「あのねぇ、ペットじゃないのよ」
「居候だって! 私が面倒見るから」
「そうは言っても……ねぇ、環ちゃん。あなた、何がしたいのよ」
みなみちゃんは、初華ちゃんを家に入れることに反対はしなかった。代わりに、私が何かしでかさないかを気にしているみたいだった。
「みなみちゃんには迷惑かけないって。私はバンドやりたいだけ」
「バンドねぇ……どうして急に」
「やりたいことがあるの。デビューも目指すけど……」
「睦ちゃんの影響?」
「睦ちゃんは関係ない」
よくわかんない、とみなみちゃんはソファに沈んでしまった。
「環ちゃんの方がわっかんないわぁ」
「私はただの親孝行娘だよ。子役もやってるし。……まあ、役者やらない方が親孝行になる娘もいるかもだけど」
「はぁ。とにかく、初華ちゃん? を家に置いておくのはいいけど、私に黙って変なことしないでよね。いくら環ちゃんがしっかりしてても、子どもに責任は取れないんだから」
あとは初華ちゃんとお話するから、とみなみちゃんは自分の出演作を観る日課に戻っていった。拍子抜けした感じだ。だっていきなり知らない子を家に住ませたい、なんて言って、許される家庭がある?
半ばダメ元というか、通ればラッキーくらいに思っていた、初華ちゃんを家に連れてくる案が通ってしまったことで、実際金銭的にはかなり楽になっているんだけど……
まあ、いいや。みなみちゃんの考えることはよく分からない。
とりあえず初華ちゃんと話をさせろということだろうと解釈して、初華ちゃんを呼びに行く。
初華ちゃんに割り当てた部屋をノックすると、「どうぞ」と返ってくる。
ドアを開けると、少し不安そうな表情の初華ちゃんがクッションに座っていた。
「やっぱり大丈夫だって〜」
「本当? 良かった……」
「みなみちゃんが話したいって言ってるんだけど、良い?」
「うん」
スリッパを履いて、初華ちゃんと二人で廊下に出る。睦ちゃんはまだ帰ってないみたいだった。珍しい。
「トイレとお風呂はあっち。来客用だからそのまま使って。私とお手伝いさんもたまに使うけど。あと、こっちの階段から先には行かないでね。地下室はスタジオになってて……睦ちゃんがいないときは一応、使ってもいいよ」
基本的にはみなみちゃん達夫婦の生活環境を乱さなければ顰蹙を買うことはない。
若葉家はプライベートスペースと来客用スペースがきっちり分かれた作りになっているから、実の所、一人が長期間泊まるくらいは全然問題がないのだった。食事だってもう集まって食べることはほとんどないから、お手伝いさんに一人分多く作るようお願いしておくだけで良い。
そよちゃんだって3日泊まったし、我が家はそのあたりかなり無頓着だ。
初華ちゃんは「お金持ちのお家だ……!」と慄いていた。恵まれた家庭に生まれた自覚は私にも睦ちゃんにもある。
「……ねぇ、どうして環ちゃんはお母さんのこと『みなみちゃん』って呼ぶの?」
「うん? みなみちゃんがそう呼ぶように言ったから」
「そう、なんだ。お母さんって呼んだりはしないの?」
「ん〜、対外的には呼ぶけど」
みなみちゃん呼びは、家族以外からは異様に見えるらしい。これは睦ちゃんが小学生の頃に知った事実だ。だからといって家族仲が悪いわけでもないし、呼び方ひとつでどうこう、という話じゃないと思うから、特に気にしていない。
「みなみちゃんとは適当に話してればいいよ。初華ちゃんがどんな人間でもあの人はあんまり気にしないと思うし」
「そうは言っても、緊張する……」
「……がんばって!」
初華ちゃんの手を引いてリビングへと足を踏み入れる。みなみちゃんは、既に直近のドラマの録画を流し始めていてご機嫌だった。
「初華ちゃん連れてきたよー」
「ありがとう。環ちゃん、悪いけど、睦ちゃんを迎えに行ってくれる? どうにも遅くなるみたいだから」
「はーい」
睦ちゃんを迎えに行けというのはつまり、席を外せということだろう。早速困った顔の初華ちゃんににっこり微笑んでから、リビングを後にする。
かなり心配だ。
形式上、たとえば初華ちゃんの学校事情とか、家族の連絡先とかを聞くくらいのものかなと思っていたから、わざわざ場を追い出されるとは思わなかった。しかも、家から出るようにまで促されるなんて。
初華ちゃん相手にそんな深刻な話をすることがあるだろうか?
不安になってリビングへととって返すと、みなみちゃんが呆れた顔でこっちを見た。
「初華ちゃんに酷いこと言わないでね!」
「言わないわよ。なんだと思ってるの」
初華ちゃんまで苦笑するものだから心外だった。不安そうにしてたから念を押してあげたのに!
家を飛び出して、睦ちゃん達が練習に使っているスタジオの方へと行ってみる。祥子ちゃんと出くわしたら嫌だから、歩幅はゆっくり。駅までしか迎えには行かないつもりだ。電車ですれ違っても馬鹿らしいし。
……睦ちゃんに連絡を入れると祥子ちゃんまでついてきそう。
あー、変に気を回すの向いてない!
最寄り駅へ足を伸ばして、改札前のベンチでぼんやりと睦ちゃんを待つ。
「環。どうしたの?」
「睦ちゃんが遅いから迎えに来たの。練習が長引いた?」
「……新しい曲が良かったから」
「訊かなきゃよかった」
丁度いい気温だったから1時間くらい待っても構わなかったけど、睦ちゃんは30分も経たずに改札に姿を現した。
「初華ちゃん、連れてきてるからね」
「……?」
「言ったじゃん。しばらく家に泊まるって」
「環のバンドメンバー?」
「え、うん」
私がバンドをやろうとしていることに、ことのほか周囲の人間が興味を示すのはどういうわけだろう。昔、私が子役をやると言い出したときには、みんな無関心だったのに。
残念ながら、睦ちゃんたちCRYCHICから祥子ちゃんを奪い去ることはできそうもないし、睦ちゃんが気に掛ける理由がわからない。
「ギター、弾けるの?」
「うん。上手かったよ。小さい頃から弾いてたんだって」
「私より?」
「睦ちゃんの方が上手いんじゃない」
私より?
睦ちゃんらしくない言葉だな、と思う。私が知っている睦ちゃんは、CRYCHICでもずっと、もっと上手くギターが弾けるはずだと一人悩んでいたくらいにネガティブだ。自分のギターの技術をそれを誇ったり比べたりはしないはず。
だって、上手く弾くのに必死で、楽しくなかったなんて言っちゃうような子だし。
「そういう睦ちゃんはさ、ギター、楽しくなった?」
「……」
「あれ」
「……考えてる。どうすれば、変われるのか。それと、環のことも」
「私?」
「最近、変。……祥の影響? それとも、CRYCHIC?」
近頃の私が変だというのは、きっと正しい。
特に向上心もなく、Ave Mujicaで今度こそ上手くやる準備をしたくらい。
自分の思うままに学校に通って、つまらない勉強をして、友達ができて、子役を始めて大人ぶってみて、全てが新鮮で楽しかった。順風満帆な人生だと思っていたし、最後にして全てを決定づけるピースは、Ave Mujicaの完成をもって埋まるはずだった。
天地がひっくり返った動揺と、何とか取り戻そうという足掻きに行動原理が支配された今の私は、一年前とはまるで違っているだろう。
「全部だよ、ぜんぶ」
「……よく、分からない。環のことも」
「睦ちゃんにはわかんないよ」
「……祥とバンドやりたいなら、環がCRYCHICに入ればいい」
「ぜっっったいヤダ」
「祥も、そよも、反対しないと思う」
「嫌だって言ってるでしょ。そういうとこだよ、ホント」
睦ちゃんが何に期待してそんなことを言ったのかわかんないけど、別に私は燈ちゃんの歌詞のチカラ、とか信用してないし。
たとえ歓迎されたってCRYCHICには入りたくない。CRYCHICは睦ちゃんの居場所だし、選ばれたのも睦ちゃんだ。
……嫌な思いをしても我慢してきたのに、というのは逆恨みで。
私は、祥子ちゃんに選ばれてようやく、人生が始まると思ってたんだなぁ、と今更ながらに気が付いた。
「私のことなんて気にしなくていいの。
ね? と念を押せば、睦ちゃんは口を閉ざした。
みなみちゃんと一緒のやり口。決めつけたように言えば、睦ちゃんはそれに従うように動いてしまう。だって睦ちゃんはそういう役だから。
昔はこれが嫌いだったのに、私が環になってからはそうでもなくなった。私が
「ただいまー」
家に帰ると、初華ちゃんとみなみちゃんはまだ話しているみたいだった。リビングを覗きに行くと、緊張とはなんだったのやら、二人は楽しそうに談笑している。
「初華ちゃん、みなみちゃんはもういいから、今後の相談しようよ」
「え、うん……」
みなみちゃんに視線を向けると、もう初華ちゃんにあんまり興味はないらしい。きっとそうだと思った。
「環ちゃん、ひとつだけ」
みなみちゃんが手招きする。腰を上げてリビングから廊下へ出ようとしていた初華ちゃんをそのままにみなみちゃんに近寄ると、耳元に口を寄せられる。
「あなた、刺されるタイプね。それか、周りを不幸にするタイプ」
「なに、悪口が言いたいの?」
「忠告してあげてるのに」
「知らない」
いつもの揶揄いだ。忠告を内包しているにしても、どうせなんのことを言っているのか分からない。
リビングを抜け出して、初華ちゃんを私の部屋に連れていく。
「ぬいぐるみがいっぱいだね」
「……変かな?」
「ううん、かわいい。ベッドのテディベアは、一緒に寝てるの?」
「ん。独りじゃ寝れないから」
人形達と目が合う。いつも通り居心地が悪くて安心する。ベッドの脇にこぼれ落ちたままのうさぎをベッドに放り投げた。
「イス、座って」
自分はベッドに座って、クマのぬいぐるみに背中を預ける。本当は外行きでベッドに座るなんてはしたないけど、この際それは気にしないことにした。
「みなみちゃんと何話してたの?」
「お母さんの連絡先を訊かれたり……本気でバンドやる気なのか、とか……」
「ふーん。じゃあ、私も確認しておくけど、初音ちゃんが私からの取り次ぎに応じたら、初華ちゃんはバンドやらない?」
「やるよ。環ちゃんが、私を必要としてくれる限り」
初音ちゃんへのアポイントは、今のところ断られている。マネージャーさん経由で何度か頼んでも、門前払いを食らっている状況だ。初華ちゃんの名前を出しても出さなくてもこれだから、完全に避けられている。私が避けられているのか、初華ちゃんが察知されているのかまでは分からないけれど。
「私には初華ちゃんが必要だよ」
「……祥ちゃんのために?」
「ううん、私のために」
初華ちゃんは、私たちによく似ていた。不安定になって、存在を保証してくれるものを探している。
「……明日から、メンバー集めてくるから。来週にはもう一回、祥子ちゃんと話せるようにしたいな。初華ちゃんもついてきてくれる?」
「うん。でも、もう5年くらい会ってないんだよ? 私で大丈夫なのかな」
「大丈夫だって思わせておいてよ」
もう、初華ちゃんしか縋れるものがない。
実のところ、初華ちゃんを連れて行ったからどうにかなる、とも思えないけれど……
Ave Mujicaが上手くいかなかったら、私はどうなるんだろう。自分で自分のこともよく分からないまま、他人を巻き込む段階まで足を踏み入れてしまっている。
「私が頼れるのは、もう初華ちゃんしかいないんだから」
初華ちゃんは困ったように笑う。
私たちは、都合の良いように互いを見ている。
私は祥子ちゃんを引き入れるための手段のひとつとして。
初華ちゃんは夢と望みを実現するための蜘蛛の糸として。
「祥ちゃんが環ちゃんを振り払っても……ううん、やっぱりなんでもない」
私は、曖昧な笑みを貼り付けた。
知名度には価値がある。
たとえば、大女優森みなみの娘であること。
たとえば、一大ブームを巻き起こした天才子役だったこと。
そういった肩書きと知名度は、ある種の人間にとっては喉から手が出るほど欲しいもので、私を利用したい、食い潰したいと思う人間は山ほどいる。
「初めまして、祐天寺若麦ちゃん。おっきな踏み台に興味はある?」
「初めまして、若葉環。あんたがその踏み台ってワケ?」
いつか初華ちゃんとケーキを食べたホテルのラウンジに、今度はにゃむちゃんを呼び出した。丁度動画配信が伸び始めて、ドラムにも手を出し始めた辺り。あんまり出遅れて取り逃しても嫌だし、早めに唾をつけておくことにする。
「私に協力してくれるなら、存分に踏ませてあげるよ」
「へぇ。ちょっと興味湧いてきちゃったかも〜」
にゃむちゃんが私の提案に食いつくことはわかっていた。本当は祥子ちゃんに対するものだったけれど、この半生で私は、若葉環という名前を魅力的な餌に育ててきたつもりだ。食いつかれなかったら逆に凹む。
「にゃむちゃん、私とバンドやってくれる?」