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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

優勝カップの重さ

2009-03-03 | Weblog

「はじめ」で試合が開始されて、1分もたたない。警察出身の選手が、さっと相手の下にもぐりこみ、頭の上越しに相手を投げ飛ばした。決まり手は、巴投げの一本勝ち。大歓声が上がる。柔道大会「日本大使杯」の決勝戦である。3月1日、「日本大使杯」は消防署の体育館を借りて開催された。全国から選手を集め、ウレタン製の畳の上で、男女あわせて7階級で激しい競技が繰り広げられている。

私は、貴賓席で拍手を送っている。 各選手とも、力強い体格に、締まった顔立ちをしている。そして真剣勝負だ。激しく敏捷な動きと、体のぶつかり合いに、思わずこちらも拳に力が入る。選手たちの情熱が伝わってくる試合ばかりである。ある階級の決勝戦で、接戦の末に勝敗が決した。「それまで」で試合が終わり、「れい」で畳を離れるはずが、余程口惜しかったのか、敗れた選手がそのまま畳を出て行った。審判が、追いかけていって彼を連れ戻す。きちんと礼をしないと許さない。日本の柔道の精神が、きちんと守られている。

7階級の優勝者が出揃った。出場選手が全員整列し、来賓も観客も全員起立で、君が代とコートジボワール国歌が流される。司会者が私を演説台に呼び出す。私は体育館を埋める満場の人々に向かって、挨拶する。
「今日、こうして日本大使杯を復活することができて、大変嬉しく思います。今日この大会を開催できたことには、特別の意味があります。日本大使館のスポーツ・文化交流活動が、いよいよ再開される運びになったということだからです。」

そう、「日本大使杯」は、私の創作ではない。2003年まで、毎年この名前で、コートジボワールの柔道連盟が、競技大会を開催してきていた。それが中断してしまったのは、もちろん2002年の国の南北分裂、その後の政情不安のためである。今回私が着任し、「日本大使杯」を再開したい、という声が上がった。国が南北に分裂している状態が終わり、平和が戻った。この伝統ある柔道大会を復活することそのものが、日本からコートジボワールへのメッセージになるわけだ。

そしてさらに今週を、「日本文化週間」と銘打っている。この柔道大会に加えて、4日から3日間連続で、日本映画を1本ずつ上映する。「日本映画祭」を企画している。大使館の文化担当官が、先々週に文化欄担当の新聞記者を夕食に呼んで、しっかり宣伝した。だから、先週は新聞にたくさん文化の記事が出た。文化担当官は、ラジオにもテレビにも出演。大いに日本文化の紹介に努めたのである。

私は演説を続ける。
「柔道は、礼節を重んじ、社会の人々を尊重し、思いやりの精神と規律正しい行動を取ることを教えるものでもあります。この困難な時期にあって、コートジボワールの柔道連盟が、その柔道の精神と規律をきちんと伝えながら、柔道家たちを育ててきたことに、大変感銘を受けました。そして、この大会を作り上げ、試合に参加した選手たち、審判の方々、そして応援の方々の熱意に敬意を表します。私は、今日ここに集う全ての人々に、“一本勝ち”を宣言します。」

続いて、来賓のバンツィオ青年スポーツ大臣が挨拶に立つ。若者を育てることが、国の平和と繁栄を導くのだ、という話をする。
「若者は、国の心臓であります。若者こそが、国を支えるために一番力を尽くしている。しかしながら、若者は職にあぶれ、不安定な生活に喘いでいる。国の経済発展の恩恵を受けるにあたって、若者が一番後回しにされているのです。」
そう話したあとで、日本は昔からずっと、コートジボワールの若者たちを熱心に支援してきてくれたと述べる。
「今回も、日本大使の発意で、この栄誉ある大会を復活することができました。この柔道大会により、コートジボワールの若者たちは大いに勇気付けられました。私は日本大使と日本の人々に、心から感謝申し上げたい。」

それぞれの階級の優勝者が一人ずつ、前に進み出てきた。バンツィオ大臣から金メダルを、私から優勝カップを手渡す。カップは余り予算がなくてプラスチックの金メッキだし、この日本大使杯に優勝したからといって、より大きな大会に進めるとかいうわけでもない。私は、「日本大使杯」などと銘打たれて、なんだか気恥ずかしい、というか、その名称に乗せられて一生懸命競技する柔道選手たちに、気の毒な思いがしていた。

ところが、メダルを首に掛け優勝カップを手にして、選手たちは本当に喜んでいる。あたかも世界選手権に優勝したように。カップを高らかに掲げて、応援団の歓呼に答え、カップを抱きしめてキスをしている。私は、そのときに心から良かったと思った。スポーツ選手たちにとって、競技大会というのは、唯一の自己表現の場である。日本大使杯は、紛争で多くのものが失われたこの国において、それでも柔道の世界で頑張ってきた選手達に、日頃の鍛錬と成果を競う貴重な機会を提供したのだ。汗だくの選手達が、記念撮影を求めてきて、私はもみくちゃにされた。彼らはカップを大事そうに抱いていた。たとえプラスチックの金メッキでも、優勝カップはずっしりと重そうだった。


日本大使杯


優勝カップ


試合の様子


組み合う選手


「れい」で試合終了


優勝カップを獲得した!


バンツィオ青年スポーツ大臣の挨拶


入賞選手たちの整列


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (おがた)
2009-03-03 11:53:14
Takさんから先週紹介いただいて以来、コートジボアール日誌読ませていただいてます。(バックナンバーも読みました。)

コートジボアールにおける柔道の"日本大使杯”、とてもchicですね! 礼節を重んじる柔道の精神が西アフリカでも受け継がれているとは。FIFAワールドカップ2006開催中はフリータウンで生活していたのですが、毎晩電気がなかったので(水もなかったのですが)浜辺のバーまで車を走らせ、各国の上司と同僚と他のお客さん、お店のウェイターとウェイトレス、レバノン人のオーナー、皆一団となって、一緒に試合に見入っていた日々を懐かしく思い出しました。 スポーツは言語や文化の違いや様々な政治的な思惑の中で生まれたギャップを埋めることのできる存在能力を持っていると実感したものです。

心温まるお話ありがとうございました。 

おがた
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