デイリーポータルZという読み物サイトに記事を書いている。
初めて記事を載せてもらったのが2015年の6月。月1で連載するようになったのが9月。6月をスタートとするのであれば、もう10年経っていることになる。10年。
たまに同世代のライターの人と会って「10年ぐらいやってるんですよね」「ずっと3年目ぐらいの気持ちだけど」みたいな話をするのだけど、ちゃんと確かめたことはなかった。いざ確かめてみたら10年だ。「10年ぐらい」と「10年」は重みが違う。逃げられない時の重みがある。怖い。
プロフィールのページに載っている「これまでの記事」の数を数えたら463あった。463? うん、463だ。マンガや投稿企画や、すごく短いものも一緒になっているので、全部が皆さんの想像するような「記事」ではないが、ある程度の長さのものだけ数えてもきっと相当な量がある。こわ〜。敢えて乱暴な表現をすると「時間キモい」と思う。なんなんだ、時間。10年。おい。
でもやってきた誇らしさと「結構いいのもあるよな」という自負もあるので、やってきたことを振り返りつつ紹介します。
2016年4月29日 歩いたところから花が咲く
はじめたばかりの時は勘所が全く分からなくて空回りしていたが(今もしている)、これはアイデアと撮り方が噛み合った気がする。編集担当だった古賀さんと造花を切ったり挿したり、すごくテキパキ作業して清々しく終わったのを覚えている。
なんでカーテンを着ようと思ったのか思い出せないが、これもうまくいって気に入ったので2023年にもう一度着た。
2016年11月3日 コンビニおでんの容器は絶対に水筒になるはずだ
会議と撮影と執筆を1日でやるっていう企画でできた記事。無茶だと思ったら、特になんの苦労もなくできた。この日が楽しかったので、この後何があっても「最悪1日で全部済むから」と思えるようになった。約10年、ずっと自分を助けてくれた記事。安藤さんと撮影していて、ずっと笑ってくれていたのが印象に残っている。
2017年7月4日 ビンのフタが開きにくいと盛り上がる
この年の4月から月2回掲載のペースになって、またしばらく自分なりのやり方を模索して空回りすることになる(今もしている)。何事も本当に「分かる」までに時間がかかる。
この記事はその中でも珍しく、準備に時間をかけずにうまくできたと思う。提案してすぐ、古賀さんが新入社員の皆さんを呼んでくれたのがすごく助かった。かたいビンが難なく見つかったのも助かった。撮影の後、家でしばらくピクルスを食べていた。
2018年1月16日 めでたいぞ! 花マン
紙花を体に貼った記事。当時の状況を思うと、どこにそんなことする時間があったのか不思議だ。あまり寝てなかったのかもしれない。寝てない人が考えそうなことだし。
子どもが産まれたばかりの時で、編集担当の藤原さんがお祝いをくれた様子が最後に載っている。こんな人が父親になるのは不安。
しかしこの記事はよく人から褒めてもらえて、2019年に為房さんが同じことをやってくれた。
そもそもなんでやったのか不思議なのに、それをカバーするので一層不思議な味わいがある。
2019年9月10日 肩に付いていてかっこいい箱はピザの箱
見直すと、やっとこのあたりから月2のペースを楽しめているなと思う。2年かかってるな。おい。
これは、藤原さんにチャットで提案した話から脱線して全然違うアイデアになり、それがすごく楽しかったのを覚えている。最初は「写真撮影でよく言う、足を肩幅に開く、ってなんやねん」という話だった。
撮影は早朝にやったので、暑い時期なのにひんやりした雰囲気の写真もある。この時期はよく早朝に撮影したり深夜に書いたりしていた。今友達がそんな生活していたら止めると思う。
2020年3月31日 ライスペーパーをむしゃむしゃ食べる春
コロナが流行りはじめて、なんだかすごく悲観的になり落ち込んでしまって「もう楽しい読み物とか無理かもな」と思っていた時期だった。本気でやめることを考えて、代わりに何をやるのかを真剣に考えたら「どうせふざけるんだろうな」という結論に落ち着き、この記事を書いた。
こんなこと言っちゃうと楽しく読めなくなりそうだけど、そんな時もあったと知って欲しかった。記事は「春に大事な決断をしてはいけない」で始まっている。
2021年2月9日 腹話術で合唱をしてみたい
「口を閉じたまま歌う」という遊びがすごく好きになってしまい、繰り返しやっている。記事でちゃんとやったのはこれ。その後スライドの企画やイベントでやっている。下の動画では自分5人で『世界に一つだけの花』を歌っている。
人と歌うのは楽しい。そう言えばまだ実際に会って合唱したことはないな。
2021年5月2日 パンの袋に自作のシールを貼ると主導権を握れる
短い記事をみんなでたくさん書こう、っていう企画で書いた記事。「短く書け」というフォーマットが個人的にすごくしっくりきて、その後たくさん書かせてもらった。
記事というものは人の興味を引いて説明して楽しませて、を一通りやらなきゃいけないイメージを持っていた。大きな公園でやる大道芸人さんのような仕事だが、短い記事は路上にビールケースを置いて突然おもしろい一言だけ叫んで逃げればいい。そう思ったらたくさん好きな記事ができた。たくさん叫んでたくさん逃げた。
短い記事は月に2回のペースで加わり、実質週に1回記事が載ることになる。短い記事はその日にやることを決めて撮影して、夜に書いていた。コンビニおでんの容器の記事のことをいつも思い出していた。
2021年12月15日 北向ハナウタとトルーの不毛ラジオ第24回『好きなパン』
ラジオもやらせてもらっていた。2021年7月から2022年1月まで。好きな回は『好きなパン』。敢えて展開を想定しにくいテーマで初めてみたら、グルーヴが生まれて楽しかった。
ラジオを聴くのが好きなので定期的にできて夢のようだった。この時期は子どもと一緒に昼寝をしなくてはいけなくて、子どもの「もう寝る時間だよ?」という声が入っている。個人的にすごく貴重な音源である。
聞き返すと僕の元気が足りないな、という反省がある。これには理由があって、日頃では考えられないくらい頭を回転させながらしゃべっているので「元気を出す」というところまで気が回らないのだ。無理に元気を出すと、今度は頭が働かなくなり相手の言うことを大きな声で繰り返すだけのマシーンになる。でもそこから初めて、徐々に頭を働かせるのでも良かったのかもな。初めからうまくやろうとし過ぎてしまった。でも聴き返すとおもしろい。ハナウタさんは元気だし考えてしゃべってるから。
2022年2月5日 土曜のお便り 〜死についてごちゃごちゃ言うクマ
突然思い付いて数コマで終わるマンガを描くようになり、2019年の8月から2023年の2月まで隔週で載せてもらっていた。全部見返したわけじゃないけど、パッと見た感じでは『死についてごちゃごちゃ言うクマ』が好きです。
まとめて本にもした。
単価を下げたくて作り過ぎてしまって、まだある。良かったら買ってくだささい。
振り返ると、記事とマンガとラジオを同時にやっている時期があるな。どうやっていたのか思い出せない。不思議。
2022年8月2日 エンドロールになりたい
真夏の河原で踊っている。記事の中に暑い暑いと書いてあるが、今の暑さでは、そもそもこういうことをしようと思いつきもしないので懐かしい気持ちになった。
河原が好きなので「河原に行きたい」という願望がスタートで企画を考えているものがたくさんある。
2023年5月23日 本の帯を本以外にも
この年の4月ぐらいから短い記事という枠がなくなった。しかし掲載の回数は変わらないので週1ペース。個人的に全部短い記事の気分で書くようになった。
新しいことをやってみたくてマンガ記事も書いていた。楽しいし、続ければおもしろくなっていきそうな手応えはあるのだけど、描くのに時間がかかるので手が出しにくくなってしまった。
この記事はテレビに本の帯みたいなものを作って巻いている。推薦する有識者みたいな写真も撮って楽しかった。
2024年3月14日 コーンスープ占い
これはリアルタイム更新の記事。どういうことかと言うと、少し撮影したらその場で原稿を書き、それをすぐに編集部の方が記事として掲載してくれる。それを5回繰り返す。これがものすごく神経を使って疲れるし恐ろしい体験だった。文字を打つ手が震えるのだ。でもおもしろかった、って反応ももらえるので元気があったらまたやりたい。2人で行動して、作業を分担できたら手も震えなくなるかもしれない。
2025年7月26日 顔はめパネルに全身入れる
うまく説明できないが、やりたいことがきれいにできて胸がスーッとした記事。たまにこういうことがある。他のだと、腹話術で合唱とか、顔のパネルを景色に添えるとか、顔の前でパンを回すとかがそう。顔だな。顔に何か思うところがあるのかもしれない。
こういう、説明できる以前の何かが世に発表されてるのって怖いことだな。でも発表したからこそ胸がスーッとしているのだとも思う。
14個紹介しました
始めて少し経った頃から遡って14個。10個ぐらいにおさめたかったけどもう削れない。本当は『詳しくない人の音声ガイド』とか『本当の忘年会』とか『袋麺のかけらのメッセージ』とかも紹介したかった。
昔書かれたものって、読むとっかかりがないし空気感が違って読みづらかったりするけど、そこを乗り越えたらきっとおもしろいので是非読んでください。