なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
ランタンが炎をそのままに明かりだけを失ったとき、闇の繭は二つあった。
一つはフィリップとミナが包まれたもの。一つは残る四人が包まれたもの。
フィリップが咄嗟にミナの方へ駆け寄った直後、甲高い悲鳴が二つ上がる。
「きゃあぁぁっ!?」
「な、なに、なんなの!? どうして光が届かないの!?」
一つはモニカ。
既に三度、ウォードとエレナと共に冒険しているらしい彼女だが、それとはまた別の経験故に、突発的に訪れる暗闇に尋常ならざる恐怖を抱いていた。
一つはリリウム。
彼女も全く戦闘慣れしていないわけではないが、不意に視界を奪われてもパニックに陥らない訓練なんて受けていない。暗闇の中、どんな相手が何処にどれだけいるのかも分からない。そんな状況に耐えられる精神の図太さも経験も、彼女は持ち合わせていなかった。
そんな状況でも落ち着いて対処できるよう訓練されているのは、本職の騎士を育てる学校にいたウォード一人。
エレナも長年の冒険の中で、視界妨害魔術『ブラインド』などを喰らった経験があって慣れてはいる。
声の聞こえない二人に、フィリップは闇の繭の中から大声で呼びかける。
「ウォード、エレナ! 二人を!」
後から思い返せば、「二人を優先して守って」なんて、言うまでもないことだ。
ウォードとエレナなら言われるまでも無く非戦闘員の二人を守るし、その二人の次に弱いフィリップのことも、一番強いミナと一緒にいるから大丈夫だと正しく判断する。
なのに態々叫んだのだから、フィリップも多少は動揺していた──いや、成長したのだろう。
暫定領域外存在に、暫定領域外魔術。
僕が警戒すべき相手かもしれない、と警戒できている。もっと直接的になれば、もう言うことはないのだが。
「そっちからは見えるの!?」
「僕からはミナしか──、っ!」
叫び返すエレナに答えようとしたフィリップだったが、途中で柔らかいものに顔を圧迫されて喋れなくなった。
滑らかな肌触りも、包み込むような柔らかさも、病的な冷たさも、全て既知のものだ。唐突に顔を塞がれても驚きはない。いつものことと受け入れられる。
「別に、遍く生物全てが知恵を持っているとは思っていないけれど──お前たちは相当に下等なようね。この私の前で、私のペットを、私の領域ともいえる闇の中で襲おうだなんて」
フィリップを片手で抱きしめたミナが吐き捨てるように言う。
彼女がもう片方の手で握った漆黒の長剣には、あの青白いヒトガタが突き刺さっていた。
喉を貫かれ、フィリップよりも矮小な体躯を宙づりにされてビクビクと痙攣する蒼褪めた身体は、水揚げされた魚にも、電極を刺されたカエルにも見える。
その痙攣が終わるよりも先に、二人を包んでいた闇の繭が掻き消える。
ランタンが周囲を照らすと同時に、もう一つの闇の繭が光を弾いて露になる。そのすぐ傍らに、もう一つ、眩しそうに顔を隠す蒼褪めたヒトガタがあった。
ミナに抱きしめられたまま目を見開いてそれを見つめるフィリップとは裏腹に、ミナの関心は剣先に吊られたままのゴミにあった。
「……?」
怪訝そうな表情で首を傾げたミナは、謎の生き物の死骸を剣先に吊るしたまま、先ほど自分で切り捨てた死骸の方につかつかと歩み寄る。
青白い二つのヒトガタ。いやに赤い血を垂れ流す二つの肉塊を並べ、顎に手を遣って思考する。
「……死体が消えないけれど、まだ生きているの? それとも、魔物ではないのかしら」
まあどちらにせよ、心臓と脳の両方を潰せば行動不能になる。
どちらかが潰れても問題なく活動できる種はいるが、吸血鬼でさえ、二つを同時に潰されては戦闘続行は困難だ。死ぬという意味ではなく、再生が優先され、反射的行動しかできなくなる。
こいつらがどういう存在なのかは不明だが、再生の隙を見逃すほど間抜けではない。ミナはそう考えて、高いヒールつきの靴で器用に頭蓋を踏み砕いた。
そんなことをしている間に、ウォードたちの方にいたヒトガタは闇の繭へ入っていく。
断続的に聞こえるウォードたちの叫び声を聞きながら、フィリップは自分を抱きしめるミナの腕から藻掻き抜けた。
「ミナ! 放して! あっちにも一匹いたでしょ!」
「あぁ、ごめんなさい? でも大丈夫よ。この程度の相手ならエレナ一人でも──、?」
駆け出したフィリップの横を小ぶりな火球がすれ違い、ミナに向かって飛んでいく。
人外の魔術耐性によって掻き消えた小さな煌めきを、ミナは不思議そうに、フィリップは安堵と共に一瞥した。
ミナはあれで攻撃には過敏だ。
十万もの命を持ちながら、その一つを削ることさえ出来ない攻撃でも、それを攻撃と認識したのなら反撃する。そんな甘い攻撃しかできない雑魚相手だろうと、慈悲の心を持つことはない。片手間に殺す。
しかし流石に流れ弾を、それも耐性で弾かれて消えるほど弱い魔術を攻撃とは認識しなかったようで、足場の悪い中を躓きながら走っていくフィリップの背に呆れたような溜息を送るだけだった。
「足場に気を付けなさい」
雨の日に出かける子供を見送るかのような言葉を背中で受け止めたフィリップは、闇の繭に突っ込んでいくべきか逡巡し、足を止めて構える。
魔術がこちらを向いて飛んできたということは、このままフィリップが突入すると、リリウムと“的”を挟む形になるはずだ。
ミナや魔物なら耐性で無効化・軽減できる威力の魔術でも、フィリップ相手なら普通に効く。まあ一般の魔術師が使う初級魔術なんて直撃しても火傷が精々だが、熱いのも痛いのも嫌だ。フレンドリーファイアは避けたい。
そんなことを考えて立ち止まったフィリップの前で、闇の繭から一つの影が飛び出してきた。
いや、二つだ。
「っ!?」
「待ちなさい!」
一つは例の青白いヒトガタ。
顔を庇いながら、フィリップたちが来た崩落穴の方へ逃げていく。
もう一つはフィリップと同じくらいの矮躯。
右手の内に炎を灯し、腰に吊ったランタンを揺らしながら、決死の表情で蒼褪めた怪物の後を追う。
「は!? いや、待ってパーカーさん!」
なにやってんだあいつと言わんばかりの馬鹿を見る目を向けたフィリップに、リリウムはどこか挑発的にも見える一瞥を呉れ、しかし、立ち止まることなく走り去った。
その数秒の後、術者が影響範囲外に出たことで闇の繭が晴れる。
それとほぼ同時に、もう一人。更にリリウムの後を追って行く影があった。
「ウォード!?」
彼らしからぬ鬼気迫る表情で駆け出したウォードの後を、フィリップも反射的に追っていた。
◇
モニカとリリウムが悲鳴を上げたとき、ウォードとエレナは即座に二人を挟んで背中合わせに構えた。
宥めはしない。慰めもしない。
だがこれ以上狂乱するようなら殴って黙らせる。
耳障りで集中を掻き乱すパーティーメンバーより、視界外から襲ってくる魔物の方がずっと厄介だ。
「ウォード、エレナ、二人を!」
「そっちからは見えるの!?」
視界内にはいないフィリップの声に、ウォードは周囲への警戒を解かないまま応じる。
だったら
フィリップの性格的に、もしそうならすぐさま助けに来ている。
つまり見えているが助けに来ないということは、助けに来られない性質がある魔術をかけられたということだ。
「僕からはミナしか──っ!」
フィリップの言葉が途切れるが、ウォードとエレナには言葉も無く「心配無用」という共通認識があった。
なんせ、龍殺しコンビである。片や成龍を単身相手取り「まあまあ楽しめた」と言い放つ怪物、片や「囮」ではあるけれど。
背中の二人は逃げ出したりはせず悲鳴を上げるだけで済んだようだが、魔物の攻撃に晒されて無事でいられるフィジカルはない。守るべきはこちらだ。
そして、欲を言うのなら。
「二人の方に合流しよう! ボクじゃこの闇は見通せない!」
六人一塊でいたい。
これが単純に視界妨害系魔術を使う魔物というなら、エレナ一人でも後ろの
かもしれない、と但し書きはいるものの、その但し書き付きでも十分に恐ろしい相手だ。
魔術で作り出された光を完全に遮断する“闇”でさえ見通す、最高戦力であるミナ。そして誰よりも
──二人とは、出来るなら合流しておくべきだ。
エレナの経験から来る直感が、そう囁いている。
「いや、今迂闊に動くのは危険です! 僕たちはともかく──」
だが、できない。
モニカとリリウムを庇ったまま、視界の通らない場所へ──闇の繭の向こう側へ通り抜けるのはリスクが大きすぎる。
繭の外を這い回る魔物の気配は感じ取れるが、どうやらこいつらは群れるタイプで、襲い掛かる前に獲物の視界を奪い、更に群れから引き離す知能まである。
視界の通らない場所に抜ける──視界が切り替わる瞬間、脳に一瞬だけ生じる“把握”の隙を突かれたら厄介だ。
動きはミナやエレナからすると緩慢で、フィリップの全速にも満たない。だが、相手はこれが全速ではないかもしれない。
死骸の体躯はモニカやリリウムよりなお貧相で、手足はひょろ長く筋肉があるようには見えなかった。だが、フィリップとエレナとミナのように、筋繊維一本ごとの出力が違う場合もある。
未知なのだ、相手が。
未知は、怖い。
相手が何をしてくるのか、何が出来て、何が得意で、自分たちが何をするのが最も不味いのか。それが全く分からない。
エレナはこれでも、自分を強者だとは思っていない。
「真の“強者”とは何か」。そんな命題には、100年近い研鑽を以てしても答えは出せないままだけれど──ミナは、答えに近しい存在だと思っている。
相手が何をして来ようとも正面からねじ伏せられる戦闘能力。これは強さを表すものの一つだ。
魔術師相手に魔術で、剣士相手に剣技で、化け物相手に基礎性能で優る。そして何より、
未知を強引に既知に変え、情報を集めたうえで戦うかどうかを判断できるのは、エレナでは真似のできない強みだ。
「っ、後ろ!」
「分かってる!!」
全周に警戒心を振りまいていたウォードの警告と、ずっと気配を追っていたエレナの反応は全くの同時だった。
エレナが振り返りざまに放った回し蹴りが柔らかいものを捉える。
しなやかに鍛え上げられた脚を包む探索用の重いブーツは凶器だ。このまま蹴りに重さを載せてしまえば、この感触なら当たった“何か”を圧し折ることもできるし、“中身”を破裂させることもできる。
しかし──。
「──!!」
耳障りな、しかし何故か聞いたことのあるような音。
苦し気な喘鳴とも不愉快ないびきともつかないその音は、エレナの神経を酷く逆撫でした。集中が途切れ──怯み、エレナが丹田へ集めていた重さが、蹴りに載せきる前に散ってしまう。
「ッ!?」
「エレナさん!?」
体重も筋力も技術も何一つ十分に発揮されていない甘い蹴りに飛ばされた、青白い塊が地面を転がって立ち上がる。
ウォードは素早く立ち位置を変え、それと二人を隔てる位置で構える。エレナも不愉快そうに顔を顰めてはいたが、格闘戦の構えには一部の隙も無い。
そして、そんな二人の間を通り過ぎる、紅蓮の火球が一つ。
「《ファイアーボール》!」
リリウムが放った初級魔術の炎弾は頼りない速度で飛翔し、青白いヒトガタの醜い顔面を舐めるように広がった。
貫通はしない。そんな硬度も速度も威力も無い。
延焼もしない。そんな温度も持続性も初級魔術には再現できない。
精々が火傷する程度。魔物の耐性程度で大幅に減衰する威力しか持たない、投石以下の魔術。
だというのに、ヒトガタはウォードたちにも分かる明らかな苦悶の声を上げ、顔を押さえてのたうち回った。
「効いた!?」
思わず漏れたエレナの驚愕に、リリウムはむしろ自信を付けたようだった。
「っ、そうよ! 私は天才魔術師なんだから! こんなよく分かんない魔物、私の魔術で蹴散らしてやるわ!」
身を翻して逃げ出した青白い化け物を、リリウムは『ファイアーボール』を射出待機状態にして追いかける。
「待って、リリウム! 深追いは──」
「私も行く!」
「モニカちゃん!? 待つんだ!」
その背中に手を伸ばしたウォードだったが、捕まえたのはその後ろを走っていた──すぐ後に続いて走り出したモニカだった。
「リリウムちゃん一人じゃ危ないでしょ!」
「モニカちゃんが付いて行ったって変わんないよ!」
リュックサックを掴まれたモニカは、声に怒気を滲ませてリリウムが姿を消した方を指差す。
エレナもモニカの腕を掴んで制止するが、モニカの焦りは収まらなかった。
「でも行かないよりマシでしょ!」
行けば何か出来るはず。一緒に居れば何か出来るはず。
モニカはそう信じている。
あの日から──ただの順番で、同じ境遇だったはずの自分だけが救われたあの日から。フィリップだけが、別人と見紛うほど目の輝きを失ったあの日から。
しかし、今回はモニカだけでなく、頼れる仲間も一緒にいる。
闇のヴェールが晴れた直後、ウォードは剣を納めて走り出した。
「僕が行くから大丈夫! エレナさん、モニカちゃんをお願い!」
「いや、ちょっと!? ……っ」
ウォードの後に続いて駆け出していくフィリップを見て、エレナは咄嗟に立ち止まることが出来た。
さっきの魔物、蹴った感触ではそこまで強くなかった。衝撃を殺したりインパクトをずらしたり、そういう技術は持っていないし、動きもそこまで速くはない。フィリップとウォード二人で十分に殺せる相手だ。
それなら、フィリップ以外を守るという行為にやや不安のあるミナとモニカを二人きりにするよりは、自分がここに残るべきだと。
それが合理的な判断なのか、「ああいう手合い」を前にしたフィリップの傍に行くことへの恐怖が生んだ逃避と合理化なのかは、エレナ自身にさえ分からなかった。