「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。
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坪井木の実さんの朗読で今日のお話が(約5分間)お聞きになれます。
ためらいには、いくつもの種類があるように思います。勇気がない、きっかけがない、人見知り、といった自分の内面が原因のもの、環境が整っていない、危険が多いといった環境にまつわる思いが原因のものなどさまざまでしょう。しかし私は、実は原因がはっきり分からない、いわば「モヤモヤしたためらい」に一番の重きを置いています。
原因がはっきり分かるためらいは、言い換えれば、「しないことを選ぶ」と決める理由がはっきりしている、ということです。その場合は理由を根拠に、いまは止める、この道は選ばない、少し考えるなどはっきりと選ぶことができます。
一方、「なんだか分らないけれど踏み出せない」というためらいも、少なからず起こります。私はそんなときこそ、「いまはしない」と選ぶことが多いと感じています。根拠も理屈も超えた何かが、「まだやめておきなさい」と告げているように思うからです。その選びが自分の心のモヤモヤによる場合もあるし、「まだいいんじゃない?」という誰かからのアドバイスによるときもあるでしょう。「まだ待ちなさい」と、神様が伝えてこられたと感じたからというときもあると思います。
もちろん、お告げが幻聴のように聞こえるわけではありません。むしろたいていは、祈っているときすぐにはシグナルがこないことが多いのです。けれど何かの拍子に、ふとシグナルを受信したと感じる瞬間が訪れることがあります。その選択自体をなしにするのか、時期を待つのか保留にするのかといった答も、多くは同時に示される気がします。
そんなとき、私は素直に「やめる」と決めているようです。
神様のお告げは、踏み出すばかりでなく「引く」ときにもあるのかもしれません。