なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 「……ッ!」

 

 狩人が渾身の一矢を放ち、フィリップたちから逃げて今まさに畑に飛び込もうとしていた猪の頭を撃ち抜いた。

 

 ずんぐりとした体は短い断末魔と共に転倒し、ごろごろと畑に転げ落ちる。麦が何本か倒れたようだが、そのくらいは許容範囲だろう。

 

 「ふぅ……」

 

 一件落着とばかり剣を納め、水筒の水で目を洗う。服がびちゃびちゃになるが、今日は暖かいし、そのうち乾くだろう。

 

 上を向いてジャバジャバやっていると、「大雑把だなあ」と苦笑していたエレナが弾かれたように森の方を向く。

 勢いにつられてフィリップも森の方を見つつ、頬を垂れてきた水をぺろりと舐める。汗が混じって微妙にしょっぱかった。

 

 エレナが見ているのは森のすぐ外の辺り、フィリップたちから4,50メートルのところにいる茶色っぽい塊だ。

 

 「待って、もう一匹……熊だ!」

 

 また面倒なのが来た、とフィリップとエレナの心情が一致する。

 その後方、狩人は弓を仕舞って陶器のボールを取り出している。中身は特殊な木の実を発酵させて作った、熊を撃退するときに使う強烈な刺激性のあるゲルだ。熊のサイズを見た瞬間、自分の弓では歯が立たないと察せられた。

 

 熊は面倒だ。

 頭蓋も含めたあらゆる骨が硬く、毛皮も極めて強靭だ。並大抵の弓矢なら容易く弾き、鏃に毒を塗っていても毛で止まっては意味がない。その上、デカくて重くて力が強い。

 

 まあ、エレナは殴り殺せるらしいし、フィリップも視野外からの突進で一撃死さえしなければ拍奪と龍貶しで割と善戦できる。

 

 しかし、今求められているのは「熊を殺せ」ではない。「熊を畑に入れるな」だ。

 自分は熊より強いとはっきり自覚しているエレナが戦闘態勢になれば、おそらく、敗北条件に抵触する。熊は藪の中に身を隠して奇襲する程度には知性があるし、敵の感情や強さにも敏感だ。

 

 「僕が殺る!」

 

 ファイティングポーズを取ろうとしたエレナを抑え、フィリップが前に出る。

 フィリップは悪臭を漂わせてはいるが、見た目には弱そうなはず。そして相手が魔力を持たない通常の生物なら『萎縮』で一撃必殺が見込めるからだ。

 

 しかしフィリップが左手を伸ばすより先に、熊の歩調が大きく乱れる。

 右半身と左半身が別々の生き物になったかのように、四足歩行の仕方を忘れてしまったかのように足取りが覚束なくなる。そしてそのまま数歩ほど走り、右半身だけが半歩ほど先行して前に出た。

 

 フィリップはそれを輪郭だけでぼんやりと捉え、視力の優れたエレナが目を瞠る。

 

 そして、半身のずれはみるみるうちに大きくなり、全体がバランスを崩して、遂に左右の半身が完全に分かれて倒れた。

 砂埃の中、びくびくと痙攣している二分の一の大きさになった巨躯の向こうに人影が現れる。

 

 臓物の浮かぶ血溜まりを赤いハイヒールが悠々と踏み越え、漆黒のコルセットドレスが風に靡いた。

 

 「ッ……! ミナ!」

 

 恐らくは獣たちの暴走の元凶であろう吸血鬼は、右手で漆黒の長剣を弄びながらフィリップを一瞥する。

 

 「……怪我は?」

 

 ミナにしては珍しい質問だ。

 二人が熊と戦う前だったことくらい、一目で看破できるだろうに。

 

 そう思いつつも頷いて答えると、ミナは安心したように口元を緩めた。

 

 「良かった。ちょっと飛ばし過ぎたんじゃないかと思って心配だったのよ」

 

 フィリップとエレナはミナとは反対に口元を引き攣らせて顔を見合わせる。

 飛ぶ斬撃──人間なら流派の秘奥義になっていそうな、物理法則を無視した攻撃。ミナにとっては「跳ぶ」とか「剣を振る」といったような、ただの動作らしいけれど。

 

 いや、この際飛ぶという部分を無視したとしても、熊を両断する一撃の流れ弾なんか掠っただけで大怪我だ。

 

 「……あれ? シルヴァちゃんは?」

 

 二人で鬼ごっこをしていたはず、と首を傾げるエレナ。

 

 「あぁ……そこに居たよ。今は戻ってるけど」

 

 ぴょこ、とフィリップの足元から出てくるシルヴァ。

 若草色の髪は所々血と泥で汚れ、それらに加えて獣の臭いも漂わせていた。あとで水浴びをさせなくては。 

 

 「……熊の下敷きになってたの?」

 「おなかにくっついてにげてた。かんぺきなかくればしょだったのに」

 

 エレナも臭そうにしつつ尋ねると、シルヴァはむすっとした顔で左右に分割された熊の死骸を一瞥した。

 

 「そうね。何もしなくても私からは逃げるし、魔眼禁止のルール上面倒な騎獣ではあるわ」

 「でも、しるばはもりからでたらまけ。はんそく。……またまけた」

 

 誰の真似か、腕を組んでしかつめらしく頷くシルヴァ。

 ルールなんて決めて、意外ときっちりした鬼ごっこをしているのだなとフィリップとエレナは苦笑を交わす。

 

 二人とも「反則に誘導するためにミナがわざと殺気を漏らしたのでは?」という嫌な疑念を共有していたが、口には出さなかった。

 

 「おーい! 大丈夫かー!? ……え?」

 

 戦闘終了とみて駆け寄ってきた狩人は、頭から尻まで一刀で綺麗に分割された熊を見て戦慄する。人間技ではない──いや、魔物でもここまでできるヤツはそうはいない。

 

 一応ミナとエレナはどちらもエルフということで通しているから「エルフってすげぇな」なんて納得してくれて、フィリップとエレナは改めてほっと一息だ。

 

 ……で。

 内臓とかその内容物とか、諸々をモロモロと零す死骸をどうするか。

 

 体重300キロはありそうなよく肥えた大物だが、放置すれば300キロの腐肉となって悪臭を撒き散らし、感染症や不快害虫の温床になるだろう。というか、既に臓物や血の匂いが漂い、空にカラスが現れ始めた。フィリップとミナがいるから降りてきて啄むのは躊躇っているようだが。

 

 「……台車か何か持ってきて、森に埋める?」

 「まあ、そうだね。放置はできないし、畑に燃え移るのが怖いから焼き払うわけにもいかないし……」

 

 焼き尽くそうと片手を伸ばしていたミナをエレナが身振りと言葉で抑える。

 体長二メートルはありそうな熊の死骸を灰にするレベルの火力を用意しつつ、火の粉の一つまで完璧に制御するのは難しいだろう。やってみたら意外と出来るかもしれないが、試す気にはならない。

 

 「こりゃ酷、いや、凄いな。あー……こっちの処理は俺がやるから、猪を村に持って帰って、村の奴らと一緒に解体しておいてくれないか? 勿論、逆でもいいが」

 

 狩人は気を遣ってくれたようだが、酷い、でも正解だ。

 無造作になんとなく真ん中あたりを斬ったものだから、内臓が幾つか裂けて内容物が出ているし、血ではなさそうな謎の汁も流れている。

 

 「いいけど、こっちの方が大変じゃない? 分かってると思うけど、ちゃんと深く掘って埋めないと他の獣が寄ってくるし、虫とかカラスとか凄いことになるよ?」

 

 熊を殴り殺したあと酷い目にあったらしく、エレナの声からは嫌悪の記憶が感じ取れた。

 同じ経験があるのか、狩人も遠い目をして苦笑する。

 

 だが熊はそこそこの大きさだ。体長2メートル強、体重は300キロ弱くらいだろうか。

 これを完璧に埋める穴を掘るとなると、慣れた狩人でも大仕事だろう。土の質次第では日没どころか夜中までかかりそうだ。

 

 「だからだよ。手伝って貰ったんだから、キツいほうは俺がやるさ」

 

 一見して100キロ近くありそうな熊の半身をそのまま運ぶわけにもいかないと判断したのだろう、狩人が解体用らしきナイフとマチェットを取り出す。

 

 「熊の肉は食べないの?」とエレナ。

 狩人は「あー、食うって村もあるらしいが、ウチでは食わないな。あんたらが食うってんなら、捌いてみるが?」と、配慮に満ちた愛想笑いを浮かべる。

 

 しかし熊の肉は食べたことがなかったフィリップが興味深そうに死骸の方を見ると、その反応で色々と察した狩人は配慮を捨てて「猪の方が美味い。無理して食べるモンじゃないぞ」と注意した。

 エレナも「確かに」と頷いているので、そうなのだろう。

 

 「よし、じゃあ──」

 「私、荷車取ってくるね! 男の人も呼んでくる!」

 

 フィリップとエレナが村に戻ろうと──荷車を持ってきて、ついでに猪を運んで解体する人員も欲しいな、なんて思っていると、不意にテレーズが狩人の後ろから出てきた。

 てっきり家に戻ったのだとばかり思っていたのはフィリップだけではないようで、隣でエレナも瞠目している。

 

 「テレーズ、居たの!? 家に戻ったと思ってた!」

 「……うそ」

 

 驚愕を叫ぶフィリップと、呆然と呟くエレナは対照的だ。

 全然気付かなかったことを笑う余裕があるのはフィリップ一人。エレナは驚きのあまり口元を覆っている。仕草が妙に上品で、フィリップはふとルキアとステラを思い出した。彼女もまた貴き血を流す者だった、と。

 

 だがフィリップが忘れていなかった分野、彼女の戦闘経験もまた一流だ。

 特に森の中で何処から襲ってくるか分からない獣や魔物を相手にしてきた彼女は、種族的なものだけではない優れた感覚を有している。

 

 その彼女が──。

 

 「獣を畑に入れないことに全神経を集中してたとはいえ、気付かなかった。……このボクがだよ?」

 

 有り得ない、とでも言いたげなエレナ。

 単なる自画自賛ではなく実力が伴っているから、受けた衝撃もひとしおだろう。

 

 まだ衝撃から立ち直れていないエレナの表情をどう受け止めたか、テレーズは困ったように眉尻を下げた。

 

 「あー……やっぱり駄目でした、よね。そう言われるとは思ったんですけど、フィリップたちが戦うところを見たくて、つい隠れて……ごめんなさい」

 

 テレーズにとっては誠意を込めた謝罪はしかし、エレナには追撃だった。

 

 「つい隠れた程度で……!?」

 

 追撃──というか、エレナはもう一周回って笑顔だ。

 

 「テレーズちゃん、もしかしたら……ね、ちょっと耳を貸して」

 

 また二人でゴニョゴニョやり始めたエレナとテレーズ。

 

 何の話だろうと聞き耳を立てたフィリップだったが、内容を聞く前にミナに後ろから抱きしめられた。

 特に何の脈絡もなく愛玩されるのはいつものことだし、驚きはない。

 

 シルヴァもぽてぽてと近寄ってきて──ミナが不愉快そうに眉根を寄せた。

 フィリップにも分かるほど、シルヴァが異臭を放っている。吸血鬼である以上血や臓物には慣れているだろうけれど、獣の臭いは別らしい。

 

 「フィル、その子を仕舞うか洗ってきて」

 「あ、うん。シルヴァ、水浴びしに行こう」

 

 王都の温かいシャワーに慣れたフィリップとしては、川の水をそのまま浴びるのは昔懐かしい行為だ。

 だが別に不慣れなことではないし、不満も無い。

 

 ちょうどフィリップがシルヴァを伴って立ち去ったタイミングで、エレナとテレーズと、いつの間にか狩人も巻き込んでいた密談が終わる。

 テレーズがよろしくお願いします、と狩人に頭を下げて握手を交わしているのを見て、「何を話してたの?」と尋ねる──人間同士の会話に興味を持ちそうなのは、ペットを洗いに川へ行った。

 

 「じゃあ、決まりね! 姉さま、ちょっといい?」

 「なに? フィルには内緒の話?」

 「そういうわけじゃないんだけど……先に姉さまから説得しようかなって」

 「説得、ね……」

 

 自分を説得できると思っているのなら大きな間違いだとミナは苦笑する。

 ミナの行動基準は「面倒か」という一点。それがいま必要なことでも、将来的に必要となることでも、いま面倒ならやらない。

 

 どれほど道理を示そうと、どれほどの利を提示しようと、閾値を超える面倒臭さならやらない。故に、一般的な説得手法は殆ど通じないといっていい。

 

 しかし──それほどの視座を有する強さ故に、ミナは器が大きい。

 

 「テレーズちゃんをパーティーに入れたいんだ!」と言われても、寛容に受け入れる──というか、どうでもいい。

 姉さまを前衛、ボクとフィリップくんが遊撃、テレーズちゃんが後衛になればバランスのいいパーティーになるんだ。とか言われても、心底どうでもいい。

 

 「いいんじゃない? あの子が守りたいと思ったら勝手に守るでしょうし」

 

 ペットがどうしたいかを考える程度には愛着があるが、それも些事だ。

 ペットが愛着を持つなら好きにさせる。……まあ、番にしたいと言い出したら「ちょっと待て」と止めるかもしれないけれど──ソレにするぐらいなら聖痕者にしておけと勧めるけれど。

 

 けれど「彼女を助けるために血を使え」と言われても、気分が乗らなければ拒否する。ミナにとって、テレーズはそのくらいの相手だった。

 

 だから、まあ、パーティーに入るなら好きにすればいい。どうせ大半の相手はミナ一人で片付くし、ミナが勝てないような手合い──王龍なんかが出てきたら、フィリップを抱きかかえて飛んで逃げる。

 

 今と、何も変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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