子ども達に運動靴を贈るという企画で、コートジボワールを訪れた、岐阜市議会議員の杉山利夫さんから、メールでその後の報告が届いた。残念ながら、靴を子ども達に、杉山さんから直接手渡すことは、出来なかったという。その事の次第は、参考になる反省点を含んでいると思うので、杉山さんからのメールを、ご本人の了承を得てご紹介したい。
「大使公邸を訪問しました翌日には、グランラウ市で靴を子ども達に手渡すセレモニーを予定していました。靴は…4月17日にはアビジャン港に着いていることは、日本の運送会社から連絡が入っていますし、それから1週間ですから、確実にグランラウ市に着いていると思っていましたが、まだ届いていないとのことです。
市役所に到着しましたが、この日は大きな結婚式がこの敷地内で行われるということで、たくさんの人が集まって大騒動で、靴どころではありません。確認すると、いまトラックに積み替えている最中らしいとか、もう港を出ている頃らしいとか、確たる情報が入ってきません。最終的には、受け取り主のグランラウ市長が、いろんなところへお願いし、昨年私も面識もあり岐阜へも訪れていただいた、市長連合のアミシャ会長(注:アビジャンのトレイシュビル市長)の口利きにより、出庫の許可が出たとも明るいニュースも聞こえてきました。もう1泊して荷物を待ちましたが、相変わらず靴は届きませんでした。
その翌日からは、ヤムスクロで2泊分のホテルが予約してありましたので、やむなくグランラウ市を後にしました。訪問しましたアティエゴア村民の人たちとも、新しい楽しい交流もできました。その間も、通関業者や運送会社に問い合わせするも、確たる情報が入りません。2泊後、予定ではヤムスクロからアビジャンへ直接帰る予定でしたが、靴を渡す最大目的が達成されていませんので、靴が届いていることを期待しながら、再度遠回りをして、グランラウ市に立ち寄ることにしました。
残念なことに、最後の最後、出国するまで、靴を渡すイベントに参加することに賭けたのですが、とうとう実現できませんでした。通関の担当者とやっときちんと連絡が取れ、まだその段階で、靴は港の中にあることが確認されたのです。書類にグランラウ市の印がないと、港を出せないとのことで、市の公印をすべて持ち出して、副市長と一緒に翌朝港に行くこととしました。
翌朝の出国の朝、通関担当者に面会しますと、手続きのミスもあるが、17日到着の荷物が、そんなに早くグランラウ市に着くこともありえない、とも言われました。最終的に荷物は、5月1日にはグランラウ市に到着して、大々的に靴を子ども達に配ったようです。その様子は、後日報告が届く予定です。
わからないなりに問題点を整理しますと、
(1) 私達は、岐阜市からグランラウ市までの輸送のすべてを日本の運送会社に発注して、その額が約30万円と理解していたのですが、日本の運送会社は、契約はアビジャン港までで、その後は現地が対応するとした内容としていた。
(2) 私達は、港の通関も、品物が新品の営業用のものではなくて善意の中古のボランティアのものだし、受け取り主がグランラウ市ということなので安易に考えていた。
(3) グランラウ市は、通関、輸送等手数料を含めて、分割で20数万円を負担しなくてはいけないようです。
こんなことで、現地で、責任をもって受け取れる体制の確立が必要なようです。」
はじめて何かを企画実行するというのは、いろいろと予想の出来ない障害が出てくるものである。ましてや、日本を遠く離れたアフリカの地での企画であるから、ある程度は避けがたい。そうした痛い経験があっても、こんなことなら懲り懲りだというのではなくて、ひとつひとつを重要な教訓にして、より良い活動につなげていってほしいと思う。
「活動は挫折することなく、これからも夢を持ち続けますが、毎年行くことの厳しさや、日本とアフリカの感覚の違い等、現実の厳しさも痛感しました。ただ、いままでが何もかも手探りの初体験で、周りの人たちを無理矢理引っ張ってきました。これからも、いろんなトラブルを乗り越えて継続していくことこそが、本当の実績作りと思ってます。」
杉山さんは、そう結んでいる。来年も、杉山さんたちのコートジボワールに向けての活動が継続発展することを、大使として心から期待したい。
「大使公邸を訪問しました翌日には、グランラウ市で靴を子ども達に手渡すセレモニーを予定していました。靴は…4月17日にはアビジャン港に着いていることは、日本の運送会社から連絡が入っていますし、それから1週間ですから、確実にグランラウ市に着いていると思っていましたが、まだ届いていないとのことです。
市役所に到着しましたが、この日は大きな結婚式がこの敷地内で行われるということで、たくさんの人が集まって大騒動で、靴どころではありません。確認すると、いまトラックに積み替えている最中らしいとか、もう港を出ている頃らしいとか、確たる情報が入ってきません。最終的には、受け取り主のグランラウ市長が、いろんなところへお願いし、昨年私も面識もあり岐阜へも訪れていただいた、市長連合のアミシャ会長(注:アビジャンのトレイシュビル市長)の口利きにより、出庫の許可が出たとも明るいニュースも聞こえてきました。もう1泊して荷物を待ちましたが、相変わらず靴は届きませんでした。
その翌日からは、ヤムスクロで2泊分のホテルが予約してありましたので、やむなくグランラウ市を後にしました。訪問しましたアティエゴア村民の人たちとも、新しい楽しい交流もできました。その間も、通関業者や運送会社に問い合わせするも、確たる情報が入りません。2泊後、予定ではヤムスクロからアビジャンへ直接帰る予定でしたが、靴を渡す最大目的が達成されていませんので、靴が届いていることを期待しながら、再度遠回りをして、グランラウ市に立ち寄ることにしました。
残念なことに、最後の最後、出国するまで、靴を渡すイベントに参加することに賭けたのですが、とうとう実現できませんでした。通関の担当者とやっときちんと連絡が取れ、まだその段階で、靴は港の中にあることが確認されたのです。書類にグランラウ市の印がないと、港を出せないとのことで、市の公印をすべて持ち出して、副市長と一緒に翌朝港に行くこととしました。
翌朝の出国の朝、通関担当者に面会しますと、手続きのミスもあるが、17日到着の荷物が、そんなに早くグランラウ市に着くこともありえない、とも言われました。最終的に荷物は、5月1日にはグランラウ市に到着して、大々的に靴を子ども達に配ったようです。その様子は、後日報告が届く予定です。
わからないなりに問題点を整理しますと、
(1) 私達は、岐阜市からグランラウ市までの輸送のすべてを日本の運送会社に発注して、その額が約30万円と理解していたのですが、日本の運送会社は、契約はアビジャン港までで、その後は現地が対応するとした内容としていた。
(2) 私達は、港の通関も、品物が新品の営業用のものではなくて善意の中古のボランティアのものだし、受け取り主がグランラウ市ということなので安易に考えていた。
(3) グランラウ市は、通関、輸送等手数料を含めて、分割で20数万円を負担しなくてはいけないようです。
こんなことで、現地で、責任をもって受け取れる体制の確立が必要なようです。」
はじめて何かを企画実行するというのは、いろいろと予想の出来ない障害が出てくるものである。ましてや、日本を遠く離れたアフリカの地での企画であるから、ある程度は避けがたい。そうした痛い経験があっても、こんなことなら懲り懲りだというのではなくて、ひとつひとつを重要な教訓にして、より良い活動につなげていってほしいと思う。
「活動は挫折することなく、これからも夢を持ち続けますが、毎年行くことの厳しさや、日本とアフリカの感覚の違い等、現実の厳しさも痛感しました。ただ、いままでが何もかも手探りの初体験で、周りの人たちを無理矢理引っ張ってきました。これからも、いろんなトラブルを乗り越えて継続していくことこそが、本当の実績作りと思ってます。」
杉山さんは、そう結んでいる。来年も、杉山さんたちのコートジボワールに向けての活動が継続発展することを、大使として心から期待したい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます