「で、どうしてコイツがいるわけ?」
スタジオの静寂を破るように、立希ちゃんが言った。
流石にもう看過できない、というような言い方に、大いに共感する。
燈ちゃんがいて、そよちゃんがいて、睦ちゃんがいて、立希ちゃんがいて、祥子ちゃんがいて……そして何故か、そこに
「そんなの私が知りたいよ」
「
「いや、それは知ってるけど」
「皆の邪魔にはなりませんわ。ねぇ、環」
迷惑にはなると思うけど、という言葉を飲み込んだ。
燈ちゃんが私を気にしているし、立希ちゃんも同じく。それは、おおむね迷惑や邪魔と言えるのではないだろうか。
「何か変なこと言われたの? あの後」
「変なこと……いいえ、どちらかと言えば、今回振り回しているのは私の方ですわね」
「そうだよ、いきなりキーボードなんて……」
「ほかにアテがあるのならそちらでも構いませんが」
「祥子ちゃん」
「……でしたら、環がやる他ありませんわね」
これみよがしに項垂れると、祥子ちゃんはそれをつとめて無視した。ほんと、いい性格してる。あの純真なお嬢様はどこに行ってしまったのやら。
……祥子ちゃん以外のキーボードを探すつもりは毛頭ないから、とりあえずは祥子ちゃんの提案に乗るしかないのが現状。キーボードが必須だと言われたら、私はそれに従わざるを得ないのだ。
現在私は、CRYCHICのスタジオ練習に混ざりこんでいた。
「環のバンドの楽曲制作を引き受けたのですが、私の構想はキーボードがいないと成り立ちませんの。……好きに使えと言ったのは環の方ですわ」
「ここで弾かせるとか言わないよね」
「まさか。環には見てもらうだけですわ」
「はぁ? 意味あんの、それ」
「ね、立希ちゃんも意味わかんないって思うよね!」
「……でもまあ、祥子がそう言うなら何かしらの意図はあるんでしょ」
「はー?????」
意味わかんない! 私のこと嫌なだけじゃん!
憤慨して、立希ちゃんから距離をとる。祥子ちゃんの左側から右後ろに移って、燈ちゃん側へ。角度を変えたかったからちょうどいいや。
目を丸くした燈ちゃんと視線が交錯する。きょとんとした表情のまま、私たちの間に静寂が横たわる。私はいつも通りの作り笑顔でニコリと微笑みかけた。
「環のことはお気になさらず。練習時間は貴重ですわ、次の曲に移りましょう」
キーボードの良いところは、祥子ちゃんと同じように鍵を叩けば、祥子ちゃんとほとんど同じ音が出るところだ。……というのは全くの間違いだということを、私は昨日思い知った。少なくともピアノに置いては、祥子ちゃんと同じ鍵を押さえても同じ音は出ない。全ての鍵を全く同じ強さで押さえるなら別だけど、祥子ちゃんは和音を綺麗に響かせるためだったり、曲の雰囲気を操作するためにタッチの強弱を変えている。それは、目視じゃどうにもならない領域だった。
オルガンはタッチレスポンスが作用しないから問題ない、と言われたので今は割り切る。
通しで演奏を始めた祥子ちゃんのカタチをじっと見つめる。あとからトレースするために、ひたすらに動きを脳みそに染み込ませる。1度で身体は覚えられないから、無制限に反復ができるように。
覚える、覚える、覚える。
祥子ちゃんを私に染み込ませている。
かつて睦ちゃんを覚えて、真似て、姿見の向こうに若葉睦を作り上げたように。ギターを覚えたあのときのように、祥子ちゃんのピアノを飲み込みたい。
演奏が終わって、祥子ちゃん達は休憩に入った。飲み物を買いに燈ちゃんとそよちゃんが部屋を出て行って、残った3人も楽器を置く。
私は祥子ちゃんが立っていたのと全く同じ場所に立って、白鍵を撫でてみる。
祥子ちゃんと目が合った。どうぞ、とでも言うように目礼が返ってくる。
呼吸をあわせる。
祥子ちゃんは、呼吸がゆっくりだ。私よりも、睦よりも深く息をする。
心臓の鼓動も合わせられたらいいのに。
指先が鍵盤を滑る。
指の動きが追いついて来ない。
ピアニストの芝居をしたのなんてずっと昔だから、指関節が固くなっていた。
一曲を通して弾いて、たぶん、3分くらい。もう一度くらいは構わないだろうか。失敗したところを意識して修正して、二度目はずっと良くなる。
「……環ちゃん、ピアノ弾けたんだ」
「ううん、始めて2日だよ。ピアノ習ってたのは睦ちゃんだけ」
そよちゃんと燈ちゃんが戻ってきたので、軽く鍵盤を拭いて場を返す。祥子ちゃんは思案げに私を見て、それからCRYCHICの練習に戻っていった。
指が強ばって痛い。あと、たった2回でものすごく疲れる。ギターと違って全ての指が動くし、祥子ちゃんが無意識で行っているだろう処理も含めて全て意識的にやらなきゃいけないから負担は比にならない。
精神的拷問みたいな時間は長く続いて、休憩を挟みながらだいたい2時間ほどを費やした。
ううん、過去のトラウマが。
「環」
「ん、なぁに」
「この間は、ごめんなさい。……環がCRYCHICに来れば良いって言ったこと」
「どしたの突然」
「環が、辛そうだったから」
練習終わりの撤収間際、睦ちゃんが唐突にそんなことを言ってきた。
睦ちゃんに気取られるほど辛そうにしていただろうか。……まあ、楽しそうにできていなかったのなら、睦ちゃんにも察しがついてしまうかもしれない。
「私は、たぶん、また間違えた」
「……そんなの、今更でしょ。べつに、怒んないよそれくらいで」
「嘘。……怒ってる」
「怒ってない。睦ちゃんがわかんないなーって思っただけ」
睦ちゃんは私の左手の袖口を掴んだ。
「私、は、環が思うより、環のこと考えてる」
「……まあ、そうかもしれないけど」
「足りないギター、……私じゃ、いけない?」
「それはダメでしょ。……私だって睦ちゃんのことはわかってるよ。だから、たとえ祥子ちゃんがなんと言ったとしても、みなみちゃんの頼みでも、有り得ない」
睦ちゃんの善意からの発言であることは分かる。けど、同時に少し呆れてしまった。
祥子ちゃんに請われたって躊躇してたくらい芸能界が肌に合わない癖に、私がちょっと困った顔をしたからって身を呈そうとするのは迂闊にすぎる。
今回は、私が明確に睦ちゃんを庇ってきたからなのかもしれないけれど。
「先に帰ってて」と伝えつつ睦ちゃんのそばを離れて、祥子ちゃんに近づく。この後が私にとっては本題で、バンドの顔合わせが予定されているのだった。
「睦は──」
「ナシだよ。聞いてたでしょ」
「どうしてですの? 人前に出るのが苦手なのはわかっていますが……」
「分かってるじゃん。あとは自分で気付いて」
気付いて、とは言ったけど、もう睦ちゃんの中に
それはそれで構わないと思う。きっと、モーティスが消えた場合でも睦ちゃんの人格が全ての主導権を握り、やがてひとつになったはずだ。
睦ちゃんが身を守るために演技の鎧を纏わなくて良くなったのなら、それほど素晴らしいことはない。
「環は、本当に睦のことが好きですのね。……そこは、二人ともよく似ていますわ」
確かに、身代わりになって死ねるくらいには。
タクシーに乗り込みながら、詮無いことを考えた。
事務所の会議室を押さえて置いたから、そこでメジャーデビューのタイミングも含めた打ち合わせを行うことになっていた。
大きなハコを押さえたとて、事前情報もない仮面バンドのチケットが売れるわけもないから、事務所ぐるみで広告戦略を取る必要がある。
前の祥子ちゃんはどうやってあの規模の客を集めたんだろう。
「あー、やっと来たぁ。待ちくたびれたんですけど〜?」
「5分遅刻ですね」
「それは謝るけど、遅れるって言ったじゃん。……マネージャーさんは?」
「離席中です。まもなく戻ってこられるかと」
「りょうかーい。じゃあ、せっかくの顔合わせだし、自己紹介だけでも済ませちゃおっか」
バンド名はAve Mujica。やることは概ね以前と同じ。私が中心に立っていることは気に食わないし、形だけ取り繕った紛い物ではあるけれど……0点を30点くらいに持ってくることはできただろうか。
「私は若葉環。親の七光りで子役をやってました。今はタレント的に仕事してます。バンドではキーボードをやる予定です。どうぞよろしく」
「祐天寺若麦でーす。ドラム担当、よろしく〜」
「三角初華です。ギターボーカルを担当します」
「ベース担当、八幡海鈴です。よろしくお願いします」
「豊川祥子です。作曲、一部プロデュースを担当いたします。よろしくお願いしますわ」
よく考えたら、名前と顔を一致させるとこからだった。私以外でまともに顔を合わせたことがあるのは、祥子ちゃんと初華ちゃんくらいだ。
にゃむちゃんが意味深な視線を初華ちゃんに向けているのに気が付いた。
「にゃむちゃんが何考えてるのかだいたい分かるけど、初華ちゃんのことは後々だよ。とりあえずは私で我慢してね」
「え〜、私も初華ちゃんと遊びたいな〜」
「高く登ろうとして転落死したくはないでしょ? なにも、いつまでも首輪を着けようとしてるわけじゃないんだから」
はいはい、と不承不承の了承が返ってくる。最初の数公演だけ、にゃむちゃんを気にしておかなければならない。
平身低頭、マネージャーさんが戻ってきて、10分遅れでキックオフ・ミーティングが始まった。私の描いたシナリオもいよいよクライマックスだ。もしくは、今ようやく始まったのかもしれないけれど。
「まず概要から説明させていただきますね。皆様には、バンド『Ave Mujica』を結成していただきます。契約の内容や各々の役割に関しては事前の面談とヒアリングである程度の同意を得られていると考えておりますが、よろしいでしょうか」
会議室のスクリーンにPCの画面を映しながら、マネージャーさんが話し始める。今回Ave Mujicaは祥子ちゃんと私のセルフプロデュースに近い形になるから、マネージャーさんは本当に調整役、営業の役回りだ。
「はい、では改めまして、Ave Mujicaの活動形態から説明させていただきますね。Ave Mujicaは、弊社所属タレント若葉環を頭に据えたコンセプトバンドです。本Ave Mujicaプロジェクトでは、新たな試みとしてライブやアルバムにコンセプト……つまり、物語性の付与を目指します。具体例を挙げますが……」
「仮面舞踏会?」
「はい。デビューアルバム、及び第三回までの公演は、仮面舞踏会をメインモチーフとしたシナリオで進行します。匿名性を強く押し出し、目新しさをアピールする意図もありますし、今後の活動において最も重要な大衆への第一印象を意図した方向に誘導するためでもあります」
つまり、とにゃむちゃんが薄ら笑った。
「若葉環の名前でスタートダッシュしないってことですよね〜? 勿体なくないですか?」
「ナメた顔で見に来られるの、つまんないじゃん。最初くらいはぶん殴ってやんないと。にゃむちゃんは耐えられるの? タレントの道楽面白バンドだって好き勝手言われるの」
「それは面白くないけど……」
がっつき過ぎ。でも、チャンスを掴もうとする姿勢はこれ以上ないくらい正しい。
面倒くささや苛立ちが半分、感心しているのが半分。
「新たな試みと仰いましたが、顔を隠した状態でデビューして話題性を確保できますか?」
「プロダクションとして全面的にバックアップする予定です。とはいえ、広報活動が主になりますが」
海鈴ちゃんの危惧は尤もだった。さらに言えば、宣伝で幅広い客層を集めたとして、Ave Mujicaのスタンスが気に入ってファンになってくれるのはどれほどだろうか。
事前にアルバムを販売・配信する手配になっているとはいえ、ライブそのものにも一見奇怪な演出が入ることになる。それを嫌う人もいて然るべきだし、逆に深く刺さる人もいるだろう。
「繰り返しますが、これは新しい試みです。ライブの一期一会性を高めることや、物語性によってアルバムや映像作品に付加価値をつけること。昨今の音楽の薄利多売や、CDの価値の暴落に対するアンチテーゼの意義も内包します。当然、我々はパイオニアになるわけですから、多少の困難は踏み越えて行かねばならないでしょう。皆さんの前の道は、決して舗装されたアスファルトの道ではありません」
しかし、Ave Mujicaの成功如何をあまり心配はしていない。
祥子ちゃんの曲とシナリオで評価を得られないはずがないからだ。さらに言えば、たとえ以前の半分くらいの売上しか立たなかったとしても、それほど大きな問題ではない。私の目的はべつに、売れることではないのだから。
「さて、概要はこんなところで、詳細を詰めていきましょう。まずは──」
対面の席で、初華ちゃんがちらりと私を見た。
初華ちゃんが