なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 絢爛に飾り立てられたホールに満ちる音楽は、弦楽器を主とした華やかで軽やかな舞踏曲だ。

 用意されている曲目は五つ。卒業生はそのうちどれか一つで必ず踊らなければならないルールだが、フィリップはルキアとステラによるレッスンの甲斐あって、全ての曲で及第点程度には踊れるようになっていた。

 

 初っ端からダンスホールに立つ生徒は少なからずいて、「さっさと終わらせてしまおう」と考える生徒や、もうノリノリのカップル、見せ場到来とばかりに躍り出たダンス部員などが目に付く。

 

 ルキアとフィリップのペアも、そのうちの一つだ。

 

 体を寄せ合い音楽に合わせて揺れ動くのは淫靡であるとして、規制されかけたこともあるというワルツ。

 赤い瞳を見つめながらステップを踏むと、身体の動きに遅れた銀色の髪がフィリップの鼻先を擽り、香油の花の香りを届ける。

 

 「ねぇフィリップ、これから二年間、何処を拠点にするの?」

 

 フィリップのリードに身を任せ、穏やかな微笑を浮かべたルキアが問う。

 

 レッスン時に着ていた制服より薄着のルキアの腰に沿えた手から、仄かに体温を感じる。

 極めて上質なレースの手触りや、その奥にある華奢な腰の感触にも、フィリップの心が乱されることはない。習った通りに身体を動かしながら会話するのにも随分と慣れた。

 

 卒業後は当然、学生寮を出なくてはならない。

 龍狩りの報酬で一等地に土地と屋敷を構えて家具を揃え、おまけに使用人まで雇える程度には貯金が出来たフィリップだが、未だに金貨一枚たりとも使っていない分、育ち故の貧乏性も相俟って手を付ける気にはならなかった。

 

 では当然、何処かの宿を借りるしかない。

 そして宿と言えば、何かと融通を利かせてくれるところがある。タベールナだ。

 

 しかしパーティーメンバーの二人を連れて行くと、ミナから待ったがかかった。

 野営慣れしたミナだが、「野宿にも耐えられる」ことと「低レベルな住環境に長く住める」こととは全く別だと言って。

 

 タベールナでいいじゃん、とフィリップとエレナは思っていたのだが、二等地の宿でもミナにとっては安宿らしい。

 吸血鬼の女王、神にも等しい始祖の末裔様は、魔術学院の学生寮と同等の水準をお望みだった。

 

 「荷物は一旦タベールナに置かせてもらってますけど……今後どうするかは未定ですね。投石教会はミナが嫌がりますし……レオンハルト先輩にも誘われてるんですけど、あの家、迂闊に触っちゃいけないものだらけな気がするので」

 

 普段は所領で退屈な生活をしている分、王都では一等地から出ることなく贅沢三昧を楽しむ貴族は多い。

 フレデリカの両親もそのタイプらしく、彼女は二等地のあの家で一人暮らしだ。何度聞いても頑なに理由を教えてくれないが、使用人さえ雇わずに。

 

 しかし人恋しくないわけでもないらしく、フィリップが卒業後に二等地を拠点にしようと考えていることを告げると、かなり熱心に誘ってくれたのだった。

 

 ただ、あの家にはフレデリカが使う実験用の器材や薬品がそこらじゅうにある。

物によっては空気と反応して毒性のあるガスを発生させたり、落とした衝撃で部屋一個が吹き飛ぶ大爆発を起こすそうだ。

 

 ちょっとお邪魔してお茶して帰るくらいならフレデリカの目が届くが、一緒に住むとなると、彼女の目が離れる瞬間もあるだろう。そんなときに何か重大なやらかしをしてしまう可能性を、フィリップは十分に考えていた。

 

 面倒な課題を思い出したときの困り顔になったフィリップに、ルキアは何か言い淀んだ言葉を無理やり押し出すように一息に言う。

 

 「……貴方さえよければ、公爵家の別邸に住まない?」

 「別邸って、いつもの家ですよね? 一等地の」

 「えぇ。家事雑事の類は使用人に任せられるし、冒険に出かけている間も部屋は完璧に管理できるし、防犯も完璧よ。それに──」

 

 彼女らしからぬ、どこか焦りを感じさせる声で列挙されたメリットは、どれも素晴らしくはあるが即決要素ではない。

 

 しかし、フィリップは一切悩むことなく嬉しそうに頷いた。

 

 「──いいですね。ずっとルキアと一緒にいられて」

 

 たった一つの即決要素を添えて賛成すると、ルキアは信じられないと言うように瞠目する。

 そしてフィリップが「自分で言ったのに?」なんて無粋なことを口にする前に、無言でフィリップを抱き寄せた。

 

 曲に合わせたステップをそのままに、二人の距離が一歩分さえ無いほどに詰まる。

 ルキア自身が踊れなくなるほど密着しているわけではないが、友人同士やただのパートナーの距離ではない。明らかに「抱き寄せている」と分かる、恋人か夫婦でもなければ見咎められるような距離。

 

 そして練習の時には無かった密着具合に慌てたフィリップが、足の踏み場を見失う距離だった。

 

 「ルキア? 近い、近いです、足! 足踏ん……ごめんなさい!」

 

 二人とも足を痛めなかったのは運が良かった、と、一部始終を愉快そうに眺めていたステラは後にそう語った。

 

 

 ◇

 

 

 「ルキフェリア……」

 「ごめんなさい、つい」

 

 一曲を何とか無事に踊り終えた後、呆れ声のステラに、ルキアは淡々と応じる。

 しかし表情や声色を取り繕っているのは、ルキアの抜けるように白い肌がほんのりと赤く染まっていることから明らかだった。

 

 「何の話をしてたんだ?」

 

 琥珀色の液体が注がれたグラスを上品に弄びながら、ステラは声色通りの呆れ顔で尋ねる。

 

 「卒業後の拠点に公爵家の別邸を貸してくれるって話です。……いや、よく考えたら公爵様とかご夫人に話を通さないと不味いのでは?」

 「お前、今言ったのか? いや、今まで言っていなかったのか?」

 

 特に面白い話でもないし、「そうか」と軽く相槌を打って終わりだろうと思っていたフィリップは、ルキアに呆れと揶揄いの混じった笑みを向けるステラに怪訝そうな目を向けた。

 まさか話の中心にいるはずの自分より先に──それも数か月前にステラに話が通っていたとは思えないだろうし、無理もない。

 

 「……勇気が出なくて」

 「…………そうか」

 

 「乙女か」と突っ込みたい衝動に駆られたステラだったが、その通りなので突っ込みにはならないことに気が付いた。

 

 とはいえルキアも乙女回路を暴走させるタイプではないし、フィリップをぬか喜びさせるような無粋なことはしないだろう。ステラに「フィリップをうちに住まわせようと思うのだけれど、どうかしら?」と相談に来た時点で──どれだけ遅くともステラが「いいんじゃないか?」と答えた後には、公爵に話を付けてあるだろう。

 

 「……えっと、取り敢えず公爵様に挨拶してきますね?」

 「いや、もう話は通っている。向こう二年くらい世話になる旨だけ伝えればいいぞ」

 「……そりゃそっか。了解です」

 

 ステラと同じ結論に至ったらしく、フィリップは簡単に納得してダンスフロアを離れ──ぴたりと止まる。

 

 「待てよ? 向こう二年? なんで……あっ」

 

 ステラがここまで言う辺り、もしかして「絶対」と頭に付けてもいいくらいの確率で逃げられないのだろうか。

 そんなことを察したフィリップはダンスの余韻もすっかり消え失せ、とぼとぼとダンスフロアを離れた。

 

 幸いにして、探し人はダンスフロアとパーティーフロアの境界線の辺りで誰かと話しており、特に捜し歩くことも無く見つけられた。

 

 護衛の一人もいないのだろうかと心配になるほどすんなりと近づいていくと、公爵だけでなくその話し相手も見覚えのある顔だった──というか、家族だった。

 

 「お話し中すみません、公爵様。至急かつ重要な──あれ? お父さん」

 

 呼びかける前に声で気付いたようで、フィリップの父エドガーは満面の笑みを浮かべて振り向いた。

 

 「フィル、久しぶり。一年ぶりぐらいかな」

 「うん。龍狩りのときのパーティー以来だね」

 

 お互いに盛装していることも忘れ、固く抱擁を交わす。

 いつもは土と葉っぱの匂いを纏っていた父は、今日は長く着ていなかった服の匂いがした。

 

 「あの時は悪かったね。もっと沢山一緒に居たかったんだけど」

 

 整髪剤で整えられた髪をわしゃわしゃと撫でられても、フィリップは嬉しそうに笑っている。

 一年ぶりとは言うものの、龍狩りの折には殆ど会話する暇もなく二人とも帰ってしまったのだ。だから実質、再会は三年ぶりと言っていい。

 

 「仕方ないよ。お母さんが熱出しちゃったんだし」

 「母さんはこういう場は初めてだったからね。まあ、今日もまた体調を崩して別室にいるんだが」

 

 あとで会いに行こうね、とまた頭を撫でられて、フィリップは今度は曖昧に笑う。

 フィリップは初めてこういう公的な場に来た時も熱を出すほどの緊張とは無縁だったが、それは根性が据わっているからではない。父が知らない、知る由も無い精神の破綻が原因だ。

 

 それを明かす気はない。

 父の前では“いつかと同じ”フィリップ・カーターを演じきってみせる。

 

 あれ以前の自分がどんな風に笑っていたか、どんな風に甘えていたか、家族をどれだけ大切にしていて、どれだけその大切さを知らなかったか。もう思い出すことはできないけれど。

 

 そんなフィリップの心中を知ってか知らずか、公爵が咳払いを一つ挟み、エドガーにここが何処であるかを思い出させた。

 公爵閣下を放って家族との再会を喜び続けるわけにもいかず、二人は慌てて抱擁を解く。

 

 「確か、ヘンリード伯爵家の森番をされているとか?」

 「はい。身に余るご高配を頂きまして……日々、伯爵様のご期待に応えるべく精進を重ねております」

 

 慌てるあまり跪きそうになったエドガーだったが、パーティーの場であることを思い出して寸前で耐えた。

 フィリップは「失礼しました」と照れ笑いを浮かべているだけだが、それくらいの反応でいい。やはり慣れの差かと、エドガーは我が息子ながら感心した。

 

 「いやいや、私も伯爵の面倒を見ておりますが、あれは人を見る目に優れる。狩りの腕前もさることながら、薬草や山菜の知識にも長じておられるとか?」

 「いえ、滅相も──」

 「──はい。いつぞや僕がルキアに使った薬も、父が作り方を教えてくれたものですよ」

 

 久々の再会でテンションが上がったのか、或いはパーティーという非日常によるものか、フィリップが珍しく会話に割り込む。

 

 流石に無作法だと咎めようとしたのはエドガーだけで、公爵は興味深そうに頷いていた。

 

 「あの子が足を痛めた時にくれたという軟膏だね? そうだったのか。……ところでフィリップ君、何か用事があったのでは?」

 

 言われて、フィリップは自分が公爵を探していたことを思い出した。目的を忘れていたことに気付いた、と言うべきか。

 

 「そうでした!」なんて指を弾き、「卒業後の家、というか活動拠点についてなんですけど」と切り出すと、公爵は全てを察したように「あぁ」と端的に頷いた。

 

 「あぁ、ルキアから聞いているよ。うちに住むんだろう? 明日からよろしく頼むよ」

 「……はい。二年間お世話になります。よろしくお願いします」

 

 やっぱり話は通っていたと安堵しつつ、フィリップは折り目正しく一礼する。

 

 その後頭部に、公爵は意外そうな一瞥を呉れた。

 

 「おや、もっとゴネたり、質問するかと思ったのだが」

 「殿下にまで話が伝わってて何も言われないってことは、僕にとって最適な選択ってことですからね……」

 

 ふむ、と公爵は肯定的とも否定的とも思える曖昧な吐息を零す。

 忠誠や信仰とは違うが、強い信頼関係があるのは良いことだ。しかし、妄信的であるのは頂けない。

 

 将来的に公爵位を戴くことになるのだから、求められるのは君主に対する絶対的信頼ではなく、場合によっては諫めるための批判的思考だ。……まあ、それはルキアやガブリエラ(娘たち)が十分に果たしてくれるだろうけれど。

 

 「……話が見えないんだが、フィル、どういうことだい?」

 「あ、うん。冒険者になるって話はしたよね?」

 

 話をした、というか、手紙で伝えただけなのだけれど。

 

 「聞いたよ。まあ、貴族にならない方法を探すためっていう理由には賛同しかねるけれど……幸せになる方法を模索するのは悪いことじゃない。色々と試してみるといいよ」

 「……うん。で、冒険者として活動する間の拠点をどうするかって話になってて」

 

 それについても決まっていたはず、とエドガーは怪訝そうに眉根を寄せる。

 手紙の内容を一字一句覚えているわけではないが、息子が何処で何をしているかくらいは把握しているつもりだ。 

 

 「丁稚奉公に出てたタベールナに住むと聞いていたけど?」

 「そのつもりだったんだけど、パーティーメンバーから不満が出てさ……。一時の野営地ならともかく、長く住むならもっとマシなところにしろって」

 「そうなんだ。……あれ? タベールナって二等地の宿だよね?」

 

 王都外の人間にとって、王都の宿というだけでも十分に贅沢だ。

 そして二等地ともなれば、王都外の人間はバカンスで訪れることさえある高級宿。……もちろん大衆向けの安宿や、冒険者ギルドや衛士団と提携した長期契約向けの宿もあるのだが、王都外の人間はそこまで詳しく知らない。

 

 「……まあね。それで悩んでるって話をした友達が、うちに住まないかって言ってくれて」

 「…………冗談だよね? 聖下と?」

 

 たっぷり十秒は絶句したエドガーは、何か言おうとしては引っ込めるのを三度繰り返したのち、なんとかそう絞り出した。

 しかしそれきり何も言えなくなってしまったようで、フィリップを見つめるばかりだ。何か言おうと口をパクパクさせてはいるが、声は出ていない。

 

 その様子を愉快そうに見ていた公爵は、とうとう耐えきれなくなったように声を上げて笑った。

 

 「ははは。まあ、その辺りの話は私から。フィリップ君、まだ王女殿下とは踊っていないだろう? 行ってくるといい」

 

 ルキアともステラとも、練習の時から嫌になるほど踊ったが──そういう話ではないことくらい、フィリップにだって分かる。

 まあ、「きっと違うのだろう」と推測できるというだけで、フィリップ自身がそう思っているわけではないのだけれど。

 

 踊るのは面倒だ。神経を使うし、体力も使う。

 だがそれでも、ステラと踊らないという選択肢は、流石にない。

 

 「……はーい」

 

 フィリップは父親ともう一度抱擁を交わして、手を振って去っていった。

 

 

 

 

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