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山陽新幹線が運んだカープ初優勝 全線開業50年、「赤ヘル旋風」の陰に遠征の時短効果
1975年3月10日に山陽新幹線が全線開業してから50年。人々の暮らしや経済活動にさまざまな効果を与えたが、プロ野球界の大きな出来事にも影響を与えた。岡山から博多に延伸したことで、それまでセ・リーグで唯一、ホームが新幹線の沿線ではなかった広島が球団創設26年目で悲願のリーグ初優勝。新幹線の「時短効果」で遠征の負担が軽減されたことが、前年まで3年連続で最下位に沈むなど「お荷物球団」といわれたカープの快進撃につながったのだ。
「山陽新幹線のおかげ。これがなかったら優勝できなかったくらい。移動が楽になった」。そう証言するのは、広島のエースとして活躍し、75年は20勝(13敗)を挙げて最多勝、沢村賞のタイトルを獲得した外木場義郎さん。山陽新幹線全線開業40周年の式典でスピーチした。
新幹線が東京から新大阪までだった時代。68年10月号の時刻表で広島-東京間を見ると、特急「しおじ」と新幹線「ひかり」の乗り継ぎで約8時間かかった。新幹線が岡山まで伸びても、72年3月号の時刻表によると約6時間半。乗り換えが発生する上、当時、カープの選手は野球道具を各選手が持ち運んでいた。夜行列車に乗り、床や通路で横になることもあったという。空路という手もあったが、天候に影響されやすく、便数や席数も少なかった。
山陽新幹線が広島にやってくると、状況は一変した。広島から東京まで乗り換えなしで約5時間。また、75年に就任したジョー・ルーツ監督の方針で、用具を運ぶトラックを導入したことで、選手の負担はさらに減った。
余計な消耗がなくなったカープナインは奮闘した。ルーツ監督のアイデアでヘルメットに赤色を採用。ルーツ監督はフロントとの行き違いで4月に退任し、古葉竹識コーチが後任監督となったが、混戦の中、首位争いに加わる戦いぶりは「赤ヘル旋風」という社会現象を呼んだ。
新幹線効果は数字にも表れている。当時の本拠地の広島市民球場とビジターなど他球場の成績を見ると、最下位だった74年の市民球場は28勝33敗2分け、他球場は26勝39敗2分けだったが、75年は市民球場が31勝23敗7分け、他球場が41勝24敗4分け。遠征先での成績アップが著しく、74年は借金13だったが、75年は貯金を17もつくっている。
また、1日2試合を行うダブルヘッダーも移動時間が短くなったことで減少。74年は12度あったが、75年は5度だけ。疲労の蓄積が緩和されたといえる。
カープは10月15日、後楽園球場で、そのシーズン、最下位となった巨人に勝ち、古葉監督が胴上げされた。翌日、ナインは新幹線で地元に凱旋(がいせん)。駅には大勢のファンが押し寄せた。2021年に亡くなった古葉さんは「降りられないくらいファンの人に出迎えられた」と振り返っていた。
広島の80年のリーグ優勝が決まったのはデーゲームを戦った甲子園から広島へ帰る山陽新幹線の車内。マジック対象だったヤクルトがナイターで敗れたからだ。さすがに胴上げはできず、バンザイだけ行った。広島の栄光に山陽新幹線は大きく関わっている。
カープと山陽新幹線の関係が始まって50年。節目の年の今季、新井貴浩監督のもと、どんな戦いぶりを見せてくれるだろうか。