なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 渦中──事の中心といっていい位置にいたはずのフィリップだったが、彼が見たのは闇と、その中に飛び込んでくるミナだけだった。

 

 闇が晴れたのち、フィリップは自分を抱きしめているのが見知らぬ人物や魔物ではなくミナであることの次に、腰に提げたランタンの火が消えていないことを確かめた。

 

 ランタンの火は消えていない。腰に提げた感触からしても、オイルはまだ半分くらいは残っている。フィリップのものだけでなく、エレナたちがそれぞれ持っているものも、咄嗟にミナが放り投げて地面に転がったものでさえ。

 なのに、フィリップはその五つの光点、光源を認識できていなかった。それらが照らし出すはずのパーティーメンバーのことも。

 

 まるで、フィリップと彼らを隔てるヴェールがあったかのように。

 

 それが取り払われた後、真っ先に声を上げたのはリリウムだった。

 

 「え、う、嘘、子供……? まさか、例の……?」

 

 体を斜めに二分割されて頽れた死骸を指し、声を震わせるリリウム。

 モニカは彼女より更に受けた衝撃が大きかったようで、声も出せない有様だ。

 

 「いや……」

 

 違うのではないか、と、フィリップは首を傾げる。

 だが、確証はない。ここからでは青白い塊にしか見えない死骸を、もっと近くで検分してみないことには。

 

 「……フィリップ君?」

 「ウォードたちは近づかないで、周りを警戒しててください」

 

 ウォードの言葉に答えながら、フィリップはゆっくりと近づいて死体を検める。

 噎せ返りそうな血と内臓の臭いを覚悟していたが、鼻を突いたのは酸っぱいミルクのような饐えた臭いだった。

 

 死人よりも蒼褪めた肌に、不自然に鮮やかな色の血液。子供の身長でありながら手足は異常にひょろ長く、指の間にはカエルのように発達した水かきがあった。

 

 体格だけは幼い子供のようだが、顔は辛うじて目と口が三角形に並んでいるだけの醜いものだ。眼窩の周りが腫れたように盛り上がり、目はミナの鮮やかなそれとは違う濁った赤に染まり、白目と黒目の区別もつかないほどだ。力が抜けだらりと開いた口は円形で、小さいながら尖った牙が同心円状に並んでいる。

 

 サナダムシのような顔にヌタウナギの口を持つ化け物だ。

 なのに、青白くつるつるした肌と、人肌のような紋と皺のある肌が斑になっていて、元は人間であったのではという疑いを拭いきれない。服は着ていなかったが、乳首に男性器、首筋には黒子まである。

 

 残念なことに、フィリップにも植え付けられた智慧にも、人間がそのような姿に変貌する症状についての情報は無かった。

 

 「擬態、なのかな? 何かが子供に化けてた……?」

 

 或いは何らかの要因で変化した人間か。

 外見情報しか持ち合わせないフィリップでは、それを見極めることは出来ない。

 

 「……捌いてみる? 人間の体内構造なら多少分かるけれど」

 

 まだ学院にいた頃、冒険実習の折にフィリップが言っていたのはこういうことか、と納得して頷くミナ。

 彼女にとっても、眼前の死骸は異常なものだ。明らかに人間ではない魔力に、人間離れした容貌。なのに、斬った手応えは人間の子供と変わらなかったのだから。

 

 「……うん。そうしよう。それから……エレナ、()()()()()()()がいるかも」

 

 フィリップの警告に、エレナの表情が一瞬だけ恐怖を映して歪む。

 しかし流石は歴戦の冒険者というべきか、次の瞬間には真剣な顔で頷きを返した。

 

 尤も、これが領域外存在の擬態や、それらの手で変貌した人間であるとは限らない。

 吸血鬼以外にも血を分けるなどの方法で同族を増やす上位魔物がいるかもしれないし、ただ単に人間を真似損ねた擬態系の魔物かもしれない。

 

 だが──嫌な予感が胸の内に蟠る。

 

 「フィリップ君、説明してくれないか? それは何だったの? いま何が起こってるの?」

 

 切っ先のない断頭剣をフォーク代わりに、漆黒の魔剣をナイフに見立て、人間の骨と肉と内臓を綺麗に取り分けていくミナに慄きながらも、ウォードは平常心を取り繕って問いかける。

 

 自分が落ち着くためなのか、或いは意図してのことなのかは分からないが、彼が動揺すればモニカとリリウムがパニックを起こしかねない現状を考えると、平静を装うのはいい判断だった。

 

 「僕にも詳しいことは分かりませんけれど……二足二腕の魔物に襲われて返り討ちにしたものの、その正体が全く分からない、って状況ですね。こいつ、人間っぽいのはシルエットだけですよ」

 

 臓器もね、とミナ。

 まだ身体の右上半分しか解体し終えていないが、少なくともその範囲は人間のそれと酷似していた。

 

 「そもそも、魔物が居ないのがおかしくない?」

 

 意外にも気丈なモニカが呟く。──いや、意外でもないか。

 彼女はいきなり拉致されて地下牢に縛られても、隣にいる自分より年下の子供を気遣えるくらい強い心を持っている。

 

 「確かに……。いや、村の人たちは「ケイブバットとスカウトスパイダーが洞窟にいる」って言ったの?」

 「違うわ。紫っぽくて小ぶりな蜘蛛の魔物と、デカい爪を持った蝙蝠が洞窟から出てきた、って──まさか?」

 

 フィリップが問いかけた先はモニカだったが、答えたのはリリウムだった。

 同い年だが自分より弱いはずのモニカが平静を取り繕えているのに、自分だけ震えてなんていられないとでも思ったのか、或いは彼女もまた肝が据わっているのか。

 

 そんな益体のないことを考えてしまうくらい──つい現実逃避してしまうくらい、嫌な予感がする。

 口には出さなかったフィリップのその内心を、ウォードが「物凄く嫌な予感がしてきた……」と吐き出した。

 

 「村の人が見たのは「魔物が洞窟から出てくるところ」だけ……?」

 「だろうね……」

 

 「不味いですね」「不味いね」と頷きを交わすフィリップとウォード。

 エレナも苦々しく表情を歪めており、「どういうこと?」と困惑顔なのはリリウムとモニカだけだ。

 

 「魔物は洞窟に棲みついてたワケじゃないってこと。いや、“追い出された”のかな」

 

 エレナの説明を受けて、残る二人も「あっ」と目を瞠る。

 説明は不親切だった、というか、敢えて直接的な表現を避けたのだが、二人とも言葉が足りなくてもきちんと自分で考えて補っていると分かって、エレナはにっこりと笑った。それが生き残るうえで一番大切なことだと。

 

 しかし、フィリップとウォードは笑うような気分ではなかった。

 

 「だとしたら朗報が一つ。ここは魔物を無尽蔵に生み出すダンジョンじゃない。そして棲みついていた魔物は全部、洞窟の外に追い出されてる。もしかしたら、僕たちが昨日戦ったのがそうかもしれませんね」

 「そうだね。そして悲報も一つ。……そいつらを“追い出したヤツ”がいる」

 

 ジャイアントスパイダーもデモニックバットも、そりゃあフィリップたちの敵ではなかったけれど──リリウムの魔術が大幅に軽減されたように、一般人に毛が生えた程度の魔術では太刀打ちできない相手でもある。

 

 それにどちらも、洞窟の中──暗い閉所で本領を発揮するタイプだ。デモニックバットの飛行能力は制限されるが、超音波による視覚に頼らない周辺把握は強力だし、ジャイアントスパイダーは壁も天井も縦横無尽に這い回り、粘着糸で罠を張ることもできる。

 

 それらを洞窟から追い立てたのだ。

 同等以上に洞窟に適した機能を持っているか、ミナやエレナのようにゴリ押しが通る性能を持っていることは想像に難くない。

 

 「悲報は一つじゃ足りませんよ。そいつが持ってるのが擬態能力でなければ、人間を変性させる機能か道具を持ってる。コレ、ただの錯乱した子供じゃない。見てよこの顔──ごめん嘘! 見ないで! エレナだけ見て!」

 

 どれどれ、とまでは軽くなくとも、それなりに好奇心を感じさせる足取りで近寄ってきたモニカとリリウムを、フィリップは慌てて制止する。

 意識が謎の魔物──領域外存在である可能性も出てきた相手に集中しすぎて、一瞬だけだがウォードたちの存在を忘れていた。

 

 二人はむっとした顔で「なんで?」と不満を露にするが、ミナの後ろから解剖中の死骸を覗き込んだエレナもフィリップと同じ結論を出した。

 

 「うわ……結構グロテスクだけど、それでも見たい?」

 「泣いてもゲロ吐いても発狂しても自己責任だよ? 僕らは「だから言ったじゃん、馬鹿だな」って目で見るだけだし、ゲロ吐いてる最中に魔物に襲われても庇わない。馬鹿が馬鹿ゆえに死ぬ責任まで負う気はないしね」

 

 そうだよ、とエレナも脅かす。

 尤も彼女に関しては制止目的の脅しでしかなく、いざとなったら全力で二人を守るだろうけれど。フィリップは……どうだろうか。モニカのことは守るかもしれないが、現状、リリウムにその必要性は見出していない。

 

 「そ、そこまで言うなら見ないわよ……」

 

 フィリップの冷たい目と、普段は明朗なエレナの脅しのどちらが効いたのかは不明だが、二人は大人しく引き下がる。

 

 出来たわよ、とミナに呼ばれて視線を戻すと、死骸は真っ白な皿と銀のカトラリーを幻視してしまうほど綺麗に解体されていた。

 まだ人の形を留めている骨、その隣に体内配置通りに並べられた内臓、一塊に置かれた肉。

 

 「そんなことできるの?」と思わず呟いたフィリップに、ミナは「使う機会のないテーブルマナーだと思っていたけれど、意外なところで役立ったわね」と笑う。

 これが人間の死体だったら多少の小言をくれそうなエレナも、魔物の肉の扱い方には無関心だった。

 

 「……“血”じゃあないな」

 

 フィリップの呟きは、その結論を出せた安堵によるものだ。

 

 人間の内臓の形なんて本でしか見たことは無いが、見る限り、異形の臓器はない。ミナが何も言わないということは、健常な人間と有意な差はないはずだ。

 

 神威も感じないし、外見だけの変化なら、フィリップが知る「人体を変容させるもの」、シュブ=ニグラスの血液()ではない。あれはそんな、生易しい代物ではない。

 

 「吸血鬼の血は一度に過剰に摂取すると確かに肉体が変質するけれど、どれだけ低俗な吸血鬼でも、直々に血を分けたなら吸血鬼化するわよ。こんな……よく分からない変化はしないわ」

 「……そうなんだ」

 

 言葉が示すものを勘違いしている──フィリップの恐れているものを知らないミナに、フィリップは同じ懸念を抱いていたかのように頷く。

 

 吸血鬼の血なんて、全然マシ……というか、流石にシュブ=ニグラスの血を受けた相手なら、元が人間の子供でも今すぐ全員で逃げ出すべきだ。

 

 勿論、質や量によって効果のほどは大きく異なるが、人間のような下等種でも変容できる──存在格差のあまり内側から弾け飛ぶとか、燃え尽きて灰になることのない用量でも十分に脅威となる。

 錬金金属製とはいえ無生物のウルミをさえ、古龍を殺すほどの化け物に変生させたこと、絶対に忘れはしない。

 

 「ともかく──、っ!?」

 

 ともかく、一旦洞窟を出たい。

 そうエレナとウォードに具申しようとした、その瞬間。

 

 ふと、視界が妙に暗くなった。すぐ傍に居るミナは見えるが、一瞬前に話しかけようとして見ていたウォードとエレナは見当たらない。フィリップとミナの持ったランタンの光も、彼らがいるはずの場所を照らす前に光が途切れている。

 まるで、そこに闇の壁があるかのように。

 

 この感覚は知っている。つい先ほど経験したという意味ではない。もっと以前に、一年以上も前に同じものを見たことを思い出した。

 

 この闇の壁に囲われた感覚──以前に教皇領でショゴスが使っていた領域外魔術だ。ただ視界を妨げるだけの、弱い魔術。やろうと思えば闇属性の初級魔術でだって似たようなことが出来るだろう、意味の薄い魔術。

 

 しかし領域外魔術であるがゆえに、きっと魔力消費はフィリップでもある程度連射できるほど少ない。「フィリップと同程度の魔力規模」の魔物にも、十分に扱える。

 そして魔力消費の少なさは、イコール、魔術行使の気配の小ささだ。

 

 それはミナに警戒させない矮小さと──戦闘慣れしておらず、一連の異常事態でパニック寸前だった少女たちを決壊させるには十分な威力を併せ持っていた。

 

 

 

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