なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 咆哮を上げた大熊が突進する。

 龍貶し(ドラゴルード)で受け止めるとか受け流すとか、そんな発想も浮かばない重圧だ。踏み締められた地面が大きく抉れて湿った土が派手に飛び散り、身体が擦れた木がごっそり削れて大鋸屑を散らす。

 

 落ちてきた雪を跳ね飛ばし、最前面の腕を大きく広げてフィリップとリリウムを叩き潰すつもりだ。

 

 体長が2.5倍なら体積と重さは15倍。概ね熊と同じ身体組成だとすると、突っ込んでくるノフ=ケーの体重は約3トン。速度を加味すると、突撃の威力はとんでもないことになるはずだ。龍の尾の一撃よりはマシかもしれないが、人間を殺すには十分すぎる。

 

 「やば──、っ!」

 

 突っ込んでくるのは白い壁だ。横方向に逃げて間に合うはずもない。

 

 考えるまでも無く見て取り、フィリップは背後のリリウムを乱暴に引っ張って木の裏に回り、盾にしながら一直線に距離を取る。

 

 ぶつかって止まれば最高だが、迂回して距離が稼げれば御の字。

 そんな甘い考えは、振り返った瞬間に否定された。

 

 たぁん! と甲高い音が響き、これから鍋に入る根菜のようなものがばらばらと飛んでいく。

 ノフ=ケーの片手、五つの指先にあるマチェットのような爪が乱雑に振るわれ、その行く手を阻む若い広葉樹が根元を輪切りにされて倒れた。

 

 突進速度も、コースも、何も変わっていない。

 

 それが分かった時には、ノフ=ケーはもう十分に間合いを詰め切っていて、つい数秒前に木の幹をバラバラに切り裂いた剛腕を振りかぶっていた。

 

 死んだ。

 

 驚くほど客観的に、フィリップはそう思った。

 防御はまず不可能だ。龍の一撃さえ受け止めた衛士団長なら防げるかもしれないが、フィリップが同じように剣を構えたってペシャンコになるだけだ。龍骸の蛇腹剣はマチェットじみた爪を受け止めてくれるだろうけれども、斬撃を防いでも衝撃か重量で死ぬ。吹っ飛んで、潰れて、終わりだ。

 

 「《ファイアーボール》!」

 

 死に物狂い、或いは苦し紛れと言うべきか、フィリップの背後でリリウムが絶叫する。

 殆ど悲鳴と言ってもいい詠唱に従って、魔物相手では耐性に阻まれて威力が落ちるような低級の魔術が飛んでいく。赤い火の玉、横を通り過ぎても殆ど熱くない、悲しい威力の火球が。

 

 しかし──ノフ=ケーは突進の威力を目の前の地面に叩き付け、慣性を無理矢理に殺して横向きに跳んだ。

 大袈裟な、見間違えや勘違いのしようがない、明らかに怯えた動きの回避だ。

 

 「──っ! なるほど!」

 

 そうだったのか、とフィリップは脳内で点と点が不意に繋がった快感のあまり声を上げてしまう。

 

 さっきフィリップが惨殺したカルトが、何故暢気に「ミ=ゴの兵器」と戯れていられたのか。あんな戦闘能力皆無の宗教家集団が、暴力の化身じみた巨大な熊に襲われなかったのか。

 何か魔術的な対策でもしていたのだろうと思っていたが──違う。あのキャンプには焚火があった。ノフ=ケーはそれを恐れていたのだ。

 

 炎は、大抵の生物が本能的に恐れるもの。遺伝子にそれを恐れよと刻まれているものだ。

 極高温に耐性のある星間航行生物ならともかく、所詮はこの星の生き物でしかないノフ=ケーもその埒外ではない。

 

 まあ、当たっても死にはしないどころか、毛先を焦がせるかどうかも曖昧な威力ではあるけれど──そんなことは外観からは分からない。炎を恐れる生き物としては、紛れもなく炎ではあるリリウムの《ファイアーボール》も恐ろしいのだろう。

 

 現にノフ=ケーは大きく後退し、10メートルほどの距離を開けてリリウムを睨みつけている。剣で武装し、彼女を庇う位置にいるフィリップより警戒すべき相手になっている。

 

 とはいえ──あんなのは虚仮威しに過ぎない。

 今は避けたから、その威力を知らないから怯えているが、効かないことが分かればもう突進を止めることはないだろう。「もしかしたら効くのでは?」という楽観が脳裏を過ったが、そんな程度の相手ならミナが殺していると思い直す。

 

 「っ! 今のうちに!」

 

 リリウムが叫ぶ。

 言われるまでも無くフィリップはノフ=ケーから一直線に距離を取ろうと踵を返すが、その腕をリリウムが掴んだ。

 

 「違う! ウィルヘルミナさんを呼べるんでしょ!? 早く!」

 

 言われて、フィリップは眉根を寄せる。

 エレナの言によれば、ミナはいまウォードとモニカと一緒にいるはずだ。ノフ=ケーがここに居る以上戦闘中ということはないにしても、例えば二人を抱えて最寄りの街まで飛んでいる最中だったりしたら、仮に低空飛行でも二人はミナの飛翔速度の慣性を残したまま急に放り出されることになる。

 

 それに、魔力残量は相当に少ない。

 ミナを影の中に強制拘束する『エンフォースシャドウジェイル』はルキアとミナの合作で、召喚プロセスに必要な魔力の殆どはミナが負担する。フィリップは影の中に仕込まれた刻印魔術を起動するだけでいいのだが、その起動分の魔力だって惜しいくらいだ。

 

 即時昏倒するレベルではないが、眩暈か、吐き気か、強烈な眠気か。戦闘行為に支障を来す症状が出るのは間違いない。カノンのところまで走って逃げて押し付けるのが一番楽なのだが。

 

 ……なんて、贅沢を言っている場合ではない。

 

 一瞬の逡巡の後、フィリップはいつもの癖で左手を伸ばした。

 

 「《エンフォースシャドウジェイル》、起動!」

 

 詠唱と同時に魔力がごっそりと減る。『ファイアーボール』や『ウォーターランス』ほどではないが、これまでの蓄積もあって強烈な眩暈に襲われる。

 

 よろめいたフィリップの影がその色を濃くした次の瞬間、ミナはフィリップの影を踏み、不愉快そうに顔を顰めていた。

 

 「……」

 

 彼女は無言のままフィリップを見下ろし、一本指を立てる。

 上を見ろ、という仕草だと思ったフィリップとリリウムは素直に顔を上げ──ミナが指を下ろすと同時に降ってきた大量の水を頭から浴びた。

 

 「ごぼっ!? げほげほっ!?」

 「きゃっ!? 冷たい!? いきなり何なの!?」

 

 流されるほどの水量は無く、精々バケツ数杯分だ。

 しかしそれでもいきなり頭から被れば驚くし、そもそもここは季節外れの雪が降る低温環境。熱湯が即座に凍る極低温とまではいかないが、気温は真冬のそれだ。常温の水だって十分凶器になる。

 

 喉の奥にある不快感を咳き込んで吐き出そうとしているフィリップに代わってリリウムが不満を表明するが、ミナはその鳴き声を完全に無視した。

 

 「……フィル、きみ、今まで何をしていたの? 凄まじい悪臭よ」

 

 咳き込みながら、フィリップはミナの言う悪臭の原因にすぐさま思い至る。

 外神の気配の残滓。合計で何柱の外神がこちらに出てこようとしたのかは不明だが、フィリップをナイアーラトテップと間違えた蒙昧のせいで、相当な数の外神の神威をほぼ直接浴びたのだ。教会で化身二人に会ったときとは比較にならない濃度だろう。

 

 今のフィリップはカノン曰く、香水樽に浸かった後だ。

 そんな状態のフィリップにいきなり呼び出されたのだから、そりゃあ水洗いもしたくなる。

 

 それは分かる。分かるけれど。

 

 「それはごめん! けど、いま水はホントに死ぬよ!」 

 

 服にじわじわと水が染み込み、体温を奪っていくのが体感できる。

 ただでさえ魔力欠乏で身体機能が低下しているところにこれは、本気で命が危ない。フィリップを飼い始めてから人間の生態について調べていたはずだが、低温環境でのサバイバルについて載った本は読まなかったらしい。

 

 「寒いの? なら──」

 

 ミナは言葉を切り、踵を返して手中に剣を現す。

 二振りの魔剣、『悪徳』と『美徳』。彼女は手加減する時には利き手の右に白銀の断頭剣を持つが、今は漆黒の長剣を握っていた。

 

 「──熱い血と毛皮を用意するわ」

 

 勝った、と確信できる、余裕綽々の宣言。

 しかし普段ならミナと似たような態度を見せるフィリップに、いつもの余裕はない。 

 

 「危機感が共有できてない……。あ、風が吹くと寒すぎる……。たすけて殿下……」

 

 ステラと手を繋いだ時の温かさを──手を繋ぐだけで相手の深部体温を適温に操作できるという超絶技巧を思い出し、思わず泣きごとを漏らす。

 そもそも蝋燭大の炎を灯すくらいしか出来ないフィリップだが、今や魔力は底を突きかけている。魔力消費の大きい『ファイアーボール』なんて使ったら失神するレベルだ。

 

 血と毛皮云々は冗談だろうが、そんな汚らしい暖でも欲しいくらいだった。

 

 「震えてないでこっち来なさいよ! 火出してあげるから! ほら、《ファイアーボール》!」

 「あ、ありがとうパーカーさん! 助かったぁ……」

 

 歯をかちかち鳴らして震えているフィリップを、リリウムが見かねたように呼ぶ。

 彼女の魔術はどちらかといえば弱いというか、魔術が本来持つ威力を完全に再現できない程度のものだが、それでも『ファイアーボール』のサイズはフィリップのものの倍以上ある。横を通るだけで肌が焼けそうなステラの魔術には遠く及ばないが、間近で手を翳して暖を取るくらいはできた。

 

 「……構えてなくていいの?」

 

 ミナとノフ=ケーに完全に背を向けて火に当たり、服を脱いで水気を絞っているフィリップに、リリウムは怪訝そうに問いかける。

 ノフ=ケーが弱いやつから仕留めようと動いても、即座に反応することはできないだろう。それが戦闘の素人である彼女にも一見して分かるほど、今のフィリップは無防備だ。

 

 しかし、その心配はフィリップに言わせれば杞憂だ。

 

 「いや、さっきの突進の速さ見たでしょ? あんなのミナなら瞬殺だよ」

 

 遭遇直後はミナ相手に無傷でいられたのかと戦慄したが、突進を見て分かった。

 あの程度の運動性能なら、吹雪による視界妨害無しでミナが捉えられないことはないとフィリップは確信している。

 

 果たして──剣戟の音は、一度も鳴らなかった。

 その代わり、リリウムが「嘘でしょ」と呆然と呟いた声が戦闘終了を知らせてくれる。

 

 ハイヒールが雪を踏む音が近づいてきて、絞っても微妙に湿っている服を火に当てて乾かしているフィリップの隣で止まった。

 

 「終わったわよ、フィル。……本当に毛皮が必要なら剥いであげるけれど?」

 「いや、生きてるもふもふならともかく、死んだごわごわは要らないかな……」

 

 振り返ると、ノフ=ケーの巨体は変わらずそこにある。変わらず二つ足で立ち、四つの腕をだらりと下げている。

 ただ、背丈が頭一つ分低くなっていて、白い毛皮は首元からじわじわと赤く染まり始めていた。

 

 「そう? なら、早く戻らないと。きみの大事な二人を置いてきてしまったのだし」

 

 内容にそぐわぬ安穏とした声で言うミナだが、フィリップの反応は早かった。

 

 「え? どういうこと? 王都で何かあったの?」

 

 一瞬で片付いた戦闘や瞬殺された生き物への興味は完全に失せ、王都に居る二人、ルキアとステラに対する心配が心中を埋め尽くす。

 

 王都で何かトラブルがあったのなら──二人や衛士たちに危険が迫っているのなら、依頼なんか放り出して今すぐに帰らなくてはならない。フィリップが居たところで出来ることは少ないというか、むしろ街中では何もしない方がいいのは分かっているが、二人に比べたら街なんかどうでもいい。必要とあらばハスターに乗って帰るつもりだ。

 

 しかし、流石のミナも手駒無しに遠く離れた王都の様子を知る術はない。彼女が言う「二人」と、フィリップが真っ先に思い浮かべた「大事な二人」は別だ。

 リリウムもミナの意を正確に汲んでいたから、フィリップに向けられた怪訝そうな視線は二人分だった。

 

 「え? 何で王都?」

 「あの二人ではなく、一緒に来たほうの二人よ」

 

 名前が出てこない辺り、ペットが好きな玩具程度の認識らしいが、一応は「早く戻ろう」という意識くらいは持ってくれるらしい。

 

 エレナから「ミナがウォードとモニカを守っている」と聞いていたフィリップだったが、二人は安全だと確信した上でミナを呼んでいる。リリウムが「そっか! ウォードとモニカちゃんが!」と焦る横で「あぁ……」なんて緩慢な相槌を打つだけだった理由の一つはその安心感だ。

 

 フィリップはもう、何もかも終わった気でいる。ノフ=ケーを倒したから、これで解決だと。

 しかし、この異常気象の原因を知っているのは、この場に於いてはフィリップ一人だけだ。

 

 「ノフ=ケー……そいつはもう倒したんだし、平気でしょ。そういえば、吹雪なんかの異常気象の原因はそいつだよ」

 「そうなの?」

 「? 本当に?」

 

 そういえばエレナにしか言っていなかったと笑うフィリップ。

 リリウムは「なら二人はもう安全なのね」と胸を撫で下ろしているが、ミナは「そうだったのね」と笑い返しはせず、怪訝そうに眉根を寄せる。

 

 「だったらどうして、いま吹雪を出さなかったの? 一度は私から逃げおおせたのだし、普通は同じことをするでしょう?」

 

 まあ同じことをしたところで、迂闊に範囲攻撃を使えなかったさっきとは違う。剣を振り斬撃を飛ばして首を刎ねるより面倒ではあるが、魔剣『美徳』なり血の槍の花畑なりで、広範囲に“死”を押し付けてしまえばいいだけの話だ。

 

 しかしだからといって、それはノフ=ケーには分からないことだし、自分より強い相手だから諦めてただ斬られるような殊勝さはないだろう。

 

 今ミナが斬ったノフ=ケーは、吹雪を出せなかったか出さなかったかのどちらかだ。

 単純に魔力切れで魔術が使えなかった可能性もある。だが、ミナはそうではないと思っていた。こいつは吹雪を「出さなかった」のだと、根拠は無いがそう思う。戦士の直感か、化け物の嗅覚か、あるいは別の何かが、そう訴えかけていた。

 

 勿論、降伏したわけではない。フィリップとリリウムを相手に吹雪を使わなかったのと同じ理由──使うまでもないと判断してのことだろう。

 一度でもミナと戦ったことがあるのなら、まず出来ないはずの判断だ。

 

 「え? あぁ、そう言われると……」

 「まあ、吹雪の魔力パターンを()()いないから、この個体が術者ではないと断言する材料はないのだけれど……私の観察眼に間違いが無ければ、これは私が戦ったのとは別な個体よ?」

 

 ミナの言葉に、「え?」とフィリップとリリウムの声が揃う。

 

 人間の顔認識も多少曖昧なミナだ。

 熊の顔なんて見分けようがないが、いま斬り殺した個体はミナの記憶にあるノフ=ケーより小さい。体格もそうだが、角も小ぶりだし、腕を斬ったはずだが傷一つない。

 

 まあ吹雪の中で数合交わしただけだし、サイズ感覚は曖昧だ。腕の傷だって単に治っただけかもしれない。ミナ自身が不死身で急速再生能力を持っているから、その可能性をフィリップやリリウム以上に高く見積もることが出来る。

 

 それを加味して、やはり、先の行動の不自然さが引っかかる。

 

 ミナは自分の戦術眼に自信を持っている。

 自分とノフ=ケーが平地で吹雪などの環境要因を抜きにして戦えば、自分が一瞬で勝つことを確信している。──そしてそれは、吹雪の中で襲ってきたノフ=ケーも分かったはずだ。ヒットアンドアウェイに徹し、一度怪我をしてからは不用意に距離を詰めることさえ無くなった、野性の獣じみた危機察知能力を持つあいつは。

 

 「こいつが見た目通り熊の親戚なら、親子や番で行動するのではないの? というか、きみのペットに聞けばいいじゃない」

 「あ、それは確かに。シルヴァ?」

 

 呼ぶと、シルヴァがぴょこりと現れる。

 フィリップの問いに、彼女は怪訝そうな表情を返す。

 

 ()()()と言わんばかりに。

 

 

 

 

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