アマドゥ・クルマ(Ahmadou Kourouma, 1927-2003)というコートジボワールの作家が書いた、「アラーの神に義務はない(Allah n'est pas obligé)」という小説は、コートジボワール人の少年が、故郷を出て、ある悲惨な境遇に陥っていく話である。その境遇というのもたいへん深刻な話であるので、また改めて言及する機会があるかもしれない。とりあえずここでは、小説の第一章だけを取り上げよう。
第一章では、少年が母親を失って、故郷を出て行くまでの話が描かれる。少年の故郷は、こちらの表現でジュラ(Dioula)といわれる北西部の人々の村である。ジュラというのは必ずしも部族の名前ではない。南部の人々から見て、北西部のマリやセネガルの方面を出身地とする、主としてイスラム教の部族を総称して、ジュラといっている。コートジボワールの小売商は、大半がジュラの人々である。だから、コートジボワールのほとんどの人が、市場に行って買い物をするための言葉として、ジュラ語を習熟している。
コートジボワールの北西部にある、そういうジュラの人々の村の、伝統社会の価値観と風習。この小説に出てくるいろいろな記述があまりに度外れているので、私はこれは、事実に反しているというまでではないにしても、誇張がかなりあるのではないか、とコートジボワール人に尋ねた。そうしたら、誰もが顔をしかめながら、いや実は大なり小なり事実なのだ、という。特に、呪術や魔法を、人々がかなり本気で信じていることについては、ジュラだけではないコートジボワール全体で、街であるか村であるかを問わず、この本に描かれたとおりなのだという。
少年の母親がたどった運命を通して、西アフリカの伝統社会で、人々がどういう考え方をし、生き方をしているのか、少しばかり垣間見ることにしたい。時代は、1980年代の終わりから1990年代にかけての頃である。
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「アラーの神に義務は無い(第一章)」
アマドゥ・クルマ作
僕が覚えている最初の記憶は火だ。子供の時、腕に大火傷をした。僕が何歳の時だったか、ママは覚えていない。ママはいつも悲惨な苦労を重ねていたし、いつも泣いていたから、僕の歳を数えるような余裕はなかった。
ママについて大事なことを言うのを忘れていた。ママはお尻で歩いていた。左脚は棒きれみたいに衰弱し、右脚は潰瘍が出来て、蛇の頭のように曲がり、力なくつり下げられていた。だから、両手で体を支えていて、歩くときは毛虫のようだった。
僕はそのとき、はいはいをしていた。ママは追いかけてきたが、逃げる僕の方が速かった。僕は竈の燠に突っ込んだ。そして、腕を焼いた。なにも僕のような無邪気な子供の腕を焼くことはないのに。アラーの神には、この世の全てのことに正しくある義務はない。
家の土間にある竈には、いつも潰瘍の治療のための薬草が煮えていた。その竈の火で、僕は腕を焼いたのだ。そして、ママはいつもそこにいて、潰瘍があって、脚が宙につり上がっていた。そして、いつも呪術師のバラがそこにいた。バラは素晴らしい人だった。何でも知っていた。村でただ一人だけ、イスラム教徒でない人間だった。偶像を焼き捨てることを拒否し、1日5回のお祈りをしなかった。体中に、首に腕に髪に、お守り(grigris)を付けていた。村人は彼の存在を恐れていたが、一方で夜になると彼のところにやってきて、呪術を受けたり、伝統医術を施されたり、その他いろいろな魔法をかけてもらっていた。
僕は家の中の何にでも掴まろうとした。ある時、ママの潰瘍に掴まった。ママは罠に足を噛まれたハイエナのように、悲鳴を上げた。祖母が言った。
「泣くのはおよし。アラーの神は、それぞれの人に、それぞれの体と運命を与えるのだよ。お前には潰瘍と苦痛を与えた。アラーの神は偉大なり、とお唱えなさい。お前にこの世での苦しみを与えて清めようとしていらっしゃる。そのお陰で、お前は天国で永遠の幸せを得ることが出来る。地獄に行っての苦しみに比べれば、潰瘍の苦痛など、もう千分の一なのだよ。」
そしてママは涙を拭き、祖母と一緒にお祈りをした。
僕が大火傷をしたとき、ママは胸をかきむしって泣いた。父と祖母は、ママを激しく叱った。祖母は言った。
「アラーの神が、お前に与えたもう一つの試練じゃ。アラーの神は、お前にこの世での更なる不幸を与えて、天国での喜びが更に高まるようにしてくれたのじゃ。」
そしてママは涙を拭き、祖母と一緒にお祈りをした。
(続く)
第一章では、少年が母親を失って、故郷を出て行くまでの話が描かれる。少年の故郷は、こちらの表現でジュラ(Dioula)といわれる北西部の人々の村である。ジュラというのは必ずしも部族の名前ではない。南部の人々から見て、北西部のマリやセネガルの方面を出身地とする、主としてイスラム教の部族を総称して、ジュラといっている。コートジボワールの小売商は、大半がジュラの人々である。だから、コートジボワールのほとんどの人が、市場に行って買い物をするための言葉として、ジュラ語を習熟している。
コートジボワールの北西部にある、そういうジュラの人々の村の、伝統社会の価値観と風習。この小説に出てくるいろいろな記述があまりに度外れているので、私はこれは、事実に反しているというまでではないにしても、誇張がかなりあるのではないか、とコートジボワール人に尋ねた。そうしたら、誰もが顔をしかめながら、いや実は大なり小なり事実なのだ、という。特に、呪術や魔法を、人々がかなり本気で信じていることについては、ジュラだけではないコートジボワール全体で、街であるか村であるかを問わず、この本に描かれたとおりなのだという。
少年の母親がたどった運命を通して、西アフリカの伝統社会で、人々がどういう考え方をし、生き方をしているのか、少しばかり垣間見ることにしたい。時代は、1980年代の終わりから1990年代にかけての頃である。
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「アラーの神に義務は無い(第一章)」
アマドゥ・クルマ作
僕が覚えている最初の記憶は火だ。子供の時、腕に大火傷をした。僕が何歳の時だったか、ママは覚えていない。ママはいつも悲惨な苦労を重ねていたし、いつも泣いていたから、僕の歳を数えるような余裕はなかった。
ママについて大事なことを言うのを忘れていた。ママはお尻で歩いていた。左脚は棒きれみたいに衰弱し、右脚は潰瘍が出来て、蛇の頭のように曲がり、力なくつり下げられていた。だから、両手で体を支えていて、歩くときは毛虫のようだった。
僕はそのとき、はいはいをしていた。ママは追いかけてきたが、逃げる僕の方が速かった。僕は竈の燠に突っ込んだ。そして、腕を焼いた。なにも僕のような無邪気な子供の腕を焼くことはないのに。アラーの神には、この世の全てのことに正しくある義務はない。
家の土間にある竈には、いつも潰瘍の治療のための薬草が煮えていた。その竈の火で、僕は腕を焼いたのだ。そして、ママはいつもそこにいて、潰瘍があって、脚が宙につり上がっていた。そして、いつも呪術師のバラがそこにいた。バラは素晴らしい人だった。何でも知っていた。村でただ一人だけ、イスラム教徒でない人間だった。偶像を焼き捨てることを拒否し、1日5回のお祈りをしなかった。体中に、首に腕に髪に、お守り(grigris)を付けていた。村人は彼の存在を恐れていたが、一方で夜になると彼のところにやってきて、呪術を受けたり、伝統医術を施されたり、その他いろいろな魔法をかけてもらっていた。
僕は家の中の何にでも掴まろうとした。ある時、ママの潰瘍に掴まった。ママは罠に足を噛まれたハイエナのように、悲鳴を上げた。祖母が言った。
「泣くのはおよし。アラーの神は、それぞれの人に、それぞれの体と運命を与えるのだよ。お前には潰瘍と苦痛を与えた。アラーの神は偉大なり、とお唱えなさい。お前にこの世での苦しみを与えて清めようとしていらっしゃる。そのお陰で、お前は天国で永遠の幸せを得ることが出来る。地獄に行っての苦しみに比べれば、潰瘍の苦痛など、もう千分の一なのだよ。」
そしてママは涙を拭き、祖母と一緒にお祈りをした。
僕が大火傷をしたとき、ママは胸をかきむしって泣いた。父と祖母は、ママを激しく叱った。祖母は言った。
「アラーの神が、お前に与えたもう一つの試練じゃ。アラーの神は、お前にこの世での更なる不幸を与えて、天国での喜びが更に高まるようにしてくれたのじゃ。」
そしてママは涙を拭き、祖母と一緒にお祈りをした。
(続く)
パリのじゅんこです。
ご無沙汰しております。
吉田さんからあなたのブログが届きました。早速読ませて頂きました。ありがとうございます~。
場所が違えば人の考えも風習本当に違いますよね。
私は去年まで老人ホームで働きましたがそこはアフリカの人たちが多く働いていましたので魔術の話も聞きました。本当らしく、フランスのアフリカ社会ではそれは当たり前、でも公ではなくひそひそとやっているようです。
ニュースで時々ですがアフリカのことを放送しますが、市民の生活の細々したところまではドキュメンタリーを見る以外は知る機会が少ないのでこのブログにあえてうれしいですね。
これからもよろしくお願いします。
日本のアフリカ軍事情勢ウォッチャーにとっての基礎文献扱いで、少数ながら愛読者もおります。
一応Amazonのアドレスを貼っておきますので、参考までに。
http://www.amazon.co.jp/dp/4409130269