なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
エレナの暴挙──もとい、荒療治的な安全確認によって崩落現場までの安全を確認したフィリップたちは、躓いたり滑ったりしないよう細心の注意を払いながら、地面にぽっかりと空いた穴を見下ろす。
ランタンの光で照らしてみても底は見えそうにない。
一応ロープは持ってきたから、ランタンを括りつけて下ろせばある程度までは深さを調べられる。他にも石か何かを落として落下音がするまでの時間を測るとか、単純にミナが飛び込んでみるとか、穴を調べる方法はいくつかあるが──目的は今のところ、穴の下ではない。
フィリップたちが目指しているのは穴の向こう側、子供たちが襲われたという廃井戸の下だ。
穴は壁から壁までほぼ完全に広がっており、幅も10メートルはある。
エレナとミナはともかく、フィリップたち人間組は助走ありでも跳び越せない。
唯一の道は、左の壁際に残った細い道……というか、壁からちょっと突き出た出っ張り。その幅およそ三十センチ。
普段なら難なく歩ける幅だし、障害走経験のあるウォードからすると、平均台より幅広だ。だが、すぐ傍に深さも分からない黒々とした大穴が口を開けているとなれば、途端に心もとなく感じる。
「ミナ。一人ずつ抱えて飛び越えてくれない?」
「嫌よ。同じところを行ったり来たりするなんて。笑えるくらい不毛じゃない」
即答され──出来ないとか、やるべきではない理由を並べられるのではなく、「不毛だからヤダ」と言われて、フィリップは「あ、これは駄目なんだ? オッケー……」と軽く頷く。
「何よその理由」と胡乱な顔になったのはリリウムとモニカだけだったし、その二人も流石に吸血鬼相手に「できるならやってよ」と注文することは出来なかった。
「一列になって行けばいいでしょ。それこそ命綱で皆を繋いでおくとかする?」
この中で一番鈍臭い──もとい、運動慣れしていないのは純魔術師のリリウム、次点で護身術を習っているとはいえ肉体能力は16歳の少女でしかないモニカ。前者はエレナとウォードに、後者はウォードとフィリップに前後を挟まれているので、命綱はきちんと機能するだろう。
まあ二人が同時に滑落したら流石のウォードも巻き込まれそうだけれど、エレナとミナがいればどうにかなるはずだ。
「あー……できればそうしたい。皆が纏めて落っこちるのは最悪の展開だけど、確か、上位の吸血鬼には飛行能力がありますよね?」
ウォードもフィリップと似たようなことを考えていたらしく、おずおずと問いかける。
しかし、ミナは顎に手を遣って穴の方を見ていて、ウォードの声は言葉として認識されてさえいないようだった。
「……ミナ?」
「ん? なあに?」
フィリップが声をかけると、いつになく真剣な顔をしていたミナは軽く首を傾げてフィリップを見遣る。
全く話を聞いていなかったのを察したフィリップはむっと眉根を寄せて「ミナ、僕と誰かの会話も耳には入れておいてよ。二度手間になる」なんて苦言を呈した。
「善処するわ。それで?」と適当に応じるミナに嘆息しつつも、「まあ化け物だし」と軽く肩を竦めたフィリップは、ウォードとの会話をかいつまんで説明する。
「ロープで繋ぐ? ……構わないけれど、そこの崖道を通る間だけよ。きみに付けるなら、もっときちんとしたハーネスとリードがいいし……ランタンもロープも持ったら、両手が塞がるもの」
フィリップにハーネスとリードを付ける考えがある──しかもデザインに拘る程度には現実的に考えているらしいミナ。
なんだって? と険しい目を向けるのは、またリリウムとモニカだけだ。ウォードもその光景を想像したのか苦笑いを浮かべているが、倒錯的なプレイだとまでは思っていない。
当事者のフィリップは、龍狩りの折に「あまりやんちゃが過ぎるなら首輪とリードを付けるわよ」と言われたことを覚えていたので、普通に聞き流した。
古龍相手に挑みかかるくらいの“やんちゃ”までなら許されるようなので──肋骨骨折と内臓損傷までなら許されるようなので、あまり重く受け止めていないということもある。
しかしそれ以上に、ミナが両手が塞がることを嫌がったことの方が気になった。
「……何を警戒してるの? 何か見えた?」
「これまで見たことのない質の魔力を持った魔物が何匹か。昨日の蜘蛛や蝙蝠とは明らかに別種ね」
ミナの言葉に、フィリップも黒い闇に満ちた穴の方を見遣る。
「……例の上位魔物かも」
「違うわね。魔力規模はきみより少しマシ程度だもの」
じゃあ違うか、とあっさり納得するフィリップ。
錬金術製の魔物駆除用睡眠ガスの例が示す通り、フィリップの魔力は相当に下位の──態々ガスを使うまでもない弱い魔物と同程度だ。
「それホントに魔物? 弱すぎるでしょ。……例の子供たちじゃない!?」
フィリップの声に、腰にロープを巻いていたウォードたちが弾かれたようにこちらを向く。
もしそうなら、ウォードやエレナは他の者に巻いたロープを解き、自分一人だけが穴の中に降りていくことだろう。
というか、エレナはもうそのつもりでフィリップたちの方に歩み寄ってきていた。
しかし、ミナは軽く頭を振って否定する。
「違うわね。人間の魔力反応じゃない」
「あ、そう……。じゃあ、別の魔物なんだろうね」
なーんだ、と軽く納得して、フィリップもモニカから受け取ったロープを腰に巻く。
「……フィリップ君にしては珍しく無警戒だね?」
「あの蜘蛛も、ティンダロスの猟犬も……って、エレナはこっちは知らないか。ミナと一緒に戦った……ミナが殺し切れない相手なんだけど、そういう手合いは「僕より多少マシ」みたいな甘い性能はしてないよ」
あの蛇人間のような本体性能ではなく武装が脅威になるタイプの領域外存在も、いるにはいるけれど──まあ、そんなのが出てきたらその時はその時。
戦って殺すか、逃げ出して邪神を嗾けるか、どちらかだ。
腰に結んだロープの端をミナに渡したフィリップは、リュックを胸側に回して「ヨシ」と頷く。
もうすっかり話が終わった気になっているが、エレナもウォードも、今の内容を聞いて「じゃあ行こうか」と切り替えられるほど平和ボケはしていない。
「……姉さまが殺し切れなかった? 嘘でしょ?」
「本当よ。もう二度と戦いたくないし、こんなところで出くわしたらフィルだけ抱えて逃げるわね」
こんなところ、とは、壁のごつごつした洞窟内という意味だろう。
そこら中に奴の通り道である“角”がある。
「姉さまが逃げる!? そんなに強いの!?」
「……そうね。成龍なんかよりは余程」
うんざりしたように言うミナに、フィリップは「それは言い過ぎでしょ」と笑う。
成龍が存在格ガード──とフィリップが勝手に呼んでいる、下位存在からの干渉無効化現象──を持っているのかは知らないが、ティンダロスの猟犬にはそれにも匹敵する強力な防御がある。
周囲の空間を歪曲し、人間の身体どころか光やエネルギーでさえ捻じ曲げる防御空間の展開だ。
それに、“角”を通って標的をどこまで追い詰める移動性能と執念も脅威といえる。
しかし、その特異性に頼っているからか、攻撃能力はそれほど高くなかった。
「防御性能と追跡力はね。でも攻撃力はそこまでだよ。ドラゴンなんか、人間は歩く先に居ただけで死んじゃうし」
「……いや、ドラゴンに一部分だけでも勝つって、相当なことだよ?」
慄いたように言うエレナに、他の三人も真顔で頷く。
ウォードはともかく、リリウムもモニカも伝承や本の中でしかドラゴンを知らないだろうに。
「総合力で私より強いことはないけれど、面倒なのよね」
「そんな感じだね。あの防御はルキアの『明けの明星』でもブチ抜けないし」
「……それって凄い魔術なの?」
聖痕者と聞いたことのない魔術の名前に、リリウムが興味深そうな目を向ける。
ほぼ確実に、というか、絶対に使えないとは思うフィリップだったが、それは態々言うことではないかと呑み込んだ。
「僕がこれまで見た中では最高火力ですね。地下ダンジョンを丸ごと一個消し飛ばしたので……破壊規模からすると、交流戦で使ってた砦一個ぐらい?」
「それが効かない相手が居るの!?」
喩えが伝わったのはウォードだけだったが、三人分の驚きを纏めたような顔をする。
その反応でどれだけの魔術なのか薄々察したリリウムとモニカも、どこか怯えたように穴の方を振り返った。
「世の中にはいるって話。ここにいるのは違うよ。いいから早く穴を渡ろう」
ホラホラ、とぐいぐい押すフィリップを「危ないでしょ!」と叱りつつ、エレナは素直に穴の横に三十センチほど突き出た崖道に足を懸ける。
するするとスムーズに進んでいく彼女の後ろを、リリウムがべったりと壁に背中を付けておっかなびっくり続く。モニカは前後を挟むウォードとフィリップのリュックを掴んで恐々と。ウォードとフィリップは「掴まれるのは想定外だ」と書かれた顔で、引っ張られても踏ん張れるように気を払いながら。
いざとなったら飛べるミナが命綱を持っている安心感があるからか、誰かが怯えて途中で動けなくなるなんてことはなく、すんなりと向こう岸に着いた。
それからしばらく鍾乳洞を歩くと、広い空間に突き当たった。
天井はかなり高いが、反面、地面には瓦礫のような大きな岩が山積みになっていた。天井が剥がれて落ちてきたような有様だ。
「……お、到着! ここがもう一つの開口部だね!」
言われて見上げると、確かに十五メートルくらい上に小さな光点が見える。
廃井戸に被せられた板か何かの隙間だろう。
ランタン六つの揺らめく光では空間全体を照らし切れないが、ざっと見た限り、戦闘の痕跡はともかく、血の跡さえ見つからない。
「子供たちはここで襲われたんだよね? ……変だな。魔物の気配がない。姉さまはどう?」
「低劣な魔物の魔力残滓なんてすぐに消えるわよ。……でも、そうね。例の雑魚以外に魔物の反応がないのは気になるわ」
エレナとミナの会話に、フィリップは「そっか」と軽く頷く。
モニカとリリウムは足場の悪い中を400メートルも歩いて疲れたのか、程よいサイズの瓦礫に腰掛けて一息ついていた。
「……はい?」と目を見開いたのはウォード一人だ。
フィリップもエレナも、ミナの魔力視による「謎の存在はフィリップ並の魔力しかない」という情報で安心しきって、「やっぱり、大声に反応して魔物が出現するトラップ系のダンジョンなのかな?」なんて話している。
「……いやいや、待ってくれフィリップ君。村の人たちはこの洞窟に魔物が棲んでるって言ってた。その種類までは同定できていなかったとしても、蜘蛛型と蝙蝠型の魔物が居ることは確認されてるんだよ?」
慌てたように言うウォードだが、「それで?」と首を傾げたフィリップとは危機感を共有できていない。
まあ、そもそもフィリップが危機感を抱くのなんて、智慧が警鐘を鳴らしたときくらいのものではあるのだけれど。
それに、名前を知らないどころか顔も見たことのない誰かの証言を根拠にされても困る。そんなものより、ミナの目の方がずっと信憑性に勝るのだから。
村人が間違えたのだろうと、短絡的にそう考えたのはフィリップ一人。
エレナは流石に「村人も正しいことを言っている」可能性に気が付いていた。
しかし、それを伝えようとフィリップの方に向き直ったとき、彼女は一瞬前までの思考を吹っ飛ばして叫んだ。
「フィリップ君!?」と──気配ははっきりとそこにあるのに、姿は完全に見えなくなった者の名前を。
そしてその時には、既にミナが漆黒の魔剣を抜き放ち、固い岩盤の地面を踏み砕くほどの踏み込みを初動として飛び出していた。
目を瞠る──ミナの動きを追えたのはエレナ一人だけ。
その彼女の視線の先で、ミナの姿も闇に溶けるように消えていった。
エレナが思わず「姉さま!」と悲鳴を上げ──「姉」と言った時には、濡れた布を引き裂いて打ち捨てたような、聞くに堪えない凄惨な音が洞窟の中に木霊していた。そして「さま」と言い終わった直後、ランタンの光が二つの影を映し出した。
一つは、剣を振り血を払う長身の人影。
後ろ姿のシルエットだけでもその肢体が持つ曲線美がはっきりと分かる。よくよく見てみると、彼女はもう一つ、身の丈が自分の胸元までくらいしかない小さな人影を片手で抱き寄せていた。
言うまでも無く、フィリップだ。
もう一つは、地面に落ちた何かの塊。
ミナの剣から飛び散り、地面に雫の弧を描いた赤い色の源泉。
それは胴体を袈裟に両断されて絶命した、青白い肌をした子供の死骸だった。