない理由
「急がなくちゃ」と起き上がった私の「きいろしんごう人生」、寝起きの頭にごちゃごちゃの要素がずがんと来て、「昨晩は頭の整理に頑張っていたのね」と自分がしてたことをようやく理解した。
けれども身体が痛くない。
居間の方から母が何を話してるのか
「ええとね、これ以上ないぐらい自分が削れている人が、自己研鑽に走ろうと思っても、それは自分を磨くんじゃなくて、ただ四肢を削るみたいに壊してるようなものでしょう?
たぶんそういう人は他人に自分を補ってもらってもいいだろうし、弱音を吐いても良いんだよ。なんか、自分を増やしてからでも十分なんじゃないか。」
誰に話しかけていたんだろう。電話だろうか。
「いやあ、おはよう。つっても私、ただのニートだよ」
「お前のどこがただのニートかい。全然じゃないか。」
とすでにニヤッと笑われている。
「昨日の夜とか天井とか鳴ってひどかったよ。隣も騒がしいし何があったかね」
「まじか。よくわからないけれど、たしかに車は出まくっていたような気はした。」
「あとね、なんと言うかね、『罰則がなかったらヤク中になっていそうなやつとなんて、まともにやり合おうとしたら駄目』って、おばさん思うなー。」
珍しく他人ぽく振る舞った。あれだ、たぶん年の功で判ったというやつだ。
「フフ、おばさんになってしまうとトレンドが何かだなんて、正直かなりどうでもよくなるのよ。
いや正直ってなにかにずっぷり浸ってる感じの人って、”そっち”だと思っていて。いや昨晩無性にそれに腹立ってさあ。怒っていたら、天井鳴ったさな。
あの、言っちゃ悪いんだけれど、アイドルって絶対そっちだと思っている。」
「いやあタムラたちなんて大方そうじゃないのー。」
「そうそ。でもその事を何かに勝ったと言われたら、困るわ。それでいて若いときの成功っていわれるものの大半が、『何かに浸ること』だったりするよなと思う。
そんなものとは関わりたくないわと思ったのさ。
それから、も一つ。若いうちの競争意識だったり、せっつきあいなんて、結局は親の『はやくおむつ離れ乳離れしないかな競争』みたいなものなんじゃないかなって。
別に若い子が独りで戦っていたり、競争をしているんじゃないんだろうなって。
さすがに周りを汚すし自分も不快になるから、『トイレはさすがに覚えさせろよ』と思うけれど、ひっぱたいてまで覚えさせるのはどうかと思う。親父のところのババアはさ、とにかく叩いて教えようとするタイプでさ。
フノスは気にするほどじゃないけれど、ちょっと遅かったこともあってね。たたけと言ってきた。でも私はトイレを知らせるようになったら、それで良いところ進んでいるんじゃあないかと思って、聞かないでいたのさ。
けれど見てみろ。そのたたけと言った親から出来たのが、そこいらに鼻くそ塗りつけて回るような、あんな男だぞ。
親父がそういう嫌なことをするのは、障害児だからといったらそれでもかもしれないけれど、本当にそうか?
でも本当のところは知能のあるなしに関係なく、人間かどうかも怪しい雰囲気があってもだ、地獄に落ちるような人間であってもだ。必ずや成長はあって、成長についてはある程度同じ経過を辿るんじゃないかと。それも本当は、『ある段階でいきなり大人になる』んじゃなくて、『行きつ戻りつしながら大きくなる』もんなんじゃない。
だから早く思ったように育てられて『勝った』と思っている親もさ、あるいは『なんでうちの子はこんなに出来が良いのに』と思ってる親もさ、そのガタが子供に出てるのかにいつ気づくともしれないのになって。それこそその成長を急いだガタのほうが、病気なんだろうなって。
だからいい加減になると、他のこともそうなんだけれどね、割と親同士の変なプライドでぶつかったり、見比べたりしてるだけなんじゃないって。
でね、お前『自分が何も出来ない』とか、『昨日出きたことが明日できなくなる』と思ってるかも知んないけれど、実は病気でも何でもなくて、どっかではきっちりこなさなくちゃならないその『行きつ戻りつ』の段階、なんじゃないかなって。
いやあそれこそフノスがあんまり小さいときの事を思い出してね。あれに比べたら、今はなんも大したことはない。実は成長の段階で人を見るの、わりとアホらしいことなんじゃないかなと。
成長ってのは、『上がるだけの階段だ』と思うところからしておかしいし、実際まちがってるよなと。そんな気がしていた。」
と母はつらつらと言ってのけた。なんだか昨晩、そんな事を考えていたら天井がすさまじく鳴ったという。
たしかに私もそれをゆるく捉えてくれたから、幼稚園なんかでおもらしをしている子供がいても、割と平然と接していた感じはあるのかも。病気とかでなさそうなら、雑巾を持って対処をし始めたり、先生に言っていた。
そうして私は一つ学習したことがあった。「子供が」毅然と接している場合、おもらし、つまりその手の発達段階ミスについては、周囲の人間が不思議と全く騒がなくなるのだ。
思えばそれのせいで『せんせい』がかもめ組に入る直前におかしくなっていたことにも、「調子が悪いときにはこういうこともあるでしょう」と、さほど怖がるでもなく対処をする気になったのだと。
「あとね、『ケツ臭い女』とか、『女の汗臭いハエ』とか、『臭いカケス』ってさあ、まあ何で絶対モテないか凄く分かるんだけれどね。
でも『モテない』って理由を考えてみたらだ、浮気されたことをママに言いつけてやる!って言った時点でその原因、割とお前に魅力がなかったことだよねとわかるようにね、」
母は『ルージュの伝言』を初めてはっきりと聞いてみたのだという。それで。
「あれ『単純に綺麗にしていない』っていう話だけじゃなくて、だいぶんママに原因ありげだよね。
そいだら、ハエやカケスがさあ、おむつ取れるの早くしようとしすぎた的なことで、今更遅くまでガタが出て『ケアすべきところが臭くなる』っぽく、何か痛々しいことになった女って意味なんじゃないかと。
そらあ、そういうところの母娘ともどもから恨まれるでしょうな。どっちかというと母親から恨まれるでしょうな、と考えたんだ。」
うん。そういうことなんじゃないかな。と母は独り頷いていた。
「でね、きっちり『ちくしょう』って怒るとね、関節リウマチの痛みだした腫れとか、赤みが大分失せるのさ。」
そう言って母は、変形した親指の腫れを見せてきた。何日か前はここまで腫れていなかったはずだ。急に腫れて、そう念じたらとたんに赤みも痛みも消えてきたという。
「いい加減になると『何もかもがわざと出ないわけ無いだろ、大人なんだから』とは思うんだよ。本当、もはや色々なことがね。」
「あのね。残念だがモテるモテないで窮屈な思いをするのは、極論、『親が元気なうち』だし、年齢的に若すぎて揉める理由づけに親のつまらんプライドとか全盛だよなって。
あまりにもモテない理由が原因不明なとき、それは『本来謝らなくても良いことすら、ひいひいキンキン強制し続けるようなことを無理やりし続けてきたから』なんじゃないか。」
それは母の周りではかなり心当たりがあることだった。だって彼女をあんな親父のところに売り飛ばすように結婚させた私の祖母のところに残された母の弟は、結局モテずじまいでずっと独身のまま現在に至る。
「でも、自分はたぶん追い出されたばかりに次があるかも知れない。
なにかと条件が揃っていて、はみ出してる面がなくても、あっち(タムラとか東京勢)なんかはどうやってもモテないし、ざんねながらうちの娘、いろいろ欠けてる面があってもモテてるもの。
自分の周りを見ていると、どうにもそうなんじゃないかと思えてきた。」
「世の中、原因不明に自信が持てない理由はトラウマだとしても、原因不明にモテない理由は『親のカルマを子が背負った』みたいなもんなんじゃないのかい。
この際のカルマっていうのは、きっと『親が今まで、ほんとうなら謝るほどのことではないことにきちんと気づけなくて、それで何も知らない子供の頭をどれだけ抑えつけてたか』ってことなんだよね。
それが30代ぐらいまでなら平然と影響しているんじゃないだろうか。
でも、結局は、その積年のうとさを、力勝負で何とか補おうとした時点で、本当はズレてる。なぜモテないかって。それらがやろうとしてることは、『もはや自力で自分を守れるようになっている者どもに、力を見せつけてなびかせようとしてる』こととどこか変わらないんだ。」
さすがにタムラや小野や江口さんやその仲間たちが、そんなもののはずはないだろう?と問われて、私は頷いた。
「もっとも程遠いのは、おそらくパイロットとしてやってる小野だろ。次にエサで釣れるが強さは圧倒的な江口さんあたりが来るんだろう。タムラは頭を抑えつけられると結局当人が最も余してやりづらくなってダメになるから向こうに居続けることはできないし、力量で世間一般からはすでに浮いている。
東京の者たちには、めぼしい者たちを全部連れて行ってしまったみたいになって、すまないなあとは思うのだが、自力で己を守れるものたちを相手取って『ほんとうなら謝るほどのことではないこと』の限りを尽くした力比べを見せつけて、相手に振り向いてもらおう、モテようだなんて、どれだけ意味がないことだかわかるだろうか。
そんなものは『なびかせようとしてる』わけだから、きっと別の種類の男に、も少しなびく必要がある不自由な男にモテる方法だ。それにな、わるいがさすがにそれは女のモテ方ではないな。
だけれど私はそれはそれで引っかかってきた不自由な男のほうがまだ良いんじゃないかと思う。だって明らかに操縦可能だから。
まあ、タムラたちのことを熨斗つけて返したくなったり、『男としては申し込まれる前から願い下げ』なあたりが、あっちがたの親御さんたちと理由は同じなんだとは思う。
あいつらこそ、本当なら謝るべきことも分かってなければ、謝るほどではないこともきっちり考えたことがないだろう。ずっとそれではだめさ。」
『なんだい。やりっぱなしのほうがこの国といわずだが、少なくとも日本では偉いのかい』と母はぼやいた。
「私もお前も、どう見たって幸せからは程遠い。まあ、女の育て方で間違ってることを男に当てはめたって、たいがい良い訳はないんだからな。」
そう言って母は私を見てため息をついた。
「弱いふりをしろってわけじゃない。それどころかいい歳こいて心が弱すぎたら、そらただのクソ野郎に落ちてるだけだったりする。
強くていい。強くていいとも思っていたけれど、
けれど『おむつ取れる競争のまま子供を大きくしてしまった』その考え方では、だいたい心も弱そうだし、というか心の弱さのうえにしか物を築けていない。
たしかになあ、
そういう事が器用にできるからって、やるかどうかは別でしょう?
人様から選ばれないことを、『相手が他人に迷惑をかけてるわけでも、罪悪感をもつべきでもない点』を探り出してまで勝負をつけようとした時点で、じつは半分負けを認めているようなものなのだけれど、それに気づけずに勝ち誇ったように自慢してしまうのだろうな。
それでも相手が魅力を感じるエサは、どうやっても出せやしなかった。
そらそうだ。
とても結果論的なことだが、あまりの似たもの同士が力勝負に出るようなことをしてしまったら、当然力のないほう、女のほうが不利になるに決まってる。
それを悲しんでいるのだとしたら、本当に哀れかもしれないなと。
男の育て方で正しく見えたことを、女に当てはめたって、さして良いことになるとも思っていないわ。男が割とクソだから。
なんっか話聞いていたら、結局女を強くだけ育てようとしても、結局は守られる側だろ?まあそら頑張ったってどうしても強く速く抜け目なく動かなければ何かを守れないっていう役回りにはなれんものだ。
守る側につけないのもあるけれど、ほとんどの女がつけた力を存分に使って、したたかーに掴み取った選択肢が、だいたい『完璧に守られる側につくってこと』。
そうだったと私には見えるのだが。それが東洋の女なのかい。偏見を持たないように必死になっていたが、もう一度そうだと気づいてしまったら、私はもう歯止めがかからなくなってしまっていてね。
『自分の力で誰かを守る』っていう選択をするに至らなくて、ただ力をひけらかして無責任に終わってるでしょう。
でもね、それが『どこに行ったって最強になる見込みがないものを急かして得た力のタカなんだ』と思っている。」
「私は放任主義なほうなのだが…まあその割には行動制限とかいっぱいかけてるがね、『女の子に、(よくよく考えてみたらでいいから)よそ様に向かって謝るほどではないことについて、あんまり急かしたり叩いたり厳しくしなくてよかった』と今更思っているところさ。
そらあね出来ることは多いに越したことはないし、増やしてもいい。実力があるなら認められるべきだと思ってきたが、それはただ器用だということでだ、できなくてもあんまり急かさなくてよかった。
それでもお前はだいぶん真面目な方に育ったよ。そう持ってくつもりはなかったけれど。
おそらく手が届くほど近くにあった最も頼りがいがあるものたちを、むざむざ逃してしまう原因があるんだとしたら、それはある意味で親のうとさだと思った。
『こういう勝負に負けたのは、娘の責任ではない。親であるお前の責任だったのだ』と思ったら、そこの窓が大きく鳴ったなあ。」
母は笑った。
「そうしなかったからって頼りがいがあるものが、身近にやって来きて味方してくれるわけではないし、お前は幸せじゃなさそうだが。
かといって『逃すほど』のことには、なってないだろう。
なんだかんだお前は真面目だが、あいつらに直言はしても、無自覚に型破りや常識に収まれなかったことを治させようとしてないんだろうし、男たちを力でなびかせようとはしてないのだろうなと。
それで今の処、(この先はどうだか知らんよ?けど)結局びくともしない男たちを支えてなどいなくても、役に立たなくても、べったり下手に出続けなくても、近くにいれば居心地が悪くないことになってるのさ。
まあ、自分が幸せになれないからって、おてんとうさまはどっか見てるってことよ。」
「お前の場合、評価してくれない同年代も、見比べたり引き合いに出されてくるものも、たぶんただの親の競争意識をまんま投影してるだけだから。まあ、そう思っておくがいいさ」
そう言われると、ちょっと気楽になるところがある。親戚の子がまた突然こちらに来ると連絡をよこして、私は少し緊張していたのだ。
母は少し離れた部屋に寝てたから、夜中の私の内面をろくに知ってるわけじゃないはずなのに、なぜか布団の中で悶々と、自分がずっと困っていたのと似たような題材で考え事をして、その末に何らか別の視点で答えを出していた。
私は「貯財の権利意識」という観点で、母は「『人の成長』の捉え方の違い」という、
違う観点で「きっと親らへん(親の親戚・親玉・親組織を含む)と相性悪すぎやしないか」と、似たような結論にたどり着いていた。
まあ2つの結論を合わせてしまうと、
「東京のタムラの同業者たちの親御さんがたは、
組織的な手口でみずほ銀行をはじめとする様々な銀行にクラッカー集団を送り込み、
他人の銀行口座から多額の金をすべて盗み出し自分の私腹を肥やした上で、
いつまで経っても我が子のおむつと乳ばなれが早かったことだけをプライドに、
国際警察に追われる恐怖だけは棚に上げ老後は凄い額の年金を貰って暮らそうと
明日の勝利を信じながら、今日も明るく天然痘や帯状疱疹になるような呪いを本気で信じ込んで放ち続ける
かなり精神バランス不安定な人たちっぽそうだから苦手」
という、割とただの犯罪者では!?という惨憺たる悪口になるのだけれど。
江口さん、これが私の感情だ。
今タムラがこの場にいたのなら「日本の歴史上非常に高貴な人たちなのだからおやめなさい」と必死になって止めたろうね。
私はその様子を見て、「もしかして、母が答えを発見したことをきっかけに、小野の奥さん役を思い浮かべただけでとめどもなく生じてしまう焦りと虫と風呂水がまっくろくなる現象は、少し治まるのかも」と妙な展望を描くことができた。
なかでも『焦り』に至ってはなんとなく、自分の内面だけでなくて、きっと自分の身の回りにも起こるんじゃないかと思えるところが不思議だった。
だってこの話を聞く限り、自分の中の熾烈な『見比べ』の原因だったり、見比べないでいようと思ったらかえって火がついたように悪化する現象の数々が、たぶん子供同士の問題じゃなくて、なんとなく親同士の内面の問題だったかもしんないから。
試しに私は、母がいつも痛がる背中の一点をさすってみることにした。
「あれ、今日はそこ具合が悪くないね。重たさが全然違うんだよ」
「ああ、ほんとに!?」
とても珍しいことが起こったものだ。
おもちゃたちがやってきた
その子が「こういう付き合いも大事なんだから」と、どこか付き合いがある人の自宅の片付けをしたようで、いくつかいらないと言われたものをもらってきた。
「場所ないから置かせて」
と言って届けられたダンボールの中身を確認した。大きい猫の置物、和風の小物入れ・取っ手が少し壊れている、ティーカップとソーサーそれらをしまうための台、ベニヤで出来た小さな安いつくりの鳩時計風のおもちゃ、絵画の柄のお菓子の缶には中にアルミホイルをしいてマッチが無造作に詰めてある。
私はだんだんと思い出した。
「これ、どこから。全部私が通っていた幼稚園に置いてあったものじゃないか」
「ええ?うちは、ただあそこの社長さんの家の片付け手伝ったら貰っただけよ。」
この社長さんというのは、決して園長先生ではない。それがなんで。
「まあ、気に入ったなら置いといても良いんじゃない?へへへ。かっわいいでしょ。ああでも失くさないでね。私が可愛いと思って持ってきたやつだしまだ家に場所がないだけだから。」
あのときの出来事が真実味を増して思い出されていく。
タイミングも送られてきたものも、絶対わざとだとわかっていた。まだ私の人生が黄色信号って、ことなのか。
―「まだ書け」と。あの幼稚園の思い出を。
鳩時計風のおもちゃには、ゼンマイがこれ以上無理なぐらい巻いてあったのか、仕掛けについていたクランクをさしてもうごかなかった。ぶら下がっていた重しを外すとほどけ出し、とうてい正確な時刻なんて刻みそうにないはずみで、1秒よりもはやくうるさく、心臓に悪そうにカチカチと動き出した。
これは3日の間鳴り続けたが、もう勝手には動きださなくなってから居間の食卓に持っていって置いてある。
そこでたまに風に乗って動くときと、私がヤマワサビをおろすときに、その振動に呼応してか、たまに勝手に動き出すことがある。
「あそぼうぜい…」
客人が帰り、人気がなくなった背後から、しっとりと呼びかけられた。
せっかくおもちゃもやってきたんだしよう