なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 「で、出した結果がそれなの? 判定不能?」

 

 太陽はもう天頂を通り過ぎ、エレナの腹の虫が鳴き始めた頃になって漸くフィリップが出した結論に、エレナは蟀谷に青筋を浮かべていた。

 エレナは今まで一度だって怒りに任せて拳を握ったことはないのだが、それはそれとして殴られるのではないかと思わせる凄みのある笑顔と共に。

 

 「う、うん。いや、正確には「この村を」判定するのは無理なんだ。一個集団のように見えるけど、信仰の形態や強さがまるで統一されてない」

 

 信仰によって結ばれた集団にしては、肝心の信仰が曖昧だ。

 話を聞いていく中で、彼らが概ね「カエルは神様のように有難い生き物」派、「カエルは神様そのもの」派、「唯一神と比して語るなどけしからん」派に分かれていることは分かった。「けしからん派」は、言うまでも無く「唯一絶対の神である唯一神の他に神などいない」という主張を掲げている。

 

 彼らは信仰や信条を共有していない。他者のそれを尊重しつつ、自分の信仰は確立して持っている。

 一個の宗教的共同体として彼らを捉えることはできない。宗教的理念ではなく、何か別のもので繋がった他人。なんというか……“ご近所さん”といった感じだ。

 

 信仰に歪みがないというか、むしろ不自然に統一されていない分混沌としているというか。

 

 「それが土着の信仰として自然なんだと思う。信じたいものを信じたいように信じる、って言うのかな」

 「土着の……? 普通はそうじゃないの?」

 

 一神教に信仰を統一された人間とは文化を共有していないエレナの問いは、フィリップにはむしろ新鮮だった。

 

 「普通……」

 

 普通は、一神教だけを信じている。

 

 一神教が大陸全土に浸透し、文化や道徳心の基盤となっている現状、一神教の信仰は人間の証明と言っていい。

 人を殺してはいけません、暴力を振るうのはいけないことです、他人の物を盗んではいけません。その手の人間として基本的な道徳心は、教会で行われる説法や聖典の朗読などを通じて教えられるし、家庭でも聖典ベースの訓話なんかを読み聞かせる。

 

 それはもう、大陸に生きる人々の遺伝子に刻まれたことだ。肉体ではなく、文化の遺伝子に。

 自分の親がそうしたように、自分の周りがそうしているように、当然のように、自分の子にも同じことをする。親はそのまた親にそうされている。子も、自分の子に同じことをする。

 

 そうして何世代、何十世代もの時間をかけて、一神教は人々の思考や文化の基盤となった。

 

 一神教を信仰していることは、大陸の人々にとって“普通”なのだ。

 大陸共通語を話し、十進法を使い、嬉しい時には笑って悲しい時には泣く。そのレベルで、信仰は身体に刻み込まれている。

 

 それでも、人によって濃淡はある。

 フィリップもあの一件以前から熱心な信仰者ではなかったし、ルキアやステラもそうだ。育った環境や経験、強さなんかが違うから、思想にも差異が生まれる。

 

 規模の小さい土着信仰であるからこそ、その差異がはっきりしているのだろう。

 一神教のように文化や思考の基盤に食い込むほどの強度や歴史が無く、恐らくは虫害を受けにくい作物や多量の水を必要としない作物を育てていたりするとカエルに対する感謝も薄いから、信仰心も薄くなる。

 

 誰かに強制されていたり、儀式を通じた遭遇や信仰の強化統一が行われていたら、こうはならない。

 

 「……二人とも、さっきから何を話してるの?」

 

 ひそひそと囁き合うフィリップとエレナに、疎外感を覚えたテレーズが頬を膨らませる。

 あざといが、まだ幼さの残る顔立ちの彼女がやると絵になる仕草だった。

 

 村人を全員殺すべきかどうか考えあぐねていた、なんて言えるはずもなく、適当に誤魔化していると、村の反対側が俄かに騒がしくなる。

 悲鳴と叫び声。そして、笛か何かを全力で吹いている、耳に突き刺さるような甲高い音。

 

 村人たちは蜘蛛の子を散らすよう──とまでは行かないが、ぞろぞろと自分の家に戻る。何人かは名残惜しそうにしていたが、他の村人にせっつかれるように帰っていく。

 

 「獣が森から出てきたみたい。この時期にはよくあることなの。家に戻ろう?」

 「よくあるの?」

 

 テレーズが怯えも慌てもせず、淡々とフィリップとエレナの手を引いて家の方に向かう辺り、本当に珍しいことではないのだろう。村人たちもさっさと家の中に引き篭もり、硬い石造りの壁で身を守っている。

 

 むしろ余所者のフィリップたちの方が警戒しているくらいだ。

 エレナは野生の獣の脅威をよく知っているし、フィリップは外神の残り香を気にせず向かってくる獣に不信感を抱いている。本当に獣なのかと。

 

 「冬ごもりの準備もあるだろうけど、畑の作物の方が野生より出来がいいですから」

 「……畑を狙って出てきたってこと? 収穫、まだ少し残ってるんでしょ? 大丈夫なの?」

 

 よくあることと言うだけあって、村人たちもテレーズも畑にある程度の被害が出るのは諦めているようだが、エレナは「何故戦わないのか」と言いたげに不満そうにしている。

 

 だが、仕方のないことだ。

 この村にも狩人はいるらしいが、彼らは狩りのプロであって、戦闘のプロではない。

 

 待ち伏せ、誘い出し、射界へ入った獲物に必殺の一矢を射かけて仕留める──そんな狩りの腕がイコール戦闘能力となるような、所謂射手(シューター)タイプのハンターばかりではないのだ。罠を仕掛けて只管待つとか、時には錬金術師からガスを仕入れて一網打尽を試みる者もいる。

 

 まあ、この村の狩人がどういうタイプかは知らないけれど、とにかく、暴れ回る獣と一対一で渡り合うばかりがハンターではない。

 

 いや、そんなことより──。

 

 「獣……?」

 

 果たして食い意地だけで自分に近づいてくるだろうかと、フィリップは思考を回す。

 フィリップが纏う“月と星々の香り”、外神の残り香は、鼻の利く野生動物には相当な悪臭だ。矢の雨を掻い潜り槍衾を踏み越えるよう訓練された恐れ知らずの軍馬でさえ、二日も乗れば闘争心が完全に萎えて使い物にならなくなるほどに。

 

 時期的に獣は冬ごもりの準備中か、または森に自生している果実や山菜等より高品質なものを求めているのだろうと思われる。

 つまり、恐怖を飲み込んででもフィリップに近づかなければならないほど飢えているわけではないということだ。

 

 勿論、フィリップの臭いに気付かない、鼻の利かない獣である可能性もあるけれど……そうではないとしたら、「得体のしれない臭いを漂わせる怖いヤツ」以上の脅威から逃げているとは考えられないだろうか。

 

 例えば──ちょっと興が乗ってきて、剣を振りながらついうっかり殺気を漏らしちゃった吸血鬼とか。

 

 「……フィリップくん?」

 

 あらぬ方向に、今日提出のレポートを忘れていた時とそっくり同じ顔を向けるフィリップ。

 エレナはその妙な反応に首を傾げるばかりで、フィリップと不安を共有できていないようだ。

 

 「……駆除しよう。テレーズ、僕の剣を取ってきてくれる?」 

 「え? う、うん、分かった!」

 

 龍貶し(ドラゴルード)は他の荷物と一緒にリール家に置きっぱなしだ。

 ただの獣なら『萎縮』一発でカタが付くが、「獣だと思ったら魔物でした!」というケースを想定して武器を求めた……というわけではない。

 

 単にフィリップの危惧をエレナに伝えるのに、ミナの正体を知らないテレーズが近くに居るのが厄介だっただけだ。

 

 懸念を共有すると、エレナはフィリップと全く同じ表情で目を泳がせる。

 「姉さまが殺気を制御できないわけないじゃん!」と、実力だけを見るなら言い切れるのだが、そもそも殺気を制御しなければならないとも思っていないだろう。そう思い至ってしまえば、反論の言葉も出て来ない。

 

 「あー……、うん、そうだね。畑に被害が出ないよう、ボクたちが対処しよっか」

 

 元々そのつもりだったけど、とエレナ。

 ただ、善意で助けるのとマッチポンプでは気の持ちようが全然違うというか、気の落ちようが違う。

 

 ややあってテレーズが大変そうに長剣を抱えて戻ってくると、フィリップとエレナは取り敢えず笛の聞こえた方に向かう。途中「おいあんたら、何やってるんだ! 暴れイノシシ舐めてると死ぬぞ! 早く家の中に避難しろ!」と家の中から怒鳴られたが、エレナが「大丈夫、心配しないで!」と笑顔で手を振って応じる。フィリップはエレナの健脚に付いていくので精一杯だ。

 

 そういえばテレーズには「家に戻れ」とも「ついてきて」とも言っていないが、ついてきている様子はないし、きちんと家に戻ったのだろう。

 

 村の端まで来ると、森に向かって伸びる一本道の手前に弓矢を持った男がいた。青年というには年を食っているが、壮年というにはまだ若い、そんな年頃だ。

 

 彼は険しい顔で森の方を睨んでいたが、フィリップとエレナに気付くと怪訝そうに目を細めた。

 

 「ん? なんだ、手伝ってくれるのか?」

 

 勿論、とエレナ。

 フィリップは手で日除けを作りながら、道の先でもうもうと煙る砂埃に目を凝らす。

 

 両側を麦畑に挟まれた、森へと続く長い道だ。

 王都外のあらゆる道の例に漏れず未整備で、岩盤の上に積もる砂がやや厚い。

 

 土煙の原因は、100メートル向こうで荒ぶる六つの黒い点。獣──群れているということは、熊の類ではなさそうだ。恐らくは猪か──その群れと、それを押しとどめる猟犬だ。勇猛果敢な低い吼え声がここまで届く。

 

 「狩人ですか。猟犬はセント?」

 「いや、セット・マスティフだ。……詳しいな?」

 「父が狩人だったので」

 

 猟犬の役目は嗅覚による索敵(セント)ではなく、誘い出しと格闘(セット&マスティフ)

 ここからでは黒い点にしか見えないが、恐らく、そこそこ大型で強い種だろう。多分、猪一匹くらいなら狩人の援護無しに噛み殺せるような。

 

 彼──彼女かもしれないが──が群れの行く手を阻み、威嚇していることで、獣の進行速度はほぼゼロにまで抑えられている。だが流石に多勢に無勢、じき突破されるのは目に見えている。一匹の喉笛を噛み千切っても、残る四匹が黄金の穂波を踏み荒らす。

 

 猟犬が機能しているうちにフィリップとエレナが援護に回るべきか。

 

 そう思ったのも束の間、

 

 「ん? ハリー! どうした!? ……うぉっと!?」

 

 どういうわけか、猪の群れに果敢に吠え掛かって歩みを止めさせていた猟犬が逃げ帰ってくる。

 いや、逃げてきたというか──より優先すべきモノを見つけたように、真っ直ぐに飼い主の元へ戻ってくる。黒い点だったものがみるみるうちに四足の獣の輪郭になり、やがて狼のような見事な体躯を持つグレーの犬になった。

 

 がっちりとした体格の格闘犬は飼い主とフィリップの間に割って入り、吠え立て、唸り、牙を剥く。まるでフィリップが飼い主の敵であるかのような荒らぶりようだ。

 

 「……やっぱり駄目か」

 

 フィリップが「もふもふだ!」と目を輝かせたのも一瞬で、獣どころか人間さえ殺せそうな見事な猟犬に威嚇され、しょんぼりと肩を落とす。

 

 「昨日からこの調子なんだ。ずっとあんたらに怯えてる。猟犬のくせにな」 

 

 狩人に叱り付けられ、ふわふわの耳がぺたりと寝る。

 僕が臭いせいでごめんね、ともふもふしたいところだが、そうもいかないのが辛いところだ。

 

 「あー……僕の剣、ドラゴンの素材を使ってるので、そのせいだと思います。優秀な子ですよ」

 「そりゃ凄ぇな! ……っと!」

 

 今が好機とばかり村に向かって突進を始めようとした猪の群れを、狩人が笛を吹いて威嚇して止める。フィリップやエレナには耳を劈く甲高い音でしかないが、動物にはもっと嫌な音らしく、猪の歩調が目に見えて緩む。

 

 だが、止まらない。

 今は突進前だったから勢いを殺せたが、本気の突撃が始まってからでは意味をなさないだろうと察せられる。

 

 猟犬に再度突撃するよう指示を出す狩人だが、彼はいまフィリップを警戒するのに忙しい。飼い主の身を一番に案じる、いい犬だ。

 

 「参ったな、畑に入らないように追い立てたいんだが、こいつは使い物になりそうにない。先頭の奴を撃ったら、連中は散り散りになって畑を踏み荒らすぞ」

 

 何故撃たないのだろうと思っていたフィリップとエレナの疑問に問われる前に答え、狩人は忌々しそうに砂煙を見つめる。

 

 フィリップは知らず、エレナと狩人は言葉を交わさず共有できることが二つある。

 

 一つ。あの種の猪は基本的には真っ直ぐに、そして拓けた場所を進む性質がある。

 二つ。例外として、群れの仲間が外敵にやられた場合、彼らは素早く散開する。仲間を助けるのではなく自分の身を守るため、他の仲間とは違う方向に散らばるのだ。訓練もしていないだろうに、完璧な連携で。

 

 つまり何もしなければこの道を直進して村に入るし、どれか一匹でも撃てば、残った奴らが両側の畑を滅茶苦茶に踏み荒らしていく。

 

 「全部で五匹だ。ボクが右の三匹をやるから、フィリップくんは左の二匹をお願い。狩人さんは撃ち漏らしがあったらカバーして!」

 「後ろから援護射撃されるの、ちょっとトラウマなんだけどなぁ!」

 

 狩りに関してはエレナに全幅の信頼を置いているフィリップは、彼女の指示に即座に従う。

 先程から断続的に獣除けの笛を吹いてはいるが、慣れてきたのか徐々に効きが弱くなっている。突撃はじき全速に達するだろう。

 

 二人は道と麦畑の間の僅かな隙間を駆け抜け、一瞬で猪の群れに肉薄する。

 二人の速度も相当だが、猪も猛スピードでこちらに向かってきている。相対速度は時速90キロにも達するだろう。

 

 交錯は一瞬。

 

 フィリップは手近な一匹の頸を容易く刎ね飛ばすと、もう一匹に狙いを定めつつ刀を返し──片目に鋭い痛みを感じて思わず顔を背けた。

 砂埃だ。痛みは動きが止まるほどではないが、動きが精彩を欠く。

 

 咄嗟に振るった剣は、切っ先に僅かな手応えがあるのみだ。

 ただの獣を斬りつけて手応えがある時点で、あまりよろしくない。龍貶しは錬金術製の鎧すら切り裂く鋭利さだ。獣の毛皮など何の抵抗も無く断つはずなのだから。

 

 だがいくら龍の骸を素材に使い、王国最高の錬金術師の手によって造られ、王国最高の付与魔術師が強化したとはいえ、刃物である以上、刃の角度というものがある。斬撃が最適な角度に沿っていなければ刃が通らないのは自明だ。

 

 甲高い豚の悲鳴が上がり、しかし、猪が倒れた気配はない。

 

 「しまった、浅い!? エレナ!」

 

 砂埃の只中に突っ込んだせいで何も見えない。『萎縮』の照準補正性能が高いと言っても、的が見えなければ狙いようがない。

 

 だが、道の反対側にエレナがいるはず。彼女の健脚なら、多少遅れたくらいなら猪の突撃にも追い付ける。

 

 そう直感的に考えて叫んだものの、返事は否定だった。

 

 「ボクも無理! 狩人さん、お願い!」

 

 ホップ、ステップ、ジャンプ。

 頭蓋、頚椎、脊椎をそれぞれ踏み砕いて三匹の猪を倒していたエレナは、前方伸身宙返りをして見事な着地を決めたところだった。1260度の回転付きで。

 

 遊び過ぎだ。

 そりゃあ殴ったり蹴ったりしている余裕はないし、ほぼ同時に決める必要があるからストンプは悪くない選択ではあるけれども。

 

 

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