本日の「名付け親」である日本大使からご挨拶いただきます、と司会者が私を呼ぶ。こちらでは、式典や行事に、よく名付け親という役回りが登場する。だいたいが権威付けというか、景気付けというか、華やかな役職の人が出てくる。
私がどうして「名付け親」に選ばれたのか、即位式のはじまる直前に、行事の責任者に聞いた。
「村の人々が、あのテレビに出てくる大使に、名付け親になってもらおう、とご指名だったんですよ。」
なんと、テレビを通じて、私のことがこんな村まで伝わっている。どんな機会でも見つけては、カメラの前にしゃしゃり出てきたことは、日本の宣伝として無駄ではなかった。
ともあれ、日本大使ということにそれほど意味はなさそうだ。つまり、アウア村と日本の間に、かつて交流の歴史があったとか、そういうことでも全くないわけだから、日本大使という私の役職が、ともあれこの式典の景気付けになればいい。要するに、景気のいい話をすればいいのだ。
私は壇上に立って、挨拶をはじめる。
「アウア村は、名付け親として日本大使を選びました。日本なんて、あまりに遠い国でしょう。どうして日本を選んだのか。ところが、これは本当に賢明な選択です。なぜなら、まず何より、コートジボワールの人々が大切にしていることは、日本の人々も大切にしているからです。親や友達を大切にし、老人を尊敬し、自然の神様を信じ、子供の教育に熱心で、歌と踊りとお酒が好きで、それでいて働き者だ。距離は遠くても、心は直ぐ近くです。」
実は、アウア村だからというわけでなくて、私はどこの村に行っても、同じような内容を話している。まず間違いなく喜んでもらえる。地方を訪問したときの、定番の演説である。拍手が起こるところまで、どこの村でも一緒。
さて、今日についてはここから、ちょっと一ひねりがある。
「日本を選んだことが賢明な、もっと大きな理由があります。日本とは、太陽の昇る国、という意味です。そして皆様ご存知の通り、アウア村の名前は、バウレ語のエウア、つまり太陽からきています。日本とアウア村は、ともに太陽の国と太陽の村。つまり、兄弟なのです。」
おおっ、と歓声が上がる。太鼓も鳴り出した。ここに招待される話になってから、少し調べたら出てきたこの話。やっぱり受けた。バウレ族が移住してきたとき、このあたり一帯は深い森であった。暗い森林の中で住む場所も見つからないときに、このバンダマ川のほとりに、草地で明るい場所、太陽の届く場所があった。それで人々はここに定着することを決めた。それで、村の名前を太陽の村と名付けたという。
あとは、村の先祖たちが頑張って村づくりをしてきたことに、敬意を表する、新村長もきっと素晴らしい治世を行うであろう、というような話をして演説を終え、席に戻った。司会者は、太陽の国と村で兄弟とは、気が付かなかった。では、日本大使に村での名前を進呈することとしよう、「ヤオ」だ。「ナナン・ヤオ」と、満場の村人が声を上げる。ナナンとは、尊称である。ヤオ閣下というところか。私は、両手で万歳してみせる。
続いて、今日の式典の主賓、ボウン=ブアブレ開発相が登壇する。
「先ほど、ティアサレの県知事が訓示をしたときに、とても大事なことを言われた。県知事は、村長は村民の揺ぎない支持があってこその村長だ、と言った。村長になるのは簡単だが、正しく村長であり続けるのは難しい。村長が村長であることを忘れるようになったら、村人も村長を忘れる。村長が忘れられたら、村は荒廃する。村に秩序がなくなり、村に安全がなくなる。村長というのは、村の平和に責任があるのだ。そして、平和なくしては開発はない、繁栄はない。」
おっと、村について話しているように見せながら、どうも国について話しているようだ。村長を大統領に置き換えたら、結構笑えない内容になる。
そして開発相は、だからこそ開発のために、コートジボワールは今の危機から脱出しなければならない、と強調する。
「さきほど日本大使は、コートジボワールの人たちよ、一緒に働こう、と述べられた。そう、日本は、何でもかんでも援助してくれる国では、決してない。日本は、コートジボワールの国民が前に進もうとすればこそ、それを手伝ってくれる国なのだ。だから、我々自身がまず手に手を取って歩もうではないか。それが、我々の力の根源なのだ。」
私の演説も引き合いに出して、いつもながらこの大臣は、結構いい話をしてくれる。ただ、開発相だから仕方ないとしても、結局国の開発の話になって、村長はどこかに置き去りにされているような気がする。 ボウン=ブアブレ大臣の演説が終われば、式典はもうお開きだ。楽隊が大合奏するなかを、皆が席を立つ。このあと、村を流れるバンダマ川で、新村長即位記念の競艇があるという。
バナナ畑のなかを歩いて移動すると、深い森を背景に静かな流れをたたえるバンダマ川に出た。岸辺に、小舟(pirogue)が何艘も集まっている。丸木をくりぬいただけの簡単な舟だ。合図とともに、上に乗った屈強の男衆が、渾身の力で水をかきはじめた。老若男女が大喝采で応援する。もう何世代にもわたって続いてきた村の生活である。新しい村長の下でも、この生活が続いていくのだろう。私は、バンダマ川の悠久の流れを見ながら、この村の村長の名付け親になれたことに、少しばかり得意を感じた。 婦人たちの踊り
式典の盛り上げ役たち
一家で見物
競艇の準備
一斉にスタート
健闘あえなく転覆
一生懸命に漕ぐ
一位に入賞した