(写真)嘉瀬劇場の建物。
2025年(令和7年)7月、青森県五所川原市金木町嘉瀬を訪れました。かつて金木町嘉瀬には映画館「嘉瀬劇場」があり、倉庫として建物が現存しています。
1. 金木町嘉瀬を訪れる
1.1 津軽鉄道線嘉瀬駅
津軽地方北部の西北地域は五所川原市を中心都市とする地域であり、弘前市を中心都市とする中南地域とともに、青森県におけるりんごの主産地となっています。十三湖を経て日本海に流れ出る岩木川の流域にあり、青森県では最も大きな平地が広がっている地域です。
JR五能線五所川原駅から北に向かって伸びるのが私鉄の津軽鉄道線であり、金木市街地にある太宰治記念館 斜陽館への観光客の足となっているようですが、私は金木駅のひとつ手前にある嘉瀬駅で降りました。
1997年(平成9年)にフジテレビの企画で香取慎吾と小学生によって塗装された車両「夢のキャンバス号」が留置されています。20年後の2017年(平成29年)には再びテレビの企画として、30歳前後になった当時の小学生と香取慎吾が再開して再塗装が行われたようです。
(写真)嘉瀬駅に留置されている「夢のキャンバス号」。
(写真)嘉瀬駅。
1.2 保食神社
嘉瀬集落は1955年(昭和30年)まで北津軽郡嘉瀬村という単独の自治体でしたが、地図を見ても大きな神社や寺院が見あたりませんが、駅前通りと県道が交差する派立十字路の北西角には馬頭観音という扁額が掛けられた保食神社がありました。
(写真)保食神社。
境内では「いごぐ穴跡」の看板、「天明大飢饉餓死者之供養塔」という木柱が目につきました。天明年間(1781年~1789年)の天明の大飢饉の際、津軽藩では24万人の人口のうち11万人が餓死、6万人が逃散したとされ、嘉瀬集落では全滅に近かったとされます。
1.3 嘉瀬の通り
嘉瀬集落では東西方向の派立通りと南北方向の小泊道が「ト」字型に交差しており、商店などは2本の通りに沿って分布しています。
(写真)東西の派立通り。
(写真)南北の小泊道。
1.4 嘉瀬の民家
モルタルを用いた擬石仕上げの壁面、出桁造のように突き出した桁、傾斜が緩やかで軒が深い屋根などが、戦後に建てられたこの地域の民家の特徴のようです。
(写真)嘉瀬集落の民家。
(写真)嘉瀬集落の民家。
より古い民家は入母屋ではなく寄棟が多いようですが、開口部が小さく見えるのは豪雪地帯だからでしょうか。屋根の傾斜は一般的な寄棟/入母屋の民家と同様に急であり、より新しい民家と比べると軒が浅いのも特徴です。
(写真)寄棟屋根の民家。
(写真)寄棟屋根の民家。
2. 金木町嘉瀬の映画館
2.1 嘉瀬劇場(1945年3月-1964年頃)
所在地 : 青森県北津軽郡金木町嘉瀬(1964年)
開館年 : 1945年3月
閉館年 : 1964年頃
映画館の建物は「嘉瀬郵便局」南10mに「阿部工務店第5資材庫」として現存。
1950年代初頭から1964年までの映画館名簿には、金木町嘉瀬の映画館として嘉瀬劇場(嘉瀬銀映)が掲載されています。もともとの経営者は木下千代吉、昭和30年代の経営者は2代目の木下知(きのしたさとる)であり、木下知は金木銀映や喜良市映画劇場も経営していました。
木下知は1919年(大正8年)9月14日に嘉瀬村に生まれると、製材所の経営を経て映画館も手掛けるようになり、映画人気が下り坂に転じた1965年(昭和40年)に設立した家具のキノシタ代表取締役社長として知られるようになりました。1981年(昭和56年)時点の売上高は80億円であり、家具小売業としては全国第10位で北日本最大の家具店だったようです。上位は速水家具、家具の島忠、家具の大正堂の順であり、現在の家具小売業第1位のニトリ家具は木下家具の1/3程度の29.5億円でした。
参考:「キノシタとニトリが協力関係にあった時代があった」ブロ玉、2025年6月29日
(写真)嘉瀬銀映が掲載されている『映画便覧 1964』時事通信社、1964年。
(写真)嘉瀬劇場経営者の木下知。『全国家具企業100選 1983』経済出版、1983年。
嘉瀬劇場について、ウェブ上では有意な情報が全く見つかりません。
Googleストリートビューで嘉瀬集落を眺めていた際、嘉瀬郵便局の南側にある巨大な倉庫が目に留まりました。建物の主要部は平屋建の三角屋根であるのに対して、小泊道に面した入口部分は2階建または3階建に見える建物です。これまでに調査した映画館建築を踏まえると、この建物はかつて映画館だった可能性があると感じました。
五所川原市立図書館にこの建物について問い合わせると、古い住宅地図においてこの場所には「映画館」と記されているとのことでした。ウェブ検索では嘉瀬劇場の正確な跡地が分からなかったのですが、図書館の調査によって、この集落における映画館(≒嘉瀬劇場)がこの地点にあったことが確定しました。
そこで私は、この倉庫が映画館の解体後に新たに建てられた建物なのか、映画館の建物を転用した建物なのかを確かめるために現地を訪れました。派立通りにある原田でんきの主人(70代?)に話を聞くと、この建物こそ、かつての嘉瀬劇場の建物であり、建築資材の倉庫として今も活用されているとのことでした。
倉庫の入口脇には「阿部工務店第5資材庫」という看板が掲げられています。阿部工務店は五所川原市雛田にある建設業・不動産業の会社のようです。座席などは完全に撤去されていると思われますが、舞台や映写室などの施設が残っているのかどうか気になります。
(写真)嘉瀬劇場の建物。
(写真)嘉瀬劇場の建物と嘉瀬郵便局。
(写真)1962年の航空写真における嘉瀬劇場。地図・空中写真閲覧サービス
なお、五所川原市立図書館のOPACで住宅地図について検索すると、戦前の五所川原市街地を描いた『五所川原街なか住宅地図』、発行年が「1958年から1968年」という『木造町住宅地図』、1969年発行の『最新版住宅明細図 五所川原市 木造町 板柳町 鶴田町 金木町 柏村』など、なかなか興味深い文献がいくつか見つかります。
(写真)嘉瀬劇場の建物の背面。
(写真)嘉瀬劇場の建物の側面。
金木町嘉瀬にあった映画館について調べたことは「青森県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(青森県版)」にマッピングしています。