3歳くらいの女の子が、お母さんに連れられてやってきた。センターの男性技師が、女の子をお母さんから受け取り、空中に抱き上げる。女の子の脚は細く、力なく空中を揺れる。
「ポリオです。」
とセンターのゾンゴ所長に言われて、私は目を丸くする。世界保健機関(WHO)は、2000年のポリオ根絶を目指して、ワクチンを全世界接種するなど、多大な努力を続けてきた。ポリオはすでに根絶され、過去の病気になっていたはずではなかったか。
「ここブルキナファソでは、まだまだポリオ患者が見られます。」
ゾンゴ所長は、そう私に説明する。身体障害者の症例を、日々数多く見ている専門家の言葉である。
ポリオとは、主に小児が感染して脊髄神経が冒される、ウィルスによる伝染病である。その結果、筋肉が動かなくなり、身体の発達を止め、その子を一生、身体障害者にしてしまう。脚の麻痺という症状は、ポリオ以外の原因でも起こりうるので、専門家によって慎重に判断されなければならない。その女の子の細い両脚は、力が殆ど入らない様子で、もはや身体の支えにならない。床に立たせようとすると、膝が逆向きに折れて、崩れそうになる。ポリオの典型的な症状にも見える。しかし、ポリオかどうかはその女の子にとって二の次。こんな幼少で、歩くという能力を奪われてしまったことに、変わりはない。
自らの脚の機能を失ってしまった人たちにとって、その機能を補助してくれる装具は、とても大切な生活の伴侶である。私は、ブルキナファソの首都ワガドゥグから100キロ北、カヤの町にある、「カヤ障害者支援センター」に来ている。ここでは、身体障害者の理学療法や機能回復治療とともに、義肢や装具の製作を行う。このセンターは、スイスのNGO「モリジャ(Morija)」を通じた、人々からの資金援助を得て、支援活動をしている。
女の子の脚を伸ばして、石膏に漬けたガーゼを巻いていく。石膏は数分で固まるので、カッターで切り出す。女の子は、不安そうな目をしながらも、カッターの音にも泣かずに頑張った。これで女の子の脚型がとれた。この脚型の内側に、石膏を流し込んで固めて、女の子の脚の模型をつくる。そして、その模型を基にして、プラスチック板と金属金具を組み合わせて、女の子の脚にぴったりの装具を作り上げる。この装具があれば、女の子は、歩けないにしても、身体を立てて支えることが出来るようになる。生活能力が、相当大きく回復する。
このセンターで、義肢装具の製作を指導するのが、青年海外協力隊員の板垣亮太さんである。板垣さんは、大学の工学部を出たあと、ある企業でエンジニアとして、機械部品を設計する仕事に就いていたが、一念発起してこの新たな職種に挑戦した。そして、3年の研修を受けて、義肢装具士の資格を取得した。埼玉県の義肢製作企業でしばらく実地に働いた後、青年海外協力隊に応募した。そして、2年前からこのセンターで、義肢製作の指導員として勤務している。
板垣さんのもとで、2人のブルキナファソ人が、義肢の作り方を学んでいる。義肢工房は、以前からこのセンターにあった。だから、金具を作る工具類、研磨機や、プラスチック成型を行うオーブンなどは、古い型ながら一応揃っている。ただ、こちらで作っている義肢や装具は、使用者に十分配慮したものではなかった。一日中身に付けるものだから、ぴったりと身体になじむものでなければならない。ところが、プラスチックや金属の角が取れていなかったりして、使用者は肌ずれを起こすなどしていた。そういうところを、板垣さんが改善していった。
「やはり大事なのは、脚の能力ですね。手を失っても、脇で挟むとか、口を使うとか、なんとか工夫して、機能を代用するものです。しかし、脚を失って、体を支えることや、自力で移動することが出来なくなると、もうどうにもならない。義肢や装具が得られるだけで、大きく生活が広がります。ここに来る方々も、大半が脚の義肢や装具を必要とする人々です。」
と、板垣さんが説明する。
その女の子を担当した男性技師が、板垣さんの一番弟子だ。女の子は、これから成長していくたびに、延びていく脚に応じた装具を付け替えていく。人の身体に一日中装着する器具である。しっかりした強度が必要だし、不快な使用感があってはいけない。板垣さんは、使用する人それぞれの身体の癖や、日々の生活状態のことを考えて、義肢や装具を作るように指導する。板垣さんの一番弟子は、そうした指導に従って、熱心に工夫を重ねて技術の向上に努めている。板垣さんにとって、教えがいがある優秀な弟子である。
社会保障の整った日本と比べて、アフリカで身体障害者となってしまうというのは、大変なことですよね、と私は板垣さんに尋ねる。
「こっちのほうが、障害者の生活が大変、というところは確かにありますけれどね。」
と板垣さん。
「でも、日本の障害者のほうが、社会では不幸せな気がします。こちらでは、誰も障害者を特別視しない。おいそこの障害者、とか呼びかけています。日本で働いていたとき、人々は障害者に気を使ったり、可哀相とか、まあつまりは見て見ない振りをしていました。日本では、身障者の人々を、社会として避けている。こちらでは日本に比べて、身体障害者を、より自然に社会の一員と受け入れているような気がします。」
義肢製作の技術には、日本に優秀なものがある。板垣さんを通じて、日本がブルキナファソに教えることがある。その一方で、身体障害者と社会のつながりについては、日本がブルキナファソに教わるところがあるかもしれない。 脚の寸法を測る
石膏の型をとる
女の子の脚型が出来た
板垣さんと装具
装具を付けて立つ
センターでリハビリに励む
板垣さんとゾンゴ所長
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます