なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 階段を降りてカジノフロアに続く扉に手を掛けるまで、人間の気配はしなかった。

 とはいえ、つい先刻、酒場に入った瞬間に襲われたばかりだ。流石に警戒し、扉の横に身を隠して蹴り開ける。

 

 辛うじて西日が差し込んでいた階段とは違い、地下階のカジノフロアは完全な暗闇──そのはずだが、部屋はそこかしこに置かれた蝋燭によってオレンジ色の光に満ちていた。

 

 「……やあ。また会えて嬉しいよ」

 

 再会を喜ぶフィリップの声には、台詞通りの歓喜が込められている。

 そして同量以上の憎悪と殺意も、また。

 

 部屋の中にいたのは、黄土色のローブを纏った矮躯のカルトだ。

 手にした燭台が照らし出した顔は、昨夜高級カジノで見た者と同じ。確か、十人長の四番セルベッドと名乗っていたか。

 

 「四号ちゃん、だったかな。ここに居たのは君一人じゃなさそうだけど、他のカルトはどうしたの?」

 

 この部屋に元々あったのだろうテーブル類は部屋の隅に押し遣られ、代わりに寝袋や脱ぎ捨てた衣服、簡易な折り畳み椅子なんかがそこら中にある。

 ざっと数えた範囲では二十個ほどか。まさか彼女が一人で使っていたということはあるまい。

 

 部屋のそこかしこにある燭台のうち、幾つかはたった今吹き消されたかのように白煙を立ち昇らせていた。

 

 「いま逃げ出したって感じだけど、上がってきた気配は無かったし、地下道でもあるの?」

 

 フィリップの問いに、少女は答えない。

 無言のまま幽鬼の動きで片手を挙げ、フィリップへ伸ばす。そして。

 

 「……?」

 

 いつでも飛び退けるよう身構えたフィリップと同じタイミングで、少女も首を傾げる。

 

 二人は同じ予期をして、同じくそれを裏切られた。

 ぶかぶかのローブの袖口から飛び出すはずだった触手の槍は、少女の命令に従わなかった。

 

 「……まあいいや。喋らないなら死ね、今度こそ」

 

 まあ喋っても最後には惨殺するわけだが、フィリップは一度取り逃がしたカルトを今度こそ殺そうと、全速力を以て突撃する。

 

 フィリップの見立て通りなら、彼女の存在格は人間と同一──というか、触手以外は人間そのものだ。

 龍貶しの刃は容易く通り、骨すら抵抗にはならない。

 

 狙うは足。

 細く、鍛える余地も無いような骨ばった脚部。

 

 まず移動力を奪い、その後、拷問する。

 

 十歳そこらの女児を相手に抱くには猟奇的でさえある悪意を、他者が持っていれば「気色悪い」と評するであろう感情を、フィリップは利己的に肯定する。

 

 カルトは殺す。なるべく惨たらしく。

 たとえ赤子であろうと、老人であろうと。傾城の美女であろうと、傾国の美丈夫であろうと。誰であれ、何者であれ。

 

 「──ッ!」

 

 両足を一息に断つ一閃。

 横一文字、居合の動きにも通じる最速の一振りは、しかし。

 

 「──《ヨグ=ソトースのこぶし》」

 

 少女の呟きによって、振り始めると同時に強制終了させられた。

 

 身体全体に強烈な圧力がかかる。

 前面だけではなく、本当に全身にまんべんなく──内臓や背部にまで均等に。それは押し潰すというより、突き飛ばすのと後ろに引っ張るのを同時に、完璧に合わせたような感覚だ。

 

 その圧力自体による痛みは無い。

 しかし身体は完全に宙に浮き、一切の抵抗を許さない強度で放り投げられた。

 

 「っ──、がッ!?」

 

 吹き飛ばされたフィリップは入ってきた扉をブチ破り、壁に激突して落下する。

 辛うじて後頭部を守るくらいは出来たが、受け身は完璧には程遠い。強かに背中を打ち、肺の中の空気がほぼ全て吐き出された。

 

 床に転がったフィリップに、カルトの少女は無造作に歩み寄る。

 

 「……っ」

 

 フィリップは動けない。

 剣だけは手放していないが、衝撃と酸素不足で力が入らない。

 

 いまあの触手を展開されたら、フィリップには本気で防ぐ手立てが一つも無い。

 回避や防御どころか、立ち上がった時には決着がついているだろう。

 

 フィリップは薄く目を瞑り──小さな嘆息と共に()()()

 

 「仕方ない、か」

 

 諦観に満ちた、小さな呟き。

 それは聞きようによっては、この絶体絶命の状況に際して、死を受け入れたようにも聞こえる。

 

 だが、違う。

 

 そうではないと、すぐ傍らで声を聴いた少女には、それが分かった。

 どうしてだろうか。彼女はフィリップと親密なわけでも、フィリップの素性や性質を知っているわけでもない。フィリップのことを、彼女は何一つ知らないといっていい。

 

 なのに、彼女は怯えたように足を震わせ、弾かれたように階段を駆け上がっていった。

 

 「はぁ……?」

 

 フィリップはそれを怪訝そうに見送り、ゆっくりと立ち上がる。

 

 両手足の感覚、視覚、聴覚、平衡感覚、全てクリアだ。一片の曇りも無い。脳震盪を起こしていないのは幸いだ。

 おかげで、即座に後を追える。追って、殺せる。

 

 「痛いじゃあないか。クソ劣等種……!」

 

 フィリップは再び思考を切り替える。

 諦めている場合じゃあない。仕方ないなんて言っていられない。あいつは手ずから殺す。

 

 階段を駆け上がって酒場を飛び出すと、夕暮れの時間は終わり、町は夜闇に包まれ始めていた。

 だが直前まで地下に居たこともあって、暗順応は早かった。目を凝らすと、人気のない道を大通りに向かって走る、独特なシルエットが目に付いた。

 

 「待てッ──!」 

 

 ほぼ反射の速度で加速し、追いかける。

 運動能力も体格も勝るフィリップは彼我の距離をぐんぐんと詰めていくが、それでも、彼女が大通りに出る方が早かった。

 

 「クソっ!」

 

 数秒遅れでフィリップも大通りに出る。

 そして数秒前の罵声を忘れたかのように、口角を吊り上げて笑った。

 

 大勢に紛れられるのも、人質にされるのも面倒極まるから、大通りに出られるのは避けたかった。だが実際には、大通りには殆ど人が居ない。日が暮れて店の類が軒並み撤収し、人々も自分の家に帰った後だ。

 

 「はは……!」

 

 フィリップの哄笑に、先を走るカルトが振り返る。

 夜闇とぶかぶかのマントのせいで身体の動きが判別しづらいが、どうやらこちらに手を伸ばしている。

 

 「──、っ」

 

 彼我の距離は20メートル。

 彼女と相対した経験が無ければ、魔術攻撃を警戒するところだ。

 

 だが違う。

 何が来るか、フィリップはもう知っている。

 

 予想に違うことなく、袖口の真っ黒な陰から黄土色の波濤が襲い来る──!

 

 「■■■(貫け)

 

 人間の喉から出るはずのない音声。

 声帯を絞り舌を捻じるような無理やりの発音だが、フィリップには意味までしっかりと理解できた。

 

 その上で、足を止めることなく触手に突っ込む。

 

 いや、足を止めたら死ぬ。

 触手は太く、見るからに強靭だ。足を止め『拍奪』が効力を失えば、貫かれるか叩き潰されて死ぬ。

 

 故に、走り続ける他に活路は無く──眼前のカルトを嬲り殺すための道も、そこにしかない。

 

 「抵抗するな。惨く死ね」

 

 口角を残忍に吊り上げ、自分には当たらない軌道を突き進む触手を流し見る。

 触手は今、どういうわけか自律していない。召喚者だか苗床だかは知らないが、根元のカルトの視線による誘導だ。フィリップの相対位置を誤認している。

 

 当たらないことを察してか、触手が全くバラバラの方向に勢いよく伸びる。

 進行方向に対してほぼ直角に、周りの建物を抉り飛ばすかのように。

 

 触手は石造りの建物をゼリーのように容易く通し、床にぶちまけるように崩壊させる。

 瓦礫と土煙、住民の悲鳴がそこかしこから降り注ぐが、フィリップの目は二十メートル先に固定されている。サイズの合っていないフードの下で、驚いたように目を見開いたカルトに。

 

 「──、は」

 

 地面を穿つ瓦礫の雨を一瞥する。

 大小様々な建物の残骸。建材に使われていた頑健な石の数々。それなりの高さまで舞い上がっているから、掌サイズの小さな破片でも頭に当たれば大きなダメージになるだろう。フィリップの身体より大きな塊については、まあ、見れば分かる。直撃すれば即死、掠っただけでも重傷、近くに落ちただけ(至近弾)でも動きが止まりかねない大質量だ。

 

 ──関係ない。

 

 フィリップとカルトのちょうど中心辺りを遮るように降り注ぐ瓦礫の雨は、降り終わればバリケードになって追跡を妨げるだろう。

 

 ならば。

 

 降り終わる前に突破するまでのこと──!

 

 「すぅ──」

 

 数秒後に齎される、いや数秒後から始まる惨劇への期待で膨らむ胸に、更に酸素を取り込む。

 足に渾身の力を込め、土煙と石礫の中に突撃する。

 

 その寸前──視界の端に、嫌なものが見えた。

 

 たったいま触手の一撃で砕け飛んだ家の住人だろうか。小さな、10歳くらいの少女だ。

 何が起こったのか分からないのだろう、降り注ぐ瓦礫を呆然と眺めている。自分の真上から降ってくる、両手を広げた大人よりも巨大な石の塊を。

 

 柱と壁の一部が丸ごと宙を舞っている。あの瓦礫は何キロくらいだろうか。100や200では済まなさそうだが、そのくらいでも10メートル以上の高さから落ちたら人体くらい破砕出来るだろう。あれが当たればペシャンコだ。

 

 驚愕のあまり動くことも出来ないでいる少女は、頭頂部から獣の耳を生やしている。それに、首元には鈍く光る首輪が見えた。

 

 獣人の奴隷か、と、フィリップはそう無感動に思っただけで、視線を正面のカルトに戻す。

 

 少女はあと一秒程度で死ぬだろう。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 

 彼女が獣人であること(人間でないこと)、奴隷であることは関係ない。

 単純に、見知らぬ他人の命より、カルト狩りの悦楽(己の感情)の方が優先されるだけのこと。

 

 ほんの一秒以下の、ただの一瞥。

 すぐ傍で失われる命にフィリップが向けたのは、ただそれだけ。死に逝く者への憐憫も、見殺しにすることへの同情も何もない。完全な無感情、冷たいまでの無関心。

 

 ()()()()()より、カルトを殺そう。大嫌いなものを、憎悪に任せて踏み躙ろう。凄惨に。なるべく惨たらしく苦しめて。

 

 触手は町並みを壊した状態のまま、建物に突き刺さっている。

 今なら確実に届く。四肢を断ち、胴を転がし、顔を踏みつけに出来る。

 

 ──獲れる。

 

 確信と敵意に満ちた獰猛な笑みを浮かべたフィリップだが、しかし──突撃敢行の直後、建物が崩落する轟音の隙間を縫うように甲高い悲鳴が届いた。

 

 「危ないっ!!」

 

 カルトを目掛けた疾走の中、半ば無意識に危険と声の主を探す。

 だが、その絶叫(警告)はフィリップに向けられたものではなかった。

 

 声の位置は、ついさっき目を留めた少女の居た方向。

 

 再び目を向けると、彼女は瓦礫の落下位置から逃れて尻もちをついていて、その代わりのように、一人の少年が死線上に立っていた。

 

 何かを突き飛ばしたような恰好を見るまでも無く、何が起こったのかは理解できる。

 まだ小さな、もしかしたら丁稚時代のフィリップよりも幼いかもしれない少年だ。体格も体重も運動能力も大したことは無いだろう。それでも、その全てを限界まで使って立ち竦んだ少女に駆け寄り、一瞬後には墓標代わりの石塊が突き刺さる場所から押し退けた。

 

 その結果、自分が死線上に取り残されることなんか、きっと考えてもいないだろう。そんなことを考えている時間的余裕は無かった。

 

 一瞬でも悩めば間に合っていない。

 一瞬も悩まなかったから間に合った。

 

 「──、は」

 

 思わず、(笑い)が漏れる。

 全力疾走と攻撃のため、無駄にできない呼気が徒に失われる。

 

 馬鹿だ、と笑う。

 友人に向ける揶揄の笑みだ。

 

 フィリップは彼を知っていた。

 その、自分が何をしたのかも判然としていない小さな少年のことではない。その子と同じ、誰かを助けるため何も考えずに命を捨てられる、愛すべき馬鹿を知っている。

 

 知っていた。思い出してしまった。

 

 だからもう、無関心ではいられない。

 

 「──ッ!」

 

 肺に残った酸素を全て費やし、全霊全速で方向転換する。

 急旋回時に踏ん張った左足の筋が嫌な音を立てたが、そんなことに意識を割く余裕はない。瓦礫は今にも少年の頭蓋に激突し、ミンチを作ろうとしている。

 

 彼がしたように押し退けては駄目だ。それでは間に合わない。一足遅い。片足が残って潰される。今から彼を移動させ、フィリップ自身も移動するのでは冗長過ぎる。

 

 「──、っ」

 

 近づくと、その瓦礫の巨大さに気付く。

 幅こそ大人が手を広げた程度だが、高さも厚みもかなりのものだ。建材だけあって頑健そうで、立ち竦んだ少女に共感してしまいそうな威圧感がある。

 

 精神ではない。本能が恐れる。

 その大きさ、重さ、硬さ、密度。外観と体感、感覚と感性が畏れを抱かせる。巨石を崇める自然信仰が生まれる理由が分かった気分だ。

 

 ……で。

 

 本能はともかく精神的に、それはただのデカい石でしかない。

 排除すべき障害。いずれ弾ける泡だ。他の感想と言えば、「当たったら痛そうだな」くらい。

 

 なら、受け止めよう(迎撃しよう)

 

 と言っても、フィリップは鍛えているとはいえ技量型の剣士。筋肉は柔軟性と精密性に重点を置いているし、そうでなくともこのサイズの石塊を持ち上げるのは不可能だ。

 龍の踏みつけ(ストンプ)を押し返した衛士団長くらいの技量があれば瓦礫の落下をも受け流せたかもしれないが、あれは多分フィジカルありきだし、無いものねだりをしたって仕方がない。

 

 故に、真っ向から斬り伏せる。

 

 限界まで高い位置で瓦礫を二分割し、フィリップと少年が立っているだけの隙間を作る。

 大きな瓦礫だけあって空気抵抗もかなりのものだから、一刀両断さえ出来れば欠片同士は勝手に離れていく……はずだ。

 

 時間の余裕は一刀分しかない。返しの一刀を放つ頃には結果が出ている。

 

 「ふ、──ッ!」

 

 鋭い呼気で力みを散らし、放った斬撃は魔術付与された武器に特有の淡い燐光を曳く。

 

 刃は通る。

 『龍貶し(ドラゴルード)』は王国最高の錬金術師が龍の素材を使って作り、王国最高峰の付与魔術師たちが強化魔術をかけた逸品。錬金金属製の鎧でさえも紙のように切り裂く、人造の魔剣だ。

 

 問題は刃渡りだ。根元から刃先までの一メートルのうち、柄側五十センチに瓦礫が侵入した時点で空洞形成が間に合わないのは感覚的に分かる。

 

 もっと遠く、もっと高い位置で瓦礫を切らなければならない。 

 蛇腹剣の接合部を外して伸長し、手首の回転で芯部のチェーンを噛み合わせてロック。疑似的に刃渡りを伸ばして振るう曲芸の一閃は──果たして、大判の瓦礫を太い柱ごと両断した。

 

 自らの重さと空気抵抗で大きく揺れた瓦礫の破片は、その中間にゆっくりと隙間を生む。

 その時点で、瓦礫はフィリップの頭の高さまで落ちていた。

 

 もはや一歩も動く余裕はない。

 空気抵抗と重心のずれが人間一人分の隙間を作らなければ、死ぬ。

 

 「は──」

 

 フィリップは思わず笑ってしまった。

 感情に任せたカルト狩りの最中、感情に任せて他人を助けた愛すべき馬鹿を、同じくらい感情的に助けて──その果てに死ぬ。そんな終わり方なら、まあ。

 

 馬鹿だけど。

 

 「悪くない──」

 

 フィリップは自らの愚かな判断と行動を嗤った直後、上から押し潰すような圧力によって地面に叩き付けられる。

 意識が暗転したのか、単に視界が奪われたのかも分からない唐突に訪れた暗闇のなか、フィリップの意識は断絶した。

 

 

 

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