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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

断腸の思い(2)

2009-05-19 | Weblog
大統領府で、案内に従って待合室に入ると、エサウ外相が先に待っていた。私と大統領との会談に同席を命じられたのだ。こんにちはと挨拶をする。エサウ外相は、複雑な表情を浮かべている。
「実のところ、私にも全く驚きで。しかし、大統領は苦渋の決断を行わざるを得なかったのです。今朝ほど、治安当局による情勢分析会議がありまして、大統領がこの時期に国外に出ることには、大きな危険が伴うとの結論になりました。」
また、何を言い始めるのか、私はよく分かっていない。エサウ外相は、一呼吸置いて続ける。
「つまり、大統領訪日は中止せざるを得ないと。」

私は持参した説明資料を、取り落としそうになった。エサウ外相に問い返す間もなく、私は大統領執務室に呼ばれた。これはニヤシンベ大統領に直接質すしかない。そのニヤシンベ大統領は、いつものように部屋の奥に立って私を迎えた。私は、挨拶もそこそこに、おおいに困惑した顔で、大統領に言う。
「今さっき、訪日中止の決定を下された旨をお伺いしました。本当でしょうか。訪日実現のために、日本側は相当努力をして来ました。準備には、多くの人々が携わってきました。その訪日が実現しないことは、皆にとって極めて残念なことです。」

大統領は、まったく申し訳ない、と述べる。昨日までは、自分も訪日を楽しみにしていた、エサウ外相から日程案の説明を受け、素晴らしい日程案なので、たいへんな喜びを感じていたところである。しかしながら、と大統領。
「先月半ばに、ご承知の事件がありました。今朝ほど、国内情勢について治安担当部局との協議を行った結果、この事件の全貌はまだ掌握されておらず、大統領として国外用務のために長期にわたって留守をすることには、危険があるという結論になったのです。」

ご承知の事件とは、トーゴで4月13日の朝未明に起こった、パチャ国会議員をめぐる事件である。前国防相であるパチャ議員の、ロメ郊外にある自宅を、軍の憲兵が取り囲み、強制捜査にはいった。パチャ議員が、「国家の安寧に対する謀議」を企てている、という容疑である。パチャ議員側からは、銃で反撃があったというから、大捕り物劇であったようだ。パチャ議員は逃亡、米国大使館に庇護を求めたが、大使館はこれを拒否、門を出てきたところを官憲に逮捕された。謀議とは、クーデタ計画であった、と報じられている。

このパチャ議員というのは、フォール・ニヤシンベ大統領の実弟である。エヤデマ前大統領が、2005年に危篤に陥った。何とか生命を救おうと外国の病院に搬送する途中、前大統領は死去した。その飛行機に乗っていたのが、フォール(現ニヤシンベ大統領)と、弟のパチャの二人であった。家督をどちらが継ぐかで、兄弟の間のライバル関係がそこからはじまった。エヤデマ家での協議の結果、長兄のフォールが継ぐことになり、その後しばらくの混乱の後、大統領選挙でニヤシンベ政権が成立。パチャは内閣に入って国防相となっていた(2008年の内閣交代で辞任)。

もちろん、この事件について、私も情報を集めていた。訪日準備を進めていた最中の事件であるから、訪日の実現にも影響があり得る。この事件が、ほんとうにニヤシンベ政権の安定を脅かすようなものなのか、背景や性格を分析する必要があった。しかし事件の後も、トーゴの国内は平穏であり、特に余波があるようには見受けられなかった。外出禁止令などの警戒措置が取られた形跡はなく、市民生活も平常どおりである。パチャ議員支持派が、抗議運動を始めたという動きもない。他の情報と照らし合わせ、この事件は、ニヤシンベ大統領が与党内の有力対抗者を排除し、政権への不安を除去した、ということではあったかもしれないが、政権基盤が揺らいだり国内騒動につながるような話ではない。そう判断していた。

ニヤシンベ大統領は、私に言う。
「私は、大統領として、2005年以降、民主主義による政治、世銀・IMFの指導に従った経済自由化、汚職追放や政治制度の近代化など、トーゴの改革を進めてきました。先日の事件は、この自由化・政治改革路線を嫌い、これに挑戦しようという動きでした。1ヶ月もたてば、私はこの動きに十分決着が付くと思っていました。だからこそ、今まで訪日を是非実現しようと考えてきました。しかし、現在も捜査が継続しており、事態は完全には掌握されていません。大統領として、全ての問題を今ここで根絶すべきである、事態が完全に安定化するまで、国内に残るべきであるという結論を下しました。」

私は、大統領にもう一度聞きなおす。訪日中止は、トーゴの政治が実は安定していないのだ、という悪いメッセージを、日本や国際社会に与えることになる。むしろ、訪日を実現して、今回の事件は何でもないということを内外にお示しになるほうが、貴大統領の政治のためには望ましいのではないか。

ニヤシンベ大統領は、再考の余地を求める私に、首を横に振って、最終的な決定であると伝えた。そして、日本の関係者の方々に、心からお詫びしたく思うとともに、訪日中止に至った事情についてご理解を賜りたいと考える、と述べる。貴使にも、この点お力添えを得たい。そして、こう言った。
「暴力で政権を覆すという悪い風が、アフリカに吹き荒れています。これをトーゴに起こしてはならない、との切なる気持ちから決断しました。今回の決断は、私にとって断腸の思い(la mort dans l’âme)です。」

ほんとうにクーデタに繋がるような動きがありえる、そして国家の情報機関がそう分析しているとすれば、大統領として国家と国民を守る決断をすることは、止むを得ないであろう。他の大統領ならともかく、ニヤシンベ大統領である。欧米諸国も日本も、彼の民主主義改革路線をしっかり支持していこうと考えているのだ。ここでトーゴが、アフリカ諸国の一部に見られる混乱の列に加わるようなことがあってはならない。

私は、貴大統領が今回の決定を下した事情や背景について、日本側に説明することはお約束しよう、しかしながら如何に努力しようと、やはり日本国民、とりわけトーゴの多くの友人を悲しませることは避けられない、と述べた。そのまま静かに席を立つ。ニヤシンベ大統領は私と握手した上で、肩を抱いて別れの挨拶をした。断腸の思い、と大統領が言った。失意においては、私も同じであった。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (タケガミ)
2009-05-28 23:17:31
久し振りに大使の日記にアクセスさせていただきました。大使の残念さが文面から伝わってきます。でも大使の努力は必ずどこかで報われるでしょう。トーゴ大統領がまたぜひ訪日できることを祈念しています。
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