なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 王都から馬車で二週間ほどかけて、フィリップたちは王都から街道沿いに600キロの道のりを経てシルバーフォレストに到着した。

 

 何もないところだ。

 アーバイン伯爵の邸宅があるという町からは馬車で二日ほど。領内の外れも外れで、周りは手入れのされていない草原だか藪だか分からない荒地。集落どころか、小屋の一つも見当たらない。

 

 元は高級家具などに使われる良質な木材を多く産出し林業が盛んだったそうだが、もっと王都に近い場所でも同等の木材が採れるようになり、輸送コストのせいで価格競争に敗北。今では銀山にも並ぶ価値がある森、「シルバーフォレスト」という名前だけが虚しく残っている。

 

 馬車が森に近づいていくと、一行は不愉快な寒気を感じた。

 単純に気温が下がったとか、日が陰ったような感覚ではない。地下室や氷室の扉が開けっ放しになっていたり、魔術で撃ち出された氷の塊が傍を通り過ぎたときのような、不自然な冷たさだ。

 

 寒い、とか、涼しい、ではなく。ただ冷たい。

 気温は初夏に相応しく暖かいのに、空気だけが異様に冷めている。そんな感じだ。

 

 「……嫌な感じ。あったかいのに冷たい」

 「そうだね。各自、体温調節に気を払っていこう」

 

 上着を着たままでいるべきか脱ぐべきか測りかねた顔で呟いたモニカに、ウォードが応じる。

 

 それから暫くして森のすぐ傍に馬車が止まると、御者役だったエレナが「着いたよ」と声を掛ける前に、フィリップとモニカ、そしてリリウムが我先に馬車を降りた。

 

 「す、すっごーい! 雪が積もってる!!」

 「雪だるま作りましょ、雪だるま!」

 

 長旅のせいもあるだろうが、やたらとテンションの高いモニカとリリウムが歓声を上げる。

 その言葉の通り、森には雪が積もっていた。

 

 それも、足元が白く染まる程度ではない。

 地面の雪は脛まで埋まるほどだし、木々の枝葉にも重石のように積雪している。迂闊に下を歩いたら、落ちてきた雪に埋もれてしまいそうだ。

 

 「ユグランスの亜種かな。かわいそうに、冬だと錯覚して葉っぱが沢山散っちゃってる」

 

 エレナが木の幹に手を触れながら痛ましげに呟く。

 

 雪の森と言えばシャープなシルエットの針葉樹林のイメージだが、この森は広葉樹が多い。まあ元は雪国ではないので当然と言えば当然なのだが、幅広の木々と、それを白く染め上げる雪は風景としてちぐはぐだった。

 

 「──ふぃりっぷ」

 「ん? ってシルヴァ、いつの間に出てたの!?」

 

 体重の軽いモニカでさえ脛まで埋まる雪の上を、そこが地面であるかのように走ってきたシルヴァ。

 彼女はさも当然のように、森の中から現れた。つまり、いつの間にか勝手に出てきて、いつの間にか森の中に入っていた。

 

 まあシルヴァに限って森で迷子になるなんて有り得ないし、その気になれば自分で勝手に送還されて、フィリップの傍で再召喚すればすぐに帰還できるから、特に咎めることはないけれど。

 

 ぽてぽてと近づいてくるシルヴァを「かわいいなあ」なんてほっこりしながら眺めていると、フィリップは背後からふわりと抱きしめられた。

 首筋の臭いを嗅がれる感覚が無かったとしても、そんなことをする人物を間違えるわけがない。ミナだ。

 

 「きみは作らないの? 雪だるま」

 

 ミナはフィリップを抱きしめたまま向きを変え、大はしゃぎで本当に雪だるま作りを始めているリリウムとモニカの方にフィリップを向けた。

 

 視界の端には、馬車からテントやベースキャンプ設営に使う工具なんかを下ろしているエレナとウォードの姿もある。二人ともリリウムとモニカに「困ったなあ」という苦笑気味の一瞥を呉れていた。

 

 「……後でやる。流石にエレナとウォードだけにベース設営を任せたら、後で怒られそうだし」

 「そう。じゃあ、私は──」

 

 食料を取ってきてくれるのだろうか、と思ったとき、フィリップの服の裾がちょいちょいと引かれた。

 

 「──ふぃりっぷ」

 「あ、ごめんごめん。呼んでたね。なに?」

 

 シルヴァの頭を撫でながら問うと、彼女は心地よさそうに表情を綻ばせ、そして。

 

 「かるとがいる」

 

 そう、なんでもない事のように報告した。

 

 事実、シルヴァ()にとって、カルトの存在など何でもない。

 彼らが森一つを完全に汚染し切ったとしても、そこに森があることは変わらない。彼らが邪神を呼び森一つが消し飛んだとしても、この星から森が消えるわけではない。

 

 しかし、シルヴァはフィリップに「異常があったら報告してね」と言われているし、何より、その情報はフィリップにとって──。

 

 「素晴らしいニュースだ」

 

 ──とても望ましい。

 

 

 ◇

 

 

 ミナが馬車の方に戻ると、テントを設置し終え、折り畳み式の椅子に座って一息ついていたエレナは不思議そうな顔を向けた。

 少し離れたところでは、雪だるま作りに興じていたリリウムとモニカがウォードに怒られている。

 

 「あれ? 姉さま、食料を獲りに行ってくれたんじゃないの?」

 「そのつもりだったけれど、あの子がカルト狩りを始めたから。魔力視も使えないし、帰ってくるまで待つわ。雪の積もった森を獲物を探して練り歩くなんて嫌だもの」

 

 シルヴァがいれば手頃な獲物のところまで案内してもらえるが、今はフィリップのナビ中だ。

 きちんとカルトのところまで連れて行って、キャンプまで連れ帰って貰わねばならないから、ミナも「置いていけ」とは言わなかった。

 

 ミナは「待っている間は暇ねえ」なんてぼやきながら、エレナが置いた別の椅子に腰を下ろす。

 直後、まるでシーソーのようにエレナが立ち上がった。

 

 「カルト狩り……って、フィリップ君を一人で行かせたの!? 駄目だよ姉さま!」

 

 一人で行かせた、というか、勝手に一人で行ったのだが。

 しかしミナとしても追うつもりはなかったので、「行くのを許した」という意味では「行かせた」という言葉は間違いではない。

 

 肩を怒らせて森の方へ向かうエレナの背中に、ミナは億劫そうな溜息と共に声をかける。

 

 「……何処に行くつもり?」

 「フィリップ君を連れ戻すんだよ! まだ何が起こってるかも分からないし、そもそも初めて入る森なんだから、これでもかってくらい慎重に動かなきゃ!」

 

 振り返ることなく答えるエレナ。

 その足取りはどんな言葉でも止められないだろうと思わせる強いものだったが、しかし。

 

 「駄目よ」

 

 面倒臭そうな溜息交じりの、その一言で止まる。

 

 いや、正確には、その一言さえ不要だ。

 ただの一瞥、視界に入れるだけでいい。

 

 「ねえさま……っ!」

 

 苦し気な声が漏れる──つまり、“拘束の魔眼”ではない。肺が、声帯が、口が動くということは。

 しかし足は動かない。森に向かおうとする身体は、不可視の枷に雁字搦めにされたように、ぴくりとも動かせない。

 

 ミナが持つもう一つの魔眼。対価を支払い、それに応じた制約を相手へ強制する、“契約の魔眼”だ。

 動きを止めるだけなら別にどちらでもいいのだが、前者だと鼓膜の振動さえ止まるから、会話どころか声さえ届かなくなってしまう。話すことがあるなら、使うのはこちらでなくてはならない。

 

 「あの子は城で「カルト狩りを見たら殺すことになる」と言った。勿論、ペットに獲られるほど私の首級は安くないけれど、ペットが飼い主の喉笛を狙わなくてはならない状況を自ら作るなんて、飼い主失格だもの」

 

 正確には、フィリップは「見たら死ぬし、死ななくても僕が殺すことになる」と言った。

 邪神を呼びカルトを甚振り嬲り惨殺する現場を見たら、いくらミナでも発狂する。そして、フィリップは狂人に対して一つの感情と一つの意思を向ける。

 

 感情とは嫉妬。

 自分が決して至れない精神の死、或いは精神の安寧を得た者を羨む。

 

 そして意思とは善意──善意に満ちた殺意。

 「そんな状態で生きさらばえるのは苦しいだろう。殺してあげるよ」という、悪意も害意も孕まない純粋な殺意だ。

 

 フィリップは城に居たときからミナが好きだった。

 ハーフエルフ・ハーフヴァンプの魔剣使い。それも二刀流。そして何処かマザーを彷彿とさせる冷たい夜のような匂いと、人間とは絶対的に隔絶した化け物の振る舞い。カッコいいし、一緒に居て心地いい。

 

 だからなるべく死なないように、少し強めに制止しただけだ。

 「殺すほど見られるのが嫌」というわけではないのだが、ミナはそういう風に解釈していた。

 

 「だったらボクが行くから、これっ、解いてよ……! 姉さまの魔眼でしょ!?」

 「えぇ、そうよ。というか貴女、本当に魔力耐性が貧弱ね? “契約の魔眼”の対価がこれっぽちの魔力で済むなんて」

 

 そもそも魔眼は系統的に呪詛に分類されるだけあって、耐性貫通力がかなり低い。“契約の魔眼”のような複雑なものは特に。

 同じ制約をルキアやステラに課そうとしても、きっと魔力だけでは済まないだろう。自分の行動を制限するとか、片目の視力とか、そのレベルの対価を支払わなければならないはずだ。そもそも耐性に阻まれるから、検証のしようもない推測だが。

 

 それがエレナ相手だと、魔力を多少支払うだけで、あっさりと効果が出た。耐性がどうかは知らないが、魔力の消費具合はフィリップを対象にしたときと同じくらいだ。

 

 「別に、貴様があの子に嫌われようと、あの子に殺されようと、それ自体はどうでもいいのよ。けれど、あの子が飼い主に牙を剥くほど嫌がることをすると言って……それを私が許すと思う?」

 

 ミナの二人称が変わり、エレナはぐっと息を詰まらせる。

 ミナは何もしていない。剣も抜いていなければ、魔術を使ってもいない。だが、分かる。

 

 ──聞き分けなければ、足を落とされる。

 

 視線にも、姿勢にも、手の動きにも、ミナの動きのあらゆる全てには敵意や悪意が微塵もない。

 ミナは自分の言葉を、ただ実行するだけだ。そこに敵意も悪意も必要ない。害意も殺意も無く、ミナはエレナを蹂躙できる。

 

 「……分かった。フィリップ君を探しには行かないから、魔眼は解いて。フィリップ君が帰ってきたとき、焚火も無いんじゃ可哀そうでしょ」

 

 エレナが諦めて言うと、全身を戒めていた不可視の枷が解けて消えた。

 

 「薪拾い?」

 「うん。信じられないなら、姉さまが代わりに行ってくれてもいいよ」

 

 少しむくれたエレナが言うと、ミナは低質な冗談を聞いたかのように苦笑する。

 

 「やぁよ、面倒だもの……と言いたいところだけれど、流石に待っているだけというのも退屈だし、一緒に──、?」

 

 ミナの表情が緩んだことに安堵したエレナだが、それも一瞬だった。

 言葉を切り、白く染まった森の奥を真っ直ぐに見つめるミナにつられて意識を向け、絶句する。

 

 ミナは魔力視を使っていない。つまり、素の感覚だけで分かるもののはず──そう考えたエレナは正しい。

 

 だが、そもそもそれは、エルフやヴァンパイアの人間離れした感覚に頼る必要もないような、見ればわかる異変だった。或いは見なくても。

 

 「……っ!? 姉さま、何か来る!」

 「分かって──」

 

 ほんの数メートル先で会話していた相手の声が完全に途切れ、姿を見失う。

 

 視界が白一色に染まり、肌感覚が冷たさと風圧を伝えてくる。耳に入るのは轟々と鳴り響く風の音だけ。それも長く目を開けていたら涙が凍りそうな、冷たい風。耳の先から凍っていって、取れてしまうのではないかと心配になるほど、冷たくて、痛い。

 

 吹雪だ。

 

 そして──。

 

 「──!!」

 「──!?」

 

 暴風の音に、悲鳴が僅かに混じる。

 

 ウォードのものらしき低い怒声、リリウムとモニカのものらしい甲高い悲鳴。エレナとミナの聴覚を以てしても、それを聞き分けるのがやっとだ。こうも雑音が煩くては、言葉を聞き取ることなど叶わない。

 

 「姉さま──!?」

 

 前後不覚に陥るほどの、白一色の世界。

 吹き荒ぶ凍てつく風は目を開くことさえ拒絶するかのようだが、エレナは両手で顔を庇いながら必死に周囲を見回す。

 

 つい数秒前に話していた相手を見失う経験は初めてだが、これは所詮、吹雪だ。雪の混じった風でしかない。ミナなら鬱陶しそうに顔を顰めて、そこにいるはず。

 

 そう思って、気配を感じた方へ振り返り──思えば、気配を感じた時点で、不審に思うべきだったのだ。

 

 人間一人分の存在を簡単に覆い隠す白いヴェールの中で、もしも気配を放つものがあるのなら──それは、人間なんかよりも、ずっと存在感のあるものだ。風を受ける体躯が、面積が、人間では有り得ないほどに大きいものだ。

 

 「あ、ぇ……!?」

 

 熊だ、と、エレナはまずそう思った。

 白く飛ぶ視界の中ではシルエットしか見えないが、毛むくじゃらで、二本の足で立っている。手には鋭い爪の影があり、と、そこまで見て、違うと気付いた。

 

 手が、二つ──片側だけで、縦に二つある。足を入れて、三つ。つまり左右で六つ。

 

 何かの勘違いだ。

 そう思って、腕を遡り、視線を肩へと上げ、上げ、上げ──そこで、異常なほどの大きさに気が付いた。

 

 一本角のある頭のシルエットは、首を伸ばして見上げた先、遥か五メートルほどの位置からエレナを見下ろしていた。

 

 

 

 

 

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