自分が生まれてくる前に世界がどうだったのかを、知ることができないのは残念だ。ママが、割礼を受ける前の少女の頃、どのように歌い、踊ったのか。祖母とバラは、ママはカモシカのように美しい少女だった、と言っていた。僕は、ママがお尻で動いている姿しか知らない。でも30年の間、汚臭と煙と苦痛と涙にまみれて過ごした後も、ママは目元に何か美麗な雰囲気を湛えていた。
ママが美しい乙女だった頃、バフィティニという名前だった。ママは、シギリ(Siguiri)という町に生まれたらしい。ギニアとコートジボワールとシエラレオネにまたがる地域にたくさんある、金を採るために、人々が岩を割っている町の一つだ。ママの父親は、金の仲買人だった。他の金持ちの仲買人同様、何人もの妻、幾頭もの馬や牛、ぱりっと糊のきいた服を持っていた。
祖母は、この父親の第一夫人。ママは彼ら夫婦の、最初の子供だった。祖母はママを大変可愛がっていた。それでも、ママの誕生日も曜日も覚えていない。それはどうでもいいことだった。われわれ誰もが、いずれにせよどの日にかどの場所でか生まれ、どの日にかどの場所でか死んで、いずれにせよ同じようにアラーの神の審判を受けるのだ。
ママが生まれた日は余りに、そこらここらに凶兆が多かった。ハイエナは山で遠鳴きし、フクロウは軒先でうるさく唸った。これらは皆、ママが大変不幸な運命を背負って生まれ、苦悩の人生が待っていることを意味していた。凶兆を抑えるために生け贄をしたのだが、ママの運命を変えるほどには十分ではなかったのだ、とベラは言っていた。生け贄は、必ずしも神に受け取ってもらえるとは限らない。アラーの神には、貧しい人々の祈りの全てを聞き入れる義務はないのだ。
村では、割礼を受けていない娘は、しばしば金商人の一味に強姦されたり、殺されたりしたものだから、ママもなるべく早く割礼を受けなければならなかった。その年はじめてのハルマッタン(サハラ砂漠の砂嵐)の日、他の少女達と一緒に、割礼の儀式を迎えた。
村の誰も、森のどこで割礼の儀式が行われるのかを知らない。雄鳥が夜明け前の一声を上げるや、少女達は家を出て、一列になって黙って森の中を歩いていく。まさに日の出のときに、儀式の場所に到着する。そこで、女の子の何かを切り取る。ママも、何かを切り取られた。ママは不幸にして、うまく切れず、血が止まらなかった。血が豪雨の後の川のように流れた。皆が血を止めようとしたが駄目で、ママはそこで死ぬしかなかった。このように毎年、森の精は一番美しい少女を、自分の物にする。それは儀式の代価であった。
割礼を行うのは、バンバラ(Bambaras)族の呪術師である。僕の地方オロドゥグ(Horodougou)には、バンバラ族とマリンケ(Malinkés)族がいる。クルマ(Kourouma)、シソコ(Cissoko)、ディアラ(Diarra)、コナテ(Konaté)という名前を持つ僕たちの一族は、マリンケ族に属する。マリンケ族、すなわちジュラ(Dioula)の人々である。マリンケ族は移民で、昔々はニジェール川の流域に住んでいた。イスラム教を信じ、一日に5回お祈りをし、椰子酒を飲まず、豚を食べなかった。
他の村は、バンバラ族だった。バンバラ族は不信心で、呪術を行っていた。元からそこに住んでいる原住民で、土地の所有者であった。バンバラ族は、ロビ(Lobis)、セヌフォ(Sénoufos)、カビエ(Kabies)などと呼ばれていて、植民地時代が来る前は、皆裸で生活していた。
ママの割礼を行ったバンバラは、ムソコロニという名前の女呪術師だった。ムソコロニは、ママが余りに綺麗なので、殺すに忍びなく思った。一生懸命まじないをして、森の精を追い払おうとした。森の精は、賛美の言葉とお祈りを聞き入れた。ママの出血は止まり、命が救われた。村中が喜んで、祖母や祖父や、みながムソコロニにたんまりとお礼をしようとした。
ムソコロニは、これをきっぱりと断った。ムソコロニは、お金も服も山羊もコーラの実も椰子酒も要らないといった。彼女はママを余りに美しいと思ったのだ。自分の息子の嫁にいただきたい。ムソコロニの息子は、狩人であった。母親と同様、呪術を行った。毎日コーランを読むイスラム教徒が、娘を嫁にやるようなことは決してない相手だ。村人はこぞって、この申し出を拒否した。
そして、ママを僕の父親と結婚させた。僕の父親は、ママの従兄弟で、村のイスラム教師の息子であった。ムソコロニと息子は、激怒をした。そしてママの右脚に呪いをかけた。ママが妊娠したと同時に、ママの右脚に小さな黒い点があらわれた。黒い点はとても痛かったので、切除しようとした。ママの脚は治らず、脚を冒し始めた。
魔術師やイスラム導師(marabout)などに相談したら、皆が口を揃えて、それはムソコロニと息子の呪いが原因という。そこで彼らの村に出かけていった。すでに手遅れだった。ムソコロニは亡くなっていた。息子は意地が悪く、頼みを何も聞き入れなかった。
ママは僕の姉貴を生んだ。姉貴が大きくなって、買い物に行けるくらいになったので、もうママの脚の傷は相当腐っていたのだが、ママを病院に連れて行った。白人の医師は、包帯で処置をしながら、これは膝から下を切除しなければ治らないと言った。病院にいた看護師の一人が、この病気は白人に治せる病気ではない、アフリカの黒人固有の病気だから、と言った。この病気は、呪術師にしか治せない。もし脚を手術したら、ママは必ず死ぬことになる、と言う。看護師はイスラム教徒だったから、嘘をつくはずはない。
祖父はロバ引きを連れて病院に行った。夜の月明かりをたよりに、ママを病院から連れ戻した。白人の医師は怒って、軍服の部下達といっしょに村にママを探しに来た。ママはロバに乗って、森の中に隠れていた。白人の医師達が帰ってから、ママは森から家に戻った。こうして、ママは相変わらずお尻で歩き続けるしかないことになった。
(続く)
ママが美しい乙女だった頃、バフィティニという名前だった。ママは、シギリ(Siguiri)という町に生まれたらしい。ギニアとコートジボワールとシエラレオネにまたがる地域にたくさんある、金を採るために、人々が岩を割っている町の一つだ。ママの父親は、金の仲買人だった。他の金持ちの仲買人同様、何人もの妻、幾頭もの馬や牛、ぱりっと糊のきいた服を持っていた。
祖母は、この父親の第一夫人。ママは彼ら夫婦の、最初の子供だった。祖母はママを大変可愛がっていた。それでも、ママの誕生日も曜日も覚えていない。それはどうでもいいことだった。われわれ誰もが、いずれにせよどの日にかどの場所でか生まれ、どの日にかどの場所でか死んで、いずれにせよ同じようにアラーの神の審判を受けるのだ。
ママが生まれた日は余りに、そこらここらに凶兆が多かった。ハイエナは山で遠鳴きし、フクロウは軒先でうるさく唸った。これらは皆、ママが大変不幸な運命を背負って生まれ、苦悩の人生が待っていることを意味していた。凶兆を抑えるために生け贄をしたのだが、ママの運命を変えるほどには十分ではなかったのだ、とベラは言っていた。生け贄は、必ずしも神に受け取ってもらえるとは限らない。アラーの神には、貧しい人々の祈りの全てを聞き入れる義務はないのだ。
村では、割礼を受けていない娘は、しばしば金商人の一味に強姦されたり、殺されたりしたものだから、ママもなるべく早く割礼を受けなければならなかった。その年はじめてのハルマッタン(サハラ砂漠の砂嵐)の日、他の少女達と一緒に、割礼の儀式を迎えた。
村の誰も、森のどこで割礼の儀式が行われるのかを知らない。雄鳥が夜明け前の一声を上げるや、少女達は家を出て、一列になって黙って森の中を歩いていく。まさに日の出のときに、儀式の場所に到着する。そこで、女の子の何かを切り取る。ママも、何かを切り取られた。ママは不幸にして、うまく切れず、血が止まらなかった。血が豪雨の後の川のように流れた。皆が血を止めようとしたが駄目で、ママはそこで死ぬしかなかった。このように毎年、森の精は一番美しい少女を、自分の物にする。それは儀式の代価であった。
割礼を行うのは、バンバラ(Bambaras)族の呪術師である。僕の地方オロドゥグ(Horodougou)には、バンバラ族とマリンケ(Malinkés)族がいる。クルマ(Kourouma)、シソコ(Cissoko)、ディアラ(Diarra)、コナテ(Konaté)という名前を持つ僕たちの一族は、マリンケ族に属する。マリンケ族、すなわちジュラ(Dioula)の人々である。マリンケ族は移民で、昔々はニジェール川の流域に住んでいた。イスラム教を信じ、一日に5回お祈りをし、椰子酒を飲まず、豚を食べなかった。
他の村は、バンバラ族だった。バンバラ族は不信心で、呪術を行っていた。元からそこに住んでいる原住民で、土地の所有者であった。バンバラ族は、ロビ(Lobis)、セヌフォ(Sénoufos)、カビエ(Kabies)などと呼ばれていて、植民地時代が来る前は、皆裸で生活していた。
ママの割礼を行ったバンバラは、ムソコロニという名前の女呪術師だった。ムソコロニは、ママが余りに綺麗なので、殺すに忍びなく思った。一生懸命まじないをして、森の精を追い払おうとした。森の精は、賛美の言葉とお祈りを聞き入れた。ママの出血は止まり、命が救われた。村中が喜んで、祖母や祖父や、みながムソコロニにたんまりとお礼をしようとした。
ムソコロニは、これをきっぱりと断った。ムソコロニは、お金も服も山羊もコーラの実も椰子酒も要らないといった。彼女はママを余りに美しいと思ったのだ。自分の息子の嫁にいただきたい。ムソコロニの息子は、狩人であった。母親と同様、呪術を行った。毎日コーランを読むイスラム教徒が、娘を嫁にやるようなことは決してない相手だ。村人はこぞって、この申し出を拒否した。
そして、ママを僕の父親と結婚させた。僕の父親は、ママの従兄弟で、村のイスラム教師の息子であった。ムソコロニと息子は、激怒をした。そしてママの右脚に呪いをかけた。ママが妊娠したと同時に、ママの右脚に小さな黒い点があらわれた。黒い点はとても痛かったので、切除しようとした。ママの脚は治らず、脚を冒し始めた。
魔術師やイスラム導師(marabout)などに相談したら、皆が口を揃えて、それはムソコロニと息子の呪いが原因という。そこで彼らの村に出かけていった。すでに手遅れだった。ムソコロニは亡くなっていた。息子は意地が悪く、頼みを何も聞き入れなかった。
ママは僕の姉貴を生んだ。姉貴が大きくなって、買い物に行けるくらいになったので、もうママの脚の傷は相当腐っていたのだが、ママを病院に連れて行った。白人の医師は、包帯で処置をしながら、これは膝から下を切除しなければ治らないと言った。病院にいた看護師の一人が、この病気は白人に治せる病気ではない、アフリカの黒人固有の病気だから、と言った。この病気は、呪術師にしか治せない。もし脚を手術したら、ママは必ず死ぬことになる、と言う。看護師はイスラム教徒だったから、嘘をつくはずはない。
祖父はロバ引きを連れて病院に行った。夜の月明かりをたよりに、ママを病院から連れ戻した。白人の医師は怒って、軍服の部下達といっしょに村にママを探しに来た。ママはロバに乗って、森の中に隠れていた。白人の医師達が帰ってから、ママは森から家に戻った。こうして、ママは相変わらずお尻で歩き続けるしかないことになった。
(続く)
たいへん有意義なブログで 現地の情報がリアルに伝わってくるので、とても興味深いです。
大使の方にこんなに親しみを感じたのも初めてです。
去年に続き、今年もコートジボワールを訪れる予定ですので、更新を楽しみにしています。