1つ目の公演で、私たちの人気は大きく跳ねた。
私には素人めいたように見える戯曲も、付け焼き刃の音楽も、大衆の心を掴めば本物になる。……私にとっては、にゃむちゃんを唆すためのりんごに過ぎないのだけれど。
私たちの──特に私の正体に関しては、当然ながらすぐにバレていた。公式の発表がない以上は確定事項として扱われないけれど、Ave Mujicaのモーティスの正体は元子役の若葉環であろう、という認識が、ネット上ではすっかり定着していた。派生して、他のメンバーの正体にも言及される。ドロリスはSumimiのウイカであるとか、アモーリスが動画投稿者のにゃむちであるとか。ティモリスに関しても、ディストーションのサポートとして知名度を得ているからか、正解を引いている人は時折見かけた。誰も言い当てられなかったのは、ドロリスだけだ。そりゃ、分かるわけないんだけど。
第3回公演、一連の戯曲の終結と仮面を取り去ることを匂わせるインタビュー記事が出回ったからか、最後の曲に向けてボルテージがさらに上がっていくのがわかった。
最後に演奏する曲のタイトルは
最早ミスは心配していない。
鍵盤を押す指先は相変わらず機械的に動いている。
ドロリスへ──初華ちゃんへ視線を向ける。仮面を外したあと、初華ちゃんは一体どうするつもりなんだろう。
初音ちゃんを押しのけるつもりなのか、折り合いをつけるのか、はたまた、舞台を降りるのか。ウイカという名前を捨ててドロリスを名乗るのなら、私はそれに付き合うつもりでいるけど、なんだかそうはならないような気もしている。
今日で終わり、かもしれない。そう思うと、仮面を外すのが惜しくなる。
どうせ、にゃむちゃんとの約束を破ることはできないだろうけれど。私が逃げても、にゃむちゃんはやり遂げるだろう。
初華ちゃん、あれだけギターと歌が上手いんだから、このままAve Mujicaを続けてくれないかな。初華ちゃんは「続ける」と言ってくれたけれど、所詮は口約束。以前は信じきって失敗したからもう、世界がそんなに優しくないことは知っている。
曲が終わる。
以前までの公演では暗転していた場面で、私はステージの中央へと歩み寄る。客席のざわめきと、期待の波が私のところまで押し寄せる。
「序の幕はおしまい。楽しめた?」
つけていた仮面を投げる。客席に放り投げたそれを、女性がキャッチしたのが見えた。
環ちゃん、と名前を呼ばれる。この場で名乗ったりはしないけれど、そちらへ向かってウィンクを飛ばしてあげる程度のファンサービスは許されるだろうか。
にゃむちゃんが仮面を外す。投げ捨てられた仮面が、ステージの上を転がった。海鈴ちゃんもそれにならってかステージの上に仮面を置いて、初華ちゃんに衆目が集まる。
初華ちゃんが仮面を外す。どよめきと歓声が混じったそれを受け止めて、初華ちゃんが仮面を客席に放り投げた。
「過去が追いかけてきたよ。さあ、どうする?」
戯曲の内容を引用して、初華ちゃんが初音ちゃんに語りかける。きっとこの会場には来ていないのだろうけれど、じきに彼女の耳にも届くだろう。
カーテンコール。私たちがお辞儀をして、幕が降りる。
不思議なくらい、心臓が跳ねていた。
初華ちゃんが私を見下ろしている。
『18時から空いていますか?』
海鈴ちゃんからそんな連絡が入っていた。用件を問い返すと、勉強のためにライブを見に行くと返ってくる。付き合え、ということらしい。『少し遅れるかも』と返信して、私は月ノ森から直接事務所へ向かう。
道中、にゃむちゃんが私との動画を公開しているのに気が付いた。チャンネルの登録者も、うろ覚えだけど、数日前から大きく伸びているように見える。
にゃむちゃんが望んだようにことが進んでいるのかは分からないけど、伸びているのならそれに超したことはないのだろう。
事務所に到着してマネージャーを探していると、ちょうどSumimiの2人に出くわした。三角初音ちゃんと、純田まなちゃん。私としては特に思うところはないんだけど、向こうとしては思うところもあるだろう。
「あ、環ちゃん。お疲れ様ですっ!」
「お疲れ様でーす」
「Ave Mujica、凄いですね! うなぎ登り〜って感じで! 昨日のライブも早速記事になってましたし……」
「プロデュースが良かったから跳ねただけだとは思ってるけど……よく考えたら、ミュージシャンとしてはまなちゃん達の方がセンパイだね?」
「えへへ、すぐ並ばれちゃいそうで怖いかも……」
まなちゃんは踏み込んでこない。ライブの記事へは言及してきたけど、まだ読んでないとか? 昨日の今日のタイミングだし、ありえなくはないと思う。じゃあ初音ちゃんは、と視線を向けると逸らされる。
「あ、そうだ、ウイカちゃんには今度別件で用事があるから、その時お話しようね」
「え、えっと……うん」
「ギターのコツとか聞きたいな。あとは、家族のこととか」
私が余計なことをするわけにもいかないけど、ある程度匂わせておいた方が初音ちゃんも心構えができるんじゃないかと思った次第。これで初音ちゃんが逃げるようなら、それはそれでまたやりようはあるはずだ。
まなちゃんに手を振って、それから逃げるように足早に背を向けた初音ちゃんを見送った。
マネージャーと今後のスケジュールを改めて調整して、それから雑誌のインタビューをひとつ受けた。
モーティスとして受けるか若葉環として受けるかでしばらく迷っていたけれど、この場合は若葉環として話した方がウケが良いだろうと判断した。
モーティスとして、役に入ったまま答弁し続けた場合、Ave Mujicaのファン層以外からは寒々しく見られるような気がする。その上ファンの需要も、ライブの戯曲の続きよりは、演目に至るまでのバックストーリーにあるように思われた。
「仮面については、バンドのコンセプトというわけじゃないんです。もちろん今後取り扱うモチーフや衣装として採用されることはあるでしょうけど、今回の仮面に関してはある種、メタ的な意図がほとんどでした」
「というと、正体を隠すことが目的だったと?」
「言っちゃえばその通りです。ファンの方々が私たちのことを好意的に見てくれるのはとても嬉しいんです。けれど今回は一度、そういう先入観を無くして音楽を聴いてみて欲しかったし、私たちも、まっさらな状態で自分たちの音楽がどう評価されるのかを知りたかった。だからファーストアルバムは匿名だったし、ライブも仮面という形でワンクッションを置きました」
私一人への取材なのは、対外的には私がAve Mujicaのリーダーだからで、最も知名度があるからだろう。元子役が音楽人として芸能界に復帰、というのは取り立ててセンセーショナルな感じもしないけど、森みなみと若葉の娘には価値があるのだろう。
インタビューに答えて、議事録を共有する。私も大概こういう仕事には慣れているから、迂闊なことを言ったりはしていない、と思う。同席していたマネージャーも止めたりはしなかったからきっと大丈夫なはず。
あのときの祥子ちゃんの焦りがよくわかる。「長くは続かない」、なんて致命的すぎるもんね。
インタビューを終えて、海鈴ちゃんに待ち合わせ場所を確認する。ライブハウスRiNGで、との事。マネージャーさんが車を出してくれたのでライブの開始時間には余裕で間に合った。
愛憎入り混じるエントランスを抜けて、海鈴ちゃんとの合流を図る……前に、喉が渇いたのでカフェに向かった。
「どこへ行くんですか」
2階へ上がったところで、ちょうどカフェから出てきた海鈴ちゃんと出くわした。楽器を持っていないのが珍しく感じられて、違和感。
「喉乾いた」
「ライブはワンドリンク制ですよ。それでいいじゃないですか」
「じゃあ、そうする。それで、どのバンドのライブを……もしかして、CRYCHIC?」
「鋭いですね、正解です」
「帰ろっかな」
「それは薄情じゃありませんか? 三角さんや祐天寺さんには便宜をはかったりしているでしょう」
「海鈴ちゃんは協力的だなって思ってたんだけどね」
海鈴ちゃんは呆れたように首を振った。
CRYCHICのライブはできれば見たくない。感化されてしまうことがわかっているから。
決して手に入らないものに、焦がれてしまうのなら、それは猛毒と同じだと思う。
「CRYCHICのライブを見て、海鈴ちゃんはどうしたいの? あのバンドのベースに海鈴ちゃんが得るものはそう多くないと思うけど」
「豊川さんのことを知っておこうと思ったまでです」
「……祥子ちゃん?」
「私たちが必要だと言いながら、若葉さんがAve Mujicaに求めているのは豊川さんだけでしょう」
「そんなことはないと思うんだけど」
「気に障るんです。後ろ髪を引かれている貴方を見ると、いつAve Mujicaを放り出されるのかと不安になります」
なにか言おうとして、気の利いた言葉は出てこなかった。海鈴ちゃんの指摘はごもっとも……とまでは言わないけれど、私のあからさまな態度が生んだ不和だから。
「ギターを弾くかと思えば、豊川さんに言われるがままキーボードに転向。メジャーデビューに拘っているのかと思いきや、数字には興味がなさそうですし。芸能界で再起したいわけでもない、と祐天寺さんから聞きました。だとすれば、若葉さんが拘泥しているのは、豊川さん以外にないだろうと考えました。実際、三角さんも同意見のようでしたし」
「……まあ、そうだね。私は祥子ちゃんに拘ってる。でも、それってなにか問題? 祥子ちゃんが辞めない限り、もしくは辞めたって私がAve Mujicaを続ける限りは問題ないでしょ」
「ええ、ですから勉強のためにライブを見に来たんです。若葉さんが望むものがなんなのか、確かめようと思いまして」
海鈴ちゃんがホールに向かってしまったので、それについて行く。ドリンクをオレンジジュースを受け取って、ステージの下の暗がりに溶け込んだ。
CRYCHICだけのお客さんというわけではないのだろうけど、学生ばかりの客層が異様に見えた。
「CRYCHICがどんなバンドか知ってるの?」
海鈴ちゃんはかぶりを振った。
「CRYCHICはね、祥子ちゃんのためのバンドなの。祥子ちゃんが人を集めて、燈ちゃんに出会って完成したバンド。私は、CRYCHICのことを
「……悪い意味にしか捉えられませんが」
「そう? 私はもう一度揺籃でまどろみたいよ」
「若葉さんがAve Mujicaに求めるものも同じですか?」
「そうだと言ったら?」
「少しばかり、失望するかもしれません」
CRYCHICのメンバーがステージに立った。初めて、ステージに立つ祥子ちゃんを客席から見る。神々しさも神聖さもない、ただの少女がステージに立っている。
「冗談。……祥子ちゃんのことを見に来たって言ってたけど、きっと海鈴ちゃんにはわかんないよ。あのステージに立ってる四人と、たぶん、私にしか」
「……立希さんにも訊きました。要領を得ませんでしたが、きっと同じことを言われていたんでしょうね」
「そ。私たちは、祥子ちゃんに呪われてるの」
海鈴ちゃんはくだらなさそうに鼻を鳴らした。
実際、面白くはないだろう。自分が除け者になっていることも、バンドメンバーが半部外者にうつつを抜かしているのも。
【春日影】が始まる。
燈ちゃんの書く歌詞の総てが癪に障る。私を救ってはくれないうた。私の知らない祥子ちゃんの曲。私を知らない祥子ちゃんの曲。
夏の白雨に濡れた道。野分晴が暮れた夕紅。霜に凍てつく椿。
最後に紡がれたのは、人形の歌だった。燈ちゃんと目が合った気がした。きっと気のせいだろう。ステージを睨みつける私に、燈ちゃんが目を逸らさないはずはない。
祥子ちゃんの歌? それとも睦ちゃん? それとも──そんなことを考えている間、海鈴ちゃんが私を見つめていることに気が付いた。
「してやられたようですね」
「べつに」
「溜飲が下がりました。帰りましょうか」
「なに、ムカついてたの?」
「秘密です。……しかし、良いライブでしたね。普通に楽しんでしまいました」
CRYCHICがハケるのと同時に、私たちもホールを抜け出した。カバンに入れっぱなしだったスマホの電源を入れると、マネージャーから複数回着信があった形跡が残っていた。
海鈴ちゃんに断りを入れてかけ直すと、慌てた様子のマネージャーが電話に出る。
『あの、先程、社長から通達がありまして……その、今後、当社としては【Ave Mujica】プロジェクトを凍結する方針であると──』
「……は?」
立ち止まった私を、海鈴ちゃんが怪訝そうに振り返った。
一瞬、思考がフリーズして、リカバリーを……ああ、ダメだ、唐突過ぎてなんの備えもない。
「今からそっち行くから──」
『いえ、私も既に担当を外されておりまして……すみません、何もできそうにありません。明日、担当から説明があるそうです』
天地がひっくり返る。
私を手繰っていた糸が、一つ一つ切れていくのが見えた。