(写真)旭館の建物。
2025年(令和7年)7月、青森県弘前市石川を訪れました。かつて石川には映画館「旭館」があり、旭館の建物は現存しています。
1. 弘前市石川を訪れる
石川地区は弘前市街地の南東8kmにあり、岩木川支流の平川が形成する扇状地の扇頂部付近にあります。この扇状地を含む津軽平野は青森県最大のリンゴ産地となっており、石川集落の南西にある山は全体が果樹園となっています。弘前藩の藩校稽古館に起源を持つ伝統校の東奥義塾高等学校があるのも石川地区です。
(写真)石川地区の本通り。
石川地区の本通り沿いなどには、正面に千鳥破風が配された大入母屋の豪農宅もいくつか見られます。軒の深い大型の蔵も目に付きました。
(写真)石川地区の民家。
(写真)石川地区の民家。
(写真)石川地区の蔵。
石川地区の中心集落は平川の左岸にありますが、かつて旭館があったのは御幸橋を挟んで対岸です。1939年(昭和14年)の地形図で石川町を見てみると、石川小学校や病院こそ平川の右岸にありますが、旭館が建つ場所は水田だったと思われます。
(地図)1939年の石川町の地形図。今昔マップ
1939年(昭和14年)の地形図における幸橋は石川市街地からやや向きを変えて真東に延びており、現在の御幸橋とは右岸側の架橋地点がやや異なります。かつての架橋地点のすぐ先には個人商店が残っており、はす向かいにある看板建築の工藤はきもの日用品店も印象的です。
(写真)工藤はきもの日用品店。
(写真)平川の右岸の集落。
2. 弘前市石川の映画館
2.1 旭館(1954年7月-1958年頃)
所在地 : 青森県弘前市石川(1958年)
開館年 : 1954年7月
閉館年 : 1958年頃
映画館の建物は「弘前市立石川小学校」敷地入口北西180mに現存。
1955年(昭和30年)版から1958年(昭和33年)版までの映画館名簿には、弘前市石川の映画館として旭館が掲載されており、経営者として工藤竹之助と記されています。なお、映画館名簿以外で旭館に言及している文献を確認できておらず、旭館の沿革などについては不明です。
(写真)石川旭館が掲載された『映画便覧 1958』時事通信社、1958年。
旭館の建物は現地に現存しています。戦前の平川の右岸は市街地化が進んでいなかったことに加えて、『全国映画館総覧 1955』によると1954年(昭和29年)7月設立とあること、ファサードに記された「旭館」の文字が左書きであることなどから、この建物は戦前からあった芝居小屋ではなく1954年(昭和29年)に竣工した劇場と考えてよいでしょうか。向かって右側の円柱形の部分はどのような機能があった部分なのか気になります。
(写真)旭館の建物。
(写真)「旭館」の文字。
(写真)建物入口。
旭館の建物は木造平屋建てですが、木板が露わになっている背面以外の壁面はモルタル塗りで仕上げられています。赤色のトタン屋根がアクセントとなっているものの、灰色の部分の多い外観は冷たく無機質な印象も感じさせます。豪雪地帯という地域的な特性に根差した構造でしょうか。
日本の映画人気は1950年代に急激に高まりを見せ1958年(昭和33年)には映画観客数がピークに、1960年(昭和35年)には映画館数がピークに達しましたが、その後は観客数も館数も急減しています。旭館が映画館名簿に掲載されているのは1958年(昭和33年)版が最後ですが、同年はまだ観客数が激増していた時期であり、この年に閉館したのであれば珍しいケースであるといえます。火災による焼失、豪雪による倒壊など、営業の継続が困難となった突発的な出来事があった可能性もあります。
(写真)南側の側面。
(写真)旭館の背面。
(写真)北側の側面。
弘前市石川にあった映画館について調べたことは「弘前市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(青森県版)」にマッピングしています。