めめんと・もーてぃす!


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作:ああ
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Carpe Diem



いつにも増してよく分からない連載を書いているな、という手応えがございます。
 
 
 
 
 
 



 

 漁師の父と、民宿の手伝いをしていた母、年子の姉。

 そんな家庭に産まれた私は、幸せの中で育ってきた。

 

 離島という環境は都会の人たちから見れば不便に思えるかもしれないけれど、生まれた時から住んでいる土地に愛着もあったし、大きな不満だってなかった。遊園地とかが近くにあればいいのに、と思うことはあったけど、それだってお父さんが本土まで連れて行ってくれたりして、決して手に入らないものじゃなかったから。

 

 ──幸せに消費期限があることを、私は知らなかった。

 

 野原を駆け回ることが好きだった。

 男の子と虫取りに行くこともあった。

 姉の初音とお母さんは虫が苦手で、お父さんの留守に家に虫が出た時は、私がつまみ出す役を買って出た。

 

 お父さんのギターが好きだった。

 胡座をかいて座るお父さんの懐に飛び込んで、弾き方を教えてもらったこともあった。テレビで流れるあの曲を、お父さんの伴奏にあわせて歌ったことも。

 

 お母さんの刺繍が好きだった。

 枠に挟んでピンと張った布の上から、ちくちくと糸を縫い付けていく後ろ姿を見ていた。時には私や初音の好きなキャラクターや模様を縫ってくれたりもして、ポーチが華やかになったり。

 

 初音が好きだった。

 私よりもずっと思慮深くて、大人びていて、優しくて……

 ある日私と半分血が繋がっていないことを知ってショックを受けたけれど、二人の関係は変わらない……と、思っていた。

 

 テレビが好きだった。

 画面の中で輝くアイドルに憧れがあった。歌うのも好きだったし、学校で舞台に立つのも好きだった。

 ほとんど同い歳の子役が、ドラマや映画で脚光を浴びているのを見て、強い憧れを抱いていた。

 私もあの子に会いたい、あの子みたいになりたい! 

 

 お父さんの帰りが遅くて、お母さんと初音と、港まで迎えに行ったことを覚えている。お母さんは、例になく焦燥を露わにしていた。

 港が騒がしかった。救急車のサイレン、お父さんが乗るはずの船に、人だかりができていた。

 

 

 お父さんとの会話は、出航前の「いってらっしゃい」が最後だった。

 

 お母さんが不安定になった。傍から見ても仲が良い夫婦で、近所でも話題になるくらいのおしどり夫婦だったから、落差も大きかったんだろうと思う。

 

 初音は、そんな中でも冷静だった。

 今にして思えば、ずっと小さな疎外感を抱いていたんだろう。お父さんがいなくなって、きっと初音と私ははじめて対等になった。

 

『初音はお父さんが違うから悲しくないんでしょ!』

 

 こんなことを言っても、どうしようもないかもしれないけど。

 後悔してるよ、いままでのぜんぶ。

 

 

 


 

 引越しの挨拶なんてものをする余裕もなかった。

 腫れ物を触るような視線を向けられる中、痛ましさの棘から逃げるように島を出た。

 

 初音は、引越しを決めるしばらく前に姿を消した。形見のギターと、お母さんのお古のキャリーケース、それから衣服と身分証を持って。

 

 私たちは東京へ渡った。

 初音に謝りたくて、心当たりを探すけれど見つかるわけもない。

 お母さんも同様に初音のことを探してくれているみたいだったけど、仕事をしながらでは難しいみたいだった。捜索願を出すわけでもなく、時折誰かに電話をかけている。

 

 謝りたい。

 初音に会いたい。

 あの日に戻りたい。お父さんが笑っていて、お母さんがうとうとと微睡んでいて──

 

 ──【Win-Wing-Productionから新アイドルデュエット、『Sumimi』がデビュー!】

 

 テレビ画面に映った初音の顔に、心臓を握りつぶされた。

 

 Sumimiのウイカ──言葉の意味を理解するのに時間がかかった。

 私のフリをした初音が、私の代わりに私の夢を叶えた? 

 

 心がぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。

 夢を奪われたのだと思う。

 名前も、顔も、夢も、初音は私から奪い去ってしまった。

 

 私が酷いことを言ったから、初音はこんなことをしたんだろうか。

 分からない。初音が何を考えているのかも、私がどうすれば良いのかも。

 

 別れる直前の喧嘩で、私は初めて初音が抱えてきた疎外感に気が付いた。

 私がずっと本物だと思っていた姉妹の絆は、初音にとっては自分という異物を繋ぎ止める命綱に過ぎなかったのかもしれない。

 

 持てるだけの荷物を持って、私も家を飛び出した。

 初音を追いかけて事務所へ行って──初音の姿をみとめることはできたけれど、声を掛けることはできなかった。事務所のスタッフや警備員に阻まれるし、度が過ぎれば警察を呼ばれてしまいかねない。

 1度初音と目が合ったのに無視されてしまった以上、妹だから大丈夫とは思えなかった。

 

 次に思い出したのは、祥ちゃんのことだった。

 調べた限りでは、初音の所属する事務所は豊川グループの影響下にあるみたいだった。

 祥ちゃんに取り成して貰えば、初音と話せるかもしれない。

 

 同時に、祥ちゃんのお母さんが亡くなっていることも、豊川グループが巨額の損害を出して大変なことになっていたことも知っていた。

 

 私が祥ちゃんを見つけ出せたのは、偶然に近かった。たまたま通りがかった高校から祥ちゃんが出てくるのが見えて、あとをつけた。祥ちゃんは酷く年季の入って傷んだアパートに帰宅していて──

 

 これは頼れない、と分かってしまった。

 そもそも今の祥ちゃんに豊川グループの末端にでも働きかける力があるようには思えなかったし、なにより、たった数日遊んだだけの仲だったとしても、私にとっては友達だった。今の祥ちゃんの生活を引っ掻き回すようなことはしたくなかった。

 

 それから数日、ネットカフェに泊まることもできずに昼夜逆転生活を送って、初音とはついぞ話せないまま、路銀が尽きるところまで来てしまった。

 

 最後に祥ちゃんと少し話せれば良いなと思って、祥ちゃんの通学路をなぞるように歩いていた。少し前の方には祥ちゃんの背中が見えていて、いつでも声を掛けるくらいの距離。

 

 ──あれ、祥ちゃんのこと、どうやって見つけたって言えばいいんだろう。

 

 初音のことも、問われれば応えられない。

 

 考えているうちに、祥ちゃんは角を曲がってしまった。

 

 私が祥ちゃんと話したいのは、単に、仲が良かった旧友と話して現実逃避がしたいからなのだと思う。

 初音のことも、お父さんのことも脇に置いておいて、ただ明るく誰かと話したかった。

 

 それは、今も大変な思いをしているだろう祥ちゃんに、一方的に寄りかかることにならないだろうか。

 

 言い訳がましく行ったり来たり。

 角を曲がって、祥ちゃんが入っていった喫茶店の窓をちらりと覗き込んだ。

 

 祥ちゃんと、若葉環ちゃんが話しているのが見えた。

 環ちゃんの事務所って、確か、初音と同じだったはずだ。

 

 ダメもとで頼んでみようか。

 断られたって構わない。どうせすごすごと帰ることしかできない状況だし、見ず知らずの他人の頼みなんて、面倒だったらバッサリ断ってくれるはず。

 

 憧れの人と言葉を交わしてみたいという下心と、諦念に支配された胸腔を引きずって、喫茶店の出入口が見える角に背中を預けた。

 

 心臓が苦しい。

 

 悲しいのか、恨んでいるのか、謝りたいのか、罵りたいのか分からないでいる。

 

 嗚咽が漏れないように声を殺して泣く度、心が空っぽになる。

 

 

 環ちゃんは、無表情のまま早歩きで店から出てきた。

 駅の方にまっすぐ向かう背中を慌てて追いかける。

 

 駅が見え始めたあたりで歩く速度が緩やかになる。後ろをつけているのがバレたのかと思った。

 環ちゃんだ、と声を掛けられる度にレスポンスを返しながら、なおもまっすぐ歩いていく背中が改札を通り抜ける前に、小走りで追いついて声をかける。「あのっ!」

 

 環ちゃんは、落ち着いた所作で振り返った。それさえ絵になると思ってしまうのは、贔屓目だろうか。

 

「若葉環ちゃん、だよね?」

「うん。さっきからついてきてる貴方は──……え?」

「初めまして、私は三角初華。すこし、お話できないかな」

 

 私の顔を見て、驚いたような反応。初音と面識があるのかな。……いや、面識がなくても顔と名前くらいは知ってるか。私と初音は親戚にも間違われるくらい似ているらしいから、東京に来てから私も何度か声をかけられた。

 

 今も、環ちゃんが目立つからだと思うけど、衆目を集めている。「Sumimiの初華だ」という声が聞こえた。キャップを目深く被って、マスクをつける。

 

「お話、ね。いいよ。私も初華ちゃんに会いたかったところ」

 

 言葉の意味は分からなかったけど、私の旅はあと数日続くらしかった。

「ついてきて」と言われるがままに改札を抜けて、電車に乗り込む。

 

「東京には最近来たの?」

「うん。お上りさんっぽいかな?」

「別に。歩き慣れてなさそうだからそう思っただけ」

「そっか。気を付けなきゃ」

 

 余所者は良い目で見られない、というのは社会の常識だと思っていた。

 それこそ芸能関係なんて、田舎者を狙った詐欺が横行していたなんて話を聞いたことがある。

 

 少し見下ろすくらいに小さい環ちゃんの背中をついて歩く。

 電車を降りて、環ちゃんが向かう先には大きくて綺麗なホテルがあった。迷わずその中に入っていく環ちゃんに思わずストップをかける。

 

「た、環ちゃん? 私、こんな高そうなところ……えっと、払えないかも……」

「いいから」

 

 ホテルのラウンジなんてドラマや映画でしか見たことがないけど、ファミレスのドリンクバーとケーキセット、なんて値段で済まないことは分かる。あとはもう家に帰るための電車賃くらいしかないような手持ちで飛び込むには、些か恐ろしい世界だった。

 

 実際、メニューを見て声を上げそうになった。

 言われるがままに注文したコーヒーとケーキのセットが届いて、環ちゃんが口を開く。

 

「初華ちゃん、あなたは誰? Sumimiの初華ちゃんじゃないよね」

「……うん。でも、私の名前は三角初華。Sumimiの初華は、私のお姉ちゃんなんだ」

 

 紅茶のカップに手を伸ばしていた環ちゃんの動きがピタリと止まった。

 意味がわからないよね。私だって、未だにちゃんと、何が起こっているのか把握できていないんだもん。

 

「お姉ちゃんは三角初音。私とはお父さんが違うんだけど……いや、それは一旦関係なくて……」

「わかった、じゃあ、初華ちゃんの目的と、私に何を求めてるのかを教えて」

 

 環ちゃんは頭痛そうにかたく目を瞑って、それから私の言葉を遮るように言った。

 

「私は、初音の目的を知りたい。初音が私の名前を使ってアイドルをやっている理由を。でも、私は初音に近付けなくて……祥ちゃんなら、と思ってたんだけど、声を掛けにくい事情があって……そしたら、」

「都合よく私を見つけた?」

「……うん。事務所が同じなら、と思って」

 

 祥ちゃんには言えない。祥ちゃんのお爺さんには隠し子がいて、それが私の姉で、……なんて、脳内で羅列するだけでも目眩がしてきそう。

 

「どうして欲しいの?」

「取り次いで欲しい」

「それで断られたら?」

「……」

「次は祥子ちゃん?」

 

 珈琲の水面に目を落とす。

 祥ちゃんにあんなことがなければ、頼っていたかもしれないけど……。

 

「……環ちゃんがダメだったら、一度実家に帰るよ。お金もないし」

「初華ちゃん、私と祥子ちゃんの話、聞いてた?」

「えっ。えっと、聞こえなかったけど……遠かったし」

「じゃあ、もう一つ。ギター弾ける?」

「うん。パパが好きだったから」

 

 ギターが弾けるか、という質問に首を傾げる。

 環ちゃんが何を目論んでいるのか、全く察しがつかなかった。

 

 だけど、ギターは得意だ。

 お父さんも、お父さんの仕事仲間も音楽が好きだったし、小さい頃からずっと弾いてきたから、特技といえばギターになるくらいには親しんできた。……初音の方が上手いけど。

 

「私ね、祥子ちゃんとバンドがやりたいの。……協力してくれるよね?」

「交換条件、ってこと?」

「それもあるけど、初華ちゃんのためでもあるんだよ。だって、初華ちゃんが有名になったら、初音ちゃんも無視できなくなる。だから協力して」

 

 環ちゃんの言葉を咀嚼して、考える。

 芸能界に三角初華が2人存在することは不可能だ。絶対に不整合が起こる。初音が何を望んで私の名前を名乗って芸能界にいるのかは分からないけど、その目的によっては平和的に話し合いの場を作れるかもしれない。

 そう上手くはいかないだろう、という予感はもちろんしているけど。

 

「祥ちゃんと……」

「ダメなの?」

「ううん。迷ってるのは、学校とお母さんのこと」

「転校しちゃうのはダメなの?」

「私一人じゃ決められないから。……少し、電話してくるね」

 

 迷っている、と言いながら、私の心はお母さんを説得する方向に動いていた。

 席を立って、お母さんに電話をかける。仕事はもう終わっている時間だから、数コールで繋がった。

 

『初華、どこにいるの!?』

「初音を探してたの」

『学校を休んで? 一人で何日も出歩くなんて危ないことはしないで!』

「……ねぇ、お母さん。環ちゃんに会ったよ。一緒にバンドやらないかって言われちゃった」

『……まさか』

「学校の手続きとか、住居の手続きとか、手伝って欲しいんだ。……いいでしょ、初音にだって許してるんだから。お母さんが誰に電話してたのか、私、気付いてるよ」

 

 言いたくないことまで言いそうになる。

 

「初音に会いたいの。お願い」

『………………お母さんに黙って連絡を絶たないこと。約束できる?』

「うん。……ごめんね」

『こちらこそ、不甲斐ない母親でごめんなさい』

 

 通話を切ると、周囲はことのほか静寂に包まれていた。

 吐いた息が震えている。

 

 お母さんを謝らせてしまった痛みと共にスマホをカバンに仕舞う。

 

「どうだった?」

「良いって。手続きとかお金の心配は残ったままだけど……」

「本当に? あとから学校が、とか言い出すのなしだからね」

「う、うん……」

 

 環ちゃんが前のめりになって、予想外の反応に気圧される。彼女が望むだけの価値が私にあるとは思えなくて、自信がなくなる。

 

「じゃあ、全部用意してあげる。初華ちゃんが目的を果たせるように私も努力する。だから、初華ちゃんも私を助けて。私を必要として」

 

 でも、走り抜けるしかない。

 私の夢の欠片でも、環ちゃんが拾ってくれると言うのなら。

 初音がいるところまで私がのぼる他は無いのだ。

 

 キャップをとって、改めて環ちゃんに宣言する。

 

「……私、アイドルをやるのが夢だったんだ。意図しない状況ではあるけど……頑張るよ」

 

 ザクロソースのケーキに口をつけた。

 もう、戻れない。

 

「本当に、なんだってするよ。だから環ちゃんも、私を捨てないでね」

 

 

 

 ♦

 

 

 ホテルで一夜を明かした。久しぶりにまともなものを食べて、まともにお風呂に入ったような気がする。泥のように、昼近くまで眠っていた。とにかく足が痛くて、コンビニで湿布と絆創膏を買ったくらい。

 

 昨夜のお母さんとのやり取りを思い出して涙が零れる。もそもそと昼食を食べて、一日やることがなくなってしまった。環ちゃんと次に会うのは夕方だから、それまで何をしようかと考えて……大して時間が残っていないことに気が付く。コインランドリーへ行って服を洗って……それからはギターの動画を見ていた。

 

 得意だとは言っても、プロで通用するかどうかは全く分からない。

 せめて少しでも上手くならなきゃ。

 

 荷物を片付け終えた頃に環ちゃんからのお呼び出しがかかって、ホテルを出た。変則的な時間のチェックアウトにスタッフさんは不思議そうな顔をしていたけど、環ちゃん側の事情があったらしいから指示通りに動いた。今日も泊まるかもしれなかったから、ということらしい。

 

 予定時刻からしばらく遅れて、環ちゃんはホテルへやってきた。

 

「環ちゃん! 来てくれないかと思った」

「ごめん、色々乗り遅れた。……ねぇ、初華ちゃんもギター持ってないよね」

「……うん」

「今から一緒に買いに行こうよ」

「でも、お金……」

「気にしなくていいって。今は初華ちゃんに投資してるんだから」

 

 環ちゃんから施しを受ける度、申し訳なくなると同時に嬉しくなる。

 受けた金額は期待の重みで、同時に環ちゃんにとっての三角初華という存在の価値を示す。

 

 裏切られるとも思っていないけど、私たちを縛る首輪は太いものの方が良い。

 

 お父さんが使っていたものと似たタイプの6弦ギターを買ってもらって、領収書を受け取る。

 

「環ちゃん、ありがとう。私の前のギター、失くしちゃったから……今度こそ大切にするね」

「演奏で返してくれればいいよ」

「……うん、練習しておくね」

「曲を用意するアテはあるから、そこからは初華ちゃん次第。初音ちゃんに届くかどうかも」

 

 金額は私の貯金じゃひっくり返っても支払えないくらい。

 天才子役ってすごいんだな、って思ったけど、環ちゃんが稼げてなかったら夢がない。今だってテレビで見かけるくらいなのに。

 

 まっすぐ環ちゃんの家に帰って、一度荷物を置くことになった。

 まだ環ちゃんのお母さん──森みなみさんや環ちゃんのお姉さんと話したわけじゃないけど、どうやら若葉家に居候させてもらえることになったみたいだ。

 そんな簡単に許されるものなのかな、と甚だ疑問だけど、環ちゃんも私の家族関係に同じことを感じていたらしいからどうやらお互い様。

 

「お邪魔しま〜す」

「入って。みなみちゃん達が帰ってきたら一度会ってもらうけど、それ以外は基本関わんないだろうし、気にしないで」

「うん」

「荷物置いたら、日用品買いに行かなきゃ。服もあんまりないよね? 私のは入んないだろうし……」

 

 若葉家は予想よりも幾分小さくて、ずっと綺麗で、置いてあるもの全てが高そうで気後れした。環ちゃんの指示でお手伝いさんに荷物を預けると、中に入ることなく環ちゃんが微笑む。

 

「初華ちゃん、デート行こっか」

 

 頬が熱くなったのは、環ちゃんの所作があまりにも美しくて──私の憧憬そのものだったせい。

 

 

 

 ♦

 

「……ねぇ、どうして環ちゃんはお母さんのこと『みなみちゃん』って呼ぶの?」

「うん? みなみちゃんがそう呼ぶように言ったから」

「そう、なんだ。お母さんって呼んだりはしないの?」

「ん〜、対外的には呼ぶけど」

 

 ちゃんとした家族関係を知っているわけじゃない。私が知っているのは、既に泡沫と消え去った三角家の幸せだけ。

 それにしたって、環ちゃんとお母さんの関係は歪に見えた。言うなれば、親子よりも仲の良い同業者とか、そういった距離感に見えた。

 

「みなみちゃんとは適当に話してればいいよ。初華ちゃんがどんな人間でもあの人はあんまり気にしないと思うし」

「そうは言っても、緊張する……」

「……がんばって!」

 

 環ちゃんにとってはお母さんでも、私にとっては生まれる前からテレビで活躍してる大女優だ。大丈夫だと言われても、緊張は免れない。

 

 リビングへ足を踏み入れる。ちらりと覗いた時にも思ったけど、来客を意識された作りのように思われた。森みなみの邸宅というイメージにピッタリと合致する。

 

 リビングでドラマを見ていたみなみさんに、環ちゃんが声を掛ける。

 

「初華ちゃん連れてきたよー」

「ありがとう。環ちゃん、悪いけど、睦ちゃんを迎えに行ってくれる? どうにも遅くなるみたいだから」

「はーい」

 

 やっぱり一緒にいてくれるわけじゃないんだ。環ちゃんに視線を向けると、彼女はにっこり微笑んでからリビングを出ていってしまった。

 

「初華ちゃん、こっち座って。緊張しなくていいから」

「はい」

「私のことはみなみちゃんって呼んでね」

「私がそう呼んでいいんですか?」

「もちろん!」

 

 みなみさんの隣に腰掛けると、環ちゃんが出ていった廊下の方からパタパタとスリッパの足音が聞こえた。

 

「初華ちゃんに酷いこと言わないでね!」

「言わないわよ。なんだと思ってるの」

 

 憮然と廊下へ戻っていく背中に、みなみさんが小さく溜め息を吐いた。

 

「……わからないわ」

「環ちゃんのことが、ですか?」

「ええ。急にバンドを始めるとか言い出したから、何事かと思って。……初華ちゃんは、環に誘われたの?」

「声を掛けたのは私からですけど、はい。環ちゃんに誘って貰えてなかったら、先が見えないまま燻っていたと思います」

「あぁ、Sumimiの初華ちゃんとのことはうっすら聞いてるけど、私、全然興味ないからその辺は心配しなくていいわよ。環ちゃんとも好きにバンドやれば良いと思うし、事務所の根回しくらいは手伝ってあげるわ」

 

 親御さんの連絡先は聞いておこうかしら、とみなみさんが言ったので、お母さんの連絡先を教える。基本的には親同士で片付ける話だから、とのこと。そう言われてしまえば、頷くほかない。

 

「初華ちゃんは、環のこと好き?」

「はい。昔から憧れでしたし……実際に会ってみると、優しいし、すっごく可愛くて……見放されたら生きていけないなって思うくらい」

「わーお、情熱的。でも、お似合いかもねぇ。顔と名前を奪われた初華ちゃんと、お人形さんみたいな環ちゃん」

 

 会話の温度が変わる。みなみさんが「お人形さんみたい」という言葉を、良い意味で使っていないことは明らかだった。

 それって親としてどうなの、とか──

 

「お人形さんみたいに可愛らしいって、意味……ですよね?」

「ヤダもう、そんなわけないじゃない。うーん、いっぱいいっぱいだとそこまで気が回らないのかしら。──ほら、あの子、空っぽでしょう?」

 

 みなみさんは自明のように言った。

 

「昔からそうなのよ。お誕生日パーティーを開いたり、テーマパークに連れて行ってあげたりしても、全部どうでも良いと思ってるみたい。あんなに喜んでる演技は上手いのに。子役だって、『みなみちゃんみたいになりたいから』って言うけど、あの子達の役割分担でしかないみたいだもの。それとも、睦ちゃんへの情なのかしらねぇ」

 

 どちらかと言うと睦ちゃんの方が内向的だから、と言うみなみさん自身も、自分の子供に興味がなさそうに見える。

 環ちゃんがみなみさんのことを「そういう人だから」と言った理由も、同時にわかったような気がした。

 

「すごく熱心に努力するのよ? 芝居も、睦ちゃんの方がよっぽど才能があるとわかってるのに、ものすごくお勉強してるの。でも、本当は全部どうでもいいんでしょうね。ファンや同業者から認められるのも、環ちゃんのモチベーションには繋がらないみたい。環ちゃんはね、お芝居をしてるお人形さんなの」

「役者の仕事が好きだからとかじゃ、ないんですか」

「むしろ嫌いなんじゃないかしら。あの子はなんだか、人生にシナリオがあると思っているみたいなのよね。だから自分の感情を無視しても役割の通りに動こうとするの。人形劇の人形みたいでしょう」

 

 あまりイメージが湧かなかった。

 

「だから最近、急にバンドをやりたいって言い始めた理由がよく分からないのよねぇ。操り手ができたのかと思ったけど、そんなこともなさそうだし。初華ちゃんは何か知ってる?」

「え……うーん」

 

 祥子ちゃんとバンドがやりたい、と環ちゃんは言っていた。

 だとすれば、環ちゃんが待ち望んでいた操り手は祥ちゃんなんだろうか。

 

「例の豊川祥子ちゃん?」

「えっと──」

「……ああ、そうなのね。本当、面白い子だわ」

 

 みなみさんはテレビのリモコンを操作して、四年ほど前に放映されたドラマの録画に画面を切りかえた。確か、みなみさんと環ちゃんが共演した作品だ。

 

 このリビングには、家庭らしさを象徴するものがない。例えば家族写真とか、表彰状とか、子供由来の雑貨やインテリアといったものが置かれていなかった。徹頭徹尾、みなみさんのテリトリーだ。

 

「みなみちゃんにとって、環ちゃんは娘ですか? それとも──」

「同業者で後輩よ。ウチはそうなの。……初華ちゃん、案外踏み込むのねぇ。環ちゃんに絆されちゃった?」

 

 芸能人、それも業界に大きな影響力を持つような人は、私みたいな一般人とは考え方からしてまるで違っているのだろう。だから、歪だと思ってしまうのはきっと私のエゴだ。と、そうは思うけれど、私を見つけてくれた環ちゃんは、等身大の人間に見えた。

 

 それからしばらく、みなみさんは話すのに飽きたのか、静かにテレビの画面を見つめていた。

 

「初華ちゃんはきっと、シナリオを書く側の人間ではないものねぇ。環ちゃんも、きっとそう」

 

 ただいま、と声が聞こえて、環ちゃんと睦ちゃんの帰宅を知らせる。

 

「好きなだけ滞在して構わないけど、環ちゃんの言いつけは守ってね」

「はい」

 

 みなみさんはひらりと手を振った。リビングに環ちゃんが戻ってきて、ソプラノの声で私を呼んだ。

 

「初華ちゃん、みなみちゃんはもういいから、今後の相談しようよ」

「え、うん……」

「環ちゃん、ひとつだけ」

 

 リビングを出る前、みなみさんが環ちゃんにひとつ耳打ちをした。環ちゃんが嫌そうな顔をして私の手を引く。

 廊下を通り抜けて、環ちゃんの部屋へ。

 

 環ちゃんの部屋は、不釣り合いに思えるくらい女の子らしい部屋だった。

 環ちゃんの自立した雰囲気や、若葉家の内装とはまるで様相が異なっている。

 

 数多の人形とぬいぐるみに埋められた部屋。

 中には大きな姿見があった。

 

「ぬいぐるみがいっぱいだね」

「……変かな?」

「ううん、かわいい。ベッドのテディベアは、一緒に寝てるの?」

「ん。独りじゃ寝れないから」

 

 ──か、かわいい……! 

 じゃなくて、さっきのみなみさんの話も含めて、随分と環ちゃんの内面に迫るヒントを得られているような気がする。

 

 環ちゃんはきっと、みなみさんが言うように空っぽな人形ではないし、私に見えたままの、強い人間でもない。

 

「イス、座って」

 

 促されるまま、部屋に一つだけあるチェアに腰を下ろした。環ちゃんはベッドの上のテディベアに背中を預けて座る。ひとつ年上のはずの環ちゃんが幼く見えるのは、シチュエーションと、その人形みたいな整った美貌のせいだと思う。

 

「みなみちゃんと何話してたの?」

「お母さんの連絡先を訊かれたり……本気でバンドやる気なのか、とか……」

「ふーん。じゃあ、私も確認しておくけど、初音ちゃんが私からの取り次ぎに応じたら、初華ちゃんはバンドやらない?」

「やるよ。環ちゃんが、私を必要としてくれる限り」

 

 心外だ、とは思ったけど、私の環ちゃんへの思いが本人に伝わっているはずはないから、こんなことを言われてしまうのは仕方がない。

 

 私には、もう何も無い。

 消費期限が切れた幸福の残骸が、腐敗して私の足元に異臭を放っている。

 

「私には初華ちゃんが必要だよ」

「……祥ちゃんのために?」

「ううん、私のために」

 

 環ちゃんから伸びる糸が、私を安堵させる。暴れたら切れてしまうかもしれないから、私は真っ直ぐに環ちゃんを見つめる。

 

「……明日から、メンバー集めてくるから。来週にはもう一回、祥子ちゃんと話せるようにしたいな。初華ちゃんもついてきてくれる?」

「うん。でも、もう5年くらい会ってないんだよ? 私で大丈夫なのかな」

「大丈夫だって思わせておいてよ。私が頼れるのはもう、初華ちゃんしかいないんだから」

 

 実際のところ、祥ちゃんを心変わりさせるなんてできる気がしなかった。祥ちゃんが私に特別な何かを見出してくれているとは、とても思えない。

 

「祥ちゃんが環ちゃんを振り払っても……ううん、やっぱりなんでもない」

 

 結局、私も環ちゃんも、ないものねだりの同士でしかない。

 きっと、環ちゃんは私のことを同士として見てくれてはいないのだけど。

 

 

 ♦

 

 若葉家の食卓の相伴に与って、お風呂を借りて、睦ちゃんに挨拶をした。

 睦ちゃんは外見こそ環ちゃんとそっくりだったけど、性格は随分と違うみたいだった。少し冷たい反応をされてしまったのは、環ちゃん曰く「人見知り」らしい。

 私には、どうにもそう思えなかったけれど……

 

 私が男の子と遊んでるときの初音の雰囲気に似ていた、ような気がする。

 

「にゃむちゃんと海鈴ちゃんは引き込める予定。だから、あとは祥ちゃんを連れてくるだけなんだけど……あ、初華ちゃんって作詞ができたりする?」

「えっ、やったことないからわかんない……かな」

「だよね〜。祥子ちゃんにお願いしよ」

 

 環ちゃんは疲れ果てたようにベッドに倒れ込んだ。

 作戦会議終わり! と大きなクマを抱きしめてしまった背中に、思い切って声をかけてみる。

 

「ね、一緒に寝ても良い?」

「え。……いいけど」

 

 環ちゃんは肩を跳ねさせてから、少し照れたように、それでいて嬉しそうに答えた。

 飛び起きた環ちゃんについて歯を磨いて、大きなベッドに寝転がる。

 

「初華ちゃんは、寂しい? お姉ちゃんがいなくなるって、身体の一部がなくなるみたいなものだと思うんだけど……」

「……寂しいよ。初音と過ごした期間の全部が、私の独りよがりの幸せだったみたい」

 

 お父さんにギターを習った日も、港に遊びに行った日も、お母さんの刺繍に大はしゃぎした日も、初音にとっては辛いだけの日々だったのかもしれない。

 それが一番、苦しい。

 

 取り留めのないことを幾つか話すうちに、環ちゃんの返答が遅くなってきて、いつの間にか眠ってしまった。

 

 私よりも小柄な少女の寝息が、暗夜に混じって聞こえてくる。

 

 白く細い首筋に噛み付いたら、環ちゃんを私だけのものにできないだろうか。

 

 バカみたいなことを考えた。睦ちゃんに警戒されるのも当たり前だ。

 

「おやすみ、環ちゃん」




感想評価ありがとうございます。この連載の生きる糧です。ほんとに。
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