コートジボワールでは、村のそれぞれに村長がいる。村長は終身制で、村長が亡くなると、次の村長が村の名家のなかから選ばれる。アビジャンから130キロほど北西、バンダマ川のほとりにある、アウア(Ahua)村で、村長の「即位式」があり、私は「名付け親(parrain)」として招待された。
村の入り口に、竹を編んで草花を飾りつけた手作りの門が立っていて、そこで村の幹部たちに迎えられる。一緒に村の中心の広場に進むと、大きなテントが連ねてあり、村人たちがぎっしり座っている。来賓席に案内される。主賓は、前に日本のお米の供与式典でも一緒だったボウン=ブアブレ開発大臣である。私は、大臣の隣に着席する。アウア村が属するティアサレ県の県知事や、県内の他の村の村長たちが、並んで座っている。
即位式は、「話す太鼓」で始まった。太鼓が一定のリズムを叩くと、男たちの一群が雄叫びを上げる。ひととおり掛け合いが続いた後に、「土地の長」という老人が皆に伴われて登場。そう、コートジボワールの村では、村長と土地の長とは、違う人、違う役柄なのだ。土地の長は、ジンを地面に垂らしながら、先祖に挨拶をする。私にはもうお馴染みの儀式であるが、今日は、土地の長が、過去歴代の村長の業績を一つ一つ数え上げながら、ジンを地面に注ぐ。
アウア村は、1730年にバウレ族が移住してきて作った村だから、280年の歴史がある。歴代村長の名前をあげて、ゴム農園の開発や、学校の建設など、村の発展に尽くしてきた、と賛辞が続く。今日戴冠する新村長は第15代目になる、ということだ。ところで、その肝心の新村長はどこにいるのか。先ほどから、貴賓席のあたりを目で探すのだが、それらしい人はいない。どの人が主人公か、分からないままに式が進んでいる。
土地の長が儀式を終えて下がったところで、司会者が、新村長を決める手続きを説明し始める。
「家母長委員会(Comité matriarcal)が、人々からの意見を遍く聴取し、何人かの候補の中から、一人の男性を見つけました。その男性を委員会に呼び、村長としてどのように村を治めるか、どうやって村人の安全を守っていくか、説明させました。そうして厳正に審査した結果、その男性こそが適格と認め、新村長に推薦することとなりました。」
そして、テントから老女が2人ほど、ゆっくりと前に進み出てきた。そして、マイクまで来ると、厳粛に宣言した。
「家母長委員会は、第15代村長に、カク・イレールを推薦する。」
なるほど、儀式の上では、ここではじめて新村長の名前が明かされるのだ。
ところで、女性が村長を選ぶのですか、と私は傍らのボウン=ブアブレ開発大臣に訊ねる。
「そう、アフリカの社会ではね、一番大事なことは女性たちが決める。大きな決断は、女性たちが集まって行うというのが、ならわしです。」
と大臣は答える。それには確かに理由があるかもしれない。男たちは、すぐに熱くなるし、いろいろ面子もあるから、判断がゆがむ。
「しかし、女性たちは決めた後は表には出ない。表に出るのは男性の役目、とこれも決まっているのです。」
家母長委員会が宣言したのを切っ掛けに、楽隊が音楽を奏で、広場の外から大勢の踊り手たちが一群となって入場してきた。先頭に、大きな椅子を2つ掲げ、そしてその椅子は広場の真中に据えられた。賑やかに歌いながら進む踊り手の一群の後ろから、人々に囲まれて、薄緑の衣装に身を包んだ夫婦が登場した。カク・イレール夫妻、第15代アウア村長夫妻の登場である。村長夫妻は、テントに満場の村民たちの前をゆっくり一巡して、広場の真中の椅子の前に立った。着席はしない。
「さて、カク・イレール氏は、この推薦を辞退することもできます。彼が辞退しないように、ボウン=ブアブレ大臣以下皆さんで、彼を着席させましょう。」
司会者が呼びかける。着席するということは、村長の地位を受け入れるということなのだ。私も大臣や土地の長や他の来賓と一緒に、カク・イレール氏の前に進む。大臣と土地の長が、彼の腕を取って、椅子に座らせる。カク・イレール氏は、いったん立ち上がる。また座らせる。また立ち上がる。3回目にやっと落ち着いて座った。何度も辞退したが、皆さんの説得に負けて、村長を引き受けることにした、という儀式である。
ティアサレ県の県知事が村長の前に進む。日本の警察官のような制服を着、帽子を被っている。そして、一枚の紙を取り出して、内務大臣の名において、政府決定を宣言する、と唱える。
「カク・イレールを、アウア村の村長と認定する。」
それから、長々と訓示を述べ伝えはじめた。県知事というのは、コートジボワールでは大統領の代官である。だから、国を代表している。つまり、部族で選んだ村長だが、国から地方自治体の長としての正式発令も受けるのである。このあたりに、伝統社会と近代政治機構との、微妙な調和が図られている。 こうして、ここに新村長が誕生した。 村の入り口の飾り門。「即位式にようこそ」
会場に入る
土地の長によるジンの儀式
家母長委員会の発表
玉座入場
新村長夫妻の入場を先導する
玉座の前に立つ
新村長が着座した
ティアサレ県知事に認証される
右側は、ボウン=ブアブレ開発大臣
喜びのカク・イレール新村長
私はコートジが平和だった最後の頃・・クーデターの起こる3ヶ月前に任期を終えて帰国したJOCV隊員です。
ニュース配信などでもうわべだけのことしか情勢がわからず、いったいどうなってるのだろうとずっと思っていましたが、こちらのブログで懐かしいアビジャンの様子や政治情勢、周辺国の思惑などがよくわかりました。
現役大使のブログというのがびっくりでしたけど。
私がいた頃の大使は年齢的に父親ぐらいの方だったので、ご自分でブログをされる大使がいらしゃるようになるとは夢にも思いませんでした(笑)。
私の赴任先は環境省だったので、環境大臣はもちろん首相、時には大統領も迎えての環境関係のセレモニーや会議に同行することも多かったのですが、彼らは毎回ま~~ったく時間通りに現れず、1~2時間待ちは当たり前でした。今も変わってないんですね。
アビジャンでのゴミ拾いキャンペーンご出席のブログも大変興味深かったです。
私がいた頃は年1回環境省から15日間の環境キャンペーンで地方をまわるというのがありました。
超大型トラックの荷台に舞台を仕立て、環境省の職員15名位、プロの司会者、キャンペーンレディ(?)らが車に分乗し、大統領お抱えの白バイ隊に先導されて、国内を回り各地で歌あり、踊りありのイベントを行うのです。各市長や町長なども来賓です(もちろん時間通りに来ない・・)。
その時に使用するスピーカー、マイクなど音響機材や自家発電機など一式、および移動に使う車の1台の四駆は日本政府からの援助でした。
環境キャンペーンといっても、森林伐採防止よりまずはそこかしこにゴミを捨てない!!ってことがメインテーマでした。しかし、司会者がそう訴えてる横でキャンペーンレディが食べたアイスの袋を舞台から投げ捨ててるんですよね~~~。こっちは卒倒しそうになりました。飛んで行ってすぐ拾わせましたけど「なんで?」って顔するんですよね。キャンペーンレディがまずまったく理解できてないって感じでした(笑)。
環境省視聴覚教育科には上記の屋外用視聴覚機材の他にも、ビデオカメラ、編集機器などを備えたスタジオがあり、それらの機材もすべて日本からのODA。クーデター後、あの立派な機材達や車はどうなってしまったのかと思わずにはいられません。
もう環境省は機能しているのでしょうか。
大変長くなってしまいましたが、これからも楽しみにしております。