なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 「待ちなさい!」

 

 怒りに満ちた声を上げるリリウム。

 足場の悪い洞窟内を懸命に駆ける彼女の視線は、よたよたと弱々しい足取りで逃げる蒼褪めたヒトガタに固定されていた。

 

 背後、洞窟内に反響する甲高い怒声を聞いて、「お前がな」と心を一つに追いかけてくるフィリップとウォードのことなど気にも留めていない。

 

 三人の中で冷静──いや、危機認識を正常にできているのはウォードだけだが、だからこそ、ウォードが一番、走るのに全力を出せていなかった。

 洞窟内は天井や壁から染み出した地下水で微妙に濡れているし、足場は石灰岩が不規則に堆積してごつごつしている。決して走りやすい地形ではない。

 

 だからウォードは石筍や水溜まりなんかに足を取られないよう細心の注意を払いながら走っていたが、リリウムとフィリップにそんな余裕はなかった。地形に気を配らず全力で走らなければ、追いかける相手に振り切られてしまう。

 幸いにして──或いは不幸にも、今のところ二人とも転倒することなく走ることが出来ていた。

 

 そんな二人より先行していたリリウムの前に、先ほど一行が細心の注意を払って隅を渡った崩落穴が現れる。

 人間の跳躍力では流石に跳び越せないが、魔物は壁や天井を自在に這い回っている。向こう側へ逃げられたら追いかけるのは不可能だ。

 

 そう考えて眉根を寄せたリリウムの前で、魔物はほんの一瞬も足を止めることなく大穴へその身を躍らせた。

 

 僅かに目を見開いたリリウムだったが、滑ったり躓いたりしないよう歩調を緩めて穴の縁で止まると、右手を黒々とした穴の下に突き付けた。

 

 「《ファイアーボール》!」

 

 青白い魔物が逃げ込んだ大穴に火球を撃ち込むと、暗闇の中を彗星のように落ちていく赤が穴の内壁を照らし、十メートルほど下で水面に消える。

 

 そして──ぞわぞわぞわ! と、大量の何かが一斉に動いたような、背筋の冷える音がした。

 

 「ひっ!?」

 

 その音に、リリウムは嫌な想像をしてしまった。

 大穴の奥、誰も立ち入ったことのない巨大な地下湖の壁や天井に、びっしりとへばりついた大量のヒトガタが蠢く様を。十や百では足りない数のそれらが、今にも大穴の壁を伝って溢れ出てくる光景を。

 

 逃げたい、とリリウムは思った。

 踵を返してウォードやモニカの方に戻りたいと。

 

 そうしなかったのは、氾濫した川のような勢いで襲ってくるであろう魔物の群れを前にしては、流石のウォードやミナでも太刀打ちできないだろうと思ったからではない。

 

 自分が一人であることを思い出して、恐怖に呑まれて動けなかったのだ。

 足は竦み、身体は強張り、振り返るどころか目を瞑ることさえ出来なかった。

 

 そして一瞬の後、ざわざわざわ! と風に吹かれる藪のような音と共に、大穴から噴出する黒い塊を見た。

 

 「きゃあっ!?」

 

 尻もちをついたリリウムは這って下がることも出来ず、洞窟出口の方へ飛んでいく塊を呆然と見送る。

 

 塊──リリウムなんて簡単に呑み込んでしまえる大きさの黒い塊に見えたそれは、ランタンの明かりに照らされてしまえば、なんのことはない、両掌に乗るくらいの小さな蝙蝠の群れだった。魔物でさえない、リリウムの魔術に驚いただけの、ただの洞窟の住人だ。

 

 「は、はぁ……」

 

 リリウムは安堵の息を吐いて立ち上がり、背後でずっと聞こえていた足音が緩慢になったのを感じて振り返った。

 

 「リリウム! 無事でよかった!」

 「ウォード……。フィリップも」

 

 軽く肩を上下させ、早歩き程度のスピードで向かってくるウォード。その後ろにはより大きく肩を揺らして息を荒げる寸前と言った風情のフィリップも見える。

 当人としては複雑な話だが、リリウムは二人を見て、また尻もちをつきそうなほど深い安堵に包まれた。

 

 しかし──リリウムの無事を確認して歩調を緩めたウォードだったが、それは間違いだった。

 リリウムが、まさか魔物の逃げ込んだ大穴の縁で暢気に突っ立っているとは思わず、穴の向こう側に逃げられて追跡を諦めたのだと思っていたが故の判断ミス。

 

 「っ!」

 

 今度は悲鳴を上げる暇もなく、リリウムがつんのめったように前のめりに倒れる。

 地面に顔から行く直前で何とか受け身を取ったようだったが、それは彼女の無事を意味することでは全くなかった。

 

 華奢な足首を、穴から伸びた水かきのある青白い手が掴んでいたのだから。

 

 リリウムがそれに気付いて悲鳴を上げた時には、彼女の矮躯は穴の中に猛烈な勢いで引きずり込まれるところだった。

 

 「リリウム!」

 「嘘でしょ!?」

 

 ウォードがヘッドスライディングの要領でリリウムの手を掴み、素早く身体を反転させて足を穴の方に向け、踏ん張る。

 軍学校で鍛えられた男の脚力に人間二人分の体重を加えた抵抗を振り切るほどの膂力は、流石にあのひょろ長い腕にはないらしく、二人は穴に落ちる寸前でどうにか止まった。

 

 「ナイスです、ウォード! そのまま引っ張ります!」

 

 フィリップも素早くウォードの脇下に腕を通し、二人を穴から遠ざけるように引く。

 

 「はなっ……放しなさい、よっ!」

 

 足首を掴まれているリリウムは無駄に悲鳴を上げることも無く、気丈に、もう片方の足で振り払おうと青白い手を懸命に蹴りつけていた。

 

 残念ながら蒼褪めた手は離れる様子がないが、それならそれでいい。

 リリウムの身体は徐々に穴から離れている。手を放さないのなら、手の主をこのまま穴の外に引き摺り出して、フィリップとウォードで切り刻んでやるまでのこと。

 

 ひょろ長い前腕が見え、肘関節で曲がり、髪のないサナダムシのような顔が穴の縁から覗き──ぐん、と、強烈な力で引かれる。

 

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 「っ!?」

 「うわっ!?」

 「しまった!?」

 

 綱引きの相手が急に倍の人数になったかのような勢いに引かれるまま、フィリップたちは一塊のまま穴の中に転がり落ちた。

 

 地面に叩き付けられて死ぬ。

 そんな恐怖を抱くだけの時間もなく、落下はほんの一秒程度で終わる。運良く、或いは運悪く、フィリップたちが落ちた先には深い水溜まりがあった。

 

 盛大に水音と飛沫を上げた三人は、主人を水底へ誘おうとする剣や装備品に負けないよう、なるべく平体で泳いで陸地に上がる。消えたランタンの代わりに、フィリップとリリウムの『ファイアーボール』が応急的な光源となった。

 

 「はぁ、ふぅ……げほげほっ! 大丈夫、二人とも? とにかくまずランタンを付けよう」

 

 陸に上がるまでは一心不乱で、何も考えられなかったフィリップとリリウムとは違い、ある程度の冷静さを残していたウォードがてきぱきと動く。

 ランタンのカバーを外して中に入った水を排出し、オイルの沁み込んだ芯を軽く拭う。魔術の炎を灯して周囲に目を光らせていたフィリップの『ファイアーボール』を火種に再着火すると、蝋燭大の炎とは違う、ガラスが守り増幅した頼りがいのある光が周囲に広がった。

 

 フィリップたちが落ちたのは水の溜まった巨大な陥没孔のようだ。深さは不明だが、もう二度と入ることは無いだろうし知る必要はない。

 穴の周りはそれほど広い空間にはなっておらず、道らしい道は一つだけだ。

 

 所々に蝙蝠のフンが落ちていたが、床を埋め尽くすほどではない。只の通り道なのか、或いはここに住み着いてまだ間もないのか。

 

 「……さっきの奴は?」

 「見当たらない。追撃もしてこなかったし……モニカちゃんたちの方に行ったのなら、今頃ウィルヘルミナさんに倒されてるだろうけど」

 

 上着を脱いで水を絞りながら言うウォードに、フィリップも頷きを返して行動を真似る。その間も二人の目は周囲を見回して一点に留まらない。

 洞窟の中はひんやりと涼しいが、着替えは持ってきていないし、まさか焚火を起こして服を乾かすわけにもいかない。今できるのはこれが精々だ。

 

 それからウォードとフィリップが剣を抜いて水気を拭おうとすると、髪を絞ってからずっと物言いたげな顔をしていたリリウムが呆れたような溜息の後、口を開いた。

 

 「……あっち行ってとまでは言わないけど、せめてあっち向いてくれない? 私も服脱いで絞りたいんだけど」

 「あ、ごめん! そうだよね!」

 

 ウォードが少し照れながら、フィリップも素直に頷いてリリウムに背を向ける。

 少し振っただけで完璧に水気の切れた龍貶し(ドラゴルード)を「便利だなあ」という目で一瞥したあと、フィリップは「あ」と声を漏らした。

 

 「あ、じゃあついでに二人とも、ちょっとあっち向いてて。僕が良いって言うまで。……パンツが濡れてるのって気持ち悪くてさ」

 「わざわざ言わなくていいから! この服で引っ叩くわよ!」

 

 三人は背中合わせに暫くカチャカチャゴソゴソやっていたが、最後にフィリップが「もういいですよ」と言って向き直る。

 

 皆一様に疲れた顔をしていたが、目立った怪我は無いようだ。

 

 「よし。それじゃあ……どうしようか」

 「まあ、二択ですよね。待つか、進むか」

 

 戻る、のは、今は流石に不可能だ。

 フィリップたちは10メートル近く落っこちてきたわけだし、岩肌はごつごつしているが足を懸けられるほどの起伏はないし、壁の傾斜が90度を超えるオーバーハングもある。登攀は現実的ではない。

 

 戻りたければ飛行能力を持つミナが来てくれるのを待つほかないだろう。フィリップが呼ぶという手もあるが、今まさに例の化け物と戦っている最中かもしれない。

 

 幸い、ここから行ける道は一つだけのようだし、進む分には後からミナたちが来てもはぐれることはないだろう。

 

 フィリップは「進む」方向で心が決まりつつあったが、問いの宛先のもう一人がずっと黙っているのを怪訝そうに見遣った。

 

 「……意外ですね。パーカーさんは「進むに決まってるじゃない!」とか言いそうでしたけど」

 「私ってそんなイメージ? そりゃ、さっきはちょっと先走ったけど」

 

 「無知ゆえの愚行を犯すイメージ」とは言えず、フィリップは曖昧に笑う。

 

 しかし先ほどのリリウムは先走ったというか、焦っていたような感じだった。

 特に魔物を殺した数で報酬分配を決める、みたいな話はしていないので、功を焦ったわけではないだろうけれど。

 

 そんなことを考えるフィリップとウォードの前で、リリウムはばつが悪そうにおずおずと頭を下げた。

 

 「……私が先走ったせいで二人を巻き込んだわけだし、その、ごめんなさい。頭に血が上ってて……」

 

 出会って二日のフィリップからすると珍しい素直さを見せたリリウムに、フィリップは意外そうな一瞥を呉れ、ウォードは安心させるように笑いかけた。

 

 「気にしないで。夜襲を受けたりしてビックリすると物凄く攻撃的になる人って、結構いるよ」

 

 ビビッて動けなくなるタイプよりも、実はそういうタイプが死にやすいんだけど、と軍学校の訓練内容を思い出したウォードだったが、口には出さない。

 

 「僕は“進む”に一票です。あいつが残り一匹とは限りませんし、他に居ないか探してブチ殺しましょう」

 「どこでスイッチ入ったの?」

 「こわ……」

 

 首を掻き切るジェスチャー付きで横穴の方を指すフィリップ。

 ウォードとリリウムは、その目の据わり具合に「どこに逆鱗があるか分からないの怖いなあ」と言いたげに顔を引き攣らせる。

 

 「懐中時計が防水じゃなきゃ洞窟ごと吹っ飛ばしてる所でしたよ」

 

 さっきカチャカチャやっていたのはそれか、とウォードは呆れ混じりに納得した。

 

 

 

 

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